英雄たちの選択「打倒信長!戦国忍者の戦い~真説・天正伊賀の乱~」戦国忍者が信長に挑んだ「天正伊賀の乱」。織田軍を苦しめ…



出典:『英雄たちの選択「打倒信長!戦国忍者の戦い~真説・天正伊賀の乱~」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「打倒信長!戦国忍者の戦い~真説・天正伊賀の乱~」[字]


戦国忍者が信長に挑んだ「天正伊賀の乱」。織田軍を苦しめた伊賀衆の強さを徹底検証。新発見史料に記された意外な忍者の生き様とは?戦国忍者のリアルに迫る決定版!


詳細情報

番組内容

超人的な忍術で人々を魅力する影のヒーロー、忍者。多くは創作の産物だが、実在の忍者が歴史の表舞台で大活躍した戦いがあった。敵は織田信長、伊賀を舞台にした「天正伊賀の乱」だ。織田軍を苦しめ、一度は敗退させた伊賀衆。現地取材と科学実験から判明した伊賀忍者の強さの秘密とは?さらに磯田道史は、忍者の子孫を訪問。新発見の古文書に記された忍者のリアルな生き様に驚嘆。信長に最後まで抵抗した戦国忍者の実像に迫る。

出演者

【司会】磯田道史,【出演】中野信子,小谷賢,山田雄司,川上仁一,【語り】松重豊




『英雄たちの選択「打倒信長!戦国忍者の戦い~真説・天正伊賀の乱~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

英雄たちの選択「打倒信長!戦国忍者の戦い~真説・天正伊賀の乱~」
  1. 忍者
  2. 伊賀
  3. 信長
  4. 伊賀衆
  5. 織田軍
  6. 脱出
  7. 徹底抗戦
  8. 磯田
  9. 非常
  10. 本当
  11. 柏原城
  12. 降伏
  13. 今回
  14. 意味
  15. 江戸時代
  16. 情報
  17. 選択
  18. 中野
  19. 各地
  20. 攻撃


『英雄たちの選択「打倒信長!戦国忍者の戦い~真説・天正伊賀の乱~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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津軽10万石の城下町だった弘前。

2016年 ある発見が話題を呼んだ。

町なかにたたずむ一軒の古民家。

調査によって

ここが忍者屋敷であることが
分かったのである。

入り口から居間に入ると…。

こんな音が。

(床がきしむ音)

うぐいす張りのような
音の鳴る床がございます。

そういった構造に
なってるんじゃないかなと。

(床がきしむ音)

江戸時代に作られたという床の間。

その裏には

体全体をすっぽり隠せる空間が。

この屋敷は
弘前藩の忍者集団

早道之者が
諜報活動のために

使ったと
考えられている。

忍者屋敷が そのまま残されているのは

全国でも極めて珍しいという。

現在 私たちが知る
忍者といえば…。

凡人には不可能なミッションをこなす…

そのほとんどは創作の産物である。

だが 実在の忍者が一度だけ

歴史の表舞台で大活躍した戦いがあった。

敵は あの…

世に言う…

戦国時代 最強を誇った織田軍が

忍びの里 伊賀に向け 出兵した。

ところが…。

攻め込んだ先で
兵たちは次々と討ち取られていく。

そして ついに撤退。

「伊賀衆の方術に惑わされた」。

果たして 伊賀の忍びたちは

どんな手段を使って
織田軍を撃退したのか。

戦いの真相に迫るべく…

お~! すごいですね!

守りを固めた 本当に…

一見 普通の屋敷には

外敵の攻撃を防ぐ 驚きの仕掛けがあった。

さらに磯田道史は

忍者の子孫だという
お宅を訪問。

ほらほら 出た 出た 出た…。

あった あった あった あった! よ~し!

赤裸々に記された
忍者のリアルな生きざま。

大興奮ですよ 今日は。 すげえな!

史上最大の忍者の戦い 天正伊賀の乱。

信長に最後まで抵抗した戦国忍者たち

その実像に迫る。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

そのとき彼らは何を考え 何に悩んで

一つの選択をしたのでしょうか。

今回 取り上げるテーマは こちらです。

天下布武を掲げる織田信長の配下が

忍びの里として
有名な伊賀国に
攻め込んだ

天正伊賀の乱です。

しかし 磯田さん…。
はい。

今回は 肖像画がね
見当たらないんですけれど

ずばり 主人公は誰ですか?

ないですね。 なぜかといったら
忍者だからですよ。

忍者がね こんな顔してますってやっちゃ
だめですよね。     確かに。

といっても
一般のイメージの忍者とは違います。

今回 信長と戦ったのは

伊賀の地侍や百姓たちですが

実は 全員が
忍者というわけではないんですね。

…というのが正確かもしれませんね。
ただ 不思議なのはですね

この伊賀の人々が

忍者であるなしにかかわらずですね

ものすごく強かったということですね。

強かったんですか?
あの信長も もう怖くてしょうがない。

恐れた。

今回は 磯田さんもロケに行って

何だか
とんでもない発見があったんですよね。

それは もう 本当に興味深いね
新しい史料の発見があったんですよね。

でも 僕 あんまり忍者の番組
やりたくないんですよ。
何でですか。

自分だけの秘密にしておきたい
っていうのがあって。

だけど まあ ちょっと見せますから 今日。

それでも 後ほど お話ししますんで。
それは じゃあ 後ほど

楽しみにしておいていただければと
思います。

それでは 伊賀の忍者たちが

織田信長と対立する経緯から
ご覧ください。

群雄割拠の戦国時代

歴戦の武将の陰には

不思議な呼び名を
持つ者たちがいた。

彼らは 皆 戦国時代に

活躍した忍びたちだ。

ある時は敵地に潜入し
さまざまな情報を入手。

またある時は
敵の不意をつき夜襲をかける。

凡人にはできない危険な仕事を担う
特殊部隊だった。

そんな忍びを
数多く輩出したのが

伊賀国である。

忍びの里と呼ばれた この地には

一体 どんな秘密があったのか。

忍者の実像に迫るべく

城郭考古学者の千田嘉博さんとともに
伊賀を訪ねた。

お~! すごいですね!

ものすごい高いですよね これ。

屋敷を囲む 不自然なほど…

よく見ると 伊賀には
同じようなものが あちこちにあった。

これは一体 何のためか。

代々 この地に住むお宅を
特別に見せてもらった。

いや~ 中も広いですね。

こういうふうに
周りを土塁で囲まれていて

中に こういう 村のお殿様のお屋敷が

建っていたというですね

まさに そういう様子が
そのままに残していただいてますね。

すごいとこですね。

屋敷のそばには
川も流れており

四方を守る形が取られている。

こうした防御の機能を兼ね備えた住居は

館城と呼ばれ

当時は 土塁だけでなく

堀も巡っていたとされる。

いや~ やっぱり 上に上りますと
こういうふうに ずっと こう

土塁が館の周りを
巡っていた様子というのが

すごく よく分かりますよね。

で この周りに田んぼが広がっています。

そして 遠くに集落や お家が

続いているのが見えますが
実はですね あの集落の中には

いくつも そういう館城がありまして

それぞれが そういうふうに
守りを固めていたという

そんな様子になっていたわけであります。

確認された城跡は なんと650か所以上。

全国有数の分布密度である。

なぜ これほど多く築かれたのか。

伊賀は中世以来 限られた土地をめぐり

争いが絶えない地域だった。

各地で
みずから館城を築いた地侍たちは

大名の直接支配を受けることなく

自治独立を守ってきた。

戦国時代の伊賀衆について記した
「伊乱記」は

彼らの生活ぶりを こう伝えている。

「毎日 夜明け前から 昼ごろまでは

士農工商 それぞれの仕事に励み

それから日暮れまでは
武芸を磨く。

昔から伊賀には

密謀の通力を伝える
風習がある」。

この「密謀の通力」というのが

いわゆる忍びの術とされている。

常に危険と隣り合わせだった伊賀衆は
武芸だけでなく

敵を陥れる技も鍛える必要があった。

そんな伊賀を疎ましく
思っていた男がいた。

天下統一を目指す…

当時 信長は
近畿一帯に勢力を広げていたが

伊賀には手を出せずにいた。

さらに隣国には もう一つの忍びの里

「甲賀」があり
同じく自治独立を守っていた。

伊賀は甲賀と連携して
信長の進出を阻んでいたのである。

険しい山々に囲まれ
進入路すら分かりにくい土地。

信長は 現地の情報を集めながら

じっくりと攻め込むつもりだった。

だが その意図をくまず
伊賀を狙っていたのが…

天正7年 伊勢にいた信雄は

信長に無断で伊賀へ出兵。

兵数1万を超える大軍勢だった。

山を越え 伊賀領内に
侵入しようとした。

そのとき…。

突如 山道に地侍たちが現れ

一斉に織田軍に襲いかかった。

山の中で待ち伏せしていた伊賀衆だった。

その奮闘ぶりは こう記されている。

「地の利は よく心得ている。

ところどころに
とりでを築いて

弓矢や鉄砲を放ち

槍を合わせ
息つく間もなく攻撃し

山の崖へ
追い詰めていった」。

総崩れとなった織田軍の戦死者は

数千人に及んだという。

そして 大将格の一人…

信雄は命からがら 伊勢へ逃げていった。

織田軍敗北の知らせは
すぐさま信長に伝えられた。

「言語道断の曲事」。

信長は 息子・信雄が

安易に出兵したことに
激怒したという。

見事な結束で独立を守った伊賀衆。

だが 彼らにとって
本当の試練は これからだった。

はい。 磯田さん
伊賀衆は強かったんですね。

強いですね。 伊賀との戦いっていうのは
仮に平定したとしても

米蔵に火をつけられたり

それは子々孫々の代まで
狙われるかもしれないわけですよ。

僕の親戚に

伊賀の乱のとき 信雄の家老をしてた
丹羽という家があるんですけど

それから長くたってから
岡山藩で 蚊帳の中で

首がなくなって
血みどろの中で死んでましたね。

誰がやったかは分からないけれど
私の家では

やっぱり 相当な虐殺をしたから 伊賀で。
一応 疑ってるんですよ。

だから もう
何をやられるか分からないんです。

とにかく 伊賀に手出すと。
ええ 怖いですよ。

だから 信長にしても…

最後まで残しといたんでしょうね
信長はね。

小谷さん 忍者って聞くと
どんなイメージありますか?

私の個人的なイメージというのは

スパイと特殊部隊を

掛け合わせたような
存在ですかね。

アメリカの
ワシントンD.C.にですね

国際スパイ博物館
というのがございましてですね

私も何度か行ったことが
あるんですけれども

そこでは 各国のスパイが陳列というか
並べられておりましてですね

日本のは何かと思って 見るとですね
実は 忍者が置いてあるんですよ。

ですから スパイというのは
忍者と紙一重みたいな

存在だったんじゃないかというふうに
思います。

忍者って多くのフィクションに
登場することもあって

何が史実であって
何が創作なのか

ちょっと よく
分かりにくいところがありますよね。

超人的な存在では
あったのかもしれませんが

そういう
イメージが強いんですけれども…

相手が今 何が欲しいのかとか
この人は 例えば こう

女性をあてがえば落ちる人なのか

金銭を使えば
情報を出してくれる人なのか

そういうのを読む力というのも 恐らく

かなり鍛えられたんじゃないかなと。

今回は 忍者研究を行っている歴史家の
山田さんにお越しいただいていますが

山田さん いろんな名前の忍者が
出てきましたけど

戦国時代の忍者っていうのは
どういう人物だったんですか?

そうですね 各地に…

いろいろ そういうふうに
呼ばれてるものがあるんですけれども

大体が山賊をやってたりとか

いろいろな
悪いようなことを

いろいろ
やってるんですけれども

そういう人たちこそ
いろいろなやり方は
知っているわけですね。

どこに どういうふうに
道があるかとか

それから どうやって戦ったらいいかとか
捕まえたらいいか

そういうことをよく知ってるので
各地の大名が みんな ほとんど

忍者というものを
使っていたというふうに言えますね。

江戸時代の藩によっては忍者のチームを

「偸組」って呼んでる所があるんですね。

「偸組」なんて
「泥棒」って言われてるんですよ。

だけど 合法的な泥棒で。

何か まあ 反社会勢力を

うまく使うかどうかっていう
戦いみたいに思えるんですけど。

ですから 忍者も同じように

そういう人を自分の体制側として使えば

非常にうまくできるということだと
思いますね。

ここで特別ゲストに
お越しいただきました。

どうぞ お掛けください。

ご紹介します。

甲賀流忍術の継承者 川上仁一さんです。
よろしくお願いいたします。

よろしくお願いします。

ということで 川上さん 今日 ちょっと

持ってきたものがあるということで

見せていただけますか?

(川上)有名な手裏剣ですね。

(中野)あっ あれは 撒菱…。

(川上)種類がありましてね。

こういうのですね。
手裏剣に撒菱。

(川上)これは おなじみの手裏剣ですね。

これは折り畳めるようになってると。

えっ! へえ~。
使うときは こういったものですね。

ポータブルですね 折り畳みができて。
そうですね。

磯田さんは もう なじみのある…。
よく見てますね。

忍術検定とかに行くと
毎年「投げて」とか言われて

ちっとも当たんない。
あっ そうなんですか。

実際 こうした武器をですね

戦国の忍者っていうのは
使っていたんですかね?

使ってないと思いますね。
あ~ そうですか。

こういう手裏剣はね
どれだけ役に立つのかということ。

恐らく 戦国期には こういったものが

忍びの者が忍ぶ武器としては使ってる
というのはないと思うんですよね。

「忍術秘伝書」には 時折出てくるのは
出てくるんですけどね。

むしろ 農機具の鎌とかね

そういったものは「薙鎌」といいまして
長い柄をつけて使う。

それから 槍のようなものですが
「しばき鎗」っていう そういったものが

一応 伊賀地方では使われたという
伝承がありますね。

使い勝手がいいです。

天正伊賀の乱のときにも
それぞれが得意な道具を持ち寄って

戦ったというようなことが
書いてありますので

恐らく
やっぱり 柄が長い鎌であったりとか

あと よく使ったのは弓とかですね。
それは やってますね。

どんな過酷なトレーニングを
してたんだろうというのが

ちょっと気になるんですよね。
例えば どんなことをするんですか?

(川上)小さいときからね
家業がありますよね。

プラス その
ああいう伊賀の地域性ですよね。

地形とかですね
それから 家代々でですね

幼少から そういった心得として
学んでいくわけですよね。

だから立ち居振る舞いから
学んでいくということになっております。

筋トレをやって トレーニングをする
っていうわけじゃなくて

ふだんから 木に登って。 名前として

木猿とか
そういうふうな忍者がいますけれども

まさに木から木へ
ターザンみたいな形で行けるような

そういう人たちっていうのが
結構いたんじゃないかと思いますね。

さあ 大勝利した伊賀衆ですが
敗れた織田軍の逆襲が ついに始まります。

その軍勢 なんと…

汚名返上に燃える信雄を総大将に

織田家の名だたる重臣が戦陣に加わった。

しかも今回は
多方面からの一斉攻撃。

迎え撃つ伊賀は

それぞれ 敵の
情報を正確につかんで

連携する必要があった。

そのために
使ったとされるのが…。

狼煙による情報伝達。

伊賀では
狼煙台の跡が いくつか確認されている。

いずれも 集落から見えやすい位置にあり
各地で連携すると

南北15キロ以上の範囲に

警報を伝えられたともいわれる。

だが 科学の視点で忍者を研究する
加藤 進さんは

忍びの狼煙には
さらに特殊な力があったと考えている。

注目したのが
江戸時代の忍術書「万川集海」。

そこに狼煙の材料が記されていた。

最初に掲げられているのが「狼の糞」。

牛などの家畜の糞に比べ
手に入りにくいが

代表的な材料だったようである。

今回は 狼のDNAを持つ
ハイブリッドウルフの糞で検証した。

5日前の狼の糞を
置いてみたいと思います。

火にかけると すぐに煙が立ち上がった。

煙自体は
マツやヒノキよりも むしろ少なく

見た目には特別な力があるとは思えない。

だが…。

く~… これは たまらん。

煙から発せられる強烈なにおい。

そこで
臭気計で測定してみることに。

測定不能になるほどの異臭。

ああ… 鼻がおかしなってきた。

加藤さんは 狼煙が嗅覚にも訴えていた
可能性を指摘する。

(加藤)風の向きとか
そういうのによるんですけれども…

これは もちろん
前もって示し合わせといて

こういう臭いにおいの煙が上がったら
ゴーかストップ プラス緊急事態とか

何かを示すのに ひょっとしたら…

これが本当なら 悪天候などで
煙が目視できない状況でも

周囲への情報伝達が
可能だったことになる。

織田軍の攻撃に対して あらゆる手段で
防御態勢を整えていた伊賀衆。

しかし 4万という大軍勢を前に
彼らの心は さまざまに揺れていた。

信長に内通する者まで現れた。

「伊乱記」に記されているのは
福地伊予という人物だ。

福地は 険しい進入路の道案内を行い
織田軍を伊賀領内へ導いたという。

なぜ 仲間を裏切ったのか。

伊賀北東部にある福地城。

そこは 織田軍が

最大の兵力を
配置した方面だった。

福地の集落は 真っ先に

攻撃を受ける
場所だったのである。

地元の歴史に詳しい藤井克幸さんは
福地氏の心境を こう語る。

それで信長に平定してもらって
治めようと。

この地域を守ろうとする意識がね
強かったと思います。

内通者を得た織田軍は
ついに伊賀領内へと侵入。

その攻撃は苛烈を極めた。

「一軒残らず焼き払い
男女差別なく殺害した」。

僅か数週間で 伊賀衆は

最後の拠点 柏原城まで追い詰められた。

籠城した兵数は およそ1, 600人。

城には
女性や子どもたちも逃げ込んだという。

各方面から侵入した織田軍は集結し

総勢およそ4万で柏原城を取り囲んだ。

絶体絶命の状況の中で
評議に臨んだ伊賀衆。

さまざまな選択に揺れた。

まず声を上げたのは抗戦派だった。

敵の大軍を前にしては
我らは まさに多勢に無勢。

だが
この柏原城は すぐには落城すまい。

籠城戦に徹し 雌雄を決するのだ。

柏原城に立て籠もって
戦うことができたのか。

城の本丸は
四方30メートルに満たない規模だったが

巨大な防塁に守られていた。

土塁の所で
注目していただきたい所があります。

あそこにも やはり 石垣の痕跡がですね
見事に残っていまして

恐らくですね ここは…

ですから 従来は
高い土塁で空間化していて

実際に こう 櫓を建てるっていう。

まさに こういった…

非常に守りの力の強いお城ですよね。

評議では
徹底抗戦に反対する意見もあった。

我らは
兵糧の準備が不十分ではないか。

城を枕に討ち死にするのは愚策である。

速やかに城を明け渡し
降伏すべきであろう。

防御が堅かった柏原城だが

周囲を敵に囲まれ

兵糧の補給路は
断たれていた。

しかも 伊賀衆には
籠城戦に不可欠な

援軍が
いなかったのである。

無論 いまさら降伏しても
命が助かるとは思えん。

一体 どれだけの仲間が殺されたのだ。

信長は 伊賀を
せん滅させるつもりではないのか。

袋小路に陥った伊賀衆。

だが その中で意外な案も出た。

ならば いっそ 敵を欺いて
せめて 女や子どもたちだけでも

城から逃がす計略を立てようではないか。

城からの脱出。

実は 柏原城を包囲される前

すでに この作戦を実行した者たちがいた。

西部の比自山城に籠城した伊賀衆である。

織田軍が城に突入すると

そこは一夜にして
もぬけの殻になっていたという。

伊賀衆は城中に たいまつを焚き

城に人数がいるように見せて
織田軍を欺き

ひそかに脱出していたのである。

いや しかし すでに織田の全軍が

城の周りに集結しているではないか。

敵を欺くのは容易ではない。

本当に脱出することなどできるのか…。

宿敵 信長に対して 徹底抗戦を続けるか。

城を明け渡し降伏するか。

はたまた 忍びの術を使って
城を脱出するか。

伊賀の命運を懸けた決断の時が
迫っていた。

危機に立たされた伊賀衆ですが
まずは 磯田さん。

狼煙の実験がありましたよね。
あれ 臭そうでしたね。

あれは
相当な悪臭だったんじゃないですかね。

中国で まず「狼」の「煙」と書いて

やっぱり 狼の糞を焚くというのが
あったから

忍者は 古典とかも よく読んでて
やっぱり 国際レベルの

ああいう におい信号発信技術を
持ってるわけですね。

数キロにわたってね 今見たら。

だから すごい知恵ですよね。

かなり あの実験に…
ロケに行ったスタッフたちは

もう相当なにおいだったと
言ってましたけどね。

帰り 地下鉄で帰れねえよっていうね
もうにおいが移っちゃってみたいな。

あの後ろの幕ありましたでしょ。

あれ もう
使い物にならなくなったそうです。

五感のうち…

コミュニケーションに使うには
非常に良かっただろうと。

しかも遠くまで届くと。
実験とかもしたんですかね?

してたと思いますよ。
我々がしたみたいにね。

火薬の調合も
いろいろなやり方が書いてあって

例えば 煙がたくさん出るとか
火がバーッと飛び出すとか

いろいろな場合分けしてやってるので
実験は数多くやって

それで
このときは これっていうふうなものを

使ってるんでしょうね。
科学者でもあるんですね 忍者は。

小谷さん なぜ 織田軍は あれほど

全域にわたって攻撃したんでしょうね。

まあ その普通の戦だと
とりあえず大将の首を取れば

敵が もう総崩れになって逃げ出すと。

それを後ろから追撃して

まあ 勝利を収めるというのが
パターンなんですけれども。

農民とか ほかの人の格好している

兵隊がいるわけですよ。

農民だと思って通り過ぎると
後ろから襲ってくるというので

やっぱり
危なっかしくてしょうがないから

もう目に入るものは 全部 もう蹂躙
虐殺していかないと

危なっかしいということだったんじゃ
ないかなというふうに思います。

それでは 選択にまいりましょう。

およそ4万の織田軍に囲まれた
伊賀衆ですが 選択肢は3つです。

1つは鉄壁の防御を生かした「徹底抗戦」。

2つ目は みずから城を明け渡す「降伏」。

3つ目は 女性や子どもだけは
助け出す「脱出」。

皆さんの意見を お伺いしていきましょう。

私は 2の「降伏」を選びます。

…といいますのは

もう ここで徹底抗戦をしても
もう 勝てる見込みっていうのは

まあ ほとんどないと思います。

「脱出」というものも
周り ず~っと囲まれていますので

そこを逃れるっていうのは
ちょっと厳しいかなと思うんですね。

伊賀衆というのは やはり いろいろ
今までも寝返って

そして 生き続けているという
そういうことがありますので

例えば 誰かのせいにして
これは こういう… 戦おうとしたのは

ほかの あいつが こういうことを
言っていたからだというふうに

責任を押しつけて。 私は 全然 本当は
やろうとしてなかったんだと。

そういうふうなことをして 降伏をして

これからは 織田軍のために
尽くしますというような形で

降伏を宣言するというのを選びます。
はい。

私は 3の「脱出」を選びます。
「脱出」。 はい。

今 確かに
山田先生がおっしゃったことは

まさに正論なんですけれども

それは 織田軍でなければ
成り立つかと思います。

ただ…

1の「徹底抗戦」も
ちょっと 後詰めがないので

兵糧の問題もありますし
やや厳しいかなと。

で いつも その包囲戦やってても 多少…

実は 城から こっそりと抜けて。

ですから 闇夜に乗じてですね

ちょっとずつ ちょっとずつ逃げて

とりあえず 命さえ拾えばですね

何か その 挽回の機会はあるんじゃないか
というふうに思いますので

私は「脱出」がいいんじゃないか
というふうに思います。

では 中野さんは どれを選択しますか?

私は
1の「徹底抗戦」なんですけれども。

正確に言えば
徹底抗戦をしてると見せかけて

大事な次世代を残す 女 子どもは

逃がそうという考えですね。
(小谷)それ「脱出」じゃないですか。

「脱出」… 「脱出」ですね。
本質的にはね。

そもそも 人間が社会性を

進化させてきたという意味を考えると…

(中野)それで大部分は
こう 無傷で逃して

遺伝子をつないでいくという意味が
あったはずなんですよね。

やっぱり 戦闘する人たちは
徹底抗戦の姿を見せて

子どもたちを逃がすということが
行えれば

一番いいかなと思うんですね。

皆さん 割れましたね。

さあ 磯田さんは この3つのうち
どれを選びますか?

僕はね 3番。 「脱出」あるのみ。

あの 紀伊山脈は広いので
山の深い地域を移動して

まだ十分に戦えると。

200人も手だれの忍びがいたらですね

もう まずですね
同時攻撃をやるんですけど。

あと 慌てて…

あと 信長が…

沈めて大坂湾の制海権を失ったところで

毛利海軍にやって来させて。
一番 困ってるときに

もう 山の尾根筋を あれして
もう そういう

あらゆる破壊活動を行って
これで5年ぐらいやってるうちに

信長も謀反が起きるかもしれないし
まひしてくるわけですよ。

それで 伊賀へ
もう一回 戻ることをねらうという

これがいいんじゃないですかね。

徹底した作戦ですね。
徹底してやったほうがいいですよ そりゃ。

長い戦いになると思いますよ。
10年間は これをやらなければいけない。

(中野)それは
「徹底抗戦」なのではないでしょうか。

ある意味… ある意味「徹底抗戦」ですよね。

それでは 伊賀衆は
どの道を選択したんでしょうか。

評議を重ねた末 伊賀衆が出した結論は…。

およそ4万で包囲する織田軍から

どのように逃れるのか。

籠城から10日以上たった夜。

柏原城から数人の伊賀衆が抜け出した。

彼らは
周辺に隠れていた百姓たちを動員して

織田軍の背後の山に 可能なかぎり
多くのたいまつをともさせた。

それを見た織田軍は…。

「数千に及ぶ伊賀の援軍 現る」。

そう思い込み 兵たちは大混乱となった。

これこそ 伊賀衆のねらいだった。

この隙に柏原城から女性や子どもたちを

脱出させる手はずだったのである。

ところが この計略を見破った男がいた。

織田家の名将…

10代のころから信長に仕えた重臣である。

比自山城での
伊賀衆の計略を見ていた長秀は

援軍を偽物と見抜き

織田軍の混乱を
速やかに収束させてしまった。

逃げ出す機会を失った伊賀衆。

作戦は失敗に終わったのである。

もはや これまで。

数日後 ついに 柏原城を開城し 降伏。

伊賀の自治独立は ここに消滅した。

「伊乱記」には
信長の容赦ない処分が記されている。

「各地の城は
焼き払われ

神社仏閣は
破壊された。

男女の差別なく
大勢が処刑された」。

運良く他国へ逃げた者もいたが

半数に及ぶ伊賀衆が犠牲になったという。

それから数日後。

検分のために…

山の上から伊賀国を見下ろしていた
ちょうど そのとき

事件は起こった。

(銃声)

数発の銃弾が 信長に向け放たれたのだ。

狙撃したのは
伊賀の忍びの残党だった。

だが 弾は いずれも信長を外れ

忍びたちは すぐに
行方をくらましたという。

伊賀の執念は
最後まで信長を脅かしたのである。

その後も
伊賀への警戒を緩めなかった信長。

それがうかがえる城がある。

信長が
伊賀支配のために築いた滝川氏城。

巨大な本丸跡は

これまでの伊賀の城にはない規模だった。

だが その一方

形は 四方を土塁で囲んだ

伊賀の館城と同じ。

千田さんは そこに

信長の心境が表れていると考える。

天正9年っていいますと
その はるか前の天正4年から

信長の安土城の建設が始まっていまして。

本当に
ある意味 奇妙なお城ですよね。

近世的な石垣のお城を

ば~んって
つくるっていう形ではなくて…

地元の伊賀の人たちが見て

「すごいお城だ!」っていうふうに
思えるですね…

みずからの力を誇示しつつ
慎重に支配を進めた信長。

伊賀を織田家の直轄地とし

地侍たちが再び力をつけないよう
統制を強めた。

しかし 天正10年

信長は 本能寺の変に遭い

突如 この世を去る。

天正伊賀の乱から
僅か8か月後のことだった。

伊賀衆は
脱出作戦を決行したんですけれども

結果的には 織田軍に支配されてしまった
ということなんですが

中野さん いかがでしょう?
「徹底抗戦」を選択されましたけれども。

そうですね… まあ もしかすると

徹底抗戦をしているふりをして
こう 逃がしたとしても

その人たちが
やられてしまったかなっていう可能性も

なきにしもあらずかなとは思いますが。

ここまで 相手を…

(中野)あんなに 信長を
本気にさせてしまったというのが

最初のつまずきだったのかなというふうに
思いますね。

(小谷)本気 出し過ぎましたかね。
だって 4万もいらないですよ

数千の敵を倒すのに 常識的に考えれば。

過剰… 過剰ですよ。

やっぱり 伊賀や
その辺りの忍びの者たちを

信長は 僕は 恐れてたと思いますね。

もう 始末に負えない人たちだと。

ちょっと 僕が怪しいと思うのは

伊賀を焦土にして殺し尽くしたあと
信長は 僅か8か月程度で

滅ぶわけですよね。 で これは

本当に 別個の無関連な事件かと
僕も 前から考えている。

で 光秀っていうのは
非常に緻密な男なので

自分でやったのもあるんですけど…

僕はね 裏で

光秀とその周りにいる諜報をする忍びとの
話し合いっていうのは

どれだけ あったか なかったか。

タイムマシンがありゃあ
見てみたいですね。

中心者っていうのは 当時は

忍者の そういう元締めのような人は
いたんですか?

いや これが もう
伊賀の 権威ある神社で

みんなが集まって あれこれ
議会みたいに言うという制度ですよね。

一応 評定衆みたいな そういう形で
合議制だったといわれてますけれども。

忍びかどうか知りませんけど

伊賀の人たちの一人が
おならをしたって記録があって。

そんなことまで残ってるんですよね
評定の中で…。

僕は 中世文書 伊賀のを
ずっと読んでいったけど

みんなで こう
議会みたいに決めてるところで

おならしたら
記録に残るんだ? と思ったけど。

だから 逆を言うと…

…も高いんですよ あの時期は。

インテリジェンスっていいますけど
インテリなんですよ

やっぱり あの地域っていうのは。
すごい!

(山田)忍術書なんか 非常に
漢文体で書かれていたりとか

いろいろ 中国の兵法のとか
引用したりとかしてますから

さまざまな知識がなければ
ああいうものは できませんから。

やっぱり 持ってなければ
できないんですよね。

知識が もう 武器というような…。
(山田)そうですよね。

それが やっぱり
あの独立性の強さだと思うんです。

さあ それでは 忍者たちの その後の
生きざまを ご覧いただきましょう。

信長の死後
天下人は秀吉から家康へと移り変わり

戦乱の世は終わりを迎えた。

他国へ落ち延びた伊賀衆の中には
ふるさとに帰る者もいた。

だが 伊賀が かつての自治独立を
取り戻すことはなかった。

そんな伊賀の忍びたちに目をつけたのが

徳川家康だった。

服部半蔵のもとに
まとめられた伊賀者は

江戸時代 将軍家の隠密や
江戸城の警備などを務めた。

伊賀者たちの評判は 全国に知れ渡り

諸藩の大名たちにも
雇われるようになった。

ある者は 他藩に不穏な動きがないか
諜報活動を行い

ある者は藩主の身辺警護を務めたりした。

忍者の研究をライフワークの一つとする
磯田道史。

伊勢国の関宿 来ました!

もう 東海道!
あっちが京都?

こっちが 江戸のほうです。

で この格子窓が
非常に美しいわけですよ。

向かったのは 江戸時代から
370年以上続くという

老舗の和菓子屋である。

ごめんくださ~い。
は~い。
磯田です。

いらっしゃいませ。 お久しぶりです 先生。
服部さんです!

ご当主の名は…

磯田の調査によって

忍者の末裔だということが判明した。

服部家には
まだ世に出ていない史料が

数多く眠っていた。

(服部)何が書いてあるか分からないんで

先生にお見せしたい史料が いくつか。

今回 初めて見る古文書を

調査させてもらうことになった。

「家康に仕えた由来は…」。

あっ そうそう 「知恵伊豆」ですよ。

これは あの…
たぶん 天草四郎が

反乱を起こした
天草・島原の乱のとき。

これは 服部源蔵という名のご先祖が
記した覚書。

江戸時代初めに起きた島原の乱のとき

忍びとして幕府軍に志願したという。

だけど これ 島原の乱のときに
「俺も連れてってくれ」っていう

就職活動を行ったことが明らかなんで
やっぱり これは

忍びとしての活動をしてた可能性が
高い家だと これで分かる。

就職活動を行ったが
願いがかなわなかった忍者の記録。

しかし その後は
江戸にいる旗本に仕えたという。

そして もう一枚の古文書は
その源蔵が出した退職届だった。

いきなり ふっと いなくなって
これを書き置きにしたんだ。

で 「諸事 後の儀は… あとのことは
よろしく取り計らってください」と。

そう書いてあるんですよ。 面白いね。

「忍びまかり下り」って。

自由だね やっぱり忍者ってね うん。

こういう 経歴のある人が もう一回
手作りだとかいって帰ってきて

街道筋で餅屋をしてるってことは
ここ通る人 全部見るわけですよね。

怪しいね。
ええ…。

関宿は…

多くの人々が行き交い

各地の情報を得るには格好の場所だった。

江戸初期の関宿を描いた絵図が
残っている。

そこには 確かに服部さんのお店があった。

だが注目すべきは 店の目の前にある

「御茶屋御殿」と記された館。

なんと そこは
家康はじめ 将軍が上洛するときに

宿泊した場所だったという。

ここの窓から こう開けるんですよ。

そうするとさ こうやって
じ~っと こう見てると

通る人 全員 分かるわけですよね。

元公安調査庁調査官みたいなやつですよ
これ。

ここにいて 家康の宿泊所のお向かいに
餅屋を構えていて

こういう構造で
この文書を隠し持ちながら暮らしてて

これ 世の中に出たのは
今日が最初だと思うんですよ。 そうです。

大興奮ですよ 今日は。 すげえな。

服部家の史料は
源蔵のほか多くのご先祖が

忍びの経歴を持っていたことを
伝えている。

もしかしたら この和菓子屋で
代々 徳川家を支えるために

忍者の仕事をしていたのかもしれない。

忍者っていう言葉だけじゃないイメージが
やっぱり 僕の中にはありますよね。

だから そういう意味では 本当に…

割と こう 親しみを覚えるというか
気持ち的に人間なんだな

今と同じようなこと考えてたんだなとか
っていうのが分かるので

とても そういう意味では
近い存在になりますよね。

戦国から江戸時代へ。

幾多の試練を乗り越え
生き抜いた忍者たち。

ふるさとで培った忍びの術は
形を変えて

その暮らしを支え続けたのである。

磯田さん 大発見ですね!
ねえ!

こんな… 放送をやるときに
出てくると思わなかったですよ。

「父の机の上に こんな短冊箱が」
って言って

出してこられて 開けたら出てきたと。

でも 思ったより
お母さんの体のことが心配だから

ちょっと もう ここからは…
ここを辞めますっていう感じが

結構 何ていうんですか
私たちの感覚と近いんですね。

介護休暇みたいにして
帰っていくんですよ。

私も初めて知りましたけれども

非常に人間らしさというか
そういうことが よく分かって。

今まで制度的なことは分かりますけれども
なかなか そういう

実際の生きた忍びというものは
どんなことをやっていたのかとか

そういう内実が分かるものというものは
なかなかないので

非常に貴重な史料だと思いますね。

やっぱり 平和な世の中になりますと
私は情報収集。

これが 食っていくためには
大事な技術だったというふうに思います。

本当に普通の一般の人々のように生活して
ただし 目は光らせてですね

情報を集めてたんじゃないか
というふうに思います。

それは もう日本のみならず

古今東西でも共通しておりますし…

このスタジオにもいるかもしれない…。
それは どうでしょうね?

(笑い声)

僕は目立ちすぎるから…。
そうですね ちょっと目立ちすぎますね。

磯田さんがスパイだと。 フフフフ…。

中野さん いかがでしたか?
そうですね

非常に興味深い歴史と生きざまを

見ることができたなと
思うんですけれど。

戦闘技術そのものは
ひょっとしたら もう

ロストテクノロジーになったほうがいい
社会なのかもしれないけれども。

でも こう
うまく生き延びる知恵だったり

一部が駄目になっても
また もう一部で生き延びるとか。

一旦 負けても 勝つために
執念深く 戦いを続けるっていうこととか。

何か その辺は こう 平時であっても

学ぶべき知恵が
そこにあるのかなという感じがしますね。

忍者っていいますと
忍者を主人公にしたドラマ 漫画 映画

いろいろ 昔から
たくさん作られてきましたけれど

何で こんなに忍者を愛したり
魅力を感じたりするんでしょう?

そうですね 私は歴史の立場から

忍者の実像ということで
研究していますけれども

結局 こうだっていうのが
なかなか分からないんですよね。

もう ずっと江戸時代から現代に至るまで
いろんな忍者が作られてきていて

あるときは社会から疎外された
そういう忍者もあるし

あるときは スーパーヒーローの忍者も
あるしという形で…

(山田)そういう存在っていうのは
ほかにはないと思うんですよね。

それは やっぱり
現実の社会っていうのは 見える社会で

まあ こんなものかなとは
思うわけですけれども

実際 裏で もしかしたら こんなことを
やっているということがあったら

面白いじゃないですか。 そういうときに

こういう人たちが
活躍していたということを

いろいろなもので表してくれると
非常に わくわくする。

それを体現しているのが忍びじゃないかな
というふうに思いますね。

忍者って すごい…

信長軍とか。
これが やっぱりいいんじゃないですかね。

一個の人間が立ち向かうみたいな。

どうも 忍者の生き方を見てると

5つぐらい大事にしているものが
英語っぽく言うと あって。

1つは スキルですよね。
スキルがある。

あと フリーランス制。

組織に完全に取り込まれない。

割に さっきみたいに
介護で帰っちゃったりして。

あと もう一つが
情報 インフォメーション。

これは まあ 当然ですけど。

あと 忍者の支えてる技術っていうのは

外国のものを輸入して使っていたり

結構グローバルなんですよね グローバル。

あと 自分たちの地域社会である

ローカルに対する
ものすごい愛着っていう。

信長は
何だかんだいって

強そうに見えてるけど滅びたんですよね。

縦型の社会で集権的で

言うことを聞け
っていう あの巨大組織の時代って

今ちょっと
だんだんまずくなって 個人になり

スキルを自分で売らなきゃいけない
世の中になりつつあることを考えると

個としての生き方
フリーランスで生きてくと。

もう組織は守ってくれない前提で

そのスキルを積んで生き延びるという

サバイバルするという。

今 僕らが直面してるんじゃないですか。

みんな 忍者のように生きないと
大変になってきてるかもしれない。

なるほど!
皆さん 今日は ありがとうございました。

あっ すごい!忍者がいっぱいいる。


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