SWITCHインタビュー 達人達(たち)「大野和士×原田マハ」 指揮者・大野和士、作家・原田マハ、吉田羊、六角精児


出典:『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「大野和士×原田マハ」』の番組情報(EPGから引用)


SWITCHインタビュー 達人達(たち)「大野和士×原田マハ」[字]


国際的な活躍を遂げ、いま日本発のオペラを世界へ広げようとしている指揮者・大野和士。ピカソやゴッホなどアートの魅力を小説で描く作家・原田マハと語り合った。


詳細情報

番組内容

キュレーターとして美術と関わり、いま作家として史実とフィクションを織り交ぜて美術の魅力を表現するという独自の道を歩む原田。名画や美術家を深く知ることでよりわかるようになる美術の魅力とは? 一方、ヨーロッパを中心に指揮者として活躍する大野は、楽団員へ自分の思いをどう伝えるかなど、大野ならではの音楽が生まれる秘密について語った。さらに新作オペラ「紫苑物語」で表現しようと挑む世界を情熱的に語る。

出演者

【出演】指揮者…大野和士,作家…原田マハ,【語り】吉田羊,六角精児




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SWITCHインタビュー 達人達(たち)「大野和士×原田マハ」
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  14. 美術館
  15. 浮世絵
  16. 指揮者
  17. 世界
  18. お願い
  19. 運命
  20. 言葉


『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「大野和士×原田マハ」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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♬~

日本が世界に誇る…

♬~

20代で ヨーロッパの
オーケストラの

常任指揮者となるなど
早くから活躍。

現在は スペインのバルセロナ交響楽団で
音楽監督を務めている。

♬~

大野が得意とするのはオペラ。

ミラノ・スカラ座など
名門歌劇場で
聴衆をうならせてきた。

5か国語を自在に操り
細かいニュアンスに至るまで指示を出す。

そんな 世界のマエストロが会うことを
熱望したのは…。

一心に絵を見つめている こちらの女性。

美術館の学芸員だった
経歴を生かし

アートを題材にした数々の小説を
発表している。

ピカソの名画がテーマの
サスペンス「暗幕のゲルニカ」。

現代アートをめぐる
アドベンチャー小説「アノニム」。

中でも代表作といえるのが

山本周五郎賞を受賞し
大きな話題となった

「楽園のカンヴァス」だ。

日本 アメリカ ヨーロッパを舞台に

実在する作家や絵画と

フィクションを織り交ぜながら描く
ミステリー。

この作品の大ファンだという大野は

原田の発想の源について
じっくり話を聞いてみたいという。

中に書いてあることがね…

今回 こういう機会を得て…

世界のマエストロ 大野和士さんから
ご指名を受けたという事で

ちょっとドキドキしています。

今から
原田マハさんの事務所にお伺いします。

本当に楽しみにしています。

「301」。 開けま~す。

どうも こんにちは!
お久しぶりです!
どうぞ ようこそ!

お元気ですか?    ようこそ
いらっしゃいました。

今日は よろしくお願いします。
こちらこそ よろしくお願いします。

きれいですね 緑に囲まれて。
はい 一応 ルソーの楽園のイメージ…。

ですよね。
こんな小さなオフィスで書いております。

いつも このデスクで。
ここで… このデスクで…。

よかったら座ってみてください。

あっ そうか そうか。

こうやって書いて…。
はい。

世界で活躍する
指揮者と人気作家の2人が

想像力の可能性について語り合う。

ゴッホに関してはですね

温めていたということは
もちろん おあり…?

ちょっと 彼の人生が壮絶すぎるから

タッチしないでおこうっていうことのほうが
先走っちゃったので…

あの本の中にね
ゴッホ自身が浮世絵を…。
模写する。

模写するっていうのが
たくさん出てきますが あれは…?

よく聞かれるんですよ。

ご自分で オーケストラを
まとめていかれていくうえで

何か秘訣のようなものって…。

♬「パパパパー パパパパー」

こういうのが
ベートーヴェンの「5番」ですよね。

♬~

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。      今日は 私

インタビュアーということでですね
原田さんの いろいろなことを

今日は聞かせていただきたいというふうに
思っています。

どうぞ お手柔らかに お願いいたします。

最初は
美術館のキュレーターというような…

学芸員をされていた
ということなんですけども。
はい。

美術館のキュレーターっていうのは

具体的には どういうことをする
お仕事なんでしょうか?

かつ 学術的にも 非常に研究をされている
専門家であるというのが

一般的には
キュレーターという人なんですね。

日本の場合は「学芸員」というふうに
それを訳されているんですけども。

そういう…
「キュレーション」っていうのは

どこに どういう絵を置いて

どこのコーナーに
どういう号数の絵を置く

そういうのって やっぱり…

そうですね。
その入っていった人たちの見え方が

どういうふうに見えるかっていうのは
結構 重要な仕事で。

立ち上がりが どうなのか。
真ん中で こう盛り上げて

ここで ちょっと静かにして
最後は こう導いていくっていうような。

そうです。
やっぱり 寂しく「EXIT」に

至る時もありますからね。
はい。 寂しくね。

1962年 原田は東京に生まれた。

幼い頃から絵を描くのが好きで

将来は
画家や漫画家になりたかったという。

大学時代 原田は
一人の画家の作風に衝撃を受ける。

19世紀後半から20世紀初頭に
パリで活動した画家…

「素朴派」と呼ばれ
ピカソに大きな影響を与えた。

一見 平面的で稚拙だが

絵画の常識にとらわれない自由な作風に
原田は 魅力を感じたという。

何か この人…

ものすごく引き込まれて。

将来 自分の 何かクリエーションの中に
取り込んでいって

勝手に
コラボができないかなというのは

二十歳ぐらいのときから
ずっと思ってたんです。

それが何になるか分からなかったけど。
だから ずっと思い続けてきました。

そして 小説が初めて生まれたの
っていうのは いつごろなんですか?

最初に志したときから。
そうですね。

2000年に しばらくの間
MoMAに勤めてたことがありまして。

ちょっと冷静になって考えてみたら

「ちょっと待てよ MoMAには
ルソーの絵があるよね」って。

もちろん ルソーのこと
ずっと心の中にあったんだけども

キュレーターの仕事を
していたものですから

しばらく それが自分の…

それで 急に思い出して。

「夢」という作品が
ルソーの大作があるんですけれども。

この1910年 ルソーの最晩年の大作を
毎日 見れて

これを…

壮絶という意味では…

♬~

…って そのときに
ちょっと思ったぐらい。

そのときには
どのぐらいの長さ その絵の前にいて…。

毎日 行ってたので
本当に 3分とか5分とか

挨拶しに行くような感じだったんです。

やっぱり 毎日毎日 見てると
いろんなことが見えてくるんですよね。

…というふうに そのときに思いまして。

「そのオリジンにしよう」
というふうに決めて

それで 「夢」という作品と

向かい合い続けたということが
あったので。

これを またベースにして

何かミステリー仕立てのものに
できないかなというのは

ちょっと思ったんですね。

ニューヨーク近代美術館で
ルソーの「夢」と出会ってから12年後

ついに 原田は
この絵をテーマにした小説を発表した。

物語には
「夢」によく似た一枚の絵が登場する。

この絵が 本物か偽物かを
2人のルソー研究者が見極めていく

スリリングなミステリーだ。

小説は 美術館に勤める主人公が見つめる
ある一枚の絵の描写から始まる。

まず第1行目に出てくるのが その…
あれですよね。

美術館の中で絵の監視をしている人の話が
出てきますよね。

そこが まずは…

ですから 例えば 冒頭の部分で出てくる
1行目に出てくるのは…

…という作品が
実際 登場してくるんですけども

これは 実在する美術館で
大原美術館という

岡山の倉敷にあります 大原美術館という
美術館が舞台となって出てくるので

これらのことは 全部 本当のこと。

だけど そこで監視員をしている
主人公の一人は

これはフィクションの人物なんですね。

ですから 読者の方々は
よく聞かれるんですよ。

これは
私が 最初から狙っていたところで…

物語が進むと ピカソのアトリエ
「洗濯船」をルソーが訪ねる

史実とも想像ともとれる場面が描かれる。

例えば 洗濯船の…
ピカソの住んでた所が洗濯船って言って。

パリにある
パトー・ラヴォワールっていう…。

その中にネクタイを締めて来たのが
ルソーって書いてありましたけれども

あれは そうなんですか?

そのパーティーに…

本当に いろんな人の証言とか史実で
文献も残っていて。

たった一夜のパーティーだったんですか?
たった一夜のバンケットだったんです。

洗濯船は 毎日毎日
パーティーやってるんだとばっかり

思ってたんですけど そんなことはない?
やってたかもしれないけど…。

飲んだくれたちが…。
そうですね。

たった一夜ですよ。
それが 1908年のたった一夜。

その奇跡のような一夜があったというのは
私 いつも思い返して。

それは 本当に 二十歳のころから
ず~っと ずっと思い続けて。

そして 物語終盤 ルソーの絵の中に

貴重なピカソの絵が
隠されているのではないかという場面。

「『やってくれないか。
X線検査を』」。

「それしか方法を思いつかなかったのだ。

MoMAの『夢』こそが

ルソーとピカソの
二重作品なのかどうかを知るためには」。

原田は 大胆なストーリーで
物語を盛り上げていく。

少しずつ 少しずつ 少しずつ
少しずつね あのね…

おお~。
それは どういうことかっていうと…

そういうのが
ずんずん ずんずん… と私の中でね

コントラバスで ドンドン ドンドン…
低い音を利かして

バンバン バンバン バンバン…
そしたら ハイハットのシンバルが

シューッ ザッザッ ザッザッ…。

これね 盛り上がってくるんですよ。
それも考えていらっしゃるんですか。

何か 今 ものすごく…

ありがとうございます。
いや あの… そうですね。

やっぱり こう
どこで盛り上げていくかっていうのは…

月刊誌で連載してたので そうすると…

あるいは 謎めいたことがあって
それが 次につながっていく。

あるいは ちょっとだけ出てきた人が
次の章で出てくるっていうふうに…

そうですね。 コントラバスを。

ザンザン ザンザン…!
入れてもらって はい。

ウワァ~って
こうなってくるわけですね。

はい。 でも 本当に最後に
大野さんがなさってるみたいに

こう 指揮をバッと振り上げて
「あっ!」っていう感じで

終わったらいいなと思いながら。

絵画の魅力を文章で表現する達人
原田マハ。

その秘密は
どこにあるのだろうか?

絵を見たときに マハさんの中には
何かしら もう絵を語る準備というのが

頭の中で あるいは 心の中で
瞬時にして言葉が浮かんでくる?

瞬時に浮かんだら
どんなにいいかと思いますけどね。

私にとって やっぱり アートって非常に…

本当に 何もない。
もう ただただ向き合って 何か こう…

だから それは もしかすると
大野さんが指揮をなさっているときに

作曲家と
コンタクトするような瞬間っていうのに

近いものが
あるのかもしれないんですけど。

ただ 自分で いつも…

アートって 何かっていうと

もう見てもらえれば
それでいいものなんですね。

それを
あえて文章にしなくちゃいけないって

難しいことを 本当にしてるなって
いつも書くときに思います。

ただね 逆にですね
書いている文章の中に

やはり 絵画であるからにおいてはですよ。

そういう意味でのご経験っていうのは
どうですか?

例えば モネの作品なんて
「睡蓮」の絵なんて

本当に きらめく光と色彩。

あれは もう
どんな言葉を尽くしても

書くことはできないものだなというふうに
思うんですけれども

それでも何か こう… 例えば この青
「空を映した水鏡」と言えば

多分 読んだ人の心には
さっと こう 青空が広がるし

「その水鏡の上に
ぽつりぽつりとともった白い顔

それが睡蓮である」と言うと
何か その睡蓮の絵が

ふっと浮かんでくるっていうような。
そういうふうに…

ちょっとした表現の中にもですね

立体的な絵として出てくる描写が
よく見かけられるんですけれども。

いわゆる 書いていらっしゃるときに
その中にイメージっていうのをお持ちで

いつも お書きになるんでしょうか?

書いてるうちに 何か こう…

そういう気持ちで書いていることが
よくありますね。

だから 情景描写が
私の小説を読んでいると

「情景描写で映像が浮かぶ」というふうに

言っていただくことが
多いんですけれども

それは 私自身が
カメラアイのようなものを

自分の中に据えて 書いているからかな
というのは思いますね。

原田の小説世界を支えるのは
徹底的な取材だ。

世界中の美術館へ足を運ぶだけでなく

主人公となる人物の足跡をたどり
訪ね歩く。

そんな原田でも
ずっと書けなかったテーマがある。

孤高の天才画家…

ゴッホに関してはですね

温めていたということは
もちろん おありなんでしょうか?

壮絶な人生を送って それで 最後には
ピストル自殺してしまうっていう

彼の生きざまみたいなものが

結構 先行して その情報として
私も入ってきていたので

ちょっと…

2017年

原田は それまで避けていた
ゴッホをテーマにした作品を発表する。

舞台は 19世紀後半のパリ。

放浪の末 パリにたどりついたゴッホと

彼を支える弟のテオが

浮世絵の画商 林 忠正に会う。

この出会いによって ゴッホは

晩年の傑作を生み出すことになる
という物語。

実は この…

なぜかというと
19世紀末に たった一人 単身で

フランスのパリに斬り込んでいって
浮世絵とか日本美術を

大量に売りさばいた人なんですね。

彼が 日本美術を広めることによって

印象派や
後に続くモダンアーティストたちの

その 彼らの新しい美術に対する目を
開かせたっていう…

「この忠正を書きたい」っていうふうに
始めたら

ちょうど同じ時期に パリで

テオ。 テオドルスという
テオドルス・ファン・ゴッホという人が

まあ 浮世絵が大好き。
同じパリの下に2人がいたと。

だから…

なるほど。
テオの所に ちょうど 1886年に

ゴッホが オランダにいたんですけども
テオの所に転がり込んで

で そこから 彼は
パリで活動を始めるんですけども

もう 浮世絵 大好きで。

だから これは…

…っていうふうに思ったわけなんですね。

それで ゴッホを書くことになったんです。

あの本の中にね
ゴッホ自身が浮世絵を…。
模写する。

模写するっていうのが
たくさん出てきますが あれは もう

あれも事実ですか?

なるほどね。
本当に それもよく知られていることで

ゴッホが 非常に 日本美術に対して

深い愛着と興味を持っていたということは
よく知られていることでして。

彼の作品も
パリに出てくる前のオランダ時代と

もう がらっと変わるんですね。
パリで最先端の美術に触れた。

で その最先端の美術って
何かっていうと

印象派の画家たちなんか
もちろん そうなんですけども

これは 浮世絵だったんですね。
もう 浮世絵 日本美術に夢中になって

その日本美術の手法を

なんとか 自分の作品の中に
取り入れられないかということで

ものすごく 彼は
大きな挑戦をしたわけですね。

浮世絵を熱愛し
「日本へ行きたい」と言うゴッホを

林 忠正が諭すというシーンを
原田は作っている。

「日本は 私の理想の結婚相手だ。
絶世の美女だ。

この上もない
貴婦人だ!」。

「フィンセント
あなたは日本へ行くべきではない。

むしろ この国で あなた自身の日本を
見つけ出すべきです。

あなたにとっての
芸術の理想郷を」。

そして 忠正が
ゴッホに地図で示した場所が

南仏 アルルだった。

その流れの中で
彼は やがて南仏のほうに…。

アルルに行きますよね。
はい。 アルルに行って

皆さんが…

そういうことに気が付いて
「これは面白い!」と思って…

ただ それが マハさんの
いわゆる 想像力の…。

まあ 妄想力といいますか
想像力といいますか。

想像力のたまものですよね。

理想の地を求めて アルルへ行ったゴッホ。

しかし 次第に精神のバランスを崩し

みずから耳を切り落とすという
事件を起こす。

ある日 兄を心配する弟 テオのもとに

ゴッホが病院で描いた絵が送られてくる。

テオがそれを見て
涙する場面。

私…

原田は 大野に朗読をリクエストした。

テオが見たのは この絵。

1889年に描かれたゴッホの名作
「星月夜」だった。

すばらしい…。

≪(拍手)

ありがとうございます。

今 ちょっとね 考えてるところで。

なぜかというと あの小説は

ゴッホと それから
弟さんのテオが亡くなって

そして 若い奥さんが あの…
ヨーでしたっけ?

そうです。 テオの未亡人に
なるんですけど ヨーという女性が…。

これ 次に…

そうですよね。
ふと ちょっと考えてみると

「ちょっと待って。
ゴッホって 生前に

確か 絵が 一枚しか売れなかったとか
そういう画家だよね」と。

それで 独りきりになってしまった…

…っていうのが 今 すごく
私が気になってるところで。

結局 彼女は逆転したんです。 つまり…

だから 彼女が
ゴッホを世界に認めさせるために

戦いを挑んだんですね。

この軌跡を 今 ちょっと 私の中で…

すぐにでも
読みたいと思っちゃいますけど…。

どういうことかというとですね
ゴッホとテオの男2人の…。

私にしてみればね…

二重唱ね。
二重唱ね。

その二重唱に

まだ うら若い未亡人が
残ってるでしょ?

この方が やっぱり ソプラノで
もう一回 出てきますよね。

その小説が出来上がったとたんに
これは…

「お願いします」って…。
どうですか? そういう構想は。

いいですね。 そういう作品に
しなくちゃいけないわけですね。

何か リクエストを先に頂いちゃったんで。

いや~ ぜひ
そういうふうにしたいですね。

それを 例えば
作品に仕上げるために

どのくらいの調査と
どのくらいの また 期間の…。

自分の中での温め方っていうのが
必要なんでしょうか?

まず一つの作品に… 例えば
「楽園のカンヴァス」の場合だったら

ルソーの「夢」という作品に
フォーカスしましたけど その…

だから これは ちょっと まだ…

そのために
その作品の周辺の美術館ですとか

あるいは その来歴を 今 遡って
調べているところなんですね。

次の作品っていうのを
本当に 心から楽しみに待っております。

そして その暁には
ぜひ オペラのね 夢を

また語りたいと
いいですね。
思っております。

(笑い声)

後半は 舞台をスイッチ。

♬~

指揮者 大野和士。

30年以上 ヨーロッパを拠点に

世界の名だたるオーケストラで
タクトを振ってきた。

♬~

2015年からは 母国 日本で

東京都交響楽団の音楽監督を務めている。

♬~

さらに 去年
新国立劇場の芸術監督にも就任した。

この前は 本当に
どうもありがとうございました。

こちらこそ どうぞよろしくお願いします。
今日は よろしくお願いします。

後半の対談は
忙しいリハーサルの合間を縫って

新国立劇場のホワイエで行われた。

実はね 私 指揮者が登場する小説を

もう だいぶ前に書かせていただきまして。
ああ そうですか。

書いておきながら 全然

指揮者って どういう人なの
何をする人なのっていうのは

はっきり分からずに
書いてしまったんですね。

だから 今日は
すごくいいチャンスだと思って。

ご自分で オーケストラを
まとめていかれていくうえで

最も… 何ていうんですかね
こういうことに

一番 気を遣っているというか
力を割いてるっていう

何か秘訣のようなものっていうのが
あるんですか?

自分の仕事というのは作曲家。
いわゆるオリジナルのあるね

音符が書いてある。 そこには…

作曲家も その時々の
いろいろな成長過程があったり

いろいろな人生の悩みがあったりですね
そういう時代…。

そういうのを 作品と同時に
作品を研究するのと同時に

その人の人生 それから…。
ということは どういうことかというと

それが生まれた時代とかね。
っていうのを やっぱり こう…。

…と 見つめ 向き合ってですね。
ベートーヴェンで言うならば

「パパパパーン」って
「運命」があるとしたら

♬「パーラッパ パーラララッパ
パーラーラー ラララー」

ものすごい のどかな
「田園交響曲」っていうのがあって。

「これが終わったから これが書けた」
っていう そういうのじゃなくて。

「どういう形で
書き分けていったんだろうな」とかね

そうなってくると
より ディテールに入ってきて

だんだん 例えば…

♬「ターランパン パーランパン パーランパン パーリラ ラララーラ」

こう 「タララララー」って
入ってくるのが やっぱりね…

こういうふうなね

♬「ターランタン ターランタン ターランタン ララララー」

…って 別の流れが来るんですよね。

…って こうなってくるわけですよ。
なるほど。

そして「パパパパーン パパパパーン」でしょ。
そしたら その次には

♬「パパパパ パパパパ パパパパー
パパパパ パパパパ パパパパー」

確かに。
人の運命ですよね。
運命を感じます。
運命。

人は運命。 運命…。
何が運命かっていったときに

ベートーヴェンは
「タタタターン タタタターン」って

フォルテでやったと。 そのあと…

こういうのが ベートーヴェンの
「5番」ですよね。     ですよね。

っていうのをね 読み解く こう…。
なるほど。

よく言われているようなことしか
頭の中に思い浮かばないんだけど

だんだん そこにね
「あ~! なるほど こんなことか」。

「あ~! なるほど こんなことか」
っていうね

今度はね 自分自身が それに…

譜面を読んでいくと 自分の中で こう…

なるほど。
思ってくるようになるんですよね。

それは オーケストラと
そして 聴き手と…。

そうですよ。
なるほど。

大野は 自分が見つけた音を

どうやって
オーケストラと共有していくのか?

大野が音楽監督を務める
東京都交響楽団の

リハーサルをのぞいてみた。

♬~

演奏を止め 楽団員に指示を出す。

「D」って書いてある…。
あっ そうですか?

手書きで書いて…。

いや オリジナルで
「G」と書いてあるので…

この「Wrme」というのを見ると

目をつぶっても 「G Es」に
いきたくなるという そういう心理を。

それから
ファースト セカンド バイオリン…。

ここは…

すると…。

♬~

大野さんが こう…
オーケストラのメンバーにね

伝えるときに…

私は 言葉の人間なので

特に 言葉に敏感に反応したんですけど。

そして 前に聴いたときと

大野さんが そういうふうに
指示を出したあとの音が

明らかに違うんですよね。

ああいう言葉っていうのは
指揮をしながらというか

リハーサルで 皆さんに

いろいろ 指示を飛ばしながら
ふっと出てくるものなんですか?

それとも
考えて出てきてるものなんですか?

自分の中でね こう…

あるいは ぱっと こう イメージとして…

…というような感じはしますけどね。

決して そういう言葉を探していって

そういうふうに言ったとしても…。
いや とっても自然な感じでした。

最終的には音なので。

なので やっぱり どういう音になるか
ということに対しての…

だから それを…

…っていうのは
あるのかなと思ったんですけども。

この前も お話ししましたけど…

でも それを
あえて言葉にして伝達しようとしたり

あるいはシェアをするために…

…っていうのは 非常に

この前 リハーサルに
立ち会わせていただいて

感じたところだったんですけど
何か ものすごい感動的でしたね。

でも よく やっぱり あれですね
オーケストラの皆さん方の

理解力というか 深さというか

そういうものを やっぱり
皆さん お持ちですよね。

そうですね。

自分の中から出てくるその音楽に対しての
感動そのものっていうんでしょうかね。

それを基にして

こういう音 こういう音
こういう音 こういう音…。

そして 最終的には 皆さんが

個人それぞれのタイミングで
一番いい音を出していく。

それぞれが個性を持って。
そのとおり そのとおり。

…っていうことは どういうことか
というとね そういうふうなね

作曲家の人たちが
いろんな ちりばめられた…。

「宝石」と先ほど言いましたけど…

呼応する感じなんですね 響き合って…。
そうですね。 呼応して

そして 最終的には
その一人一人の感覚が

こう バーッと
開いてくるっていうんでしょうかね。

…というかね 意味ですよね。
すっごい よく分かります。

大野和士は 1960年 東京に生まれた。

3歳のころに ベートーヴェンの
交響曲第3番「英雄」に出会う。

♬~

大きな衝撃を受けたという。

♬~

レコードを聴きながら箸を持ち
指揮のまね事をするほど

クラシックのとりこになっていった。

♬~

高校を卒業した大野はプロを志し
東京藝術大学 指揮科に入学する。

大野少年が だんだん こう
自分の指揮法みたいな…。

指揮法っていうかな
自分なりのスタイルみたいなの

見つけていかれたと思うんですけども。

ということを思ったときにね…

「どうしたらいいんだろう」
っていうようなことで

もんもんとする日々を経てね

それと同時に じゃあ とにかく
プロフェッショナルな指揮者の人たちがね

どういう練習してるんだろうって
思ってね

いろいろなオーケストラの…

で そういう所に行くとね
大体 同じ年齢の 年代の

指揮者になりたい仲間たちがね
みんな来てるんですよね。   なるほど…。

だから そういう意味では…

そういう子たちと
一人一人が こうやって

「あっ ここで あの先生 こうやった」。
「こうやったと思うんだけど」。

こういうのを書きながらね こうね…。

何か 隣のほうを
こうやって のぞき見ながら

「この子は何を気付いたんだろうな?」
とかね

何か 思いながらね
こうやって聴いてるんですよね。

そういうのが どんどん どんどん
何か こう…。

蓄積されていったんですね。
そうですね。 蓄積されて

それで いっぱい いっぱい
自分の中に

蓄えていくっていうね
そういう時期がありましたね。

それが 大体 20代ぐらい?
そうですね。

20代… 20代の半ばっていうのは
そういう感じですよね。

なるほど なるほど。

「なんとか指揮台にのぼりたい」。

25歳のときに 活動の場を求めて
ヨーロッパへ渡った大野は

コンクールに挑む。

将来 自分は立派な指揮者になる
っていう人たちだけが集まってくるね

変なコンクールがあるんですよ。

もう やる気だけの人たちが
集まってくるっていうね

へんてこりんなコンクールが
あるんですよね。

それで 賞を頂くと
例えば そのご褒美として

「じゃあ オーケストラの演奏会
いろいろな国々で

じゃあ 10回あげますよ」とかね

そういうご褒美が
あったりするわけですよね。

そこで そのときは…

そこで その中の一人の審査員ですね。

それで そのオーケストラとの関係が
そこから深まって…

それは もう 二つ返事で
答えられたんですか? それとも…。

そのときは もう うれしかったですね。

…っていう そういう感じですね。
なるほど。

ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団の
常任指揮者となり

本格的に活動を始めた大野。

≪(銃声)

その後 クロアチアで紛争が勃発。

激しい戦火の中
大野は タクトを振り続けた。

ちょうど 時代的に紛争があったり

なかなか難しいエリア
難しい時代だったと思うんですけども

そういうことは
特に 影響は なかったんですか?

内戦状態になってですね
練習してますでしょ。

そしたらね あるとき
爆撃機が バーッと こう…

飛び立ったという情報が入ったとたんに

空襲警報が やっぱり
バーッ 鳴るんですよ。

楽員さんのほうからね
「ちょっと ちょっと 和士

今 ちょっと… 逃げよう。
一緒に来てくれないか」ということでね

行った場所がね 防空壕だったんですよ。

ところが
そのオーケストラがね そのとき

その内戦 それから
2年半ぐらい続くんですけども…

やめずに 毎週毎週
金曜 土曜と

いつも やってるんですけどもね
毎週 毎週…。

もう 自分の中で

忘れることはできないっていう
体験の一つにですね

その期間ね なんということに…。

寒い冬 オーバーに身をくるんで 包んで

そして 何もしゃべらずに
黙々とみんながね 集まってくるんですよ。

それでね 人いきれで こう…。

そして 演奏するでしょ。

そして 演奏したあともね
「うわ~!」っと 歓声が上がってね。

オーケストラのメンバーは

クロアチア セルビア
オーストリア アメリカなど

さまざまな地域から来た人々。

指揮者は日本人。
そして 聴衆はクロアチアの人々。

紛争が行われている中でも
国籍や人種の壁を越え

みんなが 音楽で一つになっていた。

これは今でもね 本当に私の 一つの…

なぜ そのときに ふだんよりも多く

人々が集まったんだろうなと
考えたときにですね

今 この状況下に
置かれた人たちっていうのは みんな…。

感動する
ということですよね。

その場に来て…

それは 皆さんのきっかけに
されていたんだろうなということを

思ったんですね
強く思ったんですね。

…というふうに思ったんですね。

♬~

大野を語るうえで欠かせないのが
オペラ。

(拍手)

大野は 世界の名だたる歌劇場で
オペラを指揮し 成功を収めてきた。

(拍手)

オペラって 大野さんにとって
一体 どういうものなんですか?

それから それぞれの国の…

そういうところで…

歌い手さんっていうのは

声を出す…
また これは プロフェッショナルでしょ。

それで 譜面を
みんな 読んでくれるわけですよね。

読んで 稽古に来てもらうわけですよね。

例えば 「椿姫」っていうオペラが
ありますでしょ。              はい。

「椿姫」が
「トゥット ラモーレ」っていうね

これは 私が…

「この私の」…。
「トゥット ラモーレ」っていうときにね

うまい歌い手さんたちはね そこでね…。

♬「トゥット ラモーレ」

記号としては書かれてるんですよ。

♬「トゥット ラモーレ」

そうは歌わないんですね。

そのね 「この… すべての… 愛が…」
っていうときにね

♬「トゥット… ラモーレ…」

…って歌うんですよ。

♬~

なので 今度は
それが音になってきてるんでね。

それを じゃあ 音で表すには
どうしたらいいかっていうのを…

最終的には 私のね…

そして 去年 日本の新国立劇場の
芸術監督に就任した大野は

新たな取り組みを始めた。

新しい日本のオペラを作り
世界に発信しようとしている。

大野が選んだのは
石川 淳の小説

「紫苑物語」。

平安時代を舞台に
歌の道を捨て

弓の道を究めようとする
若者を描いた物語だ。

衣装デザインは
和のイメージが強調されている。

大野が こだわったのは
「日本語で歌うこと」。

出演するのは 日本を代表するオペラ歌手。

ふだんは
イタリア語やドイツ語で歌う彼らが

日本語で 幽玄な世界観を表現する。

ヨーロッパで数々の経験を積んできた
大野が取り組む 日本語のオペラ。

今月下旬 初演を迎える。

なぜ 今 日本の新しい創作オペラに

挑戦してみようというふうに
思われたんですか?

…というね 気持ちが すごく強くて。

それは確かに聴いてみたいですよね。
そうですね。

もちろん イタリア語のオペラも
きれいですし

フランス語のオペラも きれいだし
ドイツ語のオペラも きれいだし

ロシア語のオペラも とってもきれいだし
英語のオペラも…。

いい作品は たくさんあるんだけど。

でも この新国立劇場はですね…

そして しかも そこに…

なるほど。

これが 「ボーカルスコア」といわれている
ピアノで弾いてるところですね。

宗頼と弓麻呂の所。

宗頼がね
殺したあとに

何にも
感想がないんですよ。

…っていうのは
これに出てきて

「なんとなく射た」とね。

主人公 宗頼が
弓矢で家来を殺してしまい

ぼう然とする場面。

その心情を メロディーで
つぶさに表している。

「お前は 何で家来を射た… 人間を」。

っていうか
「自分の配下の者を射たんだ?」と。

そしたら 「わからぬ」。

「な… ん… と… なく… 射た」って
言うんですよ。

これだけでね この…
「空虚な」「内省的に」。

それから 私は これを
「ロボットのように無機質に」

っていうふうに
書いたんだけども。

これによって宗頼が…。
心をなくしてる感じ?

なるほど なるほど。
あとは どのくらい複雑かっていうのは

こういう譜面ですよね。
すごい。

さっぱり分かりませんけども
何か こう

ビジュアル的に美しいですね。
そうですね。

これはですね
重唱なんです。 う~ん。

なんと
こういう四人四様の

こういう
四重唱が書かれた

これは日本初の
オペラなんですよ。

初のオペラ! うわ~。

それが こちらの場面。

♬~(四重唱)

全く違った歌詞を
4人が同時に歌う四重唱。

今回 大野が
どうしても入れたかった手法だ。

オペラって
一定の このくらいの時間帯の中に…

例えば じゃあ 2人の人たちでも…

ですから そういう意味では…

現時点での大野和士のすべてを

ここに注ぎ込んだと言っても
過言ではないような

そういう出来上がりになりつつあると。
そうですね。

まず これを作ってから
また 未来の いろいろな日本語の…

日本人の作曲家の作品を
また展開していこうではないかと。

まずは
この次元のオペラ作品というのを

作り上げたいっていう

熱い思いがありますね。

ありがとうございました。
ありがとうございました。

ありがとうございました。
楽しかったです。

♬~


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