歴史秘話ヒストリア「まんぷく家族が生んだ魔法のラーメン」 朝ドラ「まんぷく」でおなじみの安藤百福・仁子夫婦…



出典:『歴史秘話ヒストリア「まんぷく家族が生んだ魔法のラーメン」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「まんぷく家族が生んだ魔法のラーメン」[解][字]


朝ドラ「まんぷく」でおなじみの安藤百福・仁子夫婦。今回家族への取材から、インスタントラーメン開発の舞台裏が明らかに!“魔法のラーメン”を生んだ家族のドラマに迫る


詳細情報

番組内容

連続テレビ小説「まんぷく」でおなじみの安藤百福・仁子夫婦。簡単に調理ができて、おいしく食べられるインスタントラーメンは、世界の食文化を変えたともいわれる。今回、百福の家族の独占インタビューから、開発の舞台裏が明らかに!次々と立ちはだかる困難を乗り越えることができたのは、百福の飽くなき執念と仁子の献身的な支えがあったからだった。「まんぷく家族」の心温まるドラマと「魔法のラーメン」誕生物語を描きだす。

出演者

【キャスター】井上あさひ





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歴史秘話ヒストリア「まんぷく家族が生んだ魔法のラーメン」
  1. 百福
  2. 仁子
  3. 開発
  4. ラーメン
  5. 世界
  6. 家族
  7. 宏基
  8. 商品
  9. アイデア
  10. インスタントラーメン
  11. カップラーメン
  12. 息子
  13. 日本
  14. 時代
  15. 当時
  16. アメリカ
  17. カップ
  18. スープ
  19. プロジェクト
  20. 安藤百福


『歴史秘話ヒストリア「まんぷく家族が生んだ魔法のラーメン」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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(立花萬平)見つけたぞ 福子。

ラーメンだ。

(立花福子)…は?

萬平と福子の波乱万丈の人生から
目が離せませんよね。

(立花 源)
お父さん ラーメンなんかやめて!

今日は 「まんぷく」で注目が集まる
夫婦が主人公です。

♬~

そのモデルが…

「世界の食文化を変えた」とも言われる…

しかし 開発は…

度重なる失敗で 崖っぷちに
追い込まれていきます。

駄目だ…。

その苦闘を間近で見ていた息子。

独占インタビューで
両親のありのままの姿を語りました。

普通の人間は
胃かいようになりますよ。

これにね
つきあう嫁さんですから

大変ですよ。

やっぱり…

家族で挑んだ…

感動のドラマが
明らかに。

執念の男・百福の最高傑作。

ところが 問題続出。

プロジェクトは 危機に直面。

そこで 常識を 180度ひっくり返す

驚きのアイデアが さく裂!

奇跡の逆転劇に迫ります。

カップめんの大ヒットで

世界的な名声を ほしいままにした百福。

彼に 挑戦状をたたきつけたのが

後継者となった息子でした。

スローガンは…

「カップヌードルをぶっつぶせ!」とは
どういうことだ!?

新しいものが必要なんです。

次第に…

その時 妻の仁子がとった行動とは…。

知られざる 家族の愛の物語です。

♬~

安藤百福の自宅での様子です。

今回 初めて公開されました。

この時…

一日は 朝の体操から始まります。

食事は…

そのバイタリティーは

老いても衰えることを知りませんでした。

映像には 百福の家族も映っています。

孫たちと遊んでいるのが 妻の仁子。

「まんぷく」のヒロイン 福子のモデルです。

いつも笑顔を絶やさない姿から
「観音さま」と呼ばれていました。

百福と仁子。

その激動の日々です。

二人が出会ったのは
太平洋戦争のさなかでした。

京都のホテルで受付をしていた仁子に
百福が一目ぼれ。

猛アタックの末 結婚します。

プロポーズにあたって
百福は ある約束をしました。

どんな困難な状況でも

家族には
決して 貧しい思いはさせないと

誓ったのです。

5か月後。

戦争は終わり 日本は
先の見えない混迷の時代へと突入します。

仁子との約束を果たすべく
百福は さまざまな事業に打ち込みました。

猛烈に
アイデアを実行していく姿は

破天荒 そのものでした。

捨てられていた鉄板を再利用。

海水から塩を作って 売りさばいたり…。

栄養食品になると見込んで

自宅の庭で
カエルを捕まえたりもしました。

ところが 鍋に入れて煮込むと…

大爆発!

壁に突き当たっても 成功するまで
諦めることはありませんでした。

興した事業の数は 10以上。

仁子と二人三脚で 安定した暮らしが
実現できるかに見えました。

しかし 幸せはつかの間でした。

事業の一つで 大失敗。

大きな借金を背負ってしまいます。

じゃんけんぽい。
じゃんけんぽい。

(仁子)あなた!

(百福)何だね 君たちは。

安藤さんの家財を
差し押さえさせて頂きます。

よし 始めろ。
はい。

家財が差し押さえられてしまった 百福。

破産の危機に
直面します。

「食べるものには苦労させない」という
妻との約束も

このまま 果たすことが
できなくなってしまうのか…。

当時10歳だった 息子の安藤宏基さん。

家族しか知らない
両親の苦労を語りました。

日本が 戦後の復興へと向かう中

一家は どん底へ真っ逆さま。

そんな中
百福が思い出した光景がありました。

そこで 人々が 行列に並んでまで食べた…

食糧難の時代…

しかし 一般の家庭でラーメンを作るのは
大仕事。

手間が かかりすぎて

気軽に ラーメンを食べるなど
夢のような話だったのです。

生前のインタビューで 百福は

ラーメンを 新たな事業にしようとした
理由について語っています。

(百福)その情景 その姿を見るとですね
これは…

百福は 誰でも 簡単に手早くできる

「魔法のラーメン」を作ることを決意します。

そうして生まれたのが
チキンラーメンです。

あらかじめ…

そこには
どんな困難が待ち構えていたのか。

悪戦苦闘の跡を見せてもらいました。

これが 1958年…

どうぞ。

自宅の庭に建てた小屋が
開発拠点でした。

ごくありふれた道具を研究に用いるのが
百福流。

例えば この じょうろ。

スープを めんに
しみこませるために

使っていました。

注ぎ口から
満遍なく出るのが

ポイントだったとか。

壁のメモには 「ちきんラーめん」の文字。

なぜ 百福は しょうゆでも 塩でもなく

チキン味に こだわったのでしょうか。

実は そこには
当時10歳だった 息子・宏基への思いが

秘められていました。

鶏が さばかれる姿を見た ショックで
食べられなくなった 宏基。

しかし 鶏肉は 貴重な栄養源。

百福は 何とか 苦手意識を
克服してほしいと思っていました。

開発してから数年たって
僕に言ってました。

前代未聞のプロジェクトを立ち上げた
百福。

そこで 最大の壁となったのが

スープをしみこませた めんを
お湯で戻す方法です。

出来上がった めんに
お湯を かけてみますが…。

元のやわらかな状態には戻りません。

駄目だ…。

誰でも 簡単に手早くできる
インスタントラーメンの開発。

それは 無謀な挑戦だったのか…。

小屋には こんなメモが残されています。

「ああ ねむたい」。

1日20時間以上を費やしても

活路は開けませんでした。

そんな中 百福を信じて支え続けたのが
妻の仁子でした。

(戸が閉まる音)

(仁子)あなた お茶が入りましたよ。

(百福)ああ 仁子 ありがとう。

あんまり 無理をしないで下さいね。

ああ。 もう少し 頑張るよ。
先に休んでてくれ。

実は仁子は 家庭を守るだけでなく…

開発を始めて およそ1年。
プロジェクトは 大きく進展します。

きっかけを作ったのは 仁子でした。

百福を元気づけるため
夕食を作っていると…。

(百福)おっ 今日は天ぷらか。

ご近所から エビを頂いたのよ。

たくさん食べて 力をつけないと。

そうだな。

その時でした。

おい 仁子
ちょ… ちょっと貸してみろ。

高温の油で 水分がとび
からっと揚がる天ぷら。

ひらめいたのは
「めんを揚げる」というアイデアでした。

油で揚げる前の めんの断面図です。

中は ぎっしり詰まっています。

油で揚げると 中の水分が一気に蒸発。

内部に 無数の穴があきます。

こうして出来ためんに お湯をかけると
穴に スムーズに浸透。

やわらかな食感の めんと
チキン味のスープが合わさった

魔法のようなラーメンが
出来上がりました。

いただきます。
(子どもたち)いただきます。

家族が 初めて口にする

インスタントラーメン。

その味は…。

どうだ?

おいしい!
うん!

うまいか?
(仁子)すごく おいしいわ!

(百福)そうか! ハハッ よかった~!

うまいか?
うん!

その陰には

破天荒な夫を 献身的に支え続けた
妻の愛情があったのです。

今夜は
安藤百福の 知られざる物語です。

百福が取り組んだのは
画期的な商品の開発だけではありません。

もう一つ 情熱を注いだのが…

こちらは
ラーメンの成り立ちを示す系統図。

日本のラーメンをはじめ

中国 東南アジアなど

各地で 独自の進化を
遂げてきた

めん類。

これらは 一説では

同じ先祖を持つと
考えられています。

それが 「湯餅」。

練った小麦を ひも状にし
スープに浮かべた料理です。

百福は めんの歴史をたどるため

5, 000キロを巡る旅に出ます。

現地の人々と交流して レシピを学び

めんが 多様に進化していく過程を
明らかにしました。

自らの五感を総動員して めんの
無限の可能性を実感しようとした 百福。

1か月にわたる旅で 口にした めん類は

なんと…

この 飽くなき探求心があったからこそ

百福は
インスタントラーメンを生み出し

世界の食文化を
一変させることができたのですね。

革新的な企業家として

飛ぶ鳥を落とす勢いの百福が
目指したのは…

世界中の最先端の食が集う街で

百福は 伝説となります。

アメリカを代表する新聞
「ニューヨークタイムズ」の社説。

「ミスター・ヌードル 百福の発明は

人類の進歩に貢献した」。

大絶賛を受ける百福の発明品 それは…

いつでも どこでも食べられる この食品は
世界を席巻。

「20世紀 最大の発明」とも言われています。

困難を乗り越え
食の革命を成し遂げた百福の

奇跡の逆転劇です。

♬~

チキンラーメンは
瞬く間に 日本中の家庭に受け入れられ

大ヒットを記録します。

ところが その成功を見て
300社以上が 製造に参入。

商品は 激しい競争にさらされます。

しかし こんなことで へこたれる
百福ではありません。

目をつけたのは アメリカ。

世界一の超大国は…

しかし 百福は
思いも寄らない壁にぶつかります。

これが 今 日本でヒットしている
チキンラーメンです。

あ… ドンブリに入れて
で お湯をかけて

箸で食べます。

アメリカには
ドンブリも箸も ないのです。

これでは 味を確かめてもらうことすら
できません。

諦めかけた その時…。

Oh Yeah!

商談相手の女性が取り出してきたのは
紙コップ。

そこへ ラーメンを入れ
フォークで食べ始めました。

いつでも どこでも
自由なスタイルで食べることができる

インスタントラーメン。

革命的なアイデアでした。

「これだ」と言うんですよ。

開発にあたって 課題となったのは
容器の大きさ。

誰もが持ちやすい
サイズでなければなりません。

カップの大きさの決定には
百福の家族が 大きく関わっていました。

妻や子どもに 繰り返し持たせて
ミリ単位で大きさを調整。

たどりついたのは
口径96ミリ 高さ107ミリ。

女性や子どもにも
手になじみやすいサイズでした。

続いて取り組んだのが…

これが 想像以上の難事業でした。

この時代
製造工程の機械化が進んでいました。

しかし 当時の機械の精度では

めんの塊 全てを
正確に入れることはできなかったのです。

これでは…

世界に売り出すなど 夢のまた夢です。

めんのことばかり考えて 眠りについた
ある夜のこと。

ひらめきが 百福の脳裏をよぎりました。

現在まで 変わらず用いられている
この画期的なアイデアによって

大量生産のめどが立ちました。

しかし ほっと息をつく暇もなく
次なる壁が 立ちはだかります。

カップを きちんと密封して
中身が こぼれないようにするための

ふたです。

手がかりは
意外なところで見つかりました。

こちらがですね…

妻の仁子が 亡くなるまで

自宅の金庫に 大切に保管していた…

解決の糸口になったと
いいます。

(大口)で そんな ある日…

百福は 偶然 見つけた
ナッツ缶のふたを応用して

カップラーメンのふたを完成させます。

1971年 世界初のカップラーメン完成。

販売が始まります。

当時 営業を担当していた…

この商品によって
食事の概念が変わることを

百福は 確信していたといいます。

いつでも どこでも食べられる
この商品は

百福のねらいどおり
若い世代に受け入れられていきます。

時代の流れも 百福に味方します。

玄関の右側に… 大きな穴があきました。

全国に生中継され

視聴率は
60%を超えました。

この時 機動隊員が
カップラーメンを食べる姿が放送され

「あれは 一体 何だ?」と
問い合わせが 全国から殺到します。

人々が 時間と場所を問わず
がむしゃらに働いた 高度成長期。

時代の変化を先取りしていました。

ヒットの波は
国境を超えて 世界へと広がりました。

現在 カップラーメンは

1年間で 200億食を数えるまでに
なっています。

百福の飽くなき情熱が

人類の食生活に 革命をもたらしたのです。

安藤百福が 世界を見据えながら開発した
カップラーメン。

即席めんは 世界のどんな国で
どのように食べられているのか

皆さん ご存じでしょうか?

こちらは
世界の国々の

即席めんの
消費量を比べた

ランキングです。

日本をはじめ 中国や韓国

インドネシアなど
アジアの国々が 名を連ねています。

一方 ブラジルやアメリカも ランクイン。

世界中で愛されていることが
分かりますね。

各地のインスタントラーメンは
多様な変化を遂げています。

こちらは インド。

やはり お国柄か
カレー風味が大人気だそうです。

続いて イギリス。

特徴は めんの短さです。

めんを すすることが
苦手な人が多い国では

短い めんが
好まれるのだとか。

安藤百福が生み出した
カップラーメンは

文化の違いを乗り越えて
世界の人々に受け入れられ

新たなマーケットを
切り開いていったのです。

カップラーメンを開発し
世界を変えた百福。

しかし その後の商品開発では
手痛い失敗も経験しています。

今年 その舞台裏を明かす映像が
発見されました。

研究所で開発していたのは
お湯をかけるだけで食べられる 御飯。

その名も…

これが
炊かずに炊ける自然米 プリクックです。

♬~

熱湯を注ぐだけで
おいしい御飯が すぱっと作れます。

味付けは自由自在。

炊かずに炊ける自然米 プリクック。

今 カップライスで新登場。

当時 日本は米の消費量が減少し

米余りに悩まされていました。

百福は その米を有効活用しようと
考えたのです。

私は 国のために
ライスに専念しようと思います!

(拍手)

すばらしい!
すばらしい!

会社の1年分の利益を投資する
一大プロジェクト。

かじ取りを任されたのは
息子の宏基でした。

その時…

いろいろ開発を
一生懸命 その製品については

各部門の…

満を持して 市場へ投入したカップライス。

しかし 売れ行きは鈍いものでした。

焦った百福は
スーパーの店頭に足を運びます。

やっぱり要らないかぁ。

これだったら
自分の家で炊けばいいしねぇ。

わざわざ こんな カップめんみたいなの
買わなくても。             そうよねぇ。

もっと宣伝費をかけて
新聞やテレビで宣伝しましょう。

いや 学校給食にも
売り込んでみましょう。

社長!

私は 消費者のニーズを
完全に読み違えていた。

これ以上 傷が広がらないうちに
撤退する。

カップライスは 顧客のニーズに合わない。

そう判断した百福は
販売中止を決断します。

驚いたのは
プロジェクトに関わる社員たちでした。

まあ あの時 600万食ぐらい
製造して売ると言ってたのを…

1985年。

75歳になった百福は
後継者にバトンを渡すことを決断します。

百福から 社長の座を受け継いだのは

息子の宏基でした。

掲げた
スローガンは…

それは新機軸を打ち立てようとする
決意の表れでした。

やっぱり それ1つだけでは弱いから…

…ということを 私は思ってましてね。

(ノック)

しかし この積極的な姿勢が
思わぬ親子対立へと発展していきます。

会長 話というのは
一体 何でしょうか?

「カップヌードルをぶっつぶせ!」とは
どういうことだ!?

そんなことをさせるために
お前を社長にしたんじゃない!

このままでは 我が社は 1つのヒット商品に
甘えたままで 何も変わりません。

新しいものが必要なんです!
何だと…?

こうなったら お前が辞めるか
俺が辞めるかの どちらかだ!

徹底的に考え抜いて
一つの商品を開発してきた 百福。

その完璧主義が
世界を変える商品を生み出してきました。

一方の宏基は
たくさんのアイデアを試す中で

ヒットの種を見つけるという戦略です。

秘書として 20年以上にわたり
2人を見守ってきた 筒井之隆さん。

親子の対立は 次第に
エスカレートしていったといいます。

いや~ もうね こんなんでいいのかな
と思うような。 例えば…

やっぱり あの 経営の話なんですが
親子ですから

議論しだすと
だんだん遠慮がなくなってね。

経営方針をめぐり
激しくぶつかり合う 父と子。

その仲裁にあたったのは 妻の仁子でした。

だから 何度言えば分かるんですか!

カップヌードルだけに頼ってちゃ
駄目なんです! 競争しないと。

俺が苦労して作り上げた商品だぞ!
お前は 親に対する遠慮がないのか!?

まあまあまあ…
2人とも 落ち着いて下さい。

2人とも
目指しているところは一緒なんですから。

長年 連れ添った
百福の性格を知る仁子は

親子関係を円満にする秘訣を

伝えたといいます。

私も まあ…

何事も寛大に受け入れる
広い心を持っていた仁子。

百福と宏基の間を取り持ち
優しく見守り続けていました。

やがて百福は 宏基の経営方針に
理解を示すようになります。

仁子の支えで
家族の危機を乗り切ったのです。

晩年の百福の姿を記録した映像です。

会長になっても
精力的に商品開発に関わっていました。

多忙な百福。

夫婦水入らずの時間は
なかなか とることはできませんでした。

そうした中 仁子は
全国の工場を巡る行脚を続けていました。

観音像に手を合わせては

仕事の成就と家庭の円満を
祈っていたといいます。

これは やっぱり…

夫婦にとって 忘れられない日が訪れます。

(ノック)

失礼します。

車を回してくれ。
かしこまりました。

今日は お早いですね。

ちょっと 寄るところがあるんだ。

実は この日は…

≪(百福)おい 仁子
ちょっと開けてくれないか。

どうしたの?

あなた…。

今日は 結婚記念日だろう。

仁子のために買ってきたプレゼントは
大きな鯛。

不器用な百福の
精いっぱいの感謝の気持ちでした。

ああ 実は もう一つあるんだ。

あなた…!

ありがとう…。

休むことなく走り続けた 百福と仁子。

ようやく訪れた 安らぎのひとときでした。

♬~

2001年。 91歳になった百福が挑んだのは
宇宙です。

無重力空間で 宇宙飛行士が食べる
ラーメンの開発を目指しました。

(百福)どうや。
こういう感じで。

大きいです ちょっと。

うん。
温度も ちょうど 熱くないと思います。

開発から4年後の 2005年。

百福が開発した 宇宙ラーメンを

野口聡一さんが
スペースシャトルで味わいました。

百福が 家族と過ごす時間。

それは
掛けがえのない幸せに満ちていました。

2人は 天寿を全うして
息を引き取ります。

波乱万丈の人生を送った百福が
最後に食べたもの。

それは 愛する妻と2人で作り上げた
インスタントラーメンでした。

♬~


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