てれまさむね 俳優渡辺謙さん気仙沼への思い 強豪・高校ボクシング部震災後の8年 カフェをオープンした俳優の渡辺謙さん…


出典:『てれまさむね 俳優渡辺謙さん気仙沼への思い 強豪・高校ボクシング部震災後の8年』の番組情報(EPGから引用)


てれまさむね[字]▽俳優渡辺謙さん気仙沼への思い▽強豪・高校ボクシング部震災後の8年


▽震災後、気仙沼市の港近くにカフェをオープンした俳優の渡辺謙さん。震災8年を前に「気仙沼と世界をつなぎたい」と思いを新たにしている謙さんにインタビューしました。


詳細情報

番組内容

みやぎの今が丸ごとわかり、暮らしや今後に役立つ情報をお届けします!災害や事件事故が起きた際の緊急報道。東日本大震災の発生から7年が過ぎた被災地の姿や課題・教訓を伝える震災報道。楽天やベガルタ、高校野球などのスポーツニュース。それに地域の話題や情報も盛りだくさん!みなさんが撮影した事件事故・災害・風景などの動画も引き続き大募集!てれまさむねホームページから「スクープBOX」へお送りください。

出演者

【出演】真下貴,伊藤友見



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てれまさむね 俳優渡辺謙さん気仙沼への思い 強豪・高校ボクシング部
  1. ツアー
  2. 震災
  3. 津波
  4. 億円
  5. 気仙沼
  6. 被災地
  7. 復興
  8. 運転
  9. 完成
  10. 支援
  11. 渡辺謙
  12. 東日本大震災
  13. 被災
  14. お伝え
  15. カフェ
  16. サンドバッグ
  17. 課題
  18. 仙台市
  19. 気仙沼市
  20. 経験


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『こんばんは。今晩の
てれまさむね。伊達政宗、

渡辺謙がお伝えします。』

こんばんは。3月4日月曜日の

てれまさむねです。なんと豪華な
オープニングでしょう。私すぐ隣

にいたんですけど大河ドラマの
独眼竜政宗の渡辺謙さんが

てれまさむねと言ってくださって
います。

ということでご覧のような内容で
お伝えしていきますけれども

謙さんのインタビュー番組中盤の
23分ごろからお伝えすることに

しております。
ではニュースをお伝えしています。

東日本大震災の体験を若い世代に
伝えていく。これさまざまな

ところで今課題になっている。
私たちもずっとお伝えしてきて

ますけれども行政機関にとっても
課題です。

仙台市では震災を経験していない
職員が先輩職員などから体験談を

聞いて災害への備えを考える
研修会が開かれました。

この研修会は仙台市の青葉区役所

で開かれ
震災の発生当時、若林区の職員と

して避難所への職員派遣などを
行っていた及川艶子さんが当時の

体験を語りました。

このあと参加した職員どうしで
災害時に何ができるかを話し合い

ました。
仙台市では震災を経験していない

職員が年々増え
大災害が起きた際にどのように

対応するかを伝えていくことが
課題になっています。

東日本大震災の発生からまもなく
8年になる中

村井知事は県内の災害公営住宅が

今月末ですべて完成する見込みに
なったことを評価する一方で

一部の地区で今も続く土地区画

整理事業による宅地の造成に
ついて、

一日も早く完了するよう自治体を
支援する考えを示しました。

その一方でことし1月末時点で

応急仮設住宅に807人が住んで
いることに触れ

土地区画整理事業などが100%

完成しなければ移転が終わらない
と述べ

気仙沼市や名取市の一部の地区で
完成が新年度までずれ込んだ

土地区画整理事業による宅地の
造成が

一日も早く完了するよう支援する
考えを示しました。

さらに村井知事は

災害公営住宅に移った際に新たな

コミュニティーになじめないなど
実際に住んで分かる課題が顕在化

すると思うと述べ
今後、被災した人たちの心のケア

などソフト面の支援をより重視

していく考えを改めて
強調しました。


の財源不足およそ100億円の
見通しです。

東日本大震災で被災した地域を
国が重点的に支援する

復興・創生期間が終了したあとの
2022年度に宮城県はおよそ

100億円の財源が不足すると
いう財政見通しを示しました。

宮城県が発表した財政の見通しに
よりますと東日本大震災で被災

した地域を国が重点的に支援する

復興・創生期間のあとの

2022年度の財政規模は

およそ
8900億円と

2019年度より2200億円
余り減少すると見込んでいます。

これは震災からの復旧事業などに

かかる経費が988億円と

2019年度の2957億円と

比べて3分の1となるためです。

一方で社会保障費や幼児教育
無償化などの経費が増加し

97億円の財源不足となる見込み
です。

県は財源不足に対応するため県の
貯金にあたる財政調整基金を

取り崩して賄うことにしていて
2022年度の当初予算後の基金

の残高は僅か34億円となります。

県によりますとこの見通しは
復興・創生期間のあとも継続して

国の財政支援が得られることを
前提としているということで

仮に国の支援が得られなければ
状況は一層深刻化することになり

ます。
このため県は政策に優先順位を

つけるなどして歳出を抑制し財政
の健全化に努めることにしてい

ます。

次は

震災で被災した人に自治体が
貸し付けた災害援護資金について

です。
今多くの人が返済時期を迎えてい

ますが
返済が難しいという人からの相談

に弁護士が応じる無料相談会が
仙台市で開かれました。

この無料相談会は仙台弁護士会が

毎月第1月曜日の午前10時から
弁護士会館で開いていて制度に

詳しい弁護士が相談に応じてい
ます。

災害援護資金は
災害で住まいが壊れた人などに

自治体が最大で350万円を
貸し付ける制度で

東日本

大震災で被災した人の多く

が今返済時期を迎えています。

しかし震災後に収入が減った
などの理由で返済できない人も

多く
貸し付け件数が県内で最も多い

仙台市では
去年末までに返済時期を迎えた

8766件の54%が滞納して
いるということです。

仙台弁護士会は平日は毎日電話に
よる相談も受け付けています。

けさ、仙台市内の道路で酒を
飲んだ

状態で車を運転したとして
市内の病院に勤務する65歳の

医師が酒気帯び運転の疑いで逮捕
されました。

逮捕されたのは東北ろうさい病院

の心療内科部長で医師の
田口文人容疑者です。

警察によりますと田口医師は
きょう午前8時前、

仙台市青葉区の私道で酒を飲んだ
状態で乗用車を運転し

酒気帯び運転の疑いが持たれてい
ます。

警察によりますとけさ、
東北ろうさい病院の近くにある

駐車場で乗用車が周囲の車などに
ぶつかりながらバックや前進を

繰り返して

いるのを
通りかかった人が見つけ

不審に思って警察に通報したと
いうことで

駆けつけた警察官が近くにいた
田口医師の呼気を調べたところ

基準値を超えるアルコールが検出
されたということです。

警察の調べに対し、田口医師は
昨夜自宅で酒を飲んで乗用車を

運転したことを認め、
アルコールが残っているとは

分かっていたが出勤しなければ
ならず車を運転してしまったと

話しているということです。

東北ろうさい病院の徳村弘実院長

事実であれば誠に遺憾であり再発
防止に強く取り組みたいと考えて

いますとコメントしています。

地震や津波で大きな被害を
受けた沿岸の被災地は復興を

進めながら新たな課題にも
向き合っています。

あのとき津波に襲われた地域は
どう変わってきたのか。

6回目のきょうは気仙沼市です。
県内有数の漁港を持つ気仙沼市。

暮らしの中心部が海辺に集中して
いたため、東日本大震災では

市内のおよそ4割にあたる住宅が
被災

しました。県によりますと
死者、行方不明者は合わせて

1432人。人口は

およそ6万3000人と震災前と

比べて1万人以上減っています。

『気仙沼市階上地区です。
ここでは今も防潮堤工事が

続けられています。』

市民の命を守る防潮堤。
去年までに完成したのは全体の

およそ4割。がれきの処理に
手間取り、

想定よりも
遅れています。道路工事も

およそ6割にとどまり
一刻も早い完成が望まれます。

人口の減少に歯止めをかけ
町のさらなる復興に向けて

産業の振興は欠かせません。
基幹

産業である水産業は津波にも
流されずに残った魚市場を使い

漁獲高は震災前の7割ほどまでに
戻りました。

さらに

今月中には新しい魚市場が
完成

し、これまでと合わせると
2倍の大きさとなります。

これに合わせて受け入れ体制など
を強化し、漁業の町の完全復活に

向けて漁船の誘致や販路の拡大と

いった新たな課題に向き合います。

水産業に加え、市は観光業を

伸ばす取り組みも広げています。

去年11月、まちづくり会社と

協力して地元の特産品を使った

料理を楽しめる新しい商業施設を
震災

前の中心地にオープン
させました。いわゆる復興特需が

薄れつつある今、町の新たな

魅力を作り出すことが不可欠だと

担当者は強調します。

『現在、さら地になっている
この場所にはことし、新たな

商業スポットとして屋台村も
建設されます。震災から8年。

復興に向けた環境整備が
進んできた中で地域のにぎわいを

取り戻せるかどうかはこれからの
取り組みにかかります。』

今気仙沼市の現状と課題について
お伝えしましたが、

俳優の渡辺謙さんは震災以降

気仙沼市への支援をずっと続けて
いて

6年前には市内にカフェを
オープンさせました。

今も気仙沼市に通い続ける

渡辺謙さんに私がカフェに
お邪魔して被災地、気仙沼への

思いを聞いてきました。
『飲食業ではないんですよ。

僕はエンターテインメントだと
思っているんですよ。何もここで

ミシュランの一つ星を取りたい
わけではなくて、本当にお客様が

ゆったりと過ごして帰り際に
笑顔になってまた来たいな

と思えるような
そういう時間を提供したい。』

渡辺謙さんが経営するカフェ、
Kーportは気仙沼市中心部の

港の近くにあります。

6年前のオープン以来、
今も合間を見ては気仙沼を訪れ

店のカウンターに立って
お客との交流を続けています。

『ここ、いらっしゃるときって
ルートはどう

いらっしゃるんですか。』
『新幹線で一関まで来て

あとはレンタカーですね。』
『レンタカーご自分で

運転されるんですか。』
『もちろんです。

もちろんです。』
『えー。』

『野良犬なんですよ。
全然首輪がついてない。』

『どうしてカフェ
だったんですか。』

『あのね、もともとが、何が
欲しい?何が足りないの今?って

いうふうに聞いたときにちょうど
1年、半年ちょっとたったぐらい

ですかね。人が集まるスペースが
ない。そうやって人をこう

何かよりどころになるような
そういうスペースがない。

そういうものができたら
いいよなって言われたんですよ。

じゃあ、そういう経験も僕は
なかったんですけど

カフェのスタイルをとって常に
そこに行けば誰かはいるという

そういう中でイベントだったり
ライブだったりというのを

やれるようにはできないかな
と発展していったんですよね。』

『正直お店に謙さんいると
わーってお客さんなりません?』

『ならないんですよ、それが。』

『えー。』

震災以降、各地の被災地を回った
渡辺謙さん。気仙沼には

大きな魅力があったといいます。

『さまざまな支援活動して
こられた中でどうして

気仙沼だったんですか。』

不思議な町だったんですよ。

ここの人たちって何かこう
向かってる方向が

東京じゃなくていきなり
世界だったりするんですよ。

それは何かね、ここから結構
遠洋の船がたくさん出てるので

何かそういう日本にとどまらない
みたいな感覚がすごくあって

ここ、もしかしたら被災地の中で
トップランナーかもしれないって

思ったんですね。そういう中で

僕が何かできることがあるのかな
って思ってたんですけどね。

この上の丘の上のホテルにいつも
泊まるんですけどここに下りて

来るときにこの内湾の風景の中に
あるKーportを見る

というのがいちばん好きですね。

建物が建ったなとかあっちにも
防潮堤ができてきたなとか

ある種、僕の中の定点として
この町を今ずっと見てる

感じですよね。』

『ふと気仙沼のことを思う
ときってどんなときですか。』

『いやいや毎日思ってますよ。
ここの売り上げ、毎日チェック

してますからね。別にそれは

経済的な問題というよりも
どれだけ人が集まってるか

どれだけ人が来てくれてるか。
例えば冬場なんかやっぱり

なかなか人が出ないわけですよ。

そういう中でも
あ、こんなにきょうは人が

集まってもらったんだとか
あれ、こんだけやっぱり何か

僕らの中に足りないのかなとか
そういうことをちょこちょこ

みんなと連絡を取りながら
やってるものですから

それは本当に毎日考えますよ。』
店には渡辺さん直筆の

メッセージが置かれています。
ほぼ毎日書いている

このメッセージ、公演などで
海外にいるときはFAXで

店に送るといいます。

『これから先、何が不安なのって
聞いたときにやっぱり忘れられる

ことがいちばん不安なんだよね
って。もちろんその震災が

あったことだけでなくて
僕たちの存在、ここの存在

僕たちの存在を忘れられてしまう
ということが本当に

不安なんだよね。せっかく
いろいろな方々とつながっても。

そういうことがあったので
僕は決して忘れてませんよ。僕は

ちゃんと毎日つながってますよ
ということをやっぱり伝えるべき

かなというふうに思って始めた。

でもね、ほとんど僕の日記
みたいになってますけど。

公演だと、舞台公演していると
舞台公演の近況報告みたいな

本当に日記みたいな形
ですけどね。』

10年はカフェを続けていきたい
という渡辺謙さん。気仙沼の

人たちと共に常に前を向いて
歩いていきたいと話しています。

『被災地でない場所がないぐらい
いろいろなところで災害も

起きてますし被災者の方たくさん
いらっしゃると思うので、だから

そのことだけがもう問題では

なくて、いかにやっぱり地方の
特色を生かして、気仙沼は

これなんだ、東北はこれなんだと

いうことをやっぱ僕らが発見して
プレゼンテーション

していって
一緒に楽しんでいかないと

要するにあのときこうだったと
いうよりももっと今からこうして

いくんだ、ああしていくんだ
ということを僕はずっと

考え続けるべきだと思うし
もちろんそれを忘れちゃいけない

と思ってますけど、でもそのこと
だけに思いをはせるのではなくて

もちろんそれは人ではなくてね
風景とかというのはもっともっと

前のほうに前のほうに未来に
向けていろんなことを

考えていきたいというふうに
僕は思ってるんですけどね。』

気仙沼のことを毎日考えてお店の
開店に合わせて朝にFAXを送る

そうです。

こんばんは。気象情報お伝えし
ます。この時間の仙台市中心部

すっかり雨はやんでいます。
路面もほとんど乾いてるような

状況です。そしてこの時間の気温

ですけれども8度3分あるんです
ね。午前中はほとんど6度台と

いうことでひんやりと感じた
んですけれども雨が上がってから

少し上がってきました。
そしてあしたは

一転して晴れそうなんですね。
晴れて気温が上がりそうなんです

がその分、花粉が
きょうの分も飛びそうです。

ということでやっぺぇのように
花粉症の方はマスクなどをして

しっかりと対策をするようにして
ください。

子どものころに震災を経験し
大人へと成長する中で復興に

向かうふるさとを支えたいという
思いを強くする人たちがいます。

被災地、南三陸町の現状や魅力を
紹介するツアーをみずから

企画、運営してきた地元出身の

若者2人の学生生活
最後のツアーを追いました。

南三陸町に古くから伝わる
鹿子躍(ししおどり)。

被災地でもあるこの町を

全国の大学生に紹介する

ツアーの一コマです。

ツアーの中心メンバー
三浦貴裕さんと小野寺翔さん。

ともに22歳、南三陸町出身の

幼なじみです。

母校の戸倉中学校です。2人は

中学2年のとき、東日本大震災を

経験し、後輩の生徒1人と

教員1人が犠牲になりました。

高校を卒業後、2人は進学のため
町を離れましたが、ふるさとの

ことがあまりに知られていない
ことに衝撃を受け、復興の状況や

魅力を伝えるツアーを
仲間と立ち

上げました。

岐阜県と仙台市でそれぞれ学生を
しながら声をかけ合って地元に

帰り、ツアーの準備と実施を
重ねてきた2人。5回目を迎えた

今回が学生生活最後のツアーです。

『ちょっと歩いてもらいます。』
現在は公民館

となっている
母校の中学校。毎回

ツアーコースに入れてきました。

ここで被災した体験を
実感を持って伝えられるからです。

ほかの生徒と一緒に崖を登り
かろうじて津波から逃れた2人。

命の尊さを考える
きっかけにしてもらえたらと

説明に力が入ります。

震災で多くのものが失われた中
復興に向けて力強く歩もうとする

動きも紹介してきました。

その1つが林業です。震災のあと
特産の南三陸杉

などを伐採、
販売する会社が新たにできました。

その会社の協力を得て

林業を体験してもらいます。

自然の豊かさを感じてもらい
少しでも林業に関心を

持ってもらえたらという
願いを込めています。

町に親しんでもらおうと
おととしから取り入れたのが

鹿子躍の体験です。
津波

で道具は流されましたが

がれきの中から奇跡的に見つかり

町の人たちを
勇気づけたそうです。

小学生のころから踊りを
学んできた小野寺

さんが
指導役を務めます。

町が誇る伝統文化が
交流人口の増加につながればと

指導にも力が入ります。

2人にとって学生生活最後となる
ツアーもいよいよフィナーレ。

参加者に感想や思いを
自由に語ってもらいました。

ツアーを今後も続けていくか
どうかはまだ決めていませんが

2人はこれからも町の復興に
関わっていきます。

小野寺さんはツアーを通じて
興味

を深めた林業の会社に
就職します。

三浦さんはツアーを通じて
広がった人脈やノウハウを

生かしたいと考えています。
小野寺さんと同じように

ふるさとに戻り、
さまざまな研修を企画して

町の内と外をつなぐ
懸け橋でありたいと考えています。

ツアーを通じて学ぶことも
多かったという2人。

『また会いに来て。

また写真撮ろう。』

復興を目指すふるさとと
これからも歩み続けます。

ご自身の学びも多かったとおっし
ゃっていましたけど一度離れたか

らこそ地元のよさが見えてきたの
かもしれませんね。

こちら。
名取市の宮城県農業高校。

先週金曜日、新校舎となって
初めての卒業式が行われました。

校舎が新しくなっても震災後の
日々を忘れまいとボクシング部で

大切に引き継がれてきたものが
あります。

旅立ちの日。卒業生が心に刻んだ
誓いを見つめました。

宮城県農業高校ボクシング部。

新校舎に完成したリングで
練習に励んでいます。

真新しい練習場の中に
1

つだけ色あせたサンドバッグが
つるされています。

震災の津波に耐え

大切に引き継がれてきた
サンドバッグです。

ボクシング部を18年間
率いてきた平間直人監督です。

環境

が整っていく中、
逆境の日々を忘れないためにと

サンドバッグを残しました。

海から1キロの場所にあった
宮城県農業高校は、津波で

壊滅的な被害を受けました。

かつてインターハイで総合優勝を
果たしたボクシングの名門校。

しかし練習場となるリングは全壊。
そんな中、部員たちに勇気を

与えてくれたのが津波に耐えた
サンドバッグでした。

部員たちは農業用ハウスや
空き地など場所を転々としながら

ひたむきに練習を続けました。

津波に耐えたサンドバッグと
共に歩んだ8年。

新しい校舎で迎えた

初めての卒業式。ボクシング部の

卒業生、男女6名も
大学進学やプロボクサーなど

それぞれの道に進みます。

『卒業おめでとうございます。』

卒業式のあと、ボクシング部の
部員が集まり、送別会が

開かれました。

『ありがとうございます。』

卒業生から後輩へ
最後

のメッセージです。

津波に耐えたサンドバッグ。

打ち込まれた魂とその精神も
大切に引き継がれていきます。

暗い中でも光がなくても雨が降っ
てもやってきたということばに8

年間のことを言ってくれたような
気がしました。

岩手です。東日本大震災の
よくとしに被災地の子どもたちを

元気づけようと東南アジアの
ラオスから一関市の

岩手サファリパークにやって来た
2頭のメスのゾウが

帰国することになり
きのうお別れ会が開かれました。

2頭は背中に人を乗せたり
餌のやり取りで触れ合ったりして

多くの人に笑顔を届けてきました。

お別れ会では訪れた人たち
一人一人が作った造花の花輪を

頭に飾ったり一緒に写真を
撮ったりして別れを惜しみました。

好物のカボチャやニンジンなどの
野菜や果物を盛りつけた

特製のケーキが贈られました。

というわけでおなじみの
Vtuber動画ですが

NHK仙台放送局のホームページ
で公開されております。

描いてみてくださいね。


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