ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 千昌夫×石原正康 国民栄誉賞受賞の恩師・遠藤実との知られざる師弟物語とは…


出典:『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 千昌夫×石原正康』の番組情報(EPGから引用)


[字]ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 千昌夫×石原正康


国民栄誉賞受賞の恩師・遠藤実との知られざる師弟物語とは…。遠藤実が愛したうなぎの名店で語った名曲(秘)話。そして故郷・陸前高田への想い…。名曲で綴る1時間。


詳細情報

番組内容

1947年、岩手県陸前高田市に生まれる。歌手を志したのは高校生のとき。1960年当時、遠藤実といえばヒット曲を連発する新進気鋭の作曲家だった。そんなヒットメーカーに、千はなぜ弟子入りできたのか? 

17歳で遠藤の弟子となった千は、1965年にデビュー。最初のヒットはデビューから2年後、「星影のワルツ」。このヒットの裏には千ならではのエピソードが…。ミリオンセラーにまで生まれ変わらせた「ヒット曲の作り方」とは?

番組内容2

千の代表曲といえば「北国の春」。作曲は遠藤実。6度もNHK紅白歌合戦に出場したこの名曲の舞台裏を、懐かしそうに明かしてくれた。

多くの曲を歌い続けてきた千にとっても、歌の存在価値を改めて感じた2011年の東日本大震災…。故郷、岩手県陸前高田市は甚大な被害を受けた。あれから8年。何度も故郷に足を運び、自身の歌声で被災地にエールを送り続けている。

現在71歳。長い歌手人生を振り返り今、千が思うこととは…?

出演者

【ゲスト】千昌夫(歌手)

【インタビュアー】石原正康(編集者)

次回放送予定

次回2月23日(土)は、シンガーソングライターの杉山清貴に、テレビ朝日アナウンサーの小松靖が迫る!お楽しみに!

番組概要

様々なジャンルで時代を切り開いてきたトップランナーたち。彼らはどのようにして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?人間洞察のプロのインタビュアーによって、知られざる「裸の履歴書」が明かされる!!

番組ホームページ

<番組ホームページはこちら!>

www.bs-asahi.co.jp/interview/

制作

BS朝日、ViViA



『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 千昌夫×石原正康』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 千昌夫×石原正康
  1. 先生
  2. 星影
  3. ワルツ
  4. 本当
  5. 遠藤先生
  6. 自分
  7. 千昌夫
  8. 当時
  9. 遠藤実
  10. 北国
  11. ピアノ
  12. レコード
  13. 頑張
  14. 故郷
  15. 弟子
  16. 人生
  17. 東京
  18. お前
  19. 今日
  20. 作曲家


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♬~「白樺 青空 南風」

〈『北国の春』は

国境を越えて
歌い継がれる

名曲となった〉

〈歌い手は いかに誕生し

歌は
どのようにして紡がれたのか?〉

〈東京 西荻窪に のれんを掲げる
うなぎの名店で

貴重な裏話を聞く事が出来た〉

〈そこは
千の師匠とも言える作曲家

遠藤実に ゆかりの店〉

♬~「からたち からたち」

♬~「からたちの花」

〈遠藤といえば

無数のメロディーで
昭和を彩ってきた

希代のヒットメーカーだ〉

♬~「ああ 高校三年生…」

♬~「こまっちゃうナ」

♬~「デイトに
さそわれて」

おっ 千さん どうも。
どうも。

千さん 石原です。
どうも 千昌夫です。 どうも。

よろしくお願い致します。
今日は よろしくお願い致します。

寒いですね 今日。
ええ 寒いですね。

僕の『味噌汁の詩』の冒頭に

うっ… 「しばれるねぇ」。

ああ ありますね。
これが 今日は ぴったし合う。

今日
この『味噌汁』を歌ったらね…。

ぴったしですね。
ぴったしでございます。

ここは 千さん
うなぎ屋さんですよね?

はい。
どういった ご縁があるんですか?

私はね この「うな藤」自体は
今日 初めて来てるんですけど

出前は 始終 遠藤先生の…。

ああ 遠藤実先生の…。
ええ。 家で。

普通 うなぎっていうと
2枚ですよね。

そうですね。
こんな 横にね。

3枚で! はあ~。

僕の事でいうと…

僕 新潟の出身なんですよ。

内野町っていうところで。
はい… あら。

うちの小学校の
先輩になるんですよ 遠藤先生。

あら!

もう 僕は
先生の家に 内弟子でいた時に

言葉はね 東京弁になる前に

新潟弁 覚えて。
まず染まったんですか?

ええ。 そのうち なんか…。

アハハハ…。
一時期ありましたよ。

遠藤カラーに
染められてったんですね。

そのとおりでございます。

じゃあ また その辺の話も
あとで教えてください。

はい。 よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。

♬~

〈デビューから54年〉

〈千昌夫は 71歳になった〉

〈遠藤実に弟子入りした時 17歳〉

〈以来 いくつもの忘れ得ぬ佳曲を
歌ってきた〉

♬~「別れに星影のワルツを
うたおう……」

♬~「あの故郷へ
帰ろかな帰ろかな」

〈よれよれのコートに
古びたトランク〉

〈『北国の春』のいでたちは

モノマネでも おなじみだろう〉

〈『紅白』出場
16回を数えるベテランは

古希を過ぎても

朗々とした歌声に 艶がある〉

♬~「はあ~ はあ ああ はあ~」

♬~「はあ~ はあ ああ はあ~」

♬~「う~ うう うう あ~」

〈日本歌謡界の大御所ながら

語り口には 一切 気取りがない〉

〈それもまた
愛される理由の一つだろう〉

♬~

♬~

♬~

「お前のな 『星影のワルツ』
岡山のほうで

えらい好きだって言う
芸者さんがいて…」。

「ちょっと もう1回…」。

こうやって…。

♬~「別れることは つらいけど」

…って 僕が歌ってたら

♬~

僕は とってもね

そんな歌う気なんか
なれないですよ 行っても。

ところが そういう方たちが

「歌ってけえ!」
って言うんですからね。

だから しょうがないから
手拍子で…。

♬~「白樺 青空…」

これで 笑顔でね…

一瞬 笑顔になるんですよ
不思議に。

歌の力っていうのをね…。
歌の力ですよね まさに。

僕ね その時 本当に
まさにね 見ましたよ。

♬~

人生を振り返って
今 どう思います?

まあね 人から

まあ 確かにね

波乱万丈でしたけども…。

ああ すごいですね。

こういうふうに思ってます。

〈生まれは 岩手県の陸前高田〉

〈幼くして 父親を亡くし

早くから
自活への思いが強かった〉

〈歌手として生きていけたら…〉

〈そう考えたのは
高校時代だった〉

千さんのお父様も 歌がうまかった
って聞いてますけど…。

あのですね 8歳でね

うちの親父
出稼ぎで亡くなったんで

自分で 親父の歌ってる姿とか
そういう行為っていうのは

記憶にないんですよ。
ああ ないんですか。

だから 年のうち
本当に 2カ月とか 冬の間だけ

岩手の 私たちがいる家に
戻ってきてね…。

その… 結婚式とか
まあ そういう お祝い事ある時に

昔は あの… ほら こうやって…。
(手をたたく音)

こうやって歌ったでしょ?
歌いましたね。

その… 結婚式なんかの
その場の雰囲気を…。

なんていうんですかね…。

即興で その場の雰囲気をね…。

ああ 歌い上げるわけですか。
歌い上げるという…。

まあ 今でいう
シンガー・ソングライター。

あっ しかも なんか
フリー・ジャズな感じですね。

ああ そうです。
そういう事ですね。

追分で。

だから そういう事を…
うちの親父の事を知ってる

近所の おばさん おじさんに
言わせると

僕は 本名 阿部健太郎
っていうんだけど

よくね
田舎帰ると言われましたよ。

まあ でも だから そういう…。

そうでしょうね。
ええ。

まあ 歌が…
親父の影響もあるのか 好きで

レコード
ずーっと聴いてましたから。

そしてね ある時…。

レコードって ほら
その歌は聴くけど

レコードの真ん中の
あの芯の中に

レーベル名が こう あれの中に…。
なんとかレコードとか…。

レコード会社の名前書いて…。
作曲家の…。

そいで
作詞 誰それ 作曲 誰それって

そんなとこ見ないじゃないですか。

ある時ね…。

これは すごいヒット曲をね…。

次から次に…。
ええ。

それで
歌手になるのが一番だと。

うん。 ここは
一獲千金 狙おう。

これだと思ってね。

当時ね 『明星』だとか
『平凡』だとかっていうね 雑誌…。

芸能誌ですね。
ええ。

これを見てたら…。

書いてあるんですか。
これ 不思議ですよね。

今だったら 個人情報で…
「えっ!?」。

そんなね だだ漏れですよね。

あんな有名人の家の名前ね

平気で載っけてたんですから。
載っけてたんですね。

それで その住所を頼りに

昭和40年 3月29日

その遠藤先生を訪ねてね
東京 出てきたんです。

〈遠藤実は

当時 すでに
気鋭の作曲家として

『からたち日記』や
『アキラのズンドコ節』

『高校三年生』など

大ヒットを連発していた〉

〈紹介状もない
ぽっと出の高校生が

たやすく入門出来るような
相手ではなかったはずだ〉

それで えっと…
遠藤さんを訪ねて上京して

それから 弟子になるまでって
どんな流れでした?

まあ 遠藤先生のとこへ
訪ねていったらですね

もう 全国から

俺と同じような事 考えてるのが

山ほどいたという事が
わかったんですよ。

もう 10代から 20代…。
ええ。

そしたら
先生の家の周りに 人だかりがね。

みんな そいで なんかね

僕らぐらいの年齢のね 人が
うろうろ うろうろしてるわけ。

弟子入り希望!
そのとおりです。

そしたら 当時 そういう家出…。

大体ね そういう人は
家出人が多いんですよ。

先生のところに 家出人を専門に
断ってた お手伝いさんが

担当でいたぐらいですから。
いらしたんですか。

「ご用件は なんですか?」。

「どちらから
いらっしゃいました?」。

「今夜 泊まるとこは
あるんですか?」とか

「ないんですか?」とかって言うと
「ない」とかね。

そいで 目の前で
警察に連れていかれるのを…。

怖っ。
見て。

っていう事をね
見てるもんだから。

脇で見てたんですね。
ええ。

これを 私はね
ああ これ言っちゃいけないんだ

あれ言っちゃいけないんだ
っていうのをね…。

結構ね だから
要領 良かったんですよね。

それで 僕の番が回ってきた。
はい。

そしたら
やっぱり同じ事をね

「親御さんに言ってきました?
あっ ご用件は なんですか?」と。

「いや 先生のね
弟子になりたいんだ」。

「あっ それなら…」。

ちゃんと 遠藤先生のとこには

自分で 直接教える弟子とね

「遠藤実 音楽学校」っていって

月謝を払って…。
あったんですね。

そして 先生には
作曲のお弟子さんも

4人も 5人もいたんで

その代教の先生が
それを担当してた。

僕は そっちじゃあ 嫌なわけ。
嫌でしょうね。

ねっ。
もう…。

だから 「いやいや 私は…」。

直接コースを…。
ええ。

そして それを3日やったんです。

そしたら 3日目になったら
「また来たの?」って言う。

向こうも 多少 しつこいなと…。

でも だんだん
根負けしてくるわけですね。

少しね。
フフッ。 少し。

そしてね 言葉聞いてたら

なんかね
俺と同じような

しゃべり方するような
感じがしたわけ。

「すいません お姉さん

どちらの出身ですか?」
って言ったら

「なんで あんたに そんな事まで
しゃべんなきゃいけないの?」。

…ような感じだったんだけど

「新潟です」って言うと
「あら!」。

僕はね そういうとこね…。

うまい。
そう うまかったんですよ。

「お姉さん」みたいな事 言ってね。
くわ~!

こうやって握ってね 「えっ!?」…。

それ
東北六県とは言うんだけど…。

新潟を1つね 追加しちゃってね。
ああ さらに。

そしたらね えらい 何か… ねっ。

この… 距離が縮まった感じ…。

気持ちが
通じるようになってきた。

そんな事してたらね

僕にばっかり こう
ずーっと しゃべってたら

ちょうど…。

そしたらね ママがタイミング良く
「何やってんの?」。

ママというのは奥様?

そう 先生の…。
あ~。

「岩手の なんだか しつこい子が
いるんですよ」って言ったらね

ママ 自分の… ほら
手伝いを優先したいもん。 ねっ。

だから 「じゃあ 明日のね
2時頃 いらっしゃいって

言っときなさい!」って
面倒くさそうに。

この言った言葉が 結局

これが オフィシャルな約束事に
なっちゃったわけ。

〈持ち前の明るさと粘り強さで

なんとか
面会の約束は取り付ける〉

〈けれど 当日の出来事は

まるで コメディーの
ワンシーンだったという〉

「2時にね 来い」って
言われたでしょ。

で 当時ね
歌を上手に歌うためには

腹いっぱい 飯食ってたほうが
上手に歌えるような

なんか そういうふうに思ってた
時期があって。

1時ぐらいに 玉子丼を食べて。

そしてね
精神安定剤みたいなものがね

薬局で 昔 売ってたんですよ。
ああ ああ。

その精神安定剤を

2時だから 30分前に飲んでおけば
薬が効いて…。

一番ちょうどいい時?
うん ちょうどいいだろうと。

そして 待機してたわけ。

ところが
3時になり 4時になり ねっ。

全然 これ 俺 やっぱり
忘れられたのかなと思ってね。

2時間もしたら 今度は この…

精神安定剤が切れてくるような
気がするじゃないですか。

焦ってきますって事だよね。
ねえ。

だから
先生のとこの玄関のとこにね

こう
水道の蛇口があったんですよ。

そいで また

ハハハハッ。

もうね もう…
最悪の状態の時に

「どうぞ」って言われたんですよ。
あ~。

そしたら… 「なんだ!」って

こう始まったんですよ。
フフフ。

ソファって
あんまり座った事ないんです。

田舎になかったから。
ないですもんね。

当時。 こう 背もたれ
ここかな? ここかな? と

こう思ってるうちにね

こう反っくり返るような
雰囲気になって…。

そしたらね 先生 たまりかねて

「人の家に入ってきて… ねっ
ふんぞり返りやがって」。

「大体 お前… ねっ
どこの何者なんだ」と。

う~ん。
「そんな礼儀も…

そういう礼儀作法も
知らないのか!」って

まず 開口一番…。
怒られた?

怒られたんです。

それで
あっ もう これは 歌を聴く前に

こんな事で 俺は もう
ダメなんだと思いながら

こうやってね すいません

って謝って こうやってたら…

そしたら
新聞 読み始めたんですよ。

人をね
インタビューすんのに 新聞…。

今 考えるとね 先生のほうが
失礼じゃねえかってね。

かなり失礼ですよね。
「えっ!?」。

怒ってですよ
「何者だ」とか言って。

大作曲家とはいえ。
ええ。

それで こう
新聞 読み始めたんですよ。

こうやってね 下から こう

先生の様子をね こう…

時間かけて
こうやって うかがったらね…。

ハハハハ…。
俺の品定めしてたんですね。

なるほど。
ええ。

時々 あの目を
いまだに思い出してね

ギョッと
目が覚める時があるんですけど。

ほいでね 「何歌うんだ」とかね
って言うから

当時
一番得意としてたね

歌があったんです。
はい。

それ 先生の作った曲じゃ
なかったんですよ。

あ~。
これ また 「なんだよ」と。

「俺のとこに来て
歌聴いてくれ」ってね。

「俺の弟子になりたい」
とか言って

「人が作った作曲のやつ
冗談じゃねえよ!」とかって

まずは もう ひととおり
また怒られて。

「あっ また やっちゃったな」
みたいに。 フフフフ…。

「なんで お前 俺に憧れてとか
なんとかって

嘘ばっかり言いやがって」
とか なんとかってね。

で そこで フッと気付いて。

「あっ 失礼致しました」。

「『高校三年生』 お願いします」
って言って…。

♬~「ダンダン ダダンダ…」

あっ ねえ
本物のとこに来たんだという

またね…。
遠藤実が弾くピアノ。

ええ。
先生の作った曲を先生が生で…。

ねえ。
よく… 今 考えるとね

弾いてくれたと思う。
う~ん。

そして 歌ったんですけどね。

正式に歌を… 今みたいに

カラオケのない時代ですから。
そうですよね。

なんか
リズム感がないっていうかね。

♬~「トゥラランタン ツッタ ツッタ
トゥラランタン ツッタ ツッタ」

「はい!」とかって
言われんだけどね

その入り口で入れないわけ。
あ~。

と思って。

う~ん。
その伴奏が。

「先生 ピアノが…
大変 一生懸命 弾いて頂いて

ありがたいんですが

ピアノが邪魔なんです」
って言ったらね

「俺のね ピアノをね
どこの何様か知らないけどね

この作曲家
遠藤実に向かって 何?」。

「ピアノの伴奏が邪魔だ? チッ」。

「わかったよ!
じゃあ お前一人で歌えよ」って。

こう… まあ なんか 半分
こう 小バカにあきれかえって

半分 それまで ず~っと
怒り口調だったのが

ちょっとね 笑みが…。

あっ もう これ 完璧に…
じゃあ バカにされてんだと。

箸にも… まあ…。
棒にもかからんってね…。

でも ここで 実力発揮しなきゃね
俺は とにかく…

あっ もう このままで
終わっちゃうんだと思うから。

それで歌ったんですよ。

♬~「赤い夕陽が」

…ってね。 ところがね

民謡調で こう歌うんですよね。
う~ん。

あれ だって 無伴奏ですから。

自由に歌っていいわけだから。
どんな歌なんですか?

♬~「赤い」

…とかね なんかね

自分の こう 気持ちいいとこだけ
長々と こうね…。

追分みたいな…。
だから 先生が作った原曲から

ちょっと離れて ねっ。
「なんだよ」と。

「お前…」。

ねっ。
また怒られた?

「なんだ 『高校三年生』のこれは
何? 追分か?」とか言われてね。

そして 「まあ わかった わかった。
まあ 座れ」って。

「もう わかったよ」って。

「ほいで 今 何?
高校 行ってんのか?」と。

「何年生だ?」とかってね。

そういう事 話し始めたの。
うん。

「わかった」。

「来年 高校卒業したら
俺が弟子にしてやるから

その時 もう1回
出直してこい」って

こう言われたんですよ。
あら~。

「あら?」って。
ねえ。

「あら?」っていうかね
もう 僕は 人生の中で

あの喜びは あれ… 多分

最大の… 僕の人生の中で。

あっ 入門が…。
ええ そのとおりです。

認められたのが?
ええ。

でも あれですかね?
遠藤先生は どうして

千さんを弟子入り…
こう認めたんでしょうね?

それね…。
ポイントとしては…。

もちろん 先生から…
「先生 どうして 僕をね

弟子にしてくれたんですか?」
って言ったら

僕の声に
なんか 若いのに えらい…。

これは…。

って言うんですよ。

いや だから
僕の音質っていうんですかね。

声の… この声質が

そういう… 先生に
気に入られたんでしょうね。

〈幸運にも
弟子入りの夢をかなえた千は

プロ歌手への道を歩み始める〉

♬~「別れることは」

〈あの曲が大ヒットした
意外な背景を

あなたは ご存じだろうか?〉

〈17歳で 作曲家 遠藤実の
弟子となった千昌夫は

1965年に デビューを果たす〉

〈初のヒット曲が
あの『星影のワルツ』だった〉

〈50代以上なら
誰もが知る名曲だが

発売当初は 全くと言っていいほど
話題にならなかった〉

『星影のワルツ』が
まあ 大ヒットするまで

いろいろありましたけども。
ええ。

最初 聴いた時 どう思いました?
『星影のワルツ』という曲を。

『星影のワルツ』っていうのは

『君ひとり』という曲の
B面だったんですよ。

1枚目のレコード?
いやいや 3枚目のです。

3枚目ですか。
3枚目。

それで ある時ね 先生に
まあ 怒られたんですよ。

うん。
当時 やはり 先生も

忙しくて いろいろ
イライラする事もあって。

なんか 僕は
先生のいる前と いないとこの

落差が大きいみたいな事を
誰か…。

耳に入れた…。
入れた人がいるんですよ。

先生の?
ええ。

僕 決して
そんな事ないんだけども。

それで 先生が えらい怒って…。
うん。

「もう お前はな もういいから」
っていう事 言われて。

そしたら そこへ
スリーファンキーズのね…

まあ 僕が 本当にお世話になった
藤健次さんというね…

藤さんが たまたま
そこへ同席してて

「先生

千くん 僕が預かって
よろしいでしょうか」と。

「ああ 藤くんが
そう言うんだったら

それでいいよ」
という事で

この先生の家を出たんです。

僕はね 結果的に これがね
そののち 『星影のワルツ』が

ヒットするためには
よかったって。

いい方向へ行ったんですね。

〈この時 リリースしていたのは

シングル盤3枚きり〉

〈持ち歌6曲で

遠藤のご機嫌を損ねてしまう〉

〈B面に吹き込まれていた
『星影のワルツ』を

大ヒットに結びつけたのは

千本人の 涙ぐましい努力の
たまものだった〉

プロダクションにも
所属していない。

ねっ マネジャーが
いるわけじゃない。

結局 自分で考えるしか
ないわけですよ。

もう… そしたら
僕のチャンスというのは

その3枚… 3枚のレコードが

その歌の… 楽曲にすると
6曲でしょ? AB面だから。

この

と思って。

その…。

全部を?

その『君ひとり』の裏面だった
『星影のワルツ』が

なんか このね いい歌だな~っと。

で 歌いやすいし。

僕は これだと思ったわけ。
うんうん…。

そして この1曲にかけるんだ。

全部かけて…。
もう決めた。

もう あとはないわけです。
もう あとはないんだから。

まず最初に やったのは

有線放送というのが
出来始めてきたんですよ。

そうですよね。
東京にね 三十数軒出来て。

新しい媒体だったんですよ。
うんうん…。

で この有線放送 行ったら

「えっ!?」って。

全く無名の僕でも
温かく迎えてくれるんですよ。

「レコード歌手が来た」っていう…。
ああ。

本屋さんに
作家が行くような感じですね。

あっ それ…。
はい。

石原さん そうかもしれません。
同じです。

本屋さんが 一番喜ぶのは
著者が来る事なんです。

あ~。
どんな人が書いてんのか。

あ~ なるほどね。
同じですね。

ええ ええ。 まあ それでね…

そこで 生で歌うわけですよ。

そしたら
ますます 今度は喜んで

「いい歌だわね」みたいな…

まあ お世辞も含めてね
言ってくれて。

それ 36軒 全部やったんです。

そして 毎日 通う事は
これは無理なんで せめて声で。

レコード会社 行くとね
外線が 0発信で…。

あっ かけられるわけ…?
かけられた。

「あっ この間 お邪魔した
千昌夫と申します」。

「『星影のワルツ』を歌ってる
千昌夫と申します」。

っていうような事をね

ず~っと 毎日 毎日
これをやったんです。

そしたらですね

「その歌…
今かかった歌

なんていう歌ですか?」
っていうような

放送所に電話が入るように
なったらしいんです。

それがきっかけで
リクエストが増えてって。

そして
1年半ぐらい経ったら

もう ある放送所
2位とか3位とか。

あ~ どんどんどんって
上がってきたわけですね。

ねっ。 そして 僕は その間…

やっぱり お金かかるんですよ。
衣装…。

そりゃそうですよね。
ねえ。

動いてるから。
だからね 池袋に

バーテン募集って
池袋のところ 歩いてたら…。

それで雇ってもらって。
あ~。

そこでね 僕は…

主流は
ジュークボックスだったんです。

で 誰も コイン… お金入れて

リクエストっていうか…
曲をかけない場合は

僕が ダミーのコインを入れてね。

そして
自分の歌へ入れてたもんだから。

『星影のワルツ』を?
『星影のワルツ』始終かけてたわけ。

そのあと まだあるんですよ。
ああ…。

池袋 最終電車に乗って

今度 流し やるんです。
う~ん。

千さん自身がですね?
自身が。

歌って お金もらうんじゃなくて
僕の場合は

歌って レコードを売るんです。
ああ…。

自分の『星影』をです。
物を持ってる…。

「ああ いい歌だな おい」。

ねえ 「今 そこに
なんぼあるんだ?」とかってね。

「あっ 50枚あります」
「全部 置いていけ!」とかね。

あ~。
そうやって 売れたんですよ。

そんな事の繰り返しを
やってるうちに

レコード会社の在庫がなくなった。

うん。 もう動いてきたわけですね
商品として。

そしたら レコード会社も

遠藤先生の耳にも
聞こえたんだと思うんです。

で 先生が 出張で岡山のほうへ
行ったらしいんです。

そしたらね 芸者さんが

「いや~ 先生の作られた

『星影のワルツ』っていう歌が
すごい いい歌なんです」。

「私 大好きなんです」
みたいな事 言ってね。

もう 「これ 先生が
作ったんですか?」とか言ってね。

それで えらい… しばらく
会ってなかったんですけどね。

そうですよね。

呼ばれて。

「お前のな 『星影のワルツ』
岡山のほうで

えらい好きだって言う
芸者さんがいて…」。

「ちょっと もう1回

お前の『星影のワルツ』
聴きたいから歌え!」と。

いい話だな。
遠藤先生がね…

本当に こうやって…。

♬~「別れることは つらいけど」

…って 僕が歌ってたら

ピアノ 突然やめて

「それだよ!」って
涙流して 僕に抱きつくんですよ。

とかってね。

う~ん。
ええ。

千さんが 火をつけて広げてって

それで 遠藤先生の耳に…
岡山の彼女から耳に入って

それで再会するわけなんですね。
そうなんです。

1曲の間に。 いや~ 1曲の…

『星影のワルツ』っていう曲の
ドラマを感じますよね。

ええ。
劇的な。

♬~

〈1977年に発表された

千昌夫の『北国の春』は

日本のみならず

アジア全域でカバーされるほどの
大ヒットになった〉

〈作曲 遠藤実〉

〈作詞は遠藤の秘書から
作詞家に転じた

いではくが手がけている〉

〈文字どおり

千の代表曲が
生まれるまでのいきさつは

恩師お気に入りの
うな重を食べながら〉

まあ あら!
先生が よく頼んでいた3枚。

この3枚。

これなんですよ 石原さん。
噂の?

ええ。
先生の家で よく食べました。

いただきます。
いただきます。

石原さん。
はい。

『北国の春』の話は
聞きたくないですか?

(スタッフの笑い)

でも これも遠藤先生の…?
もちろんですよ。

これはね…。
昭和52年。

昭和52年。

これもね B面だったんですよ。

だったんですね。
ええ。

それでね B面の曲を…

まあ 先生の家に久しぶりに
ご挨拶もかねて

楽曲をもらいに行こうという事で。

そしたら もう 楽曲 僕
出来てると思ったんですよ。

「あ~ ごめん ごめん」。

「なんだ? 『北国の春』の…
あっ そっか」。

「俺 まだ作ってねえんだよ」
ってね。

悪い 悪い。 ごめん ごめん。
「悪い 悪い」って。

それで 「お茶でも飲んでろ」
とか言ってね。

そうすると 先生が上に

ポンポンポンって
上へ上がっていって

そしたらね

なんか 忘れ物をね

2階から下へ こう下りてきた…。
忘れ物でもしたのかなと。

「おい 出来たぞ!」って。

「え~!」って。 「嘘だろう」って。

「ララララ~ ララ」って

「階段上りながらもね
メロディーが出ちゃった」って。

あのコートを着て
ボストンバッグを抱えるっていう

あのスタイルは
千さん 考えたんですか?

ピアノのあれで 「白樺 青空」
って歌ってる時に

まあ 自然と… なんですか

自分の田舎のほうのおじさんのね

格好が ああいう事をね して

どっか ちょっとした町 行く時

ああいう格好していくから。

あの格好が こう
浮かんだんですよ。

当時はね
歌番組がいっぱいあってね。

ああ そうでしたよね。
普通に タキシードだ ねえ

背広だって着てやったんじゃ
全然 目立たない。

でね 沢田研二さんが…
ジュリーが

当時 「TOKIO」とかね

もう 落下傘 背負ったりね
パラシュート 背負ったりね…。

パラシュートと落下傘 一緒か…。

ハハハハ…。
(スタッフの笑い)

何 向こうが…
ジュリーがこれなら…。

っていうね そういう
ノリもあったんですよ。

でも あれ 子供なんかも
まねしてましたもんね。

メロディーが流れてたの
アルゼンチンで聴いた事ありますよ。

ああ 本当ですか?

全世界の人 しびれるというか…

郷愁を歌うわけじゃないですか
千さん。

そういう郷愁を歌う時
千さんって

何を思って歌ってますかね?

やっぱり 故郷の事だ
兄弟だ 親だってね

あの詞の中に出てくるような事を
こう やっぱり よぎるというか。

〈千昌夫の故郷は 陸前高田〉

〈いや応なく思い浮かぶのは

2011年の東日本大震災だ〉

〈津波の被害は すさまじく

彼自身も
多くの友人を失っている〉

〈以来 故郷に何度も足を運び

被災地の人々を
激励し続けてきた〉

♬~

あと 陸前高田なんですけど

震災があって
大変な事になったじゃないですか。

ええ。 あれ 本当ね…。

あの日って 千さんって
どちらにいらしたんですか?

僕は東京。
東京で。

東京にいてね
すぐ携帯に電話入れましたよ。

お母様に?

全然 もう通じない そこから。

もう あとは映像で見るだけで。

兄夫婦ね それから おふくろ

もう 全く
安否がわからないわけでしょ。

本当に もう 心配しましたね。

で 2日後ぐらいに

お寺に避難してるという事が
わかってね。

お母様がですね。
それで もう 僕は

ちょうど8日後に
故郷に入ったんですよ。

お母様 本当ね
危機一髪だったっていうふうに…。

庭に逃げてたんですよ。

庭に逃げてたんですけど…

何しろ 実家の天井の
ここまで波 来ましたからね。

あ~ 津波が。
だから 庭にいたら 死んでた。

で 津波が向こうから

ぐわ~っと土煙を上げて
来るのが見えたのを…

その時に たまたま隣の方が
見つけてくれて…

すぐ後ろ 山なもんですから

高台に逃げて 助かった。

あ~。

故郷が一瞬にして…。

まあ 8日後に
陸前高田 入ったらね…

こういう言い方が
ちょっと あれかもしんないけど

SF映画で そういう映画の…

本当にね
そんなように見えましたよ。

もう それで
自分が歩き慣れたあの町が

目印がないもんだから
迷っちゃうんですよ。

あ~。

あの震災から 随分 経ちますけど

まだ なんていうんですかね…

復興も道半ばで

なんとか
元どおりの町にしようってね。

千さんも 応援されてるって…。
はい。

聞きました。
でも 千さんの歌でね

なくなった故郷を
思い出せるような時間が

あるんだと思うんですね。
ええ。

あの『北国の春』がね
とにかく まあ 本当に…

みんな 避難所で…

もう 家も流されね

親だ 兄弟だ 娘だ
そういう犠牲を出した

そういう被災者の方たちが…。

僕は とってもね

そんな歌う気なんか
なれないですよ 行っても。

「皆さん 頑張ってくださいね」。

「千昌夫が来ました。
頑張ってください」。

「頑張ってください」って…。

ところが そういう方たちが

「歌ってけえ!」
って言うんですからね。

「歌ってけ! 千さん」って…。

だから しょうがないから
手拍子で…。

♬~「白樺 青空…」

これで みんな 大きい声でね。

それで そういう人が一瞬だけど

自分たちが ああやって
手拍子で歌って こう 笑顔でね…

一瞬 笑顔になるんですよ
不思議に。

歌の力っていうのをね…。
歌の力ですよね まさに。

僕ね その時 本当に
まさにね 見ましたよ。

心に届くんですね。
いや~ そのあとも

何度も行きましたけどね。

冗談も ちょっと言ってみようかな
っていうぐらいね

そういう錯覚を起こすようなね
皆さんの喜び方なんですよ。

歌の力ですよ。
まあ だからね

遠藤先生にはね 『星影のワルツ』
『北国の春』というね

人の気持ちを 本当に このね

傷ついた人の気持ちを

うわ~っと
奮い立たせるようなね…。

励ましてくれるんですよね。
励ましてくれるような。

スタンダードといわれるような
楽曲2つもね 頂いて。

素晴らしい。
本当に先生

ありがとうございます。

うなぎも ごちそうになりました。

先輩 ありがとうございました。
ハハハハ…。

千さん 今…
古希を迎えられたんですか?

いやね 古希はね もう ちょっと
一昨年になります。

ちょっと前になりますね。
ええ。

人生を振り返って
今 どう思います?

まあね 人から…

「千さん 千さんの人生って
波乱万丈でしょう?」とかね

まあ 確かにね

波乱万丈でしたけども…。

ああ すごいですね。
こういうふうに思ってます。

やっぱり 歌手としても まだまだ

まだまだ途中な感じがしますね
千さんはね。

まだね もちろん
ヒット曲は作りたいしね。

そうですよね。
ええ。

千さんほど 心に染み渡る
っていうか 本当…

誰もが好きな焼酎みたいな歌って
ないですからね。

誰もが好きじゃないですか
『星影のワルツ』も『北国の春』も。

まあ いっぱい まだありますよ。

代表曲… 別に
2曲だけじゃないですからね。

彼が ものすごく努力して
その歌を日本中に広めていって

日本人の心に染み渡るぐらいまで
作っていったっていうのが

よくわかりました。
それを僕は ちょっと一つ

千さんのビジネスセンスだと
思いますよね。

絶え間なく活動して

歌を広めていくって事を
やめなかった事によって

大きな価値を作ったなと思って

すごくいい話だと思いました。

〈歌手 千昌夫が
ずっと大切にしてきた言葉〉

はい 「根性」。

まあ 僕の人生はですね

やっぱり 頑張って 頑張って

根性がなかったら
今まで こうやって

頑張って
これなかったんじゃないかなと

思っております。

悲しい事も
いっぱいあったけどね。

だけど… 振り返ると

とにかく いい人に
たくさん恵まれて

みんなに かわいがられて
ここまで来たかなと。

それと やっぱりね
継続して こう

一つの事を心を込めて頑張った
この僕が…

「根性」っていう…。

この… これが僕の

どっかに… 基本になってます。

〈今や礼賛されない
二文字が

なんだか
輝いて見えてくる〉


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