先人たちの底力 知恵泉「幕末おもてなし大作戦~外国人の心をつかむには~」 星野佳路、サヘルローズ、尾形征己、新井秀和



出典:『先人たちの底力 知恵泉「幕末おもてなし大作戦~外国人の心をつかむには~」』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉「幕末おもてなし大作戦~外国人の心をつかむには~」[解][字]


来年に迫った東京オリンピック。急増する訪日客をもてなすヒントが幕末日本にあった!料理や伝統文化を駆使し、ハードな外交交渉を乗り切った日本人の元祖おもてなし奮闘記


詳細情報

番組内容

いよいよ来年に迫った東京オリンピック。急増する訪日客をどのようにもてなすのか。そのヒントが、幕末の日本外交に隠されていた!高圧的な態度で、開国を迫るペリー率いる黒船艦隊。日本側が交渉の切り札としたのが、最高級の料理だった。突然の大地震と津波で軍艦を失ったロシアの外交使節団。そのピンチを救った日露共同プロジェクトとは!?外国人の心をつかみ、ハードな交渉を乗り切った原動力!幕末のおもてなし大作戦に迫る

出演者

【ゲスト】星野佳路,サヘルローズ,下田開国博物館館長…尾形征己,【司会】新井秀和





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先人たちの底力 知恵泉「幕末おもてなし大作戦~外国人の心をつかむには~」
  1. ハリス
  2. 日本
  3. ペリー
  4. 井上
  5. 百川
  6. 幕府
  7. 外国人
  8. 幕末
  9. 料理
  10. 日本人
  11. 交渉
  12. ロシア
  13. 言葉
  14. 本当
  15. ロシア人
  16. 川路
  17. 要求
  18. プチャーチン
  19. 下田
  20. 敬意


『先人たちの底力 知恵泉「幕末おもてなし大作戦~外国人の心をつかむには~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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相手の心をつかむヒント ご紹介しますよ。

う~ん これでどうかな?

ねえ 店長。 どうしたんですか?

もうすぐ 東京オリンピック
パラリンピックじゃないですか。

そうすると この店にもね
外国人のお客さんが

たくさん来て頂けるかなと思って。
はい。

見て下さい。
英語版のメニュー作ったんですよ。

どうですか?
「どうですか?」って 分かんないですよ。

だって「謙信の塩」を
「Kenshin's salt」って そのまんま?

すばらしい発音。 さすが。
え~? でも…。

「ケンシン ソルト」。
でしょ~? で 「西郷丼」が「Sego-don」?

そうですよ。 「セゴド~ン」。
どういうもの?

セゴド~ン。      分からないよ。
分かんない?     分からない。

不親切じゃないですか?
例えば 料理の写真とかつけるとか。

もうちょっと親切心あった方が
いいと思うんですけど。

そっか~。 結構厳しい駄目出しだな。
何か アドバイスして下さいよ。

じゃあ ヒントとなるプレゼント
持ってきました。
えっ?

私 お酒は飲まないんですが
これなら どうでしょう! ジャジャン!

「おもてなし」。
やっぱり カギは このひと言ですかね~。

はい。

「TOKYO」。
(歓声)

いよいよ来年に迫った
東京オリンピック・パラリンピック。

オリンピック効果で 更に多くの外国人が
日本を訪れることが予想されています。

その時 どんな「おもてなし」をすれば

文化や言葉の違いを乗り越えて
コミュニケーションがとれるのか。

ヒントは 今からおよそ160年前
幕末の外交に隠されていました。

いわゆる鎖国をしていた日本に

突如現れた
ペリー率いる黒船艦隊。

アメリカ使節団の接待を任されたのが
江戸の一流料亭でした。

店主は 交渉の場で出される料理に
とっておきの気づかいをちりばめます。

ペリーの心をつかんだ究極の逸品とは?

軍艦で押しかけ

日本に領土交渉を突きつけてきた…

しかし 巨大地震が発生。

大津波が ロシアの船を
のみ込んでしまいます。

途方に暮れるロシア人たち。

幕府は 意外な方法で手を差し伸べます。

日露関係に影響を与えたといわれる…

そして タフな交渉相手として知られた…

一切つけいる隙を見せません。

絶体絶命のピンチに立たされた
幕府の奉行。

かたくなな相手の心を開くため
用いた秘策は なんと…

お茶?

このことを 大きな敬愛の証拠として
認めてほしい。

一気に距離を縮めた2人のタッグが
日米関係の未来を切り開きます。

戸惑いながら 真剣に外国人に向き合った
幕末の日本人。

そこには 現代に通じる
「おもてなしの極意」が詰まっています。

今回 幕末外交の知恵を読み解くのは

リゾート会社代表 星野佳路さん。

運営するホテルには

宿泊者の半分以上を
外国人が占めるものも!

今 世界中の観光客から
注目を集めています。

どうやって
外国人の支持を集めてきたのか。

カギは 日本の文化を生かしたサービスに
ありました。

箱根の旅館では 伝統工芸に注目。

部屋を 寄せ木細工で埋め尽くしました。

「和の心」が感じられると 大人気です。

現代のおもてなしの達人は

幕末の日本人たちの悪戦苦闘ぶりを

どう見るのでしょうか?

すてき。 でも その幕末のおもてなしと

星野さんが考えるおもてなしの共通点とか
そういうの聞いてみたいですし

幕末から今の時代に引き継がれた
おもてなしって

たくさんありそうですもんね。
ええ。 ちょっと その辺りね

今日 どんなお話が聞けるのか
楽しみですよね。          とっても。

こんばんは。
あっ こんばんは。 お待ちしておりました。

リゾート会社代表 星野佳路さんです。

ありがとうございます。

新たな時代に合わせて
いろんなおもてなしを

提供してらっしゃると思うんですが
ぐぐっと時代が遡って

その 幕末のおもてなしですよね
ご興味あったりするんですかね。

まあ 内容見てみても すごく共通する部分
たくさんあるなと思いながら

私たちが学ぶことが多いんじゃないかなと
感じています。

インバウンドが ですから 今ね
そういう言葉で

海外の人が初めて日本に
いらっしゃり始めたっていう感覚で

私たち いるんですけど…

その共通点 ひもといていきたいですね。
そうですよね。

では早速 今日のコースを
ご紹介したいと思います。 こちらです。

「交渉術」が ついてくるんですか?
はい。

幕末の人にとっては
「おもてなし」と「交渉」っていうのは

表裏一体だったということで
1つ目のメニューが こちらになります。

長いこと鎖国が続いていた日本に 突如
外国人がやって来るわけなんですが

そんな時 幕末の日本人は
どのように おもてなしをしたのか。

見ていきましょう。

時は幕末。
天下太平の世が続いた江戸時代。

徳川幕府は いわゆる鎖国政策をとり

250年に及ぶ平和な時代を
謳歌していました。

そんな中 太平の眠りを覚ます出来事が!

ペリー率いるアメリカ艦隊
黒船がやって来たのです。

ペリーは圧倒的な軍事力を背景に
開国を要求。

突如わき上がった外国の脅威に
日本中は大混乱に陥ります。

当時の日本人の衝撃を伝えるのが
このペリーの肖像画です。

まるで 天狗か鬼のよう。

実はこれ 当時の日本人が

ペリーの姿を勝手に想像して
描いたものでした。

では 本当のペリーといえば…

実に したたかな男でした。

外交交渉が始まると
幕府の役人たちを黒船に招待します。

ウェルカム!

ウェルカム トゥ マイシップ。

すかさず接待攻勢をかけ
幕府の役人を取り込もうとしたのです。

「最後の一滴まで飲み干している」。

あ~ これはうまい! こんなうまいもの
飲んだのは初めてじゃ!

お顔が もう真っ赤になってますよ。
お~ いかんいかん。

その裏で ペリーは
厳しい要求を突きつけます。

楽しい宴と一体となった西洋流の交渉術。

そこに 幕府の役人たちは
どっぷりと はまり込んでしまったのです。

ペリーのペースに のまれたままでは
まずい。

幕府は 不利な状況を覆すため
ある男を呼び出します。

江戸の料亭「百川」の店主
百川茂左衛門です。

幕府は ペリーのおもてなしを
百川に託しました。

百川は 幕府の老中や名だたる文人が
こぞって通ったとされる…

店があった日本橋の神社で
百川の実像に迫る文書が見つかりました。

一体 どんな記録なのか?

それが こちら。

限られた客しか知らない
料亭内部の様子を詳しく記した

貴重な資料です。

「台の上には ギヤマンの
コップや小皿が並び」。

「天井には
藍色の唐さらさが張られ」。

「中庭には泉水があり

その水は
八尺余り噴き上がっていた」。

浮世離れした そのたたずまい。

格式高い一流料亭だからこそ
ペリーのもてなしを任されたのです。

一世一代の大仕事として
お引き受けいたしまする。

大役を任された百川。

ペリーたちの心をつかもうと
秘策を練り上げます。

百川が ペリーたちをもてなした
料理の記録が残されています。

これですよね。

本膳料理とは 客をもてなす時の
最も豪華な料理スタイル。

ペリー一行のために用意された料理は…

1人あたりの値段は およそ30万円。

総額1億5, 000万円という

史上空前のビッグプロジェクトです。

果たして どんな料理だったのか。

日本橋で140年余りの歴史を重ねる料亭で
資料を基に再現してもらいました。

百川は この料理の中に

初めて日本料理を食べる外国人に向け
徹底した気づかいをちりばめていました。

まずは その料理の数!

鯛の刺身や 鴨の焼き物。

鮑のうま煮など

高級食材からなる90種類の献立を
作成しました。

どれもこれもが こだわりの逸品。

多くの種類の料理を味わってもらおう
という

百川の気づかいが伝わってきます。

ペリーたちへの気づかいは
盛りつけにも現れています。

こちらは 鯛の切り身をまいて
花の形にしたもの。

長芋を花の形に切った一皿も。

遊び心のある美しい料理。

楽しみながら食べてもらおうなんて
さすが江戸の料亭。 粋ですよね。

料理の締めに百川は

とっておきの気づかいを
用意していました。

それが カステラです。

急きょ レシピを取り寄せ
完成させたといいます。

日本料理に不慣れなペリーに配慮した
西洋風のデザート。

果たして その気づかいは
ペリーに伝わるのか?

エクセレント。

ペリーたちは 日本料理への感想を
こう記しています。

隅々まで行き届いた百川の気づかいは

ペリーの心に
しっかりと届いたようです。

その後 ペリーとの間で結ばれた条約では
通商に関する要求を退けるなど

日本側の言い分も認められました。

その原動力は 百川の
おもてなしだったのかもしれません。

五感で ある意味感じられる
食を通しての 一つの交渉術。

すばらしいですね。 ねえ~ おいしそう。
しかも 90種類は すごくないですか?

500人分っていうのも すごいですね。
すごいですね。

こんばんは。
あっ こんばんは。 お待ちしておりました。

下田開国博物館 館長の尾形征己さんです。
どうぞどうぞ いらっしゃいませ。

尾形さんは
幕末の日本人と外国人の交流を

長年 研究されている
ということなんですよね。

私ね こう考えるんですよ。
ペリーが来た時に 百川が…。

まあ これはまあ…

ですから 超一流ですかね… の百川の
料理とか接待 出したんですけども

やはり あの…

それは 彼は ちゃんと
記録に残してるんですよ。

満足でね 礼儀に欠けることはないと。

百川の料理なんですけどね

この当時はね 私は
90品目って言ってましたけども

相当 食べれないものが多かったと
思いますよ 外国人は。 実際にはね。

だから むしろ百川の気持ちとしては
「私は食べれなくていいんだ」と。

確かに 最初って薄く感じたんでしょうね
きっと。

ただ大事なのは やはり

私たちが提供するものは本物であること
っていうのは

すごく大事なんだと思ってるんです。

だから このメニューですばらしいのは

最後のカステラのところまで
しっかりと…

本当 そう思います。 やっぱり
外国から来られる方々って

せっかくだったら 日本の本当の姿を
堪能したいし 体験したいので…。

それが最近では どうしても外国の方に
寄り添おうとするんですけれども…

本当に そのまんま ありのままの姿を
提示してくれることによって

それも 一つの思い出ですし。

そういうことですね。
おなかすきました。 あれ見てると。

尾形さん どうなんでしょうね。

気づかいで ペリーの心を
つかんだわけなんですけれども

ほかにも そういった気づかい
っていうのは あったんですか?

そうですね ペリーは
下田へ来るんですけどね…

休憩所を町の中に作ったりですね

それから まあ 土産物を買いたい人も
いるわけですから。

ですから 品物は制限されてますけども
陳列する場所 作って。

彼らは バザールと呼んだらしいですよ。

ですから そういう具体的な
気づかいっていうんですかね

それは してますね。
下田の皆さんもね

みんなで受け入れたいっていう

そういう思いも
伝わったのかもしれないですよね。

そういうことだと思います。
ねえ。

さあ 続いてのメニューに
移りましょうかね。 こちらです。

ペリーが去った すぐあとにですね

次なる来訪者がやって来る
ということなんですが

そんな時カギになったのが
この「情け」だったということなんですね。

ペリーが日本を去ったのも つかの間。

今度は ロシアの軍艦が
下田にやって来ました。

代表は プチャーチン。

国境問題の解決を日本側に要求します。

この時 対応に当たった
幕府側の主な交渉係が

勘定奉行の川路聖謨です。

粘り強いプチャーチンを前に
川路は明確な回答を出せず

会談を引き延ばすことが
精いっぱいでした。

そんな時 日本とロシアの運命を揺るがす
大きな出来事が発生します。

死者およそ3, 000人を出した
未曽有の大災害。

地震の余波は
思わぬところにも広がります。

下田港に停泊していた
ロシアの軍艦 ディアナ号が

大津波で大破してしまったのです。

突如 祖国に帰れなくなった
ロシア人たち。

そればかりか 軍艦という身の安全を守る
後ろ盾を失い 窮地に陥ります。

この時 日本では
外国人を排斥しようという

攘夷運動が燃え上がっており

ロシア人を殺せという声までが
上がっていたといいます。

よきせぬ事態に対応しなければ
ならなくなった 交渉役の川路。

その決断が 両国の運命を
左右することになります。

下田から およそ200キロ離れた戸田地区。

ここに 川路が下した決断を知る
手がかりが残されています。

洋式帆船の模型。

なんと川路は 船を失った
プチャーチンたちを母国に帰すため

新たな船を造ることにしたのです。

船の設計図が残されています。

よく見ると
全て日本の尺度で書かれています。

実は 船を造ったのは日本人でした。

川路の命を受け 戸田周辺の船大工たちが
総出で集まります。

その数は およそ200人といわれます。

ロシア人の指導のもと
日本の船大工が造る洋式帆船。

前代未聞の日露共同プロジェクトが
始まりました。

ところが 造船作業は苦労の連続でした。

まずは言葉。

ロシア語と日本語を
直接通訳できる人がいなかったのです。

ロシア語をオランダ語に直し

オランダ語を日本語に直す。

伝言ゲームのようなやり取りが
続いたといいます。

それでも戸田の船大工たちは

ロシア人の指示を必死にくみ取りながら
この国際プロジェクトに取り組みます。

日本の大工道具を巧みに駆使し

全く初めての洋式帆船を
一歩一歩 着実に造り上げていきます。

その緻密な仕事ぶりは
ロシア人たちを驚かせました。

ロシアの技術士官は
こう振り返っています。

この仕事を 彼らは非常に迅速に
かつ几帳面に やり遂げてしまった。

川路がかけた「情け」は 少しずつ
ロシア人の心を溶かしていきます。

作業は昼夜にわたって行われ
およそ3か月後 船は ついに完成。

日本で初めて造られた
近代的洋式帆船です。

プチャーチンは 建造の地である
戸田の地名をとり

「ヘダ号」と名付けました。

プチャーチンの言葉を書き留めた
掛け軸には

この地で出会った日本人への感謝が
込められていました。

この出来事が 日本とロシアの間に
大きな信頼関係を生むことになり…

日本とロシアの国境については

択捉島とウルップ島の間にするなど

交渉によって妥結したのです。

危機に瀕したロシア側に情けをかけた
川路の決断が

後に日本を救う結果となったのです。

ということなんですね。
思いやりですね。

対話で 相手の言葉が
分からなかったとしても

目の前で本当に困ってる人がいれば
手を差し伸べるっていうのは…。

でも やっぱり言葉が通じない
っていうところは

非常に大きかったのかなと思うんですよ。
言葉は大変ですよね。        大変でした。

だって 日本語がオランダ語になって
オランダ語がロシア語になったら

内容 変わっちゃってるかも
しれないじゃないですか。

実際 作業やる時はですね
どうも このようだったです。

実際に仕事が進んでるケースをね
いろんな交渉事で見てみると…

プチャーチンの時にも やはり
船を造ってくれてる まあ工程ですよね。

何日か一緒に過ごしたり
寝食を共にしたり 時間を過ごしたり。

今で言うと
よくゴルフ外交と一緒ですよね きっと。

何か そういうふうなやり取りを
することによって

何か築き上げるものって…。
最初から目的に行くんじゃなくて

目的に行くまでの過程って
生身の人間同士じゃないですか。

私の場合 スキーに誘うんですけど…。
私がスキーが趣味なもんですから

必ず誘って 雪山に行って
2泊3泊 一緒に過ごす。

仕事と全く関係ない話をする。

そういう時間を一緒に過ごすことが

意外に
お互いの信頼関係につながったり

今度 また改めて交渉した時にね

お互いに 気持ちの面で
譲り合ったりなんていうことに

つながってるんじゃないかなというふうに
感じますね。

そして 尾形さん 助けた日本側には
ほかに メリットといいますか

その後 生きたこととかって
何か あったんですかね?

造船ですかね。 これ すごいんですよ。

実は 鎖国中だったもんですから
日本の船は 俗に言う千石船。

あれは
荒い海や何か 行けないわけですよね。

で ロシアから来た船は荒い海も行ける。

もう 構造自身が違うんですよね。

それを 伊豆半島の船大工は
身につけたわけです。

一緒に作業する中で。

そのあと 実は
幕府は それがいい船だもんですから

6隻くらい造ってるんですよ。
わあ すご~い。

伊豆は洋式造船発祥の地といわれて

それから 近代造船のけん引者になった
ということですね。

そこから始まったってことなんですね。

まさに…

そこから得て。 すごい。
日本のためにも役立てたわけだ…。

ですよね。 すご~い。

さあ では
最後のメニューにまいりましょうか。

あの~
幕末 異なる価値観を持つ外国人と

戸惑いながらも 本当の意味で 人間関係を
築き上げた人のお話でございます。

ペリーの来航をきっかけに
日本で最初の開港地となった下田。

この地で
アメリカ初代駐日領事を務めた人物が

タウンゼント・ハリスです。

ハリスは
もともと剛腕の商人でした。

何としても
日本と通商関係を結びたい

アメリカが送り込んだ
最後の切り札だったのです。

時に脅しを織り交ぜながら迫る
ハリスの巧みな交渉術の前に

幕府の役人は たじたじ。
次第に追い詰められていきます。

この難しい交渉の矢面に立ったのが
下田奉行の井上清直です。

井上は 実務にたけていましたが

生真面目で
ちょっと無愛想な人物だったようです。

ハリスとの交渉初日。

井上の生真面目すぎる性格が
裏目に出ます。

どうか 退去してくれないだろうか。

ハリスをアメリカに帰したいという
幕府の意向を

言葉を選ばず
ストレートに伝えてしまったのです。

一方のハリス 日記に井上から受けた
第一印象を 辛辣に書き記しています。

「私は 彼と争うことになるのではないかと
心配している」。

最悪ともいえる結果に終わった
2人の初会合。

日本側の要求など
受け入れられるはずもありませんでした。

いきなり追い詰められた井上ですが
ここで逆転の策に打って出ます。

井上は ハリスを招き 食事会を開きます。

料理が終わったところで
井上は 愛用の茶道具を運ばせました。

ハリスをもてなすために
茶を選んだ井上は

その一杯に ハリスに対する敬意を
込めたのだといいます。

井上は 作法にのっとって
丁寧にいれた一杯のお茶を

手ずから ハリスに渡しました。

ハリスが そのお茶を飲み干すと
感嘆の声が起こったといいます。

(一同)お~。

井上は 一杯の茶を通じて敬意を示し

ハリスと真摯に向き合う姿勢を
示そうとしたのです。

この時
井上がハリスへ贈った茶道具です。

井上の敬意の詰まったプレゼントを
ハリスは終生大切にしたといいます。

その後も 何度も交流を重ねた
井上とハリス。

敬意を持って接する井上は やがて
ハリスの心をつかむようになります。

国や立場を超えた信頼関係が
芽生え始めたのです。

ハリスが下田に上陸してから
およそ1年が過ぎた頃

ついに 江戸にて
本格的な条約交渉が始まります。

井上は 幕府の高官と共に

日米通商条約案について
ハリスと討議を重ねます。

ハリスは 品川や大坂の港など
合わせて10か所を開くよう迫ります。

一方の幕府は
これを かたくなに拒否します。

一向に話が進まないことに
ハリスは怒り心頭。

翌朝
ハリスの宿舎を訪ねる人物がいました。

井上です。

ハリスの日記によれば

井上は 個人的に話したいと言って
こう切り出しました。

貴殿が要求を引き下げなければ
条約そのものが 台なしになってしまう。

そうなれば 困るのは
あなた方ではないか。

ここは 私の忠告に従うことが
賢明な策でござろう。

長い沈黙のあと
ハリスは 井上の提案を受け入れます。

開かれる港の数は

10か所から 5か所に縮小。

日本側の要求が大幅に認められました。

ハリスは 後に
井上について こう振り返っています。

敬意によって育まれた2人の友情が
日米の外交を動かしたのです。

交渉の破綻寸前のところでね

2人が じっくり話したなんてこと
ありましたけど

大体 交渉って ああなるんです。

「グッバイ」って言って握手して 向こうは
「グッドラック」と言われて 別れて

その次の日から 本当の交渉が始まった
なんてことも あるんですよね。

ですから…

やはり 敬意を示すためには
この場合 お茶だったんですけども

私の場合は
スキーかもしれないんですが

本当にビジネスや交渉の内容だけではない
人間同士のつきあいっていうものも

私は すごく大事だと思いますね。

すごい やっぱり誠心誠意をもって
鎧を着ていても 結局は意味がなくて

人間と人間が裸になった瞬間に
見えることって すごくあるので…

老中を説得してでもいいから
自分の信念通しちゃうって。

その例として出てきたのが
その例の 1人で一対一で

こんなことやったら
当時 幕府の下田奉行とすると

とんでもないことですよね。
星野さんは

何と言うんですかね
外国の方と接する上で

ご自身の経験と比較して あのシーンって
どう ご覧になりましたかね。

国際性って
そういうことだと思うんですよ。

違いがあるのが
いろいろな文化があることの

イコール 違いなんですよね。

日本人の常識だけから見ると

許し難いことも たくさん
あるのかもしれないんですけど…

仕事の面でも
それから 国と国との関係の面でも

すごく大事なんじゃないかなと
思いますね。

でも 日本の方とお話ししてると
「島国だから」と

おっしゃるんですけれども「島国だから」と
皆さん おっしゃる割には…

好奇心を持ってる部分と

ちゃんと調和をして認めるっていうのが

日本が どうして こんなにも

異文化を
ちゃんと吸収ができるのかという

この国民性がすごいなって…。

さあ 今日は 「おもてなし」をテーマに

幕末の日本人たちの取り組みを
見てきましたけれども

全体を通して サヘルさん どうでした?

幕末の中での外交のやり方っていうのは
ヒントが たくさんあっていて…

それは 上の偉い人だったとしても
一般の方々だとしても…

まさに 一石二鳥なんだなって思いました。
すてきです。

まさに 今日のコースですよね。
そうですね。 最強でした。

よくね 日本に来る外国人の人たちにね
「何でいらしたんですか?」って言うと

きっかけはね 雪だったり スキーだったり
すしだったり 刺身だったり

また 景色だったりするんですけど
帰る時に お聞きするとね

印象に残ってるのは
日本人って こんな人たちだった。

日本人っていうのは こんな親切で
そして 文化を大事にしてて…。

そういうことを
持って帰って頂いてるんですよね。

私たちの…

改めて 英語メニューに…。

このメニューを英語にするだけでは駄目だ
ということですよ マスター。

そうですよね。
直訳じゃいけないっていうことですよね。

直訳じゃ駄目ですね。
そっか。 まず 気持ちを込めて

これ作るところから始めないと
いけないですね。

気持ちの前に
分かりやすさじゃないですか。

全然 駄目だな もう。

是非 ちょっと また来て
教えて下さい。               はい。

ご来店ありがとうございました。
こちらこそ。 ごちそうさまでした。


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