TOKYOディープ!「太宰治が愛した文化薫る街 三鷹」 三鷹で太宰は「走れメロス」、「人間失格」「斜陽」など生み出す。


出典:『TOKYOディープ!「太宰治が愛した文化薫る街 三鷹」』の番組情報(EPGから引用)


TOKYOディープ!「太宰治が愛した文化薫る街 三鷹」[字]


三鷹市は太宰治が生きた街。陸橋、酒屋跡、玉川上水…足跡たどると意外な太宰の一面を知る。大正時代から日本の天体観測の中心であった天文台なども紹介。文化薫る街!


詳細情報

番組内容

三鷹市は太宰治が愛した文化薫る街。三鷹で太宰は「走れメロス」、「人間失格」「斜陽」など生み出す。よく通った陸橋・酒屋跡、玉川上水…足跡をたどると“暗い”といわれる太宰の意外な面がみえてくる!ファン集まるカフェでは太宰への熱い思いを知る。大正時代から日本の天体観測の中心である天文台、何気ない昔の農家残す取り組み、都市に農業を残そうとがんばる農家、築100年の家にある絵本の施設など文化への志が熱い!

出演者

【出演】峯村リエ,【語り】モト冬樹





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TOKYOディープ!「太宰治が愛した文化薫る街 三鷹」
  1. 太宰
  2. 三鷹
  3. 駄場
  4. 吉永
  5. 吉田
  6. 山岡
  7. 峯村
  8. ホント
  9. 作品
  10. 子供
  11. 太陽
  12. 農業
  13. 野菜
  14. 観測
  15. 決意
  16. 三鷹市
  17. 天文学
  18. 農家
  19. 表面
  20. オープン


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三鷹にやってまいりました。

私は実は 何年か前に
三鷹に住んでいたことがありまして。

すごい いい街なんですけども

それほどね 深いところまでは
知らないと思うんですよ。

やって来たのは
昭和4年に造られた三鷹の名所 跨線橋。

あ やっぱり絶対これ
年季のある階段ですね。

うわ 何か広いですね~。

あ! 富士山。 いや~ きれい。

峯村さんの前に現れたのは…

ここで いきなり この橋に関するクイズ!

三鷹に最もゆかりの深い
近代文学史に名を刻む作家が

愛した場所といわれておりますが
誰だか…。

それはもうね 三鷹で作家さん。

私も高校時代 愛してやまなかった…

(吉永)正解です。
太宰 治さんも こちらに来て

上ってたんですか?
はい。

へ~!

(吉永)編集者ですとか
お弟子さんを ここまで連れ出して

富士山を眺めていた
という話も残っています。

実は太宰 治 この三鷹で
亡くなるまでの およそ8年間

充実した日々を過ごしたんだって。

というわけで…。

今回は…

太宰が愛した三鷹には
文化薫るスポットが

街のあちこちに!

三鷹は大正時代から…

あんまり瞬間 見られないですが。

太宰 治の足跡をたどりながら

古き良き文化を残す
三鷹の魅力に迫ります。

今回巡るのは 三鷹市。

東京の ほぼ中央に位置しています。

新宿からJR中央線で最速13分。

総武線各駅停車と
地下鉄東西線の始発駅。

都心へのアクセスの良さで人気の街です。

2人は…

ここ玉川上水で太宰 治は
38歳で入水しました。

だって今は こんな穏やかな流れでね
水量も少なくて…。

(吉永)太宰が作品の中に
玉川上水は

人喰い川と呼ばれている
ということも書いていて

中に入ると ひとたび
はい上がることはできなかった

上水でしたので。

暗いイメージだけど 吉永さんは

三鷹での太宰は
ちょっと違う面もあると言います。

太宰が作家として
一番長く暮らした街であり…

生きた街。

太宰が生きた街か~。

この辺りが
太宰 治が昔 住んでいた辺り。

昭和14年 太宰は再婚を機に
三鷹に引っ越してきました。

新居は12坪ほどの小さな借家。

その庭にあったものが残っています。

(吉永)自宅の玄関脇にあった
さるすべりの木が移植されています。

いろんな人たちが太宰 治を思いながら
触って見上げたんでしょうね。

2度目の結婚で新たな生活を始めた太宰。

何事にも前向きになっていったようです。

「東京八景」という
太宰が再起をかけた

家庭への決意を述べた
作品がありますので

ぜひ 峯村さんに
読んで頂きたいと思います。

は~ 決意ですね。

(吉永)こんなに
こう 男らしい太宰 治って

感じられないと思うんですね
晩年の作品からは。

ねえ。

あと これが自宅の縁側で写された…。

ね この笑顔。 みんな楽しそう。

三鷹で3人の子供にも恵まれ
家族を守る決意からか

こんな穏やかな表情も見せていたんだね。

そんな充実した暮らしから

「走れメロス」などの代表作が
三鷹で生まれたのです。

三鷹にすっごい長く住んだんですよね。
何でなんですかね?

当時は この辺りも もう麦畑が広がって

落ち着いた環境の中で創作する。

また ちょっと離れたところから

都心の文学というのを
かいま見るというか

非常に太宰にとっては
好都合な場所だったと思います。

何か ちょっと引いたところから見る
っていうのが

すごく太宰 治さんぽいですね。

太宰にとって
三鷹は居心地が良かったんだね。

次は
どんな太宰が見られるんだろう?

続いては太宰と家族が通った
酒屋の跡地に開設した

太宰 治文学サロンになります。

ここに
酒屋さんがあったんですね。

(吉永)小説の中で実際に出てくる
舞台でもあります。

ここには太宰ゆかりの品々が展示され

当時の太宰に
思いをはせることができます。

太宰と親交のあった亀井勝一郎は
「太宰は酒を飲むと非常に愉快になり

ユーモアに満ちていた」
という主旨のことを書き残しています。

へ~!

(吉永)あと太宰の作品に心を動かされて

弟子入りするんですけれども

太宰に会うと
その人となりに ほれ込んでしまって

人生の岐路に立たされた時は
太宰に相談に来る。

飲んでみたい!

意外にも頼もしかった太宰。

しかも 文学の他に
こんな趣味も持っていたんだって。

こちらが太宰 治が描いた
自画像と呼ばれているもので。

へ~ 顔の中に何種類も色がある。

ホントに暗い人じゃないんだなっていう。

まさに こういう感じなんじゃないか
って思う。

暗い部分がね あったりとか
明る~い部分があったりとか。

現代まで
とても人気 あるじゃないですか。

何でだと思います?

(吉永)そうすると 太宰は自分の代弁者だ
っていうような錯覚を起こすような…

まさにそうでした。 若いころ。

私が もんもんとしてたり
言いたかった言葉がここにあるみたいな。

自ら命を絶ったことは
非常に残念なことなんですけれども

老いた姿というのを
読者が認識していない。

脂の乗った時期のイメージのまま
生涯を終えているというところも

皮肉にも太宰 治の魅力の一つ
といえるんではないでしょうか。

そうなんでしょうね。

♬~

峯村さん 太宰の
熱烈なファンがいると聞いて訪ねました。

すいませ~ん。 うわ すっごいですね。

ここは 17年前に
オープンしたブックカフェ。

太宰関連の本が
なんと300冊もそろっています。

(駄場)いらっしゃいませ。
あ どうも。 こちらのお店の…。

太宰をこよなく愛する店主
駄場みゆきさんです。

作品としては何が一番…。

「斜陽」が好きですね。

女性の気持ちが女性以上に分かる
そこが すごいなって思いますし。

店では 貴重な太宰の初版本が
手に取って読めるんです。

ファンには たまらないよね。

これっていうのあります?
(駄場)やはり この「晩年」ですね。

袋から出して手に取る勇気がない…。
(駄場)ああ でも どうぞ。

やはり太宰 治の魂の一冊という…。
うわ~ すごいね。

(駄場)戦火を逃れてきてますから
ちょっと手が震えるというか。

そうですよね。
はい そうですね。

ホントに皆さん ハグされますね。
そうですよね。 すご~い。

実は駄場さんの出身は大阪。

駄場さんは大学で 太宰 治を研究。

卒論のテーマは「斜陽」でした。

そして 結婚のきっかけも なんと太宰!

ファンが集まる
ネットのオフ会で 夫と出会い

一目ぼれしたんだって。

太宰 治が 本当に好きなんですね。

はい 好きです。 20代前半の時に…

どの写真で。
あ この写真で…。

これは もうね。
本当にかっこいいですよ この。

(駄場)一瞬ふっと こう
気を抜いてしまった感じが。

あの 腕が結構 いい…。
そう。 いい腕してますよね。

ダメな人。 そうなんです。

そうそう そうそう
そうです そうです。

ね~。
ね~。

お待たせしました。

お客さんは もちろん大の太宰ファン。

「人間失格」ですかね。

中学校の時に読んで
俺のことじゃんっていう。

書き出しが… 「斜陽」が すごく印象的で
その書き出しから

一気に引き込まれたっていうのが…。

何か好きすぎて ひと言が…
難しいですけれど やっぱり…。

そして この店の名物が…。

(駄場)お待たせ致しました。
すごい!

描かれたんですよね?
(駄場)あ はい そうです。

すばらしい! そっくり!

飲んで下さい。

太宰の口の方から… 私の口。

(駄場)ありがとうございます。

多くの人たちに今も愛される太宰 治。

これからも
三鷹で語り継がれていくんだろうね。

三鷹は 実は
さまざまな文化の薫る街でもあるんです。

国立天文台。

前は通ってたんですけどね。
中に入るのは初めて。

ここは大正13年から最先端の技術で

天文学を研究してきた施設です。

どうも こんにちは。
こんにちは。

博士! 博士 大好き。
ありがとうございます。

何を研究されてるんですか?
はい 天文台というからには…。

(山岡)衝突して
変な形になってたりですね

ビッグバンの時って星の中で
炭素とかケイ素とか地球とか…

まあ 難しいことは分かんないけど

大正時代から残る
観測施設に行ってみることに。

(山岡)これ第一赤道儀室といって

このキャンパスで
一番古い建物になります。

わ~ これ 望遠鏡。

(山岡)レンズで光を集める…

(山岡)太陽の表面の観測をしてきて…。

太陽を直接見ると危険なので
昔は紙に投影して観測していました。

これホントに今 太陽の表面?
(山岡)そうです。

うわ~!
(山岡)太陽の表面には

黒いポツポツが よく見られます。
黒点といいます。

黒点とは 太陽の表面に出現する黒い斑点。

そこだけ磁場が強いんだって。

(山岡)フレアっていいます。

そのフレアが起きると
地球に粒々が飛んできて…。

そんな めったにはないことなんですよね。
ただ いつ起こっても おかしくないので。

平成10年まで
61年間 観測を行った望遠鏡。

紙にスケッチした黒点の記録は
今も太陽観測の貴重な資料なんだって。

ちなみに現在は 遠赤外線望遠鏡を使って
更に詳細なデータを観測しています。

この天文台では 宇宙のすばらしさを
一般の人にも知ってもらいたいと

定期的に星の観望会も行っています。

ネットでの中継もしてるんだって。

(山岡)「三鷹の夜空から」へ
ようこそ いらっしゃいました。

山岡さんは天文学を通じて

人々に
知ってほしいことがあるといいます。

皆さんが
天文学っていうことから学んだり

心を広く持ったりっていうことに
つながっていく。

そういう子たちが星を見た時に

「あ 俺たちは小さな国の中で
ゴチャゴチャやってるけれど

世界は こんなに広いんだ。

こんな事をやっていて いいんだろうか」
っていうふうに思ったという

そういう役割を 天文学で
果たしていければいいなと思ってます。

何か そして 久しぶりに私
上を すっごい見てました。

今 こうとかが多いですからね。
こうですもんね。

僕も 今夜 夜空を見上げてみるかな~。

文化の薫り高い三鷹では
こんなものも大切にしています。

ここは明治時代の一般的な暮らしを伝える
三鷹市の文化施設です。

ひゃ~ あ…。

(下原)こんにちは。
こんにちは!

峯村さんを待っていたのは…

これ昔から ここにあったんですか?
そうです。 明治35年に建てられて

典型的な農家っていうことで
この状態のままで住んでいたそうです。

この家は
養蚕と わさびを育てる農家でした。

持ち主から寄贈を受けた三鷹市が
耐震補強などを加えて建て直し

昨年 オープンさせたのです。

(下原)元の部材
9割以上使っていまして

この辺りも
みんな元からの部材なんですね。

土壁なんかは 一旦 元の土壁をほぐして
それを新しい土壁に混ぜることで

昔の色とか雰囲気を復元してます。

この こぢんまりした農家を再現してまで
残そうと思ったのは何でなんですかね。

(下原)三鷹は もともと農村でしたので…

更に ここでは
150年以上前から栽培していたわさびを

ボランティアの人たちが
残そうとしているんです。

やっぱり皆さんが三鷹の
いいところを ちゃんと知っていて

それを残そうっていう決意が
すごいですね。

博物館の中に
資料を閉じ込めるのではなくて

もともとあった場所に
貴重な建築だとか文化財があって

街が まるごと博物館だ
っていうような活動を

今後も続けていきたいなと
思っています。

続いては街で農業を残そうと
奮闘している人のもとへ。

お! 野菜の自動販売機
東京では珍しいよね。

現在でも三鷹市は
面積の およそ1割が畑という

農業が盛んな街なんです。

こんにちは どうもはじめまして
峯村と申します。

迎えてくれたのは…

300年か400年?
まあ そうですね。

吉田さんは一般的な野菜の他に
珍しい海外の野菜も栽培しています。

(吉田)カザフ大根っていう。
カザフ大根。

(吉田)中まで緑色なので。
中まで緑色なんだ。

まだ みずみずしくて おいしそうですよ。

ちょっと いただきま~す。

こちらは断面が赤い…

この辺が…。
これ何ですか?

(吉田)これがね
タルティーボっていうやつですね。

タルティーボ? 知らない。

(吉田)炒めて
加熱して使うものなんですよ。

日本じゃ
育ててる方が少ないと思いますね。

吉田さんは この野菜作りに
こだわりみたいなのはあるんですか?

え~!

無農薬栽培を始めたのは

父の敏雄さんでした。

売り物の野菜ができるまで

6年かかったといいます。

いや~ 難しいんだね。

吉田さんの野菜は
主にレストランなどで使われています。

お おいしそうだな~。

タルティーボは オーブン焼きにし
ソースを添えて。

おいしいですね。
ランチから こんな幸せな時間を…。

過ごさせて頂いて…。

無農薬でやってるからだとは
思うんですけども

結構 味が濃いものが多いので
素材の味がよく出るっていうことで

吉田さんのお野菜は
重宝させてもらってます。

吉田さんは インテリア関係の
会社で働いていましたが

父の死をきっかけに
農家を継ぐという一大決心をしました。

300年も続いてきた農業を
東京で続けるのは大変なんだって。

農業を守るため
畑の一部をアパートや洗車場にして

副収入を得ているんです。

この農作物を作るために 他のお仕事を
やられてるってことなんですね。

農業を残そうとする強い意志
頑張ってほしいな。

最後に
峯村さんが訪れたのは

あの国立天文台。

何だろう。

子供のための施設だというのですが…。

入っちゃお。 こんにちは~。

ここは何なんですか?

うわ~ いいですね。

ここは もともと 天文台の官舎でした。

(大塚)大体100年前ぐらいに
ここに建てられて。

は~…。

昔ながらの日本家屋の良さを生かし

平成20年に
子供たちの施設としてオープンしました。

宇宙に関するものの展示や
2, 500冊あまりの絵本で

子供たちの知的好奇心を
育もうとしています。

「いってらっしゃい バイバーイ」。
バイバーイ。

すごく懐かしいので
ゆっくりした時間が流れてるような…

今では なくなりつつある遊びも
体験できます。

「ヤーッ!」 「ウオー!」。

子供たちには 逆に新鮮なんだろうね~。

(大塚)ありがとうございます。
すばらしいですね。

峯村さん 三鷹は どうだった?

いや~ ホントに いい所でした。

皆さんが三鷹の街を
ホントに好きなんだなっていう気持ちが

ひしひしと感じられました。

昔 住んでただけなんですけど
何か誇らしく感じました。


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