英雄たちの選択「平将門・謀反の真実~悪霊か正義の武士(もののふ)か~」 高橋源一郎、川尻秋生、宮崎哲弥、磯田道史、杉浦友紀…


出典:『英雄たちの選択「平将門・謀反の真実~悪霊か正義の武士(もののふ)か~」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「平将門・謀反の真実~悪霊か正義の武士(もののふ)か~」[字]


東京・大手町の一角にある将門の首塚。今も、お参りに訪れる人が絶えない。圧倒的な人気の武将・平将門。彼は、悪霊か正義の武士(もののふ)か?徹底検証する。


詳細情報

番組内容

10世紀、坂東と呼ばれていた関東は、都から派遣された国司と、在地の役人の間で、もめ事が絶えなかった。実力と人望のある平将門は、その調停に走り回る。ところが、常陸の国を攻め、国司の印と蔵の鍵をうばってしまった。ついに、将門は、「新皇」を名乗り、朝廷と真っ向から対決し、討ち死にする。首は都にさらされ、悪霊として恐れられた将門は、なぜか人々の守り神として復活した。武士の草分け・平将門の真実に迫る。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】高橋源一郎,川尻秋生,宮崎哲弥,【語り】松重豊




『英雄たちの選択「平将門・謀反の真実~悪霊か正義の武士(もののふ)か~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

英雄たちの選択「平将門・謀反の真実~悪霊か正義の武士(もののふ)か~」
  1. 将門
  2. 朝廷
  3. 貞盛
  4. 坂東
  5. 国司
  6. 自分
  7. 天皇
  8. 非常
  9. 和解
  10. 当時
  11. 貴族
  12. 京都
  13. 首塚
  14. 新皇
  15. 選択
  16. 革命
  17. 支配
  18. 武士
  19. 関東
  20. 宮崎


『英雄たちの選択「平将門・謀反の真実~悪霊か正義の武士(もののふ)か~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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オリンピックに向けて
大規模な再開発が進む東京・大手町。

その一角に
防護壁に守られた不思議な場所がある。

ここには史上類を見ない
謀反を起こした男の首が祀られている。

将門は朝廷に反旗を翻した。

そして 当時「坂東」と呼ばれていた
関東8か国を制圧。

新しい天皇 「新皇」を
名乗ったのだ。

しかし 朝廷が送った討伐軍の前に
あえなく戦死。

謀反は50日余りで終わり

首は都に運ばれ 獄門に処された。

だが 伝承によれば

首は「無念」を叫び続けて飛び去り

ここ東京・大手町に埋葬された。

以来 将門は 祟り神として
恐れられてきた。

例えば 東京が がれきの山となった
関東大震災。

首塚のあった場所に
大蔵省の官舎を建てようとすると…。

時の大臣や関係者が次々に死亡。

祟りを恐れた政府は
慌てて首塚を復活したという。

さらに 第二次大戦後 GHQが
この場所に駐車場を造ろうとすると

ブルドーザーが横転。

作業員が死亡したというエピソードも。

将門は なぜ GHQさえ恐れる
祟り神になったのか。

今回も スタジオには各界の論客が集結。

将門が起こした謀反の真相に迫る。

むしろ これは関東独立戦争で

インディペンデント・ウォーなんだと
思うんですよ。

あのときに 彼は やったのは…

鋼の肉体を持ち
7人の影武者を従えていたといわれる

平安時代最強の兵 平 将門。

彼が抱えた無念に迫り
反逆者誕生の謎を解き明かす。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今週から2週にわたり
シリーズ「平安の反逆者」と題して

平安時代に朝廷に反抗した人物を
取り上げていきます。

第1回の主人公が こちらです。

939年に「坂東」と
呼ばれた

関東一帯で反乱を起こした 平 将門です。

平 将門といえば 恐ろしい怨霊として
知られていますよね 磯田さん。

そうですね。

日本三大怨霊。
三大怨霊。

祟り神として祀られてますよ。

平安時代とは言うもののね
ずっと 平安だったわけではないですね。

あれは
平安になりたい都ってことですからね。

そもそも
大陸から入った律令制っていうのが

中央集権っぽいんですけど

日本列島って横に細長いですからね。

あれを同じ制度でやろうとしたって

なかなか
日本列島の体に合ってないかもしれない。

東は東 西は西の論理があるかもしれない。

朝廷の軍事力も それほど 平安時代って
強いものではありませんよね。

そうしますと
こういった矛盾が噴き出したのが

東のほうの
平 将門の乱じゃないでしょうかね。

なるほど。

発火点?
はい。

では その 平 将門の人生の前半を
まずは ご覧いただきましょう。

≪「ご観覧の皆様
この風を切る旗の音をお聞きください」。

1, 000年以上の伝統を誇る…

実は 将門の母は
相馬市につながる家系の出だという。

この祭りの起こりは
幼いころから馬に親しみ

騎馬戦に無類の強さを誇った
将門ゆかりと伝えられている。

当時「坂東」と呼ばれていた
関東8か国。

将門の本拠地は下総国。

利根川の支流と 沼が複雑に入り組んだ
湿地帯が広がっていた。

将門を研究している 郷土史家の…

案内していただいたのは 国王神社。

その名は 将門が一時期
「新皇」を名乗ったことに由来する。

神社の一角にある宝物蔵には

娘が 将門の三十三回忌に合わせて
彫らせたという

木像が眠っている。

坂東一の兵らしい威厳ある面構えだ。

祭壇には 興味深い彫刻が刻まれていた。

あの幣殿の後ろにですね
本殿がございますが

本殿のですね 向拝の部分の中備えに

繋ぎ馬の彫刻が入っております。

柱につながれている
馬の彫り物…

将門の死後 配下の者が
馬を愛した将門をしのび

彫らせたものだと伝えられる。

将門の父 良持は 桓武天皇の孫にあたる

高望王の三男。

天皇の血を引く
父の兄弟たちは

それぞれが坂東各地に所領を持つ

豪族であった。

成長した将門は京都に向かった。

地方の豪族にとって
都との関係は欠かせない。

身内の誰かが出世を遂げ 官職を得れば

一族の繁栄につながるのだ。

父の期待を背負った若き将門は

いとこの貞盛と共に

天皇の住まいを守る

滝口の武士として
働き始めた。

だが ここで 将門は
人生初の挫折を経験する。

京都において…

将門は 逆に
そういう資質には欠けていたと。

これが将門の やっぱり 弱さの…。

そういう自覚も
ちょっとあったんじゃないかと。

やっぱり 京都に行くっちゅうことは…

その目的のうえから行けばね
やっぱり 忸怩たるもの

将門の心の中にはあったとは
思いますね。

順調に出世を遂げる貞盛に対し
なかなか官職に就けない将門。

そんな将門に 驚きの知らせが舞い込んだ。

父 良持が急死したのだ。

無位無官のまま戻った故郷で
将門は 思わぬ難題にぶち当たる。

3人のおじたちが
将門の前に立ちはだかったのである。

将門が父から引き継いだ所領を狙って

攻撃を仕掛けてきたのだ。

おじたちの連合軍が
大挙して将門の本拠地に攻め込んできた。

だが 戦は
騎馬戦にたけた将門の完勝。

将門は その争いの中で
伯父一人の命を奪ってしまう。

なんと それは
都で出世を競い合った いとこ

貞盛の父 国香だった。

将門の戦いを記録した軍記…

この中に 故郷に戻った貞盛が語った
意外な言葉が記されている。

貞盛から手紙が来て
合戦の中 亡くなったことを知ったと。

だけど 自分は
京都で出世していきたいと。

そうすると 自分の… 土地や畑ですね

そういうふうな領地は将門にお願いして

うまく お互いの立場を
尊重し合おうという

約束をしたいっていう手紙
出すわけですよね。

これを聞いた将門にしてみれば
ほっとしたと思うんですよ。

だが 叔父たちのリーダー 良兼は
貞盛に激しく迫った。

貞盛は結局
反将門軍に加わることを承諾した。

貞盛を加えた 叔父たちは
今度こそ決着をつけるべく

数千の大軍で攻めてきた。

まさに
梅雨どきの戦い。

騎馬戦に自信のない
連合軍は

足場の悪い川や湿地を
迂回して

将門の陣地に
迫ろうとした。

だが 馬の扱いに
慣れた将門は

僅か100騎で
連合軍の背後を急襲。

不意をつかれた
叔父たちは

ちりぢりになって敗走。

再び将門の前に敗れ去った。

その後 叔父たちのリーダー
良兼の死を契機に

平氏一族の内乱は 将門の勝利に終わった。

そして いつしか将門は

坂東全体の平和維持を期待される
存在へと のし上がっていったのである。

ご覧いただいたように 都では
なかなか出世できなかった将門でしたが

磯田さん とにかく この将門は
戦は強かったですね。

強いですね! 私は 茨城の水戸に

茨城大学の先生をやって
8年いたんですけどね 人気ですよ!

もう とにかくね 学生の卒論で
将門の多いこと多いこと!

テーマに挙げる。    はい! 将門は最近の
考古学的成果だと

「鉄をいっぱい持っていて」とか

「霞ヶ浦付近の水上交通を押さえていて」
みたいな論文を

いっぱい読まされるわけですよ。
やっぱり 何で書くの? って言ったら

将門 好きなんですよ やっぱり。
あの人たちね 地元はね。

まずは 作家の高橋源一郎さん。

将門 僕も結構 好きなんですけど

2つ…  何かちょっと違った面が
あるかなって思って。

すごい
無敵の大将という…。

負けちゃうんですけどね
側面があって。

これは もう
すごい有能な

まず 戦争に勝つ
武士としての

将門の面が一つ。

もう一つ
なんですけど

将門っていうと荒俣 宏さんの

「帝都物語」っていう。

あれはまあ 東京に何か

ものすごい事件が
起こったり

反乱が起こったりすると
「あっ 将門だ」と。

だから ああいう
二・二六のようにね

天皇を担いで新しい国をっていう
反乱が起こるでしょ。

ああいうときに召喚される
将門像みたいなのがあって

内乱を起こして「新皇」を名乗るでしょ。

あのときに 彼は やったのは…

将門が あの時代に ある意味…

もし 新しい国だったとしたら

失敗したということも含めてね。

ちょっと やっぱり
失敗した革命って すごい魅力的な。

「そうだったかもしれない」って

そこが 実は
面白いとこかなと思いますね。

…というふうに言われますよね。

結局 承平の乱というか
承平の戦いというのは

まあ 一族の内紛

内抗という側面が
極めて強くて

高橋さんが
おっしゃるような革命

反朝廷の戦いということに
なっていったのは

天慶のほうだと思うんですよ。
だから これが

どういうふうに
つながっているのかというのが

もう一つ 見えてこないところもあるし。

古代史がご専門で 将門についての研究も
されていらっしゃる

川尻秋生さんは…。
よろしくお願いします。

川尻さんは どのように
この将門 捉えていらっしゃいますか?

国家から見ると
反逆者って たくさんいて

大体… 足利尊氏とか。

足利尊氏を好きな人って
あんまりいないと思うんですよね。

ところが 将門は
反逆者でありながら

民衆って
いいましょうかね

支持が
非常に集まってると。

非常に アンビバレントな感じが
将門ってしていて

そこが非常に
面白いところだなというふうに

ひと言で言えば思います。
この関東の豪族の中でも

官位を得るというのは その当時において
重要なことだったんですか?

一番いいのは京都に行って位をもらって
それで帰ってきて

国司に任命されるというのが
一般的な形なんですね。

ですから…

親戚の貞盛は そういうのが
非常にうまい人間なんですけれども

将門は どうも
官位 官職をもらった形跡が

みじんもないんですね。

なのに 坂東に帰ってきてから
非常に戦いが強い。

そして 最後には新皇を名乗ると。

そういう非常に特異な経歴を持ってる

そういう人物だと思います。

なぜ 官位をもらえなかったんですかね?
将門は。

どうも やっぱり そういうのに
向いてない人間なんじゃないかと。

うん そんなふうに私は思いますね。

一つは やっぱり 人づきあいが
あんまり うまくなかったのかと。

要するに 宮仕えするってことは
ある意味で ごまをすったり

やっぱり 上の人に巻かれたり

そういったことが
必要だと思うんですけど

そういうのがあんまり うまくなかったか
嫌いだったか分かりませんけど。

(宮崎)人間関係と書類仕事が
嫌いだったんですよ きっと。

(高橋)でもさ
戦争が得意で社交的な人って

あんまり いないと思う…。
そっか そもそも…。

戦いと その人づきあいは
あまり両立しないと。

両立しないと思うんですよね。

僕ね… 将門って
15歳ぐらいで都 行くんですけど

なるのは 滝口の武士みたいなのに
なるわけですよ。

滝口の武士っちゅうのは
皇族 貴族が集まる御殿の

建物の廊下の下なんですよ。
僕 京都御所を公開してもらったときに

一番やりたかったことは 滝口の武士とか
北面の武士になった気持ちになって

滝口に座ってみるっていうのを
やってみたんですよ。

これが寒いんだ!
もうね 地べたなんですよ。

でね はっきり言うと 犬になった気分。
犬ですか?

犬になった気分で床の上を 御殿の上を

きれいな女官とかが
きっと通っていくわけですよ。

下を こう 見下して
通っていくわけですよ。

寒い所へ こうやって座ってさ
お尻から冷えてきて。

ここで 刀とか太刀とか持って。

「何 守ってんだろう? 俺」って
思っただろうなと。

やっぱりね 貴族たちは室内で
女の子と いちゃいちゃしてるわけですよ。

羨ましいな~と。
自分には ちっとも来ないわけですよ。

だから 関東へ帰れば
天皇の孫の孫ぐらいですから

そりゃ もう 地元では
下にも置かれない扱いで

領土も持ってるかもしれませんけど
都に上がって修行って言われると

もう犬同然の扱いという。

この惨めさがね たぶん 何か こう

やっぱり 王孫 王の子孫
王孫思想を持ちながら

この程度かよという
惨めさの落差を感じましたね。

で 京都から関東に戻ってきた将門は

叔父さんたちと
戦うことになってしまいましたが。

様子を見ていると 何というか
遺産相続の争いとか

そういうものと
似てるなという感じがするんですが。

古来 日本っていうのは
もともとは兄弟相続なんですね。

それが 中国から儒教が入ってくると

今度 お父さんから子どもへって
父子相続になっていく。

ただ まだ…

今で言えば お父さんの財産は

子どもが継ぐっていうのが
当たり前ですよね。

ところが 当時はまだ
兄弟が継いでも おかしくない。

お父さんの遺産を おじさんたちが
一方では こう… ぶんどっていくと。

だけど やっぱり 自分は
子どもとしての遺産相続も

権利が当然あるということで

その おじさんたちとの
戦いになっていく。

では その骨肉の争いを勝ち抜いた将門に
選択の時が訪れます。

平安時代中期。

都の貴族たちは律令制度のほころびから

思うように地方からの税が
集まらないことに いらだっていた。

そこで 都から派遣し
在地の役人と共に税の徴収に当たる

国司の権限を強化。

一定の税を中央に納めさえすれば
あとは

国司が自分の蓄財に回せるという仕組みに
変えていた。

東京都府中市本町一丁目。

当時 ここに武蔵国の国府が
置かれていた。

天慶元年。

この国府に赴任してきた 新しい…

彼は みずからの蓄財を
増やすべく

税の取り立てを
精力的に行おうとした。

だが それに在地の役人である
郡司 武芝が抵抗。

両者の対立が起きていた。

結果 興世王は

命令を聞かない武芝が管理する蔵を襲撃。

無理やり 税を徴収していた。

国司と郡司の対立は
激しさを増していったのである。

その仲裁に乗り出したのが

隣国 下総に所領を持つ将門だった。

将門は 兵を率いて武蔵国に乗り込んだ。

「およそ 国司たちの考えは

骨をしゃぶり 膏を搾らんという
貪欲なものだ。

こうしたことを放置していれば

国内は疲弊し 人民は貧窮するばかりだ。

なんとか 郡司 武芝の力になりたい」。

武蔵国に出向いた将門は 酒の席を設けた。

そして 興世王と武芝の間を取り持ち
和解へと持ち込んだ。

相手は国が派遣してきた役人。

ここは 穏便に一件落着を図ったのだ。

ところが 戦に敗れて以来

将門への復讐を狙っていた貞盛が
この機会に目をつけた。

上京した貞盛は
京都時代に培った人脈を使って

「将門は 他国まで出向き
乱行を働いている」と

朝廷に訴えたのだ。

それが功を奏して 将門に対し

「都に来て弁明せよ」という
通達が出されたのだ。

将門の中に

坂東の現実を直視しない
朝廷への怒りが沸き上がった。

「本来なら
お褒めの言葉を頂戴してもよきところ

逆に貞盛の言葉を うのみに
この将門を召還するとは。

まさに恥辱であり 面目を失うものです」。

そんな中
またまた厄介な問題が降りかかった。

常陸国の地付きの豪族
藤原玄明が

国司から逃れ 将門のもとに
逃げ込んできたのだ。

「このままでは私も
どうなるか分かりません」。

武蔵国に続いて起きた常陸国の争い。

都から遠く
朝廷の権威が及ばない坂東では

律令制度の矛盾が
さまざまに噴き出していた。

しかし それを解決するすべはなく
何かにつけ 将門が頼りにされたのだ。

事情を確かめようと 将門は…

兵を引き連れ 常陸国に向かった。
ところが…。

国司の息子が 3, 000もの兵で
いきなり襲いかかってきたのだ。

しかも それを指揮するのは

なんと 将門を陥れようとした
宿敵の貞盛だった。

将門の怒りは頂点に達した。

おのれ 貞盛め。

朝廷に偽りの訴えをして
私の面目を潰しただけでは飽き足らず

今度は 朝廷の権威をかさに着る
国司の息子と結託。

この将門に
直接の戦いを挑んできたのだな。

しかたがない。 売られた喧嘩は
買うしかあるまい。

負けられぬ戦いじゃ!
ここは 一気に勝負をつけてくれよう。

皆の者! 徹底的に打ち負かすのだ!

(鬨の声)

ハハハ! 我らの力を思い知ったか!

貞盛を取り逃がしたのは悔しいが

国司の印と 蔵の鍵を奪ってやったぞ。

将門が奪った 印と蔵の鍵。

古代中世史が専門の
下向井龍彦さんは

この2つの物は

国司の権力を
象徴するものだという。

印と鍵によって

国内に対して命令ができるし

国が管理している 倉庫の鍵ですよね。

その中には 稲が蓄積されている
ということですから

国の財源を
使うことができるということですよね。

それをできる権力を…

国司から その権力を奪って
自分たちが それを行使すると。

印と蔵の鍵を奪ったことで
一線を越えてしまった将門。

その結果 彼は心の中に
大きな葛藤を抱えることになった。

その心の内をのぞいてみよう。

この一件は 早晩 貞盛の口を通じて
朝廷の耳に入ることは間違いない。

そうなれば この将門に

何らかの処罰が
下されるのではないだろうか?

そのとき 武蔵国の一件以来

将門のもとに身を寄せていた
興世王がささやいた。

「ここまで やってしまったんです。

いっそ 坂東全部を支配下に治め
朝廷の出方をうかがったらいかがですか」。

確かに 坂東8か国を支配下に置けば

地方の問題に無関心を決め込み

国司らの非道を見逃してきた朝廷も

事態の深刻さに
気付くのではないだろうか?

う~ん… ここは坂東を支配するか。

そのうえで 朝廷と交渉。

この将門が
坂東を治めていくことを認めさせれば

苛烈な税の取り立てなど

今 坂東の民を苦しめている問題を
正していけるのではないか?

いやいや これ以上 事を荒立てるのは
得策ではないだろう。

朝廷が交渉に応じる保証はないうえ

もし交渉が始まっても
万一 決裂してしまえば

貴族たちも黙っていないだろうから
再び 坂東は戦に巻き込まれる。

そうなれば
ようやく平氏の内乱が終わり

村々にも平和が訪れたと喜んでいる
農民たちを悲しませることになる。

やはり ここは朝廷と和解するべきか。

悪いのは
息子の非道を放置した国司であり

戦は いきなり襲ってきた貞盛らに
応戦して

起きたものだということを訴えれば

朝廷と和解する道も探れるかもしれない。

坂東を支配するか 朝廷と和解するか。

将門に選択が迫られた。

さあ ここで もう一度 将門の選択肢を

改めて見ておきましょう。
まず 選択1は

「坂東8か国を支配してしまう」
というものです。

朝廷と対立しても 一気に

勢力を拡大する
という考えですね。

そして 選択2が
「攻撃されたために

行きがかり上
戦になったことを

朝廷に弁明して和解に
持ち込もう」という考え方です。

さあ ゲストの皆さんが
もし 将門の立場に立ったら

どちらを選ばれるでしょうか? 川尻さん。

私は 断然 1です。

「坂東を支配する」?
「支配する」。

常陸の国府…

ここまでいったら もう

行くっきゃないんじゃないかと。
なるほど。

私は千葉県の生まれで
やっぱり ちょっと こう…

坂東気質として…。
血気を感じさせますね。

そういうところ あると思いますね。
(高橋)結構 イケイケなんですね。

宮崎さんは どちらでしょう?
(宮崎)私は

「朝廷と和解する」。 2番ですね。

う~ん やっぱり ちょっとこう
何というか

勝算というところでは まだ…

恐らく 朝廷は この…

なかなか その
和解に応じないとは思うんですけれど

まあ なんとか
武蔵国の紛争を解決したように

和解の方向というのを持ちかけて

別に その… 「朝廷を滅ぼそう」とか

「新しい天皇になろう」とか
っていうようなことではない

というふうなことを
とりあえず言って 力を蓄える。

あるいは 全体の状況の推移を
見るということが

よかったのではないかという
気がしますけどね。

やっぱり 朝廷と
和解するべきだったと思います。

それは どうしてかっていうとですね

やっぱり…

つまり どの程度
彼にプランがあったのか?

それから こういう大きい…。

まあ これ 革命ですよね?

要するに…
坂東を支配するっていうことは。

もちろん武器とかもです。

どうも これ
将門の いろいろ 実績を調べてみても

さっき 興世王も出てきましたけど

何か 正直 ろくな部下がいない…。

ハハハハ…!
(高橋)要するに優れた知略を持って

サポートする人物がいない。

彼が 将門自身が
優秀な戦術家であることは

当然なんですけども
それ以外の部分では

意外と単線的な。 すぐ怒っちゃうでしょ。
…人なので。

周りに ちょっと
スタッフがいない状態で。

だから 誰かスタッフを見つけてから

やったほうがよかったねっていうことで…

さあ 磯田さん。
僕は 2ですね。 「朝廷と和解する」。

もう 国府は焼いちゃったけど
はんこを持って… 出して 朝廷に。

これは確保したけど
「これは防衛戦争だったんだ」と。

一応 防戦の権利っていうのは

この時代の社会でも
法的には認められてますので

もう ひたすら「これは防戦であった」と。

それで朝廷の支配機構を 国府側を

どうこうしようっていう気は
なかったから

「もう はんこもこっちで確保してますから
これ提出しますので

ちゃんと秩序を回復することに
協力します」って言って

朝廷の最高幹部に 馬 贈るとか
何か いろいろやって

「僕 助けてくれたら
あなた 絶対 得するよ!」って。

絶対 欲でしか動いてないんですから
この時代。

それで なんとかね 丸く収めると。
で それが 無理ならば

まず一番近い 強い敵を攻撃して
距離的に。

それから お母さんの縁がある
相馬地方方向に引いていって

ひたすら…

それしか…
それが最適戦略じゃないかと。

さあ それでは 将門の選択と
その結末をご覧ください。

常陸国府襲撃から20日後の…

将門は 兵を率いて下野国に向かい
国府を占領した。

その後も 次々と各地の国府を襲い

12月15日には
坂東8か国を

みずからの
支配下に置いた。

将門の実力を知る各地の国司たちは

ほぼ無抵抗で
国印と蔵の鍵を差し出したという。

将門が選んだ選択 それは…。

そして 12月19日。

将門は 支配諸国を治める国司の任命式を
執り行った。

坂東は
将門の支配するところとなったのである。

その式典のさなか
八幡大菩薩の使いと称する巫女が現れ

こう告げたという。

菅原道真は 藤原氏から都を追われ

太宰府で無念の死を遂げた貴族。

その後 左遷に関わった貴族たちが
雷の直撃で亡くなるなど

宮中では 災い事が相次いだ。

そのため 当時 道真の呪いは
最も恐れられていた。

その道真の霊魂に
朕の位を認められたとして

将門は ここに
新しい天皇「新皇」を

宣言したといわれている。

あれは将門の反乱を
正当化するっていうか。

道真を持ち出すことで

将門が自分の反乱を正当化するとともに

道真が自分たちの味方を
してくれてるんだから…

天慶2年暮れ
将門謀反の知らせが届いた。

都は大混乱に陥り

翌 天慶3年の正月行事は
すべて中止となった。

朝廷は 各寺社に対し

兵乱調伏の祈祷を命じた。

つまり 将門を呪い殺そうとしたのだ。

一方で 朝廷は
現実的な対応策も発表している。

山梨県身延山…

日蓮宗の名刹には

そのとき出された太政官符の
写しが残されていた。

こちらに記されておりますのが

平 将門の討伐のことが通達された

太政官符でございます。

「もし魁師を殺さば募るに朱紫の品」。

「魁師」とは 賊徒の長を表す言葉で
謀反を起こした将門のこと。

そして…

つまり 「将門を殺した者は

身分を問わず貴族にする」と宣言したのだ。

まさに なりふり構わぬ
将門討伐命令である。

一方 「将門記」には

「新皇」を宣言した将門を案じる声が

弟の将平から上がったことが
記されている。

「天皇の位とは 知力が優れているから

力が強いからといって

奪い取れるものではありません。

昔から 天が与えるものなのです。

どうして もっと慎重に
お考えにならなかったのですか?」。

それに対して 将門は こう答えている。

「なぜ 力を持つ者が
権力を奪い取って
悪いのだ。

山を越えよう
巌も破ろうとする
私の信念は

誰にも
負けるものではない」。

その後 将門は
不思議な決断を下している。

それは 将門軍の主力である農民たちを

故郷に帰すというもの。

農民にとって重要な田起こしの時期が
間近に迫っていたのだ。

(鳴き声)

その動きを
ひそかに見守っている者がいた。

将門の宿敵 貞盛。

だが 貞盛は 今回は単独では動かなった。

ある坂東の有力な豪族を
味方に迎え入れようとしていたのだ。

下野国の豪族で

坂東にあって
将門と並び称される兵…

一名 田原藤太である。

秀郷は
「将門を討てば貴族になれる」という

貞盛の誘いに乗り 討伐軍に加わった。

天慶3年2月1日

貞盛・秀郷連合軍は 下総国に向かった。

(鬨の声)

そして 2月14日

将門の本拠地近くで 両軍は向き合った。

討伐軍は 2, 000。

それに対し
農民兵がいない将門軍は 僅か400。

圧倒的に不利な状況の中
将門軍の奮闘が始まった。

2018年 栃木県立博物館で開かれた
「藤原秀郷展」で

極めて珍しい絵巻が公開された。

こちらは 鎌倉時代に描かれた絵巻で

「歓喜天霊験記」という絵巻になります。

平 将門の乱を 詳しく描いた絵としては
日本で最も古い絵になると思います。

こちらをご覧いただきたいんですが

まず 赤旗が将門軍になります。

将門軍が 秀郷・貞盛軍
この右側の人物たちですが

こちらに追われて
敗走しているシーンになります。

2, 000対400。

5倍の兵力の差は いかんともしがたく

将門は 次第に追い詰められていった。

(山本)で こちら 馬上の上で
実は亡くなっている将門なんですが

頭の上に矢が刺さって
最後 絶命しています。

歴史的には 「平 貞盛の矢に当たって
亡くなる」ということがありますので

この矢に当たって
亡くなってるシーンっていうのは

歴史に忠実なものだというふうに
言えます。

具体的には 手と足を両方
ピンと伸ばして

恐らく 亡くなったあと
死後硬直をしている

そういった リアルな面を描いている
というふうに思います。

宿敵 貞盛が放った一本の矢。

それを受け 将門は絶命した。

そして
秀郷の手で介錯された将門の首は

近くの木に晒された。

新皇宣言から50日余り。

将門の乱は
こうして幕を閉じたのである。

その後 将門の首は 討伐軍によって
都に運ばれた。

史上初めて獄門に処された将門の首は

京の人々の前で
こう叫び続けたと伝えられる。

「私の体は どこへ行った!
また一つになって戦おうぞ!」。

はい。 将門は 坂東8か国を
支配下に置くという選択をし

さらに 新皇を宣言して
朝廷に対抗する姿勢を示した結果

戦死という結末を迎えました。

川尻さんは「行くっきゃない」と
将門と同じ選択肢を選ばれましたけれど。

すみません やはり
私の考えは間違ってたかもしれません。

いやいや… より 将門の気持ちが…。
まあまあ それはともかく…。

でも やっぱり
まだ しっかりした家臣もいないし

何よりも 武士団が
まだ十分 発達していないんですね。

ですから
まだまだ新しい政権構想がない中で

無理やり立ったということで

そこは やっぱり無理があったんだろう
というふうに思います。

これ 結構ね 僕 グッとくる。

つまり ただもう カッときてね
反旗 翻したんじゃなくて

当時の状況を考えてみれば

そういう…

これは… 常陸国じゃないですか。

で 「風土記」を基に…

つまり 新しい国のイメージは
実は あったんだと。

当時 日本は あの…

新羅とか高句麗とかの人たちが
いっぱい移り住んで その馬の技術とか。

それから 蝦夷なんかも活用して。
だから そういう

いわゆる メインストリームの人たち
じゃない人たちが たくさんいたので

彼らを含む国の構想が
実は あったんだっていう。

それが頭にあったから 最後の決断
「よし 行こう」と。

で 例の農民を帰すじゃないですか。
一番大事なときに 最後のね。

あれも 実は彼の構想の中では
そういう人たちを中心にした国なので

彼らは やっぱり傷つけるわけにいかない
っていうふうに考えると

ある種 一貫してて。

権力奪取というのは 普通ね
革命の一つの考え方だけれども

それだけだったら 農民兵なんかは
手元に置いておけばいいわけだから。

っていうことは もうちょっと 彼の中に

具体的な形ではないけれども

あるべき国の形みたいなのがあったって
考えたほうが

僕は いいんじゃないかなと思うし

この話
救いがあるような気がするんですけど…。

なるほど。
恐らく 彼は足柄山を越えて

箱根の関を越えて…

むしろ これは関東独立戦争で

インディペンデント・ウォーなんだと
思うんですよ。

そんで なぜインディペンデント・ウォーを
やりたいかっていうと

実力主義に基づいて 自分の手下たちに
関8か国の人事をやりたいと。

除目という 要するに 県庁のトップに
してあげたいっていうのがあって

それをやるためには 当時の理屈だと

天皇にならないと
国司は任命できないから

関東の天皇になれば できるんじゃないか
という単純な話だと思うんですよ 僕は。

それを やっちゃったんだと
思うんですよね。

さあ 先ほどのVTRでは

将門の最期が描かれた絵巻がね
紹介されましたけれど

兜のてっぺんに
こう グサッと 矢が。

これね
象徴的な絵だと思っていて。

実は あれ 八幡座っていって

兜を… こうやって前傾姿勢で
馬に乗ることもあるのに

ここに穴 開けてるんですよ
わざと。

それは なぜかって言うと
天の武の神様と…

八幡座っていうんだけど

神とつながるために
わざと穴を開けていて

そこへ矢が飛んできて
刺さって死ぬっていうのを

わざわざ見せつけているのは これ 僕

日本人を洗脳するためのもののような
気もするんですよ。

つまり…

高橋さん
朝廷側についていた貞盛から見ると

将門は
どのように映っていたんでしょうね?

貞盛が 謎というか

この話で…

父親が殺されたのに
いや 貞盛は悪くないっていうような。

本心かどうかは分からないですよ。

ああいうふうに言って…
戦いを行うようにするかと思うと

えっと… 討伐に出てみたり。

最後も討つわけですよね。

だから 彼は やっぱり…

ずっと 京都で将門と一緒だったから…

実は 将門は ちょっと
信用してたとこがあるわけです 貞盛をね。

ところが貞盛のほうは 冷徹で

完全に ある意味
たたき潰したっていう感じなのかな。

(宮崎)すごく文学者っぽい。
(高橋)すみません。

(川尻)反面教師ってことですかね。

でも 結構ね 貞盛のほうが
気持ちが よく分かるの。

(宮崎)うん 分かるね。

貞盛は 実は 彼が このあとやった…
非常に大きいのは

自分の親戚関係を
自分の養子にするんですね。

それで非常に結束が固くて

それが みんな 摂関家の家の子になって

力を払拭して
ついには伊勢平氏が生まれ…。

それがないと やっぱり伊勢平氏が…

つまり清盛とか そっちに発展しなかった
ということになりますから。

そういう形だろうと思います。

その将門は無念のうちに 命を落として

さらに 晒し首にされましたけれど

将門の物語
まだまだ終わりではありませんでした。

京都の街に晒された将門の首。

「体は どこへ行った!」と
叫び続けた首は

ある日 空に舞い上がり
故郷 坂東を目指した。

そして 大手町に不時着したと伝えられる。

そこに 首塚が祀られた。

江戸時代
その首塚に隣接していた小さな神社を

家康が江戸の鬼門に移設した。

江戸総鎮守 神田明神である。

一説には 「神田」とは

将門が叫び続けた「体」が
なまった言葉だという。

武士の先駆け
将門に守られた江戸幕府は

その後 260年の長きにわたって続いた。

2020年の東京オリンピックに向け
大規模な再開発が進む 大手町。

その一等地にあるものの

将門の首塚には
一切 手がつけられていない。

しかも 工事中に ビルから
物が落ちてはいけないという配慮からか

厚い防護壁で守られている。

♬~

今も 将門の首塚には
なぜか 多くの人がお参りに訪れる。

一説には 左遷されたサラリーマンも

ここに祈れば
再び この地に帰ることができるとか。

毎日… 毎日っていうか
会社行くときは…。

(取材者)毎日 来られるんですか?
はい。

いわゆる 「首が帰る」っていう
あれですよね。

私も体の調子が戻るようにと思って。

そうですね 足が痛かったり…
年ですからね。

そういうのもあるんで…
まあ そういうのもあるし。

今日一日 何事もないようにっていうのと。

(取材者)強い神様?
はい。

子どもが出来なかったときがありまして

ずっと お参りしてたんですけど
おかげさまで出来まして。

子どもにも将門さんの「将」の字を
付けさせていただいて。

最初は 祟り神っていうイメージが
強かったんですけれども

あの… 何というんでしょうか…

最強の祟り神だった将門は
今は最強の守り神として

人々の心のよりどころになっている。

はい。 祟りを起こすと恐れられた将門は

東京の本当に中心地 大手町にね
祀られているんですよね。

首塚って
すぐ横 皇居なんだよね。

だから ある意味

宿命のライバルって言い方は
おかしいんですけども。

1, 000年前に
天皇家に刃向かった

新皇を宣言した将門の首塚が
横にあるって。

それを今 守ってるわけですよ。

実は 東京を守ってるのは
将門首塚みたいな…。

反乱か 革命か。

失敗した革命なのかもしれないと思うと

日本人は なぜ そういうのが
好きなのかって思うんですよね。

それは 自分たちができないから。

やっぱり ずっと
この千数百年 お上があって。

その言うことを聞くっていうことが
ちょっと 僕らはDNAレベルで

そういうのを
繰り返し 繰り返ししてきたからこそ

そういうことに 敢然と刃向かった人が
いたっていうことに

何とも言えない もしかしたら…

ヨーロッパみたいに
「革命を起こします」っていうふうに

なかなか なれない。
そういう中にあって

はっきりと宣言したっていうのは
やっぱり 最初だし

もしかしたら 将門ぐらいしか
いないんじゃないのかって。

日本人全体にとって できなかったこと。

中央の王権みたいなのに対して
別の人間が

別の権力を立ててもいいんだ
っていうことを

言った人がいたっていうことが
何か すごく

琴線に響くんじゃないのかなって。

明治の初めに神田明神が

「朝敵を祀ってるのは
けしからん」ということで

「外せ」っていう命令がくるんですね
神田明神に。

そうすると それは怒るわけです。

江戸の人たちが怒って
結局 神田祭が何年間か…

つまり やめてしまうんですね。
これは困ってしまって

最後は…

そういうような 非常に面白いというか

お互いに
丁々発止の関係が続いていくってのが

面白いんだろうと思います。

アンビバレントな感情というふうに
感覚っていうものがあると

この乱を見ると 乱を起こした側も
乱を鎮圧した側も

後々…

両方に 双方にとって 長い目で見れば

時代っていうものを
律令制度を掘り崩すという…

ある意味で 対立しながら協力して
創り上げたといっても過言ではない。

そういう感覚っていうのが
将門に対する背反的…。

二律背反的な評価っていうものに
つながってるんじゃないか。

今もなお つながっているんじゃないか
という気もするんですけどね。

やっぱり 日本っていうのは
善か悪かっていう二面性ではなくて

一つのものが両面を持ってる。
これは やっぱり日本が農耕民族なので

基本的には自然が神ですから。

もう 水害
あるいは干ばつをもたらすけど

一方で 恵みも
もたらしてくれるっていう 二つ…。

非常に 二面性を…。

一つの神格が二つの面を持ってる
っていうところがあって。

実は これも御霊なんですが…

(宮崎)そうそう 御霊信仰ですね。

そういう まさに
二つのアンビバレントな性格を

一つの信仰が持ってるっていうところ…。
かもしれないです。

さあ 磯田さん 今日は平 将門。

「平安の反逆者」というシリーズで
見てきましたけれど

どうでしょう?
今の この歴史に どう…。

今の日本に どういうふうに
影響があるものだったと考えますか?

やっぱり あんまり変わってないな。

もう本当に 将門を恐れたり
大事にしたりする気持ちっちゅうのは

いまだに変わらないわけですよね。

やっぱり 不安が強いからかな
日本人は。

何か そういうふうにして
居場所を作るわけですよね。

だけど 反逆した者とか
道徳的に背いたということにして

東アジアの大陸アジアだと もう
これは徹底して やっつけますよね。

だから そこが やっぱり
どうも違う感じしますよね。

哲学者の梅原 猛さん
先日 亡くなられましたけど

この怨霊史観ということをおっしゃって。

それは どうも 彼によれば
東の縄文文化が色濃い所に

特に多いのではないかというようなことも
おっしゃったけど。

大筋は違ってないとは思いますけど

日本人が そういう
負けた者に居場所を作って

みんなで安心するという
不思議な ちょっと珍しい考え方を

人の要素を持っているのは確かですよね。

日本人の姿というか心の在りようだとか

そういうのが ちょっと
垣間見えたかなと思いますよね。

皆さん ありがとうございました。
ありがとうございました。


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