英雄たちの選択「解体新書」を翻訳出版するまでにあったいくつもの壁とは?この本が日本を変えた!杉田玄白“解体新書”誕生への挑戦


出典:『英雄たちの選択▽この本が日本を変えた!~杉田玄白“解体新書”誕生への挑戦』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択▽この本が日本を変えた!~杉田玄白“解体新書”誕生への挑戦[字]


日本が西洋化に向かって踏み出す第一歩となったのは一冊の本だった。杉田玄白が「解体新書」を翻訳出版するまでにあったいくつもの壁とは?アイデア満載の突破法をさぐる。


詳細情報

番組内容

日本が西洋化に踏み出す第一歩となった名著「解体新書」。オランダの解剖図の正確さに驚いた杉田玄白はその翻訳・出版を思い立つ。しかしその前には辞書もない外国語の翻訳、幕府の厳しい取締り、図版を刷る銅版画技術がない、などいくつもの壁があった。最大の壁は翻訳の中心になった盟友・前野良沢が不完全な翻訳のままでは出版すべきではないと言い張ったこと。日本を変えるはずの本、出版を急ぐべきなのか、それとも待つか。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】岩下哲典,海堂尊,鹿島茂,【語り】松重豊




『英雄たちの選択▽この本が日本を変えた!~杉田玄白“解体新書”誕生への挑戦』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

英雄たちの選択「解体新書」を翻訳出版するまでにあったいくつもの壁とは?
  1. 玄白
  2. 翻訳
  3. 解体新書
  4. 医学
  5. 日本
  6. 出版
  7. 自分
  8. オランダ語
  9. アナトミア
  10. ターヘル
  11. 西洋
  12. 幕府
  13. 良沢
  14. 当時
  15. 意味
  16. 解剖図
  17. 言葉
  18. 人体
  19. 日本人
  20. 漢方


『英雄たちの選択▽この本が日本を変えた!~杉田玄白“解体新書”誕生への挑戦』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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新潟市内の大学の博物館に

かつての日本の医療を伝える
貴重な史料が保存されていた。

これは東洋医学 漢方医学にあります

五臓六腑を示してある図になります。

五臓六腑は 現在の解剖学の構造とは
全く意の異なるものでありまして

この部分の 腸の部分は このように
雲のような形に描いてるのが

この五臓六腑説の絵の特徴になります。

江戸時代 日本の医学の主流だった
中国伝来の伝統医学…

この絵は 当時の漢方で考えられていた
人間の内臓

五臓六腑を表したものだ。

もやもやと あいまいな形で描かれた…

肺は 左右に2つではなく
いくつもの袋状のもの。

かつての日本人が信じてきた
人体の構造は

現在の私たちの知識と
大きく異なるものだった。

しかし 江戸時代半ば

そうした医学の伝統に
異を唱えた一人の男がいた。

日本に
西洋医学の知識を広めた医学書

「解体新書」を世に送り出した
医師である。

玄白を突き動かしたもの

それは 当時 オランダからもたらされた
一冊の解剖学の本だった。

初めて目にした
西洋の緻密な解剖図。

玄白は 人体の真実を
広く伝えたいと

仲間と共に
オランダの解剖学書の
翻訳を決意する。

しかし その先に
いくつもの壁が立ちはだかった。

難解なオランダ語と
解剖学という未知の医学。

まともな外国語の辞書などなかった時代

玄白たちは 何度も暗礁に乗り上げながら
翻訳を進めていく。

だが 壁はそれだけではなかった。

当時 西洋の書物は
幕府の厳しい監視のもとにあり

事と次第によっては
「解体新書」は出版禁止

おとがめを受ける危険があった。

さらに 玄白たちには

翻訳不可能な箇所が
いくつもあり

それが激しい葛藤をもたらした。

完璧に訳し終えるまで
出版を見合わせるか?

拙速であろうと世に出すことを選ぶのか?

玄白たちの苦渋の決断に

今回も気鋭のゲストが鋭く迫る!

絵があったと。

この絵を伝えたいというモチベーションが
一番大きかったんじゃないかと…。

翻訳ってのは
タイミングがいかに必要か。

つまり 最も それが求められている瞬間に
それを出すべきなんです。

いや 分かるんですよ。

世の中のためには
早く出したほうがいいんですよ。

でもね 毎日寝られないですよ
それやったら。

日本の医学を塗り替えた名著「解体新書」。

その完成に至るまでの葛藤と
立ちはだかる壁に果敢に挑んだ

杉田玄白の奮闘に迫る!

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今回は 誰もが知っている
歴史的名著の誕生の秘話に迫ります。

それが こちらです。

はい こちら。 江戸時代に作られた医学書
「解体新書」です。

この独特な扉絵は

学校の教科書で見たという方も
多いのかもしれませんが。

今日はね
実は こんなものを持ってきました。

お~!
ええ。 その「解体新書」です。

本物ですか?
残念! これはね 復刻版といって

あまりに貴重なので
同じように作ったものです。

番組に協力してくださった方から
お借りしたものですね。

これ 中を開いてみましょうか。
ちょっと見てみましょう。

人間の骨格やら筋肉 内臓の位置

細かく分かるように

解剖図で紹介されています。

当時の日本人が驚いたのは

やっぱ この…

実は この「解体新書」が出るまで
日本人は

人間の体の構造を
詳しく知らなかったんですね。

なぜ知らなかったのかということは

ちょっと このあと
論議したいことでもあるんですけど。

その「解体新書」を作り上げた人物が

江戸時代の医師 杉田玄白です。

今から およそ250年前の1774年

玄白は 同じ志を抱く仲間と共に

オランダの解剖学書を翻訳して
「解体新書」を作りました。

僕ね サイエンスの英雄と思うんですよ。

実は 杉田玄白から
日本の科学や学問が

やっぱ 大きく変わって
違う方向へ向きだした。

現実的な…

現実には本当はこうなんだっていうふうに
基づいて行うようになる。

それまで漢方 ずっとアジア

中国中心のところから科学を考えてきて

そこから アジアから離陸して
別のほうへ

日本国だけが
朝鮮とも違う 中国とも違う

もちろん ベトナムとも違うというふうに
移動していくわけですから。

政治家でない…
頭の中の脳内英雄と。 我々の。

…と言っていいぐらいだと思うんですね。

数々の英雄を
この番組でも取り上げてきましたけど

今回は じゃあ ちょっと また違った…。
そう そう そう。

「脳内に分け入り」とか言っているけど

人の頭の中を 科学的に ものを考える…
考え方を変えたんだから

玄白やらずには
この番組は駄目なんです やっぱりね。

じゃあ ようやく この時がきたという。
ようやく ようやく…。

やってみたかった! っていう番組ですね。
そうなんですね。

江戸時代を通じ 幕府がヨーロッパの中で
唯一の貿易相手国としたオランダ。

そのオランダがもたらした品々の中に
西洋の学問書が含まれていた。

実学を奨励した 8代将軍 徳川吉宗以降

西洋の文物に対する関心の目は
僅かばかりではあるが開かれつつあった。

学問書の多くは
幕府や大名のもとに渡ったが

いくつかは 長崎のオランダ通詞や
商人たちの手に渡り

江戸や大坂など大都市に流れていった。

その中に
玄白の運命を変えた一冊の本はあった。

今回 同時代の貴重な原書を
見ることができた。

(佐藤)こちらは 1734年に
オランダ語版として出されました

クルムスの
「ターヘル・アナトミア」になります。

18世紀のドイツの解剖学者
ヨハン・アダム・クルムスが著した

「解剖学図表」のオランダ語版である。

本を開くと 銅版画による
精緻な人体解剖図が現れる。

「ターヘル・アナトミア」は
当時 ヨーロッパ各地の大学で使われた

いわゆる 医学書のベストセラーだった。

漢方と比べ
外科の分野に秀でていた西洋の医学。

その発展を支えていたのが
16世紀に始まる 解剖学の台頭だった。

神の領域とされてきた
人間の体にメスを入れ

筋肉や骨の構造 内臓の形や機能が

人の命と どのように関わっているのか
人体を科学的に解き明かし

医療技術の向上へつなげていく。

それが 東洋医学と一線を画す
西洋医学の考えだった。

解剖図を見るうちに
玄白の中に ある思いが湧き上がった。

「人の体の中は
本当に この絵のようになっているのか」。

若挟小浜藩の藩医だった玄白は

重臣たちを説得し
「ターヘル・アナトミア」を購入。

西洋の解剖図が
真実かどうかを確かめるため

幕府に 解剖 腑分けの見学を申し入れた。

チャンスは まもなく訪れる。

玄白のもとに幕府の使者が訪れ

「あした 江戸の外れの処刑場で
罪人の遺体を使った腑分けを行うので

見に来たらどうか」と伝えた。

自分一人だけではもったいない。

翌日 玄白は
かねてから腑分けを見たいと言っていた

2人の医者仲間と待ち合わせ
処刑場へ向かった。

その一人が 「ターヘル・アナトミア」を
紹介してくれた 同じ…

もう一人が 当時
オランダ語の能力で評判が高かった

九州…

実は 良沢も
「ターヘル・アナトミア」を持っており

人間の体の中は この本のとおりなのか
玄白と同じ疑問を抱いていた。

そして 明和8年3月4日。

現在の東京 南千住にあった
小塚原の処刑場で 腑分けは行われた。

そのときの驚きを 玄白は回想録の中で
このように書き記している。

さらに 処刑場に
野ざらしになっていた骨を調べても

「ターヘル・アナトミア」の絵と
寸分違っているところがない。

このとき 玄白は 実際の人体は
これまで教わってきた漢方の教えと

全く違うことを知ったのである。

そして 突き上げてくる激しい思いを
良沢にぶつけた。

この言葉を受けた良沢は こう答えた。

自分たちの力で
「ターヘル・アナトミア」を翻訳する。

ここに 前人未到の翻訳作業が
始まることとなった。

現在の東京 築地の一角。

ここに 玄白たちが
「ターヘル・アナトミア」の翻訳を行った

中津藩の藩邸があった。

腑分けを見た翌日
3人は早速 集まり 翻訳に取りかかった。

ところが 玄白たちの前に
早速 最初の壁が立ちはだかる。

それが
「ターヘル・アナトミア」を埋め尽くす

難解なオランダ語だった。

そこで 玄白たちは一計を案じる。

長崎でオランダ語を学んでいた良沢は

単語の意味を ある程度
推測するだけの語学力があった。

その良沢が
単語の意味を一つずつ推し量ると

それにふさわしい日本語の訳を
3人で考え

分からないときは 宿題にして持ち帰り
意見を出し合った。

実は このときの解読作業が

後の日本の
西洋学研究の基本形になったと

研究者の青木歳幸さんは言う。

全く ABCも分からないような
玄白たちでしたから

そこで 出発して 力になったのは
やっぱり みんなで研究してた

いわゆる 共同研究をして そしてね

一人一人が それぞれ 読めない字は…
分からない字はね

いわゆる… 印をつけてね
つまり みんな 横一線でね

門外不出の医学じゃなくて

みんな 新しい医学を興すんだっていうね
そういうことによって

研究スタイルがね 新しく出来ていって。

その以降も 蘭学者の研究っていうのは

共同研究っていうね 体制が
結構 出来てくるんです。

当時 漢方医学では
それぞれの流派ごとに 師匠と弟子が

門外不出 一子相伝の形で
秘伝の医術を伝えていた。

しかし 互いに知恵を絞り
意見を出し合って 翻訳を進める

玄白たちの作業は 「会読」と呼ばれる
西洋学研究の基礎となり

後の蘭学の誕生へつながるのである。

日本の医学を変える挑戦。

しかし 玄白たちは
さらなる大きな壁と向き合うことになる。

はい というわけで 杉田玄白が
前野良沢 中川淳庵と共に

「ターヘル・アナトミア」の翻訳に
乗り出すまでを ご覧いただきました。

しかし 磯田さん アルファベットすら
習ったことがないのに

オランダ語の医学書を翻訳するというのは
なかなかな挑戦ですよね。

ですね。 この できるかどうかじゃなくて
やらなきゃいけないで やったんですね。

あと これ 成功したのが
さっきも出てきましたけど

「会読」という みんなで討論しながら
訳していくという方式で。

本が 一冊 置いてあって

本の内容について議論する
会読であるというと

政治の議論だろうが何だろうが

かなり自由にできるっていうのが
江戸時代の状態だったんですね。

この身分制縦型社会の中で
この会読というのが

実は まあ 進むときに
非常に役に立ったということですね。

私たちの間にはですね
こちら 玄白の運命を変えた

「ターヘル・アナトミア」の復刻版を
ちょっと お借りしてきました。

これ ちょっと 中を見てみますと
まず表紙。

はい しっかりですね 当然ですが
オランダ語で書かれていて…。

分かんないね。
もう びっしりなんです。

これ ねえ 正直 最初に見たら

あ~! ってなりますよね。 アハハ…。
なります なります。

これ 訳すのかと。 フフフ…。

と なりまして
これ 最後のほうに 例の人体の…。

もうちょっと
分かりやすいのにしようかな。

こういった解剖図があるんですよね。

アルファベットも分からない状態でですね
これを訳すっていうのは

もう かなりの挑戦だったと思うんです…。
これは大変ですよ。

例えば 僕に これ訳してくれったって
ほとんど同じ状態になると思う。

ヨーロッパ言語を知ってても
これを訳すとなると

そう簡単にはいかないですよ。
辞書もない段階でね。

でも
何で そんな決意をしたんでしょうね?

一つはね やっぱり 絵があった。

これが 絵がなくてやるっていうのは
絶対 無理です。

絵があって この絵というものに
驚嘆したので

その絵という
ものをですね

これ 何が
描いてあるのかを
見たいと

これが圧倒的だったと思いますね。

海堂さんは いかがでしょうか?
この玄白たちは なぜ自分たち…。

自分たちでオランダ語の翻訳をしようと
思ったと考えますか?

まさに 鹿島さんがおっしゃったとおり

その絵があったと。

で この絵を伝えたいという
モチベーションが

一番 大きかったんじゃないかと思います。

ただ そこでですね その…
たとえ 絵があっても

それを実際と見比べなければ
やはり 実証はできない。

で 実証できた以上は それを進めたいと
大きく願ったんだと思います。

岩下さんから見て この玄白たちは
なぜ自分たちで

オランダ語の翻訳を挑もうと思ったのか。

江戸時代にですね

常にオランダ人と接することができて

まあ オランダ語をね…

学ぶことを許されたのは

オランダ通詞だけなんですよね。

だから 通詞に頼めばいいのでは
というふうに まあ

思うかもしれないんですが

江戸時代は
自分たちの家の家職といいまして

その家の家職以外のことをやるとですね
これまた よろしくないんですね。

だから やっぱり 解剖を見てですね
衝撃を受けた 共通の認識を持った

自分たちがやるべきだと。

自分たち以外にやれる人間はいないだろう
というふうに

思ったんじゃないでしょうかね。

これ まず 当時…
もう さっき出ましたけど

オランダ語の知識っちゅうのは

オランダ人を出島に入れて
閉じ込めてるように

長崎の町から あんまり
漏れないようになってるわけですよ。

で 通詞も 翻訳官も
オランダ語 あんまり

みんなが分かるようになっちゃったら
まずいわけですよ。

難しい。 で そこで奇跡の男が現れると。

前野良沢という。 これがものすごい

何で このぐらい触れただけで
分かるのってぐらい

オランダ語を解読する技術や
勘の鋭い人なんですよ。

で ただ この人は
ものすごく 社会性が乏しい。

一方で 杉田玄白っていうのは
もう 社会性動物って言っていいぐらい

社会性の高い人間。

なおかつ 翻訳したら 何が起きるか
よく分かってる人なんですよね。

この2人が いいチームですよ。
うん。

何か 奇跡的に いい人同士が
集まったんですね。

さあ 言葉の壁に
仲間一丸となって挑んだ玄白たち。

それが 日本の医学に
画期的な発明をもたらします。

「ターヘル・アナトミア」の翻訳を進める
玄白たち。

意味が分かる単語が増えていくと
次第にコツをつかんでいく。

それが「翻訳」「義訳」「直訳」と名付けられた
独自の翻訳法である。

「翻訳」とは

オランダ語で
「骨」という意味を持つ

「ベンデレン」という言葉を
そのまま「骨」と訳すこと。

単語の意味を
知っていたときに使われたのが

「翻訳」だった。

自分たちの語学力で
意味を推し量るときもあった。

例えば「カラカベン」というオランダ語は

「カラカ」がオランダ語でネズミが
何かをかじる音を指すことから

「軟らかい」という意味だと取り

「ベン」はベンデレンと同じ

「骨」という
意味だったことから

「カラカベン」とは
軟らかい骨 「軟骨」とした。

これが「義訳」である。

ところが
全く意味の取れない言葉もあった。

例えば「キリイル」と発音する言葉は

それに相当する概念が
東洋の医学にはなく

人体の何を指しているのかが
解釈できなかった。

その場合
そのまま漢字を当てた。

これが「直訳」である。

実は この「機里爾」という言葉の翻訳に
玄白たちの次なる壁があった。

「キリイル」とは…

当時の漢方医学にはない概念だった。

漢方には存在しない西洋医学の概念を
どう翻訳すればいいのか。

玄白たちの功績は
そうした未知の知識に対し

的確な翻訳を
当てようとしたことにあると

解剖学者の坂井建雄さんは指摘する。

一番難しいのは
対応する概念がないという場合に

それをどうやって
言葉にするかっていうところが問題です。

例えば 漢方医学で

「神経」という概念があったかって
ないんですね。

で 「動脈」「静脈」っていう概念が
あったかって ないんですね。

「ターヘル・アナトミア」を翻訳する中で

玄白たちは画期的な発明を行っている。

それが 「神経」や「動脈」といった

現代でも使われる医学用語の創造だった。

オランダ語で「セイニュー」と読む 神経。

その意味を調べるうちに
「セイニュー」とは人間の五感をつかさどる

血管に似た器官であることを
玄白たちは突き止める。

しかし 「セイニュー」に対応する
概念や言葉が漢方にはない。

オランダ語の読みに
漢字を当ててもよいが

玄白たちは
日本人の誰もが理解できる言葉で

「セイニュー」を翻訳できないかと考えた。

そこで鍼や灸など
漢方治療の基となる「経絡」

「神気経脈」が
セイニューに似ていると捉え

日本語で
分かりやすく伝えるために

「神経」という
新たな言葉を作り出したのである。

「神気経脈」。

何か霊魂のようなもの
生気のようなものを伝える管という

そういう意味合いが
そこにありますけれども

西洋医学でも神経というもののイメージは
実は そういうものだったんですね。

玄白らのやったことは

日本語に翻訳するということに
とどまったかもしれません。

しかし それをベースにして
さらに これは

どういう意味があるんだろうということを
考えていく。

その積み重ねが 江戸時代の医学 解剖学を
さらに発展させていって

明治期になって 西洋医学が
急速に入ってくるときにも

日本人は それに対応することができた。

その出発点 原点を作ってくれたのが
良沢 玄白だと思います。

壁は それだけではなかった。
翻訳とは全く別の問題があった。

当時 幕府は西洋の書物に対し
厳しい検閲の目を光らせていた。

内容次第では出版を禁じられ
おとがめを受ける危険も十分にあった。

そこで玄白は 幕府の奥医師 桂川甫周を
早くから翻訳の一員に迎え

自分たちの翻訳が
幕府のおとがめを受けないための

事前のチェック体制を整えた。

さらに 翻訳を始めて2年後
玄白は 江戸の ある版元から

「解体新書」の出版を予告する
宣伝広告を打った。

そこには
日本人絵師によって模写された

「ターヘル・アナトミア」の解剖図や

漢方では いまだに発見されていない

人体の真実があると

センセーショナルな注釈をつけた。

世間の期待感を
あおるものだったが

幕府や漢方医たちの反応を
事前に探ることが 玄白の ねらいだった。

そして この広告に対する
幕府からのおとがめはなかった。

「解体新書」の出版に向けた 万全の準備。

日本の医学を変えるときが近づいていた。

はい 「神経」という言葉を作ったのが
玄白たちだったとは

私は知らなかったんですけれど。
鹿島さんはフランス語を翻訳する中で

この日本語にはない概念に
当たったときって どんなことを…。

それはね 僕らの時代だと ちょうど
構造主義とか記号学っていうですね

全く それまでになかったものが
いっぱい入ってきたんでね

それで もう 翻訳するのにね
もう ほとんどノイローゼになって

でも まだ抽象用語は
僕なんかの段階になってくると

それでも なんとかできる。
一番 困るのがね

僕が 最初 フランス語 入ったときに

「スタンダード仏和辞典」っていうのが
あってね

そこで 教科書に出てくる
「クレープ」とかね

「マドレーヌ」っていうのを引いてもね。
ああ 食べ物系ね。 はいはい。

この… 辞書引くでしょ。
マドレーヌっていうのは

「小麦粉の溶いたものを
型に流し込んで作る」。

そういうふうなものしかないんですよ。

マルセル・プルーストのマドレーヌのね
有名なシーンが出てくるんだけど

そこを読むとね
マドレーヌというのは…

当時はね あるお菓子屋さん

上野にある お菓子屋さんが出してたね

カップケーキみたいのが
あったんですね。

だから ああいうもんだろうって
当たりをつけるんだけども

その 上野のお菓子屋さんの…
これが 何で官能的で…。

フフフ… そうですよね。
分かんないわけですよ。

官能的な食べ物って
何なんだっていうことですもんね。

うん そう。
翻訳って 例えば100冊読んで

1冊翻訳できるようになるぐらい
なんですよ。

例えば 単語の手触りとかね
そういうものが分かってこないと。

だから それが分かってない段階で
これを訳すというのはね 大変だ。

ただ 救いはですね 骨とか
内臓とか具体的なものが…

(鹿島)こう 図を見て いろいろな
自分たちの経験で まあ分かるっていう。

だから これが
この医学書であったということが

よかったのかも分からない。
あ~ 確かに。

漢方のですね
素養が役立ったっていうことも

大きいと思いますね。

当時は 漢文の素読をやっていて

漢字そのものを
文脈で覚えたわけですよね。

ですから 単語だけ覚えたのではなくて

文脈の中で
どういうふうに使われていたか。

これを知っていました。
だから 他の言語を学ぶときに

それが非常に役立ったと思います。

ここ 大事で
西洋のこと 翻訳してるけど

漢方の 中国の本を膨大に読んでるので

熟語が作れるんですよ。
ああ…。

「神経」ってやれるんですよ。
はい はい はい…。

一方で 玄白たちは
幕府の監視の目に対しても

非常にうまく対応していて。

私から見ると とにかく玄白は

プロデュース能力に
たけてるなという感じがするんですけど。

玄白たちが生きた時代っていうのは

吉宗の享保改革から田沼時代へと続く

比較的オープンなね
時代だったと思うんです。

自由な雰囲気っていうのは
多少あったと思いますけども。

しかし 認められているのは あくまでも
漢訳洋書の学習ということで。

さらに オープンといってもですね

西洋の文物に対する幕府の監視は
もう一貫して流れていますから

常に見張りがいるわけですよね。

ですから オープンな田沼時代とはいえ

気を緩めてはいけないという
警戒心がですね

やはり 玄白には
あったというふうに思います。

ですから 会読グループにですね

幕府の奥医師の桂川甫周を入れたのも

幕府の内情を知りたいということだったと
思いますね。

玄白という人は 本当にアイデアマンだと
私は思います。

あと ただ怖いのは

漢方医が西洋のほうがいいから
僕 あっちのほうをやろうかな

西洋医に転向しようかな
みたいなことになると

幕府には 多紀という
ものすごい漢方の権威がいるから

弾圧にきますよね。

だから 玄白が
やろうとしたことっていうのは

医学の もう 出島っていうのかね。

西洋式で…
俺たちは この島の中でやるから

その間は お目こぼししてくれよと。

まず 医学の出島を築くという
この作戦に出てるわけですよ。

杉田玄白っていう人は
この「解体新書」を出そうというのは

実は 大目標ではなかったんではないかと
僕は思うんです。

「解体新書」の絵を
出せればいいと思ってた。

で もし 願わくば 本も出せればいいと。

つまり 「解体新書」の絵のところに
関するところさえ正確であればいいと。

なぜならば
それは結局 そうしたことを出すことで

「解体新書」の図が 日本中に広がる。

そうすると 日本の医療の質が
底上げになるっていうことを

確信してたんだと思います。

ですから パイロット版を出せた時点で

すでに 恐らく
半分は目的を達していたと僕は思います。

さまざまな壁を乗り越え
「解体新書」の出版へと突き進む玄白。

しかし その先に
大きな選択が待っていました。

好奇心を かきたててやまない
西洋の医学。

晩年 玄白は 当時をこう振り返っている。

「解体新書」の出版を目指し 突き進む玄白。

しかし ここで新たな問題に直面する。

解剖図を克明に描く銅版技術が
日本には なかった。

使えるのは
浮世絵や錦絵などの木版技術だけ。

ここで玄白を助けたのが
友人 平賀源内から紹介された

一人の絵師だった。

後に日本の西洋画の出発点

秋田蘭画を作り上げる…

平賀源内から 西洋画の
手ほどきを受けていた小田野は

「ターヘル・アナトミア」の解剖図を
見るなり

その見事な表現に心を動かされた。

小田野は玄白の依頼を承諾。

僅か半年の間に
次々と模写を完成させていった。

その熱意を物語る証しが残されている。

こちらは1685年
ビドローによって描かれました

「105図の人体解剖学」という
解剖の本になります。

ちょうど隣に
「解体新書」がありますけれども

恐らく このビドローの解剖の図を見て

こちらの図譜を描いたのではないかな
というふうに考えられております。

指先の動きをつかさどる 筋肉と腱。

実は この絵は 玄白と小田野が

「ターヘル・アナトミア」とは別の
西洋の医学書を参考に描いたものだ。

この絵を描いた小田野直武が

やはり ほかの参考図書も見て
これは必要だろうと思って

描きたいという信念から描いたというのも
一つ 思いとしてはあるのかなと。

やはり この当時は限られたものしかない。

その中で より完成度の高い解剖書を

作り上げようという熱意 情熱が

ここまで持ってったんじゃないのかなと

私は思うんですね。

「一冊翻訳しただけでは
十分とはいえない。

日本独自の医学書を作ろう」という
なみなみならぬ覚悟が

玄白たちを突き動かしていた。

しかし そこに
最後にして最大の壁が立ちはだかった。

共に翻訳を進めてきた 前野良沢である。

良沢は
「解体新書」の出版に反対していたのだ。

周囲から「蘭化」

オランダの化け物と呼ばれ
翻訳に強い執念を持っていた良沢。

ふだんは人にも会わず
ひたすら語学を学んだ良沢は

オランダの 博物学や地理書の本にも
目を通し

正確な翻訳に心を砕いていた。

そんな良沢にとって
「ターヘル・アナトミア」の翻訳は

まだ完璧とはいえないもの。

臆測で訳した所もあったことから
誤訳の可能性も十分にあった。

科学者にとってですね
物事を正確に記述するということは

とても一番大切なことではあるんですね。

ただ そこを完璧にやろうとすると
いつまでたっても

それが完成しないということも
よく経験します。

「解体新書」が持っている
大きなインパクトというものを理解して

それを完璧なものになるまで待つ
ということを選ぶか?

それとも 多少の問題点を抱えてる
ということが分かっていても

それを 早く世に届くことを選ぶか?

正確な翻訳を終えるまで出版を待つか?

拙速であろうと
世に広めるため出版を急ぐのか?

玄白は選択を迫られていた。

小田野直武が描いた手の解剖図。

あれは 随分 細かくて美しかったですね。
きれいでしたね!

本当に 木版で
あれが再現できるんですよね。

この精密な解剖図が なぜ出来るか
僕 ちょっと考えると

日本の やっぱり 木版の技術が高くて。

変な話ですけど 日本って… 浮世絵や
あるいは 春画がありますよね。

人間を裸にしたときにしか見えない
毛の線が一番難しいんだそうですけど

あれも彫っちゃう技術が
やっぱり あるので

春画の どっかの毛とかの技術を
あれに転用できるんですよ。

どっかの毛?
そう どっかの毛。

いや だから やっぱり
それ 江戸文明ですね。

ちょっと笑っちゃうんだけど…。
いや でも そんなとこ ありますよね。

はい では それではゲストの皆さんにも
伺っていきましょう。

正確な翻訳を終えてから
「解体新書」を出版するのか?

それとも 未完成であっても
出版すべきなのか?

皆さんが玄白の立場だったら
どちらを選択しますか? 岩下さん。

そうですね。 やっぱり2の
「一刻も早く出版する」を選択します。

なぜならば やっぱり学問には
完璧というものはないと。

不完全だからこそ学問であり

学問の世界に絶対はないというふうに
思います。

だからこそ 今後の課題という形で

みんな最後のほうに
課題を必ず書きますね。

やはり限界を知ることが
学問なのではないか。

だからこそ 自分の限界はここだから
一刻も早く出版して

ほかの人たちと議論したい。
だから 2です。

(鹿島)僕も2ですね。
はい。

というのは
正確さ 完璧さを期していると

たぶん 一生 出ないんですよ。

一生ものすごい知識と
そういうのを持っていながら

ついに一冊も本を書かなかった
知られざる傑作みたいなね

そういう主人公みたいな人を
何人か知ってますから。

それから もう一つあって
翻訳っていうのは

タイミングが いかに必要か。
つまり 最も それが

求められている瞬間に
それを出すべきなんです。

第一 もし このね 1を選んだら
玄白たちは

翻訳に着手できなかったはずですよ。

そもそも?
(鹿島)そもそも。

いや 僕も 2ですね。
はい。

もう間違えてたら
改訂版 出せばいいじゃないかと。

最初に出すのが すごい大変なんで
そこさえ乗り越えておけば

改訂版は たぶん禁止できない。

先ほど
お二方の先生が おっしゃったように

学問に終着点はない。

だから
その時点での完成品を出すというのは

学者としても正しい姿勢じゃないのかなと
僕は思います。 特に医学の場合は はい。

さあ お三方とも
「一刻も早く出版する」を選びましたが。

いや ところがね 僕もね
一応 古文書解読 翻訳を

やっているほうですからね
どうしてもね 間違いがあると思ったら

納得できないところがあるんで
僕は選択の1

もう「正確な翻訳を待つ」にしちゃいます。

いや 分かるんですよ。 世の中のためには
早く出したほうがいいんですよ。

でもね 毎日寝られないですよ
それやったら。

やっぱ 本はね 僕は
飛行機と同じもんだと思っていて

一回 外へ出版して出しちゃったら
独り歩きするんですよ。

で しかも それにのっとって
お客さんが乗るんで

もし 自分が
部品を間違えて取り付けたやつで

落ちたらどうしようぐらいに
なるんですよ。

なのでね もう やっぱり誤訳は
人の命に関わると思っちゃったりして

あれだから
もうお願いだから待ってくれと。

(鹿島)ただね あの
早く出版しよう 翻訳しようとすると

必ず誤訳します。
あ~。

誤訳というのはね 翻訳するスピードに
かなりですね 正比例して増えてくる。

ちなみに 海堂さん 選択の1は
医学的には ありえないことなんですか?

いや あの… まさにメンタルの問題で

医学というのは この2つの両輪
だから良沢と玄白の両輪で進んできたと。

だから 磯田先生みたいな方は
絶対に必要で

そういう人が 実は 医学の正確性とかを
担保しているんですね。

ただ 残念ながら
そういう方って目立たないので。

目立っちゃってるけど 僕は…
とか言って。 すみません。

ちょっとおかしいんですけど。
フフフ…。

ただ 本当に そういう方は
地道に学問を支えている。

つまり あの そこはですね
みんなリスペクトはしてるんですが

やっぱり こういう選択肢を示されるとね
2にならざるをえない。

そこで1を選ばれた磯田さんは
やはり 古文書学者かなと。

実は 無理やり連れ出されてるだけで
メンタルは完全に古文書学者なんですよ。

さあ それでは
玄白の決断を ご覧いただきます。

翻訳を始めて3年がたった 安永3年。

日本初の本格的な西洋医学の翻訳書
「解体新書」が

ついに世に出ることとなった。

玄白は 出版する道を選んだのである。

全5巻のうち 1巻は小田野直武が描いた
木版による解剖図で埋め尽くされ

「かつてない医学書の登場」と

各地の医者や知識人たちの間で
話題となった。

その一方 良沢の不安も的中した。

出版直後 長崎のオランダ通詞からは
「解体新書」の翻訳には誤りがあると指摘。

漢方医たちからも
日本の医学の伝統を侮辱していると

激しい批判が わき上がった。

しかし 玄白は屈しなかった。

反論した文章が残っている。

「解体新書」の出版から31年後の 文化2年。

玄白の弟子が出した この医学書では

病の治療に役立つ
西洋の病理学や生理学を紹介。

日本初の銅版画の解剖図も掲載し

日本人が より精緻で立体的な
人体の構造を知る時代が到来した。

医学への関心は大衆にも広まった。

これは 「解体新書」出版後の
文化文政年間に人気を集めた錦絵。

朝昼晩と飲み食いしたあと
体の中の内臓では どんなことが起こり

それぞれの臓器は
どんな役割を果たしているのか。

無数の小人たちを使った愉快な表現で

健康であるには
まず自分の体の中をよく知ることだと

日々の暮らしの養生訓として
医学は普及した。

そして 「解体新書」の影響力は
ついに農村にまで及んだ。

長野県の旧家に 江戸時代から伝わる
興味深いものが残されていた。

(青木)
これはね 「解体人形」といわれます。

「解体新書」の
「解体」と「人形」っていうことなんですが

ここの骨の部分は
桐の木を削って作ってあります。

それから これらは
和紙を うまく重ねて作ってあります。

江戸時代
今の長野県 佐久に暮らした有力農民

小林文素が作り上げた解体人形。

その精巧さは驚くべきもので

人体の おもだった骨格と内臓が
木と和紙 針金を使って作られ

位置や形も
実際の人体と ほぼ同じになっている。

頭蓋骨の中には 和紙を固めて作った脳が
しっかりと収まっていた。

腸と生殖器は 男性 女性に分かれ

人形一体で 男女の体の違いも
分かるようになっていた。

さらに…。

(青木)なかなか出たがらないんですよ
男の手じゃ… はい。

子宮から出てきたのは

妊娠8か月ごろとみられる
胎児の人形。

おなかの中にいる胎児は
頭を下に向けて

子宮に収まっていることも

正確に表現していた。

農民である文素が
なぜ ここまで精巧な人形を作ったのか?

残された覚書によると
文素が この人形を作ったのは

「解体新書」の出版から
およそ50年がたった 文政4年から5年。

きっかけは 玄白の「解体新書」を
見たことにあると記されていた。

地元の寺子屋で
子どもたちに 読み書きを教える

教養の持ち主でもあった文素。

詳細な記録はないものの
「解体新書」に触発された文素は

子どもたちの教育や
医学を知らない農民たちの啓蒙のために

この人形を作ったと考えられている。

文化14年 玄白は85歳で世を去った。

晩年にしたためた回想録を
こんな言葉で締めくくっている。

解体人形
とても興味深いですね あれは。

解体人形の西洋版は
いっぱいあるんですよ。

そういう一つの
もう ジャンルが出来てるぐらいで。

…なんですけれども それにしても
同じようなものを作るっていう

日本の あれは… 知識の高さっていうのは
すごいですよね。

全国各地に 実は同じようなものが
僕は あったというふうに思います。

それにしても 日本のね
農村の民度の高さというか

知識力というか 文化力というか
レベルの高さは

近代が もう 何か
足音が聞こえてくるなみたいな

そんなイメージを
私は あの人形から感じますけどね。

僕 杉田から日本人は 文化から文明へ
移ったかもと思うんですよね。

いくつか特徴があって

それは まず担い手が…
さっきみたいにですよ。

庶民が やるんですよ。

権力者じゃなくて 庶民が これを進める。

あと宗教とかより 現実物を進める。

あと 東洋ばかりでなくて西洋に憧れだす。

それ考えてみたら
今の日本人の行動パターンって

わりと ず~っと杉田さんの この時代から
つながってるもので。

そして 玄白は 完璧な翻訳を待つよりも

一刻も早く 「解体新書」を出版する道を
選びましたが

海堂さんは玄白の選択 どう思いますか?

医者には 患者を治すという側面と

もう一つ
国を癒やす国手という面があって。

そういう面で言うと

正しい知識を布教するということが
国のためになると。

それは
「国というのは市民のものだ」という

わりと今の民主主義に通じるような考えを
持っていたような感じを受けます。

たぶん ここから日本の文化が始まった
文明が始まったのではないかという説は

本当に正しいんじゃないかと思いました。

あと やっぱ急いでね 僕も さっき
あんなこと言っちゃったけど

急いだの よかったですよ。

これ もし この機会を あれしたら…

田沼政権が終わり
天保まで入っちゃったら

その次の… ったら
もう出版の大規制が始まるんで。

ここまで ずれて 日本の国内で

洋学 オランダ学が
広がってなかったら

ペリーやって来たときに
もう 手 上げたと思うんですよ。

だから 急いでくれて
ひょっとしたら… よかった。

幕末の… 西洋の軍事力に
脅かされるときの準備っていうのは

まだ 田沼のにおいがあるうちに

まだ 規制緩和が…
思想に対する規制緩和があるうちに

これは 翻訳書が出て
広げられたっていうのは よかった。

足踏みしていたら もしかしたら
もっと遅れていた可能性がある?

足踏みしてたら もっと あんな出版や

思想の大統制が
始まる時代になったら

これ 出せるものじゃないかもしれない
ひょっとすると。

まさにベストタイミングだったんですね。

岩下さん 「解体新書」の冒頭部分に
注目されてると聞いてるんですけど。

(岩下)そうですね。

実は 玄白の なみなみならぬ決意が
うかがわれる場所なんです。

本来ならば 名前が最初に載るべき

良沢の名前がないわけですね。

実は 良沢は名前を載せることを
辞退したわけです。

自分は功名のために
やってるんじゃないから

名前を載せることを辞退すると。

で 翻訳したのは
「譯」と書いてあるのは

これ 玄白一人に
なってますね。

こういうふうに 最初の所に
書いたっていうことは

すべて 自分が責任を負うというか
そういう宣言ではないか

そういう決意の表れではないかなと
思うわけですね。

つまり 何か 事が起きたとき

つまり 幕府からのプレッシャーなどが
かかったときにですね

良沢に累が及ばないようにという
配慮もあったのではないか。

さらに 4人の名前の上に
「日本」とありますよね。

はい ありますね。
(岩下)国籍を こう表記してます。

この… まあ やはり
これは「日本の著作なんだ」と。

わざわざ 断っているわけですよね。

だから ゆくゆくは
中国や朝鮮などの漢字文化圏にですね

「解体新書」を
輸出しようとしたのではないかと。

結局 自分たちが学んできた
中国医学はですね

不確実な部分があって。

「西洋医学の実証性を
学ぶべきではないですか?」と

中国に対しても
そういうふうに問いかけをしようと。

そういう意識の表れですね。

やはり その 医学の基本の解剖学を

きちんと正確に
この時代に著したということは

本当に すばらしい業績だったと思います。

ただ それには
やはり 時代的背景があったことと

ここに「日本」っていう… 記した
その視野の広さは

たぶん 平賀源内辺りとの交友が
大きく影響したんじゃないかと。

つまり 医師というものが 自分の…

こういうことが できたのではないかと。

その意味でいうと
まさに この時代の文化の代表であり

それが医学という
分かりやすい形で結実したのは

本当に時を得た人選だったんじゃないかな
と思います。

鹿島さんは いかがですか?
えっと やっぱりですね

翻訳ということの意義っていうのを
改めて感じますね。

というのは まあ 今 若い人 みんな

どんどん 英語できるようになったり
外国語できるようになってますけれども

これ 僕なんかの大先輩にあたる
辰野 隆先生がですね…。

はいはい フランス文学の。
ええ。

…って言ってるんですね。

つまり 外国語を外国語として
読んでいる段階と

日本語に落として ようやく
分かったというふうになることが

非常に多いんだと。
いくら自動翻訳がね

え~… なっても 私は日本語

もとの国の言葉を話す人間が
外国語を学んでやるっていうことは

いかに大切かっていうことが
分かりますね。

自動翻訳じゃ駄目ですか?

自動翻訳では いくら精巧になって…
まあ かなり精巧になると思いますよ。

しかし それでは やはり日本語として

受け入れられないっていう部分は
あるんですよね。

日本語というものは
意味だけではなくて

例えば 音韻とか 文脈のですね
「てにをは」とか

そういうものも 全部 重要なんですよ。

同じことを言っても
ある人が翻訳したほうが

はるかに「あっ」と分かるということは
あるし。

確かに。 う~ん…。

さあ 今日「解体新書」見てきましたけど。

やっぱ 本当に この250年前の
「チーム解体新書」っていうのが

英雄だなというのは思いましたね。

だから 最初に思ったことですよね。

すごい反省もしたんですよ。

「人体を正しく なぜ知らないままで

日本人はきたのか」っていうことも

やっぱり 考えなきゃいけなかったと。

で それで すごい僕が思うのは

よく この番組でも
日本刀やりましたけど… 日本の刀。

人体を割る道具は
世界最高のものを作ってるわけですよ。

だけど 割ったあとの死体を観察して

どこの世の中の社会よりも

最高レベルの解剖図が作れなかった
ってことは

日本人の性質として やっぱり
よく考えなきゃいけないんじゃないかと。

学問の体系のもと自体は

ひょっとしたら 昔は中国から
今度は 西洋からで。

自分たちで作らずに
外の学問の体系に

合わせるようなことばっかり
サイエンスで

ひょっとしたら やってきたのが
日本人かもしれず。

だから そういうことも考えつつ

あの~… いろんなことを考えさせられた
今回だったと思いました。

本当 そうですね。
受け入れだけでは駄目ですよね。 うん。

さあ 皆さん 今日は
ありがとうございました。


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