偉人たちの健康診断「嘉納治五郎 人類はなぜスポーツをすべきか」柔道の神様・嘉納治五郎。日本にスポーツを…精神論ではなかった!


出典:『偉人たちの健康診断「嘉納治五郎 人類はなぜスポーツをすべきか」』の番組情報(EPGから引用)


偉人たちの健康診断「嘉納治五郎 人類はなぜスポーツをすべきか」[字]


柔道の神様・嘉納治五郎。日本にスポーツを広めた功労者だ。スポーツは平和をもたらす!その信念は単なる精神論ではなかった!最新脳科学でそのメカニズムを明らかにする。


詳細情報

番組内容

日本発祥で今や世界的スポーツとなった柔道。その創始者が嘉納治五郎だ。明治から昭和にかけて嘉納は柔道のみならず運動会やマラソン大会、部活動など、日本人にスポーツを普及させることに心血を注ぐ。そんな嘉納の信念は「スポーツは人の心を成長させる」。これは単なる精神論ではなく、近年、最新の脳科学でスポーツがもたらす驚きの効果が明らかになりつつある。嘉納の生涯をたどりながらスポーツと心の意外な関係性を探る。

出演者

【出演】関根勤,カンニング竹山,浜口京子,村田直樹,鮫島元成,紙谷武,【司会】渡邊あゆみ




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偉人たちの健康診断「嘉納治五郎 人類はなぜスポーツをすべきか」
  1. 嘉納
  2. 柔道
  3. スポーツ
  4. 相手
  5. オリンピック
  6. 関根
  7. 柔術
  8. 日本
  9. レスリング
  10. 活法
  11. 竹山
  12. 接骨
  13. 東京
  14. 嘉納治五郎
  15. 健康
  16. 柔術家
  17. 接骨術
  18. 道場
  19. 運動
  20. 技術


『偉人たちの健康診断「嘉納治五郎 人類はなぜスポーツをすべきか」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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世界を舞台に日本人が大活躍している
スポーツの数々。

その中で…

本日の偉人は柔道の創始者…

明治から昭和にかけて
柔道を世界に広める一方で

日本のオリンピック参加に奔走した
教育者としても知られています。

スポーツ普及に生涯を捧げた嘉納。

そのモットーは?

スポ根ドラマさながらの この精神論。

ところが これを裏付ける
最新の脳科学の研究が。

スポーツと人間の心をつなぐ
意外な健康効果が明らかに。

…とまでいわれる嘉納。

しかし もともとは…

一体どうやって強くなったのか?
その秘密は?

これが分かれば 柔道の見方が変わります。

どんな感じです?

浮いてますね 確かに。
もう… なんかもう…。

健康のヒントは歴史にあり。

「偉人たちの健康診断」。

皆様 こんばんは。
「偉人たちの健康診断」です。

今日 ご一緒していただくのは
こちらの方々。

どうぞよろしくお願いいたします。
(3人)よろしくお願いします。

さあ 今日はですね 柔道の嘉納治五郎。

柔道の創始者ということで ですから
皆さん セットもですね

道場風に 足元が畳なんですよ。
(関根)畳ですよ。

浜口さんは
レスリングの世界ではありますけれど

この柔道の嘉納治五郎さんという人は…。

はい もちろん あの…
尊敬している大先生で

それで 今 「いだてん」で 改めて
この嘉納先生の人生を振り返ることが

勉強になりまして。

オリンピックの道を開く
誰も経験したことのないことを

開いていく原動力 行動力が
すばらしい方だなと思いながら

改めて勉強させてもらってます。
大河ドラマに出てらっしゃいますもんね。

役所広司さんとして。
はい。

僕 高校時代 柔道部でしたから。

で うちの父が
ず~っと柔道やってた人ですから。

ず~っとお話も聞いて ずっと父は僕に

東京の大学に行って
東京の講道館で柔道やれってのを

ずっと言われてましたから。
ええ~!

ずっと幼い時から知っております。

そして 嘉納治五郎研究家 もう
何でも知ってらっしゃるという方を

お招きいたしました。

8段でいらっしゃいます。
(関根)うわっ!

8段の方 お会いしたの初めてです。
初めてですよ。

あの 嘉納治五郎さんという人は
どういう人でしょうか?

まあ 柔道の神様といっても強調しすぎる
ということはないんじゃないでしょうか。

特徴的なところから申せば
ご本人の論文に こうあります。

「自分は体が小さく
加えて虚弱であった」と。

東京大学を出る頃 十三貫いくら…

これ大体 50キロ超えるか超えないか
ぐらいの体重ですよね。

そして 頭は大変よかったんですけれども
寮生時代に

先輩から よくいじめられてたと。

そこで 小さな人でも
大きな人に勝てるものはないか。

そうだ 柔術があるというところにいく。

でも その柔術に
取り組んでもらえなければ

今日の柔道も
なかったのではないかと思われます。

その 柔道の創始者 嘉納治五郎の
健康診断とまいりましょう。

柔道の聖地として知られ 世界各国の
柔道家が稽古にいそしんでいます。

礼で始まる柔道の稽古。

それはまず 嘉納に向けられます。

柔道の創始者…

晩年 技を披露している
貴重な映像が残されています。

袴姿で華麗に投げを披露しているのが
嘉納です。

御年 69歳。

嘉納は 77歳で亡くなるまで
精力的に柔道の普及に努めていました。

高齢になっても足腰丈夫。

無敵の強さを誇っていた嘉納。

しかし 最初から
強かったわけではありません。

こちら 17歳の頃の写真。

身長150センチ 体重は50キロほど。

幼い頃から体が小さく弱いこと

それが何よりの
コンプレックスだったといいます。

(嘉納)何とか強くなりたい…。

嘉納は 日本の伝統武術
柔術の門をたたきます。

それが全ての始まりでした。

柔道のもととなる柔術は
小さな体の者でも

簡単に大男を投げることができる
武術として 戦国時代に発展しました。

「これで強くなれる」。

道場で師範のもとで
学ぶこととなった嘉納。

しかし…。

来る日も来る日も
師範に投げ飛ばされてばかり。

一向に強くなる気配はありません。

ところが 僅か…

なんと 道場一の強者となって
免許皆伝を受けるまでに。

こんな短期間に 一体
どうやって強くなったのでしょうか?

その秘密は…。

道場での稽古のかたわら
大学の図書館に通って

物理学や解剖学 更には
レスリングの書を読みあさったのです。

小さな自分が大きな相手を投げるには
どうしたらよいのか。

例えば…

これまで この技は 何度も投げていれば

そのうち 体が覚えるといわれていました。

ところが嘉納は
背負い投げを科学的に分析して

いくつかの動作の組み合わせで
できていることを発見します。

その中で 嘉納が注目したのが
技をかける直前。

…という動作です。

(鮫島)はい ここで止めて下さい。

これから 手を使う
それから相手の動きを利用する

そして 間合いをとることで
相手が崩れます。

そして ここでストップ。 この状態が…

相手を自分に引き寄せた その瞬間

相手の体が斜めに
一本線のようになっています。

これが…

この体勢になると 相手は支えがないと
倒れてしまう状態になります。

同じく 膝車という技を見てみます。

(鮫島)この手の動き
小指を上に向けるようにして

相手を斜めに崩しております。

手で軽く相手の体を引き上げると
背負い投げと同じように

体が斜めに一本の線のようになります。

つまり この崩しの状態さえできれば

どんな相手でも簡単に投げることができる
というわけです。

嘉納は この崩しを
科学で解明したことで

僅か5年で免許皆伝を受けるほどの強さを
得ることになったのです。

頭のいい人なんかは すぐに
技を理解しちゃうわけですね。

嘉納は これまでの柔術にかわり
新たに「柔道」と名付け

その普及に乗り出します。

そして 柔道の第一人者として
日本は おろか

世界でも
認められるようになっていきました。

そんな嘉納 晩年まで
心身ともに健康そのものと思いきや

意外なことに その半生で…

それは 体形を見ると分かります。

免許皆伝を受けた頃の姿。

そして こちらは…

一目瞭然の変化です。

嘉納が苦しんだ病とは…。

40代以降の男性に多く見られる…

主に高カロリーな食生活や運動不足による
肥満などが原因で起こります。

嘉納の場合はどうだったのでしょうか?

まずは…

嘉納は高カロリーで
こってりとした食べ物が大好きでした。

こちらが そのことを指し示す貴重な資料。

嘉納が大切に保管していた…

(村田)例えば スープですね
コンソメスープ。

それから 平目 舌平目のフィレ
エグモント嬢風っていうんですけれど

それから ハムですね。
カンバラント風ハム。

そして 雷鳥のローストというふうに

とてもとても 当時の我が国において

口にできるようなものではないと
思われますですね。

柔道の普及運動などで
度々 海外を訪れていた嘉納。

何よりの楽しみは この豪華な食事でした。

ふだんの食事でも弁当箱は重箱。

大好物のうな丼を食べる時には

吸い物がわりに天ぷらそばを頼むなど
大食漢でした。

更に もう一つの原因…

嘉納が医師に糖尿病と診断されたのは
40代後半の時。

このころは 講道館館長を務めながら

東京高等師範で校長も務め
更には 大日本体育協会会長に

国際オリンピック委員と一人4役をこなす
多忙な日々を送っており

若い頃のように 日々 道場で体を
動かすこともできなくなっていました。

やがて 嘉納は決意します。

よ~し ダイエットで
糖尿病を治すんじゃ!

まず始めたのが 食生活の改善。

糖尿病治療の定番 食事療法で
低カロリーの食事を実践します。

1食1合は食べていたという
大好物のご飯を控え

代わりに 栄養価が高く低カロリーな…

ちなみに…

同じ量の…

大きくカロリーを
抑えることができました。

そして 嘉納がもう一つ 行ったのは…

多忙で道場に行けない嘉納でもできる
最適な運動法がありました。

それは 「柔の形」といわれる練習法。

このように 相手の体勢を崩し…

いつ どこでも 道着を着ていなくても
できる練習法として

嘉納が考案したものです。

この柔の形は ヨガや太極拳と同様に…

スロートレーニングは 短期間で
効果的に筋力をつける方法として

現在 注目されています。

毎日 運動する時間がとれない
多忙な人には

特に適した
トレーニング方法とされています。

しかも アメリカの
ハーバード公衆衛生大学院の実験では…

…という結果が出ました。

通常の筋力トレーニングよりも…

高血糖の糖尿病患者が血糖値を
改善させるのに適した方法なのです。

外から見た目と違って 一回…

ゆっくりやるっていうことが
いかに大事なことかという。

低カロリー食による食事療法

そして 自らが考案した
柔の形による運動療法で

ダイエットに励んだ嘉納。

その結果…。

見違えるような精悍な姿に回復しました。

高齢になっても
常日頃から柔の形を続けていた嘉納。

病から回復した達人にとって

柔道は 健康維持にとっても
大切なものだったのです。

さすがに学のある方ですね。

近代のスロートレーニングを もう
あの時に取り入れてたっていうのが

すばらしいですね。

柔の形ですよね。
(関根)柔の形ね あれを。

あれは きついんですか?
私も何度もやってますけれども

最初の方は ゆっくりでそんなに感じない。

ただし 速く投げませんから
ゆっくり持ち上げるというところで

ももの筋肉が ブルブル ブルブルして

ずーっと上げていくと
重心が肩の方にかかってきます。

なるほどね。
やはり 相手の体重を

こう 自分でも感じる…
その相手の体重も利用して

トレーニングをしていますよね。

嘉納先生の工夫されることが
すばらしいなと思いました。

これは やはり 科学的なトレーニングが
根底に流れていたから

ということは いえると思います。
(関根)なるほどね。

いかに力を利用するか それも合理的に。

ほんとに あの
自分が強くなりたいっていうことを

願望があったわけですよね。
そうです。

その第一の武器が科学だったって
いうところに驚くわけですけれども

もう一つ レスリングも
取り入れてましたよね。

はい びっくりしました。
共通項ってあるんですか?

やはりね… やっぱり こういったね
いろいろな技があるんですけれどもね

これは父が このようなね 技をしてます。
(関根)これ 長州 力さん…。

(浜口)ファイヤーマンズキャリー。
(村田)目が回ってしまう。

アニマル浜口さんが行っている
ファイヤーマンズキャリー。

実は ほぼ同じ技が柔道にもあります。

それが 肩車。

実は この技 嘉納が
レスリングの技を参考にして

編み出したものです。

この技を 浜口京子さんが
見せてくれることに。

ここから 肩をね ここのところ
グッと入れて持ち上げなさいと。

すっげぇ…。
これが… それで

このような飛行機投げ
父は これが得意技だったんです。

(関根)うわ!
ねっ。

これで投げられたら ちょっと立てないね。
そうですね 確かに。

バーンて落とされるわけですもんね。
(浜口)レスリングの場合はね

ここからね こっちに入っていくんです。
で こうなって

で ここから受け身を
このまま とっていただくんですけど。

投げるわけですね それも。
すごいな。

これ 肩車ってやつですよね
柔道でいうとね。

全くそうですね 車のように回す。
これで こんな感じです。

なんかこう 今のパッと決めると
すごく美しいですね。

すごく美しく見えました。
いえいえ 私なんかは もう

まだまだ未熟者なんですが 私
先ほどの映像を見させていただいて

やはり 柔道の美しさ 改めて感じてます。

小さい人でも 大きい人…
じゃあ さっきの崩しっていうのは

それも可能なんですね
小さい人が大きい人を ああいうふうに

ピタッて止めちゃう…。
崩すことができれば

小さな女性でも大男を倒せるという
その象徴した図が

講道館資料館にはございます。
指一本 こうやってですね。

で 我々は 日頃 いかに相手を崩すか
というところで苦労してるわけですよ。

相手も同じことを考えてますからね。

それが技術の錬磨 研磨ですね。

隙があった時に崩すという…
ちょっと体験しませんか?

体験したいですね。
体験したいです!

嘉納が注目した崩し。

これが 技をかける時に
いかに重要か

体験してみると
すぐに分かるといいます。

ご指導いただきますのは
講道館道場指導部部長の

鮫島元成さんです
どうぞよろしくお願いいたします。

(関根)よろしくお願いします。
8段でいらっしゃいますので。

(竹山)先生も8段。
あの 崩しって
どういうものなんでしょうか?

技をかけて投げるためには
崩しが必要です。

まず 背負い投げの崩しをやります。
そのまま立っていて下さい。

つま先は そのまま止めといて…。
これが崩しです。

どんな感じです?
なんか 浮いちゃう。

浮いてますね 確かに。
なんか もう…。

かかとが浮いてます。
あれ 浮いちゃう。

それと同時に体が硬くなっているんです。

そうです なんか カチカチってなる。
それ 抵抗しようとできます?

例えば…。

いやぁ できないです。
チョイッてやられたら バンッて倒れる…。

(関根)これ 不思議。
これでもう 直線になった段階で

崩しが完成してるんでしょうか?
そうですね。

それを 動きの中で
技として使っております。

ああ これで投げられちゃう。
(鮫島)こういう形になります。

どうです? 今。
なんか フワッとなっちゃう。

自分が軽くなっちゃう。
ええっ!?

(鮫島)これが崩れてないと 相手の方に…。

ふんばれますよね。

これが崩れているから ここに入って…。
あっ もう回る。

もうダメだ もう抵抗できない。
そうですね ほんとに回りますよ 今の。

ありがとうございます
竹山さん それでは…。

(関根)柔道出身ですからね 竹山君は
投げられても 多分 受け身がとれる。

それでは 足 そのままにして下さい。

膝車という技です。 崩しをやってみます。

はい こういう動きですね。
もう無理 もう無理ですよ。

えっ?
(竹山)もう倒れます。

何かされたら倒れます これ。
どういうことですか?

(竹山)これ今 無理です もう無理です。
(関根)なるほど。

崩されまいとして この足を出します。

その足を出さなければ…。
あっ なるほど!

倒れる。
(鮫島)それを動きながらやれば

ここに…。
あっ ああ~!

瞬間ですね。
倒れますね。

ちょっと あれですか 竹山さん
その瞬間 浮く感じなんですか?

どんな感じ…。
もう自然と 何も力 入れなくても

先生に クルンと回されてる感じです。
先生 こちらへどうぞ。

レスリングは どうなんですか?
崩しがあると…。

レスリングの場合は崩し… 押して…

押して 空手の掌底ありますね その…。
ちょっと…。

やろうか。
この 肩の位置に。

こういう状態で…。
じゃあ 竹山さんを。

竹山さん 失礼します。
ここのところ 肩にね 掌底

空手の ここのところ当てて 押しますね。
あっ やばいな。

それで ここも こう持ちますね。
で こうした時に

レスリングは ゾーン際で出たら
ポイント入っちゃうので

相手は嫌がって
中に入ってきたりしますね。

中に こう押し返してきます。

押し返してきたところを 落とす!
おお!

(関根)なるほど!
落ちるねぇ!

そうか!
落ちる!

押して 押して 押して押して
相手が押し返したところに

首を持って落とす。

もう先に 僕が押そうとしてる
僕の力があるから…。

だから こうなるんですね。
下にやられると

僕の力でコケちゃうんですね。
そうか。

すごい!
すごい分かりやすかったです。

やっぱり レスリングにも崩しはある。
(関根)崩しがあるという。

いや 崩し… これから柔道の試合
素人ながら 崩しのポイントを

ちょっと見られるようになったら
面白いかもしれないですね。

ありがとうございました。
(浜口たち)ありがとうございました。

さて 科学によって柔道をつくり上げた
嘉納治五郎。

実は 柔道には 医学の一面もあるのです。

21歳だった嘉納が
最初に道場を開いた場所です。

この場所を間借りして
僅か9名の門下生とともに

柔道の稽古を始めた嘉納。

科学的な原理で
技が上達すると評判を呼び

門下生は激増の一途をたどりました。

大成功を収めた嘉納。

しかし 柔道が発展する中で
一つ気がかりなことがありました。

そもそも 柔道の元となった柔術は
敵を倒す技術である殺法と

けがをした時に治療を行う医術
活法の二つから成り立っていました。

柔術家は この両方を行っていたのです。

嘉納は 殺法を柔道として 安全に
スポーツ化することに成功しましたが

柔術家の医術…

この活法 その技術は…

現在の接骨師が行っている接骨術と
ほぼ同じもの。

接骨術は 骨や筋肉 神経など
体の内部の仕組みを理解し

皮膚の切開をしないで
手や器具を使って行います。

これは 非観血的療法と呼ばれ
漢方や鍼灸などと同様

日本で独自に発展した伝統医療です。

戦がなくなった天下太平の江戸時代から

柔術家たちは 活法である接骨術を
生業としながら

道場を開き 殺法を教えることで
柔術の伝統を守ってきました。

更に 長崎から
西洋の外科治療書が入ってくると

活法は大きく発展しました。

こちらは…

江戸時代前期の接骨術の解説書です。

フランスの軍医 アンブロアズ・パレの
翻訳をもとに書かれたもので

日本で初めて西洋の解剖学を紹介した
医学書とされています。

例えば こちらですね。

肩の関節の脱臼を治すために
描かれてる絵が3つ見られます。

こちらは はしごを使っています。

こちらは医学的な道具ですね
ちょっとVの字形になったもの。

こちらはですね 施術をする人の
肘を使って行っているものですけど

いずれも…

江戸時代後期になると 実際の
人体解剖を基に骨格が正確に記され

接骨の技術は飛躍的に向上します。

これらは 嘉納が柔道の原理を研究する
時にも使っていたといわれています。

ちなみに こちらは肩の脱臼を治す様子。

背負い投げと
同じ動作をしているのが分かります。

柔術家は 活法である接骨術を
殺法に応用することも行い

柔術を発展させていったのです。

柔術にとって 両輪のような存在だった…

ところが…。

明治時代 近代化の波が押し寄せる中で
大きな危機が起きます。

1883年に成立した…

日本の医学は西洋医学を中心に行う。

これからは 西洋医の資格を
持っていない者は

接骨を行ってはならない。

接骨の廃止ともとれる この改革は
柔術家にとって

活法を失うことを意味していました。

そして 法律が施行された29年後。

決定的な出来事が起こります。

偽歯科医の大量検挙。

接骨が禁止されたあとも
ひそかに接骨院を営業していた

柔術家たちが
一斉に逮捕されてしまったのです。

嘉納は 大きな危機感を覚えます。

このままにしておくわけにはいかん!

嘉納は立ち上がります。

そして 嘉納の呼びかけに賛同した
仲間たちが行動を起こします。

その一人が 門下生の…

時のアメリカ大統領
セオドア・ルーズベルトに認められ

アメリカの海軍学校の教官も務めた
国際派の柔道家です。

山下は 柔術家が接骨を行えるよう
陳情を取りまとめ

政府に法律改正を働きかけます。

更に 嘉納は
接骨家自身の意識改革も進めます。

東京大学の医学博士らに協力を仰いで
講習会を開き

接骨家に西洋医学を学ばせました。

法制化するということは 日本の
医療政策の中に入るということなので…

そして 接骨の教科書が作られます。

そこには 西洋医学の技術が
取り入れられただけでなく

それまで各流派でバラバラに行われていた
接骨術が

一つにまとめられたのです。

こうして 1920年 内務省は
西洋医の資格とは別に

接骨術を専門とする
柔道整復師という国家資格を認めます。

柔道家であることが 接骨の免許を
与えられる基準となったのです。

現在…

その応急処置の技術力の高さから

スポーツトレーナーになるための
必須の資格にもなっています。

そして 全国に開かれている
柔道の道場主の多くも

柔道整復師の資格を持っています。

…ていうのは まず一つあります。

また その子の体を見れるわけなので

その子に合った指導法であったり

それとか けがをしてたら
少しは休みなさいとかですね

そういう細かい部分までケアができると。

嘉納が 柔道を安全な
スポーツにするために目指したもの。

それは 活法の精神を取り入れ

指導者が適切な けがの対応を行えること。

そして もう一つ…

(紙谷)ですから
嘉納先生は それまで柔術では

最初に技術から入ってた
というのがあるんですが

そこを変えて けがをしない…

…ことが大きく影響したんじゃないかな
というふうに思います。

実は この受け身の動作のアイデアは
猫の動き。

嘉納は 猫がどの角度から落ちても
体を小さく丸める動作で

衝撃を吸収していることから
この動きを編み出したといいます。

けがから身を守ることから始まった
嘉納の柔道は

誰にでも安心してできるスポーツとして
全国に広がっていったのです。

うん まず受け身の練習から
いっつも練習の日は始まりますからね。

行って ストレッチみたいな感じで
まず受け身。

そうですね。
から 練習が始まりますからね。

慣れてても やっぱり
そういうことなんですよね きっとね。

高段者になってもそうですね。
(竹山)そういうことですね。

それが 予防医学って驚きましたね。
ねえ。

その受け身が予防 健康 安全…
その前提にはですね

ご覧になったように 殺法 活法
これも合わせたものですからね。

これが もともと
我が国の武術の伝統の中にはあったと。

西洋医学の 例えば整形外科とか
そういうとこに任せておけばいいって

そういう考え方では
なかったってことですか?

西洋医学のことも
もちろん よくご存じですけれども

東大で勉強してますから。

ただ 活法の方は血を出さない
専門的な用語 ありましたけれども

それで治していくという。 これはですね

大けがよりも
前の段階のところの施術としては

私は すばらしい方法だと思います。
切りませんから。

そうですよね。
そういえば

柔道をやってるところで 接骨とか
そういう言葉が併記されてるので

昔から不思議に思ってたんです。
そうですね 僕もそうですね。

ええ… 今日 分かりました その理由が。
なぜか。

道場の先生が 即 接骨院を開かれている
というパターンが

ずっとありますですね 我が国には。

先ほどの いいですね 道場主の方が…。
(村田)朝飛先生。

だから お子さんが
けがした時は すぐ治せる。

(村田)そうです。
もう やめた方がいいとか。

そうです それが言える。
ご自身も柔道家であるし

その免許も持っておる。 いちいち救急車を
呼ぶなどということは いらないという。

すばらしいですね。
(村田)非常に合理的だと思いますね。

突然ですが 皆さん。

現在 高齢者の間で…

皆さん できますか?

そこで 講道館では 月に1回 柔道の…

…しようという取り組みを行っています。

指導しているのは…

柔道の受け身では
上手に転ぶことで衝撃を減らしています。

そのポイントは 転んだ時の体勢。

その体勢を科学的に分析すると
このようになります。

柔道経験者は
頭を打たないように首を起こし

背中から腰までを
丸めているのが分かります。

このことで 転んだ時の衝撃を
一点に集中しないよう

分散させることができるのです。

柔道の受け身を応用した 簡単…

そして この体勢のまま…

転んだ時に体を丸める癖をつけることで

骨折などの けがのリスクを
大きく減らすことができます。

このようにですね 膝を…。

で もう一つ 頭を上げていただいて
横に こういうふうにですね ゴロ~ン…。

そうです そうですね。
気持ちいい。

うまく戻れますか?
(関根)なかなか戻るの難しい…。

(紙谷)竹山さん 頭をですね
こういうふうに上げていただいてですね

頭を曲げていただいて これが丸まる…。

(浜口)楽しいです。

皆さん 根気よく続けて下さい。

さて 嘉納治五郎の夢
それは平和の祭典 オリンピックへの参加。

その道のりを たどります。

多くの教育者を輩出している…

嘉納は その前身となる…

…として 明治から大正 25年間にわたり
教育に携わっていました。

その中で 嘉納が特に力を注いだのは…

実は 私たちにとって
身近なことの多くは

嘉納が始め
全国に広げていったものなのです。

例えば…。

徒競走や障害物競走などは
嘉納が始めました。

そして 年中行事の定番…

サッカー部やボート部
相撲部などの部活動。

これも嘉納が創設し
全国の学校に広がったもの。

嘉納が教育の一環として
スポーツの普及にこだわった訳。

それは 嘉納自身が若い頃
柔道に取り組む中で実感した

「あること」があったからなのです。

嘉納治五郎自身も
柔道を始めていった時に

最初は短気な性格だったんですけども

それが だんだんとですね…

…ということを述べてまして

それによって また…

この経験から 嘉納は…

…と 考えるようになりました。

なんだか…

…にも聞こえますよね。

実は現在 脳科学の分野で

このことを裏付けるような
研究が進んでいます。

ブラジルの脳科学者が

国際大会レベルの男子柔道選手8人と
一般男性18人の脳を比較したところ…

…ことが分かったのです。

赤く記されているのが容積の大きい部分。

運動をつかさどる小脳。

視覚や空間を認識する後頭葉など

さまざまな部分で 一般男性よりも
大きいことが分かります。

中でも注目すべきは
前頭葉の容積が大きいことです。

大脳皮質の中にある
前頭葉という領域の…

前頭葉の容積が大きいスポーツ選手は

神経細胞が活性化することで

この機能が 一般の人に比べ 強くなり

他者の気持ちを 我がことのように感じる
共感能力が

高くなっていると考えられます。

更に 脳の神経細胞は…

…ということが
実験で明らかになっています。

こちらは 動物実験で

自発的に運動した場合と
そうでない場合の

脳の神経細胞の量を比較した画像です。

赤い神経細胞が新たに生み出されたもの。

自発的に運動をした方の神経細胞は
働きが活発になり

より多くの神経細胞を
生み出していることが分かります。

いわゆる 人が やはり
運動するために生まれてきて…

…だったわけですね。 ですから…

…っていうことが
研究では分かっておりますし

更に…

…ということも分かっていますので

やはり 自ら進んで 楽しく運動やる
ということが 非常に重要だと思います。

自発的にスポーツを行うことで
脳が活性化し

人の気持ちを理解する能力が高まる。

これこそが
「スポーツで人間の心が成長する」という

メカニズムなのです。

運動会や部活動など
スポーツを楽しむ中で…

…を育てたい。

そうした嘉納の考えは 脳科学で考えても
理にかなっていたことだったのです。

そして 1909年

48歳となった嘉納に
ある知らせが届きます。

それは国際オリンピック委員会会長
クーベルタン男爵からの

オリンピック参加の招待状でした。

柔道の達人として
海外で知られていた嘉納に

団長をやってもらいたいという
依頼でした。

嘉納はすぐに依頼を受諾し
参加に動きだします。

日本はアジアで初めて参加します。

参加選手は 僅か2人。

マラソンの金栗四三
短距離走の三島弥彦とともに

嘉納は競技会場の土を踏みました。

そこで嘉納はオリンピックの精神を
目の当たりにします。

参加国28か国 15競技 102種目

2, 400人の参加選手の中には
女性選手もいました。

紛争が起きている国同士も この場所では
紳士として平等に接していました。

そして 全てのヨーロッパの選手が

極東アジアから参加した
2人の日本人選手を

温かく迎えてくれました。

その姿に感動した嘉納は

クーベルタンの招待状に記されていた
ある言葉をかみしめます。

…ようになることを望んでいる。

(嘉納)これこそが

スポーツを通して 人間同士が
理解し合える ということなんだ。

スポーツを通して
人の気持ちを思いやる心を育てる。

オリンピックは まさに
その理想が実現できる場なのだと

嘉納は確信します。

そして…。

(嘉納)日本で
東京でオリンピックを開催したい。

最終的にはですね…

…なんだと。
こういう考えだったと思うんですね。

そうしたことを受けて…

…なんだと。 人間が持っている偏見。

これを取り除かなければ 人類共通の文化
まさに オリンピックですよね

オリンピック あるいは
柔道もそうだと思うんですが

そうしたものは広まらない
ということを 彼は感じて

そのために彼はですね やはり アジアで
東京でオリンピックをやろうと。

白人だけの文化ではないんだ
ということをですね

彼は恐らく見せたかったんではないかと。

嘉納はオリンピックを
日本に招致するために奔走。

精力的に世界各国を回ります。

そんな中…。

1938年5月

嘉納は エジプト・カイロで開かれた
国際オリンピック委員会の

帰りの船の中で亡くなります。

東京でオリンピックが開かれ
嘉納の夢が実現するのは

その死から26年がたった 1964年。

この時の東京大会で 柔道は初めて
オリンピックの正式種目になったのです。

私たちが こうして
スポーツをやらせて頂けるのが

嘉納先生がいたからこそ このような
オリンピックに出場させて頂いたり

そして私は… 嘉納先生は 健康 まず健康。

そして 皆さんが
そのスポーツをやることによって

自分自身の健康と心の健康も得られる
っていうことを 皆さんに広めた方。

体育スポーツに非常に理解の広かった

当時の人ですね
もう特別な人だと思いますけど。

他の人の賛同 支持等は
ほとんどなかった時代ですからね。

…にもかかわらず もう既に スポーツの
人間を育成するその有効性というものは

もう あのころから見抜いておられた。
それは本物だったから

今日 我々 こういう時代を
迎えられていると思うんですけれどもね。

嘉納の持論でもあったようですけれども

スポーツによって
心も成長する 人間が成長する。

どう思われました?
いや これ ほんとにそうであってね

例えば 柔道で例えるとしますよね
そうすると

初心者は 習っている人に負けても
恥でも何でもないですよね

やりたてなんだから。 で
負けるっていうことを知るわけですよ。

で やっていくうちに その人に今度
勝つことができるようになるんですよ。

そうすると あ! 努力をすると
こういうことが起きるんだっていう

その 何ですかね…
人生の縮図みたいなのをね

クッとね 学べると思うんですよ。

そういう こう
負けても大丈夫なんだっていうのね

やっぱり そういうのを
スポーツは学べるんですよね。

やっぱり通して見てると なんか
やっと意味が分かったっていうか

やっぱ…
オリンピック 平和の祭典っていうし

スポーツって平和と結びつく
っていうじゃないですか。

でも こうやって見てると 平和を祈ったり
差別をなくそうと思ってて

何をやればいいか分からないんだけど
スポーツをやってればいいんだっていう。

スポーツやってたり
スポーツを応援していれば

自然と そういうふうな流れに みんなが
行くようになってるんだっていうのが

今日 分かりましたね。

国境がありませんね。
ね~ ほんとですね。

ありがとうございました。
ありがとうございました。

2020年 東京オリンピックに向けて
工事が進む…

東京で初めてオリンピックが開かれた
1964年。

この場所に一つの石碑が建てられました。

嘉納治五郎に捧げた石碑です。

オリンピックを東京で開催したい。

嘉納の思いは
多くの人々に引き継がれ

1964年の東京大会が
実現しました。

その中の一人 平沢和重は

国際オリンピック委員会で
最後の招致演説を行います。

平沢は 嘉納がオリンピック招致の帰路で
亡くなった時

乗り合わせていた外交官でした。

嘉納の遺志を引き継いだ平沢は

壇上で 小学校の国語の教科書を掲げ
演説を始めました。

嘉納の熱い思いを受け継ぎ

今 再び東京で オリンピックが
開かれようとしています。


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