あしたも晴れ!人生レシピ 昭和25年の結婚式で出された「とろろ卵」・学生時代に食べた「レモンライス」について追加取材…


出典:『あしたも晴れ!人生レシピ「人生の思い出レシピ スペシャル」』の番組情報(EPGから引用)


あしたも晴れ!人生レシピ「人生の思い出レシピ スペシャル」[解][字]


2年間にわたり、ご投稿いただいた「人生の思い出レシピ」。“自分の人生を変えた・支えたレシピ”を紹介してきた。このコーナーをスペシャルでお届けする。


詳細情報

番組内容

2年間にわたり、ご投稿いただいた「人生の思い出レシピ」。“自分の人生を変えた・支えたレシピ”を、イラストと賀来さんの朗読で紹介してきた。これまで紹介してきた約80本の中から“昭和25年の結婚式で出された「とろろ卵」”“学生時代に食べた「レモンライス」”について、投稿くださった2人を追加取材。さらには、新しい投稿やゲストの思い出の味なども紹介し、人生に刻まれた大切な味をスペシャルでお伝えする。

出演者

【ゲスト】渡辺江里子,【講師】日本料理店主(割烹中嶋)…中嶋貞治,【司会】賀来千香子,高市佳明,【語り】堀内賢雄



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あしたも晴れ!人生レシピ 昭和25年の結婚式で出された「とろろ卵」・
  1. レモンライス
  2. 徳子
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  12. 今日
  13. 賀来
  14. 子供
  15. 取材者
  16. 最後
  17. 当時
  18. 完成
  19. 仕上
  20. 料理


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今回は…

戦後 バラック小屋で食べた
思い出の披露宴メニューを再現。

さらに 忘れられない青春の味を
作ってくれた

喫茶店のおかみさんをさがす旅など
盛りだくさんで お伝えします。

♬~

「あしたも晴れ!人生レシピ」。

今回は「人生の思い出レシピ」
スペシャルです。

あのコーナーは
番組のラストじゃないですか。

いつもね 何か こちらが温かい気持ちで
番組を閉じさせて頂く。

そんな特別な
私にとっても特別なものです。

今日は「阿佐ヶ谷姉妹」の渡辺江里子さんに
ご一緒頂きます。

よろしくお願いします。
よろしくお願い致します。

「思い出レシピ」の特集
ということですので

私も ちょっと後ほど投稿させて
頂ければと思っております。

楽しみにしていて下さい。
よろしくお願いします。

さあ まずはですね こちらです。

これ以前 ご投稿頂いた
「とろろ卵」です。

戦後間もない昭和25年 バラック小屋で
行われた結婚披露宴で

お姑さんお手製のお祝い膳の中にあった
一品というものでしたね。

今回番組では改めて ご投稿下さった方に
お会いしました。

投稿してくれた和泉徳子さん 88歳です。

こちらが徳子さんの夫 純夫さんです。
とても幸せな結婚生活だったといいます。

昭和25年に執り行った結婚式での思い出を
料理に託して投稿してくれたのです。

昭和5年 栃木県に生まれた徳子さん。

9人きょうだいの末っ子でした。

茶や花を学びたいと
東京の女学校に進学しますが

ホームシックにかかり
その年には栃木に戻りました。

地元の女学校を卒業して間もない
19歳の時

東京で魚屋を営んでいた
純夫さんのもとに嫁ぐことに…。

魚に触れたこともなかった徳子さん。
冬でも水仕事の毎日が続きました。

そんな中でも家業を切り盛りしながら

3人の子供を育て上げました。

今 子供たちは近くに暮らしながら

1人暮らしになった徳子さんを
支えてくれているといいます。

60年余りにわたって添い遂げてきた
純夫さんと徳子さん。

始まりは お見合いだったといいます。

式当日 冬晴れの中 純夫さんの
実家近くの神社で式を挙げました。

しかし華やかな舞台の陰で

晴れ晴れとした気持ちには
なれなかったといいます。

その時に出されたのが 義理の母
クラさんが作ってくれた祝い膳でした。

どんな祝い膳だったのか。
徳子さんに絵を描いてもらいました。

とろろはね このところに
卵がね あったんですよ。

ここに ポンとあってね。

当時 卵の値段は1個12円余り。

今の値段に換算すると
2, 000円以上するほど貴重品でした。

そんな「とろろ卵」を筆頭に

塩焼き 煮魚 お刺身などが
並んでいたという祝い膳。

貴重な食材をそろえ 20名ほどの出席者
全員の祝い膳を

クラさんが1人で作ってくれたのです。

そんな徳子さんの心に残る料理を
再現できないか?

協力してくれたのは 新宿で
かっぽう料理店を営む 中嶋貞治さん。

料理一筋 40年のベテランです。

(取材者)これなんですけれども。

早速 中嶋さんに 徳子さんが描いた
イラストを見てもらいました。

これ 何?
(取材者)卵です。             うずら?

(取材者)いや 普通の卵だと
おっしゃっていました。

要するに鶏卵だ。

今 おいくつなんですか?
(取材者)今 88歳です。

(取材者)ありがとうございます。
すいません。     よろしくお願いします。

こんにちは。

徳子さんが 3人の子供たちと
中嶋さんの店に やって来ました。

そんな徳子さん家族に届ける祝い膳。

青森産の じねんじょ。

シンプルな「とろろ卵」。
中嶋さんは職人のこだわりを見せます。

卵は専門店から
極上のものを仕入れました。

出来上がった祝い膳が こちら。

マグロとタイで 紅白の祝いを表した刺身。

京野菜のえびいもと たこ
ほうれんそうを使った煮しめ。

煮魚は氷見のブリを使った ブリ大根。

塩焼きで仕上げたのは
尾頭付きのタイです。

そして徳子さん思い出の料理「とろろ卵」。

京にんじんと きぬさやで飾りつけ
見た目も鮮やかに仕上がりました。

当時は豪勢。

長女の仲子さんが「とろろ卵」に込められた
思いに気付きます。

そうかもね。

70年ぶり 思い出の「とろろ卵」です。

当時の様子を知らない子供たちにとっても
貴重な機会になりました。

失礼します。 どうですか?
はい。 おいしく頂いてます。

まず まず お母様 とろろは?

そうね 何か おいしすぎて こちらは。

義理のお母さんが1人で
20人 作ったんですか?

そうです。
それ すごいですね。

その式に義理のお母さんも
出席してるんでしょ?        そうです。

そうすると2日ぐらい前から
仕込みしないと…。

そうですね。 それは やってた。
できなかったと思いますよ。

でも今日のお料理は すばらしくて
本当に胸が いっぱいというのは

今まで何回か あったけれども 今度のは
もういっぱい いっぱい

すごく いっぱいですね。

胸いっぱい いっぱい いっぱい
たくさん頂きましたね 本当に。

とにかく嫁ぐ徳子さんの背中を後押し
して下さった お味なのかなと思って。

皆さん 食べられた方が笑顔になるって
おいしいんだろうなと思って

ちょっと拝見してましたけれども。
ちょっぴり羨ましかったですね。

そうですね。

徳子さんの思い出レシピを
見事に再現して下さいました

料理人の中嶋貞治さんにも
加わって頂きます。

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

今回 ご協力頂きまして
ありがとうございました。   こちらこそ。

やっぱり忘れられない一品がある
というのは

すてきなことなんでしょうかね。
でしょうね。

その方のいわゆる心の財産みたいな
ところですよね。

心の財産。
はい。

中嶋さんの思いも しっかり何か
お味の中に

注入して頂いたという感じでしょうかね。

食材とか技術も あるけれども
その人なりって全部 出ちゃうのが

料理なんで。 それは もう
常日頃から思っております。

戦中 戦後 時代を感じさせる
お便りもね。

ありました。 そうですね。

今日 また新たに1通 ご紹介しましょう。
賀来さんの方からお願いします。   はい。

神奈川県の石尾 健さん
70歳の方から頂きました。

「私の思い出レシピは ふぐちりです。

建築設計の仕事に携わっていた私は
25歳ぐらいの頃

休暇に仲間と 九州の建築を見て回る旅に
出かけました。

夜 居酒屋で鍋を注文したところ
近くの席でポツンと1人食事をしていた

年配の男性が 店主に『おやじ 彼らの鍋に
ふぐを入れてやってくれ。

俺は あんたらみたいな若者を
死なせたんだ』と

戦争で私たちと同じ年頃の部下を
亡くしたことを教えてくれました。

突撃命令を出した本人は
生きて帰ってきた。

その心の重荷を感じました。
今も ふぐの話になると思い出すのです」。

そのカウンターに座ってらっしゃった
男性が 突撃命令を出した

張本人であったということなんですね。

ふぐちりで豪華なお話かと思いきや
本当に その方のね

年を超えた今も やっぱり
ずっと思い出されるでしょうね。

さあ 江里子さんが さっき
おっしゃっていた思い出レシピ。

ご自身のレシピも 実は お母様に
まつわるものだと。       そうなんです。

高校時代の話に なるんですけれども
ちょっと皆様の思い出レシピをまねして

ちょっと投稿形式で
お手紙にして参りまして。

ありがとうございます。

せん越ながら ちょっと賀来さんのお隣で
読ませて頂くんですけれども。

よろしいですか?
ガチガチでございますが すいません。

「高校2年の冬
たわいない母の言葉に へそを曲げ

1週間ほど口をきかずに過ごしました。

母も当時 40歳前後の若さで 同居していた
祖父 祖母の看病が長年 続いていて

大変な状態で それを分かっていながら
どうしても気持ちの折り合いがつかず

生まれて初めて
プチ家出を決行しました。

今まで目立った反抗期もなかった私の
突然の家出に

心配性の母は相当 驚いたと思います。

その日 夜に下を向いて帰ってきた私を
母は何も言わずに出迎えてくれました。

気まずくて 自分の部屋に
そのまま入っていたら

母が部屋の外に 夕飯を
そっと置いていってくれて

それを見たら 私の大好物ばかりでした。

一口ずつ かみしめるたびに ありがたさと
申し訳なさが増してきて

泣きながら食べたことを覚えています」。

すてきなお話。
ありがとうございます。

プチ家出。

本当に短い 家出とも言えないぐらいの
プチ家出だったんですけれども

やっぱり 親のありがたさというか。

何か ずっと ちょっと モヤモヤッ
としてた気持ちも一口一口ごとに

ちょっと 何か溶けてく感じがあって。

大好物定食ですもんね。
そうなんです。

その時に出てきた定食が こちら。

白いごはんに…

芋の茎を 油揚げや にんじんなどと
一緒に煮た 芋がら煮。

そして さばのみそ煮は
梅干しと一緒に煮て

まろやかさを出すのが
渡辺家の味だそうです。

中嶋さん 料理人の目から ご覧になって
こちら どうでしょう?

渋いっすよね。

ということで さばのみそ煮の
おいしい作り方を

マスターしたいという渡辺さん。

今回 特別に中嶋さんが教えてくれました。

先生に いろいろと秘けつを教えて頂いて
自分でも作れるようにしたいと思います。

よろしくお願い致します。
お願いします。

材料は こちら。

さばは切り身を使います。

みそは 信州みそと白玉みその2種類を
混ぜて使うのが中嶋流。

味にプラスするのは梅干しです。

まずは臭みなどを取るための
さばの下ごしらえから。

必ず霜降りして下さい。 お魚を煮る時は。

じゃあ このぐらいで もうどんどん
入れちゃって下さい。

沸騰したお湯に さばを入れます。

どれぐらいの加減なんでしょうね
お時間としては。

霜降りですから
もう こんなもんでいいです。

余熱で火が通らないように
氷水に あげます。

うまみを閉じ込めることも
できるそうですよ。

ぬめりや汚れなどを 皮を破かないように
優しく洗い 取り出します。

ここで一手間。

ここで ちょっとお酒ですから これ。
これね ちょっと かけておきましょう。

(渡辺)あら お酒を。
ここで かけるんですか?

これね ワインとか お酒って本当に
魔法みたいで

すっごくね 仕上がりにね
まろやかになりますよ。

本当に おいしくなるから。
あら~。

沸騰したら雑味が出ないように
丁寧に アクをとりましょう。

ある程度 アクがとれたら
まず砂糖を入れます。

ひと煮立ちしたら 次に しょうゆを
入れるんですが ここでポイント。

いっぺんに入れないで
2回に分けましょう。

2回に分ける。
はい。 まず半分 入れて下さい。

それ してなかったわ。

2分以上 間を空け 分けて入れることで
味が しみやすくなるそうです。

次に 皮がついたまま
輪切りにした しょうが

そして まろやかさを出す梅干しを
入れます。

梅干しの代わりに 最後に酢を少々
入れるのでも いいそうですよ。

最後は みそですが
きれいに作るためのコツがありました。

煮汁だけを ここに。
煮汁を一旦 こちらに入れる?

はい そうそう。
このぐらいで いいですか?

もう一杯。
もう一杯。

OK OK。
はい 入れました。

それで これ 崩れちゃうから。

こうやって煮汁の一部を溶かして
元に戻し入れたら

これ 形よく仕上がるじゃないですか。

入れましょう。
入れていいですか?

もう ダーッと。
ダーッと入れていい?

入れました。

みそを溶かし入れたら
梅干しを取り出します。

入れたままだと 酸味が
強くなりすぎてしまうそうです。

これで少し まあ1分ほど。
みそ煮込みじゃないんで。

さばのみそ煮なんで。 みそは
煮込んでいくと辛くなっちゃうんで。

最後 仕上げ コーテイングするような
まとわすだけで いいです。

それで十分おいしいですから。
はい これで完成です。

もう完成?
もう完成です。

調理時間 10分ほどで
さばのみそ煮が完成しました。

頂きます。
ありがとうございます。 頂きます。

おいしい!

笑顔が こぼれました。

お上品な仕上がりで。

母の思い出の味も よみがえりつつ
それを超える おいしさで。

あ~ やわらかいですね。
箸が スッて入っていきます。

おいしい。
梅も きいてるんでしょうか。

はい。
うっすらですけど。     優しい風味が。

まろやかさが出てる感じがします。

江里子さん これ 作れそうですかね。
これから ご自身で。

そうですね。 今日 早速 教えて頂いた
内容を思い出して メモして

週5ぐらいで さばのみそ煮
作りたいと思います。

自分のものにします。
すごい意気込みです。

賀来さんのお母さんの味 母の味って
いいますと?

卵寒天で 甘い寒天に
いり卵が上に浮いていて

それが おやつのような 定期的に
今でも作ってくれるんですけど。

では その卵寒天 今日 スタジオに
ご用意しました。 こちらです。

なんと今回 賀来さんのお母様に
お願いをして作って頂いたんです。

(渡辺)すごい!
はい 登場します。 こちら。

ずっと黙ってましたが。
(渡辺)ものすごく きれいですね。

そんな 皆様のお口に…。

(中嶋)和菓子?
みたいな感じなんです。

頂いてよろしいでしょうか?
ちょっとごめんなさい ドキドキしちゃう。

賀来さんのお母様の。
大丈夫でしょうか。

(中嶋)ちょっと黒蜜なんかも かけても
面白いですよね。

おいしい!
大丈夫ですか?

おいしい。
お母さん 良かったね。

おいしいです。 寒天部分と卵の部分の
食感の違いが

口の中で ほろほろっと溶け合って
面白いですね。

そんな お母さん 口が堅いわ。

お母様 ありがとうございます。
ごちそうさまでした。

(渡辺)
甘みがあるんだけど すっきりもしてて
何だか とっても食べやすくって。

(中嶋)ゼラチンと また違う
うまさがありますよね 食感が。

ヘルシーでも ありますし。

さあ この「人生の思い出レシピ」の
コーナーといいますと

やはり一番多いのは
母親の味にまつわる投稿ですね。

では1通 賀来さんの方から
ご紹介をお願いします。        はい。

佐賀県の森のぞみさん
34歳の方から頂きました。

「私の思い出レシピは
汁かけ親子丼です。

私の母は看護師で 夜勤もあり
父も仕事が忙しく

幼い私たちきょうだい3人は 祖父母に
面倒を見てもらっていました。

そんな私の大好物は 忙しい母が
夜勤の前に作ってくれていた

汁かけ親子丼でした。

母は料理が下手で
親子丼も汁けばかり。

でも それが おいしいんです。

夜勤に出ていく母を見て 当時の私は

子供に こんな寂しい思いをさせる
看護師になんて

なるもんかと思っていました。
今では私も看護師です」。

そういうことって あるんですね。
そうですね。

お母様と同じ道を。

さて最後に ご紹介するのが こちら。

これ レモンライスという食べ物でした。

投稿者の方が 学生時代 よく通っていた
という喫茶店の

名物料理ということでしたね。

ただ その喫茶店が
閉店することになってしまった。

そこで その常連客の皆さん
ファンの皆さんが

あの味を残してほしいと要望し

結果 大学の学食のメニューとして
残ったという投稿でした。

今回 そのお話の当人
取材させて頂きました。

こんにちは。

投稿をくれた大塩敏史さん 49歳です。

大塩さんが レモンライスと出会ったのは
大学生時代。

先輩に喫茶店へ連れられて行ったのが
きっかけでした。

そんな大塩さん 思い出の味である
レモンライスを

たびたび自宅で作っています。

頂きます。

大塩さんが作ったレモンライス。

今日の出来は いかがですか?

最後に喫茶店のレモンライスを食べたのは
13年ほど前だといいます。

大塩さんは おかみさんに一目会いたいと
大阪へ向かいました。

まずは 喫茶店があった場所を
訪ねてみました。

すぐ そこなんじゃないかな。
(取材者)この白い建物。

そこは すでに お菓子屋さんに
なっていました。

こちらが レモンライスを出していた
喫茶店「夏爐」。

昭和50年に開業したといいます。

オーナーは 桑田道之さんと
喜代子さん夫婦。

平成14年に道之さんが亡くなったあとも
喜代子さんが引き継いでいましたが

平成19年 惜しまれつつ閉店しました。

桑田さんを探す糸口はないかと
話を聞いてみることに…。

次に向かったのは 大塩さんの
母校でもある大阪市立大学。

こちらでは 喫茶店の味を引き継いだ
レモンライスを

敷地内にある食堂で
食べることができます。

作っているのは店長の岩佐 進さん。

直接 桑田さんに
作り方の指導を受けました。

大塩さんは話を聞くことにしました。

残念ながら有力な情報は
手に入りませんでした。

今は春休み期間中で レモンライスを
販売していないということでしたが

特別に作ってくれました。

お待たせ致しました。
ありがとうございます。

こちらが…

思い出の味は 今も
受け継がれているのでしょうか?

こんにちは。 大塩と申します。

その後 大学の友人のつてをたどり

喫茶店で アルバイトをしていた人たちに
電話をしてみますが… 見つかりません。

ところが インターネットで
情報を検索したところ

夫婦ともに アルバイトをしていた
木村 緑さんと連絡がとれました。

もしもし。

大塩ですけれども。

木村さんは おかみさんには 彩さんという
娘さんがいることを教えてくれました。

さらに…。

えっ ご本人とですか?
彩さんご本人と?

さらに木村さんは 彩さんと一緒に

おかみさんと会う段取りまで
つけてくれました。

ありがとうございます。
失礼致します。

翌日。

いよいよ再会です。

こんにちは。 彩さん?

はい。
はじめまして。

娘の田渕 彩さんです。

いよいよ 念願の対面です。

よろしいですか?
入ってよろしいですか?

こちらが おかみさんの桑田喜代子さん
御年90歳です。

いやいや… ありがとうございます
今日は。

桑田さんの部屋には
当時の思い出の品が置いてありました。

店に置かれていたノートです。

喫茶店を訪れた客が 思い思いに
感想をつづったもので

桑田さんが特に大切にしています。

時に見返し
あのころを思い出すといいます。

桑田さんに レモンライスが どうやって
生まれたのか聞いてみました。

(取材者)そうなんですね。
じゃあ 焼き飯に…。

(取材者)どなたが考えられたんですか?

私だ。

ところが そのレモンライス
閉店して以来

作ることも食べることもしていないと
いいます。

そこで大塩さんが提案。

…ということで 幼い頃から店を
手伝っていたという彩さんと調理開始。

レモンライスの材料は
こちら。

オランダ産の高級ラードと
仕上げのバター

そして干ししいたけには
大分産を使うのが桑田さん流。

一晩 水につけて戻した しいたけを
適度な大きさに切ります。

熱したフライパンに ラードを落とし
溶けたら

卵 しいたけを入れ 軽く炒めます。

ごはんを入れたら ここでポイント。

ひっくり返したら少し置き
軽く混ぜたあと

塩こしょうなどの調味料を入れ 炒めます。

じゃあ これくらい入れてみます。

グリーンピース そして最後に
バターを入れ なじませたら完成です。

これで本当の完成ですかね。
はい。

早速 桑田さんのもとへ届けます。

よかったら食べてもらいたいと
思ってたんですけど。

そら ごっつぉになるわ。

大塩さんと彩さんが作ったレモンライス。
果たして桑田さんの感想は?

どうですか?

さらに桑田さん 使った材料に対しても
ズバッと指摘します。

そうです。 そうでした。

ごはんは冷たい方が いいそうです。

最後に点数をつけてもらいました。

桑田さんに食べてもらったレモンライス。

学生時代の思い出を
よみがえらせてくれました。

いいですね。 やっぱり思い出の味一つで
ご家族だけじゃなく

こういう いろんな方とのつながりが
またね 広がる 深まるというのが

何か すごくいいなって思いましたね。
そうですね。

中嶋さんのお店のところにも「あれが
食べたくて」というふうに通われる方

長年 来られる方
いらっしゃるんじゃないですか?

そうですね。 季節になると定番で
「何で作らないの?」って。

「この季節だから おまえんとこや」って。

そういうブレないものがあるというのは
飲食店としては プロとしては

やっぱり大切なところです。
さすがですよ。

実は今回 大きな協力を下さった
おかみさんの娘の彩さん。

このレモンライスで ちょっと あることを
考えてるということなんですね。

ちょっと こちら ご覧頂きましょう。

頂きます。

娘の田渕 彩さんは1年ほど前から
誰でもが集える場所を作ろうと

グループを立ち上げました。

その活動の一つで 水曜日と金曜日の
週2日 「みんな食堂」と名付け

集まって ごはんを食べられる場所を
作りました。

いい子だ。

彩さんは この場に もっと人を呼び込み
つながりを持ちたいと考え

そのために レモンライスを
活用できないかと考えています。

当時 店で使っていた高級ラードも購入。
少しでも味を近づけようというのです。

おいしいものって尊いですね。
人をつなげますね。

今 いろいろな事情で 1人で食事を
とらなきゃいけない子供

いわゆる孤食の問題もありますから
こういう場があると

やっぱり みんなで集まって
温かい環境になるでしょうね。

ここで今回 寄せられた投稿を
紹介しましょう。

東京都にお住まいの原田いずみさん
58歳からの投稿は

特製ゴマ入り高菜チャーハンです。

今から40年前 長崎の大学に通うため
三姉妹で自炊生活をしていた時のこと。

料理が上手だった長女のひとみさんが
いつも お昼に作ってくれたのが

特製ゴマ入り高菜チャーハンだそうです。

ひとみさんは 20年ほど前に
白血病を患いました。

いずみさんの骨髄を移植しましたが
そのかいなく 翌日 亡くなりました。

ひとみさんのことを
思い出してしまうため

高菜も チャーハンも
口にしてきませんでした。

20年がたったのを機に 今度
作ってみようと思っているそうです。

続いては 兵庫県にお住まいの
富島節子さん 75歳の方より

「ばらずし」の投稿を頂きました。

10歳の頃 父親を亡くした富島さん。

幼かった4人の子供を育て上げたのは
母親でした。

しかし母親は 祖父の命日のお参りに行く
途中に事故に遭い 帰らぬ人に。

富島さんが 21歳の時のことでした。

その日の朝 母親が子供たちのために
作り置きしてくれていたのが ばらずし。

悲しみの涙の中 食べた味は
忘れることが できないそうです。

今 その味は 孫たちから

リクエストされるまでになったという
富島さん。

母親が残してくれた 宝物のレシピに
なっているそうです。

今回は「人生の思い出レシピ スペシャル」
と題して お送りしてきましたが

いかがだったでしょうか? 中嶋さん。

やっぱり食べるって
命を頂くという行為だから

それを僕たち 提供する方も
本当に気を引き締め直します。

本当に いろんな方の いろんな思い出が
たくさんのお料理に詰まってらして

お料理も含めて 仕事もネタも含めて

ちょっと また
笑顔を広げていけるように

修業して参りたいと思います。
すてき。

それを見て 我々も笑顔をまとう感じでね。

みそばりに。
そうそう… まとう。

今日は どうもありがとうございました。
ありがとうございました。

今日は涙あり 笑いありでしたね。
そうでしたね。

でも何か 宝物の味って永遠だなって。

本当に特別
スペシャルだなって思いました。

そして同時に今 おいしいものを普通に
頂けてることの ありがたみをね

また感じさせられました。

この「人生の思い出レシピ」のコーナーは
今回で終了とさせて頂きます。

2年間 たくさんのご投稿を
ありがとうございました。

ありがとうございました。

そして もう一つ
実は 今回をもちまして

私 高市も
この番組を卒業させて頂きます。

賀来さんのお隣で 2年間
MCを務めて参りました。

支えて頂きまして
どうもありがとうございました。

ありがとうございました。

番組は もちろん4月以降も
まだまだ続いていきますので

「人生レシピ」を これからも
よろしくお願いします。

賀来さん 頑張って下さい。
これからも頑張ります!

これからは見ております。


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