歴史秘話ヒストリア「プロが選ぶ!日本を変えた室町三大事件」 天下の大乱、数万人規模の一揆、将軍一族の骨肉の争い…


出典:『歴史秘話ヒストリア「プロが選ぶ!日本を変えた室町三大事件」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「プロが選ぶ!日本を変えた室町三大事件」[解][字]


今、人気の室町時代。大乱、一揆、骨肉の争いなど、新書が話題の歴史のプロ3人が推す大事件に、最新研究で迫る。室町三大事件をひもとけば「日本の歴史」が見えてくる!


詳細情報

番組内容

『応仁の乱』を、最新研究をもとに捉えなおした新書が異例の大ヒットをするなど、今、「室町時代」が書店で一躍人気のジャンルとなっている。天下の大乱、数万人規模の一揆、将軍一族の骨肉の争い…。話題の新書を書いた3人の歴史のプロたちが推す、大事件の真相に迫る。250年続いた室町時代は、いったい日本をどのように変えていったのか?室町三大事件をひもとけば「日本の歴史」が見えてくる!

出演者

【キャスター】井上あさひ

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歴史秘話ヒストリア「プロが選ぶ!日本を変えた室町三大事件」
  1. 幕府
  2. 直義
  3. 徳政令
  4. 義教
  5. 一揆
  6. 義就
  7. 応仁
  8. 室町時代
  9. 武士
  10. 借金
  11. 大事件
  12. 歴史
  13. 時代
  14. 将軍
  15. 擾乱
  16. 日本
  17. 嘉吉
  18. 家臣
  19. 観応
  20. 混乱


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日本を代表する大型書店。

近年 それまでになかった現象が
起こっています。

日本史。

なかでも 室町時代を扱った本が
よく売れるというのです。

刊行点数も増えまして

こんなふうに コーナーを ガッと
作るような状態にもなりましたので

面白い現象だなと思います はい。

この「応仁の乱」ですね。

一見 地味な本なんですけれども
これが すごく売れました。

♬~

室町時代は 大きな戦が続いた
まさに「乱世」。

どうして今
そんなに人気なのでしょうか。

そこで今回は 歴史のプロ3人が
お薦めする 3つの大事件から

この室町時代に迫ります。

まず 亀田俊和さんは

「観応の擾乱」。

出陣いた~す!
(家臣たち)おう!

室町幕府 初代将軍・足利尊氏と

弟・直義が
全国規模で戦った 大戦です。

実は この骨肉の争いが

後の歴史に 大きな影響を及ぼしました。

日本の この武士中心のですね
社会が出来たという

その 大きな画期の
一つであることは

まあ 間違いないだろうと。

2つ目の事件は 早島大祐さんの

「嘉吉の徳政令」。

天災や飢饉が相次いだ 室町時代半ば。

沙汰を申し渡す。

6代将軍・足利義教は

混乱する社会の立て直しに奔走します。

実は この時 現代でも通用する
お金のルールが生まれました。

なんと それまで
借りて10年たった お金は

返さなくてよかったのです。

ところが 義教が暗殺されます。

その直後に出されたのが…

なんと 借金が 突然 帳消しに。

なぜ このような法律が
出されたのでしょうか。

最後は呉座勇一さん。

有名な 「応仁の乱」です。

ただし この大乱は
敵味方が大勢入り乱れる 複雑な戦。

分かりやすい読み解き方 ありませんか?

まあ 一番 分かりやすく
理解しようとすると…

多分 一番 分かりやすい。

総掛かりじゃ!
(家臣たち)おう!

畠山義就とは
一体 何者?

どんな影響を
日本の歴史に及ぼしたのでしょうか?

大乱 一揆 骨肉の争い。

室町時代の 3つの大事件をひもとけば
「日本の歴史」が見えてきます。

♬~

「歴史秘話ヒストリア」。
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

今回のテーマは
今 話題の「室町時代」。

その三大事件に迫ります。

室町時代は
鎌倉時代と安土桃山時代の間。

250年ほど続いた時代です。

前期を「南北朝時代」

後期を
「戦国時代」とも言います。

なかでも 「観応の擾乱」

「嘉吉の徳政令」「応仁の乱」。

この3つの大事件は

日本の歴史に 大きな影響を与えました。

では最初に 「観応の擾乱」です。

「擾乱」は 秩序なく入り乱れる様。

主人公は 足利尊氏と弟・直義。

仲の良い兄弟だった2人は
協力して幕府を開きました。

しかし 悲劇が襲います。

そして この大事件は

その後 武士の世が続く
大きなきっかけとなるのです。

勝ちどきをあげよ! えいえい…。

(一同)おう!

1336年 京都に 新たな武士の政権
室町幕府が誕生します。

一方 それまで政権を担ってきた
後醍醐天皇は 奈良・吉野へ。

南北朝時代の始まりです。

将軍となった足利尊氏は

政務のほとんどを
信頼する弟・直義に任せました。

そなたの才覚で
うまく やってくれ。

慣れない仕事でしたが

直義は 懸命に取り組み

将軍である兄を支えました。

こうして 10年。

ようやく
平和な社会が訪れるかに見えました。

…と思いますね。

ところが 一人の若者の登場で
兄と弟の争いが始まります。

尊氏と
身分の低い女性との子で

尊氏から
冷たく扱われていました。

よう来た。

うれしいぞ 直冬。

(直冬)ははっ。

そんな直冬を
気にかけていたのが

直義でした。

温かく迎え 養子とします。

しかし これに反発したのが

尊氏一番の腹心
高師直でした。

尊氏の嫡男・義詮を
脅かすと考えたのです。

そして
直義と師直との間に

激しい政争が起こりました。

これに敗れた直義は
出家。

政治から 身を引くことに
なったのです。

父上が… 隠居?

あの父上が隠居など
今 仰せられるはずがない!

直冬は激怒しました。

師直打倒のため

九州に渡って
兵を集めたあと

上洛の動きを見せます。

すると 京の直義も動きます。

後醍醐天皇の跡を継いだ

後村上天皇と組んだのです。

室町幕府の宿敵・南朝と手を結ぶ

禁断の一手でした。

誕生から 14年。

ここに 幕府は
真っ二つに割れ

室町最初の
大事件

観応の擾乱が始まります。

兵庫県芦屋市の打出浜。
決戦の舞台となった場所です。

(兵たちのおたけび)

ぐぁっ!

敗れたのは 高師直でした。
直後 一族と共に滅びます。

禁断の手で 勝利をつかみ
実権を握った直義。

ところが…。

正しき皇統は
我らのみである。

朕は… 到底 承服できぬ。

後村上天皇が
強く求めたのは

南朝による
天皇の位の独占でした。

それまで 室町幕府が
支えてきた北朝を

廃せというのです。

しかし それは
あまりに厳しい要求でした。

交渉は決裂。

直義の求心力は
大きく損なわれました。

更に 直義の腹心が
暗殺されるなど

政権を揺るがす事件が
度々 起こります。

すると 直義は
なんと 都を脱出。

尊氏に攻撃されると
思い込んだと言われます。

直義は
数万の兵を集め 挙兵。

幕府を仕切る弟と
将軍である兄の全面対決です。

そして 実は

幕府分裂とも言える
この状況に

観応の擾乱の 歴史的な
意義があるといいます。

当時 武士の家は 当主の下

兄弟や家臣たちで構成されていました。

しかし 幕府が分裂したため 家も分裂。

こうして
新たな武士の家が 次々に生まれました。

つまり この時代

「武士」が 急激に増えたのです。

その後 戦乱の世でも
また 太平の世にあっても

時代を動かした 「武士」。

500年以上続く 武士の世の礎は
室町時代にあったのです。

では そのきっかけを作った
兄弟は どうなったのか。

どうじゃ。
もう 戦は やめぬか。

わしも 兄上と戦など しとうない。

されど…

されど そうするには…

わしを頼りにする者が
あまりにも多くなってしもうた。

御免。

(尊氏)直義… 待て 直義!

2年にわたり 日本中を巻き込んだ
観応の擾乱は

兄・尊氏の勝利で幕を閉じました。

混乱の中 始まった室町時代。

ようやく安定するのは

足利尊氏の孫

3代将軍・義満の時代に
なってからです。

義満が建てた金閣は その象徴。

中国との貿易も始まり

莫大な利益で
幕府の財政は豊かになります。

ところが義満の死後 日本社会は
徐々に 不安定になっていきます。

天災が続発し 飢饉も発生。

それに伴う経済状況の悪化で

人々の生活は
極めて厳しいものとなりました。

この時 起きたのが
2つ目の大事件

「嘉吉の徳政令」です。

「徳政令」とは
借金など

債務や債権の
帳消しを命じる
法律のこと。

この時代
しばしば出され

社会を
混乱させました。

そして
嘉吉の徳政令と
深く関わるのが

6代将軍
足利義教です。

経済の混乱をおさめようと

義教が行った
日本史上初の試みを ご覧下さい。

京都・青蓮院。

900年近い歴史を持つ
名刹です。

室町時代半ば
ここを 幕府の重臣たちが訪れました。

そして 寺の主である義円
後の義教に対し

意外なことを言いだしました。

ご門主様
将軍家ご相続のこと 何とぞ…。

(一同)何とぞ…。

実は この前日 神前でクジが引かれ

足利義満の息子である義教が
将軍に指名されたのです。

無理じゃ。

そこを曲げて。
天命にござりますぞ。

当初は ためらった義教。

しかし 最後には 大役を引き受けます。

ところが…。

琵琶湖に面した交通の要衝
滋賀県大津市 坂本。

ここで 義教を脅かす
出来事が起きます。

荷物を運ぶことを なりわいとする
馬借たちが 過激に騒ぎだしたのです。

彼らは 権力者の代替わりに
しばしば出された

徳政令を期待していました。

代替わりしても 飢饉で
皆 飢えておるのは 一向 変わらぬ。

いかにも!

徳政も行われぬ!
いかにも!      我らに死ねと言うのか!

こうなれば一揆じゃ!
(馬借たち)おう!

借金の帳消しを求める
この動きは

すぐに 近畿地方の民衆に
広がります。

彼らは 京などの高利貸しを
次々と襲いました。

「正長の土一揆」。

「日本開闢以来」と
言われるほどの

一大事でした。

近江の馬借ども 一揆にございます。

(義教)一揆!?

恐れ多くも 御代替わりの御徳政を
口々に申し立て

下京に なだれ込んでおる様子。

急ぎ 鎮めねばならん。

この時 幕府は
徳政令を出しませんでした。

一揆を 秩序を乱す暴動と見なし
武力で鎮圧します。

しかし…。

奈良県北部の柳生地区。
一揆が起きた地域の一つです。

実は ここに 幕府が出していないはずの
徳政令が出された証しがあります。

地区の入り口に祭られた
古いお地蔵様に残る碑文です。

義教は 徳政令を出さなかったはず。
どういうことなのでしょう。

そこで義教は 借金に関する
幕府の法令の整備を始めます。

実は それまで 借金は

10年たったら帳消し
というルールがありました。

それに対し
義教は

10年以上たった
借金であっても

返済を
義務づけます。

一方で
利子の上限も定めました。

更に 借金に関する裁判を始めます。

この者は 借書に かようにある
508貫文を返さぬのでございます。

偽りを申すな!

実はそれまで
民衆が訴えても 幕府や朝廷は

借金をめぐる裁判を
ほとんど行いませんでした。

しかし義教は 裁判を制度化。

自ら裁判官として
争いごとを仲裁したのです。

沙汰を申し渡す。

この者の申すとおり
その方は 508貫文 返すべし。

なんと… そんな…。

この結果 意外なことが起きます。

幕府と 幕府の法の権威が
高まっていったのです。

…が生まれていきます。

ありがとうございまする。

こうして 貸し借りに関するルールが
生まれました。

全国的なものとしては
史上初のことでした。

その後 混乱していた経済も
平静を取り戻してゆきます。

そして 12年。

経済の安定
義教の強いリーダーシップ。

幕府の体制は 盤石に思えました。

ところが…。

それは 大名・赤松満祐の屋敷に
招かれた時のことでした。

(雷鳴)

(いななき)

何事じゃ。

あ… 雷でございましょう。

≪(足音)

何奴!

突如 赤松家の家臣が 義教を襲いました。

御免!

大名たちの中には 義教の政治手法に
反発する者もいたといいます。

痴れ者が… その方ら血迷うたか!

ううっ…!

天命にござる。

室町の世を変えようとした将軍の
無念の最期。

そして この混乱に乗じて
立ち上がったのが あの馬借たちです。

今度こそ 幕府に借金帳消しの徳政令を
出させようとしていました。

一揆じゃ!
一揆じゃ!

数万とも言われる民衆が
都に侵入。

ここじゃ ここじゃ!

さあ 借書を出せ!
そんな ご無体な…。

出さねば 火をつけるぞ!
お… おやめ下さい!

おお!

借書 借書じゃ!

(一同)おお!

徳政じゃ! ハハハッ!

まず 力で借金を帳消しにした後

幕府に
全国的な徳政令を要求しました。

強力なリーダーを失い
混乱状態にあった幕府は

彼らの要求を
のまざるをえませんでした。

こうして幕府は
ついに 徳政令を出します。

これが 2つ目の大事件

「嘉吉の徳政令」です。

やったぞ! 徳政じゃ!

(一同)おお!

この後も 繰り返し出された徳政令。

ただ この時代に生まれた
お金のルールも生き続けました。

そして今 私たちの社会の
基本となっているのです。

嘉吉の徳政令から 26年後
3つ目の大事件が起こります。

ご存じ…

8代将軍・足利義政の下

大名たちの利害が
複雑に絡み合った結果

20万を超える大軍が
11年も戦い続けた

史上空前の
大戦でした。

呉座勇一さんは

この難解な乱を
読み解くカギが

有力大名の一人
畠山義就にあると
いいます。

「応仁の乱」。

戦国の扉を開いたと言われる
大事件です。

応仁の乱のカギを握る男 畠山義就は
当時21歳。

4か国を治める大大名で

幕府のナンバー2
管領になれる家の

当主でもありました。

(半鐘の音)

事の発端は あの土一揆。

義就が 将軍から
その対処を命じられたことにあります。

このころには 毎年のように起こり
米や銭を奪うなど 暴れ回っていました。

何故 かほど多くの
土一揆が起きる?

ただ 村にいては死ぬだけゆえ
一揆を起こすのでござる。

この時 義就は
一揆を鎮圧しませんでした。

ある思惑があったからです。

一揆には 馬借や農民だけでなく

地方の武士なども
数多く参加していました。

義就は
こうした新興勢力を味方につけ

家や幕府を
もり立てようと考えたのです。

ところが…。

義就の動きを 不気味に見守っていた
人物がいました。

時の管領 細川勝元。

畠山家と同じく 管領になれる
細川家の当主で

ライバルの力をそごうと
ねらっていました。

畠山右衛門佐義就 軍を
動かす気配がありませぬ。

一揆どもと戦う気も
ないように見受けまする。

畠山が 兵を出さぬと申すか。

はっ。

ふむ…。

チャンス到来。

勝元は 幕府の権威の下

命令に背いた義就を
畠山家当主の座から追放。

義就のいとこで 扱いやすい
政長を据えました。

勝元に深い恨みを持った 義就。

なんと都を離れ 本拠地の河内国で

地元の武士たちと
幕府に反旗を翻しました。

そして6年。

機会を うかがううち
転機が訪れます。

義就のもとに
ある人物から手紙が届いたのです。

8か国を治める大大名。

細川勝元政権の
転覆をねらって

同盟を
呼びかけてきました。

思いも寄らぬ誘いに 義就は
5, 000の兵を率いて上洛します。

そして 宗全と共に都を占拠。

細川勝元から
実権を奪うことに成功しました。

山名入道め… よくも
このわしを出し抜きおったな!

この屈辱 決して許さぬぞ!

そして 応仁元年5月26日 早朝。

(兵たちのおたけび)

都で 戦が始まりました。 応仁の乱です。

細川勝元と山名宗全という
実力者同士が

ついに 正面から ぶつかったのです。

義就は 急ぎ宗全に味方します。

陣を敷いたのは

京都市中心部を
南北に流れる 堀川の近く。

あっ こんにちは。

今日は
どうぞ よろしくお願いいたします。

こんにちは 山本です。

京都で 戦国時代の遺跡を
数多く発掘してきました。

ご紹介頂く 堀川。
実は 人工の川なんだそうです。

(山本)この堀川を挟んで

東側の細川方 西側の山名方が対峙して

戦いを繰り広げました。

さて この堀川なんですけれども

戦いにあたって どのような役割を
果たしたか お気付きでしょうか?

川ですから… 何でしょう?

敵の侵入を阻んだということでしょうか?

(山本)はい そのとおりなんです。

実は この堀が
両軍の直接の侵入を阻んだ。

お~ 近づいてみると
かなり ありますね。

よいか。 堀川は 我らで死守する。
決して 敵を渡らせるでないぞ!

(家臣たち)おう!

堀川での戦いは
翌日の夜まで続きました。

大軍に囲まれながら
義就は 戦い続けました。

両軍に 大勢の死傷者が出て

倒れた兵で 通りが
埋め尽くされたといいます。

その後 戦いは膠着。
決着は なかなかつきません。

そして5年。
都は荒れ果てていました。

この戦は 一体 いつまで続くのか。

[ 心の声 ]
幕府そのものが のうなってしもては

元も子もないわ。

一方の総大将・山名宗全は
降参を決意。

細川勝元も 和睦に前向きでした。

ところが…。

畠山義就が反対し

和睦は まとまりません。

畠山家の当主の座が

保証されていなかったからです。

やがて 宗全や勝元が死去。

そして 将軍が

義政から 9歳の息子・義尚に
代わった頃。

意外な人物が
乱の収束に乗り出しました。

将軍の母・日野富子です。

富子は 自ら蓄えたお金の力で
大名たちを説得。

すると 多くの大名が
戦から手を引いていきました。

ついに 11年にわたった
応仁の乱が終わったのです。

ところが
畠山義就だけは従いませんでした。

2, 000余りの兵と共に
再び 河内に向かいます。

そして 20日足らずで
国を手中に収めました。

呉座勇一さんは この行動に

日本の歴史における
応仁の乱の意義を見いだします。

独立王国とは 幕府支配の及ばない国。

(義就)えいえい…。
(家臣たち)おう!

応仁の乱を経て
全国に そんな国々が生まれた戦国時代。

応仁の乱 そして畠山義就は

新たな時代の
さきがけでもあったのです。

京都府 南部。

室町から戦国にかけ

何度も 戦乱に巻き込まれた
地域です。

ここに 今も 当時の人々の思いを伝える
場所があります。

室町時代から続く集落で
乱世の面影を残しています。

その一つが 集落を取り囲む堀。
昔の絵図を見てみると…。

確かに 集落の周りに
堀が張り巡らされています。

戦乱から 自分たちの村を守るために
造られました。

こちらは 集落の中心にある井戸。

「狛どんの井戸」と呼ばれています。

「狛どん」とは 「国人」と呼ばれる
地域の中心となった武士

狛氏のことです。

西福寺は その狛どん ゆかりの寺。

(読経)

上狛地区の人々が 今も集います。

お寺には
古い肖像画が伝わっています。

狛 秀綱は 戦国時代の狛氏の当主。
集落の人々を率いて戦いました。

…と考えています。

さまざまな事件が
日本の歴史に大きな影響を与えた

室町時代。

それは 名もなき人々の
生き生きとした姿が

歴史に刻まれた時代でもあったのです。

♬~


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