ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 鈴木雅之×小島慶子 デビュー前は工場勤務!シャネルズ結成~ラッツ&スター…


出典:『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 鈴木雅之×小島慶子』の番組情報(EPGから引用)


[字]ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 鈴木雅之×小島慶子


デビュー前は工場勤務!そして幼い頃は…?などなど、今や“ラブソングの王様”として君臨する鈴木雅之の知られざる素顔が明らかに…。あのヒット曲誕生のウラ話も!


詳細情報

番組内容

1956年、東京・大森生まれ。1975年に幼なじみたちとシャネルズを結成。1980年、「ランナウェイ」でプロデビューし、デビュー曲にも関わらず日本を席巻。1983年にラッツ&スターと名を変え、「め組のひと」で再び一大旋風を巻き起こす。サザンオールスターズやTHE ALFEEとも接点があったという当時の思い出を語る。1986年、順調だったグループに区切りをつけ、ソロ活動を開始。そこにはあるアーティストとの出会いがあったという。

番組内容2

そして姉・鈴木聖美と歌って大ヒットした「ロンリー・チャップリン」をはじめ、数々の女性と生み出してきたデュエットソングについて、隠された秘密や極意を語る。また、高見沢俊彦、小西康陽、布袋寅泰など1曲ごとに異なるプロデューサーを迎えたアルバム「Funky Flag」(3月13日発売)のレコーディング裏話も。鈴木の魅力的な歌声がどのように生まれるのか――、その答えがちりばめられた1時間。

出演者

【ゲスト】鈴木雅之(ボーカリスト)

【インタビュアー】小島慶子(タレント、エッセイスト)

次回放送予定

次回3月23日(土)は、女優の草刈民代に、編集者の舘野晴彦が迫る!お楽しみに!

番組概要

様々なジャンルで時代を切り開いてきたトップランナーたち。彼らはどのようにして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?人間洞察のプロのインタビュアーによって、知られざる「裸の履歴書」が明かされる!!

番組ホームページ

<番組ホームページはこちら!>

www.bs-asahi.co.jp/interview/

制作

BS朝日、ViViA



『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 鈴木雅之×小島慶子』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 鈴木雅之×小島慶子
  1. 本当
  2. 一緒
  3. 音楽
  4. 自分
  5. デビュー
  6. 鈴木
  7. ハハハハ
  8. シャネルズ
  9. 鈴木雅之
  10. お父様
  11. デュエット
  12. プロデューサー
  13. ラッツ
  14. コンテスト
  15. スター
  16. ソウルミュージック
  17. 渋谷
  18. 出会
  19. 人生
  20. グループ


『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 鈴木雅之×小島慶子』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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〈待ち合わせたスタジオには

トレードマークの
サングラスを掛けた

ラブソングの王様がいた〉

失礼致します。
小島慶子です。

鈴木です。
よろしくお願い致します。

こちらこそ。
あっ はじめまして。

はじめましてですよね?
はい はじめまして…。

私は 小さい頃から ずっと
お歌は もう

テレビでも拝聴しておりますが…。

私も拝聴しております。

あっ え~ そうですか。
ありがとうございます。

えっ? ピアノは
よく弾かれるんですか?

そんなに弾かないですね。

一応 シチュエーションで。
シチュエーションで…。

あっ ここは
よくレコーディングをされる。

ここのスタジオは よく使います。
そうですか。

なんかね もう 今日 私 本当に

小さい時から ずっと聴いていた

歌を歌ってらっしゃる方に
お目にかかるので

とても光栄ですし
とても楽しみにしてまいりました。

よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。

♬~

〈ソウルミュージックを
日本に広く知らしめた〉

♬~「ランナウェイ
とても好きさ」

♬~「いなせだね
夏を連れてきた女」

♬~「渚まで 噂走るよ めッ!」

〈グループは
ラッツ&スターと名を変え

ヒットを連発し続ける〉

〈ソロ活動を始めたのが
1986年〉

〈唯一無二の色合いで
歌い上げるラブソングは

私たちの胸に
鮮やかな印象を残してきた〉

♬~

♬~「違う 違う
そうじゃ そうじゃない」

♬~「君を逃がせない」

♬~「愛は渡せない」

〈そうそうたるアーティストと
コラボレーションを重ね

鈴木の世界は磨かれて
ひときわ深みを増していった〉

♬~「今日は 渋谷で5時」

♬~「ふたりでサボタージュ」

〈力を入れてきた
デュエットソングでも

渋いセンスを光らせて

オリジナリティーを
のぞかせている〉

♬~「どうして 困らせるほど」

♬~「つのる想いは」

♬~「ただ僕には」

♬~「泣きたいくらい恋人」

〈これまでの歩みは

鈴木が いかに出会いに恵まれ

また
出会いを大切にしてきたかを

物語っていた〉

(鈴木の声)やっぱり

持ち寄ってくるじゃん。

その力たるや…。

だから やっぱり それはね…。

って みんな そういう
集まりなんじゃないかな。

♬~

♬~

♬~「ランナウェイ
とても好きさ」

特に…。

だから ものすごく…。

ああ そうなんですか。
彼のラジオ番組で

生で 番組中 演奏をするって

4時間ぐらいやったりとかね。

♬~「やがて夜が明ける 今は…」

それを なんか 袖で見てて…。

もう なんか
ちょっと忘れてたなって

すごい思ったんです。

♬~「今日は 渋谷で5時
ふたりでサボタージュ」

デュエットって
何がコツなんですか?

やっぱり

〈1956年

鈴木雅之は
東京 大森に生まれた〉

町工場を営む父を筆頭に

一家は 音楽好きだったそうだ〉

〈祖父の仕事は のりの漁師〉

〈だから 吹きつける潮風と
機械油のにおいに

親しんで育った〉

〈それにしても
歌謡曲を好んでいた少年が

一体 どのような いきさつで

ソウルミュージックに
心惹かれていったのだろう〉

人生で最初に…
プロになる前ですよ。

もう 本当に
全人生で最初にカバーしたのは

何歳の時 誰の歌でしたか?

一番最初ですか?
はい。

1964年の
東京オリンピックの年ですかね。

あの年に ラジオから流れていた
三橋美智也さんの曲ですね。

ハハハハ…。 渋い。

決して
ソウルミュージックじゃないです。

…ないんですね?
うん。

最初は 三橋さんの曲とか
大好きでしたから。

えっ? それ 小学生の時に
じゃあ ラジオから聴いて

覚えて 歌った…。
ラジオ世代だから。

だから もう
必ず 音楽は

ラジオから流れてきていて

そこで なんか ものすごく
心ときめくような

そんな瞬間に出会ったりとかね
してましたんで。

あのね
おたくの… もう それこそ

おじいちゃまが
こう のりをね…。

東京湾でね。
東京湾で のりを採ってらして

お父様は 町工場で
働いてらっしゃってっていう中で

歌っていうのは どういうところで
歌ってらっしゃったんですか?

子供の時。
ですから その東京湾で

母方のおじいちゃんが
のりを採っていた船の上で…。

へえ~。
歌ったりとかね。

あっ そうなんですか。
船の上がステージでしたよ。

初めて… だから おじいちゃんに

「お前は歌 うまいね」って
こう 褒められたりとかね。

それこそ さっき おっしゃった
三橋美智也さんとか

おじいちゃんも
わかるような歌も

歌ってらっしゃったんですね?
その時に。

まあ
自分自身が好きでしたからね。

ソウルミュージックとの
出会いっていうのは

じゃあ 何歳の時だったんですか?

そうですね やっぱり
小学3~4年ぐらいの時から…。

まあ 私 マイソウルお姉ちゃん
鈴木聖美という

お姉ちゃんがいますんでね。
はい。

彼女の影響は大きいです。
あ~。

お姉ちゃん やっぱり
『American Top 40』的に

音楽を聴いて いわゆる
アナログ盤 レコードもね

いろいろ買ってましたから。
だから 一緒になって

お姉ちゃんが買ってきた
レコードを

針 落として
聴いたりとか。

で そんな中で やっぱり

ソウルミュージックも
あったんですね。

そこで ソウルミュージックを
やっている

ミュージシャンたちの
シングル盤の

あのジャケットの
たたずまいとか

そういうのに
心ときめいた少年でしたね。

かっこいいなって?
そうそう。

なんか 必ず
こういうポーズを。

ハハハハ…。
ちょっと 笑いながらね。

片一方だけでも
笑ってる感じで。

で そこで 聴いてみた時の
やっぱり 音楽自体も

なんか
今までに聴いた事ないような

なんかね 世界で。

聴いてるだけじゃなくて
自分も こう

歌ってみたりとかっていう事も
あったんですか?

いや だから うちのお姉ちゃんが
カタカナ英語にしてくれて。

うわ~ さすが お姉様。
ヒアリングでね。

で それで…
例えば デュエットの曲とか

ステレオの前で正座しながら
よく歌って…。

だから デュエットの原点
そこですよ。

そうなんですね。
『ロンリー・チャップリン』より

はるか前にね。
はるか前。

子供部屋でデュエットされてた?
そうそう ええ。

自分は マーヴィン・ゲイに
なりきったり。

で お姉ちゃんは ダイアナ・ロスに
なりきったりとか。

ハハハハ…。 かわいい。
で お互いに

そういう なんか
演じながら歌ってました。

それが原点ですね。
へえ~。

それは ご両親は
なんて おっしゃってました?

あのね
うちは音楽一家というか

音楽に対して
本当に理解があるというか

みんな
好きだったんですね。

だから 必ず やっぱり
音楽が流れてましたからね

家の中で。
あっ そうですか。

うん。 だから 一緒になって
聴いてましたよ 逆に。

オーディション番組に
五木ひろしさんが出て

そのオーディション番組で

10週 勝ち抜くと
プロになるみたいな。

再デビューが出来るみたいな。

そういう時に やっぱり 一番

五木さんを応援してたりとかね。
ハハハハ…。

だから 『よこはま・たそがれ』の
シングルは買うみたいな。

ハハハハ…。
そんな父親でしたよ。

相当 お父様が音楽好きだった?
そうです。

ちなみに
シャネルズをね 結成された

そのメンバーの皆さんは

それこそ 超ご近所の…。

そうですね。 幼なじみですからね。
幼なじみの皆さんなんですよね?

そうです。
まあ 桑野信義っていうのは

幼稚園から一緒ですからね。
ハハハハ…。

幼稚園から ずーっと…。

まあ 1つ
彼は下なんですけど。

幼稚園 小学校 中学校と。

それ 今に至るまで?
今に至るまで。

すごいですね。
人生の半分以上

一緒にいるようなね。
へえ~。

まあ 遊びが高じて
最終的に バンドを組み

デビューして
現在に至るわけですからね。

ふ~ん。
なんか

〈昼間は 父の工場を手伝い

夜は 盛り場で
やんちゃしていた 10代の終わり〉

〈地元の仲間と没頭したのが
音楽だった〉

〈しかも ジャンルは
当時としては異色の

♬~「Well,  she's the kind of
woman that will kiss you」

♬~「Kiss you 'till your lips
are burned」

♬~「Then she'll go and kiss
somebody else, 」

♬~「the minute
your back is turned」

♬~「The girl's got」

〈ヴォーカルとコーラスが
楽しげに掛け合うスタイルが

何よりも
鈴木のお気に入りだった〉

皆さんが ソウルミュージック好きだった
わけではないですよね? きっと。

いや 僕がね 結構…
人一倍 好きでしたね。

ちょうど 1975年
シャネルズが結成した当時

『アメリカン・グラフィティ』
っていう映画が来るんですね。

その映画の中で流れていたのが

結構 ドゥー・ワップとか
ロックンロールだったんですね。

まあ 僕が好きで レコードとかも
いろいろ持ってましたので

みんなに カセットで録音して

洗脳していくわけですよ。

ハハハハ…。
ドゥー・ワップはものすごくいい。

とか。

へえ~。
そういうの全部やってましたから。

あっ じゃあ それは
声質を聴いたんですね?

じゃあ 君は
このパートがいいねとか。

うん。 だから その頃から
プロデューサー気質でしたね。

ハハハッ。 すごいな。
ええ。

だから まあ
ずーっと リーダーとして

今でもね
いるんじゃないでしょうか。

結成された時には
もう これ プロでデビューしよう

っていうふうに
みんなで 志を持って…?

いや それはないですね。
あっ なかった…。

みんな… まあ いわゆる
昼間 仕事をしてましたからね。

で その余暇で楽しむような。

で 元々…

まあ 高校生ぐらいになるとね

週末に 結構 踊りに行ったりとか
みんなでしてましたから。

えっ?
どこに踊りに行くんですか?

まあ 新宿 六本木。

で そこで こう
そろいのステップ

合わせて踊ったりとかして。

で 週末に その当時の

流行りのソウルステップを
踊るっていうのが

ものすごいステータスで。
へえ~。

で もう 毎週のように行って
踊ってたんですよ。

で うちで… 例えば そういう
コーラスの練習とかするでしょ。

そうすると おのずとね
シャネルズの

音楽性の原型みたいなものが

10代の遊びから 実は
沸々と出来上がってたんですね。

あっ そうなんですか?
うん。

で そして ドゥー・ワップという
音楽が大好きで

聴いているうちに 趣味が高じて

だったら 聴く側から
やる側の音楽にしていきたい

っていう思いに駆られて

まあ シャネルズは
そういう ドゥー・ワップとか

ロックンロールとかっていう
ジャンルの音楽を

やるグループに
なっていくんですけど。

やっぱり 趣味だったわけです。

〈ドゥー・ワップへの偏愛を
前面に出す 鈴木たちの存在は

音楽好きの間で
次第に注目を集め始める〉

〈あの大滝詠一や山下達郎も

アマチュアグループ
シャネルズのライブに

顔を見せたそうだ〉

そこから
デビューまで5年ですけど

デビューに至る
きっかけっていうのは

なんだったんですか?
コンテストとかで

腕試しをするようになるんですよ。

もう 予選も
トップで勝ち抜いていくみたいな。

あっ すごい。
そんな感じだったんです。

へえ~。
で 決勝に来たら

他の地区から
サザンオールスターズとか

カシオペアとか

みんな 来るわけですよ。
なるほど。 まだ 皆さん

プロじゃなかったんですか?
みんな アマチュアです。

で 同じコンテストなんです。
うわ~ 豪華ですね 今思うと。

で やっぱり 世の中には
本当 つわものという人たちが

もう ごまんといるんだな
っていうのが

すごくわかった瞬間で。

まあ みんな
結局 そのコンテストでは

優勝は出来なかったんです。
う~ん。

それで もう一年…。

そのコンテストに出て。
はい。

そして 優勝したら
やめようと思ってたわけですよ。

えっ? あっ
やめようと思ってたんですか?

うん。 自分たちのしている…

昼間している仕事に
集中しようって。

え~! あっ そうなんですか。
うん。

〈音楽は趣味〉

〈そう割り切って
いたはずだった〉

〈ところが…〉

〈彼らに
運命の1曲がもたらされる〉

〈1980年
『ランナウェイ』でプロデビュー〉

〈裏方は超が付くような
ベテランだった〉

〈作詞 湯川れい子〉

〈作曲を手がけたのは 井上大輔〉

最初に その曲を聴かれた…
湯川れい子さんが作詞された…。

そうですね。
井上大輔さんが作曲ですね。

で どうでした?
これでデビューかっていうのは。

コンテストで
僕ら 決勝まで…

まあ 翌年の
1978年のコンテストで

まあ 準優勝だったんですよ。
お~。

結局 優勝が出来ないんで

解散という言葉を
使えなかったんですよ。

なるほど はい。

で その時に
コマーシャルソングも

結構 アマチュアながらに
仕事の依頼が来たりとかして。

あっ そうだったんですか。
歌ってらしたんですか。

してたんですね。
へえ~。

その中の1つが
『ランナウェイ』という

まあ ラジカセの…。

あっ ラジカセのCMですか。
CMだったんですね。

で 「この曲で
デビューしたらどうだろう?」

っていう話を頂いて。

我々にとって
井上大輔さんっていったらね

もう ブルー・コメッツで
1960年代から

もう 本当に GSとして君臨した
アメリカンポップスを

オリジナリティーに置き換えてね
やっているというですね

憧れの人でもありました。

それで なんか 「それだったら
ぜひ やろう」っていう話で。

いきなりヒットですよね?

デビューして…。
そうですね。

ねっ 1曲目で
いきなりヒットっていうの…

まあ だって 優勝したら
やめようって思っていたのに

準優勝で そこからね

全然 人生の こう プランが
変わってしまったわけですよね。

これ 俺たち
ヒットしたんじゃない?

なんか ちょっと
スターじゃない? これ

と思ったのは どんな時でしたか?

みんなで
ご飯 食べに行ったりとかしてて

そうすると 大体 「あらっ?
シャネルズかも」みたいに

わかってくれるお店の人とか…。
あ~。

そうするとね 「これ
よかったらサービスで」とかって

言ってくれた瞬間に

ちょっと これ 違うぞ
今までとはみたいな。

ちょっと
いぶかしがられてましたからね。

我々は大人数で

そんな
好青年な感じじゃないですからね。

あと やっぱり そうすると
手紙もたくさん頂くようになって

そうすると 「この曲を聴いて
人生を救われました」

っていうような手紙も
来るようになるんですね。

そうすると
今まで 自分たちは

音楽って楽しむもんだって
思ってたのが

人の人生に
勇気を持たせる事が出来る。

これは やっぱり
メッセージ性のあるもんなんだ

っていう事がね
徐々に わかり始めてから

中途半端な形で歌えないな
っていう思いにね

徐々になっていくんですね。

だから 本当に 育てられましたよ
みんなに。

あっ そうですか。
素直な不良だったんですね。

素直です。
ハハハハ…。 ねっ。

素直です。
素直ですよね。

〈彼らの成功を
誰よりも喜んだ人がいる〉

〈以前から
息子たちを応援してきた

鈴木の父〉

〈シャネルズの
デビューアルバムには

父への思いも託されていた〉

お父様が
ずーっと応援してくださってた

っていう事を
まあ 感謝を込めてなのか こう

ねっ
最初のデビューアルバムの裏に

実は 犬を連れた
お父様の写真が…。

そうですね。 ここにもありますね。

えっ?
これですよ。

あっ
お父様 ちゃんと この撮影に

参加してくれたんですね。
参加してるんですよ。

ハハッ。 かわいい。
うちの愛犬とね。

これ くろみちゃんって
言うんですけどね。

くろみちゃん…
くろみちゃんとお父様が。

で お父様が だから
自分の息子たちのポスターを…。

そうですね。
見ているという…。

お父様は アルバム聴いて
なんか こう

ここは こうしたほうが
いいんじゃないか? とか

おっしゃったりするんですか?
そうなんですよ。

この1枚目の
ファーストアルバムっていうのは

片面 A面は
オリジナルで

B面は まあ
自分たちが得意とする

ドゥー・ワップという
音楽だったんですね。

「今度は このグループの
この曲をやるんだ」とか

そういうの やっぱり 父親に
聴かせたりとかしてましたから。

そうすると 今度 出来上がって

聴き比べたりとかね
それを父親が。

あっ そうなんですね。
原曲と?

うん。 そうすると 「お前たちと
ちょっと ここが違うな」とか。

ハハハハ…。

一番のね 理解者だったですよ。
そうですか。

いいお父様ですね 本当に。

だから ライブも
まあ デビュー前…

最初のうちは もう
20~30人しか こう 来ないような。

もう マニアックな人たちだけがね
来たりとかっていう…。

そんな時も もう
一番前で聴いてましたからね。

へえ~。

お父さん どんな格好して
来るんですか? ライブ。

その時は もう
まさに この格好ですよ。

えっ?
この革ジャン着てましたね。

あっ 革ジャンで…
えっ? サングラス掛けて?

サングラス掛けて来てましたね。
あっ もう じゃあ これは

どっちかというと
お父様と同じスタイル…?

そうですね。
ハハハハ…。

もうね
ものすごいソウルマンでしたね。

へえ~ かっこいいですね お父様。
素敵ですね。

♬~

〈デビューから3年〉

〈ラッツ&スターと改名して
送り出した『組のひと』は

再び 空前のヒットとなった〉

〈作詞は あの売野雅勇だ〉

もう テレビ見ながら

もう そらんじて 一緒に歌って
こうやってましたので。

そうですか
ここにありますね 組。

はい。 ねえ ラッツ&スター。

懐かしいですよね。
ねっ。

こういう…。
これ 1983年でしょ?

83年ですね。

『組のひと』っていう
曲がきた時の第一印象って

覚えてらっしゃいます?

これはね ちょっと
ネオブラックミュージック的な

テイストを入れたいっていう

いわゆる オーソドックスな
R&B ソウルミュージック

リズム&ブルース テイストで
歌ってきた シャネルズが

ラッツ&スターという
グループになる事によって

より

で その時に ちょうど

キッド・クレオール
ココナッツとかね

あと プリンスとか。
あっ プリンス。

そういう ちょっと

新しい勢力の
若いアーティストたちが

こう R&Bをやり始めるんです。
はい。

そのテイストをね
ものすごく入れたのが

『組のひと』だったんですね。

そうなんですね
これ 歌詞もまた

やっぱり 素敵でね。
これ 売野さんですからね。

ねえ。
「組」とか 「いなせ」とか

若干 ちょっと こうね
江戸っぽい感じもあるんですけど。

もう 出だしが
「いなせ」ですもんね。

ちょうど この時期ね
サザンオールスターズが

『いなせなロコモーション』って曲
歌ってるんですよ。

あ~ 『いなせなロコモーション』ですか
はいはい。

で お互いに サザンもラッツも

「いなせ」から始まる…。
「いなせ」だ。

「いなせ」の
インプレッションで言うと

どっちも強いですね 確かに。
強いでしょ。

だから 両方とも
「いなせ」だったんです。

ハハハハ…。 素敵。

でも 今思うと
すごく豪華な時代ですよね?

なんか 歌番組も

本当にたくさんありましたし。
いっぱいありましたね。

まあ サザンとか
ツイストとかっていうのは

我々よりも まあ 2年ぐらい
先にデビューしてるんですよ。

でも やっぱり
同世代じゃないですか。

特に サザンは…
桑田くんたちは もう

アマチュアのコンテストから
一緒だったでしょ。

だから ものすごく

我々がデビューする時は
応援してくれたんです。

あっ そうなんですか。
彼のラジオ番組で。

で その番組に我々が出向いて

生で 番組中 演奏するって
4時間ぐらいやったりとかね。

本当に こう なんか

ファミリーのような形で
応援してくれたり。

あとは 例えば ALFEEが
ちょうど 『メリーアン』で。

「メリーアン」ですね。
ええ 『ベストテン』出てた頃で。

だから 我々と やっぱり
もちろん ニアミスしてますし

で 今回 たかみーさんと一緒に
やってるじゃないですか。

ええ。
で この頃に

まさか 一緒にやるなんてのは
思いもしてなかったよね。

あっ 将来?
うん。 だって お互い

みんな グループで
自分たちが一番と思いながら…。

そうですよね。
やってるわけじゃないですか。

もう ライバルですもんね。
あっ そうですよ。

時として ライバル視してる
ところもあるわけでしょ。

ええ。 子供の頃に見ていた

もう 本当に
キラキラしたスターたちが

今も そういう形で
こう 個人的にも繋がってるって

なんか すごい 素敵なお話…。
そうですね やっぱり それがね

やっぱ 音楽で繋がってる
っていうところが

ものすごくいいんですね。
うん。

〈1986年 鈴木雅之は
ソロ活動をスタートさせる〉

〈そこにも きらめくような
出会いが待っていた〉

〈多くのアーティストと

積極的に
コラボレーションを重ね

その音楽世界は

さらに豊かな陰影を帯びて
広がっていく〉

ファンの方々っていうのは

グループで歌ってた時からの
ファンの方も

それから ソロになられてから
新たに ファンになられた方も

いらっしゃると思うんですけれど

ファンの方からは どういう こう
ラブレターというかですね…。

あっ でもね これね
やっぱり 鈴木雅之は

シャネルズ ラッツ&スターを
通して

ブラックミュージック
っていうものを

本当に オリジナルに変換しながら
歌ってきている中で

一瞬 グループ時代からの
ファンの人たちにとってみれば

あっ そっちにいくの?
っていうのは

少なからず あったと思いますね。
あ~。

あの『ガラス越しに消えた夏』
って曲は

1回も こぶし
回してないんですよ。

あのね シャネルズ
ラッツの頃から

子供の頃の
三橋美智也さんの

節回しっていうのが
大好きって言ったでしょ?

意外に シャネルズ ラッツの時の
こぶし… 節回しは

実は 三橋美智也さんが
入ってるわけですよ。

マジですか? ハハハハ…。

三橋さんは 北の北海道の出身の

民謡から来た歌い手さんなのね。

まさかの民謡からのルーツが。

だから
鈴木雅之のこぶしは 実は

北のこぶしが入ってるわけ。
そうなんですね。

それが 自分にとっての武器だと
思ってたの。

ところがね ソロになった時にね

「マーチン ちょっと…

…って言われたんですよ。

こぶしを回さないって事は

自分の中には
あり得なかったんですね。

でも これは 自分にとっての
挑戦だなと思ったの。

だから 『ガラス越しに消えた夏』
って曲は

1回も こぶし
回してないんですよ。

だから
ちょっとだけ 自分にとってね

不安な部分があったりとか

これも 全部
なんか 音に出てるんだろうな…。

それが いい意味での
切なさになったりとか

したのかもしれないな
っていうふうに…。

その… まあ ねっ

今も仲のいいメンバーの
皆さんとの交流がありながら

ソロでデビューするっていうのは
どういう心境なんですか?

元々はね あのメンバーは

バラエティーにいく連中も

ちょっとバラエティーのほうでね

志村さんに
かわいがって頂いたりとか

いろいろと こう
バンドをやりながら

ちょっと そういうソロ活動も

始めてた時期なんですね。
そうですね。

たくさん バラエティー番組
出てらっしゃいましたね。

そんな時にね

米米CLUBとね
一番最初

対バンした時があるんですよ。
はい。

まだ ヒット曲もなく
デビューしてすぐぐらいですかね。

その時に 彼らが
オープニングアクトで出て。

それを
なんか 袖で見てて…。

もう なんか
ちょっと忘れてたなって

すごい思ったんです。
う~ん。

だから…。

ああ。
…って言って。

力つけて もう1回 戻るぞ
っていう話をして…。

だから…。

♬~「もう涙はいらない」

♬~「僕が側にいるから」

♬~「想いをいま届けたい」

♬~「この街角で」

♬~「違う 違う
そうじゃ そうじゃない」

♬~「君を逃がせない
愛は渡せない」

〈ソロヴォーカリストとして

アグレッシブに走り続けている
鈴木雅之〉

〈一方で
女性アーティストと組んだ

デュエットソングにも

新境地を開いてきた〉

〈デュエットの原点は

姉 鈴木聖美と歌った この曲だ〉

デュエット曲もね
いろいろ出されてますけど

お姉様とっていうのが
これ そもそも

どういうところから出てきた
お話だったんですか? これは。

うちの姉ちゃんが
デビューする時

プロデュースしたのが
僕だったんですけど

どんな曲にしていこうとか

どういう まあ
コンポーザーを使って

どういうアルバムに
していこう…。

まあ 全部
決めていくわけですね。

だから プロデューサーとしての
自分の立ち位置と

もう一つは…。

なんて いい弟でしょう。

私も そんな弟が欲しい。
それで デュエット曲を

書いたんです。
素晴らしい。

今ね もう
一緒にデュエットした人

14人! 14人と…。
結構いますね。

デュエットされて
非常に幅広い方と。

菊池桃子さんはね
『渋谷で5時』…。

もう
忘れられませんよ。

私 あれ イントロのところ

まね出来ますもん。
ハハッ。

はじめまして。
はじめまして。

鈴木です。
菊池です。

お待たせしました。

ポケベルが鳴るんですよね。
そうそうそう。

あれ ポケベルのね
コマーシャルソングだったの。

あっ そうだったんですか。
あの ポケベルが鳴るんですよ。

それでね 菊池さんが
ポケベルに気付くんです。

それで どれどれって見てみると
数字の表示でね。

「渋谷… 5時… 渋谷で5時!?」。
そう。 ハハッ。

「え… 嘘? 嘘 まいったなぁ…」
って言うんですよ。

あれね
そのレコーディングをする…

ヴォーカルの
レコーディングをする前日に…。

あっ あそこ そうなんですか。

なんか 桃ちゃんに…。

桃ちゃんは
もちろん 歌を歌えて

アイドルとして
デビューして

まあ
女優さんとしてね

ずーっと こう
やってた人ですから

歌は もちろんなんだけど
とにかく

演技してほしいなって思って。
へえ~。

それで 思って
イントロとアウトロに

ちょっとしたセリフを…。

なんか
こういう彼女 かわいいな

言った事ない こういうセリフ!
とか思いましてね。

そうですか。 一応 バイブルに
なってくれたら 嬉しいです。

バイブル…
本当 バイブルでしたよ あれは。

デュエットって
何がコツなんですか?

やっぱり…。

そこに 1人で歌うのとは違って

お互いに コール&レスポンスを
する事によって…。

だから 歌ってるんだけども

どっかで お互いに
口説き合っているような。

っていうふうに
ずっと思ってて。

えっ? あの…
個人的には 恋愛体質なんですか?

いや もう ラブソングを
歌う人って みんな そうでしょ。

やっぱり
その気持ちがなかったら

歌わないと思いますよ。
そうですよね。

空想だけじゃ書けないですよね。
気持ちがなかったらね。

疑似恋愛は その楽曲に対して

みんなが 疑似恋愛してもらえれば
いいわけですからね。

〈今月13日 鈴木雅之は

3年ぶりのアルバム
『Funky Flag』を発表した〉

〈布袋寅泰 高見沢俊彦

小西康陽など

1曲ごとに
異なるプロデューサーを迎えた

ゴージャスな作り〉

を引き出す 斬新な試みだ〉

それで… 3月に 3年ぶりの

オリジナルのね
ニューアルバムを出されて…。

タイトルの
この『Funky Flag』っていうのは

どういう意味なんですか?

この旗の下に集まって

そして みんなで
パレードしていこうっていう…。

人生という名の道を
パレードしていこうっていう…。

今回は あえて
1曲ずつに

プロデューサーを
立てる事によって

それぞれの
プロデュースの色に

染まってみようと
そんな思いで…。

だから 1人の
ヴォーカリストとして

作り上げた
アルバムですね。

もう 本当に
豪華な皆さんなんですが

一番… なんでしょう? こう

新しい発見があったのは
どなたとの…?

っていうかね
布袋寅泰くんは…

布袋とは ソロになって
1枚目のアルバムで

彼は ギターで
参加してくれてるのね。

だから
もう32~33年ぶりかな?

…に 一緒に
こう やったりとかね。

ロンドンのほうに行って
彼が

向こうのミュージシャンと一緒に
作りたいって言ってくれて…。

だから 僕 25年ぶりぐらいに
ロンドンのほうに…。

あっ 向こうにいらしたんですね?
うん。 で 一緒に…

向こうのミュージシャンと一緒に
作りました。

で 大体 プロデューサーたちは
みんな

鈴木雅之ってヴォーカリストを一度
手がけてみたかったみたいな

その貪欲さって
絶対 あるんですよ。

だから
いろんなプロデューサーが

みんな並んでるっていった瞬間に

まあ プロデューサーって
面白いもので

自分が やっぱ一番だと
思ってるんですよ。

はい。 そりゃそうですよね。

だから 1曲ずつが… 全部が
シングルのような気持ちで…。

あっ でも
本当 そんな感じですよね。

私 世代的にも
ピチカート・ファイヴを

随分 聴いていたので…。
あっ そうですか。

そうですね。 11曲目の このね
小西康陽さん。

まあ 『渋谷で5時』
っていう曲を作ったのは

ちょうど 小西が 90年代に
渋谷系と呼ばれる

R&Bの音楽を…
言った時に

じゃあ 鈴木雅之なりの渋谷系を
作ろうと思って作ったのが

『渋谷で5時』ですから。
あっ そうだったんですね。

だから みんなね
どっかで繋がってるんですよ。

ねえ 本当 どれもが…。

9曲目『デリケートな嘘』
これ 高見沢さんですよね。

たかみーさんはね…。
坂崎幸之助さん

まあ コウちゃんって
呼ばせて頂いてるんですけど…。

コウちゃんとは もちろん
フォーク繋がりで

ものすごく 彼とは 一緒に
ステージやったりとか

で いろいろ しゃべって
僕は やっぱり

例えば グループサウンズ GSも
ハードロックも好きだっていう

そういう話まですると…。

って 昔から
よく言われてたんですよ。

だから いつか たかみーさんと
やってみたいっていう思いはね

なんか それを自分の中に
いつも感じてた。

で あとはね 歌詞を
いとうせいこうさんが書かれた

8曲目の ひらがなで『どんすた』。
『どんすた』。

私 タイトル見た時
「えっ どういう歌なんだろう?」

って思って聴いてみたら

「どんすた どんすた」って
鈴木さんが歌うと

「ドンストップ」なんだな
って事が わかりました。

そうなんです。
それを「どんすた」っていうね。

日本語英語ですね。
日本語英語だけど

「どんすた」って
鈴木さんが歌うと

ちゃんと
「ドント ストップ」になる。

あっ 聞こえますか?
はい。

これ 曲は
フラッシュ金子っていう

まあ 米米CLUBですからね。
あっ そうなんですか。

で プロデュースが
萩原健太さんがしてますから

まあ どちらかというと
米米色の強い感じですかね。

だから やっぱり
そこでも繋がっていきますよ。

米米と一緒にコラボレーション
してるようなもんですからね。

そうですね。 えっ 鈴木さんって

割と 人とすぐ仲良くなっちゃう
タイプなんですか?

こうして打ち解けていくと
仲良くなるタイプです。

僕はサングラスしてるでしょ。
はい。

で まあ 怒ってるのかもって

思われたりとかする事は
あるんです。

でも ある程度 こう しゃべって
打ち解け合った時っていうのは

まあ これが
普通の自然体ですから…。

そうすると
やっぱり 気心 知れ合うと

ものすごい仲良くなる
タイプですね。

いや なんか 本当に 皆さん

もう それぞれに
素晴らしい実績があって

それぞれの確固たる

音楽の世界観をお持ちの方々と

なかなか 難しいんじゃないかなと
思ったんですけど

こんなにオープンなというか

本当に 素直な不良なんだな
と思いました。

あっ 鈴木雅之が?
はい。

そうですか。 だから まあ
そんなに… なんでしょうね

真面目な…
勉強一筋でみたいな事よりは

やっぱり 音楽…。

ようなところがありますからね。

になってますから
いろんなプロデューサーたちも

みんな いろんな音楽的な…
まあ そういう歴史が

それぞれあるわけじゃない。

で それがね どこかで
絶対に繋がるんだよね これ。

大事にしてるものを
本気で大事にしていると

人と繋がるんですね。
繋がりますね。

なんと 私 今回
本当に驚いたんですが

2016年に 還暦を
お迎えになってるんですね。

還暦 迎えてますね。

全然変わらないですよね
昔から こう…。

あっ…。
何も。

たたずまいが?
たたずまいも お声も 歌も。

どうですか? 還暦って。

まあ 一応 こうね 暦が一巡りで
もう一回 そこから

赤ちゃんになるんですよ
なんてね 言われますけど…。

だから なんかね…。

でも 還暦をクリアしてからは
みんなに言われるのは

「目指せ! 古希SOULですか?」
って言われるんで

じゃあ まあ 古希SOULで
目指そうかって…。

そうですね。 その先も
いろいろありますからね 節目が。

そうなんですよ。
これから…

まあ 今ね リリースされた
ばっかりですけど

これから まあ
組んでみたいなとか

やってみたいなっていう事
っていうのは…。

これね
選ばれた者たちっていう解釈を

僕は いつもするんだけれど

そういう選ばれた者たち
っていうのは

知らず知らずのうちに

その方向に導かれてるような
気持ちがあって。

必ず いろんな場面で
いろんな人が出てきて

その人と作品を作っていったり
っていうね 場面がね

あるんですよ。

これ やっぱり 音楽の神様からの
ギフトなんですよ。

だから そのギフトを
絶対に見逃しちゃいけない

アンテナだけは
いつも磨いてなきゃいけないって

そういうふうに思って
ずっと来てるんで

多分 古希SOULまでに
まだまだ

いろんな人との出会いが
きっとあるんだと思います。

いや もう なんか…

素敵な方だろうなとは
思ってたんですけれども

やっぱり なんか
一緒にお話すると

好きになっちゃいますね。

だから やっぱり
こう いろんな方がね

本当に プロデューサーの方が

「鈴木さんと いつか…」
って おっしゃったりとか…。

あと 鈴木さんと一緒に
お仕事されると

そこからね また いろんな縁が
広がっていくっていうのは

お人柄も もちろんあるんだな
と思いました。

〈ヴォーカリスト 鈴木雅之が
今 大切にしている言葉〉

「縁」ですね。

やっぱり
この「縁」があるからこそ

いろんな人と繋がってこれた
っていう…。

まあ この思いは やっぱり
とても大切にしているっていう。

例えば 新たに なんか

いろんな人と
出会ったりするでしょ。

その時に
結構 繋がってたりとかね

あの時 繋がってたんだとか…。

で そういう事をね 改めて
なんか感じられる事が多くて

やっぱり なんか これも縁だね
とかっていうような事をね

本当 ここ何年かで
口にするようになったのね。

だから これ やっぱり
きっと なんか

自分にとっての
キーワードなんだろうなって

なんか
そういうふうに思えたんだよね。

〈誰にとっても

人生に実りを
もたらすのは

縁だろう〉


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