SWITCHインタビュー 達人達(たち)「パーヴォ・ヤルヴィ×かの香織」人生を彩る音や美について語り合う。


出典:『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「パーヴォ・ヤルヴィ×かの香織」』の番組情報(EPGから引用)


SWITCHインタビュー 達人達(たち)「パーヴォ・ヤルヴィ×かの香織」[字]


NHK交響楽団の首席指揮者を務める、世界的な指揮者パーヴォ・ヤルヴィ。東北で日本酒造りにも携わる音楽家・かの香織と、人生を彩る音や美について語り合う。


詳細情報

番組内容

N響リハーサル中のパーヴォを訪ねたかの香織。オーケストラの音を創り上げていく現場を目の当たりにして、その秘けつについて尋ねた。さらに祖国エストニアについての思いまで話は及ぶ。後半はパーヴォが宮城県に向かい、醸造中の酒蔵を見学。実家の酒蔵を継いだかのは、日本酒造りの過程でさまざまな「音」を発見するという。日本酒をこよなく愛するパーヴォと、酒造りと音楽活動に共通することなどを語り合った。

出演者

【出演】N響首席指揮者…パーヴォ・ヤルヴィ,音楽家・蔵人…かの香織,【語り】六角精児,平岩紙




『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「パーヴォ・ヤルヴィ×かの香織」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

SWITCHインタビュー 達人達(たち)「パーヴォ・ヤルヴィ×かの香織」
  1. パーヴォ
  2. 世界
  3. 演奏
  4. 本当
  5. 音楽
  6. 酒造
  7. エストニア
  8. サンキュー
  9. ヤルヴィ
  10. 言葉
  11. ワン
  12. 校歌
  13. 指揮者
  14. 自分
  15. タタタ
  16. ベートーヴェン
  17. リハーサル
  18. 作曲家
  19. 蔵人
  20. 日本酒造


『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「パーヴォ・ヤルヴィ×かの香織」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。

↓NHK関連商品

♬~(演奏)

今 世界で最も注目を集め

多忙を極める指揮者の一人だ。

これまで
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団や

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団など

世界トップクラスのオーケストラと

共演を重ねてきた。

大きな話題となった。

日本の文化を愛するパーヴォ。

とりわけ 食文化への関心は深い。

沖縄。 ユー トライ?

そして 大の日本酒好き。

辛口?

そんなパーヴォ・ヤルヴィとのトークに
臨むのは…。

日本酒造りに情熱を燃やしている かの。

実は…。

1985年 伝説的バンド ショコラータの
ボーカルとしてデビュー。

その後 ソロとして

「午前2時のエンジェル」などのヒット曲を
生み出した。

♬「あなたが好き あなたが好き」

現在は
アニメや映画の挿入歌を手がけるほか

数々のミュージシャンに
楽曲を提供している。

その一方で 蔵人として重ねた経験は
今年で16年。

酒造りは 音楽作りにも勝る
クリエーティブな作業だという。

パーヴォの大ファンだという
かのが向かったのは

NHK交響楽団のリハーサル室。

インタビューの前 特別に
リハーサルを見学する許可が下りた。

≪(楽器の音)

この日 パーヴォに迫れるのは

リハーサル見学の1時間と
インタビューの1時間のみ。

パーヴォの音楽の魅力。

その秘密を ひもとけるか?

音楽と酒造りに情熱を注ぐ
2人の対話が始まる。

世界のパーヴォ・ヤルヴィが

初めて 日本の酒蔵を見学。

サンキュー。

かのが パーヴォに
どうしても聞かせたい音があるという。

かのの人生を変えた その音とは?

♬~

午前10時
リハーサルが始まる定刻どおりに

パーヴォが姿を現した。

あいさつを済ませると
すぐにリハーサルが始まる。

♬~(演奏)

♬~

世界の名だたる音楽家たちと
共演を重ねてきたNHK交響楽団。

その首席指揮者に
パーヴォ・ヤルヴィが就任したのは

2015年。

日本のファンの高い評価を得て

すでに 2021年までの任期延長が
決まっている。

♬~(演奏)

♬~

♬~

パーヴォさん指揮のN響の演奏は

何度も お聴きしてるんですけれども
毎回思うのは

自分が 以前 知ってて
聴いたことのある曲のはずなのに

パーヴォさんが指揮をされると

新しい
聴いたことのない 見たことのない

命が その中に
吹き込まれてるような感じがして…

それは どうしてなのかなって。

今日のリハーサルを見させてもらって
すごく 私 思ったんですけれども…

何か こう 懐かしい友達に会うような
そんな近さを感じて

だとすると 音にも
それは ものすごく大きな影響を

与えてるんじゃないかな
っていうふうに感じたんですけれども。

言葉に頼らずに
では どう伝えるのか?

リハーサル中に見せた
パーヴォ流オーケストラとの

コミュニケーション術とは?

ワン サジェスチョン。

♬「パンパ ダン パン
ビア タタタ ターン」

♬「パンパ パンパ デンヤン
タタタタ タン」

♬「タタタタ… ティン」

♬「ラタタタ タタタ テテテ…」

♬「タタタ タタタ タタタ…
ラタタ タン…」

さらに リハーサルが進む中で

パーヴォが
何度も口にする言葉があった。

♬~(演奏)

メゾフォルテ アンド…
クレッシェンド。

ツー ファイブ セブン。

褒め言葉を重ねながら
修正部分の指示を出していく。

さらに…。

♬~(演奏)

パーヴォが演奏を止めた。

バイオリン奏者が パーヴォのスコアとは
異なる演奏をしたのだ。

自分の解釈を
最初から相手に押しつけるのではなく

異なる意見にも真摯に耳を傾け

オーケストラのメンバー全員で
より良い音楽を作り上げていく。

そうした
やり取りの積み重ねが生み出すのは

メンバーの自信と指揮者との信頼関係。

心地よい一体感が その場に満ちていく。

♬~(演奏)

パーヴォ・ヤルヴィは 1962年

当時 ソビエト連邦の一部だった
エストニア共和国に生まれた。

父は 現在も世界的な指揮者として
活躍している…

パーヴォが音楽に興味を抱き

その才能を
開花させていった きっかけは

父 ネーメと過ごした
幼少期にあるという。

エストニアでお生まれになったときに
もう音楽一家でいらっしゃるし

どんな幼少時代だったのかな
っていうのを

ちょっと詳しく
お聞きしたいなと思うんですけれど。

きっと その子どもたちに
ゲームのようにして

興味を持たせる
というようなことをされるのは…

やっぱり 皆さん こう

音楽家として進まれたっていうのは…

1980年 18歳のとき

パーヴォ・ヤルヴィは 家族と共に

アメリカに移住する。

自由が制限された暮らしに耐えかねた
父 ネーメの計画だった。

初めて目にする
自由の国 アメリカの光景に

パーヴォは目を見張ったという。

エストニアからアメリカに行ったときは

もう戻ってこれないかもしれないな
っていう思いも

おありだったと思うんですけれども。

そのあと エストニアに
戻るということができましたよね。

そのときに…

そして 心にどのように映りました?

ソビエト連邦が崩壊した1991年
エストニアは独立。

パーヴォは エストニアを再び訪れ

ここでの音楽活動に
精力的に取り組み始めた。

年に一度開かれる
指揮者を養成するためのワークショップ。

エストニアをはじめ
世界各国の若者たちに

パーヴォみずから 指導を行っている。

さらに エストニアの若手に
世界のベテラン演奏家を交えた

「エストニア祝祭管弦楽団」を結成。

エストニアの作曲家の音楽を
積極的に取り上げ

自国の音楽文化を世界に発信している。

活動の根底にあるのは

自由化が進んだ一方で
過去の記憶が薄れつつある

祖国 エストニアへの危機感だ。

パーヴォ・ヤルヴィが目指すのは

何よりも
作曲家の思いを反映させた演奏だ。

例えば
ベートーヴェンの「交響曲第9番」。

「楽譜に記されたテンポは速すぎる。

作曲家の指示は間違いだ」と

20世紀の多くの指揮者は
より遅い速度で演奏してきた。

しかし パーヴォ・ヤルヴィは

「楽譜に書かれた 速い速度記号こそ
ベートーヴェンが望んだものだ」と言う。

前に あの おっしゃってたお話の中にね…

…っていうようなお話を
聞いたんですけれども

その辺りのお話 もうちょっと
詳しく教えていただけますか?

♬~

楽団員の数や楽器の配置など

ベートーヴェンの時代の形に近づけて
演奏された「第9」。

ベートーヴェンのオリジナルの指示に
従うことで

テンポは格段に速くなり

演奏時間は これまでに比べ
10分以上も短くなった。

♬~(演奏)

パーヴォが よみがえらせた
軽快なテンポの「第9」は

多くの人に驚きと感動を与えた。

さっき ベートーヴェンのお話とか
いろいろ出てきましたけれども…

そして その作曲家とは
どういうお話をしたいですか?

質問とか たくさん きっと

今のパーヴォさんから
その作曲家に向けて

たくさん おありだと思うんですけど。

指揮者として 確固たる地位を築いた
パーヴォ・ヤルヴィ。

この先 何を見据えているのか?

後半は 舞台をスイッチ。

音楽家・蔵人 かの香織。

高い音楽性とファッション性で

時代を先取りした活動をしていた。

しかし 16年前…。

かのは 宮城県栗原市にある酒蔵で
日本酒造りに関わるようになる。

ここでは 麹造りの作業を任されている。

東京から およそ3時間かけ

パーヴォが かののもとへ やって来た。

ハーイ!
ハロー!

パーヴォさん!
ハロー! 香織さん ハウ アー ユー?

グッド!
ナイス トゥ シー ユー!

現在 かのは

古くから 父親とつきあいのあった
この蔵の一部を借りて

酒造りを続けている。

酒造りっていうのは すごく 本当に…

やっぱり 言葉も すごい大事で…

悪い言葉 汚い言葉っていうのは…

もし 悪い言葉を言ったら

やっぱり 一緒に働いているブリュワー…
蔵人の人たちが

すごい なげやりになったり
「何だよ!」ってなったり

それが 道具に当たったり

そして 最終的には お酒の味が

あんまり良くないっていうところに
いきつくっていうところがあるから

味作りっていうところでは
大切な要素になってくると思うんですね。

≪「頑張ります」って…。

それは 私の家の 家業が
この宮城の12代目というところで…

それで ある日 親が

「もう やめてしまおう」っていうふうに
言ったときの その顔がね

何か 寂しそうで

日本酒造りって
本当に すばらしい世界なのに

全部 やめてしまうっていうところが
本当に悲しかったんですよね。

それを 何か 受け止めて それで…

…っていうところが そもそも
もう 本当に

シンプルな動機っていうか
スタートの動機だったんですが。

やってるうちにね このお酒の世界って…

音楽も そうだと思うんだけど

何か こう 心にどんどん響いてくるものが
あるっていう世界で

どんどん引き込まれていったっていうのが
それが 結果的に

日本酒造りに関わることになりました。
音楽も やっぱり

引き込まれていくっていう瞬間
ありますよね。

それとすごい近いところで 何か こう…

何か 私の場合は 自然に この世界に
入っていったっていうのが

そもそもの きっかけだったんですよね。

そうですね…。
もう 本当に 私は

ある一部しか 酒造りの世界は
知らないぐらいのレベルなんだけれども

やっぱり 熟練した 本当に あの…

匠の技の杜氏さんでさえ…

…みたいなね
そういう大きなレベルなので

そこに どうコネクトしていいのか。

だから できるのは…

その大きさに触れたときの
難しさですよね。

ここで 実際の酒造りの現場を
パーヴォに見てもらう。

中に入るには
白衣を着なければならない規則。

嫌がるかと思いきや…。

今日は 私ね パーヴォさんのために

手拭いを選んできました。

ディス ワン。
ディス ワン オア ディス ワン。

これは ピアノ… やりすぎかなと
思ったんですけど 選ぶとき。

ディス イズ グッド。
よかった~!

サンキュー。

ここが お酒を造るための
大事な工程である

麹造りのお部屋です。

初めに向かったのは

酒のうまみを生み出す 麹造りの部屋。

あっ そう~?

パーヴォさん これね
麹が 出来上がった麹で

ここで 乾燥させたり

水分を飛ばしたりするところです。

1963年 かのは 宮城県に生まれた。

実家は 200年以上の歴史を持つ酒蔵。

蔵人たちと寝食を共にし

蔵から聞こえる「酒造り唄」を耳にして
育った。

そもそもは 自分の生まれた…

…っていうのが 出会いでしたね。

で 蔵人さんと ごはんを共にして
歌って 踊ってっていうのが

全部 ベースになって。
ただ 一つだけ嫌だったことが

非常に…

こんな古い世界…。 もう まき割って

何か フ~! フ~! なんていって
お湯を沸かしてっていうのは

ちょっと 私 すごく嫌で…

それが
デビューにつながってったんですよね。

本当に もう…

当時 音楽大学の学生だった かのを中心に
結成されたバンド…

♬「ささやく」

オペラとカンツォーネの要素を
取り入れた音楽と

アーティスティックなビジュアルで

一躍 80年代カルチャーを
けん引する存在に。

かのは その音楽性を高く評価され

坂本龍一をはじめ

数々のミュージシャンの音楽活動に
参加した。

♬~

さらに ソロデビューして発表した
「午前2時のエンジェル」がヒット。

♬「あなたが好き」

その後も プロデュース業に進出するなど
キャリアを重ねるが

次第に 音楽活動に
行き詰まりを感じるようになった。

そして 2002年
かのは 故郷 宮城県に戻る。

音楽業界って やっぱり
プロフェッショナルでやるとなると

楽しいことばっかりじゃないし
いろんな人間関係もあったり

契約してる会社との
コミュニケーションだとか

いろんなことが とにかく…

そのときに酒造りに出会って
何かこう 有機的なもの。

命に触れたときに すごく

今までの 仕事だけっていうところに
徹してた自分が

全部 崩壊していってしまって。

そこに つながったのは
本当に大きなことだったなって

今 すごく思うんですよね。

米と麹。 そして 水と空気。

大地の恵みが折り重なり
新たな命が生まれる不思議。

その尊さ。

どうしても パーヴォを
案内したい所があるという かの。

それは もろみを寝かせ
発酵させるタンク。

音が聞こえるっていうね ところを

ぜひ パーヴォさんにね
聞いてもらいたくて。

普通の日本酒造りの人は

あんまり ここは
気にしてない音なんですけれど…

タンクに当てた耳を澄ますと
かすかに音が聞こえる。

(泡の音)

発酵が進む過程で生まれる 小さな泡の音。

本当ね。

(泡の音)

酒造りを始めたころ

かのは 一人で
この音に耳を澄ませたという。

そのころは
すごい迷いがいっぱいあって。

あんまり 意味も考えずに
酒造りに関わり始めたんですけれど

この音を聞いて 何か

ただただ 涙が出てきたってことが
ありましたね。

最初に言われたんですけれども
その杜氏さんみたいな方にね…

…って言われたことがありました。

自然のものっていうのは
やっぱり 力がありますよね。

じゃあ パーヴォさん
これが私が造りました お酒です。

「阿佐緒」という名前なんですけれども…

今年 搾ったばかりのフレッシュ…。

フレッシュ ワン。

…フォア
ファイブ イヤーズ。         オーケー!

フレッシュ ワン。
フレッシュ?

乾杯。

どうかしら? ドキドキするな。

ああ よかった。

面白い表現だな。 さすがですね。

サンキュー。

すごいセンシティブな違いが。

イエス。

サンキュー。

この間 ある本で見たんですけれども。

…っていう意味合いがあるって
読んだことがあるんですけれど。

それって そのぐらい 皆さん
アルコールを飲むっていう場面があって

それを読んだときに思ったのは

ポップミュージックもジャズも
本当に お酒好きな人が多くて。

何か こう お酒を飲むっていうよりも
フィーリングっていうか

パワーっていうか エナジーっていうか
そういう自由な世界で

つながっちゃう部分が
アルコールミュージックっていうのは

すごい あるのかなって
ジャンルを超えて

そんなふうに
思ったりするんですけどね。

何か ブラームスも 死ぬときに
一番最後に飲んだ飲み物が

やっぱり アルコールで

飲んで亡くなるときに

「おいしい」って言って 亡くなったって

聞いたんですけれども。

2011年 かのの生き方を
再び大きく変える出来事があった。

東日本大震災。

各地に甚大な被害がもたらされ

かのが通う酒蔵も ダメージを受けた。

かのは みずからに問いかけた。

「それまであった日常
当たり前にあった笑顔を取り戻すために

自分には 何ができるのか」。

それは大きなことだったですね。

やっぱり 人に感謝する。 感謝するのを
必ず形にしていくっていうのを

お酒造りで教えられたのが きっかけで…

例えば 楽器は全部

潮につかってしまうと
使えなくなってしまうものもあり

壊れたものもあり
それをリペアすることだったりだとか。

それから 学校が閉鎖した所に
校歌を復刻させるという

そういう事業だったり。

震災後 かのは 基金を立ち上げ

音楽の力で
人々の心を支える活動を始めた。

その一つが…

今年1月。

宮城県東松山市で開かれた
ワークショップに集まったのは

去年 閉校になった
2つの小学校の卒業生たち。

閉校とともに失われてしまう校歌を
この先も残したい。

♬~

♬~(合唱)

お年寄りから子どもまで

卒業生が一つになって歌った校歌を
録音した。

かのは そのデータを

この先 いつでも聴けるよう
インターネット上に保存する作業を行う。

「校歌は 一人一人にとって人生の一部。

世代を超えて
多くの人の心をつなぐ歌だ」と

かのは言う。

やっぱり 音楽をプロフェッショナルに
やってる人だけじゃなくて 普通の…

「私の一曲」っていうのは
誰にもあると思っていて。

「ワンソングプロジェクト」っていうのを
展開しているんですけれども。

ある沿岸部の
一人のおばあちゃまがいてね

「おばあちゃん 何 歌ってほしい?」って
私 聞いたんですよ。

そしたら 何にも歌 知らないと。

おばあちゃんの若いころは
テレビもなかったし

何も分からないけれども
校歌だけは知っているって言われて。

それで その校歌の譜面を見て歌ったら
泣かれたんですね。

そうすると…

そういう支援活動が多かったですし

今も これからも
続けていきたいなと思って。

そのコネクトが すごく大事って
思ってらっしゃるんですよね。

すごく共感できますね。

お酒の世界でも さっき
3・11の話 出てきましたけど

全国の蔵元さんから あの災害のときに
道具を送られてきたんですよね

この東北の蔵元さんに向けて。

その意味合いは何だろうなと
私 考えたときに それは…

これを渡すと…

…っていう
皆さんの温かい約束みたいな

それの証しの形として
道具が送られたんじゃないかなって

私は勝手に解釈して。

私も今 自分なりのお酒を
造っているけれども

一つの日本酒の世界を
応援したいっていう気持ちが

すごく そのとき 湧いてきて

だから 道具 イコール 魂
っていうようなことをね

3・11で すごく思って。

サンキュー ベリー マッチ。
サンキュー ベリー マッチ。

うれしいです。

また来てくださいね パーヴォさん。
ありがとう。

テレビゼクス。

やっぱり
世界を見てきた人っていう人の

感覚っていうのは すごい自由だし

すごい幸せなオーラ

エネルギーに
満ちあふれているなっていうのが

今日は 一番感じたことですよね。

本当に よかった。

サンキュー。
サンキュー。

♬~

♬~


関連記事