ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 有森裕子×宮嶋泰子 実績のなかった彼女が、小出監督を振り向かせた方法とは…


出典:『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 有森裕子×宮嶋泰子』の番組情報(EPGから引用)


[字]ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 有森裕子×宮嶋泰子


生まれつき足が悪かった有森が、オリンピック2大会連続メダル獲得という女子陸上界初の快挙を達成した理由とは?オリンピックの知られざるハプニング&秘話も明らかに…。


詳細情報

番組内容

1966年12月17日、岡山県生まれ。生まれつき足の付け根の関節が外れていたため、幼い頃は両足に矯正バンドをつけるなど、ランナーになる要素は全く持っていなかったという。そんな有森が、陸上を始めたキッカケとなった出来事とは…。国体やインターハイに出場したことが無い無名の選手だった有森は大学卒業後、小出義雄監督率いる社会人チーム、リクルートの門を叩く。実績のなかった彼女が、小出監督を振り向かせた方法とは。

番組内容2

小出監督の指導を受け、有森の才能は一気に開花。マラソンを始めて1年、大阪国際女子で初マラソン日本最高記録。翌年、2回目のマラソンで2時間28分1秒の日本最高記録を叩きだす。1992年のバルセロナで銀、4年後のアトランタで銅と、2大会連続、五輪でメダル獲得という女子陸上界初の快挙を成し遂げた。しかし実は、銀メダルを獲得したレースの日の朝、有森をある悲劇が襲っていたという…。有森が本音で語る1時間。

出演者

【ゲスト】有森裕子(元マラソン選手)

【インタビュアー】宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)

次回放送予定

次回3月9日(土)は、歌手・女優・木版画家のジュディ・オングに、編集者の舘野晴彦が迫る!お楽しみに!

番組概要

様々なジャンルで時代を切り開いてきたトップランナーたち。彼らはどのようにして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?人間洞察のプロのインタビュアーによって、知られざる「裸の履歴書」が明かされる!!

番組ホームページ

<番組ホームページはこちら!>

www.bs-asahi.co.jp/interview/

制作

BS朝日、ViViA



『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 有森裕子×宮嶋泰子』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 有森裕子×宮嶋泰子
  1. 自分
  2. 本当
  3. 有森
  4. 出来
  5. キロ
  6. 頑張
  7. ハハハハ
  8. 気持
  9. 先生
  10. 素質
  11. 練習
  12. 実況
  13. 大事
  14. お前
  15. 距離
  16. 元気
  17. 人間
  18. 銀メダル
  19. 国体
  20. 有森裕子


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あ~。
(宮嶋)どうも。

どうも こんにちは。
こんにちは。

なんか しょっちゅう
会ってるような気はするんですが。

会ってるんですが こういう場所で
会うの 初めてじゃないですか?

本当です。
よろしくお願い致します。

よろしくお願いします。
なんか ごめんなさいね。

なんか 2020の東京に向けて
今 マラソンが

もう 男女とも
むちゃくちゃ忙しいでしょ?

むちゃくちゃ忙しいですし
むちゃくちゃ言いたい事が

いっぱいありますね。
ハハハハ…。

こう 胸にたまってる?
たまってます いろいろ。 ハハ…。

じゃあ それも含めて
ぜひ いろいろ教えてください。

はい。 まあ いろいろね
活動もしてるんで。

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

はい お世話になります。

♬~

〈1992年

バルセロナオリンピック〉

(実況)
有森が まもなくゴールです。

(解説)笑顔が…。
(実況)そうですね。

(解説)はい。
(実況)銀メダル!

有森が銀メダルを獲得! 第2位!

よく頑張りました!

〈初マラソンから
2年で手にしたメダルは

日本陸上女子
64年ぶりの快挙だった〉

(実況)
お母さんが 日の丸を振っている!

〈4年後のアトランタは
銅メダル〉

〈レース直後の あのひと言が

努力のほどを物語っていた〉

〈あれから23年…〉

〈有森裕子は 52歳になった〉

〈引退しても
走る事はやめていない〉

〈マラソンやジョギングを通して

ハンディキャップを持つ人々の
支援活動に努めている〉

として
東京オリンピックへの思いも

人一倍だ〉

〈新国立競技場の
莫大な建設費を巡り

開催の是非が問われた時…〉

〈メダリストの涙は
どんな言葉よりも雄弁だった〉

TOKYO.

(歓声)

〈マラソン界のレジェンドは

今 何を語るのか…〉

〈やはり 聞かずにはいられない〉

♬~

♬~

「ああ なになにちゃん
なんかの国体の」とか

「あっ インターハイで」とか
みんな 会話が飛んでるんですよ。

もう

でも その時ね 本当にね…

本当

もう 本当にね こんな人たちに

負けるもんか!
って思いました 本当。

「オリンピックで
こういう事があっていいの?」

っていうような体験をね
されてると思いますけど…。

コンタクトね~。
なんかね 本当…。

パチッてやった瞬間に

あれ? っていったら なんか こう
ないわけですよ ここに もう。

「え~!」って言って もう
「あ~!」って言って…。

うわ~って止めたけど
もう 時遅しで。

朝です 朝です 朝ですよ。

って聞きたいんです
本当に 毎日。

って言うしか 言いようが
ないじゃないですか だって。

アハハハ…。

って言いたくなる。

言いたくなるんですよ 本当に…。

〈東京 京橋〉

〈有森の行きつけで向き合った〉

〈パティシエ 鎧塚俊彦の店だ〉

〈ショーケースに並ぶケーキは
常時20種類以上〉

〈りんごを丸ごと使った
タルトタタンが

有森のお気に入り〉

毎回 こういう… この番組は
こういった

食べたりなんかするんですか?
いやいや… しない しない…。

あっ しないんですか。
これ もう ビックリしました。

本当に もう
え~? とかって思って。

まあ せっかくですからね 食べて。
はいはい ありがとうございます。

いただきま~す。
いただきます!

あっ そう。 上がね キャラメルで
結構 硬いんです はい。

あっ 本当ですね
ちょっと硬いですね。

ガブッていかなくちゃ…。

うん。
うん。

どうです?
うん。

りんごと あと
このカスタードがいいですね。

でも 私 有森さんって

こんな スイーツ好きだとは
思ってませんでした。

だって 私 合宿に行った時に

なんか ヨーグルトでさえも
ローファット?

低脂肪のもの選んで
買ってらっしゃるじゃないですか。

買ってましたね。
もう 今 絶対食べませんけどね。

ハハハハ…。
ハハハハ…。

あっ そう。
うん。 今 やっぱり…

いや 普通のが健康にいいとかって
思って 食べてますけど。

まあ でも 確かに
もう 削れるものは必死に削って。

そうですよね。
なんか こう いかにカロリー低く

脂肪を低くっていうのは
やってましたね やっぱり。

だからこそ
このおいしさがわかる。

わかる。 おいしいんです これ。

ホッとします なんか。
フフフフ…。

〈父は 高校教師〉

〈母親は 看護学校の職員だった〉

〈今思えば
マラソン選手になれたのは

奇跡と言っていいかもしれない〉

〈実は
股関節脱臼で生まれてから半年間

矯正ギプスが手放せなかった〉

〈小学2年の時には
ダンプカーと接触し

右足を怪我する不運にも
見舞われている〉

お子さんの時から

決して アスリートになる…
ものすごく こう

優れたボディーだった
っていうわけではない?

そうですね やっぱ 生まれた時が

両足とも
股関節が外れて生まれてきたので。

股関節 外れるっていったら
もう 腰…。

えっとですね やっぱり… ねっ。

股関節
こうやって はまってるところが

こう まあ…
脱臼してる状態ですよね。

で それで こう
生まれてきたんですよ 両足とも。

うわ~。 でも その足がね

股関節脱臼で 生まれてきた
だけじゃないでしょ?

なんか そのあと また
事故ったって聞いたんですが…。

あっ ダンプカーとね
喧嘩して 負けちゃって…。

それ どうしたんでしょうね?
いや 右の内くるぶしをね

こう ちょっと まあ
ガーンと こう ぶつけて。

え~! くるぶしを?

くるぶしって 内くるぶしですね。
今 ちょっと

わかりづらいんですけど。
ええ ええ ええ。

だから もう ここがね
がっちり固まっちゃってんです。

可動域がね… いかないんですよ。
こう… こう いかない。

あっ こうやっていかないの?

こう つっかえてるんですよね。
はいはい。

じゃあ 小学生の頃とか…

その頃って
やっぱり こう 不都合でした?

結構 やっぱり 不都合でしたね。

動きが硬い… で まあ
股関節も硬いじゃないですか。

で ここも硬くなると

怪我はね しづらかったです…。
ああ しやすかったですね。

結構 こけてたんです やっぱり。
あっ…。

結構 ひどいO脚になって。
うん。

だから 何か 要素があって
こけるんじゃなくて

自分の すごい ゆがんだ足に
自分の 次出す

ゆがんだ足が引っ掛かって
こけるっていうパターンで。

足に足が引っ掛かっちゃう?
足に足が引っ掛かって。

で もう いきなりだから
手つく間もなく

顔 ガーンっていく
パターンが多くて。

で なんか 結構 怪我して
帰ってきてたんですね。

らしいです その時は。

もう とにかく 普通に歩いて
普通に みんなと遊んで

生きてくれればいい
みたいぐらいに思ったらしく。

まあ 大したね
こう 高い望みというよりは

とにかく
毎日っていう事だけでしたね。

〈足の不自由さは

気付けば
コンプレックスになっていた〉

〈劣等感に さいなまれていた時

一人の教師と出会い

考え方が ガラリと変わる〉

元気がなかったみたいで
見たら… 見た感じが。

で 必ず 会うと

「有森 どしたんな?
元気ねえのう」って

怒られたんですね。

「先生 聞いて」って。
「まあ 私 これも出来んで

あれも出来んで
なんもかんも出来んのんじゃ」と。

「持っとるもんは あんま
ええもんが何もない」という…。

こう 返したら

「持っとるもんが
悪いんじゃねえ」と。

「お前が 悪う言うから
お前が悪い」って。 ハハハハ…。

「持っとるのは 何も悪うねえ」って
こう 言われて。

へえ~。
うん。

だから
「とにかく 自分の持ってるものを

もっと よく言ってみろ」と。

「そしたら 自分の武器になるから
ちゃんと」。

で 「人と違うのはね
悪くないんだ」って。

「お前はお前でいいから

とにかく頑張ってみろ」と。 うん。

というのをね ちょうど
小学校5年の時に言われて。

へえ~。

で 劇的に こう 何かね
わって来たわけじゃないんだけど

なんか こう…
なんか あっ そっかな? って

こう思えて。

で 私 それまでね やっぱり こう
競争事が ダメだったから

緊張したりするし
もう 出来る人 いっぱいいたから。

で 入ってたクラブもね
手芸クラブだったんですよ 私。

手芸?
手芸。

へえ~。
物作り 大好きなの。

物作り 好きなんです 今でも。

まあ こう ブチブチね
こう 人と競争しないで

自分の好きなように
こう うんたらかんたらするのが。

まあ でも その先生の持ってる
クラブにね 入ろうと思って。

で 手芸クラブ辞めて…
安藤先生っていうんですけど。

安藤先生の持ってるクラブ 何?
って思って 追いかけてったら

先生の ちょうど その当時
持ってたクラブが陸上クラブだった。

おや まあ。
そう。

出会いですね これは。
そうですね。

運命的 出会いだわ。
うん そう。

一生懸命 頑張ってればね
褒めてくれるし

まあ みんなも応援してくれるし。

で 応援してもらえると

また 自分のパフォーマンスが
上がるし。

なんか そういう
こう 単純な感覚を… いい感覚を

いい形で こう
自分で感じる事が出来たのが

ちょうど 5~6年生の時。
面白い。

なんか 普通だと
アスリートに そういう話 聞くと

いや 走るのが
大好きで 大好きで。

で ここ入って こうなって
こうやってって話になるんだけど。

よくね
「陸上好きだったんでしょ?」とか

「走る事 好きで選んだんでしょ?」
って言われるんですよ。

いやいや 全然ね
本当に こう 悪い意味じゃなくて

全然 私 そうじゃないんですよね。

ただ 安藤先生がそこにいて。

で やっぱり こう
「何か頑張れ」と言われて

その手段が たまたま
走る事だったっていう事なので。

だから まあ…

その先生のそばにいれた
っていう事は

そのあとの こう 道を進む…
まあ 選んでいくに

すごく大事な出会いでしたね。
そうですよね。

と 胸に誓い

中学では
陸上に打ち込むつもりだったが

折あしく休部中〉

〈仕方なく バスケ部に入った〉

〈のちに 有森の武器となる
諦めない心が

そこで育まれる事になる〉

まあ 大変でしたね。
なんで?

えっ?
もうね… あるじゃないですか

連携プレーっていうのが。
ええ ええ…。

もう そんな事 言われたらね
もう まあ パニックになって

とにかく 声のするほうに
パスをすればいいと

思うわけじゃないですか。
「はい」って言うから 「はい」って

パスしたら 敵だったっていう…。
ハハハハ…。

やっだ~。
だから もうね 一気に退場。

で 「お前はいい」と。
「ボール持たなくて」。

「もう 守れ」と。
で 「ディフェンスは大事だ」って 先生。

よし! っと思って。
ガード?

ディフェンス… ガード
超しつこかったんで。

「5回まで ファウルはいいんだ」
って言われて。

ハハハハ…。
で 「5回 ファウルするまで

お前 守り尽くしていいから」
って言われて。

とにかく もう 守り尽くして

大体 5回までいって
終わるんですけどね。

はあ。
退場…。

今 おっしゃってたのがね

「しつこいから」と
おっしゃってたじゃないですか

しつこいっていうのは
どっから来たんですか?

と思えるものを
持ってたら

やっぱり
それに すごく こう…

それを もう 全力で

こう
やりたいというのは

やれる楽しさ
やれる嬉しさ。

元々なかったので
出来る事が。

多分 諦める1つの…
まあ 人と比べるのもあるし

出来てた以前の自分と比べて

出来なくなった自分を
感じた時に

やめるじゃないですか
そこに いかないっていう事で。

ハハハハ…。
うん そう。

だから
止まる理由がないというか。

なるほど。 進歩が必ずあるから…。
進歩が必ず

小さくても…
他と比べちゃうとね

こう 足元にも
及ばないんだけれども。

やらせてもらえる事がないとか

やっぱり
自分の力を試す機会がない。

う~ん。
持てないという事が

どれだけ 自分が
寂しいかが わかるから

なんでも やれる…
うん やるっていうスタンスは

元々ありましたね。

〈1982年〉

〈高校で 念願だった
陸上部に入る〉

〈だが 現実は そう甘くない〉

〈3年間 補欠で

国体やインターハイなど
夢のまた夢〉

〈それでも腐らず

卒業後は
名門 日本体育大学に進んだ〉

〈ライバルが多く

やはり そこでも
めぼしい記録は出せずじまい〉

〈陸上を諦め
教師になろうと考えていた時

運命ともいうべき 転機が訪れる〉

でも 日体大っていうのは
もう 本当 日本全国から

もう 精鋭が
集まってくるわけじゃないですか。

いや~ もうね 最初ね

めちゃくちゃ
肩身の狭い思いでした。

だから みんな
もう 顔見知りなんですよ。

あっ 全国大会でね。
「ああ なになにちゃん

なんかの国体の」とか
「あっ インターハイで」とか

みんな 会話が飛んでるんですよ。

もう なんにも 声かからずに

もう 素通りですよ みんな。
あ~。

でも その時ね 本当にね…

本当 強い人たちって
性格 悪うって思いましたもん。

もう 本当にね こんな人たちに

負けるもんか!
って思いました 本当。

そのうち 見返してやるわ
とかって思ったわけ?

思いましたね。 やっぱり
インターハイチャンピオンとかね

国体チャンピオン
いるじゃないですか。

普段 練習しなくても
やっぱり 強いんでしょうね。

そうなのよ。
持ってる才能がすごいんですよね。

もう そういうの見てると
絶対に いつかね…

そんな練習しないで
いつまでも もつと思うなとかね

いろいろ もうね
そんな反抗心ばっかりが

頭に膨らんでって…。

まあ でも
こういうもんなんだなって。

ああ 勝負って
こういう事なんだな。

やっぱり 成績なんだなという

まあ 現実を感じたのは
ありましたね。

へえ~。
うん。 でも

私は こういう人たちみたいには
ならないって

どっかで なんか すごくね
反抗心があったんですよ。

へえ~。 で それで 学校の先生に
なりたかったんですか?

そうですね うん。
父が まあ 高校の教員だったし

私も やっぱり
先生に こう いろんなきっかけ

生きるに大事な事を
教えてもらえたので。

で やっぱり 自分は元気になった。

だから まあ 自分自身も
そういう 自分みたいに

自信がなくて 元気がない子を

元気に出来る先生の存在に
なりたいっていうのがあって。

まあ 教員にはなりたいと
思ってたんですよね。

それが カチッと
変わっちゃったのは また…。

まあ 教育実習ですよね。
ああ…。

教育実習には 母校に戻って。

で 何日か過ぎた時に

ちょうど ナイターの記録会が
あったんですね いる間に。

教育実習中に。

で 恩師が「出ろ」
って言うわけですよ。

「お前 偉そうに
生徒に偉そうに

まだ 教員にもなってないのに」。

「言う前に お前も一緒に走れ」
とか言われて。

「いや 練習してないし」って
言ったら

「そんな事 かっこつけんじゃねえ」
とか みんなに言われて。

で 出なきゃいけなくて。

出たら
まあ 自己2番目のベスト記録で

その年の。

まあ 優勝しちゃったわけですよ。
うん。

3000かな? 1500か…。

で あれ? って。

いや 練習してないし
やる気もなかったけど

やったら 走れるじゃんって こう。

えっ? もしかして
これ ちゃんと メニューもらって

ちゃんとしたね
気持ちを持って走ったら

私 もっと
走れるのかもしれないって。

ちょっと 逃げもあったんですけど
ちょっと やっぱりね

その自分に
期待しちゃったんですね。

で まだ それを持った事がない
その環境とそういう自分を。

まあ 1回でいい。
それを意識 ちゃんとして

その環境に入って 走ってみたい
って思ったんですよね。

で 教員は
いつでも… まあ あと数年

教員採用は受けれると…。 来ると。

でも 走れる自分は
今しかないかもしれない。

じゃあ 実業団を…。
うん そうですね。

受けてみようとなったわけですね。
実業団…。

〈1989年

贈収賄事件で
世間を騒がせていた

リクルートに入社〉

〈同じ年
陸上部の監督に就任するのが

小出義雄だ〉

〈全く無名の有森を
わずか3年で

オリンピックのメダリストに
育て上げた 名伯楽〉

〈それにしても
どこに才能を見いだしたのか?〉

で リクルートを
ポンポンポンとやったら

これまた 大変でした?
これはね リクルートを

見つけるまで大変でしたね。
あっ そうですか。

たまたま 友達から
電話がかかってきて 夏。

「有森 元気?」って。

「いや 元気じゃないんだよ」って
で 「なんで?」って言って

「いや 実業団
入りたいと思ってるけど

見つかんない」って言ったら

「いやいや あんた
リクルート知ってるか?」って。

で 「いや… いや
あのニュースのね

騒がせてる あの会社だよね?」。
江副さん…。

江副さん…。
「あっ 知ってる 知ってる」って。

「そうなんだけど とにかくね

走りたきゃ
誰でもいいみたいだから」って。

「あっ じゃあ 行く 行く 行く」
って言って。

「走りたきゃ 誰でもいい」って。

「とにかく集めようとしてるから」
って言って 次の日。

そのアプローチしたのは
コーチだったんですね。

で 「自分は 私の事 知らない」と
当たり前なんですけど。

で 「監督はね もしかしたら
有森裕子って

知ってるかもしれない」って
言われたから

全然… 絶対ないと
思ったんですけど

「そうですか」って言って
「じゃあ 待ちます 返事」みたいな。

で 待てど暮らせど

10日経っても 電話かかって
こないじゃないですか。

ああ もうダメかなと思ったら
やっと 電話がかかってきて。

で 小出監督からで。

で 「いや 名前 聞いたけどね
思い出さないんだよね」って

思い出さないも何も
会った事ないんですけど。

ハハハハ…。
うん 「いや 多分

思い出さないと思います」
って言ったら

「いや そんなね…
僕 物忘れがひどいから 最近」。

「名前だけじゃ わかんないから
会ったら思い出すかも」って

言われた瞬間に
絶対ないんだけど

「あっ そうですか。 会って
もらえますか?」って言ったら

「じゃあ 会おう」って。

「ありがとうございます」って
言って 「千葉までおいで」って。

すごい遠かったんですけど。
遠いよね。

もう すぐ 千葉まで
次の日 飛んでって。

「まあまあ じゃあ 話 聞こうか。
わかんないんだけど」って。

で まあ そこから もう…

国体 何位とか
インターハイ 何位。

で 都道府県 区間賞なんかでも
全部 落ちたじゃないですか。

国体… もう 国体なんて…

「あっ 国体…
これから 実業団に入って

頑張って走ろうと思います」
って言った瞬間に

「あっ 弱い選手…」。

「あっ よく来たね ここに」
って言われた瞬間に

「いや あなたが呼んだんです」
って こう…。

もうね 本当にね もう あっ これ

無理だなと思いましたもん
そっから。

はあ~。
もう ああ これアウトだなって。

それが どうして
こう 入れる事になったんですか?

また粘りだ ここで。
うん 粘り…。

で とにかく 「この間もね
なんにもしないで出た大会で

自己の記録を更新出来たんだ」と。
「優勝したんだ」と。

タイム言わなかったけど。
「出来たんだ」と。

だから
「環境とね メニューを頂けたら

自分は まだ伸びるかもしれないと
思ってるし

伸びるんだと 絶対に」
って言ったら 監督が

「うちにね いい選手
とってもいるんだ」と。

「もう 生まれ持った素質
肩書 実績 山ほど持ってる選手

もう そうそうたるメンバー
いるんだ」と。

「ただ 有森さん 人間は
どんなに素晴らしいね

肩書 実績 生まれ持った素質
山ほど持ってても

その持ってる本人が
持ってる 持ってないに関係なく

次なるステージに対して

こうしてやる ああしてやる
次は こうなりたいんだ

っていうような やる気をね
持ってないと

そんな いっぱい持ってても
あんまり 意味ないんだ」。

「で いうとね
有森さん あんたはね 珍しい」と。

「よくぞ ここまで…
なんにも こう ないのにね

1回もね やめずにやってきた」と。

うん 「だから…」。

「根拠のないやる気」って
おっしゃったの?

根拠のないやる気をね。

「なんか とても不思議に思うし

形に出来なかった事を
すごく 自分はね 興味があるから

形にしてみたいと思う」って。

「だから まあ 返事ね
すぐ出来ないかもしれないけど

待っててくれる?」って言って。

何年 待つかなと思いきや

それから待つ事 2日後に
リクルートから電話が入って

「小出監督から聞いた」と。

「本来は無理なんだ」と
リクルートの条件で言うと。

「もう とっても無理なんです」と。

「ただ 今 我が社の状況
ご存じなとおりに大変なんだ」と。

で 「この我が社を立て直すにも

とにかく 社員のね 一人一人
人間のやる気なんだ」と。

前向きな。 「で いうとね

あなたは 一番 今 条件に
当てはまってるものお持ちだから

そのやる気をね
ぜひ 我が社のこのピンチを

ご自身のチャンスに変えて
来て頂きたい」と。

「なので まあ ご両親とご相談の上
どうぞ お越しください」。

素晴らしい。 粘り勝ち。

もう 粘り勝ち。
もう 親にも聞かず

「ありがとうございます!」って
言って 切って。

「入れたから」っていうふうにね
はい それだけでした。

〈1989年

有森裕子は

小出監督のもとで

(小出)
言われた距離をな… いいか?

よし… はい いきます。
よーい はい!

ちょうど 多分
私が 初めて取材をした頃って

その頃ですよね。
そうですね。

懐かしい。 アハハッ。
エヘヘッ。

懐かしい~。
ね~。

〈インタビュアーの宮嶋泰子は

リクルート入社当時から
有森を取材してきた〉

〈今も忘れられない
30年前の記憶がある〉

私 あの時
小出監督がおっしゃった言葉

今でも覚えてるんですけど…。

トラックレースの日
だったんですよ。

監督が 私の横でね
「見てごらん」って

「あの子の走り
ペタペタ ペタペタして

全然バネがないでしょ?」って

「全然 才能ないんだけどね」って
言うんですよ。

「だけどね
あの子は 心の才能があるんだよ」。

「心の才能が」って
すっごく おっしゃったわけ。

で 私は はあ~
そういうもんなのかなと思って…。

でも それは
ものすごく強調してらした事が

なんか 今でも覚えてる。

セリフ 全部覚えてますよ。
お~。 ハハッ。

う~ん… なんか そうですね。

「有森 人間は とにかく
2つの素質が大事」って。

それは 「体の素質と
気持ちの素質だ」って。

まあ
「体の素質あるの大事なんだけど

心の素質は もしかしたら

体の素質を持ってる人に
並べるかもしれないし

ともすれば
追い抜けるかもしれないから」。

「お前は 体の素質は
ゼロなんだ」と。

「ほぼ
マイナスに近いんだ」。

「だけど

気持ちの素質はね 世界一だから

うまくいけばね

頑張れば 追い抜けるから

それだけは信じていい」って。

実際 あの時 もう 私も いくつか
練習 見させてもらって…。

長~い距離の時…。

あれは… 榛名湖だ。
榛名湖の…。

あ~。 うわ~ 嫌な…。
あれ きつかった。

もう本当に
私 いい思い出のある場所

本当に ないんですよ。

本当 きつかった。
だって 見てるほうまで

涙出てくるほどでしたよ あれ。
ねっ。

変な話
あの練習の時に 初めて…

途中で止まらないで…

止まれないから…
夏だったんで…。

まあ 番組上 ちょっと
汚いかもしれないですけど…。

トイレにね 行きたいけど

「止まってはいけない」って
言って…。

まあ ねっ 小のほうを

水をね かけながらしましたもん。

しながら走りましたもん。
もう そのくらい…。

いや でも 私 本当に
世の中に ここになるまで…

本当… 走る練習があるのか
っていうのを

間近で こう見させられたって
感じでしたよね。

ただね 監督が…

私 本当 指導で
すごくありがたかったのは…。

何分で帰って来いとか

こうじゃなきゃダメっていうね
そのタイムを言わなくて

「どれだけかかっても いいんだ」と
「1日かかってもいいから」。

「だけど このメニューは
やり終えような」と。

その出し方はね
すごく 私にとっては…。

遅いから 元々 やっぱり
みんなに比べれば。

でも やっぱり
距離は ちゃんと踏んだので…。

逆に タイムが上がったんですよ。
はあ~。

そう。 だから
3000前後だけやってる時よりは

マラソン練習
するようになってからの

通過タイムは 速くなったんです
3000 5000の…。

はあ~。 面白いものですね。
面白かったですね。

もうね へとも思わなかったですね
短い距離が。

「片道1キロの坂道を往復10回」

「トータル20キロの練習です」

ハァ ハァ…。

有森 足首で走ってる お前。

ももだよ。 そう。

「急な坂道を走る事で
体に 刺激を与え

筋力 心肺機能を鍛えていきます」

ハァ ハァ…。

〈過酷なトレーニングで

有森は
どんどん 力をつけていく〉

〈それを証明するかのように

1年後
初マラソン日本最高記録を

打ち立てる〉

〈翌年には

2回目のレースとなった
国際大会で

日本人トップでゴール〉

〈2時間28分1秒をたたき出し

日本最高記録を塗り替えた〉

〈迎えた1992年

初めてのオリンピック〉

(実況)
有森が まもなくゴールです。

(解説)笑顔が…。
(実況)そうですね。

(実況)銀メダル! 有森が
銀メダルを獲得! 第2位!

よく頑張りました!

〈マラソン歴3年で 銀メダル〉

〈日本の陸上女子としては

64年ぶりの快挙だった〉

〈だが 実は この時

レース直前に

コンタクトレンズを
紛失してしまったそうだ〉

「オリンピックで
こういう事があっていいの?」

っていうような体験をね
されてると思いますけど…。

コンタクトね~。 なんかね 本当

それまでね いろいろ
足の事に集中してたんですよ。

「足が痛い。 ここが痛い」って
言ってね。

で まあ 当日の朝…。

なんでしょうね あれ…。
普段しない事してたんですよね。

普段 私 水をね 流さないんですよ
はめる時に。

あの当時って ワンペアしかね…
スペアなんてなかったから…。

なんか その時ね
ホテルの水を こう

ザーッて 蛇口ひねりながらね
こう

なんとか はめようとしてて

パチッて やった瞬間に あれ?
っていったら なんか こう

ないわけですよ ここに もう。
見えてもないわけですよ。

「え~!」って言って もう
「あ~!」って言って…。

うわ~って止めたけど
もう 時遅しで

どこにいった? どこにいった?
どこにいった? って…。

0.05以下じゃないですか。

もう見えないわけですよ
ほとんど。

「ちょっと待て。
あと一個ある あと一個」。

で あと一個 どっちだっけ? って
もう こうやって

「ああ ここにある ここにある」
っていって。

もう それは もちろん止めて。
もう こうやって はめて。

何が起きてるか
よくわかんないけど

あの もう… 現実はないんですよ
1個 コンタクトが。

試合の日の朝ですよ!
朝です 朝です 朝ですよ。

で こう ジーッと
鏡で 自分の顔見ながら

「見える 見える」。

「何が見えればいい?」って こう
一生懸命 問いかけてるわけ 鏡に。

「水」 あの… ボトルね。

あと「道」。
「道が見えればいい」。

「あと いい 見えなくて」。

もう そう思い始めたら
足が痛いだなんだとかも

全部 すっ飛んじゃって

もう そっからね
ほとんど 何も覚えてない。

だけど 人間の集中力って
すごいなって思うんですけど

そっからの不便さをね
何も覚えてない。

だから 見えない…

コンタクト片方 不便も
覚えてない。

足の痛いのも覚えてない。

「あっ ブルーラインが
ひいてある」っていう事だけ。

もう そこを真っすぐ行けばいい。
そう。

もう ブルーライン。
はあ~。

まあ
ブルー 大好きな色だったんで…。

そう ブルーラインがある
っていうね それだけで。

(実況)
ブルーのラインが ちょうど

こちらへ来ては
しばらくなかったんですが

3日前ぐらいに
このブルーラインが敷かれました。

マラソンのライン
そのブルーラインの上を

1 2 1 2とリズムをつくって
走っていきます 有森です。

あのバルセロナっていうのは

本当に モンジュイックの丘が
一番嫌なところに

あったじゃないですか。
ラスト4キロね。

ね~ ラスト4キロ
きつくなかったですか?

エゴロワさんとの一騎打ち。
そう 一騎打ち。

本当 抜きつ抜かれつで。

私 下りが得意だったんですね。
彼女 上りが得意で。

その交互ですよね。

途中で 私ね 実はね
もう一緒に行こうって

思ったんですよ 本当に 彼女に。

もう ここまでだから
一緒に行こうって思ったって

終わったあとに言ったら…。

ハハハハ…。
ハハハハ…。

ああ やっぱ
そのイメージの違いだって

思いましたね。
ああ そう。

彼女は やっぱ強かった。

もう あの走りはね…。
パタパタ パタパタ…。

このあと 私 絶対 この人の走り
まねしようと思いましたもん。

どうやったら あの安定した走りが
出来るんだろう? って

あの体幹は どうやったら
つくれるんだろう? って

すごく思いましたね。

〈けれど
次のアトランタまでの4年間は

有森にとって
今も思い出したくないという

苦しみの時となった〉

〈ただ それだけだった〉

次 この… もっと強くなるのに
どうしよう? 何したい? って

だから やっぱり
ウェートトレーニングだろうとか。

体幹トレーニングも含めて

あれしたい
これしなきゃっていうのは

ざっと浮かんだんですね。

その時に…
終わった 何日目かな…。

監督が…
「有森 次 駅伝な」

って言われたんですよ。

もう なんか それが
すごいショックで 私。

「えっ?
駅伝? 私」って。

ああ 要するに
チームとしては

日本の中ではね

やっぱり
チームで戦う駅伝で

優勝しないと…。
うん。

私にしてみると
その言葉の取り方は

まあまあ 頑張ったな。
まあまあまあ…

また みんなと一緒に戻ろう
みたいな。

なんか こう
自分が ここまで来れた事が

こういかなかった事に…。
リセットで またゼロに戻る

みたいなイメージが
あったんですね。

それで 結構 自分でも
ビックリするぐらいショックで

「駅伝を頑張ろう」って
言われた事が。

銀メダルが 絶対
次なる自分の前に…

上に進むために
輝くと思ってた。

輝くと… 輝かせてもらえると
思ってたし…。

漠然とですよ でも。
いないから 前例が。

まあ 向こうも
困ってた。 現場も。

私自身も

いやいや これもしたいんだけど
あれもしたいんだけどって

言っていいと思って
言うじゃないですか。

そうすると 返ってくる反応が

わがまま。 ねっ。

「ちょっとメダル取ったからって
わがままになって」。 ねっ。

「天狗になって」とか。

…って来るわけですよ。
なんか聞こえてくる。

なんか
そのトーンの違いというか

かみ合わない事が

どんどん
体を硬くしてったんでしょうね。

ちょっとでも無理して走ると
痛みが出る。

痛みが出ると言われるんですよ。

「そんな事 考えてるから
体が そんな なるんだ」みたいな。

「気持ちから来るんだ」みたいに
言われて。

そうか そうかって。

気持ちが こうだから
痛みがあるのか

痛いから
こういう気持ちになるのか

それさえも
わかんなくなってくる。

別に すごくね
何かを求めたんじゃない。

やっぱ 強いという事…
強くなれたという事において…。

そうね。 方法も見られたし…。
方法も見れたし。

強い人たちも
実際 見てるしみたいな。

だから もっと 「こいつらと
こういうふうに やろう」とか

「こいつが こうなったから

みんなも こう」とかって
なると思ったんですよ。

けど… でも 本当に

私が おかしいと思ってる事が
おかしいのか

私自身が おかしいのか。
う~ん。

いや まあ
そういう気持ちを抱えたまま

次のアトランタに向かう
っていうのは

それも大変でしたよね。

出たいと思って出た
っていうよりは…。

だから
何色でもいいから メダルは。

とにかく その肩書を
持った人間になる事が…。

それは なぜ?

その前の苦しんだ時間が
正しかったか 正しくなかったか

っていう事の
確認をしたかったから。

それをしないと
やっぱり 私は その先に進めない。

走る事を通して生きる
という道筋が出来ないから。

周りはね 多分 私が メダル取ると
思ってなかったと思う。

3番目に選ばれましたから。

もう いいんです。
周りはね どうでもよかったです。

周りの評価とか

そんな気持ちうんぬんも…
何を思ってるかとか

期待されてる されてない
そんなのどうでもよくて

自分が自分に。

だから 出たいと思って出た
大会ではない。

マストで出たっていう。

そこは 日々の練習するのに
とってもきつかったですね。

なんか こう…

やらなきゃいけない!
っていう事でしたからね。

やりたいじゃなくて。

〈己の存在を示すには
結果を出すのみ〉

〈アトランタに続く道のりは

まさに 自分との戦いだった〉

〈メダリストの矜持が
そこに のぞいていた〉

(解説)有森裕子です 有森裕子。

〈1996年〉

〈有森は
自分を証明するため

アトランタを走った〉

(実況)お母さんが
日の丸を振っている!

お母さんが日の丸を振っている!

〈苦しんだ末の銅メダルには

銀メダル以上の重みを

感じていたようだ〉

〈2大会連続のメダル獲得で

気付いた事がある〉

ホッとしたというか

もう すごい静かな喜びでした。

だから
あの言葉が出たわけですね?

そうですね。 うん あれは もう

その自分の気持ちの振り返りと

自分のやってきた時間に対しての
納得感で…。

まあ 終わったあとに やっぱり
いろいろ思った時に…。

って思いました なんか。

それまで 喜びを
力にだったんですよ ずっと。

それ 苦しみも
力になっちゃうと…。

そう。 だから 結局 人間は

なんか こう いろんなものをね

力に出来る事が大事だし

力に出来る生き物だから

その能力は ものすごく大事
って教えられましたね。

〈引退は40歳だった〉

〈2007年の東京マラソンが
ラストラン〉

〈今 日本陸上競技連盟の理事を
務める〉

TOKYO.

(歓声)

〈東京オリンピックまで
あと1年〉

〈15年近く
日本記録が更新されず

低迷の続く女子マラソンに

思うところがあるようだ〉

オリンピック2020 東京へ向けて

マラソンランナーは
どうあるべきか?

言いたい事
山のようにあるでしょ?

って聞きたいんです
本当に毎日。

実業団に入って
朝から晩まで走ってて

誰のためでもないですよね?

自分が選んで 自分が決めて

目標があるわけだと思うんですよ。

だとしたら
その中で 何を日々 頭に描いて

どうしようと思って
一つ一つをやってますか?

って聞いた時…
聞きたくなった時に

見えないんですよ そこがね。
う~ん。

なんか 一生懸命 周りが考えて

ペースメーカーをね 前後つけて

いや もう ギリギリ MGC
最後 出れるタイムを

切らせるように作りましょうとか。

手かけすぎなのね みんなね。
かけすぎですね。

多分 かけすぎもあるし

男子はね やっと
一時ね みんなね

箱根が害みたいな事ね
散々 言ってね

私 ずっと あの時から
「そんな贅沢な事 言って

そんなの 全然 言い訳だ」
って言ってたのに

今 コロッと変わって 「やっぱり
箱根が大事だったよな」とかって

「いやいやいや もとから
言ってるじゃん」とか

もう… 言うんですけど。

まあ 男子はね やっぱり
箱根があるという事で

そうすると そこは
最低距離が20キロ。

というと この20キロは
箱根の山まで登ろうとすると

30キロ 40キロ
走れてなきゃダメなわけですよ。

マラソンの地が…
下地が出来てくるわけですよ。

で やっと それが今 来た。

で いうと
女子は それがないんですよ。

そう。 最高10キロでしょ?
うん。

大学女子駅伝も
そんな長い距離ない。

実業団もない。
はい。

だから
マラソンの下地なんて なくて

せいぜいやって トラックの
あの短い距離の練習の延長で

いやいや 距離なんかやらなくて
スピードがあればいい

ってきちゃって 来るわけですよ。

昔の選手って
50キロ 60キロ 70キロ

ってやってる人
いっぱい いましたよね?

いました。 それが 私は
全部正しいとは言わないです。

だけど それに文句を言うんなら…
文句じゃないけど

「やーやー」言うんなら

今は… 今の時代が うんぬん
って言うんなら

まず
その結果を出してきた人たちと

全く違う事で
まず 結果出しなさいと 早く。

だけど それを出す前から
いやいや… スピード練習でいい

いやいや
このくらいの距離でいい

いやいや こんな事やらなくていい
って…。

やらなくてよくて 結果出るんなら
世話ないんですよ。

出した人が みんな やってる事は
同じなんだから

どっち取るって言われたら
取るじゃないですか こっちを。

何一つ 条件は落ちてない。

食事の質も 情報の多さも
練習環境も

もう 日常において
何一つ 私たちの時代から

落ちたものがないんですね。

もう 上がる一方ですよ。

そうですよね。

いや 本当ね これね
もう もう… 「すいませんね」

って言うぐらいですけど

自分で考えたほうがいい。

もう 周りがね 望む…
もういい 別に 私たち…。

もう 走れないんなら
別にいいですよ もう。

でも 本人が どうしたい…。
あんたがどうしたいの?

っていうところで…。

ペースメーカーなんて
あんなのは透明人間なんだから。

ですよね? だって
本番いないわけですからね。

ペースメーカーが下手だった
うんぬんかんぬん

確かに
下手だったかもしれないけど

レース本番だって
そうなるんだって…。

それで乱されて終わりました。
結果出ませんでした。

…で いいんですか?
って話ですよね?

でも…。

「速く来るなあ もう いい感じ…。
えっ タイムどのくらい?」

って言ったら 言うわけですよ。

「そっか そっか」って。
「いい感じです」って言うから

「じゃあ 頑張ってね」って言って。

で 蓋を開けてみたら

招待選手ゼロ。

28分 誰一人切れてない。
何? っていう…。

28分って 私が
91年に出したタイムですからね。

さすがの私も ちょっと
ちゃぶ台ひっくり返しましたね。

もう 気持ちでしかない
って言うしか

言いようがないじゃないですか
だって。

ねえ。
うん。

大体 そういうコメント
私に回ってくるんですよね。

アハハハ…。
(スタッフの笑い)

「有森さん 最後のひと言
言ってください」って…。

アリちゃんに?
アリちゃんに叱られる。

って言いたくなる。

言いたくなるんですよ 本当に。
でも 本当にわかる。

〈有森裕子は
第二の人生も快調にひた走る〉

〈自ら立ち上げた
スポーツマネジメント会社では

問題視されて久しい

アスリートのセカンドキャリアを
後押し〉

〈カンボジアの地雷被害者を
支援する

チャリティーマラソンは
始めて もう22年になる〉

〈知的障がい者の社会参加にも
尽力してきた〉

これだけは 生涯通じて

自分の中で通してやっていきたい
って事は なんですか?

まあ 自分自身がね

スポーツの良さを
すごく感じてるので

そういった
スポーツを通して 中心として

いろんな現場 人たち…
環境下に生きる人たちの

生きる力を促したいとは
思ってますね。

人間の一番大事な感情を
こう ねっ

促せる… 元気に促せる

そういったものに
常に携わりたいと思ってます。

でも 本当ね 有森さんが
なんで こんなに次から次に

セカンドキャリアも
アグレッシブに

生きていけるのかなって。

次々に 扉を こう 開いていくかな
って感じ…。

次々に わかんない事が
いっぱいあるんですよ。

わかんない事ありすぎて…。

やっぱり
自分の生きてきた範囲のものが

狭いじゃないですか。
割と こう 限られてて…。

そろそろね それだけで
生きていける時間が…

生きていける内容が
限りが来ていて

そろそろ 本物の
きちんとした こう 軸をね

持たなきゃいけないな
っていう事に

常に なんとなく
自分は感じてるんですよ。

それが なんなのかを

常に こう いろいろ やりながら
探してる感じですね。

だから 止まらないし
止まれないし…。

誰もが出来る事じゃない事を

本当に軽々とやってしまう
彼女の力っていうのは

やっぱり あの粘りと

自分は どうすれば
それが出来るかな

っていうのを考える力なんだな
っていうのを本当に思いました。

でも それにしても やっぱり

素敵な先生との出会いが
小学校の時にあって

「そんな出来ない事ばっかり
考えちゃダメ」

っていう あの先生 最高です!

〈有森裕子が
今 大切にしている言葉〉

「すべてを力に すべては力に…」

明日 どうなるか わかんない。
次 どう来るか わかんない

っていう その日々のものを

いかに 自分が受け入れて
それに順応して

力に変えて 頑張れるか。

これが出来る事が
人間のすごさであり

大事な事だと思ってるので

「すべてを力に
すべては力に…」なる

この言葉を私自身も

自分に言い聞かせてます。

〈苦しみや
悲しみも

必ずや 己の

血となり
肉となる〉


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