コズミック フロント☆NEXT スティーブン・ホーキング博士。宇宙の始まり、ブラックホール蒸発、タイムトラベル…。


出典:『コズミック フロント☆NEXT 宇宙の冒険者~ホーキング博士 ラストメッセージ』の番組情報(EPGから引用)


コズミック フロント☆NEXT▽宇宙の冒険者~ホーキング博士 ラストメッセージ[字]


スティーブン・ホーキング博士。宇宙の始まり、ブラックホール蒸発、タイムトラベル…。常識外れの理論を打ち出し、究極の謎に挑んできた。亡くなる前の最後の日々を追う。


詳細情報

番組内容

2018年、76才で亡くなった宇宙物理学者スティーブン・ホーキング博士。宇宙の始まり、ブラックホール蒸発、タイムトラベル…。常識外れの理論を次々と打ち出し究極の謎に挑んできた。NHKは、晩年の博士を密着取材。難病ALSを患いながら、なぜ危険も顧みずに世界中を旅したのか?なぜ最後の著書で、環境問題やAIの脅威など「人類の未来」に警告を発したのか?友人たちの証言をまじえ、人間・ホーキングの素顔に迫る。

出演者

【語り】萩原聖人,池田伸子,【声】植竹香菜,小林希唯,宗矢樹頼,千田光男,酒巻光宏




『コズミック フロント☆NEXT 宇宙の冒険者~ホーキング博士 ラストメッセージ』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

コズミック フロント☆NEXT スティーブン・ホーキング博士。
  1. 博士
  2. 宇宙
  3. ホーキング博士
  4. ブラックホール
  5. リンデ
  6. 議論
  7. 世界中
  8. 当時
  9. ソ連
  10. 仮説
  11. 研究
  12. 講演
  13. 宇宙論
  14. 言葉
  15. 最後
  16. 時間
  17. 大学
  18. 拍手
  19. 予想
  20. インフレーション


『コズミック フロント☆NEXT 宇宙の冒険者~ホーキング博士 ラストメッセージ』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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2018年 76歳で亡くなった

宇宙物理学者の…

今 ホーキング博士が
亡くなる直前まで執筆していた著書が

世界中で話題になっています。

東京で開かれた出版イベントには
500人を超えるファンが詰めかけ

博士の息子がメッセージを伝えました。

ブラックホールの奥底。

そして…

人類究極の謎を

常識外れのアイデアで解き明かそうとした
ホーキング博士。

一方で ユーモアをこよなく愛し

科学の魅力を
誰にでも分かる形で伝えてきました。

政治家。

宗教家。

ロックスター。

あらゆる立場の人々と

科学について
論じようと…

さらに 命の危険も顧みない冒険で

人間の持つ可能性に限界はないことを

身をもって示したのです。

頭の中で宇宙を自由に旅し

「なぜ?」「どうして?」と問い続けた博士。

「全力で生き 理解する」。

博士がくれたラストメッセージです。

NHKは 2012年から

ホーキング博士の密着取材を
行ってきました。

ハロー! ハーイ!
ナイス トゥ ミート ユー。

取材が許されたのは 博士の自宅。

このとき 複数の看護師が

24時間体制で
博士をサポートしていました。

体中の筋肉が動かなくなる難病
ALSを患い

すでに
顔の筋肉以外は全く動かせなかった博士。

人工呼吸器で息をし

頬の筋肉でコンピューターを操って
会話をします。

文章を打ち始めてから声に出すまで
10分以上かかることもあります。

この日も 打っている途中で
出かける時間になってしまいました。

それでも 博士は続けます。

朝9時に 博士は
必ず 身支度を整え 大学へ出勤します。

インターネットを使って
自宅で仕事をすることも可能でしたが

人と直接会って会話することに
こだわりました。

オフィスは
ケンブリッジ大学の一角にありました。

博士は ここで 看護師やアシスタントに
手伝ってもらいながら

論文を読み
世界中にメールを出していました。

この日は 共同研究者たちと

ブラックホールの情報喪失問題について
議論を交わしました。

共同研究者は 博士の反応を見ながら
時間をかけて議論を進めます。

2012年 博士は ブレイクスルー賞を受賞。

まだ実証されていない
革新的な理論研究に与えられる賞です。

(拍手)

博士は その生涯で

ノーベル賞以外の賞は
すべて手にしたともいわれました。

ホーキング博士は難病を患いながら

なぜ これほどの業績を
生み出すことができたのか。

亡くなって1年

私たちは 博士の人生を
たどっていくことにしました。

50年来の親友 ロバート・ドノバンさんが

取材に応じてくれました。

博士とは 学生時代に知り合い

晩年まで 家族ぐるみで
親しくつきあった仲でした。

ドノバンさんの結婚式のフィルムです。

そこには 傘を
つえ代わりにして歩く

ホーキング博士の
姿がありました。

ガリレオが死んだ日の

ちょうど
300年後に誕生した博士。

少年時代 おもちゃを分解しては

その仕組みを
飽きずに調べ続けたといいます。

大学では ボート部に所属。

運動や夜遊びに熱中していました。

専攻は…

勉強はしなくてもできる天才肌で
大学を首席で卒業しました。

しかし 博士は21歳のとき

大学院で研究を始めたやさきに…

あと数年の命と宣告されたのです。

それでも 決して周囲に

弱音を吐くことはなかったといいます。

そんな博士を勇気づけたのは
一人の女性でした。

大学で言語学を学んでいた…

常に前向きで 敬けんな
キリスト教徒だったジェーンさんは

病気を承知で
博士との結婚を承諾したのです。

その後
病気の進行は医師も驚くほど遅くなり

博士は 大学に研究員として採用されます。

車いすの生活が始まりましたが

かろうじて 人と話すことは可能でした。

博士が取り組んだのは

当時 実証するのが難しいと

科学界で敬遠されていた…

頭の中だけで組み立てられる
数式の研究でした。

1966年 ホーキング博士は弱冠24歳で

完璧と思われていた

アインシュタインの
相対性理論に

欠陥があると指摘し
世界を驚かせます。

当時 宇宙論の世界では

宇宙に「始まり」があるかどうかが

大きな議論となっていました。

しかし 多くの研究者は

始まりがあるとすることに
反対していました。

その理由です。

仮に 宇宙に始まりがあるとすれば

現在の宇宙にある
すべての星などの質量が

そのとき 一点に集まるはずです。

これをアインシュタインの

相対性理論で計算すると

質量が無限大となり
計算不能に陥ってしまうのです。

そのため
宇宙論の研究者のほとんどが

宇宙に始まりはなく

永遠に続いているはずだと
考えていました。

ところが この状況を
ホーキング博士は逆手に取ります。

アインシュタインの相対性理論で
計算不能とされた点について

徹底的に研究したのです。

実は 当時

無限に重い物体が一点に集まった
不思議な天体

ブラックホールの存在が
予言されていました。

博士は
ブラックホールの中心と宇宙の始まりは

数学的に同じであることを
明らかにします。

そして 宇宙には始まりの点

「特異点」がなければならないことを
理論的に証明したのです。

この成功により

華々しく 宇宙論の世界にデビューした
ホーキング博士。

さらに その名声を決定的にする理論を
打ち立てます。

その瞬間が訪れたのは…

長女が生まれて間もない
ある晩のことでした。

それは あらゆるものを
のみ込んでしまうはずの

ブラックホールから
粒子が次々と飛び出て

やがては ブラックホール自体が
消えてしまうという

理論的な予想でした。

この予想は
「ホーキング放射」と名付けられています。

ホーキング博士は
一体 どんなふうに発想したのか?

博士の弟子で
最後の論文を一緒に書いた

トーマス・ハートグ教授が
教えてくれました。

「一体 何を言ってるのだ?」と
思われたかもしれません。

改めて 詳しくご説明しましょう。

すべてをのみ込むといわれる
ブラックホール。

でも 実は その中に

これを越えたら
戻ってこられないという境界

「事象の地平面」が
存在するんです。

その境界ぎりぎりの
場所を

注意深く見ると

そこでは 粒子が
生まれたり消えたりを

繰り返しています。

ブラックホールからエネルギーをもらって
粒子が生まれる

「対生成」と呼ばれる現象です。

この対生成した2つの粒子は

正反対に飛ぶため

時々 片方が
ブラックホールの外に飛び出します。

こうして 粒子が飛び出すたびに

ブラックホールから
エネルギーが奪われていきます。

その結果 ブラックホールから
次第にエネルギーが拡散し

最後には 蒸発してなくなってしまうと
博士は考えたのです。

「すべてをのみ込むブラックホールが
消えることなど ありえない」。

常識外れの予想に
多くの科学者が反論を試みました。

しかし 間違いは
一切 見つからなかったのです。

ホーキング博士の名声は さらに高まり

30代にして 宇宙物理学をけん引する
中心的存在となったのです。

凍てつく冬の北海道。

澄みきった夜空に
満天の星空が広がります。

人々は この星々のきらめきに
ささやかな願いを託してきました。

札幌市時計台。

1878年に建設された歴史ある建造物です。

時計盤の下に目を移すと

赤い かわいらしい星がついています。

こうした星が見られるのは
時計台だけではありません。

この屋根にも赤い星。

星形のくりぬきも施されています。

札幌の歴史的な建物に残された謎の星印。

一体 どんな思いが

赤い星に込められているのでしょうか?

その答えを求めて 訪れたのは

札幌で創業したビールメーカーの博物館。

このビールメーカーは 1876年

明治政府の官営工場として始まりました。

こちらが 140年前 1878年当時の

サッポロビールのラベルです。

この赤い星が
開拓のシンボルだった五稜星なんです。

青地に 赤い五稜星。

この旗は 当初

開拓使の船の旗印として誕生しました。

やがて 開拓使全体の旗印として定着し

さまざまな建物・製品に使われました。

あのラベルの赤い星は

開拓使の船が掲げていた
北辰旗の五稜星なんですよ。

開拓の船が 北の方角を目指す
道しるべとした北極星なんです。

「迷ったときは この星を見ろ」という

航海の道しるべであっただけではなくて

開拓者たちの 心の道しるべでも
あったような気がします。

本州よりも緯度が高い北海道。

北極星は空高く輝き
今も 北の大地を見守っています。

一躍 学会のスターになった
ホーキング博士。

そのころ ケンブリッジでは

行き交う車をものともせず
車道を走る博士の姿が

名物となっていました。

博士は 37歳のとき

ケンブリッジ大学の
「ルーカシアン教授」に抜てきされます。

あのアイザック・ニュートン以来
大学で 代々 一人だけが任命されてきた

最も権威ある役職です。

しかし 博士の病状は 悪化し続けました。

研究でスイスを訪れたとき
ついに命の危機に陥ります。

喉の筋肉が衰え
自力呼吸ができなくなって

危篤状態に陥ったのです。

主治医は
「命を維持するには 気管を切開し

人工呼吸器に頼るしかない」と
妻に告げました。

博士は 命と引き換えに
声を失うことになったのです。

しかし このとき アメリカから
思わぬ救いの手が差し伸べられました。

ハロー。
ハロー。

当時 コンピューターの技術者だった…

2人は ジンジャーさんの母親が
ALSを患ったのを機に

患者が意思疎通を図るための
特別なプログラムを開発していました。

ウォルトスさんは 1986年

博士の音声合成プログラムを
世界に先駆けて完成させ

無償で提供。

後に代名詞ともなる
あの声が誕生したのです。

(合成音声)

博士は 初めて 音声合成装置を使って
講義を行いました。

2~3分あれば
どんな会話も可能になりました。

言葉を取り戻した博士は
さらに精力的に研究を進めます。

当時 世界中に散らばっていた
宇宙論の研究者たちをつなごうと

各国を訪問していったのです。

特に世界を驚かせたのは
旧ソビエト連邦 ソ連への訪問。

当時 ソ連は
アメリカなど 西側諸国と冷戦下にあり

激しく対立していました。

核兵器の開発競争の中で

物理学者同士の接触は
厳しく制限されていたのです。

ホーキング博士は
ソ連に入国早々 当局に拘束され

空港に足止めされる手荒い待遇を
受けました。

このとき 博士の生涯の友人となった
物理学者がいます。

現在 スタンフォード大学の教授を
務めています。

ホーキング博士が
初めて ソ連を訪れたときは

まだ大学院生でした。

リンデさんは このとき

博士の講演を通訳する大役を
務めていました。

博士は 当時 最新理論だった
インフレーションについて

話し始めました。

「インフレーション」とは

宇宙の初期に
起こった爆発 ビッグバンの

さらに前にあったとされる現象です。

ホーキング博士が明らかにした
宇宙の始まり…

そこから ビッグバンまでの

僅か1秒にも満たない間に起きた
急激な膨張が

インフレーションです。

ところが この膨張が
どのように起きたものなのかは

全く分かっていませんでした。

実は リンデさん

当時
インフレーションについて説明する

有力な仮説を提唱していました。

講演が進むうち リンデさんは

博士が
ソ連の大物物理学者たちに向かって

自分の仮説を説明していることに
気付きます。

リンデさんの仮説とは

「マルチバース仮説」と
呼ばれるものでした。

この仮説では 宇宙のあらゆる所から
たくさんのインフレーションが起き

大量の宇宙が
生まれたり消えたりするとしています。

私たちの宇宙は
こうした さまざまな宇宙の中で

幸運にも生き残ったものだというのです。

自分の仮説を紹介された喜びもつかの間

リンデさんは 次の言葉に耳を疑いました。

リンデさんは その言葉を

そのまま通訳せざるをえませんでした。

リンデさんは
特異点から膨大に生まれる宇宙の中で

私たちの宇宙が生き残った理由は

幸運だったからだと主張していました。

しかし ホーキング博士は

「幸運」という言葉で片づけることに
激しく反対しました。

その理由を科学的に説明できなければ

仮説とはいえないというのです。

その後 ホーキング博士は
リンデさんら ソ連の科学者たちを

たびたび ケンブリッジに招きました。

年齢も立場も そして 東西の壁も越えて

純粋に議論を続けようとする姿勢に

リンデさんは感銘を受けたといいます。

さまざまな壁を越えて

世界中の科学者をつないだ
ホーキング博士。

それまで タブーとされてきた領域でも

踏み込んだ議論を試み始めます。

神は存在するのかどうか。

キリスト教信仰が根づいた欧米社会では

異例の問いかけでした。

なぜ 博士は 神の存在を否定したのか。

その理由は 彼が追究し続けていた

宇宙の始まり
特異点に関わりがありました。

特異点では時間も空間もないため

神が宇宙をつくり出す時間などない
というのです。

博士は科学的に考えた結果

神が宇宙の誕生に関わる余地はないと
結論づけたのです。

このとき
宗教界からは強い反発がありました。

しかし その後
意外なことに ローマ法王から

宇宙論について講演をしてほしいと
依頼が届きます。

科学者としての見解を
粘り強く伝えた博士の誠実さが

対話の道を開いたのです。

40歳のとき 博士は
一般向けの本を出版する決意をします。

執筆は すべて自分で行い

ようやく形になったときには
6年がたっていました。

本のタイトルは「ホーキング、宇宙を語る」。

出版社は
難しすぎて売れないのではないかと

心配していました。

ところが 出版されたとたん
世界中で爆発的な反響を呼びます。

発行部数1, 000万を超える
ベストセラーとなり

ギネス世界記録に登録されました。

博士のもとには
ホワイトハウス NASA

あらゆる所から 講演の依頼が
舞い込むようになったのです。

博士は 求められれば
世界中 どこへでも講演に行きました。

博士は コメディーやアニメにも
積極的に協力するようになります。

全米で 大ヒットしたドラマにも

たびたび出演しました。

(笑い)

(笑い)

中でも 多くの人をとりこにしたのが

世界的な人気を誇る このアニメです。

博士は みずからを
ばかにするようなキャラクターを

むしろ 気に入っていたといいます。

収録のたびに
イギリスからハリウッドへ飛び

みずから せりふを吹き込んだのです。

本業の物理の話をするときも

ユーモアを交えることを
忘れませんでした。

長年 秘書を務めた
ジュディス・クロスデルさんです。

ユーモアに富み 誰に対しても

偉ぶらない博士を尊敬してきました。

(拍手)

博士は 講演で 人間が持つ可能性について
たびたび語りました。

(拍手)

真っ白な砂浜。

宝石のような青い海。

沖縄県の宮古島です。

豊かな自然に囲まれていますが
魅力は これだけではありません。

夜になると…。

まるで 天然のプラネタリウム。

街の明かりが少ないので
星を楽しむには ぴったり。

今 宮古島や石垣島などでは

星空を観察するツアーが
人気を集めています。

この星空を活用して

大発見を成し遂げた人がいます。

京都大学の有松 亘さんです。

星が たくさん 天の川で
ある部分っていうのは

南側の空に集中しているので

日本の国内の観測地の中では
宮古島が一番いい場所だということで

今回 選びました。

有松さんは ここ 宮古島で
太陽系誕生の謎に迫る

ある天体の発見に成功しました。

…を捉えたのです。

こうした天体は
巨大な望遠鏡を使わないと

確認することができないと
考えられていました。

しかし 今回の観測システムは

市販されている望遠鏡やカメラを
組み合わせた簡単なもの。

(有松)単純に
お金がなかったというだけなんですが

少ない開発費で 何か
面白いことをしてみようと思いまして

観測システムを開発しました。

今後も 宮古島で 太陽系の果ての天体の
捜索を続けていって

我々の太陽系の… 地球を含む惑星の

形成・進化の歴史を解明したい
というふうに考えています。

夏になると
満天の星が夜空を埋め尽くす沖縄。

一生 忘れられない星空に
出会えるかもしれません。

命の危機を何度も乗り越え

世界的な著名人となったホーキング博士。

2度の離婚を経験した後

看護師たちに支えられて
日々を過ごしていました。

人生の後半にさしかかる中

博士が見通そうとしたのは…

これは 2012年の夏 講演の合間を縫って

アメリカの医学研究所を訪ねたときの
映像です。

最新のiPS細胞の研究成果を
時間の許すかぎり聞き出そうとしました。

このころ 飛行機に乗ること自体が
命懸けの行為となっていました。

それでも 博士は

文明の滅亡や
温暖化の影響などを身をもって体験し

思索する旅を続けたのです。

自分の専門外の領域に
興味を広げた博士は

人類が抱える大きな問題について
発言を始めます。

その内容は
科学者としては大胆な予想ばかりでした。

なぜ 博士は こうした
過激ともいえる言葉を発し始めたのか。

学生時代から
50年以上のつきあいがある…

アインシュタインが予言した
重力波を観測し

ノーベル物理学賞を
受賞しました。

ホーキング博士は物理学の研究においても
まず 大胆な予想を行い

それを
議論のきっかけにしてきたといいます。

賭けの対象となったのは
その時々の宇宙物理学の未解決問題。

裸の特異点問題や

ブラックホールの
情報喪失パラドックスといった

難問ばかりです。

晩年のホーキング博士は

人類の未来という大問題にも
自分なりの仮説を投げかけ

議論を呼び起こそうとしていたと
ソーン教授は考えています。

2007年。

65歳の博士は
宇宙に進出する人類の先駆けとして

みずから 無重力体験を希望しました。

肺に穴が開くなど
命に関わるリスクがあると説明されても

意思は変わりませんでした。

(拍手)

万が一に備え 飛行機には
救急処置室を設置。

医師3名と看護師2名を配置しました。

厳重な付き添いのもとで行われた
最初のフライト。

(歓声)

博士を支援してきた
ピーター・ディアマンディスさんは

すぐ横で 体調を慎重に見守っていました。

体調が安定したため 博士の強い希望で

全部で8回ものフライトが行われました。

人生最後の数年間
博士が精力を傾けたのは

専門の宇宙論の研究でした。

海外の共同研究者のもとに何度も通い
議論を続けたのです。

しゃべるスピードは遅くなり

1分間に発するのは 7単語。

全盛期の5倍くらい
時間が かかるようになっていました。

こだわり続けたのは

かつて ソ連の学者たちと議論を重ねた
あのマルチバースに関する問題でした。

私たちの宇宙が 大量の宇宙の中から
生き残ったのだとすれば

そのメカニズムは何なのか。

博士が用いたのは 最先端の…

宇宙の外側に ホログラムのような幻影が
あると仮定すれば

この宇宙が生き残ったプロセスが
計算できるというのです。

これが
ホーキング博士が生前に発表した

最後の論文となりました。

「私たちの宇宙が生き延びた理由を

『偶然』で済ませてはならない」。

博士は あくまで論理を追究しました。

博士は 自宅で亡くなりました。

最後の言葉は
「恐れるな」だったといいます。

♬~

葬儀には 世界中から
弔問客が集まりました。

あらゆる分野の人たちが

大切な友人との別れを惜しんだのです。

博士のひつぎが現れたとき

自然に拍手が沸き起こりました。

(拍手)

そして 今

博士が頭の中で生み出した理論が
ようやく実証され始めています。

博士が予想した
ブラックホールが消える現象は

現実に起こるのか。

この研究所では

20年かけて レーザー光で
疑似的にブラックホールを再現。

2018年 その証拠を確認しました。

人類への最後の問いかけをつづった本は

今 40か国で出版。

世界中で読まれています。

博士は
最後のメッセージを残していました。

♬~


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