英雄たちの選択「地方の怒り 都を制圧す!~木曾義仲の野望と挫折~」 本郷和人、加来耕三、宮崎哲弥、磯田道史、杉浦友紀


出典:『英雄たちの選択「地方の怒り 都を制圧す!~木曾義仲の野望と挫折~」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「地方の怒り 都を制圧す!~木曾義仲の野望と挫折~」[字]


源平合戦のさなか、すい星のように登場した天才武将・木曽義仲。倶利伽羅(くりから)峠の戦いで平家の大軍を破り都を制圧する。支えたのは中央に対する地方の怒りだった。


詳細情報

番組内容

木曽義仲の躍進を支えたのは地方から収奪しか行わない都への怒りだった。しかし都を占領した義仲を待ち構えていたのは、大飢饉による食糧不足。配下の義仲軍も略奪をはじめ、たちまち評判を落としてゆく。義仲は後白河法皇から高い官位を得ることで配下の武士たちを統制しようとするが、それこそ都の魔力だった。後白河の巧みな政治力に翻弄され、平家、鎌倉の頼朝と二正面作戦を強いられる。絶体絶命の危機を脱出する術はあるか。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】本郷和人,加来耕三,宮崎哲弥,【語り】松重豊




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英雄たちの選択「地方の怒り 都を制圧す!~木曾義仲の野望と挫折~」
  1. 義仲
  2. 平家
  3. 後白河法皇
  4. 頼朝
  5. 武士
  6. 北陸宮
  7. 朝廷
  8. 北陸
  9. 勢力
  10. 鎌倉勢
  11. 義仲軍
  12. 宮崎
  13. 挙兵
  14. 法皇
  15. 本郷
  16. 後白河
  17. 次期天皇
  18. 選択
  19. 反乱
  20. 意味


『英雄たちの選択「地方の怒り 都を制圧す!~木曾義仲の野望と挫折~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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平安時代末期
日本は 大混乱の中にあった。

権力を握る平家に対し 各地の源氏が挙兵。

合戦に次ぐ合戦が繰り広げられていた。

そして 一人の英雄が登場。

平家の世を ひっくり返すのである。

その男の名は…

信州の山奥で挙兵。

平家軍に
連戦連勝を重ねた…

義仲の名を世に知らしめたのは…

平家の大軍勢を
奇想天外な戦法で壊滅させるや

瞬く間に平家一門を 都から追い落とした。

地方の反乱軍が 都を制圧するという

日本史の隠れた転換点の一つである。

しかし 義仲は
歴史を大きく動かしたにもかかわらず

「平家物語」などの軍記物には

野蛮な田舎者としか描かれていない。

義仲の反乱が大きく広がっていった
その実像を探っていくと…。

見えてきたのは 都中心の政治に対する

地方武士たちの強い反発と

その都の魔力に翻弄される
義仲の姿だった。

そして 義仲の運命を狂わせた
二人の男の影。

上洛から 僅か半年で
非業の最期を遂げることとなる。

義仲が起こした反乱とは 何だったのか?

今回も さまざまな分野の専門家が
鋭く切り込む。

源平争乱の もう一人の主人公 木曾義仲。

歴史の闇に埋もれた男の
知られざる野望と挫折に迫る。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今日は 前回に引き続き
シリーズ「平安の反逆者」をお送りします。

主人公は こちらです。

木曾義仲です。

不敵な笑みを浮かべていますけど
磯田さん

この木曾義仲
どういう人物だと
考えていますか?

まさに武士らしい武士。
強いんですよ。

なんと 反乱軍が地方から都を制圧すると。

これ 最初が
恐らく 義仲ということですよね。

そんな義仲が登場したのが
平安時代の終わりですよね。

都では 平 清盛が後白河法皇を幽閉し

西日本では大飢饉が起こるなど

各地で不穏な空気が
立ち込めていた時代でした。

もう 混沌とした時代です。

当時の公家の日記に…

「まるで 中国の三国志みたいだ」

っていう表現が出てくるんですね。

つまり 都から見たら
義仲の反乱というのは…

何せ あの強い義仲が
都へ入ってくるわけですから。

それでは 木曾義仲が
どうやって歴史の表舞台に登場したのか

ご覧いただきます。

日本屈指の山々に囲まれた 長野県…

木曾義仲は この地で25年間
息を潜めて 隠れ住んでいた。

2歳のころ 父 義賢が
一族間の争いに敗れて 殺され

義仲自身も命を狙われていたからである。

そんな義仲をかくまい 育てたのが

ここ 林昌寺に眠る 信州 木曽の豪族…

なぜ 兼遠は 追われる身だった義仲を
受け入れたのか?

その理由を 林昌寺では
このように語り継いできた。

これが 当山に伝わっております
中原兼遠公に関する記述でございます。

(今井)この子を育てて
世に出すということが

彼にとっての
一つの突破口と
いいますか…。

なんとしても
この義仲を 世に立てること。

切に こう願っているところが
うかがえるんではないかなって。

義仲は 源氏一族の
御曹司の一人で

孤児とはいえ 将来は

源氏の棟梁になっても
おかしくない。

地方豪族の兼遠は
権勢を振るう平家に危機感を抱き

源氏の復権を義仲に託していたという。

平安末期 平家一門への不満は
全国に渦巻いていた。

平 清盛が 富と権力を掌握。

後白河法皇を幽閉し

院政を停止する事態にまで
発展していたのである。

そんな折の…

法皇の三男 以仁王が
各地の源氏勢力に向け

平家追討の命令を発する。

その命を受け 決起した一人が

信濃の木曽谷に暮らす
27歳の武将 義仲だった。

義仲は ここ 旗挙八幡宮で

高らかに挙兵を宣言する。

養父 兼遠は 義仲の挙兵に対し

「そのために あなたを今日まで
お育て申し上げたのです」と

大いに喜んだという。

だが この旗揚げは義仲にとって
一か八かの賭けであった。

共に挙兵したのは
兼遠の子で義仲を主と仰ぐ

兼光 兼平 巴御前ら
数人の家臣と

ほんの僅かな
信濃の武士たち。

大軍を擁する
平家にとっては

取るに足らない
軍勢だったのである。

放て!

ところが 義仲は
まさかの快進撃を見せる。

平家軍との初戦に 見事勝利するや

挙兵から 僅か1か月後には 国境を越え

上野国に進出。

地元の豪族を味方につけ

勢力を拡大しながら北陸へ向かう。

横田河原で 平家方の大軍を

奇襲作戦で打ち破ってからは

北陸の武士までもが 続々と義仲軍に加勢。

雪だるま式に 兵が増えていった。

そんな義仲の快進撃を支えた
理由の一つが

日本在来馬
「木曽馬」といわれている。

険しい山あいで育った木曽馬は

胴長短足で 安定感が抜群。

後ろ足が
「X脚」と呼ばれる
珍しいラインで

悪路でも ふんばりが利くため
機動力にも優れ

特に山岳戦では
無類の強さを
発揮したという。

馬同士が すれ違うときとかでも

よっぽど この馬の気性によっては
それだけでも威圧できたと思いますね。

挙兵から3年。

義仲軍は越中と加賀の国境まで
勢力を伸ばし

北陸を ほぼ手中に
収めかけていた。

ところが…。

国境の倶利伽羅峠には

平家の強大な軍勢が待ち構えていた。

清盛の孫 平 維盛が

膨れ上がる義仲軍を
殲滅するため

都から
進攻してきたのである。

公家 九条兼実の日記によれば

平家軍4万に対し

義仲軍は 僅か5, 000。

勢いだけでは どうにもならない

圧倒的な兵力差であった。

しかし それでも
義仲は圧勝を収める。

一説には 牛の角に

たいまつをつけて
突進させる

「火牛の計」を使ったともいわれるが

4万もの大軍を
いかに壊滅させたのだろうか?

郷土史家で
倶利伽羅峠の戦いを研究する

芝田 悟さんに
合戦現場を案内していただいた。

この道がですね…

(芝田)これは 全く分からない…
訳の分からない道ですから。

倶利伽羅峠は
「源平盛衰記」にも…

…とあるほどの難所。

義仲は こうした細道を
どのように使ったのか?

合戦の全体図を見渡すと

奇策を用いていたことが見えてきた。

そして 平家軍を押し寄せて この…

義仲の作戦は 自身が率いる軍勢で

敵の注意を前方に引きつけ

その間に 残りの兵を ひそかに分散。

周囲から 一斉に
夜襲を仕掛けることで

山の南側に広がる断崖
地獄谷へ

追い込むというものだった。

ここが…

その林のほうから…

私は こう思ってるんですけどね。

この勝利によって

それまで平家に従っていた豪族や
寺社勢力までもが

義仲に味方するようになった。

義仲の勢力が どのように
拡大していったのか

改めて見てみよう。

信濃から上野に勢力を広げた
義仲。

このころ 関東では
頼朝が

ほぼ全域を掌握していた。

その後 義仲は北陸へ進出。

倶利伽羅峠で
勝利を収めたあとは

頼朝をしのぐ広大な地域を

勢力下に収めていたのである。

しかし なぜ
こんなにも勢力を拡大できたのか?

義仲の生涯を研究する
長村祥知さんは

その理由の一つに
大飢饉の影響があったと語る。

当時は 列島の…

そういった中で…

…するような動きは
きっと あったと思うんですね。

そういったものも
京都を支配する平家に対する

反感の要因の一つになったんじゃ
ないかなとは考えられます。

当時 西日本一帯は

干ばつによって農作物の収穫が激減。

地方からの年貢に
頼っていた都では

食糧がなくなり

深刻な事態に
陥っていた。

町は餓死者であふれ
死人を食べる者まで現れたという。

この大飢饉のしわ寄せが
干ばつを免れた北陸にも

厳しい年貢の取り立てとなって
押し寄せる。

自分たちの食糧までも奪われた
地方武士たちの不満は

都を中心とする
朝廷政治への怒りとなって

義仲率いる反乱軍の勢力拡大を
引き起こしていたのだ。

そんな義仲の反乱を
さらに勢いづかせる出来事が

越中の宮崎城で起こる。

平家追討を発した以仁王の
第一皇子 北陸宮が

義仲に保護を求めてきたのである。

実は 以仁王は
義仲の挙兵直前に平家に討たれ

長男の北陸宮にも身の危険が及んでいた。

北陸宮は 都を脱出するが
そのとき頼りにしたのが

北陸で快進撃を見せる
義仲だったのだ。

やはり 義仲の行動を正当化する
すごく大きい存在だっただろうと。

…を手元に置くことになったという意味で
すごく…

飢饉をきっかけに
都への不満を爆発させた地方武士たち。

義仲は 彼らを引き連れ
北陸宮という上洛の大義を掲げ

いよいよ 都を目指すことになる。

というわけで
反乱の快進撃を続ける木曾義仲が

倶利伽羅峠の戦いで

見事に平家軍を打ち破るまでを
ご覧いただきました。

磯田さん 家臣団だけの
小さな決起から始まった義仲軍は

次第に 勢力を どんどん拡大していって
軍自体も大きくなっていきますね。

これはね やっぱり 義仲がね
やっぱり 戦の天才なんですよ。

2倍の敵 破るのも大変なのに
8倍…。

大げさに言ってたとしても
4万という8倍の敵を

5, 000で破ってるわけでしょ。
すごいですよね。

恐らく
まともな武士としての感覚以上のもの…。

外れてたのかもしれませんね。
義経も そうですけれども。

「やあやあ 我こそは」のですね…

ゲリラ戦なんか
見てもそうですけれどね。

そういう発想ができるってことですか?

まあね 「牛の角にたいまつ」は
ないと思いますけれども。

火牛の計。
(本郷)火牛の計。

あれさ おかしくない?
おかしいですよね。

(本郷)おかしいっていうのは
要するにさ

ここに火がついた牛って
どうなるかっていったら

バーベキューになるしかないんですよ。

だから この火牛の計は
さすがに うそなんだろうな。

ぐるぐる回るだけですよね
こんなことをやっても。

そういう話が出てくるほど
奇想天外なことをやったんでしょうね。

だから 牛を使ったかどうかは別として

義仲は 結局 地理を十分に熟知しながら

兵を駆使して

それで 平家の大軍を討ったんだろうなと
思うんですけどね。

で ちょっと こちらを
ご覧いただきたいんですが…。

こちらですね 勢力図ですね。

これは 義仲が挙兵したころの
主な勢力図です。

義仲の勢力範囲は信州

現在の長野県一帯だけでした。

それが 挙兵から およそ3年。

こう変わりました。

義仲は北陸一帯を押さえる
大勢力となって

平家や鎌倉の頼朝を

脅かす存在となるんですよね。

この義仲の勢力拡大の背景

どういうところにあると
思いますか?

「玉葉」っていうのが
一番 当時でいうと

信頼できる史料なんですけど

これに出てくるのが…

つまりは 県庁に勤めている
役人である武士ですね。

それが次々に反乱を起こすっていうのが
出てくるんです。

これは結局…

要するに 反平家っていう形を

とってるわけですけれども
基本的に やっぱり…

まあ 言ってみれば
自立のための戦いというものを

仕掛けていくんだと思うんですよね。

その 彼らの勢力を束ねるということで

義仲は
急速に勢いを拡大したんだと思いますね。

北陸っていうのは…

それは もう 奈良時代
律令の国家のころからそうですよね。

都で食料がないと もう…

そこへ 宮様を擁した義仲がやって来て

「もう都に年貢米 送らなくていいぞ!」
って言ったら

「おう!」って言って味方したっていう
姿かもしれませんね。

宮崎さんは いかがでしょうか?

倶利伽羅峠の前後の図を見ても
分かるように

割拠状態にあるわけですから

不満が… 不満分子というのは

北陸を
中心とする不満分子というのは

誘導しやすい環境にあったと。

なんとか この…

なんとか この勢力を大きくしていって

入洛してしまおうと。

入京してしまおうという
そういうね 勢いで

「ああ これはいけるかもしれないな」と
途中で思ったんじゃないかと。

戦いながら確信を持ったんですね。

そういう意味で言うと北陸っていうのは…

そうなんですね。

さらにですね 背景には
北陸宮の存在もあったようですけれど。

だから やっぱり 戦いに強い…

求心力としては不十分で。

やっぱり 本当の正統性というものが
必要になってくる場合に

北陸宮というのは
非常に重要なものだったと。

要するに戦国時代の武士と

鎌倉時代初め 平安時代終わりの武士は

だいぶ性質が違うんですね。

(本郷)この時代の武士は
どうなのかっていうと

鎌倉幕府 見てると
将軍として皇族将軍を担いできますね。

それを見ると やっぱり この時代…

鎌倉時代初めの武士っていうのは
そういう…

そうなると 北陸宮っていう人が

クローズアップされてくるんだろうな
っていう気はしますね。

後の信長とかの時代とは違う。
違うんですね。

さあ 倶利伽羅峠の戦いで勝利した
義仲は

その勢いに乗り上洛を果たします。

しかし そこには
思いもかけない難問が待っていました。

迫り来る義仲軍を前に
平家一門は安徳天皇を伴って西国へ脱出。

世に言う…

義仲軍が都に入ったのは
その3日後のこと。

人々は 傲慢な平家を追い出してくれた
英雄として歓迎し

平家を駆逐した
日の出の勢いの義仲を

「朝日将軍」と
呼びたたえたという。

朝廷の公家たちも
義仲に強い期待を寄せた。

右大臣 九条兼実の日記
「玉葉」には

こんな言葉が
つづられている。

実は 平家の軍勢がいなくなったことで
都の治安が悪化。

略奪や放火が横行していたのである。

上洛の2日後 朝廷から
都の警備を一任された義仲は

早速 治安回復に乗り出す。

しかし ここで思わぬ事態が起こる。

なんと 義仲軍の武士たちまでもが

狼藉者を鎮めるどころか
略奪を始めたのだ。

大飢饉により 都には

戦を重ねてきた義仲軍を支えるだけの
食糧も物資も残っていなかった。

その略奪の
すさまじさは…

…とまで
いわれたほど。

「平家物語」には
治安回復を懇願する
公家たちに対し

義仲が
何も答えなかったと
描かれている。

期待から一転 義仲は

「田舎人」 「けがらわしい」と

都の人々の評判を

落とすことになってしまった。

一体どうすれば 暴徒と化した武士たちを
従わせることができるのか?

そこで 義仲は朝廷に働きかけ

官位を立て続けに手に入れる。

反乱軍の大将だった自分が

朝廷の権威を帯びることで

指揮権を強化しようとしたのだ。

そして その権威を用い

京周辺で
狼藉を働く武士たちを

取り締まろうとした。

だが それでも
治安が回復することはなく

義仲軍に向けられた
人々の怒りや侮蔑の視線は

強まる一方だった。

さらに 義仲は

都の秩序を揺るがす新たな摩擦を
引き起こしてしまう。

反乱の大義として掲げてきた
以仁王の遺児 北陸宮を

次期天皇に推挙したのである。

「平家との戦いを宣言した

以仁王の血を受け継ぐ北陸宮こそ

新時代の帝にふさわしい」。

一介の武士が皇位に口を挟むのは
異例のことだった。

それに怒ったのが

天皇家の主…

法皇は 義仲に担がれた
北陸宮の擁立に猛反対。

高倉天皇の第四皇子 四宮を
次期天皇に指名した。

義仲と法皇の対立に朝廷は紛糾。

次期天皇にふさわしいのは誰なのか?

公家たちが議論の末にたどりついた
決着の方法は

「占い」だった。

「天が選んだ新たな帝であれば
誰も異論を挟む余地はない」。

そう考えた朝廷の高官たちは

義仲が推す北陸宮と 後白河が推す四宮

さらに 四宮の兄 三宮を加え

神祇官たちによる占いで
次期天皇を決めることとした。

ところが 結果は?

なんと 三宮。

北陸宮でも四宮でもなく

三宮を次期天皇にとの占いが
出てしまった。

神祇官たちから
占いの結果を聞いた法皇は これを拒否。

それどころか
占いのやり直しを命じたのである。

忖度か偶然か

二度目の占いの結果は四宮と出る。

一部始終を知った義仲は憤慨するも

後白河法皇は四宮の即位を譲らない。

このまま 後白河法皇の意を受け入れ

北陸宮の即位を断念するか。

それとも 屈することなく
北陸宮を次期天皇に推し続けるか。

義仲は選択を迫られていた。

いや~ しかし 次の帝を決めるのに

占いが用いられていたんですね。
そうですよね。

そういうものなんでしょうかね?
ええ。

本音は みんな
誰も責任取りたくないんですよ。

今 軍事的に暴力で支配している義仲に
にらまれたくない。

あとで後白河にも恨まれたくない。
う~ん…。

だから 本当だったら 関白だとか
朝廷の幹部が

きっちり 後白河さんと
決めなきゃいけないんですけど

責任取りたくないから
神様のせいにしようとして。

しかも 2回も占いやったあとにね。
意味ないじゃないですか。

もう 意味がない話ですよね ええ。
占い…。

でも そういうもんなんだっていうのが
都なんだっていうのが

分かってない義仲 かわいそうですよ。

まあ それにしても
せっかく都に入ったのに

部下たちが 略奪を繰り返して
評判が どんどん落ちていきますよね。

加来さん これは義仲も困りましたね。
ええ。

戦国時代も上杉謙信や武田信玄が
活躍してるころまでというのは

「兵站」という感覚が
日本人にはないんですね。

…がなかったんですよ。
ええ。

平家もですね…

そこへ入ってきたわけですから
これは無理だと思いますね そもそもが。

VTRでは 義仲は
武士たちの乱暴狼藉を取り締まるために

朝廷から官位を受けて

自分の指揮権の強化を
図ったとありました。

あの… 反乱の相手が朝廷だとすれば

その権威を利用するのは
矛盾したような気もするんですけど

本郷さん いかがですか?

そういうことなんでしょうね。
ただ まあ やっぱり 義仲にしてみると

京都に入ってきちゃった
っていうことになると

もう これは そういう…

要するに 義仲が成功したので
わらわらと…。

例えば 美濃とか尾張辺りの源氏

これも みんな
義仲のグループに入っていくんですよ。

この人たちっていうのは…

魔力ですか?
(本郷)だから 頼朝は

京都には近づかなかったでしょ?
ああ…。

都が難しいことを
小さいころから よく分かってるので

簡単に手 出さないんですよ 頼朝は。
(本郷)そういう意味でいうと

頼朝は ともかく 旗揚げをしたときから

常に文官層っていう…

だけど 義仲のそばに
そういう人たちがいたのかな?

だから 彼が本当にやるべきは…

ですから…

と 同時に やっぱり…

(宮崎)そういうのが結局 後白河法皇に

政治的に翻弄されるという
原因だというふうに思うんですけどね。

それでは 皆さんが義仲なら
どちらを選択するのか

伺っていきたいと思います。

選択1は
後白河法皇の意を受け入れ

北陸宮の即位を断念する。

選択2は 法皇に屈せず
北陸宮を次期天皇に擁立する。

まずは 加来さん お願いします。
(加来)はい。

私は 北陸宮をぜひ 次期天皇に
義仲は担ぐべきだったと思いますね。

どうしてでしょう?

京を制覇しているのは
義仲の勢力ですからね。

で 朝廷の中にも敵ばかりではなく
味方がいるんですね。

だから
全部が敵であったわけではないので。

しかるべき 自分の…

なるほど。 さあ 本郷さんは
どちらの選択をされますか?

僕は1番ですね。
はい。

つまり
このときの天皇っていう存在は…

だから 言ってみれば…

そういうことからすると
生じるデメリット

つまり 後白河と完全に対立する
っていうことをしないで

とりあえずは後白河とうまくやる。 1番。
はい。

宮崎さんは どちらの選択を?
私は2番です。

「北陸宮を次期天皇へ」。
はい。

あの… 老獪なね 政治家である
後白河法皇に

到底かなうことはできない。

ですから 何らかの形で…

そして できるだけ後白河法皇の権力
権威というものを

そぐ必要があったというふうに
私は思います。

2をやる場合は 後白河さんに
こう言わなきゃいけないんですよ。

「あなた 僕は追い詰められています」と。

「前には… 平家と戦わなきゃいけない。

後ろからは頼朝にやられるかもしれない」。

(宮崎)そうそう そうそう!
(本郷)嫌だな。

しかしね そういう発想自身がね

たぶん義仲には なかったんでしょうね。

いい人にはできないですよ。
以仁王に ここまでしてくれたから

その息子さんに
なんとかしてやろうという

恩義からきた感じがしますね。
(宮崎)いい人だな。

だから 政治的に
ものを考えてなかったんじゃないですか?

次期天皇をめぐる占いから数日後の…

新たな帝が位に就いた。

そこに現れたのは

まだ4歳の幼子だった四宮。

後の後鳥羽天皇である。

義仲は…

後白河法皇の意をくんだ
見え透いた占いで

帝を決したことに憤ったものの

今は法皇の意向に従う道を
選んだのである。

朝廷との関係悪化を避けたい義仲は

その後 後白河法皇の命に従い

西国で勢力を回復しつつあった…

瀬戸内での不慣れな水上戦に
悪戦苦闘しながら

法皇への忠誠を
けなげに示し続けていた。

しかし 戦場にいる義仲のもとに

耳を疑うような情報がもたらされる。

それまで
鎌倉で沈黙を保ち続けていた源 頼朝が

弟 義経率いる大軍を
都に向かわせたというのである。

実は この上洛
後白河法皇の差し金だった。

義仲が西国の平家と
瀬戸内で戦っている間に

ひそかに
鎌倉の頼朝と通じ

義仲を
都から追放しようと
画策していたのだ。

後白河にすれば
天皇を決める権限って

それこそ 当時でいったら

後白河にしかないはずの
権限なんですけれども

そこに口を出してきたり

さらに言えば
あまり知られていなんですけれども…

後白河としては…

そんな事情をうかがわせる
後白河法皇の発言が

九条兼実の日記に記されている。

「このたびの
平家都落ちは

頼朝の計画」。

法皇は 平家の都落ちは

義仲ではなく頼朝の功績と捉え

一時は 第一の功労者を

頼朝とすることまで考えていた。

後白河法皇の中で手を結ぶべき相手は
あくまで頼朝であり

義仲ではなかったのである。

平家との苦戦が続く中

後白河法皇と結託し
都に迫りつつある頼朝の勢力。

このとき 義仲は
自分が滅亡の危機にあることを悟った。

果たして 絶体絶命の窮地から脱する
手だてはあるのか?

義仲の心の内に分け入ってみよう。

今 都に戻って 頼朝の鎌倉勢と戦えば

平家も交えた三つどもえの戦いになり
大混乱に陥る。

ならば 今は
後白河の命令どおりに平家と戦い

その陰で
来るべき頼朝との決戦に向け

西国で勢力の拡大を図るという道も
あるかもしれない。

平家を滅ぼしさえすれば

後白河法皇の信頼も
勝ち取ることだってできるだろう。

いや やはり 法皇は信用できない。

ここは鎌倉勢が都に到着するまでに

後白河法皇から
政権を奪うべきではないか?

政権さえ奪えれば

新たに即位した帝の権威を使って
官軍を派遣し

鎌倉勢に対抗できる。

頼朝を天皇に反逆する朝敵に
仕立て上げればよいのだ。

ただ 問題は 都に戻れば

西国の平家と東国の頼朝

両勢力を
同時に相手にしなければならないことだ。

東西に戦力を分散した状態で

つわものぞろいの東国武士に
勝てるだろうか?

共に平家打倒に立ち上がってくれた
北陸や京の武士たちが

源氏同士の戦いに
手を貸してくれるかどうかも分からない。

ここは 一時的に平家と手を結び

一刻も早く
鎌倉勢を返り討ちにすべきではないか?

しかし それでは
何のために木曽で挙兵し

ここまで戦い続けてきたのか
分からなくなる。

選ぶべき道はどれなのか?

義仲に決断の時が近づいていた。

義仲は 北陸宮の即位を断念して

後白河法皇の意に沿う道を
選びましたけれど

そうしたことで 一気に
窮地に立たされていったんですね

磯田さん。
後白河法皇は なかなか

「天狗」というふうに 史料にも
書かれてるぐらいの人ですから

源氏同士を競わせて。
で どっちかっていうと

力点を頼朝に置き始めますよね。
う~ん。

たまったもんじゃないですよね
義仲にしてみればね。
確かに。

そして 後白河法皇の画策により
頼朝の鎌倉勢が上洛の動きを見せます。

皆さんが義仲なら どれを選択するのか?

今回は3つ 選択肢があります。

加来さん。
はい。

私は 平家と結んで
鎌倉勢を撃退するという

3番を取りたいと思います。

彼の一番かわいそうなのは…

この状況を とにかく解決することが

何よりでしょうから そのうえで

次の方法を考えるべきだと思いますね。

宮崎さんは どれを選びますか?

平家と結び

鎌倉勢を撃退するしかないかなと。

これが 木曾義仲に
できたかどうかは ともかくとして

これしか打開の道はないんじゃないかな
というふうに思いますね。

もう これしかない。
ええ。

場合によっては 奥州藤原氏とも結んで
頼朝を攻略にいくと。

そういうことしか 彼が生き延びる道は
なかったんじゃないかなと思いますね。

お二人は3を選びました。
本郷さんは どの選択を…。

僕は 1番ですかね。

義仲の 何ていうのかな…

ということになると

平家と戦って
勝つことによって 信用を回復する。

西国を掌握して
また新しい根拠を築きながら

さっき 宮崎さんが言われた
僕はね 奥州藤原氏だと思うんですね。

それが 結構大きなファクターで…

つまり 二正面作戦が
頼朝にも言えるわけですね。

しかし どうですかね。
実際 藤原 動きましたかね?

あそこは もう
王国として出来上がってて

出て行く意思が
そもそもなかったように思いますけどね。

その可能性もありますけど

頼朝は 非常に
奥州藤原氏を警戒してますよね。

それは やっぱり 軍事的な意味というのが
大きかったので

私は…

さあ 磯田さんは?
皆さんの意見を聞いて。

僕は 2ですね。
2 はい。

平家と結ぶにしても 要するに

「平家を討て」って言ってるのは
後白河法皇ですから

2で 後白河法皇から
一旦 政権を奪わないと…

それで今度は 奥州藤原氏と結んで

関東の中では 茨城の佐竹辺りに

「一緒に頼朝を攻めよう」って
言っておいて

頼朝を潰しておいてから それから

次は平家から 政権を返す刀で
奪還していくと。

そのうえで 北陸宮というのも
あるかなという気がして…。

(宮崎)何か そちらのほうが
順路としては

いいような気がしますけどね。
でも 自分で言っときながら

2やっても やっぱり
あんまり成功しなさそうな

無理な構想な気がしますね。

難しいですね。
やはり 窮地に立たされてますね。

さあ それでは 義仲の選択
ご覧いただきましょう。

鎌倉勢の上洛を聞いた義仲は
すぐさま行動を起こす。

後白河法皇の命に背いて
平家との戦いを放棄。

軍勢を引き連れて都へ戻るや
迫り来る鎌倉勢との決戦を主張し

朝廷の高官や有力寺院などに

協力を依頼した。

だが 都の治安回復すら
実現できなかった義仲に

協力する者はいなかった。

さらに 後白河法皇からは
「義経軍の入京を認め

軍勢を引き連れて
再び平家追討へ向かえ」と

義仲を都から遠ざけるかのような命令が
たびたび届いた。

「ならば…」。

義仲は決断する。

義仲は ついに実力行使に踏み切る。

後白河法皇と後鳥羽天皇が暮らす御所
法住寺に兵を率いて攻め入ったのである。

法住寺一帯は 瞬く間に火の海となり

襲撃から4時間後には勝敗が決着。

義仲は法皇を捕らえ 幽閉する。

武士が みずからの判断で
上皇と天皇を襲撃するのは

日本史上 義仲が初めてのことだった。

クーデターを成功させた義仲は

法皇の息のかかった公家や武士を
朝廷から追放。

みずからは
幽閉している後白河法皇に迫り

頼朝 義経ら 東国武士たちを鎮圧する

征東大将軍に任命される。

しかし 朝廷に反旗を翻しておきながら

その権威だけは利用するというのは
道理が通らない。

都の近隣に勢力を張る武士たちは
鎌倉側に寝返り

北陸で加勢した軍勢も離散。

結局 義仲のもとに残ったのは

最初に木曽で挙兵した 僅かな手勢だった。

伊勢で都の政情を静観していた
源 義経が ついに動く。

義仲軍は 宇治川で
義経軍2万5, 000騎を迎え撃つも

その軍勢は 僅か300騎にすぎなかったと
いわれている。

もはや勝負は見えていた。

義仲軍は壊滅。

義仲自身も
僅かな兵を率いて敗走する。

本拠地 北陸へ向かうため

都の北 長坂口を目指すはずだった。

ところが なぜか義仲は
途中で きびすを返し

鎌倉勢が押し寄せる
琵琶湖の南端

大津の打出浜へ向かう。

そこでは 木曽時代からの家臣にして
幼なじみだった今井兼平が

義仲を逃がそうと戦っていた。

再会した義仲と兼平は たった2騎で逃亡。

しかし 後ろからは追っ手が迫っていた。

もはや逃げきることはできない。

兼平は 義仲に名誉の自害を勧めたあと
たった一騎で敵中に飛び込んでいった。

義仲は 琵琶湖畔の松原で自害を決意。
ところが

馬が泥にはまって身動きが取れない。

その一瞬 義仲の額に矢が突き立った。

敵の歓声を聞いた兼平も
太刀の切っ先を口に含むと

そのまま馬から飛び降り 命を絶った。

時に 義仲 31歳。

最後まで付き従ったのは

故郷 木曽の仲間だけだった。

というわけで 義仲は
後白河法皇に反旗を翻し

一時は朝廷を掌握したものの
長くは続かず

上洛してきた 源 義経率いる
鎌倉勢の前に敗れ去りました。

磯田さん 最後は後白河法皇に
刃を向けた義仲でしたけれど。

そうですね。
クーデターを起こしても

権威も正統でないと見たら
さっさと散っていくっていうのが

この時代の武士の姿ですよね。
ああ…。

もっと早くに それだったら

後白河法皇を
なんとか攻略しなければいけなかった。

この段階で やってしまう
というところがね…

(加来)おっしゃってた
その文官のなさみたいな部分も

あるんですかね。
そう そう そう。

(加来)基本的には…

(宮崎)革命っていうのが…
まあ 反乱でもいいですけれど

成り立つのには…

頼朝側にはね

この段階では 義経がいるわけですよ。

これは この時代の
義仲と並ぶ軍事的天才ですから。

僕は北陸宮を
それこそ いただいて

それで 京都の…

そういうやつを連れて 北陸へ落ちて
もう一回。

それこそ 南北朝に近いようなですね
第三勢力としてのですね 地位を持って

しばらくおれたらですね
また状況が大きく変わりますからね。

この義仲って 自分がやれることと
やれないことの自己分析が

やっぱり ちょっと
足りなかったと思うんですよ。

まず 何がやりたいかって…

都に一緒にいるんじゃ無理ですよ。
なぜかというと

このときの やっぱり
キーマンは後白河法皇で

もう一回 平家と同じようなものが
現れることが とにかく嫌なんですよ。

ゲームプランを 例えば 交渉であれ
戦であれ 持つべきなんですよ。

ところが この人には…

やっぱり 勢いと…

ゲームプランのなさというのが

結局最後まで
この人の滅亡というものに…

滅亡に導いていったんじゃないか
というふうに思いますね。

でも なんで ゲームプランが
なかったんですかね?

あまりにも急激に膨張して
急激に京都へ入りましたからね。

本当に僅かな期間しか
活躍をしていなかったんで

あまりにも… そういった意味では

生き急ぎ過ぎたというところが
あるのかもしれないですよね。

何か 義仲って 長生き自体
したかったのかどうかと思うこともある。

最後の死に方を見ても

親友の今井四郎兼平と
俺は一緒に死ぬぞって言ったら

本当に一人だけ置いて逃げずに

2人の… そこを走っていくんですよね。

むしろ 政治っていうよりは…

青春って感じですね もうね。
そうそう…

本郷さん この義仲の反乱は

そのあとの歴史には
どのように影響があったと考えますか?

本当に あそこで 義仲が
北陸で がっちりと動かなかったら

もう みんな 八方… 何ていうの?

本当に なんか 三すくみ みたいな。

奥州藤原氏 入れると
四すくみぐらいになって…

(宮崎)時代のこう着状態になってた
可能性が高いですね。

戦には めっぽう強い武辺者が

京都を制圧したということの
意味というのは大きかった。

まさに 本当の軍事貴族ではなくて

本当の意味での 武士の時代というものを
扉を蹴破るようにして

開いていったのではないかという
気はしますけどね。

…っていうのを ちょっと思ってて。
はい。

つまり 義仲が倒れたのを見て…
見てるんですよ 後ろで 頼朝は。

で 義経も倒れますよね。

同じことは… 信長が何やったら駄目かを
家康は見ていて

秀吉が何やったら駄目かを見ていて

3人目の男の家康がとると。

日本という社会は やっぱり
古い構造の上に立ってるので…

半歩だけ進んだ…

…っていうのも この日本社会の構造かな
という気もしましたね。

なるほど。
ええ。

(本郷)義仲は…

そうです そうです…。
最初に飛び込むファーストペンギン。

そういう彼の生き方っていうのは

結局 後に 例えば…

そう そう そう…。

松尾芭蕉は自分が亡くなったら
義仲の隣に葬ってくれっていう形で

今 義仲寺に
お墓あるわけですからね。

やっぱり
したたかさが足りないところが

いとおしいとこなんですよ。

いとおしいんだ。
僕 友達になりたいんですよ すごいね。

(宮崎)
一緒に酒を飲むのはいいかもしれない。

いいかもしれない。
でも 家来にはなりたくない。

さあ 今日は皆さん
どうも ありがとうございました。

(一同)ありがとうございました。

義仲が鎌倉勢に討たれた…

1月20日 義仲の命日には

毎年 義仲を愛する人たちが
全国から義仲寺に集まり

供養を行っている。

義仲の故郷
木曽の情景を歌った民謡…

実は「木曽節」は義仲を弔うために
作られたもので

昔は歌詞が違ったと
義仲の子孫 木曾義明さんは語る。

初めね どうも…

ところが…

無念の死から830年余り。

義仲を弔う「木曽節」は
今なお 歌い継がれている。

〽 とこしえに ヨイヨイヨイ

史上最大のスパイ事件が
発覚しました。


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