天皇 運命の物語 第3話「象徴 果てなき道」天皇陛下に即位されてからの歳月に焦点を当て、象徴のあり方を模索し続けてきた…


出典:『天皇 運命の物語 第3話「象徴 果てなき道」』の番組情報(EPGから引用)


天皇 運命の物語 第3話「象徴 果てなき道」[字]


天皇陛下が歩まれた人生を、秘蔵映像と証言でつづるシリーズ。第3話は、天皇陛下に即位されてからの歳月に焦点を当て、象徴のあり方を模索し続けてきた激動の日々を描く。


詳細情報

番組内容

シリーズで放送する「天皇 運命の物語」。第3話は、天皇陛下が即位されてからの歳月を、秘蔵映像と側近などの証言で描く。歴代天皇として初となる中国訪問にかけた思いとは?被災地訪問や“慰霊の旅”の舞台裏で何が?そして日本中が驚いた“生前退位”。前例のない決断の背景に、どのようなやりとりがあったのか?即位されて以来、一貫して「象徴としてのあり方」を模索してきた天皇陛下。その知られざる苦闘の旅を描く。

出演者

【語り】山根基世




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天皇 運命の物語 第3話「象徴 果てなき道」天皇陛下に即位され
  1. 天皇陛下
  2. 天皇
  3. 訪問
  4. 象徴
  5. 国民
  6. 中国
  7. 慰霊
  8. 退位
  9. 平成
  10. 意向
  11. 会合
  12. 当時
  13. 昭和天皇
  14. 戦争
  15. 中国訪問
  16. 宮内庁
  17. 現地
  18. 皇室
  19. 川島
  20. 側近


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新しい元号は 「平成」であります。

敗戦国の皇太子として

苦難の日々を過ごした 少年時代。

激動の戦後日本に向き合い続けた
青年時代。

そして 時代は平成へ。

「天皇 運命の物語」。

第3話は 象徴とは何か
問い続けられた 天皇陛下の30年。

挑戦と苦悩の日々を 側近たちが語った。

日本中が驚いた 退位の意向。

決断までの舞台裏が 明らかになった。

♬~

物語は 父の死から始まる。

昭和天皇の崩御から 3時間余り

皇位の証を受け継ぐ
剣璽等承継の儀に臨まれた。

天皇陛下はこの時 55歳だった。

憲法で 天皇は国と
国民統合の象徴と定められている。

法律の公布など 国事行為以外に
決められた務めはない。

戦前 君主であり
神聖な存在だった 昭和天皇。

一方 初めて 象徴として
即位された 天皇陛下。

新しい時代に 天皇はどうあるべきか。

模索が始まった。

当時 天皇陛下は
どんなことを考えられていたのか。

それを知る人がいる。
手塚英臣さん。

皇太子時代から 20年余り側近を務めた。

テレビカメラの前で
証言するのは 初めてのことだ。

天皇陛下の発想の転換。
その一つが目線の高さだ。

例えば 車。

天皇陛下が選ばれたのは

昭和天皇と比べ 座席の高さが

20cm余り低いものだった。

この僅かな差に
国民との距離を縮めたいという

願いが 込められていた。

人に会い 話に耳を傾け
心を寄せることを大切にされた。

どうも ご苦労さま。

これこそが 象徴の大切な務めと
考えられたからだ。

国民に語りかけられる
おことばも大きく変わった。

平成5年
天皇に即位されて 初めての沖縄。

皇太子時代にも 5回訪れ

思いを寄せ続けられてきた。

戦没者の遺族を前にしての おことば。

みずからの思いを
6分間 原稿を持たずに述べられた。

♬~

天皇陛下は 皇室に対するイメージを

大きく変えられた。

♬~

じゃんけんぽい! あっ 勝っちゃった!

(拍手)

国民との触れ合いを大切にされた。

さよなら。
さよなら。

こうしたスタイルは
一方で反発も生んだ。

このころ 皇室を批判する記事が

雑誌に度々掲載された。

昭和天皇の時代との違いに
宮内庁の職員たちも

戸惑いを覚えていたという。

平成4年
中国の万里の長城で撮影された写真だ。

歴代天皇で初めての中国訪問。

象徴としての役割が問われる旅となった。

この9か月前
メディアが中国訪問の計画を報じた。

国交正常化20年を機とした
中国からの要請に

日本政府が応じたというのだ。

中国にとって 天皇の訪問は
長年の悲願だった。

日中平和友好条約の締結後

最高実力者 小平は

昭和天皇に訪問を要請したが

かなわなかった。

中国外務省で
天皇訪中に関わった徐敦信さん。

新しい天皇の訪問は
中国国内でも受け入れられると見ていた。

しかし
日本国内では 反対の声が上がった。

天皇陛下が過去の戦争について

謝罪を求められるのではないかとの
懸念があった。

(銃声)

中国政府への不信感もあった。

この3年前 民主化を求める運動を

武力で鎮圧した天安門事件により

中国は国際社会から孤立していたのだ。

当時 反対運動の中心にいた
國學院大学名誉教授の大原康男さん。

中国訪問には
政治的な課題が多すぎると考えていた。

反対論がくすぶる中
政府は 中国訪問を正式決定した。

天皇陛下は
どんな思いで臨まれようとしていたのか。

訪問直前 天皇陛下は
お住まいに ある人物を招かれた。

駐日大使の楊振亜さん。

この時の様子を回想録に記している。

中国の人々の暮らしぶりなどに
関心を示された天皇陛下。

訪問にかける意気込みを
こう語られたという。

内閣官房副長官を務めていた
石原信雄さん。

当時の天皇陛下の思いを こう語る。

歴史上初めて 天皇が

中国の地を踏んだ。

最高レベルの警戒態勢を敷いていた
中国政府。

天皇陛下の車列は厳重に警備されながら

北京の街を走り抜けていった。

夜 早速 大きな山場を迎える。

天皇皇后両陛下が
こちらに到着いたしますと

楊尚昆国家主席ほか 中国側の要人が
出迎えにまいります。

天皇陛下のおことばに
注目が集まっていた。

(拍手)

天皇陛下は 少年時代のエピソードから
語り始められた。

そして 戦争について述べられた。

(拍手)

♬~

この訪問に同行した

元外務省アジア局長の池田 維さん。

会場の雰囲気に安堵した。

中国を訪れる要人が案内される
万里の長城。

ここでも天皇陛下の行動は

強い印象を残した。

♬~

天皇陛下には
この旅で実現したいことがあった。

中国の一般市民と交流を図りたい。

上海郊外の一軒の農家を訪ねられた。

私たちは 当時 天皇陛下と話をした

朱海良さんに会うことができた。

日本の軍国主義について
教育を受けてきた朱さん。

それまで 天皇には
怖いイメージを持っていたという。

作物の収穫や家族のこと。

会話は弾み
予定の時間を15分もオーバーした。

あれから27年。

見渡す限りの水田は
ビルや工場に姿を変えた。

しかし 天皇陛下と
言葉を交わした時の思い出は

今も朱さんの心に残っている。

(拍手)

国内で賛否が分かれた中での中国訪問。

元外務省の池田さんは

後に天皇陛下の思いを聞いたという。

今年1月 新年の宮中行事

歌会始で詠み上げられた
天皇陛下の歌。

阪神・淡路大震災の被災者から贈られた
ひまわりの種が

御所の庭で成長していくさまを
詠まれたものだ。

当時 戦後最悪といわれた大震災。

天皇陛下にとって大きな試練だった。

それは 突然の出来事だった。

犠牲者 6, 434人。 未曽有の大災害。

象徴として何ができるのか。

天皇陛下は 一つの決意を固められた。

できるだけ早く

被災した人々のもとを訪ねたい。

現地との調整を指示された。

兵庫県との協議で
訪問は 1月31日に決定。

災害発生から 僅か2週間。

訪問にあたり 天皇陛下が
特に意識されていたことがある。

復旧活動が続く現地に

なるべく
負担をかけないようにすることだった。

当時 訪問の準備に当たった
坂東自朗さん。

被災地に随行する人数を
僅か5人に絞った。

一方の兵庫県。

知事の秘書だった
齋藤富雄さんは

受け入れ態勢を作るよう
命じられた。

訪問の1週間前のことだった。

齋藤さんは 1年前
全国植樹祭の準備を経験していた。

両陛下を迎えることの重大さが

身にしみていた。

復旧活動を妨げてはならない。

齋藤さんは 宮内庁に異例の提案をした。

1月31日 午前10時前。

天皇陛下を迎えた齋藤さんは 驚いた。

タートルネックのセーターにジャンパー。

これまで見たことのない
天皇陛下の姿だった。

遠い所から
ありがとうございます。

心身の疲れがピークに達した

被災者のもとへ。

歩み寄り 膝をつき
悲しみや苦しみに寄り添う。

どうも ありがとうございます。

ありがとうございます おかげさまで。

日没ギリギリまで現地にとどまり
被災者に向き合われた。

どんな時も国民と共にある。

天皇陛下の目指される象徴の在り方が
はっきりと形づくられた。

♬~

♬~

去年12月 天皇として最後の記者会見。

語られたのは 一貫して抱き続けてきた
平和への思いだった。

幼い頃 戦争がもたらす悲劇を
目の当たりにされた天皇陛下。

この記憶を忘れてはいけないと
心に誓われてきた。

戦後50年。

天皇陛下は 慰霊の旅を始められる。

激しい地上戦が行われた沖縄。

原爆で多くの犠牲者が出た

広島 長崎。

そして 大空襲を受けた東京で
祈りをささげられた。

慰霊の旅への思いは 更に広がる。

天皇陛下は
太平洋の島々を訪れたいと考えられた。

天皇の名のもとで行われた戦争で

本土防衛の要として

アメリカ軍と
激しい戦闘が行われた場所だ。

10年半にわたり
侍従長を務めた渡辺 允さん。

天皇陛下の
慰霊の旅への思いを聞いていた。

慰霊のために外国を訪問されるのは
初めてのことだった。

どの島なら訪問できるか。

数年にわたる検討の末
サイパンに決まった。

サイパンでは
5万5千人以上の日本人が

犠牲になっている。

戦後60年を迎えた 平成17年6月。

天皇陛下は 元日本兵と面会された。

どのように激戦を生き延びたのか。

戦友が どのように死んでいったのか。

話に耳を傾けられた。

バンザイ・クリフ。

追い詰められた日本人が

「天皇陛下万歳」と叫びながら
ここで 身を投げた。

悲劇が二度と起きないように。

天皇陛下は 静かに頭を下げられた。

そして 次に向かわれた場所。

そこは 韓国出身者の慰霊碑。

深く 一礼された。

事前には
公表されていなかった。

訪問に同行した 川島 裕さん。

この慰霊は
天皇陛下の希望だったという。

現地の人々や

アメリカ兵の慰霊碑にも向かわれた。

♬~(トランペット)

戦争による犠牲は
日本人だけに とどまらない。

すべての人を慰霊したいという
メッセージだった。

♬~(トランペット)

天皇陛下にとって
慰霊の旅とは何だったのか。

川島さんは こう振り返る。

即位から20年。
天皇陛下は 75歳になられていた。

孫の悠仁さまと
団らんの ひとときを過ごされた天皇陛下。

このころ
老いや病と
向き合われていた。

この6年前 天皇陛下は
前立腺がんの摘出手術を受けられた。

その後も 薬による治療が続けられた。

副作用で骨がもろくなり

骨粗しょう症になるリスクが

指摘されていた。

健康でなければ
象徴の務めを果たすことはできない。

運動や生活面の見直し。

雨の日も欠かさず励まれた。

このころ 宮内庁は 天皇陛下に
公務の大幅な削減を提案していた。

しかし 天皇陛下は
その多くを拒まれた。

平成22年 夏。 大きな衝撃が走った。

御所の応接室に 両陛下をはじめ

側近や 皇室の相談役である

参与が集まった。

皇室に関する事柄などについて

意見を交わす会合。

月に1回程度
開かれていた。

その冒頭 天皇陛下が切り出された。

突然の退位の意向。

後に 国民が知る
6年前のことだった。

会合に出席していた
元参与の三谷太一郎さん。

その内幕を明かしてくれた。

皇室制度を定めた皇室典範に
天皇の退位に関する規定はない。

天皇陛下の提案に
出席者は翻意を促した。

しかし 天皇陛下の決意は固かった。

更に 三谷さんは

天皇陛下の心の内を聞くことになる。

深夜 ようやく会合が終わり
天皇陛下は席を立たれた。

ところが 出口付近で向き直り
再び 退位の意向を話された。

そのあとも議論が続いたが
結論に至らなかった。

会合から8か月後。

(悲鳴)
やばい やばい やばい。

日本は 再び 大震災に襲われた。

皇居周辺も 大きく揺れた。

侍従長だった川島 裕さん。

天皇陛下のもとへ駆けつけた。

テレビに映し出されたのは

東北地方の沿岸が
巨大な津波にのまれる様子だった。

翌日 東京電力福島第一原発が爆発。

国民の不安は ピークに達していた。

平成の日本に起きた かつてない危機。

3月14日の夜。

御所で 側近や参与が集まる
会合が開かれた。

三谷さんは 部屋に入るなり驚いた。

被害の全容すらつかめず
すぐに被災地へ行くことは難しかった。

自分の思いだけでも
国民に伝えられないか。

地震発生から5日後。

テレビカメラを通じて 語りかけられた。

この時 川島さんは 天皇陛下から
ある指示を受けていた。

震災発生から およそ50日。

東北の被災地へのお見舞いが実現した。

大丈夫です。

原発事故の避難者がいる 東京 埼玉。

関東の被災地。

そして
東北へ。

77歳の
天皇陛下。

お見舞いは

7週連続に
及んだ。

天皇陛下が 退位の意向を口にされた
あの会合から5年。

戦後70年 節目の全国戦没者追悼式に
臨まれた時のことだった。

中央に進み 一礼された そのあと。

(司会)「ただいまから
正午の時報を合図に

戦没者に黙とうをささげます」。

(時報)

予定では
おことばは 黙とうのあとだった。

この時 天皇陛下は 81歳になられていた。

そして…。

天皇陛下が
天皇の位を 生前に皇太子さまに譲る

生前退位の意向を 宮内庁の関係者に

示されていることが分かりました。

退位の意向を国民が知ることになった。

20年余り 天皇陛下に仕えた
手塚英臣さん。

天皇になるという運命。

終わりのない象徴の模索。

自分は
何をすべきか

全身全霊で 向き合われてきた。

♬~

象徴 そのバトンは
次の世代に引き継がれる。

(歓声)

天皇陛下 85歳。

象徴の一つの在り方を刻み 退位される。

お元気で~!

♬~


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