英雄たちの選択 大原騒動・1万人が決起した百姓一揆「壮絶な戦いのすべて」 若尾政希、中野信子、宮崎哲弥、磯田道史、杉浦友紀…


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出典:『英雄たちの選択 大原騒動・1万人が決起した百姓一揆「壮絶な戦いのすべて」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択 大原騒動・1万人が決起した百姓一揆「壮絶な戦いのすべて」[字]


今からおよそ250年前、飛騨高山で異彩を放つ大規模な百姓一揆が勃発した。1万人の農民が19年にわたって代官に戦いを挑んだ未曽有の一揆「大原騒動」の真実に迫る。


詳細情報

番組内容

金権政治家田沼意次を後ろ盾として、幕府の直轄地(天領)に着任した代官・大原彦四郎は、農民たちに次々に、無理難題を押し付ける。農民たちは、駕籠訴(かごそ)、強訴など、あらゆる戦術を繰り出して、自分たちの要求を訴え続けた。ところが、代官は隣の藩の鉄砲隊を引き入れ農民たちに発砲する。完全に敗北した農民たちが訴えた最後の手段とは?これまでの百姓一揆のイメージを大きく変えた「大原騒動」の真実をたどる。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】若尾政希,中野信子,宮崎哲弥,【語り】松重豊




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英雄たちの選択 大原騒動・1万人が決起した百姓一揆「壮絶な戦いのすべて」
  1. 農民
  2. 大原代官
  3. 若尾
  4. 大原騒動
  5. 代官
  6. 幕府
  7. 飛騨高山
  8. 検地
  9. 一揆
  10. 百姓一揆
  11. 百姓
  12. 善九郎
  13. 駕籠
  14. 訴状
  15. 飛騨
  16. 悪政
  17. 駕籠訴
  18. 今日
  19. 鉄砲
  20. 万人


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いまや 「小京都」と呼ばれている飛騨高山。

江戸時代の面影を今にとどめ
多くの観光客で にぎわっている。

一見 平和な この地で 今から…

日本史上…

それは…。

3代にわたって 19年もの間

親子2代の代官と対峙したのだ。

過酷な増税と 容赦のない拷問。

当時 タブーとされていた…

一方 農民たちは あらゆる手段を講じて
代官の悪政に あらがい続けた。

3, 000人の農民が
高山陣屋に押しかけた…

代官の悪政をしたためた訴状を
老中の屋敷に ひそかに置く…

さらに 死を覚悟して
登城中の老中に直接訴える…

番組では 一揆に参加した農民が記した

貴重な古文書を発掘。

そこから見えてくる
大原騒動の真実とは?

今回も さまざまな分野の専門家が
スタジオに集結。

大原騒動を
最新の視点で徹底的に分析する。

1万人が決起した百姓一揆 大原騒動。

飛騨高山を揺るがした

農民たちの戦い その真実に迫る。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今日は いつもと違って
1万人の農民が主人公なんです。

取り上げるのは
多くの百姓一揆の中でも 異彩を放つ

こちらの出来事です。

今から およそ250年前

飛騨高山で起きた百姓一揆
大原騒動です。

19年にわたって

「明和騒動」「安永騒動」
「天明騒動」の

3つの一揆がありました。

磯田さん 今日はなぜ この大原騒動を
取り上げるんでしょうか?

この騒動っていうのが 3つの一揆が

それぞれ いろんな姿を持ってるんですね。

これ 何て言うかな…

「デパート」ですか?
これを見ると

百姓一揆の変遷っていうか
自体が よく分かるんですよね。

一揆の変遷なんですね。
この大原騒動 親子2人の代官と

3代にわたる農民が対峙したものですが

参加した農民が 1万人ということで

かなりの規模ですね。     ですね。

規模も大きいんですが すごいのは…

これ 分析するのは 非常に面白い。

だって 公が 国民の負担を
増やしたりするような場合に

どういう力が働いて

国民は どういうふうに
表明したり 反発したり

それに従ったりとか
そういう様子っていうのは

この大原騒動を見るのが
一番 分かりやすいだろうと思って

あまたある一揆の中から
これ 選んだんです。

すでに もう
語ってらっしゃいますけれど。 はい。

なのでね 今日は この大原騒動
しっかり見ていこうと思います。

じゃあ まず
なぜ その大原騒動が起こったのか?

まずは そこから見ていきます。

高山市の中心部に立つ…

この境内に 飛騨高山の農民が
続々と集まっていった。

その数 実に数千人にも及んだ。

人々は大きな声でわめき 罵り

その声は 町じゅうに響き渡った。

「明和騒動」と呼ばれる
1回目の大原騒動である。

なぜ かくも多くの農民が
集結したのか?

大原騒動のてんまつを…

そこには 大集会での農民たちの発言が
鮮明に記されている。

「とにかく
今度の代官は 金銭欲が強い人で

皆で いろいろ工面して お金を納めた。

江戸表からの要請だと言うが

そんなわけはない。

代官の言うことは 信じられない」。

代官の支配に対する
不平 不満 そして 疑念。

それが 騒動の原因であった。

遡ること5年前の…

高山陣屋に新たな代官が着任した。

大原は もともと下級武士の出。

順調に出世してきた
有能な役人であった。

就任すると 大原は まず
高山陣屋の地役人たちに転勤を命じる。

地役人は皆 地元 高山の出身で
農民と近しい関係にあった。

大原は ここで 飛騨高山の統治に
厳しく臨む姿勢を鮮明にしたのだ。

飛騨高山に激震が走る。

山林の伐採を向こう5年間禁止すると
幕府が通告してきたのだ。

乱伐で木材の質が落ちたので
しばらく伐採をやめ

山を休ませよう
というのである。

飛騨高山は 元禄5年

江戸幕府の直轄地である「御料所」

つまり「天領」となった。

豊富な山林は「御用木」に指定され

山間部の農民たちは
その伐採で 生活の糧を得ていた。

それが中止となれば
農民たちにとって死活問題である。

農民たちは 代官所に向かい

大原代官に 御用木の
伐採継続を願い出た。

しかし
大原代官は…。

…と この願いを
退けた。

そして 農民たちに
追い打ちをかけるように こう告げた。

「陣屋の修復が必要なので

その費用は
農民たちが負担するように」。

息をのむ農民たち。

しかし 大原代官は
さらに驚くべき言葉を発する。

「とはいえ
このままでは 生活に困るであろうから

幕府に年貢を安くしてもらえるよう

取り計らってやる。

ついては 運動費用として

3, 000両を用立てよ」。

なぜ 大原代官は このような難題を
次々と農民たちに要求したのか?

大原彦四郎は 飛騨代官として
この高山に着任しますけれども

代官は 勘定奉行の管轄下にありまして

その勘定奉行の上役は
老中でありますので…

(堀)「夢物語」の中に
「当時の江戸幕府が

田沼意次中心の
時代であって

その中で 金銀の
やり取りでもって

さまざまなことが
うまく

事が運ぶ」ということが
書かれてあります。

金権政治家として知られる
田沼意次を後ろ盾に

大原は異例の出世を遂げてきたのだ。

かくして大原代官の難題にあらがうべく

飛騨高山の農民たちは
飛騨国分寺に集結したのであった。

そして 4日後の…

この三重塔の前で
声を上げた一人の人物がいた。

伝十郎は 休山取りやめの嘆願のため
江戸へ赴いていた。

そこで 大原代官の
さらなる不正の情報を入手したのだ。

「休山で困っている俺たちを
救うどころか

大原代官は
飛騨高山の商人たちと手を組み

納めた年貢米を使って
金もうけを企んでいる」。

代官は年貢米を原資にして安い米を買い

利ざやを稼ごうとしているというのだ。

この話を聞いた農民たちは激高した。

暴徒と化して 商人たちの屋敷を襲った。

これが世に言う…

打ちこわしは 二夜にわたった。

明和騒動に関わる
貴重な古文書が伝わっている。

それが この…

「正規の手続きにのっとった
代表者の願書である」と

記されている。

「3, 000両は 資金がかかるゆえ

お断り申し上げる」。

「陣屋の修復などの費用負担は

困窮百姓のことゆえ お断り申し上げる」。

農民たちの主張を…

さらに末尾には 46もの村の代表

百姓たち95人の署名・なつ印が
円形に押されている。

これは 発起人を隠し

一致団結の強い意志を示すために
行われたという。

本当 ようやってくれたと。

農民たちの なみなみならぬ団結を前に
大原代官は…

しかし
打ちこわしに参加した農民たちには

厳しい お咎めを科した。

徹底した首謀者探しの末

伝十郎ら数十人を捕まえ
厳しい取り調べを行ったのだ。

そして 伝十郎たちに判決が下る。

「死罪 申し付くるものなり」。

伝十郎は 打ちこわしを首謀したとして
2年間 獄中にあった後…

磯田さん まず
明和騒動の この一連の動き

どのように ご覧になりましたか?
一揆が起きるときって

農民に新たな負担がきたときっていうのが
一番 大きいんですね。

チャンスとしてはね そういうことが多い。

で そうすると 代官を飛び越えて
お上に訴えようとすると。

で 集団で物を壊すと。

首謀者が それで見せしめとして
死罪になるという…

普通なら ここで 代官 転勤になることが
諸藩の例とかだと多いんですけど

今回 ちょっと違うのは…

これが僕ね この後につながっていく
この事件の特徴だと思いますね。

代官は残った?
ええ。 普通だと 会社だって 何か

取り引き先とトラブル起こしたら
転勤になるじゃないですか。

大体 そうですよね。
転勤にならなかったんです ここ。

中野さんは この農民たちが行った
打ちこわし。

脳科学の観点から見ると
どういうふうに思いますか?

そうですね 面白いことにですね
日本人は我慢する人たちだというふうに

思われていると思うんですけれども

意外にも この仕返しの気持ちが

かなり強い国民だということが

脳科学的には言えて。

(宮崎)復讐心 強いんだ。
(中野)強いんですよ。

セロトニンを
うまく使えないタイプなんですけども

日本人は その
うまく使えないタイプの人が

97%ぐらいいるんですね。
(宮崎)ほとんどだ。

そう ほとんどの人が…。
割と あれじゃなんじゃないですか?

みんな同じ処遇で しないと
我慢できない

ちょっと 嫉妬心が強いところ
あるんじゃないですか?

(中野)おっしゃるとおりです。
みんなで一緒に

抵抗しようじゃないかとならないと
その抵抗しない人は ちょっと

密通してるんじゃないかっていうふうに
思われたりしちゃうかもしれない。

抜け駆け 許さないという…。
(中野)ああ そのとおりですね。

宮崎さんは あの… 大古井村伝十郎が

集会の中心人物として
登場するんですけど

実は 彼は
打ちこわしには参加していない。

けれど 斬首された。

この組織論として考えると
どういうことなんですかね? これって。

これはね 基本的には

例えば 異議申し立てを行った者と

あるいは その後の活動
打ちこわし等に加担した者を

全部 処罰して
せん滅してしまうと

相手は生産者ですから

これは どこかで…

見せしめみたいな感じなんですかね?
見せしめというか

終わらせるために
終わらせるために。
ということですね。

若尾さんは 長年 百姓一揆を
研究されていらっしゃって。

…と伺ったんですけれど
どういうことなんでしょうか?

従来は 領主による

百姓への一方的な
抑圧っていうふうに

考えられてきました。

よって 百姓一揆っていうのは
領主の存在を否定した

革命的な行動だ
っていうふうに

理解されてきた時代が長く続きました。

しかしながら 最近の研究では…

…っていうふうに
考えるようになってきています。

契約的な関係ですか?

だから 百姓たちが
自分たちの家が維持できない

困ったことが起きたときに
領主に働きかけるわけで。

大名領の百姓であれば
まずは殿様に働きかけて

それで 駄目であれば
幕府へ訴訟するっていうことになります。

だから…

(若尾)それを
よく示す史料が残されています。

今日 若尾さんに
お持ちいただいた史料が こちらです。

(若尾)これは 出羽国 村山郡白岩村。

今の 山形県寒河江の百姓が

領主である 幕府旗本の酒井氏の悪政を

幕府に訴えた 1633年の訴状です。

訴状ですか?
(若尾)はい。

2行目の所に…

(若尾)…っていうふうに
書かれています。

ここで重要なのは
最近の研究では…

(若尾)…っていうことが
指摘されています。

字が大きいっていうのも

そのためだっていうふうに
いわれています。

また 今日でも
本屋さんに行くと 手紙の書き方や

メールの書き方っていうような本が
ありまして

同じように 当時も…

だから 名前を変えれば 年月を変えれば

すぐ訴状が出せる
っていうことになったわけです。

近代的な社会契約の
萌芽みたいなものが

そこには あったということですね。
(若尾)そういうふうに 今現在

研究者たちは…
我々も考えています。

この訴状が そのまま
寺小屋とかでの見本だったり

テンプレートとして広まっていくって
面白い。

そんなことあるんだって
思ったんですけど。    いや ありますよ。

僕 昨今の日本の様子 見てて

この程度の社会だったら
江戸時代だって ましだよと思って

腹立ったこともあるんですよ テレビで。

なぜかというと
まず記録が ちゃんとされることと…

残されることと それと異議申し立てが
結構できるんですよ。

投票権は ないです。
投票権も参政権もないんだけど

さっき「訴訟社会」っていう
言葉があったけど

あえて言うとしたら
請願が すごい行われるから…

請願は たくさんやる社会。

しかも じゃあ
なぜ それができるのかっていうと

「亡所」 亡くなる
死亡の「亡」に「所」っていうんですけど

みんな死んじゃって
ここで生きてかれないっていう状態は

避けろっていうことなんですよ。
なので 悪い政治をやって

あずかりものの農民がいなくなると
年貢が取れなくなって

大名も代官も
将軍を裏切ったことになるので

上への忠義がなされたことにないと。
農民は それを逆手に取るんですよ。

だから 何かあると
異議申し立てのときに「百姓…」

ここで経営が継続できない…

「百姓なりたち」ができない
大名っていうのは

もう駄目政権であり 駄目なんで

改易や転任されるという
その構造で戦うんです 農民は。

要するに
成文法典としてあるわけじゃないけど

一種のね 憲法的な規範がね

見えざる規範として働いていることが
分かるよね。

だって 個々の権力者たちを制限して

「最低限の生活を保障しろ」というふうに
命令しているわけだからね。

さあ さらに見ていきましょう。
明和騒動から2年後

さらに巨大な一揆が起こって
幕府は前例のない行動に出ます。

古来 農業を奨励する神社として

飛騨の農民たちの
あつい信仰を受けてきた。

神社の前に立つ 巨大な碑。

そこには「一宮大集会之地」と

記されている。

明和騒動から2年後

この神社の境内で
農民たちの大集会が行われたのだ。

その数 実に1万。

中心人物は…

僅か18歳の若者であった。

「安永騒動」と呼ばれる
この大規模な一揆は

なぜ起こったのだろうか?

陣屋に近い花里村に
大原代官の姿があった。

検地が行われたのである。

元禄検地以来 80年余り

飛騨では検地が行われていなかった。

その間に新しく出来た田畑を
測量しようというねらいだった。

しかし その検地の様子を見ていた
農民たちは 大いに驚いた。

これは「縄心」といって

凶作や農民の労働意欲への配慮だった。

しかし 大原代官の検地には
全く縄心がなかった。

極めて厳格に測量し

正確な面積を
検地帳に記していったのである。

さらに 大原代官は約束を破って

80年前に検地された古い田畑

いわゆる古田までも測量し始めたのだ。

古田を厳格に測量し直し
さらに新しい田畑を追加することで…

花里村の検地の様子は
瞬く間に飛騨高山じゅうに広まり

農民の代表たちは大原代官に抗議した。

「古田は検地しないという
お約束でした」。

すると大原は こう答えたという。

…に 一艘の舟が浮かんでいた。

中にいたのは
ひそかに江戸に潜入していた

飛騨の農民たち。

彼らは 大原代官の悪政を止めるために

非常手段に訴える作戦を練っていたのだ。

それは…

「駕籠訴」とは幕府の有力者や大名が

駕籠で通過する場所に待ち受け

直接 訴状を出すこと。

当時 厳禁されていた。

村の代表者たちが駕籠訴を決行する
農民たち宛てに書いた証文が

残されていた。

「お願いを老中様に差し上げることで

罪に問われるであろうが

六人の方々の父母妻子は

国元の百姓が力を合わせて引き受ける」。

「決行する農民たちの家族は

国じゅうの農民で面倒を見る」と
代表者たちは誓ったのだ。

まさに命を懸けた訴えであった。

駕籠訴を決行する
六人の農民の姿があった。

訴える相手は…

いよいよ 駕籠がやって来た。

しかし
登城する大名の行列は大勢であり

どれが松平武元の駕籠か分からない。

そこで 農民たちは
事前に近所の者に金を渡し

目標の駕籠を教えてもらうように
頼んでいた。

脱兎のように飛び出す六人。

「六人の者たちは駕籠へ走り寄ったが

駕籠脇の役人衆が
それをはねのければ また飛び掛かる。

飛び掛かれば また はねのけられ

2~3度 4~5度 突き倒され
ようやく駕籠に たどりついたとき

駕籠が止まった。

早速 嘆願書を差し出したところ
老中へ差し上げられた」。

決死の駕籠訴は成功。

飛騨高山の農民たちの訴えは
老中に届いたのである。

しかし 決行した六人は捕らえられ…

駕籠訴決行の知らせを聞いた大原代官は
激怒。

村々の代表者を呼びつけ

「六人の者は
村の惣代ではない。

私どもの全く
存ぜぬことである」という

文書を強要した。

この大原代官の所業に納得できない
農民たちが

続々と一之宮水無神社に集まってきた。

その数…

率いるのは 僅か18歳の…

善九郎は農民たちに こう呼びかけた。

「駕籠訴を
命懸けで決行したのは

我々の代表だ。

いかに
つらい目に遭おうとも

偽りの証文に
なつ印することはできない」。

善九郎ら3, 000人もの農民が
高山陣屋に押し寄せた。

「強訴」の決行である。

「強訴」とは
多数の農民が団結し 領主側を圧倒

強引に要求をのませる 百姓一揆を指す。

陣屋の門前に姿を現した大原代官に

善九郎は こう申し出た。

「今年の年貢米の上納を

来年3月まで
延期してほしい。

検地御赦免願いのため

代表3, 000人を
江戸へ送るので

代官の添え状を
書いてほしい」。

3, 000もの農民に恐れをなした大原代官は
こう答える。

「お前たちの願い
承知した」。

やったぞ~!

歓喜の声を上げる善九郎ら農民たち。

しかし このとき

大原代官は ひそかに
武力による弾圧を決意していた。

かねてから 幕府は

「一揆が起こった際には
幕府の指示を待たず

ただちに近隣の藩に出兵を要請せよ」
という通達を出していたのである。

大原代官は隣国の…

500人もの郡上藩の兵が高山へと向かった。

11月15日未明

善九郎と1万人もの農民が立てこもった
水無神社を

郡上藩の大軍が襲った。

このとき 驚くべき事態が起こる。

足軽およそ20人が先頭に立ち
鉄砲を 次々に撃ち始めた。

島原の乱以降

一揆制圧に鉄砲は
使用しないというのが

幕府の方針であった。

それを曲げ
幕府は 鉄砲使用の許可を出したのだ。

神社の中にいれば 手荒な攻撃は
受けないと考えていた農民たちは

必死に逃げ惑うのみ。

農民に向けられた鉄砲により
4人が死亡

およそ350人もの農民が逮捕された。

首謀者 善九郎は自宅で捕らわれた。

このとき 善九郎は一切逆らわず
年老いた両親に こう告げたという。

「命は 初めからなきものと
覚悟していました。

先立つことは親不孝ですが
これも宿命と諦めてください」。

農民たちに下された判決は…

このほか 罰金など

この神社に集まった
1万人の農民のほとんどが

何らかの罪を問われた。

農民の完全な敗北であった。

善九郎が獄中から
妻 かよに送った手紙が残されている。

「与十郎殿から柿を頂いた。

お礼を伝えてくれ」。

「この世では もう会えない。

おかよは 妹の をふり殿と
いつまでも 仲よく暮らしてくれ」。

善九郎は 桐生河原で獄門となった。

中断していた検地は再開され…

農民たちの 命を懸けた戦いは
水泡と帰したのだ。

大原代官は
騒動鎮圧と年貢増収の功により

将軍お目見えの布衣郡代に昇進。

我が世の春を おう歌する。

しかし 2年後の安永8年

大原郡代は
原因不明の熱病に取りつかれ

もだえ苦しみながら この世を去る。

人々は 亡くなった農民たちのたたりだと
うわさした。

まあ それにしても 江戸幕府は

島原の乱以降の方針を打ち破って
鉄砲を農民に向けたわけですが

宮崎さんは この
幕府が鉄砲を使用した その背景には

どんなことがあると考えますか?

これ やっぱ 怖かったんだと思いますよ。
この群衆が。

どうやって こちら側に犠牲を出さずに
やれるかというと

やっぱり 鉄砲を撃ちかけると。

ただし これは
当然 正当性が あまり見られないので

そこには迷いとか葛藤とかあるし
禍根も残したと思うけれども

とりあえず 当時としては
そういう判断に立ったと。

普通は行って
説諭というのをやるんですよ。

「君たち 解散しないといけない」と。

「親にも迷惑をかける行為である」って
言って

ひたすら 当時の近世道徳で
説諭というのをやって

それでも散らなかったら まず上へ向けて
バーンと撃つんですよ。

ああ 空砲を?
空砲を撃つわけですよ。

そうすると 大抵の一揆は
そこで散るんですよ。

ところが 今回の場合

説諭をやった形跡がないんですよ
あんまり。

いきなり撃ってるというのが
地元の歴史なんかだといわれている。

恐怖心の問題なんですけどね。

大原代官たちとかの恐怖心っていう
問題もあるんですが

実は 幕府の幕閣の中で恐怖心があって。

明和6年の幕閣の中の議論で

援兵を… 援軍を要請していい
っていうことを出してるんですが

同時に 明和6年の正月
勘定奉行所に宛てたものでは

飛び道具は使うなっていうんですね。

鉄砲を使うなというふうに
指令を出しておきながら

翌月2月になると
それでは抑えられないから

場合によっては使っていいっていうことを
指令 出しているんですね。

だから 大原代官は まさに この
援軍要請していいっていうのと

鉄砲を使っていいっていうことを
まさに うのみにして

そのまま使わせたっていうふうに
見ることができると思います。

この鉄砲使用って もとをただすと

新たに検地をやったからなんですよね。
そうなんですよね。

僕ね 教科書よくないと思っていること
一つあって

検地は農民に 普通に領主がやるものだと
思っちゃうんですよ

あの教科書の教え方だと。

検地ってね 領主 殿様はね 簡単に
百姓にできるものじゃないんですよ。

検地っちゅうのは やると

まず一揆が起きる覚悟で
やらなきゃいけない。

ところが この大原代官って

新しい土地も 古い土地も
全部 一気に測量に出ると。

なぜ 古い所に
検地しちゃいけないかっていうと

ちゃんと測量して 年貢を取ったら
食えない人が ものすごく出る。

あるいは損する人が すごい出るので

もう 死に物狂いで
立ち向かってくるんですよ 農民は。

だからね この大原さん 無理するなあ…
と思いますよね。

(中野)今のお話だけ聞いていると
大原代官って

何か 私腹を肥やしたいというよりも
むしろ 何か こう ちょっと…

あまりにも考え方が堅すぎて。

江戸で 田沼政権が
やろうとしていることを

合目的的にやるんですよ。

(若尾)生真面目に。
生真面目にやる。

そうすると 一心不乱に 年貢収入を
増やすふうに働くわけですよね。

働いちゃうと その結果
副作用が どのぐらい出てくるか。

一揆が起きたら かえって
田沼さんを失脚に追い込むことだって

ありえるっていうようなことまでは
考えない。

ああ…。
そうなんですよ。

だから そんなに出世するタイプの
官吏じゃないですよね この人はね。

さあ こちらを 皆さん ご覧ください。

明和騒動の前年の明和7年
1770年ですが

全国の村々に こうした
一揆禁止令の高札が掲げられました。

「何事によらず よろしからざること

『ととう』『ごうそ』『ちょうさん』と申し

御法度に候」と
書かれているんですが。

若尾さん この「徒党」「強訴」「逃散」って
どういうことなんでしょうか?

実は 今 百姓一揆 百姓一揆
っていうふうに言ってきたんですが

幕府の法令レベルでは「百姓一揆」っていう
言葉は使われていないんです。

代わりに使ったのが

この3つの「徒党」「強訴」「逃散」です。

「徒党」というのは 百姓が

大勢で申し合わせる行為をいいます。

次に「強訴」っていうのは 徒党のうえで

強いて願い事を企てること。

最後の「逃散」っていうのは

申し合わせを行ったうえで
村を立ち退くこと。

幕府が徒党を禁じたことっていうのは
どういうふうに考えますか?

それは やっぱ 民主主義とか

民主政党の成り立ちに
影響を与えていきますよ。

だから 今 憲法21条で

ちゃんと 集会結社の自由というのは
認められてるんだけれども

どうも 私たちの政治感覚に
定着していないっていうのはあると。

恐らく ここら辺がね この…

つまり 横で話し合わずに

不満があるなら 請願社会で
殿様なり 上の者に

目安とかという いさめの…
要するに 恐れながらと

俺に直接 言ってこいっていう
その原理なんですよ。

それで 下にいる者を分断して

支配者が ずっと維持するというのが
江戸のシステムなので。

その文脈っていうのは
今にも脈々と受け継がれていて。

集会が
禁じられているわけではないけれども

何か こう 運動をしている人に対する
ある種の視線とか

ちょっと 政府に対して
やや反発心のある人たちに対する

一定の見方というのがあると
思いますけども

それは その系譜と考えられます。

それで農民たちの反発を買って

ついには1万人の農民たちが
集まるという状況になるわけですけど。

これ 若尾さん どうして
この1万人もの農民の方たちが

集まったんでしょうかね?

参加強制というのが
やっぱり あるんですよね。

村々で参加するように
何人出すようにとか

あるいは 出さない家が… 村があって

そこには
何度も督促に行っているということが

物語の中にも書かれています。

動員をかけるんです。
動員をかけるんですね。

百姓一揆については
脅したりもするんですよ。

「参加しなかったら
家を打ちこわすぞ」とか言って

大人数で村の前 通ったら

「分かりました
うちは5人出しましょう」とか言って

何人か出して
それで そうやって雪だるまみたいに

城下や代官所の前へ行くとき
人数が膨れ上がっていくというのが

近世の百姓一揆の いつものパターン。

いつもパターンなんですか?
いつものパターンです。

その1万人が集まる前には
駕籠訴も決行されましたけれど

私 見ていて 駕籠訴にも

しきたりがあるんだなって
思ったんですよね。

何か… 見てると 私 ちょっと
ラグビーを思い出したんですけど。

本当に かいくぐって 最後…。

周り 供ぞろえを
押しとどめられるのを抜けて

それで 近づいて
普通には止まれないんですよ。

この言葉を聞いた瞬間 駕籠が止まって
ゴール成功ですよ。

トライですね。
だから 「駕籠を止めよ」のひと言ですよね。

やっぱり でも 訴えてもいいよという
自由は もらっていたんですね。

そうですね。
請願権っていうのはある。

そうなんですね。

それで 安永騒動は
農民側の完全な敗北となりましたが

このあと 意外な展開が起こるんです。

火山灰が空を覆い 各地に…

飛騨高山も大凶作に襲われた。

このとき 飛騨郡代の任にあったのが
大原亀五郎。

父 大原彦四郎のあとを務めたのだ。

亀五郎は 先代と同じく

ひたすら金銭を農民から収奪する姿勢を
崩さなかった。

この年 凶作に苦しむ農民たちから
強制的に総額6, 128両を借り上げる。

さらに 翌天明4年には
凶作の保証金として

幕府から農民たちに払い戻された
1, 600両を没収。

その一部は 田沼意次への賄賂に
使われたとも伝わる。

飛騨の郡代が 代々
世襲というのは あまりなくて

幕府から役人が派遣されてくる中で

大原彦四郎 亀五郎が2代続いたという
そういった背景を考えますと

やはり そういう…

そういう可能性は否定できないな
というふうに思っております。

安永騒動で徹底的な弾圧を受けた
農民たちは

大原亀五郎の悪政に耐えるしかなかった。

しかし このままでは
生活は苦しくなるばかり。

追い詰められた飛騨の農民たちは
窮余の一策を講じる。

捨訴とは 訴状を 奉行所や老中などの
門前に ひそかに捨て去ること。

匿名で行われるため
身元が限定されずに

飛騨高山の状況を訴えることができる。

農民たちは 情報戦で
大原郡代に対抗しようとしたのだ。

折しも…

このとき 農民が わらにもすがる思いで
捨訴を行ったのが

新たな老中に就いた…

松平は清廉な政治を目指していた。

訴状を見た松平定信は

諸藩や天領の政治を視察する巡見使を
飛騨高山に派遣する。

これを知った大原亀五郎は

農民が巡見使に訴え出ないよう
徹底的に取り締まった。

このとき 農民の側で活躍したのが…

忠次郎は
飛騨を出て

能登の白瀬村まで
逃亡。

巡見使が
飛騨に入る時期を見計らって

再び 飛騨に戻り…

忠次郎は
大原亀五郎郡代の悪政を伝え

「国じゅうの農民が
困窮し

大勢の苦しみを顧みない
郡代の政治では

百姓に将来はありません」
と訴えた。

江戸の勘定奉行の屋敷において
郡代と百姓双方の吟味が始まった。

まずは朝10時 大原亀五郎が白洲に入る。

続いて 夕方5時
忠次郎たちが呼び出された。

郡代と農民が 同じ白洲で
平等に吟味を受けたのだ。

さらに 郡代の部下や多くの農民に
取り調べを行い

ようやく4か月後の12月25日
判決が申し渡される。

ほかの農民も ほとんどが
お叱りなどの軽い罪で済んだ。

かくして 死者34人 遠島17人など
多くの犠牲者を出した大原騒動は

19年にわたる
長き戦いの幕を閉じたのである。

2回目の安永騒動でリーダーとなった
本郷村善九郎の故郷である。

その高台に位置する…

住職の石井玄太さんが
供養しているのは

安永騒動で処刑された…

非常に小柄で 元気がよくて

「小天狗」って
言われとったらしいんですね。

それだけ活発な方
やったんじゃないでしょうかね。

みんなの先頭に立っていくことが

器量として
あったんじゃないでしょうかね。

子細に眺めてみると
善九郎の戒名が読み取れる。

知恵と徳を兼ね備え

厳しくも勇ましい
気概の人物と称されている。

この供養塔は

大原彦四郎郡代存命のときに
作られたという。

悪政にあらがおうとする飛騨高山の人々の
強い反抗心がうかがえる。

実は ここに移ったのは
昭和の23年なんですね。

その前は どこにあったかっていうと

このお寺の参道の50メーターぐらい
下に行った所なんですけども

そこの土の中に
埋められとったというんですね。

大原彦四郎の その力

その力を農民たちに見せつけるために
埋めさせられたというね。

そういう思いもある。

そういう形の供養塔なんですよね。

自分たちの生活と命を懸けて

悪政に立ち向かった
飛騨の農民たちの戦いは

今も静かに語り継がれている。

あえて 野球でいうと
9回裏の逆転ホームスチールが起こって

最終的に農民の勝利となった
大原騒動なんですけれど

磯田さん
これ 何が決め手となったんでしょうか?

そうですね。 捨訴っていう

もう これ以上 犠牲者を出したくないから
駕籠訴じゃなくて

置き手紙にすると。
これの作戦が功を奏したんでしょうね。

置いた所も良かったんじゃないですかね。

何せ 田沼を否定したくてしょうがない
政治権力が

もう 生まれているわけですよ。
松平定信ですよね。

前任の田沼は
こんなに汚いことをしたんだと。

これは駄目なんだという…

欲しくてしょうがない情報が
捨ててあったわけですから。

それは反応しますよね。 ですから

息子の… 大原の息子の亀五郎を
流罪にするという。

それで…

それにうまく乗れたってことでしょうね。

やはり 時代が変わったのだということを
端的に示す

定信政権のパフォーマンス的側面が
やっぱり

強いんじゃないかなっていうふうに
思ってます。

VTRにもありましたが
「夢物語」の中に

飛騨高山に入った幕府巡見使が
大沼村忠次郎を呼び出して

その願いを聞いたわけですが
実は その前段があって。

(若尾)訴え 訴状
訴願を出そうとするんですが…

(若尾)ちゃんと その場所を指定して

大萱村に行って
何も知らずに呼び出したように

ちゃんと そういうことが書かれていて。

その忠次郎が書いたとされるのが
この「夢物語」なので

非常に その辺は
信憑性が高いっていうか

そういうふうに思います。
(宮崎)この巡見使は

状況を完全に理解してますよね。
(若尾)理解してますよね。

そこがすごい。
ねえ そうですよ 冷静ですよね 実に。

(宮崎)冷静だし 要するに
自分が何をなすべきかということを

よく分かっている人ですね。
うん…。

こういうのを能吏というのか

本当の意味で
能吏というのかもしれない。

(中野)これ 20年近く
戦っているわけですよね。

この高山の農民たちが。

普通は人間っていうのは
ある行動を取って罰を受け続けていると

「学習性無力感」といって
ほとんど抵抗しなくなっていくんですよ。

抵抗しなくなっていって
一見 おとなしく制御しやすい

生き物が
出来上がっていくんですけれども

ここの農民たちは それで満足せずに

学習性無力感にやられずに
抵抗し続けたんですよね。

何か 最後は
「小天狗」っていう単語が出てきて

ああ なるほどと思いましたけれども。

ああいう人たちが
ちょっとずつ出て みんなを巻き込んで

大きな運動に育て上げていったっていう
現象が起きたのが

興味深いなと思いますね。
そうですよね。

長くにわたって続いた 大原騒動。

そのあとの幕府には
どんな影響があったんでしょうか?

(若尾)はい 大原代官を
いわば反面教師にしたような名代官が

実は このあと
日本各地に出てくるっていうことです。

いろんな代官がいて 名前
いっぱい挙げることができるんですが。

例えば 早川正紀っていう…。

あっ! 芋代官だ。
(若尾)そうですね。

庶民のための学校を作ったり

赤子の間引きを禁止させたりとか。

あるいは 親孝行者を顕彰したり

産業を振興したりっていうような

施策を次々と打ち出して。

次の場所に転任するときに

引き止めのための

運動が起きるほどに民に慕われて。

そういう名代官が次々と
出てくる時代っていうのがあります。

(宮崎)こんなふうにね 官僚的に
もう結論の数字だけがあって

苛斂誅求を行なって 税を取り立てて

過酷に税を取り立てても
やっぱり 駄目で。

豊かにして…

教訓としては残ってよかったなと。

よき代官が いっぱい出てきて
よかったなと思いますけどね。

多大な犠牲者を出して
19年の長きにわたって続いた大原騒動。

ここから現代の 我々が学べることは
何なんでしょうね?

今日の大原騒動のお話を
振り返ってみると

抵抗し続けたから
生き延びたんだなっていうことが

すごく 自然に学べるように
思ったんですね。

ともすれば
長いものに巻かれろという感じで

自分も黙ってしまうことも多い…
まあ 世相だと思うんですけれども。

…っていうのは
すごく熱いものを感じましたね。

今の飛騨地方を歩いていくと

本当に大原騒動の犠牲者を
義民として祭った顕彰碑があって。

義民の数… 「義民」っていうんですけど
「義」の「民」って書くんですけど

74とか73とか
それぐらいの数が知られていて。

これはもう日本全国の一つの事件で起きた
騒動で起きた

義民としては最も多い数で。

現代の私たちが
学ぶべきことっていうのは 非常に…

結局は 政治担当者への不信とか…

これが やっぱり 現代にも
通じる問題なのかなというふうに。

単に困窮だけではないんですよね。
(若尾)そうなんですね。

そこが興味深いですね。
(若尾)そうなんですよね。

その点は やっぱり 最後に
強調させていただきたいなと思いました。

さあ 磯田さん 今回
この大原騒動を見てきましたけれど

何か こう 今の現代にも
つながるテーマでしたね。

もう 考えさせられることばかりでしたね
今回はね。

要するに 税を取る側と取られる側に
信頼関係がないと

本当に かわいそうな悲惨なことになると。

やっぱり 税って そんな多くないほうが
いいに決まってるんですけど

それが まずい状態っていうのは
新たな負担が 政府とか役人さんが

都合のためにやっていく場合っていうのは
良くない。

だけど 今回
やっぱり ヒントになったのは

お百姓さんたち… 国民ですよね。

国民は 自分たちの国民生活が
成り立つという納得のもとになら

何とか あるかもしれないというような
政治伝統も見ましたよね。

その国民の生活が良くなるのであれば
我々の納得を得て

税金が上がるならいいけど。
だから 良くなる税金の… 実は

負担の問題っていうのは
国民生活が持続可能で

良くなるための
使い道の問題でもあるということは

非常に大きいなと思いましたよね。

使える人たちを育てたり
使える考えを吸い上げたり

作り上げるってことも
我々の政治文化にとって…。

何か 今日 見てると
政治の弱いところと強みと 2つ

よく分かったような気がしましたね。
日本人についてね。

はい。 皆さん 今日は
ありがとうございました。


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