ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 杉山清貴×小松靖 今語る…オメガトライブ“解散の真相”に意外な事実が!…


出典:『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 杉山清貴×小松靖』の番組情報(EPGから引用)


[字]ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 杉山清貴×小松靖


デビュー35年、今語る…オメガトライブ“解散の真相”に意外な事実が!自身のギターを奏でながら往年の名曲、あのハイトーンボイスも生披露。杉山清貴の素顔が明らかに…。


詳細情報

番組内容

1959年、神奈川県横浜市生まれ。小学5年生のときザ・ビートルズの「レット・イット・ビー」に衝撃を受ける。高校卒業後、のちに杉山清貴&オメガトライブとなるバンド「きゅうてぃぱんちょす」を結成。1983年、唐珍化&林哲司が手掛けた曲「SUMMER SUSPICION」でデビュー。作り手のイメージ通りに歌うことに必死だったという当時を振り返るほか、事務所が打ち出したイメージ戦略などについても赤裸々に語る。

番組内容2

杉山清貴&オメガトライブは、人気絶頂の1985年に突如解散。解散の舞台裏、メンバーとの話し合いを、杉山が自身の言葉で語る。解散後も、ソロ活動で80年代のミュージックシーンをリードし続けた杉山。当時のままの透き通った歌声も披露する。

昨年、杉山とオメガトライブのメンバーが久々に集まり、デビュー35周年の再結成ライブを行った。そして今年はライブツアーを敢行中。再結成したメンバーへの思い、そして今後の夢とは?

出演者

【ゲスト】杉山清貴(シンガーソングライター)

【インタビュアー】小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

次回放送予定

次回3月2日(土)は、元マラソン選手の有森裕子に、テレビ朝日スポーツコメンテーターの宮嶋泰子が迫る!お楽しみに!

番組概要

様々なジャンルで時代を切り開いてきたトップランナーたち。彼らはどのようにして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?人間洞察のプロのインタビュアーによって、知られざる「裸の履歴書」が明かされる!!

番組ホームページ

<番組ホームページはこちら!>

www.bs-asahi.co.jp/interview/

制作

BS朝日、ViViA



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ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 杉山清貴×小松靖 今語る…
  1. 本当
  2. 解散
  3. オメガトライブ
  4. 子供
  5. 自分
  6. 杉山
  7. デビュー
  8. 多分
  9. 杉山清貴
  10. 音楽
  11. イメージ
  12. ソロ
  13. ハハハハ
  14. メンバー
  15. サングラス
  16. 歌詞
  17. 今年
  18. 出来
  19. バンド
  20. ライブ


『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 杉山清貴×小松靖』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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横浜港からすぐ近くの
ある場所で

今日は
お話を伺う事になっています。

あっ ありました。

「Bar Star Dust」。

歴史を感じる
門構えですけれども…。

入ってみたいと思います。

失礼します。
小松と申します。 はじめまして。

よろしくお願い致します。
杉山です。 お待ちしてました。

杉山清貴さんです。
よろしくお願い致します。

いやあ こちらは

バー スターダストっていうふうに
看板ありましたけども…。

もう 横浜では老舗のバーですね。

僕なんか 本当に
子供の頃からあるバーで…。

結構 いろんなドラマとかでも
使われてますし…。

横浜の人は ほとんど知ってるん
じゃないかなと思います。

あっ そうですか。
はい。

〈バー スターダストの
オープンは1954年〉

〈サザンオールスターズをはじめ

多くの著名人に愛された事から

「伝説のバー」と呼ばれている〉

杉山さんご自身は
どれくらい前からいらして…?

アマチュアの時

大体 バンドメンバーが
この界隈 住んでたので

ライブ終わると… まあ そんな
しょっちゅうは来ないですけども

なかなか敷居の高い
お店でしたんで 当時から。

だから まあ 小僧は なかなか
入りにくかったんですけどもね。

まあ 大体 お酒が飲める年齢に
なってからは

ちょくちょくと来て。
で デビューしてからも

ちょくちょくと
端っこで飲んだりとかして…。

へえ~。
はい。

最近お出しになったアルバムにも
なんか 写真が…。

あっ ジャケットが もう

このカウンター まさに
使わせて頂いてるんです。

僕のその今回のアルバムの
コンセプトが

「古き良き横浜」っていうのが
テーマだったので

はい もう
「ぜひ こちらで」という事で。

いや~ じゃあ ちょっと

思い出の場所で いろいろ
お話を聞かせてください。

よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。

♬~

〈シンガーソングライター
杉山清貴〉

〈今年 還暦を迎える〉

〈スーツにサングラス
徹底したイメージ戦略で

ヒットを連発する〉

〈レコードジャケットに
風景写真を使い

歌う曲もスタイリッシュ〉

〈ファッショナブルな80年代を
象徴するグループだったと

いっていい〉

〈だが 人気絶頂の時に
突如 解散〉

〈活動期間は3年足らずだった〉

♬~「さよなら... オーシャン
愛の海」

〈すると 杉山は 休む事なく
ソロとして再始動〉

〈ヒット曲を量産
さらに 輝きを帯びていく〉

♬~「I CAN BELIEVE...
“TENDERNESS" 目を伏せた」

〈歌への意欲は
いささかも衰えない〉

〈年間90本をこなすライブが
その証しだ〉

〈歌声に満ちた半生に

人生を楽しむヒントが
隠されている〉

♬~

♬~

♬~

当時の事務所のプロデューサーが
僕らを呼んで

「これから
取材とかが増えると思う」と。

って時に 「オメガの皆さん

今朝 何食べてきました?」って
言われたら いくら…。

ハハハハ…。
ハハハハ…。

だって
イメージ 壊せないですもんね。

はい。 だから 飲み物も

♬~「その日から僕には
夜は来ないだろう」

♬~「果てしない」

これは 実は

でも 翌年の春まで ずっと
ツアーが組まれてたんですけど…。

だから 「お前ら ツアーがある」と。

「いやいや もう 僕ら 年内で
解散するって決めましたから」。

♬~「今年も また きっと会える」

♬~「I WANNA HOLD YOU AGAIN」

♬~「君の涙が かわく所は
僕の腕の中」

♬~「いまでも」

あれですね 杉山さん…。
はい。

今日は
サングラスじゃないんですか?

サングラスね 最近
あんまり 意識しないですね。

あっ そうですか。
はい。 特に 人とお会いする時は

目が見えたほうがいいかなと
思いまして…。 ハハハ…。

やっぱり サングラスのイメージ
ちょっと強いです。

そうですね。 でも デビューした頃は
掛けてなかったんです。

あっ そうなんですか?
はい。 デビューして1年…

だから 本当に 2年目ぐらいに
掛けだしたんですよ。

すぐ掛けなかった理由は
あるんですか?

いや… 特に 最初は
何もなく 普通に すっぴんで…。

すっぴんじゃない。
素顔で出てまして…。

で まあ ある時…
これ 85年なんですけども

ある歌番組に出る時に
生放送だったんですけど

メイク室で メイクさんに

「杉山さん 目の下のクマが
何やっても取れないんですけど

これ
サングラスかなんか持ってたら

掛けてってもらっていいですか?」
って言われたんです。

で たまたま持ってきてた
サングラスを掛けたんです。

なぜ 目の下のクマかっていうと
朝まで飲んでたんですね。

あっ なるほど。 もう
メイクでも隠しきれないぐらい?

「もう無理です」って言われて…。

「なんか腫れぼったいです」
って言われて…。

それで掛けたら…
特に テレビとか出る時って

新曲を歌うわけですよ。
頭の中に歌詞を… もう

こんな うねってるわけですよね
新曲の歌詞が。

それを歌う時に スタジオの中に
モニターがあって

モニターには
オンエア用の歌詞が出るんです。

で サングラスをしてると
それを見ながら歌える

っていう利点に
気が付きまして…。

あっ 目の動きが読まれないから?
読まれないから はい。

それで あっ これは…
サングラスはいいわと思って

それから
サングラスなんです。

杉山さんご自身は
ソロデビューから 今年で33年…。

33年ですね はい。
って事ですもんね。

今年が還暦なんですか?

はい 今年 誕生日が来て還暦です。

いや… お若いですよね!

って言われますけど 多分 みんな
そうですね 音楽やってる人。

僕の先輩なんかは みんな
とっくに 還暦になってますけど

若いなと思いますもん。

音楽やってる人は
そうなんですか?

多分…。

好きな事やってる?
はい 好きな事やってます みんな。

中学の1年で
僕 ギター始めたんですよね。

それまで 小学校の5年の時に
友達のお兄さんの影響で

洋楽を聴くようになって

で 中学1年でギターを手にし

そこから 何も変わって
いないんですよね 生活が。

本当に デビューした…

それで
いろんな事もありましたけど

でも…。

もう 趣味が
ず~っと続いている。

だから 幸せですよね。

〈警察官の父は 実直な人だった〉

〈母親は 三味線の師匠〉

〈芸事にたけ
唄と踊りも教えていた〉

もう 子供の頃から 家に
お弟子さんが出はいりしていて

「お師匠さん お師匠さん」
って言われていて…。

僕も 子供の頃…。

だから
その芸能みたいな事については

そんなに なんだろうな…
理解はありましたよね

ある意味。
あっ そうですか。

で 父親は まあ カチカチの警察官
だったんですけども

奥さんが そんな人ですから

別に 音楽に対してどうの
ってのは なかったですけど…。

お父様 警察官だったんですね。
警察官なんです。 ハハハ…。

厳しかったですか?

いや 意外に
厳しかったかなと思うと

そうでもないですね。

まあ 大体… 小学校の頃

通信簿 持ってね
親に見せるわけですよ。

で お父さん 帰ってくるのを
こう 正座をして待って

「通信簿です」っつって
「ああ 勉強してねえな」って

ひと言 言われるのが
怖いみたいな…。 そのぐらいです。

あとは もう そんなに怒られた
記憶もないですし

優しかったですし…。
まあ 自身が もう本当に

上へ上へ行くために
勉強をずっとしてた人なんで

なんか その姿は見てて

「ああ 俺には出来ないな」
って思いましたけどね。

お父様 お母様から それぞれ…

今 自分の中にあるもので
これは受け継いでるな

っていうものって
感じたりするんですか?

いや 多分
かなりあると思いますね。

だから その… まあ 音楽というか
そういうものに関しては

もう おふくろのは かなり
受け継いでるものもありますし…。

う~ん… あと なんか

こうって決めたら
そこへ突き進むっていうのは

親父の魂があるんじゃないかなと
思います。

最初の 音楽との出会い
っていう事でいうと

一番初めっていうのは
なんだったんですか?

やっぱり 自分で… 自ら お金を
出して レコードを買ったのは

小学校5年生の時ですね。

それまでは 僕 本当に
『ウルトラマン』のソノシートとか

そういうアニメソングばっかり
聴いてた子供だったんですけど…。

で たまたま
その 同級生が近所に住んでて

よく遊びに行ってると
洋楽がかかってるんです。

で BEATLESが
かかっていて…。

まあ もちろん ビートルズなんか
知らないんですよ。

なんか かっこいいなと思って…

で 聞いたら 「これ 兄貴のやつで

いいんだよ ビートルズ」
って言って

レコードを貸してくれたんです。

で 家で じっくり聴いてから

なんか もう ビーッと走って
「これは かっこいい!」って。

それから もう…。

しかも もう 好きになった頃は

解散だったんですね
ビートルズが。

だから 過去の作品をどんどん
買いあさっていくわけですよね

お年玉 全部はたいて。

〈小学5年の時
初めて聴いたビートルズが

歌手 杉山清貴の原点だ〉

〈とりわけ 衝撃を受けたのが
『LET IT BE』〉

〈自分で描いた絵を
部屋に飾るほど

4人の音楽に夢中になった〉

あれですか… どのメンバーがとか
あるんですか?

僕は ジョージ・ハリスンが
大好きで…。

なんか まあ そのルックスの
クールなかっこよさもありながら

世界で初めて
チャリティーコンサートを

やった人なんですよね。
あっ そうなんですか?

バングラデシュの難民のために…
子供たちのために

なんとかしてやろうっつって
仲間のミュージシャン集めて

初めて チャリティーコンサート
っていうのをやって…。

そういう なんか…
ミュージシャンってかっこいい

こんな事も出来ちゃうんだ

っていうような憧れが
あったりとか…。

そういう もう いろんなものが

なんか 自分の体に入り込んでくる
っていうか

音楽以外の生き方とか
考え方とか…。

ジョン・レノンは 平和について
こんな事 言ってるんだ

かっこいいなとかね。

それで 実際 始めたんですか?
ご自身も。

やっぱり ギター持って
中学1年で 仲間内に声かけて…

ギター出来る連中 声かけて

中1の文化祭で ビートルズの
コピーバンドやりました。

どうでした? 最初。
いやいや もう楽しかったですよ。

全然なんか… もう 本当に…。

しかも ドラムとかって 別に
やった事ない奴なんですけど…。

ドラムセットもないんですよ。
で それを音楽室に行って

大太鼓とか小太鼓とかを
借りてきて

適当に なんか
椅子の上にのっけたりとかして…。

で やったりとかね。

文化祭で何曲やったんだろうな?
ビートルズの曲。

6~7曲 やったんだと
思うんですけど…。

で 終わって
なんか すごく みんなに

「よかった よかった」
って言ってもらえて

英語の先生から…。

とかって 褒められたりとかね。

ますます
有頂天になってしまって

これ ライブも楽しいなって…。
それから ますます ライブ…

バンド作ったりとかっていうのに
はまっていくっていう感じ。

〈高校卒業後は進学せず

ライブハウスでバイトを始め
家も出た〉

〈「好きな事をやるなら
自活しろ」〉

〈父親の言葉に従ったのだ〉

〈ほどなく バンドを結成〉

〈のちの
杉山清貴&オメガトライブだ〉

ここから どのように

その杉山清貴&オメガトライブに
なっていく…?

ここが… 混沌とした

ちょっとした時代
あったんですけど…。

ライブハウスでやってても
どんどん年齢はいくわけですよね。

20 21 22…。
そうですね。

で 実は 親父に

「とりあえず
明日から 家出ていいよ」と。

「好きな事やるんだったら出ろ」
って言われた時に

「ただな 大学に行ったと
俺は思って やってるから

ある程度の…」。

って言われたんですよ。

「デビューが出来るとか
そういう話がなかったら

1回 戻ってこい」と。
あ~。

って言われてて だんだん
その期日が近づいてきて

やばいな やばいなと
思いながら…

っていった時に…
もう本当に ぎりぎりの時に

そのライブハウスとか

コンテストを見に来てくれてた
ある方が

デビューの話を持ってきてくれて
「やった!」みたいな…。

そこで初めて…。

もう 4年っていう期限の
どれぐらいまでいったんですか?

もう 本当 数カ月です。

はあ~。
はい。 あと数カ月で

もう やばい
家帰んなきゃみたいなね。

どっか 就職させられんのかな
とか思いながら…。

っていったら もう 話が来た。

「おっ もう なんでもやります」
みたいな感じで。

で 向こうは向こうで
「いや もう お前たちのオリジナルは

もう 1回捨ててもらって
バンド名も変えて

ただ 同じメンバーで

こっちが楽曲を提供するから
それをやるんでもいいか?」って。

「いや いいです いいです」
みたいな。

「デビュー出来るなら いいです」
っていう

まあ 軽い…
そこまで軽くないですけども

まあ 一応は
メンバーの中で話し合って

「…でもいいか?」って。

「じゃあ それでいこう」
っていう話になりましたね。

〈1983年

アマチュア時代の
バンド名を改め

杉山清貴&オメガトライブで

デビューする〉

〈曲を手がけたのは

康珍化 林哲司の
ゴールデンコンビ〉

♬~「もしも」

〈丁寧に紡がれた
叙情的な歌詞と

洗練されたサウンドは

瞬く間にヒットチャートを
駆け上がる〉

〈与えられた楽曲の世界を
壊さぬよう

売れてゆくほど
表現者に徹したそうだ〉

〈作り手のイメージどおり

忠実に歌おうと必死だった〉

♬~「流さないでいたね」

まあ 僕は 歌を歌う時に

やっぱり すごい
歌詞って大事に…。

洋楽好きなんですけど

日本語の
やっぱ 歌詞も とても好きなので

やっぱり 歌詞を大事に歌いたいな
っていうところから

それこそ
世界をイメージして歌うとか

シチュエーションを
イメージするとか。

なんとか努力して

伝えよう 伝えようっていう
思いがあったので…。

そういうのも なんか…

うん 少しぐらい
伝わったのかなと思います。

それ 実際
そのパフォーマンスする上で

言葉を大事にするイメージを
膨らませる作業っていうのは

相当 苦心されたんですか?

もう レコーディングの時から

プロデューサーが 結構…

表現… ニュアンスって
ものすごく厳しい人で。

極端な事 言うと

1日で ボーカル録り
終わらないんですよ。

ええ。
それも

この歌詞の伝え方が違うとかね。

例えば 「この水がおいしい」
っていう歌詞があったとしたら

「お前 どこまで
おいしいと思って歌ってる?」

…ぐらい
ツッコんでもらえるんですよ。

「いや そんな事
考えてないですよ」

っていうところの
葛藤から始まったりとかするんで。

だから もう…
「この水がおいしい」っていう

どの気持ちで伝えるか
っていうのは…

当時は 何 面倒くさい事
言ってんのかなと思いながらも

だんだん こう 経験していくと

あっ あの時 この表現方法を
覚えておいてよかったな

っていうような事は
たくさんあります 今になると。

〈都会的とも形容された
バンドの成功は

事務所が
打ち出した

イメージ戦略による
ところが大きい〉

にも狙いがあった〉

本当に 美しい…
アルバムジャケットで。

で 絶対
本人たちが登場してないんです。

そうなんですよね。
はい。

これが悔しくてね。 ハハハハ…。

なんで 俺たちは ダメなんだって
まあ 思わなかったです。

もう なんか ああ 俺たちじゃあな
イメージ違うもんなっていう…。

でも そこも やっぱり
意味あるんですか?

そこが やっぱり 戦略ですね。

当時ね 多分 僕らも いわゆる
輸入盤屋さんっていうのがあって

買いに行くわけですよ。
はい。

こういうジャケットが
結構 多くって。

買って… ああ いいなと思って
買って 家帰ると

ペラッて剥がれるんですね。

中から すんごいアーティストの
アップの顔が出てきたりとか。

で 元が そういうジャケット
なんだけど 日本で売る時には

イメージ写真だと
売れたっていう時代が

多分あったんですね。
それを 多分

そのまま使ってるんじゃ
ないかなと思います。

そうすると 日本人が持ってる

まあ 海の向こうからやって来た
音楽に

やっぱり 寄せていった…。
多分そうだと思います。

面白いですね。
はい。

でも やっぱり オメガトライブ
このイメージですよね?

そうなんですよね。
これ 全員の…。

ハハハハ…。
ハハハハ…。

デビューした頃に

まあ よく
笑い話でするんですけども

当時の事務所のプロデューサーが
僕らを呼んで

「これから
取材とか増えると思う」と。

…って時に 「オメガの皆さん

今朝 何食べてきました?」って
言われたら

いくら目刺しと味噌汁でも

「カフェオレとクロワッサンですって言え」って
言われたんです。

ハハハハ…。
ハハハハ…。 あっ なるほど。

そう答えなさいって?
そう答えろと。

「そのぐらいの気合でいろ」
っていう…。 ハハハハ…。

で 本当は
何 召し上がってたんですか?

もう 目刺しと味噌汁ですよね
本当に。

だって イメージ
壊せないですもんね。

はい。
だから 飲み物も…。

そこまで
指導 入るんですね。

まあ 一応 「そのぐらいの気持ちで
答えろよ」ぐらいな…。

「そういう世界なんだ
お前たちがやってるのは」

っていう事だと思います。

うん 「変だな。
俺たち 違うのにな」っていう…。

俺たち 違うのにな
っていう思いって

すごくあったんですね。

だから イメージが どんどん
先行していくわけですよね。

まあ 全部ね 素晴らしい作品。

ファンの皆さんの中にも
記憶として残ってると思いますが

杉山さんご自身は

印象に残ってる曲とかって
あるんですか?

まあ やっぱ
『SUMMER SUSPICION』と

この3枚目のシングルの
『君のハートはマリンブルー』は

僕は大好きですね。

一番長く歌ってるかな。

ソロになっても
ずっと歌ってますし。

あっ そうですか。
はい。

こう メロディーが もう

よく こんなメロディーが
出来てるなっていう。

ちょっと 切ない曲調で ねっ?

はい そうですね。

スタッフはですね 杉山さんに

歌ってもらおうという準備を
もう 勝手に始めてるかのような。

なんか そういう においが
プンプンしてきてますけども。

いいんですか?
そんな事お願いしても。

あっ じゃあ はい。
本当ですか!?

大丈夫です。
うわっ 嬉しい。

ありがとうございます。
じゃあ…。

これ 自分のギター
持ってきちゃいましたね。

あっ これ 杉山さんのギター?
はい。

うわ~。
じゃあ まず…。

♬~(ギター)

『君のハートはマリン』のさわりを。

お願いします。

こんな感じで。
(拍手)

ありがとうございます。
ありがとうございます。

いえいえ。

やっぱり いいですね。

いい曲ですね。

曲も もちろん
素晴らしいですけれども

杉山さんの その声に
聴き入ってしまいまして。

ありがとうございます。
さわりと言いながら

ワンコーラスやってしまいました。
いや 嬉しいです。

むしろ ありがとうございます。

〈杉山清貴とオメガトライブは

1985年に 突如 解散する〉

〈2年8カ月という
短い活動期間で

50曲以上を発表しながらも

その心は満たされていなかった〉

杉山清貴&オメガトライブ
っていうのは

本当に 人気の絶頂でと
言っていいと思いますけども

突然 解散という事になりまして。

要は そのオメガトライブって
プロジェクトチームで。

で まあ 楽曲は提供して頂いて。

で まあ もちろん
ヒットチャートも入って

人気も出てるんですけど。

やっぱり なんていうんだろう…。

結局 まあ
頂いてる楽曲なわけですよね。

で これ
自分たちの楽曲で出てたら

もうちょっと頑張ろう
もうちょっと頑張ろう

ってなるんですけど。

別に
曲がいい 悪いとかじゃなくて

例えば これ

曲が売れなくなったら
どうしようって。

自分たちで書いてるんであったら

まあ その次の作品…
次の作品で 自分たちで

こう いろいろ考える事が
出来るけど

そこに 自分たちが
置いていかれてしまったら

どうなっちゃうのかなっていう
ちょっと 不安もありながら。

まあ 最初はね

「デビューして売れたら
好きな事が出来るよ」って

周りから言われたんですけど。

売れたら もっと出来ないんですよ
好きな事がね。

う~ん。
これに気付いて

曲を頂いて 頂いて
途中で どっかで

自分たちのオリジナルに
切り替わるんじゃないかとか

ちょっと
淡い期待をしていたんだけど

売れれば売れるほど
そうには

ならないわけですよね。
やっぱり 作りたいよねっていう

話とかするんですか?
それじゃあ。

いや やっぱり
作りたいねっていうか

このままでいいのかな 俺たち
っていうとこですよね。

う~ん。
まあ 確かに ツアー楽しいし

ステージ立っちゃあ
もう 自由だし

楽曲も いい楽曲
どんどんもらえるし。

でも
このままでいいのかなっていう

単純なところだと思います。

そうですね。
はい。

で バンドメンバーで

まあ
ツアー中に飲みながら話して。

で まあ 解散に反対する奴も
いたんですけども

まあ でも やっぱり 最終的には

じゃあ もう 解散しかないよね
っていう。

これは 実は バンドの中で
勝手に決めたんですよ。

誰の大人にも相談せずに。

もう バンド内で
「よし 解散!」みたいなね。

ああ 要は 運営側にっていうか…。

そうです 全く。

で ある日 突然 会社行って

「僕らは もう 年内で解散します」

っていうような
軽い事を言いまして。

でも 翌年の春まで

ずっと ツアーが
組まれてたんですけど。

だから
「お前ら ツアーがある」と。

「いやいや もう 僕ら
年内で解散するって

決めましたから」って。

周りの大人は 焦りますし

まあ… もう

「おい ちょっと 杉山 来い」って
言われますし

言われれば言われるほど

かたくなになっていく
みたいな感じで。

で 結局 まあ 周りの大人たちを

動かしちゃった
という感じですよね。

♬~「ダッシュボードに」

〈ソロデビューは
解散の翌年だった〉

〈自ら作曲した
『さよならのオーシャン』〉

〈くびきから解き放たれた
杉山は

曲作りに力を注ぎ
非凡な才能を発揮する〉

1985年に解散をして

翌年 ソロデビューを?
はい そうですね。

ソロでやっていくって どういう
いきさつだったんですか?

これは もう 大人の事情というか
会社から言われて。

「お前は もう ソロアーティストに
なるんだ」って。

「レコード会社と
そういうふうになってる」って。

デビューも まあ
「春には もう お前は

デビューするんだから」
みたいな事…。

「えっ?」みたいな感じです。

それは正直 どう感じたんですか?

いや もう 多分 これは
逆らえないなっていう空気ですし

もう バンド 1回…
もう 勝手に解散させてるんで

これは 逆らえないなっていう。

こんなお話 聞いていいのか
ちょっと わかんないんですけど。

はい。
ソロになってから

オメガトライブのメンバーに

どんなお気持ちで
いらしたんですか?

いや もう 結構 みんな…
その解散の話をする時に

これから何がしたい

どう向きたいとかも
全部聞いていたし。

で 実際 ギターの高島信二と
キーボード 西原俊次は

僕が ソロになった86年に

実は その2人が 最後まで
「解散したくない」って

言ってたんですね。
「もったいない」って。

で 結局 その2人は

カルロス・トシキ&オメガトライブの
メンバーを作って

活動… 同時期に始めてますね。

すごいですね。
だって なんか 我々からすると

杉山清貴&オメガトライブが

カルロス・トシキ&オメガトライブになって。
ハハハハ…。 そうですね。

まあ 多分 社長が

もう オメガ 解散って
話に出てから

多分 次のボーカリスト
探してたと思うんですよね

うん オメガトライブの名前を
継いでやるための。

で 初めて 事務所で紹介されて
「あっ よろしく」

みたいな感じですよね。
ハハハハ…。

ごめんなさい 笑っちゃいけない。
いえいえいえ。

あっ そうなんですか。
はい。

で 他のベースの奴も

自分で 違うバンドを作って
デビューしたりとかしてたので

まあ それぞれが ちゃんと
それぞれの道を

もう 見つけていたので
まあ それは もう…

うん 安心というか

あっ また みんな 違う事やってて
楽しいなっていう。

また どっかで 一緒になるかも
しんないよねっていう。

一方で 後ろに オメガトライブは
いないっていうのは

どんな心境だったんですか?
いや あの…

相談相手がいないなっていう
とこは迷いましたけど。

誰かに相談する…
メンバーに相談するとか…

ここどうしようかとか
ああしようかって

相談する相手がいなくなったので

そこが ちょっと こう…

どうしようかなって思った時
ありましたけども。

で じゃあ
レコーディングをする時とか

ライブをするにあたって
どうしても やっぱり

ミュージシャン
必要になりますから。

じゃあ その人たちを
俺は バンドメンバーだと思って

これからやっていこう
っていうような思いで。

周りは バックバンドと
思うわけですよ 杉山の。

オメガトライブとは
違うわけですよね。

でも 僕の中では バンドなんですね
バンドメンバー。

だから 彼らに
いろんな事 相談するし。

一緒に音楽を もう やる仲間?
はい 仲間です。

イコール バンドメンバーという?
はい。

自分のソロになっての
ツアー始まった時も

「ドラム ソロ」とかって
言うんだけど。

「誰も お前…
お前のバックのドラムの音なんか

聴きたかねえんだよ」って
周りに言われて

「いやいやいや
バンドメンバーだから」って。

「素晴らしいメンバーなんだから
弾かせましょうよ」

っていう戦いの日々でしたね。

〈ソロとなった杉山清貴は
曲を書いて自ら歌い

80年代のミュージックシーンを
リードした〉

〈透き通った歌声は
当時のままだ〉

♬~

そのまま ソロでやってこられて。
はい。

33年?
そうですね。

いや もう 本当に…。

もう それこそ
「これやりたくない」

っていうものは
やらなかったですし。

「これ 別に 俺がやらなくたって
いいんじゃない?」

っていうふうな
常にそんな感じできてますんで。

だから まあ 作る音楽も

もう 本当に
アルバムを作るごとに

世界観違う。

だから 多分
聴いてくれてるファンの人たちは

「あれ? また なんか

全然違うもの作っちゃった
この人」ぐらいな感じで

どうしたのかな?
って思いながら

付き合ってくれてきたファンの人も
たくさんいると思うんですよね。

でも それって 僕の中では
当たり前の事で

それこそ
ビートルズっていうバンドが

アルバムを作るごとに違う世界を
見せてくれてて

おお 次は こんなか こんなか

よし これを
こういうのをやりたいな。

だから 一つ この世界が決まって
これがウケたから

じゃあ これを引き継いでいこう

っていう
そういう発想もなかったですし。

でも あれですね まあ…

いろんな
それぞれ人生を生きる上で

好きな事をやるって 多分

ご覧なってる方も
すごく難しくて

みんなが
そういう生き方をしたいけど

出来ないのが 多分

そういう生き方で。
うんうんうん。

また そこに
勇気をもらえるからこそ…。

まあ 僕らっていったって
本当に音楽って

僕の中では 眉間にシワを寄せて
作るものではないというか

表現するものでもないし

なんか やっぱり
自分が楽しいって思う事。

別に楽しい…
楽曲が楽しいというよりは

悲しい歌でも それを こう
伝えていくのが楽しい。

こう 受け止めてもらうのが
楽しいっていう

常に やっぱり…。

っていうのが
僕のやり方なので。

だから 常に やっぱり
わくわくしたりとか

もう 楽しくなってしまって…
思わず楽しくて

泣いてしまったとか。
うん。

だから そういうところから
始まってんじゃないかな

って思ってるんですけどね。

〈曲のイメージどおり

杉山には 夏の海がよく似合う〉

〈趣味のボディボードを
楽しむため

一時期
ハワイに住んだ事もあるほどだ〉

日本って島国で

こんなに
いろんな海に囲まれてるのに

日本人って 海の事
あんまり知らないよなとかね。

ハワイにいると みんな海の事を
知ってるわけですよね。

海を大事に思って
みんな 子供たちから…

子供の頃から
海の大切さを教わるんですけど

日本は なんか そういうのが
少ないなとか思って。

そうすると じゃあ 俺は…。

そういう気持ちに
なっちゃうんですよ。

それで もう 一時
海の歌ばっかり歌ったんですけど

「そろそろ
町の歌も聴きたいんですけど」

って言われた時もありましたけど。
(2人の笑い)

いやいやいや
まだまだみたいなね。

両方 聴きたいっていう。
そうです。

やっぱり 向こうの子供たちが
授業の一環で

こう 海の生態系を
勉強したりとか… するのを見て

これ やっぱ 日本の子供たちも

それぐらいの勉強とか
させてあげたいなとかね。

そういうの思った時期が
ありましたよね。

子供たちとか 次の世代の事に
思いをはせるって事ある…?

うん やっぱり そうですよね。

子供たちというよりは
やっぱり 大事な自然とか

特に僕ら… 僕に言わせると
海の環境とかって

やっぱり
ちゃんと伝えていかないと…。

海はゴミ箱じゃないし
砂浜はゴミ箱じゃないし。

だから やっぱり きれいに

自然のまま きれいな姿でいるのを
常に見ている子供たちの目って

大事だなって思いますよね。

〈自然の大切さを呼びかけ

海を守るために
続けている活動があった〉

〈拾ったゴミがチケットとなる
「ビーチ・クリーン・ライブ」だ〉

〈始めて もう20年以上になる〉

やっぱり
本当にね やってみると

あっ 本当に こんな ゴミって
多いんだなっていう。

やっぱり特に たばこの吸い殻って
多いなとか言いながらね。

それ 子供たちも
そういうの自分で体験すると

「やっぱり
ゴミは捨てちゃいけない」。

「海 行ったら
ゴミは持って帰ろう」とかね。

当たり前の事を こう 学んでいく
っていう。

夏場なんか 特に湘南とか

人が去ったあとの砂浜とかって

やっぱり いろんなゴミが
落ちてますから

それを 子供たちが見ると
「うわ~ 汚いな」。

「これはしちゃいけないね」
っていう事を学んだりとかね。

ハワイだと 例えば
「プラスチックバッグ…

ビニール袋が海に流れてくと

亀が餌だと思って食べちゃって

亀が死んじゃうんだよ」
っていう教え方をすると

子供たちは 「ああ そうなんだ」。
「海は きれいにしなきゃ」。

「ゴミは出しちゃいけない」
っていうとこに繋がったりとか。

せっかくきれいな
いい海に囲まれている

日本にいるんだったら やっぱり

そういう意識持ってほしいな
って思いますね。

〈愛する海を歌った曲がある〉

♬~

♬~「パラソル にぎやかに」

♬~「彩る 砂浜を」

♬~「見下ろす 国道は」

♬~「思い出 繋ぐ道」

♬~「今年も また きっと会える」

♬~「真夏の由比ガ浜」

♬~「次の夏も きっと会える」

♬~「星空 由比ガ浜」

♬~

っていう曲です。
(拍手)

ありがとうございます。

みんなで歌って
終わりみたいなね

感じなんですけども。
はい すいません。

みんなで きれいにして
杉山さんのライブを

聴くんですか?
そうです。

いいですね~。
楽しいと思います それは。

楽しいですよね。

〈杉山清貴とオメガトライブの
メンバーが

久々に集まった〉

〈15年ぶりの再会だった〉

♬~「誰もが集まる Sea-dog」

早くやろうとするから…。

♬~(ピアノ)
はい。

ここ ここ。

♬~(ピアノ)

早いと思うから追いつかない。

せっかちだし 基本がな 俊はな。

〈集まったのには訳がある〉

〈デビュー35周年の
記念ライブのためだ〉

1 2… 1 2 3!

〈ライブ当日
オメガの曲とともに

青春時代を過ごした
大勢のファンが

会場に詰めかけた〉

♬~

お客さんも 本当に もう
ノリノリで 嬉しそうで。

あんなに盛り上がったようなの
ないですよってぐらいに。

すごかったですよね。
どう思われました?

いや もうね
袖でスタンバイをしていて

その時点で
お客さんのうねりというか

気持ちのうねりが ものすごい
伝わってきたんですよね。

ような感じで…。

全員が 集えて

こんなに楽しいライブが
出来るって

なかなか
ないんじゃないかなって

すごく実感はしましたね。

メンバーの皆さん同士
っていうのは

この長い年月 連絡は
取り合ったりされてるんですか?

みんな やっぱり それぞれ
普通の仕事をしながら

バンドとか音楽は
やってるんですよ。

だから それこそ この
横浜界隈のちっちゃいお店で

みんな集まって
ライブやったりとか

僕がいない時に やってたりとか

僕も 時間があったら一緒に…
顔出して

アマチュアの時の曲
やったりとか

っていうのは
ちょくちょくやってます。

今年は どんな事を
予定されてるんでしょうか?

今年は もちろん
オメガトライブツアーがあります。

全部で13本ですね。

ちょっと頑張っちゃいますけども。

アハハハハ。
すごいですね。

本当に それも また楽しみでね

やっぱり 日比谷野音だけですと
もう 来れなかった人

入れなかった人
たくさんいたので

じゃあ 1本でも多く
やりたいという事で

メンバーのスケジュール全部
会場のスケジュールすり合わせて

4月の21日が
デビューなんですよね。

ですから 36年目のデビュー日を
最後に

ツアーを組みました。

まあ そのあとは
また自分のソロの活動を…。

よく 年の初めとかに

「今年の抱負は?」とかね
聞かれるんですけど

抱負というか なんか
あっ 面白そうだなと思ったら

それをやりたいな
っていう感じですかね。

ゆったり構えて 常に自然体で

とにかくやりたいから
これやるんだよっていう

本当にシンプルな お気持ちで
いろんな事に臨まれて

で 今があるんだ
っていうような…。

まあ 言うのは簡単で
やるのは難しいと思いますけども。

なんて 魅力ある
生き方なんだろうなと思って。

ますます 好きになりました。

〈杉山清貴が
今 大切にしている言葉〉

はい。

「楽あれば 楽あり」です。

楽があったら
その先に 楽しかないです。

「苦」とかいう言葉は
僕の中にはないです。 はい。

アハハハハハ。

〈還暦は
0歳に戻る事〉

〈でも
生まれ変わる

必要も
なさそうだ〉


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