英雄たちの選択「細川ガラシャ 戦国に散った麗人の真実」戦国時代きっての美女といわれた細川ガラシャ。歴史に翻弄された人生…


出典:『英雄たちの選択「細川ガラシャ 戦国に散った麗人の真実」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「細川ガラシャ 戦国に散った麗人の真実」[字]


戦国時代きっての美女といわれた細川ガラシャ。歴史に翻弄された人生とその悲劇的な最期に、スポットをあてる。


詳細情報

番組内容

ガラシャは、織田信長の指示で、細川忠興に嫁いだ。彼女の運命を大きく変えたのは、父・光秀が信長を襲った本能寺の変。謀反人の娘として、京都北部の山里に幽閉される。いったん許されるが、関ヶ原の合戦の直前、石田三成から、人質として大坂城に入ることを要請された。夫・忠興の言いつけを守り、自害するか?キリスト教に帰依していたガラシャに迫られた選択とは?

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】大澤真幸,中野信子,橋本麻里,【語り】松重豊




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英雄たちの選択「細川ガラシャ 戦国に散った麗人の真実」
  1. 玉子
  2. ガラシャ
  3. 忠興
  4. 細川家
  5. キリスト教
  6. 自分
  7. 選択
  8. 時代
  9. 自害
  10. 信長
  11. 秀吉
  12. 彼女
  13. 立場
  14. 女性
  15. お父さん
  16. キリシタン
  17. 意味
  18. 大坂
  19. 細川ガラシャ
  20. 状況


『英雄たちの選択「細川ガラシャ 戦国に散った麗人の真実」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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大阪市中央区に そびえ立つ
純白の大聖堂。

荘厳な礼拝堂の正面には

聖母マリアが
日本画壇の重鎮 堂本印象によって

描かれている。

マリアの前に ひざまずく女性は

戦国時代きっての美女とうたわれた…

ガラシャは 織田信長を本能寺に討った
明智光秀の娘にして

乱世を生き抜いた細川忠興の
妻である。

豊臣秀吉 徳川家康の
天下取りに翻弄され

悲劇的な最期を遂げたガラシャ。

彼女が残した品々からは

その 類いまれな才能と
武家の妻としての気品が浮かび上がる。

戦国乱世の日本から海外に目を向ければ

そこは大航海時代。

南蛮渡来の先進文化が
続々と日本に押し寄せ

宣教師たちがもたらしたキリスト教は
庶民にまで広がった。

発掘された日本人キリシタンの遺体が
物語るものとは?

キリスト教に入信したガラシャに

過酷な運命が待ち受ける。

スタジオでは 時代に翻弄された

悲劇のヒロインの実像を読み解く。

ガラシャが 関ヶ原 最初の

戦死者だっていうことは
ぜひ 歴史上

覚えておいていただきたい。

結局 宗教の側も

彼女を
利用しているということを考えると

本当の救いは どこにあるんだろう?
っていうことを

やっぱり 思わざるをえないんですよね。

何か こう 悲劇の女性のような
雰囲気が あるんだけれども

この女性は
英雄だったんだなという見方が

できるんじゃないかなと思うんですね。

キリシタンとして 武家の妻として

歴史の渦に巻き込まれた細川ガラシャ
究極の選択に迫る!

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今回の主人公は
悲劇のヒロインとして有名な

細川ガラシャです。

この 細川ガラシャというのは
本名が 明智玉子で

来年の大河ドラマの主人公
明智光秀の娘ですよね。

そうですね。 光秀は 本能寺の変で
主君である織田信長を討った人物ですね。

その娘なんですよ
玉子さんはね。

信長 秀吉 家康と 3人の天下人と
関わりを持った人生ですね。

はい。 年表で
細川ガラシャの生きた時代を見ますと

本当に 信長の時代 秀吉の時代を生きて

関ヶ原の戦いにも関係してるんですよね。

実は 天下分け目の戦いにもですね

この お玉は深く関係しているんですね。

というものの この時代の女性なので
史料 少ない。

肖像画はない。 謎の多い人物。

美人だ 美人だって言われるんですけど

「いや そんなことはない」
って言う人もいるんですよ。
そうですか。

でも 僕は 当時の宣教師たちの記録に

「明智の家族というのは
ヨーロッパの王侯貴族みたいだ」って

書いてある記述があったりするので

まあ たぶん それ信じれば きっと…

磯田さんは美人だと思っている?
僕は美人説なんです。

そうなんですね。
でも 謎多き人物ということですが

その細川ガラシャ
波乱の人生が始まります。

織田信長の居城 安土城でのこと。

天下統一に まい進する信長は

重臣 明智光秀の娘を

細川藤孝の息子に嫁がせるよう命じた。

信長は 政権基盤確立のため
家臣たちを婚姻で結び付け

強大な結束を生み出そうとしていた。

光秀の娘…

後のガラシャ 12歳。

細川藤孝の嫡男 忠興も同い年だった。

信長の命令から4年後
16歳になった玉子は

細川忠興のもとへ輿入れした。

京都府長岡京市の青龍寺城。

玉子が嫁いだ細川家の
居城である。

陸の交通と水運の要衝に位置した
この城は

現在 その一部を
公園として整備されている。

城内には
玉子が嫁いだころから湧く井戸が残り

市民に愛されていた。

いただきます。

こんなん20本ぐらい持ってくる人
あるもの。

忠興のもとに嫁いだ玉子とは
一体 どんな女性だったのだろうか。

玉子の人となりをうかがわせるものは
東京にあった。

文京区の…

ここに 細川家に伝来する
数多くの歴史資料や

美術品が保存されている。

その中に 明智家から嫁いできた玉子を
しのばせるものが残されていた。

玉子が 夫 忠興のために
みずから織り

仕立てたと伝わる麻の服である。

背中は
半ばで縫い留められて 大きく開き

裾には まちが入り
ゆったりとした作りになっている。

防水効果がある柿渋で染められたとされ

雨の日の外出着として
工夫が凝らされている。

この露払から
玉子の思いが感じられると

永青文庫副館長の橋本麻里さんは言う。

明智家から嫁いできた玉にしてみれば

しゅうと しゅうとめに気に入られ
夫からも気に入られて…

…ということを考えれば

細川家で嫁としての立場を きちんと
作っていかなければいけない玉が

まあ そういう意味で…

玉子の高い教養を示すものも
伝わっている。

進物の品の飾り布などに使われた
ふくさ。

玉子自身の手で絹の薄布に
梅と うぐいすを描いたという。

橋本さんは 梅の枝の図案に注目する。

梅の枝の この 一旦 上がって
下がる描き方というのが

漢画を得意とした…
中国の水墨画を得意とした

こういった狩野派の絵画が
ありましたから

そういうものを目にする機会があって
で また それを自分の こう…。

本当に 玉子が描いたのだとすれば…

結婚からまもなく 一男一女をもうけた
玉子と忠興夫妻。

戦での功績も
目覚ましく

細川家は
信長から丹後国を与えられる。

晴れて 12万石の国持大名となった細川家。

玉子の未来も かげりはなかった。

ところが

玉子の人生を一変させる事件が起こった。

父 明智光秀が 突如 織田信長を襲う。

光秀は 娘 玉子の嫁ぎ先 細川家に
援軍を求めた。

羽柴秀吉ら
織田方の武将たちに

対抗するためだった。

しかし 細川藤孝 忠興親子は これを拒絶。

藤孝は 剃髪し 幽斎を名乗り
信長を弔う姿勢を見せる。

忠興は 怒りのあまり

光秀からの使者を
斬り殺さんばかりだったという。

援軍を得られないまま
光秀は秀吉との決戦に敗れ

あえない最期を遂げる。

そのほかの明智一族も

玉子を除き ほとんどが命を落とした。

細川家の嫁でありながら
謀反人の娘となった玉子は

人生最初の選択を迫られた。

細川家に嫁いだとはいえ 私は明智の娘。

武家に生まれたからには

謀反人の娘として生き恥をさらすよりも
自害すべきではないか。

いや しかし…。

このとき 玉子は
3人目の子どもを みごもっていた。

細川家の記録には 本能寺の変の直後

玉子に 夫 忠興が告げた言葉が
残されている。

忠興は
玉子を離縁して

三戸野と呼ばれた
山里に幽閉した。

京都府北部に位置する
京丹後市。

三戸野への険しい山道は人の往来を阻み

冬には人の背丈を超える雪が
行く手を遮る。

この要害の地で
玉子は切ない日々を送った。

♬~

中世から近世初期の女性史を研究する…

田端さんは
玉子を三戸野に送った細川家には

ある考えがあったと言う。

もし その…
まだ流動的な状況ですので

形勢が逆転して

織田家の残党ではなくて
明智家の味方のほうがですね

もう一度 増えたならば

流動的な状況の中で
玉子を生かしておくことこそ…。

この当時の人たちは
戦国時代の武将っていうのは

両天秤にかけて
うまく生き延びていくという方法が

一番よくとられたので

そういう思惑も あったんではないか
というふうに思います。

男たちの思惑によって
子どもたちと引き離された心境を

玉子は歌に残した。

…を貼られたために

そのつらさや怒りや そういうものも
あると思いますけれども…

…という意味もあったし

婚姻のときに
細川家 ついてきていますのでね

そのまま 侍女になったり
家臣になったりした人たちも多くて

そういう人たちを守るためにも

自分が ここで命を絶ったら

その人たちを守ってくれる人は
いるんだろうかと。

そこまで考えていたんではないかな
というふうに思います。

幽閉の翌年 玉子は 三戸野で男児を出産。

時に 数え21歳であった。

織田信長の命令で結婚させられた
玉子でしたが

けなげな嫁として
細川家に尽くしていました。 が…

本能寺の変で
大変な事態に陥ってしまったんですね。

もう 細川家としては このときね

玉子を離縁して ああやって移して
殺さずに幽閉しておくわけですね。

ひょっとしたら 明智 万に一つぐらい

天下 維持しちゃうかもしれない
ってときには…

だから たぶん隠したんでしょうね。
ああ…。

本日も さまざまなジャンルの専門家に
集まっていただきました。

VTRで橋本さんには
玉子が作ったと伝わるもの

露払ですとかを
紹介していただきましたけど

玉子は細川家にとって
どんな人物
だったんでしょうか?

ある意味
細川家にとっては

歴史上に輝くような人でも
あったんですけれども

それは
それとしてですね…

先ほど 最初のほうで 磯田さんが

「肖像画もないし」という話を
されていましたが

ほかの遺品も 先ほどご紹介した
露払や ふくさぐらいしか

実際のところ ないんですね。

その露払や ふくさにしても
細川の本家のほうではなくて

廃嫡された長男の家のほうに
もとは伝わったものなので

本家には
残ってないということにもなりますし。

どういうことなのか 後のキリシタンの
禁令が厳しくなったからなのか

ほかの理由があったのか
いずれにしても 何ていうんでしょう…。

あるような気がする。
息吹というかね 足取りは ちょっと

見えにくくなってるんですね。

脳科学者の中野信子さんは
謀反人の娘になった玉子の状態って

どんな心情だったと考えますか?

今 どうなるか
よく分からないような状態で

保険のために
つながりだけは
とっておこうと

宙ぶらりんのような形で

つながりを
続けていられるような。

幽閉されてる状態って
そういうことですよね…。

…というのは 議論の余地は
あまりないだろうと思います。

大澤さんは キリスト教に関連した著書も
多いんですが

明智玉子という人物は
どう捉えていらっしゃいますか?

この人の最大の出発点は

お父さんの この事件ですよね。

お父さんが
いってみれば

大犯罪人みたいなことに
なってるわけですけど

娘のほうとしてね
一番重要なのは

僕ね この人は でも 一生 お父さんを

尊敬してたというか…

だから そのことが一番 結局
この人の人生にとっては

大きな意味を持ったと僕は思いますね。

もう 日本中で 明智光秀と並ぶような
物知りはいなくて

信長の出世頭ですよ 家来の中では。

みんなの憧れの的が
一番やっちゃいけない主殺し。

だから 天から地まで落ちたと思いますよ
そりゃ。

それぐらい かなりの衝撃の謀反。

こちらを まず 皆さんに
ご覧いただきたいんですが。

研究者の間で 玉子の直筆と
考えられている手紙です。

明智で生き残った
数少ない親戚で

幼いころに面倒を見ていた

おいに送ったものと
いわれています。

いや これはうまい!

たくさん見てますけどね

宮様や公家さんの女性たちが書く書体と

その手紙の形式なんですけどね

これ 本物のお公家さんの娘より
うまいんじゃないかと思いますね。

あれ 線が かなりの筆速で
きれいな字で そのまま続いていくでしょ。

あれ なかなか難しくて
相当稽古してないと難しいんですよ。

いや もともと 明智家って そんなね…

足軽だって説もあれば 中間だって…。

荷物運びの武家奉公人だっていう説まで
あるような

お家の中で 子どものころから
訓練してないと こうはいかない。

しかも この内容が…。

「今 明智の親戚同士で
会ったりとかしてるよりは

まずは落ち着いて 心を静かにして

次の奉公先で一生懸命 頑張って
奉公を続けて

信用を得られるように
構えて 構えて

軽々しい行動は
するな」

というような感じの
手紙ですよ。

女性が
男の子に対して…

しかも ものすごい
美しい書体で書かれてるという。

ただ者じゃないです この人ね。
字も 書いてることも

美しいということなんですね。
ええ。

(大澤)この人ね だから すごい
ちゃんとした教育を受けてるんですよね。

時々あるんですよね。
ちょっとこう 極端に上昇志向が強いと

下層の階級なんだけれども

上の階級よりも もっと上の階級らしく
なってしまうっていうか。

ものすごく優雅なんで
すごい いいお育ちかなと思うと

実は
ちょっと低い階層だったりするんだけど。

現実以上に
すばらしい みたいなことになってて。

明智家の玉子さんは
そういう感じが ちょっとしますね。

幽閉されてしまった玉子ですけれど

このあと
さらなる困難が待ち受けています。

玉子の三戸野幽閉から2年。

信長のあとを受け
天下の実権を握った秀吉は

大坂に巨大な城を築きつつあった。

当代一の実力者となった秀吉から

忠興は玉子との復縁を許される。

父 光秀を討った秀吉の許しで

玉子は 大坂城下の細川邸に
正室として返り咲いた。

このころの逸話が残されている。

秀吉が 美貌で知られた玉子との面会を
望んだ際に

玉子は こう言ったというのだ。

秀吉は父の敵。 殺されても
出ていくことはありません。

それでも
強いてということなら

懐剣で刺し殺し
復讐いたします。

気丈にふるまう玉子だったが
忠興は彼女を厳しく監視した。

それは 嫉妬とも 旧織田勢から
守るためだったとも考えられている。

玉子自身は 謀反人の娘という
世間の目にも苦しみ

精神に変調を来すほどだったという。

細川忠興の嫡男を…
次男を産んでいるということから

細川家の自分は一員であると。

そういったものが
両方 一緒になっちゃってですね

自分が それによって
苦しめられている状況。

その葛藤ですよね。 それが やっぱり…

このころ 世界は激動の時代を迎えていた。

航海技術の発達によって
スペインとポルトガルは

アジアやアメリカ大陸に進出していた。

新たな交易ルートや
領土獲得を目的とした

大航海時代の到来である。

スペインとの覇権争いの中

ポルトガルが日本に先べんをつけていた。

いわゆる 南蛮船との交易で
利益を得ようと

大名たちは 自領の港を開いた。

南蛮船によって
イエズス会の宣教師も来日。

宣教師たちは有力大名に
領内での布教を認めさせていく。

大名の中にも みずから キリスト教に
入信する者が相次いだという。

大阪府高槻市。

かつて ここは
キリシタン大名として知られた

高山右近の領地だった。

領内からは
キリシタンゆかりの品が見つかり

キリスト教が広く普及していたことを
うかがわせる。

中西裕樹さんは 大坂の地域性こそが

キリスト教の普及に
大きく関係していると指摘する。

大坂は 後ろに京都が控えています。

中国の唐物とか 南蛮からの物資が
やはり 京都目指して やって来る。

その陸揚げ地が大坂になるんですね。

当初 イエズス会 宣教師側も
デウスのことをですね

大日如来というふうに
説明をしていた時期がありますので

日本人にとれば…

キリスト教は
広く 庶民階層にも受け入れられた。

それを物語るキリシタン墓地が
発掘されている。

中には遺体が確認されたものもあった。

こちらが
高槻の発掘で出てまいりました

キリシタンの史料です。

この方は男性で 中年の男性だろう
というふうに考えられています。

日本人ですね。
こちらは あおむけになってですね

体を伸ばす 伸展葬という形で
葬られています。

その伸展葬で埋葬されるのが
キリスト教徒になりますので

こちらは もう…

この奥に置いておりますのが
この方の木棺のふたでありまして。

ちょうど頭の上にあたる部分に
墨で十字架が描かれています。

興味深いことに
この遺体が発掘された墓地では

埋葬の場所や大きさが
どの墓も同等に扱われており

身分による区別が認められないという。

団地のようにですね
横並びで埋葬がされていますので

キリスト教の場合は 非常に…

大坂城築城と同時期に
キリスト教に入信する大名が増加した。

その多くは 黒田官兵衛ら

大坂に直接 地縁のない
武将たちだった。

天下統一に向け
各地から集まってきた彼らは

キリスト教という時代の新しい息吹で
団結を図ったとも考えられる。

キリスト教に関心を抱いた人物の中に

屋敷で気鬱を囲っていた玉子もいた。

秀吉の命令で
玉子の夫 忠興は

九州に出陣した。

忠興の留守中
玉子は屋敷近くの教会に向かった。

これをきっかけに
玉子はキリスト教に傾倒していく。

いろいろ 自分の疑問を

宣教師に そのときから
ぶつけ始めるわけですね。

そうすると やはり…

側室を たくさん置いてるような
日本の状況とは違うわけで

そういう その
自分の疑問に思ってること

心の葛藤を解決してくれるものが
一体 何であったんだろうかと…

…ということに
だんだんと気が付き始めて…

抑え難い衝動に駆られた玉子は

キリスト教への入信を決意し

洗礼名 「ガラシャ」を授けられる。

それはラテン語で「恩恵」を意味する
「Gratia」に由来するものだった。

キリシタン 細川ガラシャの誕生である。

玉子はキリシタンとなり
「ガラシャ」の洗礼名を授けられましたが

当時の日本では 西洋から来たものに
どういう意味があったんでしょうか?

この時代
もう 既存のもの だいぶ壊れましたよね。

だけど 信長だとか秀吉だとかって
あとから

どっか 分かんない田舎の暴力をもって
のし上がってきた人たちで

この人たちは「おい! 俺の所 来たら
金平糖 出るよ!

ギヤマンガラスあるよ! 鉄砲あるよ!」
みたいな。

「牛肉あるし ワインもあるし」みたいな。
これはね そっちへ頭下げないと

旧勢力 旧支配者 お公家さんだとか
室町幕府系の人だとか

そういう人たちは 手に入らないわけで…

(大澤)キリスト教って実利があるからね。

つまり 精神的なものだけじゃなくて
西洋から来る いろいろな実利が

磯田さん 今 おっしゃったように ある。
それが強かったと思いますね 一つはね。

何で 大坂に集まった
キリシタン大名たちの中で

それが はやって… あたかも
はやっていたように見えるのかというと

ここは 実は…

むしろ必要としていたというか。
それで 新しい順位づけのために

キリスト教という価値基準も
導入せざるをえない事情というのが

たぶん あったんだと思うんですよね。

まあ 言い方悪いですけども…

先ほど来 皆さんがお話しされている

ザビエルが来てからキリスト教信徒の…

その人たちの信仰が なぜ こう…

その人たちが なぜ キリスト教の信仰を
カトリックの信仰を

必要としたかっていう部分と…

…というふうにも思いますね。

確かに 現世利益というところでは
何も期待できるところが

彼女の立場からは ないですよね。

このときの
ガラシャの置かれた立場というのは

自分には何の落ち度もないはずである。

なのに 父と夫が
自分のあずかり知らぬところで

立場を異にしてしまって
とても矛盾のある状況に置かれている。

これ どうすることもできない。

これは自分に与えられた試練である
という形で解決を図ろうとするわけです。

この認知を変えるということを
一人でやるのは

なかなか難しいんですが…

これはね 僕は こう思ってるんですよ。

結論的に言えばですよ これはね…

もし そういうことがなければ この人は

こんなことには
ならなかったと思うんですよ。

じゃあ どういうふうに
関係あるかっていうとね

先ほど 中野さんがおっしゃってた
解釈の枠組みという問題とも

関係あるんですけど。

「お父さん そんな人じゃない」って
なるためには

お父さんの失敗を 自分が
償ってあげなきゃいけないんですよ。

代わりにね…

つまり 神への信仰っていう
絶対 神を裏切らない

神への信仰によって お父さんの失敗を
取り返しているわけです。

このころの娘さんのお仕事って

父母や きょうだいの回向を
しなきゃいけないんですよ。

死んだあとも弔う。
でも このお玉は 賢いがゆえに

当時の仏教では 大罪人は やっぱり
地獄に落ちるわけですよ。

だから 拝んでも 拝んでも
地獄に落ちたら

こういう
悪いことをしたらどうかについて

これだけ賢い人ですから
分かるわけですよ。

絶対 もう 地獄に落とされたり
何百年間 火で焼かれ続けたり。

そこへですよ ふと現れたんだと
思うんですよ。 キリスト教ですよ。

これなら いけるわけですよ。

もう ほとんど うつ病状態に近い年月を
お玉は過ごしてたわけで。

そこで あっ そうか! と。

主君の扱いで人間 変わるんじゃなくて
しかも 魂は永遠のものであって

神さえ信じれば 現世で どんな
ひどい死に方をしても 殉教をしても

魂は救われて輝けるんだと考えたら
これだ! と思って

恐らく すがりついたんだと
僕は思うんですよ。

キリシタンとなったガラシャですが
厳しい選択を迫られることになります。

九州を平定した秀吉は

驚くべき命令 「伴天連追放令」を発した。

それは キリスト教を
邪法と断定し

神父を意味する伴天連は

20日以内に
国外退去せよという

強引なものだった。

領地を寄進するなど

キリスト教に深く帰依している
キリシタン大名たちに

危機感を抱いたのだ。

見せしめに 南蛮寺と呼ばれた教会が

京都をはじめ 50か所以上 破壊された。

宣教師たちの多くは 一旦 長崎へ逃れ

これ以降 潜伏を余儀なくされる。

ガラシャは心を痛め
苦悶の日々を送ることになった。

伴天連追放令発令から11年後

時代は 秀吉の死によって
新たな展開を見せる。

秀吉亡きあと
天下取りに動いたのは

徳川家康だった。

これに対抗したのが 石田三成。

ガラシャの夫 細川忠興は
家康に味方した。

慶長5年6月
家康は 会津の上杉征伐のため

京都の伏見城を離れた。

忠興も軍を率いて これに従う。

忠興は 出陣に際し
こう言い残した。

「事が起きれば 武家として

恥を着せられぬよう
ふるまえ」。

この言葉が
ガラシャの人生を

大きく左右することになる。

忠興らの出陣から まもなく
大坂で うわさが立った。

家康に従い
関東に出陣している諸大名の妻を

石田方が 人質として
大坂城に取り入れるというのだ。

時を置かず 細川邸に 石田方から
ひそかに 使いがよこされた。

「内々に大坂城へ 御登城されたい」。

ガラシャを人質に差し出せとの
要請である。

ガラシャは きぜんと言い放った。

「夫 忠興のためには

どのようなことがあっても
同意できません」。

しかし 彼女は 大きな問題を抱えていた。

「登城を拒否し続ければ
いずれ 力ずくで身柄を拘束にくる。

そのときは 夫 忠興の言いつけを守り

命を絶たなくては
いけないのではないか。

だが キリスト教は
自殺を神に対する罪としている」。

忠興の出陣から およそ3週間。

石田方は ついに 正式な使いを差し向け

ガラシャに登城を迫った。

これより先に
ガラシャを守るため

細川家の
重臣たちは

細川の本拠地
丹後へ逃がそうと
考えていた。

こと ここに及んでは
人質となるしかないのか。

命懸けの選択を迫られたガラシャの
心の内に分け入ってみよう。

このまま多勢に無勢の状況で戦うのは

細川家の者を
死なせることになってしまう。

まだ戦が始まったわけでもない今

情勢を見守るためにも

人質として大坂城に入るのが賢明か。

それとも ここは家臣の勧めるとおり

一旦 屋敷を出て身を隠すのが
穏当ではないか。

正室とはいえ 女が危険から逃れるのは
恥とはかぎらぬ。

現に 黒田長政殿や加藤清正殿の奥方は

大坂を出ようとされているとも聞く。

だが しかし 夫 忠興の言いつけを守り

武家として恥ずかしくない行動を
取らなくてはいけない。

ここは 潔く自害するしかないのか。

しかし 私が信じるキリスト教は
自害を禁じている。

死ぬべき時は 神がお決めになるのだ。

ああ… 一体 どこまで神は
私に試練をお与えになるのか。

ガラシャに
命と誇りを懸けた選択が迫られた。

厳しい選択を迫られたガラシャですが

もう一度 その選択肢を見ておきましょう。

選択1は「石田方の人質になる」
というものです。

これなら 戦いを避けて
犠牲を抑えることはできそうです。

そして 選択2は
「大坂を脱出して生き延びる」です。

ほかの武将の妻たちも
その準備をしているということです。

さらに 選択3
「屋敷で自害する」というものです。

さあ 皆さんが ガラシャの立場なら

どれを選ばれるでしょうか? 中野さん。

2の「逃げて生き延びる」ですね。

ちょっと この時代の価値観が
どうだったかというのは

推測でしかないので 自分の今の感覚で
申し上げる以外ないんですけども

生き延びることが やっぱり
正義というふうに基本的には考えます。

何なら 本能寺の変のときにも
自分は自害しなかったわけですから

キリシタンとなった今でも なおさら
自害はないと考えるでしょう。

合理的に考えると やっぱり…

…ということを
計算すると思うんですよね。

…というふうに
考えると思いますね。

では 大澤さんは いかがでしょうか?

これはね
3の「自害する」しかないと思いますね。

これはね これしか この段階で
ありえないという感じがする。

というのはね
これね ある意味でね

人生ってすごいなと思うんだけど
ある種…

何の絶好のチャンスかっていうとですね
この人はですね

お父さんが
裏切り者になってしまったわけですよ。

お父さんは裏切り者だけど
自分は お父さんを尊敬してて

お父さんは 本当は裏切り者じゃなかった。
お父さんの失敗は 自分が補うんだと。

っていうことはね
ここで 自害するっていうことでね

絶対的な帰依を示すことになるんですよ。

客観的に見ると
全然 神様と関係ないから

殉死じゃないんだけど 客観的に見ると

細川家のために
自害したことになります。

でも 気分は殉死です。 キリスト教の。
でも 本当のねらいは 恐らく

その… 何といいますか
父の裏切りを完全に補うようなことを

やらなきゃいけないんですね。

さあ お二人の意見 分かれましたが
橋本さんは どうでしょう?

私は 2の「逃げて生き延びる」です。

これは 現代人としての私が
判断するならば

それしかないということで もちろん
この時代 この立場にいた

ガラシャという人が どう判断したか
ということとは また違うとは思います。

大澤さんがおっしゃってることも
すごく よく分かるんですが

そういう目で見られている あるいは

自害を当然しなくてはならないのに
しなかった

明智の娘であると見られている自分。

それから 忠興が「武家の妻として
恥ずかしくないようにふるまえ」と

言い残していますけれども それが…

つまり それぐらいのことは みんな
出陣する前に言うじゃないですか。

その程度のことで 恐らく 言ったことが

それほど ガラシャの行動を縛る言葉に
なっていたのかどうかっていうところも

ちょっと 分からないですし。

磯田さんは どうでしょう?

難しいけどね これ もうやっぱり 2。

「逃げて生き延びる」にしましょうか。

「ざまあみろ」と。 「逃げた」と。

ただ 上手に逃げられるかという問題も
あるんですね。

つまり 逃げようとして 捕まって
引きずり出されて

しかも 目立つ容姿ですから 町を
引きずり回されたなんてことになると

もう 忠興が一番嫌いなパターンになると。

ほかの大名家の渦中の奥さん
みんな逃げられてますので。

このときには 分かりませんけど
まあ 2かなと。

分かりました。

では いよいよ ガラシャに
選択の時が訪れます。

夕刻。
石田方に取り囲まれた細川邸から

火の手が上がった。

ガラシャは 屋敷に火を放たせ

みずから死を選んだのである。

最期を見届けた侍女が

後年 そのときの様子を克明に語っている。

「細川家の重臣たちが相談し

いざというときには
表門で石田方を防いでいる間に

奥方様は
自害される手はずになっておりました。

その日の夜
敵が門まで迫ってきたとき

守備隊の寝返りもあり

もはや これまで
ただいまが最期のときと

重臣に
長刀で介錯させて

奥方様は
お果てなさいました。

奥方様は
書き置きを私に託され

最期の様子を
忠興様にお伝えするよう

命ぜられたのです。

私どもが
外へ逃げ出したときには

もう お屋敷には
火の手が上がっておりました」。

潜伏していたイエズス会の神父は

焼け跡に ガラシャの骨を拾いに行かせ

僅かな遺骨で葬儀を執り行ったという。

イエズス会の記録に
ガラシャの死は こう記されている。

「ガラシャは…」

自分自身も
キリシタンにはなったんだけれども

最期は やっぱり

「自害」というふうに言ってもいいぐらいの
死だったと思いますよね。

ガラシャは その生涯を閉じるにあたり

辞世の句を残した。

戦乱の時代に翻弄されたガラシャ。

彼女は この歌に
どんな思いを込めたのであろうか。

ガラシャは 印象的な辞世の句を残して
自害する道を選びました。

橋本さん この句から
どんなことが読み取れますか?

明智の娘であるという立場であるとか
あるいは 忠興の正室であるという立場。

その社会的な立場の重さとか
それが ある意味

十字架になっているというようなことは
当然あって。

その立場に対して 自分が
正しくあらねばならないということが

彼女を ずっと
苦しめてきたんだとするならば

その最後の「人も人なれ」という
「人」というのが

誰か…

神の前の人と
解釈してもいいかもしれませんが

人として散っていく 死んでいくことを
もし考えていたのだとしたら それは

彼女にとっては 何かの救いが
ここにあったのかなという。

あってほしいなという気持ちで
読んでいます。

人間の中には 朱子学的っていうのかね

花であろうが 人間であろうが…

それでね 本来 守るべき道や

それに のっとらないと
花は花になれない

人間も人間になれないと
考えちゃうんですよ。

だけど 主君がいて 憎たらしかったら
殺したいというのも人間の本性だし

逃げたいっていうのも人で 別に
知るべき時を知ろうが知るまいが

人間は人間なんですよ。 むしろ…

真面目な人だなと思うんですよ。

いいかげんに生きて その時々で合理的な
選択をするパーソナリティーとは

だいぶ対極にあって。

彼女が自分で
意識してたかどうかは さておき

尊敬してたか 共感してたか

同調があったとか
そういうのは 分からないですが

むしろ 恨んでたかもしれない
父親のことを。

だけども 自分で認知できたり…

何ていうのかな…。

ここが死に時というふうに思ったら
それを変えることが難しい。

そういう 何か…

まさに 「ちりぬべき時」だった
ということなんですよね。

何といいますかね 殉ずるためには
死ぬしかないんですよね。

だから 神に対する裏切りに
なってしまったらね 元も子もないので

彼女的にはというか いろんな
たぶん 当時の宣教師からの解釈で

「いろいろ考えれば 自殺しても 必ずしも
神を裏切ったことにならないんで

こういう状況ならば」みたいなことを
一応は 納得したうえで

本人としては だから…

僕が 例えば これをね
小説か何かに書くとしたら…

つまり 本能寺の変のときは 本当は
外から攻めてきたのが父親の軍勢で

中に 信長がいて
お父さんは悪いことしたことになる。

悪いっていうか 裏切り者になったわけ。
今 自分は 信長の立場にいるわけですよ。

石田三成がやって来て。 ここでね…

ここで 今度は…

そうすると
「さすが!」ってことになってですね…

遺体の完全焼却を目指した点はね
よく似てます。

一部でも焼け残らさんっていう
ものすごい根性でやってますからね。

信長も同じですよ。 遺体は とにかく
見つからないようにするっていう。

では ガラシャの死を忠興たちは
どういうふうに受け止めたんでしょうね。

忠興たちはね これはね…

細川家っていうのは
奉公一番のお家っていっていいのかな。

例えば 地震で豊臣秀吉が住んでる
伏見城が倒壊したっていったら

一番に来るんですよ。
それで この場合も ご奉公ができて

要するに 一番最初に人質確保に来た。

はい! 一番に家族に被害者が出ました!
っていう。

この時点では まだ三成方と戦って
誰も死んでないんですよ。 だから…

それを… 関ヶ原最初の犠牲者を
細川家が出したということが

政治的プレゼンスになるわけで。
だから このね…

「折を見て逃げろ」とかね ちょっと
言ってあげてればいいんですけど。

それがないんですよ。
だから 硬直した状態にあって

状況によっては これは 国許に逃がす
とかいうようなことを

適宜 考えよという代替案が
いっぱいある指示ではなかったと。

だって いくらなんでも「いざとなったら
逃げろよ」なんて言ってたら

気合い入らないじゃないですか。
まあ そうですね。

確かに
磯田先生がおっしゃるようにですね

忠興が どこまで その効果を
予測してたかどうかは別として

そのカードが もう 切られてしまった。
すさまじい力があるカードですよね。

そうしたら…

この時点の細川家の立場として。
それが とても大きな 政治的な効果を

これから開戦するというときに
生むことも分かっている。

そういう中での忠興の選択なのかな
という気もしますよね。

では 最後になりましたけど 大澤さんは
ガラシャの人生を振り返って

どんなことを今日 感じましたか?

やっぱり 一つの はっきりとした…

この人は 明智玉子じゃないですか。
それは 僕ら 細川ガラシャなんですよね。

でも 本当はね
明智玉子として殉死してるんですよね。

本当は…

愛した男性と結ばれて
生涯 添い遂げることだという

ステレオタイプがあるんですよね。
ステレオタイプの呪いというか。

こういう呪いから この人を
もうちょっと外れたところで

今日のような見方をすると
例えば 明智親子というのは

光秀から玉の親子というのは…

そういう生き方をした人なんだ
というふうに見ると

何か ステレオタイプ的な
女性の見方からすると

悲劇の女性のような雰囲気が
あるんだけれども 何か こう

一気に この女性は英雄だったんだな
という見方が

できるんじゃないかなと思うんですね。

再評価をされていい人なんだと
思うんですよね。

彼女の死… キリシタンとしての
彼女の存在というのを

このあと カトリック側が…

それを考えると 結局 宗教の側も彼女を

利用しているということを考えると…

だから 人がね そんなに何もかも
自己決定できるっていうのは

当然 幻想でしかないので その中でね
何が英雄で何が選択なのかということを

やっぱり
何度も何度も考えてしまいますね。

信仰の問題もすごく重要なんです。
つまりね この人が…

それは さっき ヨーロッパで
若干 ゆがめられながら

対抗宗教改革に
利用されてはしまうんですけれども

でも この人にとって
信仰というのがあったからこそ

ここまでのことができたと
僕は思いますね。

磯田さん 今日は
細川ガラシャを見てきましたけれど

どんなことを感じましたか?

僕 ガラシャ どうして
死んだんだろうと思ったんですけど

夫の言いつけを守る
というのもあったけど

ひょっとしたら…

だって お供をするって
一生懸命言う侍女たちに

私の最期を
忠興様に伝えなきゃいけないからとか

あなたは手紙を持って出るからとか
いろいろ仕事を与えて

無理に外へ出して助けるわけですよね。
それで 自分は犠牲になって

救って 亡くなっていくわけですよね。

だから ひょっとすると もう…

でも 惜しくてしょうがないのが
願わくば逃げてくれって思うんですよね。

この人が逃げてね

高山右近辺りに庇護されてね

女性キリシタン文学で
回想録なり何なりを書いてたら

恐らく この当時最高の知性の女性が
書いた記録が残ったはずで

ひょっとしたら 本能寺だとか
あの時代の裏側も書いてた。

しかも 海外から… マニラ辺りから
出版するなんてことになったかもですよ。

逃げて
高山右近庇護下で。

そしたら
何でも書けるわけで。

いやあ 無理だったんだなと。

歴史は そうは いかなかったですね。
そうは いかなかった。

皆さん ありがとうございました。


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