英雄たちの選択スペシャル まさかの応仁の乱!もうどうにも止まらない11年戦争・登場人物の“自分ファースト”は…



出典:『英雄たちの選択スペシャル▽まさかの応仁の乱!もうどうにも止まらない11年戦争』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択スペシャル▽まさかの応仁の乱!もうどうにも止まらない11年戦争[字][再]


興味はあるが難しそう…取っつきにくい乱の実像を磯田道史とベストセラーの著者が徹底解説!登場人物の“自分ファースト”は、日本をどのように変えていってしまったのか?


詳細情報

番組内容

いまブームの応仁の乱!興味はあるが、ややこしく難しそう…そう思っている方も多いのでは?ベストセラーの著者が登場し、磯田道史と「日本で一番わかりやすい解説」を目指す。キーワードは“自分ファースト”と“まさか”。登場人物たちの、自己中心的な欲望、メンツなど、利害が複雑にからみ合い、まさかの事態を生んでいった乱の実像を、切れ味鋭く分析。“京都が嫌い”なあの人の現場案内も交え、歴史の大転換点を語り尽くす

出演者

【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】井上章一,呉座勇一,小谷賢,中野信子,橋本麻里,【語り】松重豊




『英雄たちの選択スペシャル▽まさかの応仁の乱!もうどうにも止まらない11年戦争』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

英雄たちの選択スペシャル まさかの応仁の乱!もうどうにも止まらない11年戦争
  1. 応仁
  2. 将軍
  3. 自分
  4. 義政
  5. 西軍
  6. 宗全
  7. 東軍
  8. 京都
  9. 勝元
  10. 山名宗全
  11. 細川勝元
  12. 義視
  13. 呉座
  14. 管領
  15. 結局
  16. 細川
  17. 畠山義就
  18. 本当
  19. 足利義政
  20. 義就


『英雄たちの選択スペシャル▽まさかの応仁の乱!もうどうにも止まらない11年戦争』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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巨大な流星が京都上空に飛来した。

人々は これを
天狗流星と呼び

不吉の前兆と おののいた。

その2年後
京を焼き尽くす戦乱が勃発。

11年にわたる 応仁の乱である。

もののふによる空前の長期戦は

時の将軍
足利義政の
跡継ぎ問題や

有力大名家の家督争い。

更には貿易権益の
奪い合いに

幕府内の
権力闘争など

多くの利害と
メンツが入り乱れ

京を
戦乱の都に変えた。

その戦乱の現場からは

知られざる京都の素顔が
かいま見える。

スタジオでは 不可解な応仁の乱を

気鋭の専門家たちが読み解く。

敵が いなくなっちゃうと もう…

自分ファーストの思惑が
まさかの事態を引き起こし

まさかの連鎖が
戦乱の出口を閉ざす。

将軍さんは何をやってんねやろ。

はよ止めな えらい事になるがな。

おお怖 おお怖…。

開戦から550年を迎え

今 注目の戦乱 応仁の乱。

その複雑怪奇な実態と
知られざる中世日本の実像に迫る。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

今回の「英雄たちの選択」は
今 大ブームになってますね。

応仁の乱のスペシャルバージョンで
お届けしたいと思います。

その応仁の乱が起こったのは
室町時代。

足利義政が将軍だった1467年です。

この年から1477年まで続いた
戦乱という事になるんですよね。

しかし なぜ今 応仁の乱なのか。

これは この時代 権力者が
あまりに自分勝手。

自分ファーストの時代。

どっかで聞きましたね。
自分ファーストね。        自分ファースト。

何でもあり。

その自分ファーストの まさかの事態。

今回も こんな事を言うと
語弊あるかもしれませんけど

だから 僕は 現代人が
世界中の指導者とかを見て

今 応仁の乱に興味を持ってんじゃ
ないかと思うんですよ。

それを分かりやすく
今日は解説しようと。

応仁の乱の火付け役と
なった方にも

お越し頂きました。
呉座勇一さんです。

よろしくお願い致します。
よろしくお願い致します。

呉座さんご自身は
なぜ こんなに 応仁の乱が

ブームになってると思いますか。

応仁の乱って かっこいい英雄が
全然出てこない話なんですけど

どちらかというと
駄目な人が

いっぱい出てくる
話なので。

なんで…
分かりませんけどね。

私の想像では
サラリーマンの方たちは…

判断が コロコロ変わる人
言ってる事が

コロコロ変わるやつって
やっぱ いるんだなみたいな

そういう方向での
親近感というか

自分のふだんの生活の中に
いそうな人を

応仁の乱の中に
見つけてるんではないかと。

そうなんですか。
フフフフフッ。

ちょっと ひと癖も
ふた癖も あるような人物が

それも 一人ではなく
出てくるんですよね。

この人たちを分析するだけでも
面白いと思いますが

どうして その人たちが
この時代に

あっと 一気に現れてきたのか
という事を見ていくのも

すごく 応仁の乱の読み方として

楽しめる読み方の一つかなと
思います。

美術史の流れから見ますと
やっぱり この乱前後というのは…

それこそ 天皇家から公家
それから 武家に

文化が上から下へと拡散していく。

あるいは
その空間的な移動で言えば

京都 中央から地方に
文化が飛び散っていくとか。

そういう意味では 見てる分には
楽しい時代なんですけれどもね。

普通 戦争というのは

相手の大将首を取るために

やるんですけれども

何か この時は 誰も

相手の首
取りに行かない訳ですよね。

だらだら だらだらと
これ 10年ぐらい以上 戦ってると。

さあ では磯田さん その不可解な
戦いの全貌をですね

まず どういうふうな人物が
出てくるのかという事を

教えて頂きたいと思います。
これ もう大変なんですよ。

そもそも 乱の始まり

畠山義就と

政長という2人による

畠山家の家督の争いが
始まりだと。

家督というのは
遺産だけでなくて

社会的な地位だとか
職も伴っていましたので

とても 当時 重要でした。
そして この政長は

清廉な人と呼ばれていただけに
キレると怖い。

一方で ちょっと乱暴なのが
このライバルの義就。

悪そうな顔してますね。
リアル暴れん坊。 戦いに明け暮れる

もはや 怪獣という
怖い顔してます これね。

この2人の対決だけじゃ
ないんです。

時の将軍 足利義政の後継者

つまり 将軍家の跡継ぎ問題が
関わっていた訳ですね。

じゃあ 誰が継ぐのかというと
足利義政の弟 義視ですね。

もう一人が義尚。

この義政の息子ですね 義尚はね。
そうです。

この義政の奥さんが

世間では
悪女というんですけど 日野富子。

もう一つ 山名宗全。
これ 実力者たちの争い。

もう一つが
細川勝元という権力が争ってる。

これが絡んでくる訳ですね。

宗全は 今で言ったら…

片や勝元はですね

権謀術数大好きの策略家。
ちょっと陰な感じがするんですね。

この2人が いろんな対立をする。

幕府の主導権を巡る権力の闘争に
この将軍継嗣だとか

畠山家の家督問題を利用する事で
話がこじれる。

争いが拡大していく訳ですね。

こちら ご覧下さい。

これ 現在の京都の俯瞰したもの
なんですけれども

応仁の乱では市街地だけでなく

私たちが よく
観光名所として知っている

多くの神社仏閣も
焼けているんですね。

まさに 京都全体が

炎上しちゃってるというような
イメージですよね。

だからね 歴史的に見ると…

ここで リセットされちゃうんですよ
ある意味。

応仁の乱以前の歴史を見ても
さほど 僕らに ひょっとしたら

影響を与えてないかもしれない。
だから ここから始まる。

そうすると 日本史は ここから
やっぱり始まらざるをえなくなる。

さあ では まず
乱の発端となりました

畠山家の対立から
ご覧頂きましょう。

いにしえの都 京都。

観光客でにぎわう
神社仏閣の多くが

応仁の乱で大きな被害を受けた。

東山の名刹 清水寺も
例外ではなかった。

有名な清水の舞台へと続く…

2014年の保存修理工事の際

門の礎石周辺から
焼けた土の層が発見された。

その年代から 応仁の乱の戦禍を
被ったと考えられている。

祇園祭で知られる八坂神社。

ここに 乱の過酷さを伝える
史料が残されていた。

こちらが地検帳になります。

応仁の乱の直前と直後の地検帳。

当時の市民のなりわいや
家の大きさが つぶさに記された

住民台帳とも言える
書きつけである。

♬~

地検帳に残されていた記録は
京都の中心部。

室町通りと西洞院通りの間の

下京2ブロック分だった。

2つの帳面を比較すると

乱のあとは
住民や商店が激しく減り

空き地が増えている事が
読み取れる。

一方で 両方に記載されている家

つまり この地で乱を生き抜いたと
考えられる人たちもいた。

コウ屋と呼ばれた
染め物屋も

その一軒だった。

応仁の乱から復興した京都を
生き生きと描いた…

将軍が暮らし
政務を執った室町殿は

花の御所と呼ばれ
その壮麗さを誇った。

市民たちの姿も細密に描写され

話し声まで
聞こえてくるようである。

その中に染め物屋の姿もあった。

時は 1465年
応仁の乱勃発の2年前に遡る。

お母ちゃん お母ちゃんて。

えっ? 何やいな。

何や 畠山のお家が
ごたごたしてるらしいで。

畠山て
管領家の畠山はんとこかいな。

そうや。 細川 斯波と
天下に 3つしかない

将軍補佐役の管領 畠山や。

あそこはな これまでも
いろいろとあったんや。

へっ 何やて…。

畠山家の惣領 持国には
嫡子がなく

家督は
弟 持富に譲る事になっていた。

ところが持国は 家督継承者を

突然 庶子の義就に変え

時の将軍 足利義政も
これを認めた。

だが これに不満を持ったのは

持富の息子 弥三郎。

弥三郎は
義就たちに戦を挑み 勝利する。

将軍 義政は
この結果に態度を変え

弥三郎を家督継承者と認めた。

これにより 持国は隠居。
義就も京を去る事になった。

ふ~ん。 でもな 将軍さんは
初め 義就を家督にしといて

中途で変えるのは
ええ加減やないか。

義政はんは
優柔不断っちゅうんか

大概は 勝ってる方につく
お方なんや。

侍の棟梁が
そんな事でええんかいな。

この件はな 細川勝元と山名宗全が
裏で糸を引いてたらしいんや。

2人に ええようにされて
将軍も形なしやで。

畠山家の争いの背後にいたのは

管領の細川勝元と

有力大名の山名宗全だった。

彼らは 畠山家の内紛をあおり
弱体化させる事で

自分たちの権力強化を狙っていた。

それを知った将軍 義政は
幕政の主導権を取られまいと

勝元の家臣を処罰し
宗全を隠居させた。

更に 弥三郎に家督を認めた
僅か4か月後。

義就を再び家督に据える。

この措置に弥三郎は没落。

弟の政長に あとを託して
世を去った。

ところが将軍 義政は

家督に据えた義就が
意に沿わない行動に出るや

今度は政長を畠山家の家督とした。

細川勝元は
政長に管領を譲って恩を売り

政長の後ろ盾として
背後から幕府を操る

強大な権力を手に入れた。

もう 将軍さんは
何を考えとるんやいな。

結局は 勝元の思うつぼ
いう事やがな。

実はな
隠居させられとった宗全も

勝元の口添えで
復帰できたらしいで。

そうやがな。

将軍も将軍やけど
あの おっさんらも手ごわいでぇ。

この畠山家の家督争い
ご覧頂きましたけれども。

ハンコで表されてました。

義政 どっちのね。
いい加減なやっちゃね あれ 本当。

右に左に忙しいなって。

これも混乱の一因なんじゃないか
と思うんですけど。

呉座さん どうでしょう。

大前提として 室町幕府の将軍って
そんなに権力というか力がないと。

特に この時期は非常に
落ち込んでいた時期なんですね。

それは何でかっていうと

足利義政が
8代将軍ですけれども

8歳なんで 将軍つっても
名ばかりな訳ですよね。

そうすると結局
どうするかっていうと

細川勝元とか 今 出てきた
勝元みたいな有力大名たちが

事実上 幕府の政治を動かす
という形になる訳ですね。

ただ 足利義政も だんだん
成長してく訳ですよね。

そうなると…

そこで 結局 将軍と

大名たちとの間の権力争いに
なっていく訳ですね。

そうすると やっぱり 義政は
いくら 将軍といっても…

だから 結局 勝元とか

そういった ほかの大名たちに
妥協する。

自分の意見を
押し通せないっていう事が

まま出てくると。 その結果…

江戸幕府と室町幕府は
おんなじように

幕府と ついてますけれども
全然違うものです これは。

という事で 室町幕府が

どういう組織で
成り立っていたのかというのを

ここで見ておきましょう。

これは 京都の いわば
中央政府の組織図です。

大きな権力を持っていたのは
将軍補佐役の管領です。

管領には
細川 畠山 斯波の

足利一族の
3つの家の中から

一つだけが
つく事になっています。

そして 次に重要なのが
侍所という

京都の警備や
訴訟などを担う部署で

その長官を所司と呼んでいました。

この侍所 所司を務めるのは

山名 赤松 京極 一色の
4つの家に限られていました。

この3つの管領家と
4つの侍所 所司を出す家を

三管四職と呼び

彼らを中心に
諸大名がまとまって

連合政権的な性格で
室町幕府は運営されていました。

このポストっていうのは
非常に重要なポストなんです。

なので 細川とか 畠山というのは
自分が管領になるために

そのポストを巡って
争うという状況なんですけど…

メリットない?
ないんです。

仕事ばっかり多くて あまり
うまみのないポストなんです これ。

結構 管領と
侍所の長官というのは

そういう格差があるんだ
という事を

ちょっと 念頭に置いておいた方が
いいかなと思いますね。

どっちかっていうと サークル 迎合。

あまり だから お互いを
お互いを 完全に指示したり

言う事を聞かせたりするのが
非常に難しい。

そうですね。

畠山をたたくとか 山名をたたく
というような事をやって

それによって 自分が主導権を握る
という事を目指していた訳ですね。

足利義政が
例えば 畠山の家督をこっちに

何か右に行ったり
左に行ったりしてるのは

あれは計算してやってるのか。
それがね 難しいんですよ だから。

計算でやってるっていう意見も
あるんですよ。

だから それ
結構 分かんないんですよ。

だから 今でも
今も例えば トランプ政権が

あれは 行き当たりばったりで
適当にやってんのか

わざと かく乱するために
意図的にやってるのかって

結構 意見が分かれると
思うんですけど

ちょっと義政も
そういうところがあるんですよね。

ただ 生まれつき
そういう性格だったという

可能性もある訳ですね。
(呉座)可能性もありますね。

もし この人は そういう
性格だったとするならば

生育上の環境要因が
大きいだろうと思うんですね。

考えられるのは 学習性無力感
というのがあるんですけども

自分の意見を出すと。 出して
ずっと否定されるという事を

そういう試行を
トライアルを繰り返していくと

その人は もう何を言っても
必ず否定されるので

自分の意見を出す事が
できなくなっていく。

なので 周りに流される
という事が起こる。

おっしゃるとおりです

やっぱり
間違えたくないみたいな

結局 自分が決定を下して
それが最終的に…

というのは
多分あると思うんですよね。

勝ち馬に乗るという。
将軍として

それでいいのかっていう問題は
あるんですけど。

生存戦略として そういう能力を
身につけたんでしょうね。

義政は。 無能っていうイメージが
強いですけど

バカではなくて 非常に冷静に
情勢を分析する力はある。

なるほど。 さあ その畠山家の
家督争いに話を戻しますと

細川勝元と山名宗全が ここで
介入してくるっていうところも

一つ 混乱の要因になったんじゃ
ないかなと思います。

(呉座)そこは非常に大きいと
思いますね。

細川勝元にしてみれば 畠山を
弱体化させる事に成功すれば

ずっと自分が
管領って事になるので

それで 細川は
畠山の家督争い 分裂。

山名宗全は もともと
管領になれる家ではないので

別に畠山が どうなろうと
関係ないんですけど

この時期 宗全は
実は 細川勝元と

同盟を結んでたんですよね。
ここでは仲がよかったんですよね。

さて
その畠山家の争いに続きまして

将軍家でも
跡継ぎ問題が勃発します。

お母ちゃん。 将軍さんは

よその家に
ちゃちゃ入れてたけど

何や 自分とこも
もめ始めたそうやないか。

なんぼ 将軍でも
思うようにいかん事もあるわいな。

将軍 足利義政は

正室 日野富子との間に
嫡子がいなかったため

後継者として
僧侶になっていた弟を還俗させ

義視とした。

ところが その1年後
義政と富子夫妻に

男児 義尚が誕生。

義政は まず 弟の義視に
将軍を譲り

息子 義尚の成長を待って
将軍にするつもりだった。

義政の真意は
将軍を退いたあとも

幕政に
影響力を残す事だった。

これに 細川勝元も
異論はなかった。

それは富子にとっても
悪い考えではなかった。

富子の妹が
義視の妻だったからである。

だが 山名宗全の考えは違った。

宗全の思惑で この先 政局は
大きな波乱を迎える。

ややこが生まれて めでたいはずが
ややこしい事になるばかり。

さあ ご覧頂いたように

将軍家でも
跡継ぎ問題が起こりました。

こちら 義政は
自分の将軍継承を

その次に弟の義視
そして 息子の義尚に

継がせようというふうに
考えていたんですけれども。

ところが宗全は… 宗全は違う。

宗全の場合は もう義政を完全に
政界から引退させてしまうと。

だから 義視が
もう名実ともに将軍と。

飾り物の将軍ではなくて
義視が正真正銘の将軍。

足利義視政権を作ってしまうと。

義政の院政みたいな形ではなく…

ただ その場合 次に将軍を支える
将軍を補佐する

管領をどうするかって問題が
出てくる訳ですね。

管領ですね。
実は

斯波義廉という人物が
おりまして。

こちらですね。

(呉座)宗全は この義廉に
娘を嫁がせていると。

つまり 斯波義廉は山名宗全の娘婿
という事になります。

斯波家は
管領になれるという事なので

宗全は この自分の娘婿の
斯波義廉を管領にすると。

足利義視を将軍
そして 実権は自分という形の

政権構想があったんですね。

一般的になんですけど

この日野富子が
いろいろ画策してというのも

自分の息子の義尚を
将軍にさせたいから

裏で糸を いろいろ
引いてたんじゃないか

というふうに
いわれてるんですけど。

ここで 富子が
いろいろ画策するというのは

合理的な選択じゃないような
感じがしますよね。

特に係累がいる訳…。

係累が
権力を握ってる訳だったら

特に そんな
コストをかける必要がない。

リスクをとる理由が
どこにもない。

そうです むしろ そうなんです。
妹の立場が悪くなるので

富子は
絶対 そういう事は やらない。

義政さえ いなくなれば
もう俺は自由に何でもできると。

幕府を牛耳れる
という事になるので

宗全にとっては 動く動機がある
という事になりますね。

一応 血縁カリスマとして

将軍は 血の尊い人だと
祭り上げられてはいるけれども

本当に縦型で
相手側より俺は絶対強いぞと

そういうような話には
ならないという

微妙な釣り合いですよね。

例えば 将軍の中には あの中で

赤松なんかに殺されちゃった人も
いるんですよ。

普通 将軍を殺した家は
改易ですよ。

僕なんか 江戸時代
研究してますからね 改易ですよ。

でも 生き残った上に
ずっといるんですよ。

おかしいですよね これ。

一回 取り潰されに
なったんですけど

復活するんですよね。
そんなの ありかよっていう。

だから それならね…

何で それをやらないんですか。
すごい発想…。

それは やらないんですよね。
だから これ 宗全って…

フィクサーみたいな事を
するんであれば…

そうはいかないんですよ。

…みたいな発想になる。

橋本さんに
お聞きしたいんですけど…。

義政さん ちょっと政治の方面には
学習性無力感が大きくて

決定権を握れなかったっていう
事情があると思うんですが

そういう人が すごく美術方面で
力を発揮する事があります。

単に その 美術愛好という事が

政治と全く離れた行為かというと
もちろん そんな事はなくて

北山第への行幸とか
天皇の行幸を仰いで そこに…

その 政治的なパフォーマンスにも
つながりますから。

権威づけに使うという事ですね。

さあ その畠山家の家督争いに

幕府内での主導権争いが
絡みまして

このあと
まさかの事態が起こります。

1466年暮れ。

都を不穏な空気が支配した。

家督を奪われ 京を離れていた
暴れん坊 畠山義就が

山名宗全の求めに応じて

数千の軍勢を引き連れ
上洛したのだ。

幕府の実権を 細川勝元と
畠山政長に握られた宗全は

これに対抗すべく
畠山義就に接近していた。

まさか 宗全が
義就と手を組むとは…。

私との同盟関係を続けた方が

確実に
幕政に関与できるはずなのに…。

だが宗全は 勝元と袂を分かち
政権奪取へ動いた。

義就の軍事力を目の当たりにした
将軍 義政は

早々に 義就を
畠山家の家督と認めた。

政長は
家督を取り上げられたばかりか

管領も罷免され
幕府内に居場所を失った。

新しい管領には
宗全の娘婿 斯波義廉が就任し

豪腕フィクサー 宗全のクーデターは
成功した。

お母ちゃん
政長はんは 気の毒やけど

京を出ていくしかないな。

これが ほんまの都落ちや。

義政はんは 争いが嫌なんか
気ぃが弱いんか。

とにかく これで
当分は 宗全の思いのままや。

だが これは終わりではなく
11年に及ぶ戦乱の幕開けだった。

京都市上京区にある…

管領の座を追われ

京を離れるかと思われた
畠山政長は

この森に陣を構えて
義就に決戦を挑んだ。

将軍 義政は

この戦いを あくまでも
畠山家の騒動として

諸大名が加勢する事を
禁じた。

政長 義就の両畠山軍は激突した。

戦は 義就の圧勝。

だが この時
思いがけない事が起こる。

敗走する政長軍に

山名宗全の配下が
追い打ちをかけたのだ。

まさか 宗全が
将軍の沙汰を破るとは…。

これでは まるで
私が 盟友の政長を

見捨てた事に
なってしまうではないか。

勝元は冷たいやっちゃなぁ。

ほんま。 あれでも侍かいな。

なんぼ 将軍に言われたいうても

あんまりやで。

それにしても
宗全は うまい事やりよった。

朝廷の方に
手 回しとったみたいで

お咎めなしやて。

武士のメンツを潰された勝元は
おさまらなかった。

各地の軍勢に号令をかけ
宗全との対立が表面化していく。

ついに戦いが始まってしまった
という事なんですけれども

それを準備したのが
山名宗全のクーデターの成功

というところですけれども

磯田さん どう
ご覧になりました?  やっぱり

豪腕フィクサーの
面目躍如って感じですね。

一気に 細川勝元 政長の体制を
覆しちゃいましたね。

実力行使に出る 先手を打った
という感じですよね。

で その勝元の
最初の まさかというのが

義就と山名宗全が

手を組んでしまった
というところですけど。

勝元は 折につけですね

将軍の足利義政と
山名宗全の間に入ってですね

宗全の事を嫌いな足利義政を
なんとか なだめて

まあ いわば 勝元は
宗全を ずっと かばってきたと。

宗全をサポートしてきたという意識が
ある訳ですね。

そのおかげで
宗全の今があるというふうに

勝元は思っているので
細川勝元っていうのは

畠山政長と同盟関係を
結んでいる訳ですから

その畠山政長のライバルである
畠山義就に加勢するというのは

それは 細川勝元に 喧嘩を売る
というのと一緒ですので

えっ?
何で そんな事をするんだと

こんなに よくしてやったのに
というのが

勝元の気持ちだったと思いますね。

まさか その宗全が 戦に
参加するとはっていうところで

驚きがあるって事ですけど。

これは… やっぱり 宗全の
この時の年齢っていうのは

無視できない要素だと思っていて。
この時 もう既に 60代ですよね。

当時としては
相当 高齢だと思うんですけれど。

権力を握るフィクサーとしての
最終目的を果たすには

もう時間がないって焦りは

相当あったんじゃないですか。
(呉座)それは そうでしょうね。

せっかく ここまで
武力を使わずにですね

政治力だけで
うまくやってきたのに

ちょっと詰めが甘い
という印象ですね。

ですから これは 畠山義就と

政長同士で
やらせておけばいいものを

そこで 何で
わざわざ 山名宗全自ら…

自らというか 配下の者が
介入したのかっていうのは

ちょっと
やっぱり分からないですね。

ここまでやるなら…

ちょっと逃げられちゃったので

禍根を絶つ事が
できなかった訳ですね。

手を出した割には
中途半端だったって事ですね。

(呉座)まさに そう。

そういう意味では やはり 宗全は
勝元をなめていたというか

甘く見ていたんだと
思うんですよね。

それは絶対に
なんとかしなければいけない。

勝元にしてみれば。
それは軍事力を使ってでも

名誉を回復しなければいけない
という事になった訳ですよね。

弓矢で恥をかけないと。
あと もう一つが

頼みある大将じゃないといけない。

相手側に…

あの人は 頼もしい武将であると

思われてないという状態は
武士は ありえないんです。

あっという間に
求心力を失うっていうのが

やっぱり 武士の世界ですよね。
助けて下さいって言われたら

ちょっと どうかなってやつでも

かくまってあげないと
いけないんです。

(呉座)完全に そう。

今回 応仁の乱が
11年間という事で

どこかで 止めるタイミングは
なかったのかっていう事を

ちょっと 随所に
考えていきたいんですけど

この勝元が反撃態勢を整える前に
義政が介入していれば

止められたんじゃないかって
思うんですけど

小谷さん どうでしょうか?

私の個人的な
これ イメージなんですけど

もう これ 足利将軍っていうのは
今で言う 国連みたいなもんです。

山名宗全は ロシアか中国ですよ。
いきなり ロシアか中国が

アメリカの同盟国に
ミサイルをぶっ放した訳ですよ。

これで
アメリカが黙ってられるかと。

国連は アメリカを止められるかと。
絶対に無理ですよ。

アメリカは 必ず反撃します。
そういう事ですよ。

ここはね 義政が
本当は リーダーシップをとってね

朝廷といってね
治罰の綸旨っていうのを出して…

いってないですよね やっぱり。
(呉座)何にも やってないですね。

だって これ ほっといたら
宗全の勢力は

どんどん拡大する訳ですよ。
それは もう止めないといけない。

武力をもって止める。
それしかないですよ。

歴史は 常に 人が最善手を
打ち続けるという訳ではない。

将棋も同じ。 しばしば
この手が一番いいのに

打たれない場合がある。
で 打たれない事で

そっちへ動いていくっていうのは
しょっちゅうある事ですよね。

義政が止めなかったのは

判断停止状態で
止めなかったのか

それとも
まあ 愚策だと思いますけど

山名宗全と細川勝元が
潰し合ってくれる事で

その力がそげる 共倒れに

むしろ なってほしいみたいな事は
あるんですか?

多分ね
そこまで考えてないですが。

これ まあ 当時の
やっぱり 記録とかを見ても

これで宗全の天下だって思う人が
いたんですね 割とね。

これ 足利義政の判断にも
問題があるんですが

これ 山名宗全にも問題があって

これは 本当にですね
真珠湾攻撃 成功して

「勝った勝った」って
喜んでるような状況で

その次の手が大事な訳ですよね。

だから 2つ 選択肢が
あると思いますけど

つまり
この勢いで 一気に畳みかけて

細川勝元を徹底的に潰すか
もしくは

ちょっと 細川勝元に対して
譲歩 妥協して

ちょっと ごめん この前は
やり過ぎたという感じで

勝元を懐柔するか
どっちかしかない。

ここで ごめんという選択肢は
あるんですか?

まあ やっぱり やるなら
潰しにかかるしかないでしょうね。

さあ その止められない争いに

このあと 多くの大名が
参加する事になります。

山名ですね
山名に領地を奪われていた

赤松政則
これが登場してきますよね。

これが細川方として
参戦してきますよね。

そしたら
今度は また出てくるんですよね。

家督争いを抱えていた
管領家の一つの斯波家も…。

義廉 宗全を頼る。

こっちですね 義敏 これが
また家督争いをしているんですね。

これも参戦してくると。

更に 斯波家の家来 朝倉孝景も
一緒にやろうと。

義廉さん 一緒にやろう
というふうにして

対抗してくる訳ですね。

これは だから
家督問題 将軍継嗣問題

権力に 領地問題も起きて

ほかの家の家督争いまで
巻き込まれてくるという。

争いの仲間づくりの接着剤が
いっぱいある訳です。

それが複雑に
絡み合ってくる訳ですけれども

この多くの人を巻き込んで

ついに 応仁の乱は
本格的な衝突を迎えます。

細川勝元軍は

花の御所 室町殿向かいの
山名方の屋敷を襲い 占拠した。

山名方も 宗全の娘婿
斯波義廉らの軍勢が応戦し

戦は 見るまに上京全域に及んだ。

ついに 応仁の乱は
本格的な戦闘に突入した。

翌日の夕暮れまで
続いた激戦で

多くの寺院や
家屋が焼失した。

上の方は
えらい事になってるそうや。

北は船岡山から 南は二条まで
もう丸焼けらしいで。

おお怖。

将軍さんは 何をやってんねやろ。
はよ止めな えらい事になるがな。

おお怖 おお怖。

織物で有名な西陣の地で

千本釈迦堂として
市民に親しまれている大報恩寺。

鎌倉時代に建立された本堂は

奇跡的に応仁の乱での焼失を免れ
当時の姿をとどめている。

こちらが本堂です。

本堂の柱には 応仁の乱の痕跡が
残されているという。

もともとは この柱も
外についてたもんですが

解体修復のために

あまり傷が激しいので
中に持ってこられたそうです。

これが応仁の乱で
戦われた証拠といいますか

刀傷 槍傷 弓矢の痕が
残っております。

丸く小さい傷は 弓矢の痕。

深くて大きいものが
槍の傷痕と伝えられている。

開戦から2日後
将軍 義政は両軍に停戦を命じた。

これにより
一旦 戦闘はやんだが

勝元は 宗全との戦いを
有利に進めるため

義政に将軍旗を求めた。

これまで
中立を保とうとしてきた義政を

自軍に引き込もう
というのである。

圧力に押された義政は
勝元に将軍旗を与えた。

幕府は
細川方に与する事となったのだ。

かくして 室町殿の西に陣取る
山名方は西軍

片や 将軍家を抱き込んだ細川方が
東軍となる。

義政は
弟の義視を東軍総大将に立て

応仁の乱は
泥沼に はまり込んでいく。

という事で 京都の上京一帯で
激しい戦いが始まって

本格的な戦闘に
入ったという事なんですね。

当初は 中立を守ろうとしていた
義政なんですけれども

ここに来てですね
なんと 東軍の方に

勝元側につくというふうに
なりました。

これに伴って 義視も東軍
義尚も こちらに変わりますし

もちろん 妻である日野富子も

こうなってくるというふうに
なるんですね。

義政 本当は
この時点で中立を保っていれば

よかったんじゃないか
というふうに思うんですけれども。

恐らく これ
ほぼ互角に近いんですけれども。

あと どっちが
もともと 義政に近いかって

やっぱり 細川勝元の方ですから
恐らく 自分の判断でですね

細川 要は東軍につくというのを
決めたんじゃないかと思います。

本当に小谷さんがおっしゃった
とおりだと思いますね。

結局 その勝元たち東軍が

将軍御所の周辺に
展開したんですね。

要するに 将軍 足利義政は

東軍に包囲されてるような
状況になっちゃってるので

遠くにいる西軍より

近くにいる東軍の方に
ついちゃったんだと思うんですね。

(中野)本当に分かりやすいですね。

この人の行動は 常に
ぶれてるようなんだけれども

一点 ぶれてないのは…

常に そうです。
停戦命令も そうなんですよね。

戦いが始まったら
急に停戦命令を出す訳ですね。

これは何でかっていうと
要するに 自分が このまま…。

京都が戦場で戦う訳ですから
このままだと

自分が戦争に巻き込まれる
というふうに思ったんで

慌てて
停戦命令を出した訳ですね。

その判断そのものは そんなに
間違ってないんですけど…

一歩二歩と必ず遅れちゃうんです。

一歩二歩先を予測して
やるんじゃなくて

もう 足元に火がついてから
動き出すので 遅いんですね。

そのリスクをとれるかどうかという
自信が自分にないと

なかなか その判断はできない。

山名にしても 細川にしても
あるだろう もっと考える事が。

あまりにも 本当に泥縄で

目の前の事態にしか
対応していなくて

彼らは 結局 何を どんなビジョンを
持っていたのかみたいな事が

すごく分かりにくいんですよね。

しかも その義政というのは

将軍旗を
勝元に与えただけじゃなくて

義視を
総大将にするという判断をする。

これは 多分 細川勝元が要請した
要望したんだと思うんですよね。

つまり これ 将軍旗って
しょせんは 旗ですから

物でしかないので 人も必要だと
将軍家の人間が。

それこそ 戊辰戦争の時もですね
錦の御旗だけではなくて

宮様を総大将にしている訳ですね
官軍は。

実際に江戸に下っていく
その官軍は

事実上 西郷隆盛が
指揮を執った訳ですけど

でも 形の上では
宮様が トップという形になる。

だから それと一緒で この場合も
やはり こちらが正義の軍

将軍家の側であるというふうに
いうには

やはり 将軍家の人間を
総大将にする必要がある。

だけど 足利義政は 文化系なので
絶対嫌だというので

だから
そうすると もう消去法で

義尚は まだ赤ちゃんというか
子どもなので

そうすると もう
ほかに総大将になれる人は

義視しかいないという事ですよね。

さて その東軍 西軍に分かれた
現場なんですけれども

それを
あの方に案内して頂きました。

あの方とは…

「京都が きらい」と言いつつも
ディープな京都人

建築史が ご専門の
井上章一さんです。

井上さん 私 見つけました!
「西陣」って書いてある。  はい。

大きな石碑ですね。
そう。

応仁の乱ってね
軍勢が東と西に分かれて

戦った訳ですよ。 細川勝元が
東の方に陣を構えて

山名宗全が 西の方に
陣を構えたんですよ。

西の方に陣を構えた所やから
西陣なんです。

織物のおかげで 西陣の名前は
優雅に響くと思うけれども

名前のルーツをたどると
軍事拠点なんですよね。

なるほど そっか。
西陣は ここが

西の軍の陣地だったからって事
なんですよね。

じゃあ いざ 西陣へ。
はい。

すごく狭い道ですね。

大体 昔の道って
こんなもんですよ。

ここも 何か面白い道の形ですね。
そうやね。

路地を抜けて向かったのは
西軍大将のお屋敷跡です。

ここなんです。
おっ! 山名宗全邸宅跡。

じゃあ ここに山名宗全のおうちが
あったっていう?

山名宗全が
ここいらに館を構えていた。

それで 西陣なんですよ。
なるほど~。

西軍の大将ですからね。 ここいら
山名町っていうんですよ。

西陣という名前自体が
応仁の乱に ちなんでますから

ここいらではね 何て言うのかな

応仁の乱の記憶が そのまま

土地に刻まれてるっていうふうに
思いますね。

この山名町ではね なんと
山名宗全の石碑の前でも

手を合わせるという事を
やってたそうです。

地蔵盆っていう
子どものお祭りがあるんですよ。

お母さんが言わはるんやて。

「ちゃんと 合わせときや。
宗全さんが 馬に乗って

やって来はるで。
怖いで」っていうふうに。

ちょっと 手 合わせておこう。

ロケで お邪魔しております。

(笑い声)

(井上)
あそこの前で手を合わしはるのは
やってはるんやね。

それは 年に1回集まって。
(井上)やっぱり

地蔵盆の時期ですか?
そうです。 8月の

第3… 土曜日かな 日曜日かな。
お飾りだけしてね。

はい お飾りだけして
一応 お供えをして。

今のところ 何か
公平中立であるべき我々は

西に肩入れしているような
感じですが。

そうですね。 今 山名宗全さんにも
お参りをしましたし。

山名宗全に手を合わす
なんていうのは

細川が見たら どんな気持ちに
なるかっていうのが。

ちょっと だんだんと…。
だんだんと 今度は 東の方に。

東の方に。

東西両陣の間にある
激戦地に着きました。

ここが 応仁の乱では
いろんな戦があったんですが

ここが最大の激戦地なんです。
ここですか?

ここが 最大の激戦地なんですよ。
かなり狭い範囲ですね。

しかも 今 山名の屋敷から
そんなに歩いてないでしょ。

これと おんなじぐらいの距離
あっちへ行ったら

細川の屋敷があるんですよ。
ちょうど じゃあ…。

ちょうど間ぐらいです。 間ですか。
この間で 両軍が戦い合うんです。

一体 どんな戦いやと思われます?

いや~ 確かに。
史料では 何万もの兵が

両軍 こう来て
戦ったとありますけど。

お互い 10万 超える軍勢を
集めた事になってますが

その ほとんどはね
多分 相手を威嚇するために

相手に見せつけるための軍勢で
本当に ドンパチやったのは

その一部じゃないかなと思います。

甲子園球場に
5万人 入るんですよ。

東京ドームに
5万人 入るんですよ。

ここ 何人 入ると思います?
ちょっと…。

もし お互い 何万いたとしても
張り合えるのは

先っぽの人たちだけじゃ
ないですか。

そうですね。 あとはもう
何か 渋滞を起こしてて…。

後ろの方は 「頑張れ!」って
言うてるだけじゃないですか。

あっ これは公園ですね。
公園ですね。 児童公園ですね。

最近 どなたかが
東陣の目印を

何か こういう表示を
作らはったと。

これね。            まさに ここ。
東陣。

東陣って書いてありますね。
はい。

これが 室町館で
山名邸が これですね。

今 通ってきた はい。
山名邸と室町御所。

この間が 多分
バス停 1.2か 3ぐらいやわ。

えっ これ ものすごい近いですね。
はい。

この間が最大の激戦地。

大戦なんだけれども

戦場で死んだ大将
いないんですよ。

えっ 「大将の首取られる!」
っていうような事は

なかったんですか?
うん。         何ででしょう?

ある本にね 「畳の上で死んだ
大将はいない」と

書いてある本があったんですが
私は 違う意見を持ってるんです。

この時代に そんなに
畳は普及していないという。

そもそもですね。 畳の上で
死ねなかったっていう事ですね。

畳は あんまりなかったと。 まだ。
だから でも 言い方をかえれば

板の間の上で ほとんどが
亡くなってるんですよ。

そうか。
だから ここではね やっぱり…

ご本尊は傷つかないような状態で
もめ合ってたんだと思います。

もみ合ってたんだと思います。

いよいよ
東軍の本拠地へ向かいます。

ちょっと 広い通りに出ましたね。
ここが 今出川通りです。

今出川通り。

油断してると見逃しますからね。

これをご覧になって下さい。

あっ これ。
はい。

あ~ これ。 足利将軍。

室町第跡。

おっ こんなに ひっそりと…。

ここの東北に 足利将軍屋敷が
あったという事を伝えてくれる。

そっか。
これより東北にという事ですね。

じゃあ その跡の方に
行きましょう。      はい。

ここが室町通りなんですよ。

足利将軍屋敷は
この室町通りに向かって

門を構えてたんです。

だから
室町将軍といわれるんです。

今 見ると狭い道だけれども

あの時代には 一番広い
メインストリートだったんですよ。

ここが 15世紀のシャンゼリゼであり
ウンター・デン・リンデンだったんですよ。

シャンゼリゼ大通りの…。
ちょっと 今の言い方

大げさかもしれないけれども。

学生さんたちは ここが
室町将軍屋敷跡だと

あんまり思わずに 日頃
歩いてらっしゃるんじゃないかな。

そうですね。 まさか これ
屋敷の中だとは

思ってないですよね。
はい。

こちらがね お寺
大聖寺という

お寺なんですよ。

あっ 出ました!
花の御所ですね。

ここに 室町殿がありましたよ
って事を

証明してくれてる訳ですね。
はい。

そこ あの 同志社大学の…。

もう 校舎が見えてますね
ここから。

あそこまで含めて
室町御所だったんですよ。

でも 何か 御所の中を
歩いてきたっていうだけで

ちょっと 気分がいいような気も
しますし。

本当に想像以上に近かったです。
ここまで。

まさか 敵陣 激戦地
そして 御所まで

これだけ簡単に歩けてしまう
っていう事に 本当に驚きました。

そうですよね。

磯田さん
ご覧になって いかがでした?

まあ 狭い所の争いですね。
そうなんですよ。

私も よくね バイクで
この辺 通るんですけれども

感覚的には 数分の距離ですよ
バイクだと もう。

一瞬で
通り過ぎるぐらいの距離ですよ。

だから これは 結構
決着つけようと思ったら

簡単に
つけられると思うんですよ。

山名なり 細川の屋敷を兵で囲って
もう 火をつけてしまえば

それで 決着がつく訳ですよ。

なぜ これをやらないのかと
私は 不思議でしょうがないです。

ご近所同士の小競り合い
っていうイメージ。

それでも京都の名だたる所とか

ほとんどが
焼けているというのが

ちょっと その小競り合いと
大半が焼けるというのが

どうも一致しないんですよね。

結局 みんな 何か 敵の陣地に
突撃していくみたいな

そういう気持ちはない訳ですよ。

自分が突撃してったら
死んじゃう可能性が高いので。

だから 結局 みんな
そういう事は やりたくないんで…

なるほど。 納得です。

住んでる人の事は考えない。
自分ファースト。

何しろ 狭い京都の
市街地じゃないですか。

それこそ 放火でもしない限り
焼き払わない限り

その陣地というか
戦う場所も作れないのかなと

思ったりもするんですけれども。

さあ その戦いとか 権力闘争に

明け暮れる武士たち
なんですけれども

ここで 当時の庶民の暮らしは
どうなっていたのか

橋本さんに
今度は ご案内頂きます。

応仁の乱による混乱で
京では 商売が停滞し

食べ物にも
不自由する状態に
陥っていた。

だが 室町時代は
商品経済が発展し

商店や行商による取り引きが
盛んに行われた時代だった。

女性も
財産を持つ事が認められ

経済活動で
重要な地位を占めた。

時代の変化により

女性の社会進出が
進んだ時代でもあったのだ。

史料に残された
働く女性たちの姿。

これらを基に
室町時代の職業婦人の衣装が

再現されている。

波を表した絞り染め。

繊細な書絵。

刺繍も施された
辻が花染めである。

昭和初期の京都の職人が
絹地に腕を振るった。

アニメーションの染め物屋の衣装は
この一着を基に描かれた。

では…。 あっ すごい。

えっ こんなに きれいなんですか。

ちょっと想像してたけど

想像より はるかに
きれいなんですけど。

でも これ 庶民なんですよね?
はい。

へえ~… あっ そっか。

絹で再現してるっていう
お話でしたもんね。

ポップじゃないですか~。

この肩の部分と裾の部分に
大きめの裾模様を合わせて。

草間彌生かという
ポップな水玉模様ですよね。

それにしても 驚くほど
おしゃれですよね やっぱり。

女性自身が 何か
手伝いでやってるというよりも

その仕事上の決定権を持って

稼いだお金は 自分の稼ぎに
なるっていう時代の

仕事をしてた人たちの
戦闘服ですよね。

戦い。 仕事という戦いに
臨むための戦闘服。

女のね 戦いの いでたち
という感じがしますね。

北川でございます。
(2人)よろしくお願いします。

いや でも すごいですね。
これ。

今 これ 絹ですよね
絹地で表現されてますけれども

この当時…。
(北川)当時は麻だと思いますね。

(橋本)ですよね。
庶民が着ていたのは やっぱり麻。

(北川)絹ではない。
(橋本)絹では さすがにない。

室町時代に始まって出来て

それがもう 江戸時代前に
消えてなくなるんですよね。

庶民が経済力も 平安末とは

比べ物にならないぐらい
つけてきて

貨幣経済も
少しずつ発達している。

女性も そういうふうに働いて
自分自身でお金を得ている。

ドンパチやってても 構へん 構へん
仕事あるからねっていう感じの

頑張って働くぞっていう
女性じゃないですか。

だって 自分で
食べてかなきゃいけないし。

職人という職業のあれに
誇りを感じてると思いますね。

自信もあるだろうし
誇りがあるから

衣装を着てても何ともない。
それの表れだと思いますね。

実際 ご覧になって
改めて いかがでした?

これだったら着たいと思うのが
何着もありました。

再現してほしいっていうね。

ちなみに これ 小袖なんですよね。

はい。
この当時 みんな着ている…。

もともとは大袖の下に着る
カジュアルウエアっていうか

下着としての… Tシャツが
外着になるようなものの

小袖ですけれども
そこに きれいな色柄がのって

外側に ジャケット的に着ても
いいような状況になっていると。

中世の女性って 夫からも独立した
財産を持っているから

こういうのは貯金なんですね。
貯金?

家焼けたり
逃げなきゃいけないから

重ね着して逃げるのが
普通なんですよね。

いいのを着てれば
支払い能力もありそうだし

やっぱり そうやって
これは女性の貯金ですよね。

何か いざという時には
換金できたという事でしょうね。

戦が起こったからって

絶望してたら
生きていけないので

そこは やっぱり もう そういう…

さて そのように懸命に生き抜く
庶民たちを尻目に

侍たちの戦いは
更に拡大していく事になります。

ここで西軍にですね
強力な援軍が登場します。

それが こちら
大内政弘が上洛するんです。

また拡大だ。

お母ちゃん どんどん
戦が激しなってるがな。

もう商売 上がったりや。

勝元らは 西から
大内が上ってくる前に

決着つけようっちゅうんやがな。

大内いうのは
そんな強いんかいな。

ごっつ大勢
引き連れてくるいう うわさや。

何せ 勝元とは 明との貿易絡みで
やり合うてるから

大内は本気やで。

お侍は メンツやら損得やらで
えらいこっちゃな。

山陰から北九州を領国にしていた
西国の雄 大内政弘。

大内は ばく大な利益を上げる
日明貿易の権益や

瀬戸内海の制海権を巡って
細川勝元と対立関係にあった。

勝元が幕府の覇権を握る事は
大内には見過ごせない事態だった。

東軍にとっても

大軍を率いて京を目指す大内は
大きな脅威だった。

東軍総大将 足利義視は

大内軍の上洛前に
決着をつけようと

西軍に内通する者を
粛清し

山名邸へも
攻勢をかけていた。

(鳴き声)

しかし 応仁元年8月23日
ついに大内政弘が

3万の軍勢を引き連れ
京に姿を現した。

この時 東軍で
思いも寄らない事件が起こる。

大内が加わった西軍に
恐れをなした足利義視が

室町殿から姿をくらましたのだ。

ま… まさか
義視殿が逃げ出すとは…。

総大将がいなくなれば
戦もままならぬ。

ええい これからという時に…。

大内の援軍を得た西軍は
室町殿 細川邸を取り囲み

一触即発の事態に至った。

そして 10月2日。

室町殿のすぐ東 相国寺を舞台に
大合戦が繰り広げられる。

相国寺に陣を張っていた東軍に

西軍の畠山義就 大内政弘らが
猛攻撃を仕掛けた。

3代将軍
足利義満が

建立した
大伽藍は

3日にわたり
燃え続けた
という。

その後 西軍は
東軍の反撃を受け

寺の蓮池に
足を取られて

600人もが討たれたと
いわれている。

お母ちゃん
相国寺が全部燃えてしもた。

花の御所も
だいぶ焼けたらしいわ。

この先 どないなんにゃろ。

義視はんは
伊勢まで逃げていったらしいし

ほんま うちらの事は
ほったらかしや。

壮絶な相国寺合戦以降

応仁の乱は
こう着状態に入っていた。

両軍が にらみ合いを続ける中
事態は意外な方向に動く。

きっかけは
伊勢に逃れていた足利義視が

将軍 義政の要請に応え
上洛した事だった。

義視は 復帰の条件として

幕府内で自分と対立する勢力の
一掃を要求する。

しかし 義政に受け入れられず
義視は またしても出奔。

そして あろう事か
敵方 西軍へ身を投じた。

ま… まさか 義視が西軍へ…。

奇っ怪な行動を見せる義視。

果たして その真意とは!?

さて その 東軍総大将だった
足利義視の とん走からですね

なんと ここで
東軍から西軍に加わりまして

応仁の乱 ますます混乱してくる
という事なんですね。

さあ という事で スタジオには
京都の町も ご案内頂きました

井上章一さんにも
加わって頂きます。

よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。

あの この登場のしかたってね

何か真打ちが満を持して出てきた
みたいな感じするじゃないですか。

そういう感じですね。
ものすごいプレッシャーなんですよ。

小谷さん まず その義視が
西軍に寝返りましたけれども

これ どう考えれば
いいんでしょうか。

どう考えればと言われても
その大将が自分の意志で

敵方に行くなんていうのは…

強いて言えば あの関ヶ原の時の
小早川秀秋なんかは そうです。

あれは でも どちらかといえば
東軍に調略された結果ですから

自分の意志でっていう感じでも
ないですしね

そう考えると
思いつかないですね まず。

すごいね この人は。
東軍の総大将も

西軍の総大将もやるの これで。
(呉座)そうです。

すごいですね~。
自作自演。

ちょっと なかなか
確かに言われてみると

あまり 似た事例って
ないかもしれませんよね。

だから それこそ…

そういう状況ですから

そんな事あるかなって言われると
ないですよね。

全く意味不明だというふうに

多くの人は思うと
思うんですけれども

見方を変えると 一貫していると
言えなくもないんですね。

損害回避を
ずっとしているんですね。

自分自ら戦ったり
自ら意志決定したりっていう

心理負荷が高い時に

こういう事をする事があります
人間は。

でも この人は ちょっと
もう一つの側面があって…

これを この2つの欲求を
満たすのが この行動ですね。

総大将でいられるけども
戦わないで済むように

責任を回避し続けて
自分を守ってくれる方に

行くんですね。
そう分析されると怖いですね。

何か 駄目なやつらばっかりだなと
思って 書いてましたよ。

だから 義視の場合は やっぱり
かなり特殊な状況ですよね。

つまり ちょっと前まで
ほんの2~3年前まで

ずっと お坊さんだった訳ですよね
彼は。

しかも 将軍家出身ですから

お寺では もう みんなが
チヤホヤしてくれる訳ですよね。

すごい将軍家から来たセレブなんで

みんなが
言う事を聞いてくれるっていう

すごい居心地のいい所に
いた訳ですから

それが いきなり 何か こう…

(中野)挫折経験がない人
っていう事ですよね。

回避したくなる。
(呉座)逃げ出したくなる

という事ですよね。

さて 応仁の乱には
新たな登場人物が来ました。

大内政弘という人物ですね。

呉座さん これは日明貿易で

細川勝元と やっぱり 争っていた
という事ですけれども

これは
どういう意味があるんでしょう。

あれは 要するにですね
ああいう 遣明船で…

つまり 明は民間貿易を認めない。

国家 対 国家の国家間貿易しか
認めないんです。

だから 民間の人たちは行けない。

結局 その貿易に参加できる人たち
というのは

ものすごく限られているので
参加した人たちにとっては

利益の独占になる訳ですね。

だから 大内にとってみれば
それは死活問題。

だから 細川と そこでは
競合している訳ですよね。

文化史的な意味で言うならば

絵画であるとか 陶磁器であるとか
書籍ですよね。

それから やっぱり 足利将軍家に
それこそ蓄えられてきた

コレクションの中核をなしているのは
そういった…

そういうものが
将軍家の権威にもなっていくし

それから
贈答のやり取りにも使われる。

それが 将軍家の権威を

昌運するものにもなっていく
という大事なものですよね。

民間貿易できないから

手に入れられる人たちというのは
限られた人たちでしかない。

だからこそ価値がある。

あと それこそ 応仁の乱の勃発の
少し前ですけれども

この大内氏が送っていた
遣明船に乗っていたのが

雪舟ですから 中国に行って
日本人として初めて

本場で 大リーグに参加して…。
大リーグに参加して。

褒められたというような事が
やっぱり 今でも

雪舟を画聖と呼ばしめている
大きな理由ですよね。

もう 収拾つかないですよ。

幕政の主導権争い 家督争い
領土争い

貿易権限まで来ましたよ。
来ましたね。

もう収拾できないですよ。
もう並び切らないです ボードにも。

だから 結局
大内が参戦してきた事で

完全に拮抗しちゃいますよね
東軍と西軍が。

(呉座)
逆に戦力が拮抗したって事は

ある意味 停戦のチャンスでは
あったはずなんですよね。

要するに 義政が動くのって

本当に 一番戦いが
激しくなってる時に

なんとかしなきゃと思って
動き出すんですけど

一番激しい時に
なんとかしようと思っても

それは
うまくいかないんですよね。

だから ちょっと…

こう着状態になって
落ち着いちゃうと

安心しちゃうみたい。
(中野)そうなんですよね。

そういう こう着状態になって
落ち着くというよりも…

自分が 何かを
決定しなきゃいけない時

もう どうしようもない時だけは
動くんですけれど

そうでない時は
何もしなくて済むから

こう着して 自分が
何もしない状態が続くなら

それが一番いい訳です。

ほかの人の迷惑とかは
聞こえては いるし

なんとかしなきゃとは
思うんだけど

優先順位は高くないという事に
なるんでしょうね。

全体が見えているからこそ

何か 逆に
バランスをとっているように見える。

本人の主観では
その可能性ありますよね。

俺が うまく バランスを
とってやってるんだみたいな。

これ もう 本当 停戦 終戦の
責任主体が不在ですよね。

不在。 いないですよね。

(呉座)中立がいないんで
しょうがないですよね。

さて この応仁の乱で
存在感を高めた戦力として

足軽と呼ばれる人たちがいます。

東西両軍とも 彼らを雇って
戦闘を繰り広げました。

足軽の主な役割は
略奪や放火によって

敵軍を疲弊させる事でした。

しかし それは 敵軍だけではなく
京都の町や庶民にも

大きな被害を
もたらす事になります。

まずは 市街戦ですから
よろい武者が馬に乗って

何か 弓矢で戦うというには
不適切であると。

狭い路地で戦う訳ですから
馬は無理だろうと。

じゃあ 自分の足で戦うしか
ないよねという事になってきて

自分の足で戦うのであれば
軽装の方がいいと。

よろいなんて着てられない
という事で

簡単なよろい 裸で戦っている人も
いますけれども。

結構 格好が バラバラですよね。
だから 簡単な よろいと。

(中野)ふんどしですか。
(呉座)そういう人もいますよね。

(小谷)
あと やっぱ 誰も 自分たちの
私兵を使いたくないので

やっぱり こういう
あぶれ者とかを使った方が

雇った方が
安上がりになる訳ですよ。

実は ヨーロッパでも
14世紀ぐらいにですね…

結局 ヨーロッパでも
よう兵が槍を持って戦った方が

強いという事になって

ヨーロッパでも
似たような流れになってます。

「ヨーロッパでも」という事を 今
小谷さんが おっしゃいましたが…

それによって 長雨であったり
干ばつであったり

いろいろな事が起こる。 正直
いい時代とは言えないですよね。

京都で
8万2, 000人 餓死したとか

そんな話も
出てくるような時代の中で

田畑が荒れて そこから…

まあ 戦いであったり
洪水であったりっていう事で

田畑が荒れて
その土地から切り離された

食い詰めフリーター農民
みたいな人たちが

じゃあ どこへ行くかといったら…

飢きんだとか…

建設作業を進めよう思うと
労働者が要る訳じゃないですか。

人手が要る訳ですよ。

凶作の時は
農村から 先ほどおっしゃった

食い詰めた人たちが
大勢 来る訳です。

京都の町は
人手であふれるんですよ。

つまり 建設労働者を
安い賃金で 買い手市場の都合で

集める事ができるんですよ。

この時に 大寺院や貴族たちは
大きい建設工事をするんですよ。

そして ほっといたら 何か
ひどい騒ぎを起こしかねない

彼らを雇うんですよ。

何か自分たちは 建築で
ぜいたくをしてるのではない

功徳を施してるんだ。

足利義政って 普請道楽に
うつつを抜かした うつけ者だと

一般的に
思われてるじゃないですか。

だけど ひょっとしたら
義政だって

この時期には
労働者に仕事を与えるのが

将軍である俺の務めだという
感覚があったかもしれない。

(中野 呉座)公共事業…。

もう一つ言うと
足軽がそうですよね。

足軽… あの食い詰めて あぶれて
出てきた人民にとっては

足軽になるのか
建設労働者になるのか

どっちもありなんですよ。
どっちかを選ぶんですよね。

だから ふんどし一枚の人が
こうやって 何か建具を…。

多分 自分が雇われてる
工事現場で

これ 使う予定だったかもしれない
じゃないですか。

これ 結局 それは そうやって
普請で寺社をつくる。

応仁の乱が始まると 今度は
足軽たちが寺社を解体して

その材木で
自分たちの陣地を建設する訳です。

その中に 義政の普請道楽も

位置づけてあげたいと
私は思っています。

多分
あんまり こんな評価する人は

いらっしゃらないと思うんだけど。

あと これ
武器の出回りというのもあって

流れ作業で 刀や槍の先とかが
大量生産される。

それまでは 大よろいを着て
弓で こうやって

馬に乗ってっていうのが
強いもんだと思ってたけども

実は 棒の先に 変な槍先つけて
すっと刺したら

そっちの方が 戦力として強い事が
だんだん ばれてくると。

そうすると もう
こうなってくると

下克上ですよね やっぱり。

1469年 応仁の乱も
開戦から3年目に入り

元号は 文明へと改まる。

長引く戦乱を避け
僧侶や公家など当時の知識層は

続々と洛中から脱出していった。

これが 連歌や茶の湯など

京都の文化が
各地に伝播するもとになり

後に 小京都と呼ばれる都市を
つくる事になる。

高知県の中村に伝わる
大文字の送り火。

関白も務めた一条家が

京を懐かしんで始めたと
伝えられ

現在も 一条公ゆかりの火として
地域の人たちに守り継がれている。

しかし 守護大名たちの領国では
京の戦乱が飛び火していた。

幕府の中枢を担う管領家の一つ

斯波家の領国 越前。

斯波家は
西軍 山名宗全の娘婿 義廉と

東軍の義敏に分かれて

家督を争っていた。

戦闘の末 越前を平定したのは
東軍の義敏だった。

敗れた西軍の義廉は

猛将として知られた家臣
朝倉孝景を向かわせ

領国奪還に出た。

東軍は かねて
この朝倉に目をつけていた。

西軍主力の朝倉に 調略を仕掛け

東軍への寝返りを
誘っていたのだ。

朝倉の条件は

自らを 主君 斯波家の領国
越前の守護とする事だった。

勝元は これを認め
朝倉は東軍に寝返った。

まさか
朝倉が東軍へ寝返るとは…。

越前を東軍に押さえられたのは
実に苦しい。

越前を失った事は

山陰地方に領国を持つ山名や
大内に大きな痛手となった。

それは西軍が
日本海側からの食糧補給を

断たれた事を意味していた。

厭戦気分が漂う中で

東軍 細川勝元と 西軍 山名宗全は
和睦交渉を開始した。

だが 東軍優勢の中での和睦に

西軍の畠山義就と大内政弘
足利義視が強く反対し

交渉は頓挫した。

あいつら ほんま いつまで
意地張り合いよんのか

ほとほと あきれるわ。
偉い人は 自分の都合ばっかりや。

こういう時こそ
私らは 力合わせて

知恵出し合うていかなあかんのや。

さあ ここに来て なんと
西軍の主力である朝倉孝景が

なんと 東軍に寝返ってしまう
という大きな出来事がありました。

これは 西軍の補給路を
断った上にですね

朝倉という もう戦争に強い武将を
こっちに呼んでるという事で

大変 上策だと思います。
上策。

はい。 ただしですよ ただし
ここの限りではいいんですけど

やっぱり その これ 調略したのは
細川勝元ですよ。

恐らく 私は 細川は これで…

要は 朝倉っていうのは
斯波の家臣でありますから…

そうなると 各守護武将にも
家臣は いる訳ですから

その家臣が
いつ自分の寝首を取っても

おかしくないという状況が
生まれる訳ですよ。

最初は
畠山氏 細川氏 斯波氏以外は

管領になれないので

山名宗全が いろいろ裏で暗躍する
という構造があった訳ですよね。

だけれども
細川側が こういう事をすると

山名が管領になってもいいんじゃ
ないのっていう話になる訳で

そうすると もう なし崩しに
なるんだけれども

どうして こういう事をするのか。

という構造をとって どんどん
火種が広がっていくという

極めて興味深い状態が
創出された訳ですね。

(呉座)朝倉孝景を
越前守護にするっていう事は…

別に 斯波義敏は
何か悪い事をした訳でも

しくじった訳でもないのに
そこから取り上げるというのは…

いや もう秩序破壊でしょう。

こんなのだったら
誰だって なれる訳ですよね

守護に。

究極的には
つまり 実力さえあれば

身分が低くても 高い地位に就いて
よいのだという話になると

それを
どんどん推し進めていくと

じゃ 守護大名だって
力がないんだったら

そいつは追い落としていい。
将軍だって 力がないんだったら

そいつは追い落としていい
という事になっちゃう訳ですから。

それこそ ある意味
何て言うんですかね 体制の中の…

俺たちは
ともかく偉いんだというのを

自分で否定するように
なった訳ですよね。

実力がなきゃ
意味がないっていうふうに

言っちゃった訳だから。
こうなっちゃったら

もう戦える状況じゃ
ないのにもかかわらず

和睦成立しないっていうのは
これ 何でなんでしょうか。

これが やっぱり
応仁の乱の難しいところで

つまりですね…

細川とか山名っていうのは

すごい たくさんの領地を
持っている人たちなので

まあ 「金持ち喧嘩せず」という
言葉もあるように

そこそこで手打ちしようか
という話にもなる。

多分ね 何て言うの…

細川と山名は
この段階だと 四分六で

細川の勝ちぐらいで
収めようというのは

両方 妥協ができていたと
思うんですよ。

だけど おっしゃったように

それ以外の目的で
参加している人たちは

そんな四分六で妥協されたら
困る訳ですよ。

特に 赤松は絶対困ると思うし

畠山義就も
そんな話は違うという事に。

だから これを収めるのは
タヌキおやじが2人

交渉するだけでは
駄目なんですよ。

もともと 西軍も東軍も

要するに相手よりも
多くの兵力 戦力を集めるために

手当たり次第に
かき集めてきている訳ですね。

だから それこそ…

もう目的も思惑も違う人たちを

かき集めてきている訳ですね。

畠山義就は 政長を倒すために
参戦したんだから

政長の息の根を止めるまでは
俺は やめられない。

大内政弘にしても

細川をたたくために
俺は参加したんだから

ここで細川との戦いを
やめるなんて事は ありえない

という形で みんな それぞれ
違う目的というか

違う理由で参戦してるんで

そういう
自分のエゴを言いだすので

先ほども お話にあった まさに…

やめたいっていう人はいても
いや でも俺は

ここでやめたら得がない。
俺は続けたい

という話になる訳ですね。
だから みんな別に

西軍に参加している大名は
じゃ 西軍が勝てばいいとか

東軍に参加している人たちは
東軍が勝って

つまり チームのために

「one for all,  all for one」とか
という事は 考えてないですから。

ないですから 仮に西軍が
全体として負けたとしても

西軍に参加している
自分だけが得するという形で

決着がつくなら
それはそれでいい訳です。

一応 東軍 西軍って
分かれているけれども 別に…

むしろ 戦争が続いていた方が
この朝倉氏のように

もしかすると 秩序を破って
出世できる目があるぞ

というような事になれば…

みんなが思う状態。

乱が続いていきますと

西軍は 食糧に困る状況に
なってくるんですね。

庶民は
どのように しのいでいたのか

ここで ご覧頂きます。

西陣の人たちの氏神様
今宮神社のすぐそばに

応仁の乱の前から続く
お餅屋さんがあると聞いて

向かいました。

西陣の方たちにとっては
大事な神社ですね。

あっ 何か雰囲気のいい。

ここ2軒ね
古くから やってらっしゃる

あぶり餅を売ってらっしゃる
お店が並んでるんですよ。

あっ 焼いてらっしゃいますね。
こんにちは。

よろしくお願いします。
どうも こんにちは。    おおきに。

あぶり餅とは つきたてのお餅に
きな粉をまぶし

炭火で焦げ目をつけて
白味噌のタレをからめた

お餅です。

羨ましい。

お待ち遠さんです。
あっ 来ました~。

あら 何か お餅にかかっている。
これが あぶり餅です。

(2人)ありがとうございます。

恐れ入ります。
ぬくいうちに
召し上がっておくれやす。

頂戴しま~す。
温かいうちに。

おっ! 初めてです 私
あぶり餅頂くの。

これ 一口ですか?

井上さんは もう早かった。
自分ファーストな感じ。

(井上)
やっぱり 白味噌きな粉やね。

う~ん!

この きな粉の香りが。
うん。

この焦げの部分が
ちょうど スパイスのようになって

おいしいですね。
ありがとうございます。

このお店は いつから
やってらっしゃるんですか?

私どもの場合は
今宮神社さんと共に

というふうになってますので
一応…

えっ 1017年目!?
ありがとうございます。

え~。 応仁の乱の頃に
どういう状況だったかって

何か お話ありますか?

その時に ここら辺は
西の陣がありますので

氏子さんたちばっかりなんです。

そやさかいに
その時に炊き出しやらして

皆さんに ふるまったと
いわれております。

応仁の乱の頃からの味が ここで
食べられると思ってなかったので。

(長谷川)もう残ってるとこがね
あんまりないですさかいね。

ちょっと何か
味わいが変わりますね。  うん。

おいしかった。
ごちそうさまでした。

おおきに ありがとうございます。
ありがとうございます。

お餅だけでなく お店の地下にも

歴史を感じさせるものが
ありました。

ここね 5メーターほど下になります。
すごいな~。

階段も手堀りなんで
段差がありますので

木を持って ゆっくり
下りていっておくれやす。

これ 潜らして頂いていい?
どうぞ どうぞ。 気を付けて。

失礼致します。

あっ 何か ひんやりしてくるわ。
大丈夫ですか? 井上さん。

(長谷川)ちょっと深いですので。

あっ 本当だ! ちょっと冷たい。

お~! 今度 何か
石の壁のようになってる。

これ カビだね。 コケが。
あ~ 神棚があって。

水が見えました。   これはね。
お気を付け下さい。 夏 涼しいわ。

涼しい。 ひんやりした空気が
上がってきますね。

夏 涼しい。
これ 冷たいんじゃないの。

あっ。
どうでしょう?  これは…。

冷たいですか?
6月の水とは思えないですね。

あっ
結構 刺すような冷たさですね。

やっぱり 地下水なんやね。
へえ~。

料理を出さはるような所はね
要するに昔 水道がなかったので

皆 自分の所に井戸を掘って

そこの水を使ってはったと
思います。

この水で
まさに 応仁の乱の時は

炊き出しに使われていたかも
しれないって事ですね。

水は 1, 000年途絶えなかった
可能性があると思いますし

それを信じれば
応仁の乱の炊き出しは

この井戸なんだと思います。

この あぶり餅屋さんでは
食糧 困った人たちに

炊き出しをしていた
という事だったんですよね。

その前に 応仁の乱の前から

あぶり餅屋さんが
続いているという事を

けげんな思いで聞いてはる方も
いらっしゃると思います。

ちょっと京都の方に成り代わって
というのは変なんだけれども

あるね 飲み屋にいて
飲み屋の大将に聞いたんですよ。

呉座さんの応仁の乱を みんなが
語り合ってたんですって。

その語り合い方が すごくてね

面白いって言うんですね みんな。
何が面白いかって

「うちの先祖が出てくる」。
「うちの先祖も出てくる」。

「えっ お前のとこの先祖
あれか?」とかいうので

盛り上がってたんですって。
ああ 京都は

そういう町なんやな
というふうに。

今宮さんは 人々に支えられる
お宮さんだったと思います。

その当時 応仁の乱の当時
西陣という地名はないんだけど

あの辺りから
人が逃げてくるでしょ。

避難してくるでしょ。
その人たちに

何もしないという事であると
戦争が終わったあと

今宮さんに寄進をする人民は
いなくなってると…。

これはね 氏子と神社の
おつきあいというのがあってね

そんな冷たいまね
できない訳ですよ。

それで
その時に炊き出しなんかで

お呼ばれをした
思い出があるから

後々まで 氏子たちは
あの神社は大事にしないかんと

思える訳じゃないですか。
すみません 何か 説明が

欲得ずくの説明を
してしまったようで

ごめんなさいなんですが。
すごく分かりやすい。

いや それは
京都の人間の感覚として

ここで 自分ファーストでいったら

それは もう
後々 絶対言われるんですよ。

ずっと言われるんですよ。 「あの時
あの人は 逃げはった」とかね。

そうか。
目に見えるようやね。

だから それは もう決してやらん。

1, 000年続くというような環境が
ありうる訳ですから

そうすると 長期的な戦略を
視野に入れた人間関係を

構築しなければなりませんので

利他性が高い方が適応的だ
という事になります。

今の 氏子と神社
あるいは お寺の関係で言うと

それこそ この応仁の乱が
終わったあとの100年ぐらいって

あちこちの神社
特に お寺なんかの

復興期なんですよね
焼けたものの。

その時に 新しく
縁起絵巻みたいなものが…

お寺の縁起を語る
絵巻みたいなものが

たくさん新しく作られていく
という事があって

そういう意味で…

また そこにお参りして下さる人を
呼ぶために

そういったものも作られる
ある種の広告作戦として

「そうだ 京都、 行こう」
みたいな形で作られると

そういう事もあったんですよね。

さあ 長く続いている
応仁の乱ですけれども

ついに終焉を迎えます。
とうとう来たか。

1473年 文明5年の暮れ

乱も7年目に入り
大きな転機が訪れた。

足利義政が
将軍の座を

息子の義尚に
譲ったのだ。

これで 長年
政権の行方を

左右してきた
将軍継嗣問題は

一応の決着を見た。

この年の3月。

西軍を率い
幕府に反旗を翻してきた

山名宗全が死去。

その2か月後 東軍の総帥
細川勝元も世を去った。

細川 山名の後継者は
和睦交渉を再開し

翌年 山名が
幕府に帰参する事で収まった。

だが 西軍の畠山義就と大内政弘は
この和睦を認めず

徹底抗戦の構えを崩さなかった。

お母ちゃん やっとこさ
手打ちかと思たのに

まだ メンツとか損得とか
言うとんにゃな。

男は ほんま しょうもない事で
引かれへんねんな。

ここは ひとつ
御台さんの出番やで。

御台さんて
あの がめつい 日野富子かいな。

アホ 女はな 何が肝心か
よう心得とるんや。

西軍に行ってもた義視はんも

何や 宙に浮いたみたいに
なってるしなぁ。

御台さん
ここは ひとつ頼んますぅ。

義政の正室 富子は
義視の義理の姉でもあった。

富子は
夫 義政と義視の間を取り持ち

1476年 両者の和解を取り付けた。

富子は 西軍の抗戦派 大内政弘と
幕府との交渉も進めた。

その結果 大内は

領国4か国の守護職を
安堵され

官位も上がるという
厚遇を得て 和睦した。

最後まで矛を収めなかったのは
乱の発端となった畠山義就だった。

しかし 大内が撤退する事になり

孤立した義就も
京を離れざるをえなかった。

1477年 応仁の乱は 11年目にして
その終わりを見る事となった。

あ~ やれやれ
やっと みんな帰りよった。

お母ちゃん 西軍の陣地跡が
見られるらしいし

行ってみようや。          そやな
久しぶりに遠出してみよ。

上の方は えらい焼けたらしいけど
どんななってんにゃろなぁ。

そこまで行ったら
あぶり餅 食べさせてぇな。

よっしゃ
腹いっぱい食べさしたる。

腹ごしらえしたら
また 一生懸命 働くで。

そしたら 祇園会や。
祇園会を またやらな。

応仁の乱で長らく途絶えていた
八坂神社の祭礼 祇園会。

現在の祇園祭は
乱のおよそ30年後

町の人々の力によって
壮麗な姿でよみがえった。

という事で ついに 11年目にして
応仁の乱は終わりました。

終わった。 長い。
いや~ 長かったですね。

でも これ 最終的に
終結に至ったのは

日野富子の役割が
大きかったように思うんですけど。

富子は やっぱり 非常に
うまかったと思いますね。

だから 結局 大内政弘を

なんとかすればいい
というところに目をつけて

大内政弘は 本当は
やっぱり 帰りたいんですよね。

自分の国がどうなっているのか
心配で しょうがない状況です。

だけども でも 逆に言うとね…

帰れない…。
帰れないんですね。

だから 家臣たちにも

うちの大将は 何をやってたんだ
って話になっちゃうので

政弘としては なんとか
ちょっと格好のつく形で

終わらせたい訳ですよね。
そこで 富子は 結局

大内政弘の官位を
上昇させてあげて

領国も安堵という事で

大内政弘が メンツを保てるように
してあげた訳ですよね。

武士たちが
メンツにこだわるという事を

ちゃんと見抜いた上で
やってあげたと。

でも 大体において 自分で
意思決定する女性というのは

あまりいいと思われないんですね。
思われない。 今もそうですね。

これは なぜかというと

男性の自己評価を低める働きを
しちゃうからですね。

富子の面白いところは この当時の
自己評価の低い男性たちを

見えを張らなきゃいけない
男たちの心理を よく観察して…

結局 日野富子は
名より実を取った

という事に
なるんでしょうけれども

その場合の実というのが
何なのかと思った時に

将軍家の名誉を守った
というような結論に

なれるのでしょうか。
将軍家というか 基本的に

日野富子にとって 一番大事な事は
自分の息子の足利義尚が

将軍になるという事なんですよね。

だから 富子が
本格的に動き出すのは

足利義尚が将軍になってから
という事ですね。

だから 義尚が将軍になった以上

戦争を早く終わらせないと
いけない訳ですよ。

戦乱下の将軍じゃ
しょうがないので。

だから それは
天下人民のためというよりは

足利家のためであり
日野家のためであるというのは

そうだとは思いますけどね。
どういうタイムコースでの利益を

みんな見ているのか
というところですよね。

自分の利益 短期的な利益だと

非常に自分ファーストといわれるような
手になる訳ですけど

日野富子のタイムコースというのは

蓄財するというところに
主眼を置くので

ちょっと
ほかの人よりも長いんですね。

ちょっと この人は…

富子は
相場とかもやっているので

相場というのは 時間軸なんでね。

だから 長期的な視野が やはり
必要になってくるんですよね。

私はね きちんとした史料を
読んでいる人間ではないので

臆測で言いますが 彼女には大変な
社交能力があったと思います。

銀座のホステスさんなんかをしたら

結構 いいところに行けたような
タイプの人であろうと思います。

富子は 何て言うのか 優しい
折衝役やったんだと思います。

例えば 出会う大名に
「あなたの領地の特産品

これ おいしいという評判ですね」
とか

「あなたのお坊ちゃん すごく
お勉強できるそうですね」とか…。

知りませんよ
そんな言ったかどうか。

要するに 大名たちの…

特に 畠山義就なんかは

あの段階で退くしか
手はないんだけれども

捨てばちなね 自爆テロに 京都で
走る可能性だってあるんですよ。

もう にっちもさっちも
いかへんなったら…。

捨て身作戦みたいな。
捨て身作戦。

それをね なだめたり
すかしたりしたのは

もう 間違いなく彼女やと
思います。

あの~ 何て言うのかな…
領地と自分の武力と

メンツにこだわる 封建制から
抜け出せない男たちの前で

社交と資本主義に目覚めた
富子が

彼らを手玉に取るっていうのが
この乱の落としどころでね…

日野富子革命みたいな。
そうですね。

いや 富子の方向でね
あのまま進んでいったら

オランダやイギリスに先駆けた
資本主義社会が

日本には到来していた可能性さえ
あると 私は思っています。

だけど 江戸幕府が その可能性を
封じ込めたんですけどね。

(呉座)また
すごい話になってきましたね。

これ 終わったんですかね でも。

まあ でも もう
ほとんどの人たちにとって

京都で戦ってる意味は
全く もうなくなった訳ですから

どちらかといえば
もう 領国に戻らないと

国が取られるかもしれない。
もしくは 自分の新しい領土を

増やすためにですね…

でも これ ポイントになってくるのが
最後まで戦い続けた

畠山義就だと思うんですけれども。

戦国大名って
基本 何かっていうと

基本的には 将軍 幕府の後ろ盾に
頼るのではなくて

自分の実力で領国を統治する大名。
これが まあ 戦国大名。

この定義で言うと
畠山義就っていうのは…

畠山義就は…

これは 今までの既存の守護大名の
枠に入りきれない…

収まりきれない。

…っていう意味では
非常に面白い人物だと思うんです。

畠山義就がいなかったら

応仁の乱は やっぱり
起こってなかったと思うんで…。

だから 管領とか権威でなくて

自分の立脚点を 戦で勝てば
ゲバルト… 暴力 武力で勝てば

そこの立脚点において
自分の地位を確立しようという

その政治思想をもって
実際 行動する男が 新種が現れる。

それが
日本史 変えていく訳ですよね。

この後 恐らく もう一回…

秀吉 徳川家康政権まで
いかないと。

その間 もう 大いに
日本が変わっていく訳ですよね。

その先駆けが
畠山義就だと思うんですよね。

最後に
皆さんに伺いたいんですけど

応仁の乱が残したもの
っていうのは

一体 何だったのか
という事ですが。

やっぱり圧倒的に…
先ほども 相国寺が

3日間 燃えたみたいな話が
出てきましたけれども

あの応仁の乱を通じて
失われた唐物の量っていうのは

すさまじいものだったと
思うんですね。

ですから それに代わる
新しいものをという事で

例えば 茶の湯であれば
わび茶が起こってくる。

そして 千利休が それこそ
まあ だいぶ後ですけれども

和物の茶わんを作り
コンテンポラリーな茶道具…

まあ そこに 唐物が
ゼロになる訳ではなくて

1~2点
入ってはくるんですけれども

そういった新しい美意識が
生まれる。 あるいは

東山御物と呼ばれる
もっと前の義満から

ずっと歴代集めてきた
室町将軍たちの

美意識の塊である… これは唐物の
絵画作品とか書ですけれども

こういったものが あの…
幕府が窮乏しますので

流出していく訳ですよね。
それによって また

それを新しい美の規範として
近世美術が作り上げられていく。

畳があったり 床の間があったり
障子があったりね。

これ 全部 このあとですよ。
(橋本)このあとですからね。

結局 この中で
誰が得をしたのかというと

非常に難しいですね。
やっぱり この 何て言うか…

それは 今の我々にも ある程度
当てはまるんじゃないかと

ちょっと 今日の話を通じて
思った次第です。

乱のあと 人々は もう…
何て言うの?

将軍も守護大名も
頼りにはならない。

自分たちの事は
自分で守らなければならない

というので
例えば京都なら 上京と下京は

周りを 溝と壁みたいなんで
囲う訳ですよ。

自衛する訳ですよ。 これで…

その後 戦国大名によって
戦国というか江戸時代に

この自治意識は
やや縮められるんだけれども

現在の…

秩序の崩壊する歴史を見る
という事になるんですけど

秩序が続く事によるデメリット
というのを

多くの人が感じていて
それを なんとかしたい。

流動性を高くした方が
いいんじゃないか

グローバル化した方がいいんじゃないか
いろんな人が

あの手この手で
やってるんですけれども…

戦国時代の前夜が ここにある
というふうに思うと

今との相同性が非常に高くて
これから来るであろう

もしかしたら 戦乱の時代が
来るかもしれませんし

戦乱そのものではなくても
知の戦国時代のような事が

やっぱり 待ってる訳ですから

それの指針が
ここにあると考えれば

人気が出るのも
これは分かるなと。

(呉座)ありがとうございます。

何か 閉塞感みたいなのは
多分 あると思うんですけど

でも それを 何か…
それこそ英雄的な ヒーローが

変えてくれるっていうよりは…

それこそ 応仁の乱以降の
社会体制っていうのが

今 内側から崩れつつあるという
ところは あるかなとは思います。

だから あんまり こう…
革命とか改革的な感じで

前向きに新しく変わる
というよりは

既存の秩序が ズルズルと崩れて
いってるという感じですよね。

いや~ 今回は
学ぶ事 多かったですね。

この乱って やっぱり…

今でも G0とか言いますよね。

G7が 中心がなくなって
G0になるんだと。

この時は 三管四職の
7人の宿老会議の体制がですよ

G7ですよ なくなる訳ですよ。

もう 中心として
京都にも来なくなる訳です。

バ~ンと やった事がある。
日本中で砦を築いたり

自分が武器を持って
武装したりとか。

これが 大体 150年続いて

20万の軍隊と
数万の火縄銃でもって…

だから 今回 考えると
まあ 正直 中心がなくなって

「みんな 何で こんな 自分の事
ばっかり考えるんだ」みたいに

戸惑ってる日本人たちに

同じような歴史
人々は どのように生き

政治家は どのように行動したか
というのを

見てもらったという事だと
思うんですよね 今回はね。

非常に参考になったと思います。
ありがとうございました 本当に。

今日は 皆さん 本当に
どうもありがとうございました。

しまいまで おおきに。


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