先人たちの底力 知恵泉「廃藩置県 都道府県誕生の衝撃」シリーズ2回目は、その実行の裏にあった、大きな財政問題と…


出典:『先人たちの底力 知恵泉「廃藩置県 都道府県誕生の衝撃」』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉「廃藩置県 都道府県誕生の衝撃」[解][字]


近代国家日本を作った廃藩置県。シリーズ2回目は、その実行の裏にあった、大きな財政問題と、府県の統廃合という問題に焦点を当て、大きな改革を成功させる知恵を探る。


詳細情報

番組内容

全国の大名に、廃藩を納得させるために、明治政府は、膨大な藩の借金を肩代わりすると約束。ところが政府の金庫に金は無し。このピンチを救ったのが、若手の大蔵官僚だった渋沢栄一!さすが、新1万円札の顔!その驚きの秘策とは?一方、誕生した都道府県は、統廃合で一時期、3府35県に!香川・徳島が消滅し、四国が二国に!奈良も大阪に吸収合併!巻き起こる独立運動。政府は、いかにして今の47都道府県にまとめあげたのか?

出演者

【出演】早稲田大学教授…片山善博,光浦靖子,東京大学史料編纂(さん)所教授…山本博文,【司会】新井秀和




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先人たちの底力 知恵泉「廃藩置県 都道府県誕生の衝撃」シリーズ2回目
  1. 渋沢
  2. 借金
  3. 政府
  4. 廃藩置県
  5. 公債
  6. 商人
  7. 大阪
  8. 鳥取
  9. 奈良
  10. 仕分
  11. 本当
  12. 山縣
  13. 新政府
  14. 当時
  15. 一緒
  16. 士族
  17. 改革
  18. 肩代
  19. 自分
  20. 出来


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ネットで話題です。

そんな都道府県誕生の
きっかけとなったのが

およそ150年前の廃藩置県。

全国261の藩が 一夜にして消滅。

近代国家 日本へ生まれ変わった
明治維新 最大の改革です。

しかし その裏で 明治政府は
膨大な借金の処理に追われていました。

廃藩と同時に 全国の藩の借金を

政府が肩代わりすると
約束していたからです。

その額 今の価値で およそ…

おまけに 出来たばかりの政府の金庫は
スッカラカン?

この大ピンチに 白羽の矢が立ったのが
渋沢栄一。

大蔵省の若手官僚でした。

国家予算の4倍もの借金を解消した

渋沢の一発逆転の秘策とは?

一方 政府は 江戸時代の300の藩を
合理化のため統合。

廃藩置県の5年後には

3府35県まで
県の数を減らします。

その結果 四国が二国となり

香川と徳島が消滅。

あの いにしえの都 奈良も

大阪に吸収されてしまったのです。

全国で次々と巻き起こる…

明治政府は いかに決着をつけ

現在の47都道府県に
まとめあげたのか。

そんな都道府県誕生の

舞台裏を読み解くのが…

長年 中央官僚として
国の政策に携わった後 その立場を逆転。

1999年 鳥取県知事に立候補し
初当選を果たします。

就任翌年に起きた…

片山さんは 被災した世帯に対し

一律300万円の住宅再建支援を決断。

猛反対する中央省庁の干渉をはねのけ
全国に先駆け 実施します。

中央官僚として 県知事として

地方自治と向き合ってきた片山さん。

都道府県誕生の光と影を
どう読み解くのでしょうか。

前回に引き続き 明治維新 最大の革命
廃藩置県でございますけれども

今日はですね 皆さんに
是非 召し上がって頂きたいものを

用意したんです。 こちらです!

あら~ すごい!

都道府県の形を模した
クッキーなんですけど。

すご~い! よく出来てる!
ねえ! 手作りなんですよ。

東北の方とかね 北海道 大きいですね。
県自体がね こうして見ると。

皆さんの出身地のクッキーを
食べて頂きたいと思うんです。

光浦さん。
ここ~。 愛知県~。

生まれ故郷 渥美半島が ここに こう…。
う~ん ちょっとね…。

ちょうど豊橋ぐらいで切れてます。
クッキーなんで ちょっと その辺は…。

しょうがない しょうがない 細かい…。
そうなんですよ。

山本先生は岡山出身ということですよね。
私 岡山…。

私は この真ん中の方の
津山というとこなんですよ。

下の方なんで 実は…

(笑い声)
藩も違いますから。

そして片山さん
実は 山本さんと同郷ということでね。

そうです。 もう山本先生にお譲りして
私は もう関係の深い

切っても切れない鳥取県です。
あっ そうですね。

ちょっと弓浜半島が すごく太いですけど。
(笑い声)

是非 食べて下さいって言うと
ちょっと あれなんですけれども

召し上がってみて下さい。

うん おいしい。
結構 しっかりしてますね。

多分 焼いても縮まないように
生地を かためにしてますね。
なるほど。

さあ 今日は こういった都道府県誕生の
裏舞台をね ちょっと

より見ていこうかなと
思うんですけれども

あの渋沢栄一もね
廃藩置県に関わっていた

ということなんですもんね。

銀行をつくった人…。

もともと 豪農の出身なんですね。

それが 徳川慶喜…
一橋家時代のね 慶喜に仕えて

そのあと新政府に仕えてっていう
そういう過程をたどるわけですね。

「日本資本主義の父」といわれるぐらい
第一国立銀行もつくりますし

そのほか 500ぐらいのね
企業をつくってるんですね。

何か 今も残ってる大企業…。
王子製紙なんかも そうですしね。

私 今で言うと
例えばCSRって よく言いますけど…。

それから 社会問題をビジネスで解決する
っていうソーシャルビジネスとか

そういうところに通じる経済人だと
思うんですね。

そんな渋沢がですね

実は 幕藩体制の借金に
大なたを振るったということで

今日のメニューは こちらなんです。

ちょっと分かりづらいかな。
元幕臣だった渋沢が

藩の借金処理をしたんで 藩・幕って…。

ハンバーグ。 う~ん。

先週の方がよかったですね。
(笑い声)

そっか…。

廃藩置県 断行に向けて行われた
新政府の秘密会議。

彼らが何より恐れたのは
藩を奪われた大名たちの反乱でした。

藩の借金を肩代わりする一方で
反乱が起これば 政府軍が制圧する。

このアメとムチで臨むと決まります。

「反乱があれば」…

西郷の問いに 大蔵省の井上 馨は
不意をつかれます。

西郷が心配していたのは
新政府が引き受けようとしていた…

実は 当時…

更に 度重なる凶作のための救済資金を
借金で食いつなぐ状況でした。

藩が商人たちから借りた金は
平均 藩収入の3年分。

多くの藩が破綻寸前でした。

そこで政府は 各藩に対し

借金を肩代わりするという交換条件で

廃藩を受け入れさせようとしたのです。

しかし問題は 全国から
寄せられた借金を どうするか。

発足当時の政府には
蓄えが なかったのです。

大蔵省の井上も
「金は引き受ける」とは言ったものの…。

そこで白羽の矢が立ったのが
元幕臣の渋沢栄一。

明せきな頭脳を買われ
スカウトされました。

渋沢に与えられたのは…

大変な無理難題を押しつけられたのです。

当時の様子を 渋沢は こう振り返ります。

渋沢の不眠不休の戦いが始まります。

果たして…

まず渋沢は…

その結果 諸藩が抱えていた借金は…

一体 どこから手をつければよいのか。

渋沢は ここで 借金の仕分けを開始。

借金を分類することで
返済の優先順位をつけようとしたのです。

最初の仕分けは
誰から借りた金なのかということ。

借金のほとんどは
国内の商人たちからのものでしたが

中には 外国から借りた金も
混じっていると判明したのです。

渋沢は この外国からの借金を
返済の第一優先とします。

外国から借りた金を踏み倒してしまえば
外交問題となり…

次に渋沢は 商人たちから寄せられた
借金証書を 年代別に分類。

1844年以降の新しい借金と
それより古いものとに分けました。

新しい借金は
政府が肩代わりすると決めますが

古い借金は 引き受けを拒否。

金を貸した商人たちに
突き返すことにしたのです。

この1844年という線引きには
ある意図があったといわれています。

実は ペリー来航の10年以上前から

ロシアやイギリスなどの外国船が
日本各地に出没。

1844年は 外国から
初めて開国要求を受けた年だったのです。

渋沢は この年以降の借金には

各藩が 外国からの防衛のために
借りた金も含まれていると捉え

新政府が責任を負うべきだと考えました。

しかし それ以前の古い借金は
何ら新政府と関係がないとして

借金の肩代わりを拒否。

商人たちに差し戻したのです。

更に 渋沢は
商人たちから届いた借金証書の内容も

厳しくチェック。

大名たちが個人的に借りていたと
思われる借金も

新政府が肩代わりする義務なしと判断し

切り捨てるのです。

こうした渋沢の大胆な仕分けにより
返済額は

およそ4割の
7, 000億円にまで

絞り込むことが
できました。

しかし
借金の6割を切り捨てた 強引な仕分け。

金を貸していた商人を これほど
ないがしろにして よいのでしょうか。

そこには 商人たちに対する
渋沢の厳しい見方があったと

渋沢の研究者 島田昌和さんは考えます。

実は 江戸時代 商人の中には

大名に
10%を超える高い利息で貸し付けを行い

財産を蓄積する者がいました。

渋沢は 大名に寄生し
甘い汁を吸ってきた商人にも

貸し手としての責任があると
考えていたのです。

そういう感覚は
強く持ってたんじゃないかと思いますね。

渋沢は試練を課したのです。

しかし
そんな渋沢にも どうにもできない問題が。

借金の総額を減らしたところで
政府には 返済に充てる金がありません。

どうやって金を作ったらいいのか。

そんな渋沢の脳裏に 3年前の
ある出来事が よみがえりました。

実は渋沢は 幕臣時代

徳川使節団の会計係として
パリに滞在した経験がありました。

そこで渋沢は…

その後 これを売り
大きな利益を出したことがあったのです。

そもそも 渋沢が購入した公債とは

政府が資金を集めるために販売する
証券のこと。

政府は 公債を市民に売ることで

大量の資金を
一度に集めることができます。

更に 政府は 数十年かけて
少しずつ返済していけばよく

毎年の支出を抑えることができました。

渋沢は この公債を使えば
今 政府に全く現金がなくとも

返済を未来に先延ばしできると
気付いたのです。

渋沢は 商人たちの借金証文を

25年払いと50年払いの
2種類の公債と交換。

将来の返済を約束したのです。

この時 発行された公債がこちら。

渋沢は ここに ある文言を盛り込みます。

公債は自由に売買でき

うまく運用すれば

資産を増やしてゆくことが
できたのです。

実際 渋沢はパリで
幕府の資金4億円で公債を購入。

証券取引所で
公債の値上がりを待って売り

1, 000万円もの利益を
出したことがあったのです。

渋沢は商人たちに この公債を使い

新たなビジネスに挑戦していってほしいと
エールを送っていたのです。

更に 明治政府は
その後 多くの公債を発行。

全国の鉄道や道路が

公債で集められた資金で
つくられていったのです。

借金の仕分けと公債の導入により
廃藩置県を成功させた渋沢栄一。

一発逆転のアイデアで

日本の資本主義経済が幕を開けたのです。

自由に売買できて
それが流通していくわけですから。

自由に売買って すごい!

それ 多くの日本人は
知らなかったわけですけども

渋沢は まあフランスで
そういう知識を仕入れてきてたんで

このやり方があるっていうふうに
考えたんでしょうね。

公債証書が 今度新しく
今で言う資本金になって

で 会社が出来て
ビジネスが発生して お金がもうかると。

「えっ こんな突然 今の…
なっちゃうんだ」って。 びっくり。

例えば 県なんかでもやってんですけど

学校つくらなきゃいけない。
すると 何十年か待って

たまった時から学校建てると
遅くなっちゃうじゃないですか。

じゃあ すぐ学校建てて
それ公債で お金を調達して

それで 使いながら返していくという。

これが国債とか地方債の意義ですよね。

これが安易になって

今 お金なくったって何でもできますね
って言うと

もう あれこれあれこれ
全部 借金でやると

にっちもさっちも行かなくなって
首が回らなくなる。

今 やばいですよね。
今 やばいですね。   にっちもさっちも…。

ですから 賢明な使い方
しなきゃいけないですよね。

なるほどね~。
さあ そんな渋沢の知恵はね

その借金を仕分けて 優先順位をつける
ということだったんですけれども。

これはね とっても大切なことですね。

総額が分からないうちに
全部引き受けますよって言ったら

あとで調べてみたら
とってもじゃないけど

もう支払えないということになったら

せっかく つくった明治政府も
もう潰れちゃいますよね。

だから…

それを できるだけ小さくする
負担を少なくするということで

仕分けをするっていうのは
とても賢明なことだと思いますね。

ええ 悩みつつも実行したこともあります。

だんだん借金積み重なるんですね。
自治体の場合ですね

外郭団体ってあるわけですよ。
財団法人とか いろいろ。

そういうところの借金まで全部

同じような条件で払うという
そういう慣行があるんですね。

たまたま私 知事やってました時にね

その外郭団体で
観光事業なんかやってるところが

まあ うまくいかなくって
これ解散しようって話になった時に…

だけど 保証してませんよね
担保も取ってませんよねって。

だったら破産処理したら
いいんじゃないですかって言って

もんちゃくが起きましてね それは もう
県が引き受けることはやめました。

そうしますとね 銀行が…

「それ 大いにやって下さい」と。

「皆さんもね 金貸す時は
ちゃんと吟味したらどうですか」と。

ハハハハ…。
丼勘定みたいに貸さないで

これから そうしてもらったら
いいですからという

険しいこともありました。
はあ~ すご~い。

なるほど なるほど。

あの 平成の大合併あったじゃないですか。

あの時の負債とかは…。

とってもいい着眼です。
ありがとうございやす。

渋沢栄一がいなかったんです。

へっ?
ということは

実際あったんですけど
合併する時に まあ…

はあ~?
借金で。

え~!
どうせ引き受けてくれるんだからと。

そんなことまでね 引き受けるって
おかしいでしょ? だから

もう この合併話が始まったあとのものは
引き受けませんよとかね

そういうふうな仕分けを
本当は しとくべきだったんですよね。

「夜逃げ合併」と私 批判してたんですけど。
ハハッ。 夜逃げ合併。

そうですか。 さあ そして

廃藩置県が行われて
県が出来たわけですが

ちょっと その数をね
見ていこうと思います。 こちらなんです。

これ 江戸時代に
およそ300藩あったものが

まず72県に
統合されました。

光浦さん。
多いですね 今の感覚で見ると。

…って感じですよね。
で 更に5年後にはですね これが

35県にまで減ると。
で 西日本をね

アップにしていこうと
思うんですけれども

ほかの県に編入されてしまった地域が
8つあるんですけれども。

そうですね 鹿児島なんかも
大きくなってますしね。

さっきはあったのに なくなった
こういう時期があるんですもんね。

山本先生 これは どうして
こうやって減らしてったっていう…。

まあ もともと藩って… まあ 県は
すごく多かったんですね。

だから どんどん統合して
合理化しなきゃいけないっていうことで

例えば 県があると
それぞれに組織が必要ですけど

統合すると それが1つでいいですからね。

徐々に
まあ 少なくなる傾向にあったわけで

それが行き過ぎてというか
こういう形になったわけですね。

ところがですね この政府が行った
都道府県の統廃合というのが

大きな波紋をもたらしたんです。

廃藩置県から5年後の
明治9年までに

府県の数は
3府35県まで減少。

日本地図から 一度

姿を消してしまった
県もありました。

かつて日本の中心として栄えた
いにしえの都 奈良も その一つ。

大和の国と呼ばれた この地は

廃藩置県により 10の藩をまとめて

奈良県として誕生。

ところが その10年後

堺と共に 大阪府に
吸収されてしまったのです。

大阪府が こんなに大きかったなんて
びっくり!

実は その背景にあったのが
あの渋沢の借金の仕分け。

商人たちは
借金の6割を踏み倒されることになり

特に 貸金業で栄えた大阪は
大打撃を受けることに。

大阪34の豪商のうち
25が倒産してしまったのです。

そこで政府は 急速に悪化する
大阪の財政を立て直すため

奈良を大阪府に組み込み
税収の増加を図ったのです。

かつて
奈良が大阪に併合されていたことを

今の奈良県民は
どう感じているのでしょう?

(取材者)あっ そうですか。
はい。    それ 何でですかね?

(取材者)今もし また大阪と
一緒になったら…?

一方 大阪の人は?

大阪と奈良。 合併されていた時は

税金の使いみちで ぶつかります。

大阪は海運業で発展してきた町。

港の整備に 多くの予算を使おうとします。

一方 山がちな奈良では
道路の建設が急務。

しかし その開発は
後回しにされてしまいました。

原因は府議会で与えられた議席数。

大阪の55議席に対し 奈良は僅か17。

不公平を訴えようにも
多数決では かないません。

そこで 奈良の議員たちは
独立運動を組織。

明治政府に
直接 奈良県の再設置を訴えます。

当時の運動を物語る史料が
奈良市の民家に残っていました。

(取材者)こんにちは。
こんにちは。

恒岡直太さんは
運動に関わった人物の末えいです。

(恒岡)もともとの形に
大阪と奈良とを分けたいと。

「大和國置縣請願書」。

政府に奈良の独立を訴えた
議員たちの思いが つづられています。

「不幸にも 奈良県が
廃止されてから

県庁が遠ざかり

学校や病院も
撤退。

産業も途絶えてしまった。

どうか 大和一国を分割して
一つの県を置いてほしい」。

この請願書の発起人となった
恒岡直史の名前が ここにあります。

私が この恒岡直史の

4代目の
子孫になっていて

まあ 我が家に伝わる請願書だけでも
これだけ多くの請願書が残っているので

何回も何回も提出されて

当時 相当熱心な活動だったんだな
というのが 伝えられてます。

奈良県っていうのを
もう一回 作り直そうっていう熱意が

すごい伝わってきましたね。

奈良の議員たちは
何度も何度も東京に出向き 政府に陳情。

たとえ門前払いされようとも
面会を許されるまで 通い続けました。

そして ついに 11年ぶりに

奈良県の独立が
認められることとなったのです。

同じように 新政府の政策により
統合されてしまった県が

中国地方にもありました。

もう お気付きですよね?

そう 広大な砂丘で有名な
鳥取県です。

鳥取県は 5年間にわたり
島根県に併合されていましたが

実は その理由は よく分かっていません。

一説には 戊辰戦争で活躍した鳥取藩を
政府が恐れ

島根に併合させて その勢力を
抑えようとしたといわれます。

しかし それが裏目に出ます。

鳥取の士族たちの猛反発を受けたのです。

当時の様子をまとめた資料には
こう記されています。

更に問題だったのは 2県の合併により

東西320kmにも広がってしまった県域。

県庁は中央の松江に置かれましたが

当時は
道も険しく 鳥取城下から歩くと

往復10日近くかかったといわれます。

こうした状況に
ついに鳥取士族たちの不満が爆発。

鳥取再置運動が巻き起こります。

廃藩によって仕事を失った
鳥取士族たちは

過激な政治活動に
その生きがいを見いだし

次第に暴徒化。

士族が人口の半数以上を占める
鳥取の町は荒廃します。

更に コレラの流行が山陰を襲い

鳥取の町は 窃盗や賭博
殺人までもが横行する

危険地帯となってしまったのです。

この状況は
政府要人の耳にも届き

参議の山縣有朋自ら
鳥取への視察を申し出ます。

この山縣こそ 10年前

廃藩置県 断行のきっかけを作った
張本人でした。

政府の最高指導者の一人だった
山縣自身が

現地に出向くのは異例なこと。

背景には 4年前に起こった
大規模な士族の反乱…。

突撃!

そう 西南戦争の苦い記憶がありました。

この時 政府軍の司令官として
鎮圧に苦労した山縣は

鳥取の不平士族が
新たな火種になることを恐れたのです。

そんな山縣の目に映ったのが
すっかり寂れてしまった鳥取の城下町と

反政府運動に明け暮れる士族たちの姿。

山縣は政府への報告書に
こう記します。

西南戦争では
武力で士族を鎮圧した山縣が一転。

士族の自立のためにも 鳥取の独立を
認めるべきだと主張したのです。

この時 部下からは

一つの要求に応じれば
きりが無くなると反対されますが

山縣の決意は変わりませんでした。

鳥取の士族には
自治の精神をもって

次の世を
生きていってほしい

そう願っていたのかも
しれません。

山縣の視察から1か月後

鳥取県は5年ぶりに

島根からの独立を
果たします。

廃藩置県を断行した
山縣自身が現地に赴くことで

改革のひずみを直視し

問題の解決へと つながったのです。

こうして
廃藩置県から17年後の明治21年

現在の都道府県の原型が完成したのです。

ということなんですよ。
聞きたいです。

鳥取の人は本当に気性が荒いんですか?

あのね 結構 荒かったですね。

あっ 本当… 本当なんですか?
ですから 鳥取藩っていうのは

実はね 大藩だったんですよ。

で 隣の島根県は

松平ですから 幕府側じゃないですか。
はい。

何で新しい政府になった時に
下に入らなきゃいけないのかっていう

こういう複雑な県民感情が
あったんですよ。

お会いできなかったかもしれない
と思って。

本当に そうです。
あの まあ 知事になる前から

もう何年も仕事をしてましたから
その

お隣の県との複雑な感情っていうのは
やっぱり…。

今も そんな 何かあるんですか?
今はね かなり もう いいんですけど

以前はね 例えばね 一例挙げますとね

鳥取県… 県民の日条例って
条例 作ってあるんですよ。

これが9月12日なんですよ。

9月12日っていうのは
島根県から分離独立した日なんですね。

鳥取独立記念日なんですね。
へえ~! へえ~ へえ~ へえ~。

そういうことがね 象徴しているように

底流としては複雑な県民感情
あったんです。

さあ そして こちらの地図を
もう一度 ご覧頂きたいんですけれども

特に ちょっと注目したいのが
西日本なんですよね。

随分ね 統合されてますよね。
なぜ? なぜ?

これは やっぱし
もともと強い力を持ってた藩に

そうじゃないところを
くっつけることによって

平準化するとか 鹿児島なんかも
薩摩藩とイコールだったりすると

そのまま その力が残りますけど

まあ 宮崎の北の方の
ほかの藩も一緒にするとかですね。

佐賀は薩長土肥の肥ですけども

長崎っていう
幕府の直轄地もあるわけですよね。

それをまあ一緒にして
何となく薄めるとかね。

脅威が少なくなるっていうこと
だったんじゃないかと思いますね。

愛知も 名古屋っていう
尾張っていうのは

御三家のね
筆頭がいたとこで

それにまあ 三河をくっつけちゃって
一緒にしてるって…。

ですよね。
気風もね 違うんですけど

一緒にしちゃったわけですよね。
何でですか?

やっぱ それは
尾張が そのまま まとまるよりは

横の… 横っていうか あの 東の…。

三河が?
三河も一緒にっていう…。

やっぱりね 今んなっても
今の時代でも

やっぱり ほんわかありますよ。

三河のくせに味噌カツを語るなみたいな。
そうなの。 本当ね 小さな世界。

だから 世間から見たら一緒だし
まあ だいぶ もう仲いいですけど

まあ やっぱね たまにありますよ。
そういうクレーム来ますよ。

そういう気風の違いとかね。

さあ そして 鳥取の独立を促したのがね
新政府の山縣有朋ですけれども

彼 当時の役職は参議。

当時の政府の最高指導者の一人
っていうことですよね。

それが わざわざ自分でね
その現地に行くっていうのは

かなり異例なことですよね。

山縣は行ってみてですね
鳥取の道が すごく険しくてですね

随分 歩かなきゃいけないんで
それで まあ あまりに疲れすぎてね

病気になったっていう
そういう話はありますね。

やっぱり 高速道路を ちゃんと
つけなきゃいけないっていうのは

とっても重要な政策だったんですね。

特に
鳥取県の農産物とか海産物っていうのは

大阪市場なんですよね マーケットが。
そこに行く時も 高速道路があれば

新鮮なものを早く運べるじゃないですか。
だから 一生懸命 高速道路やりました。

山縣有朋のことも踏まえて。
ハハハ…。

ただね ちょうど
そのころね 構造改革の時期で

公共事業を大幅に減らしましょうと。

分けても
地方の道路は無駄だっていうようなね

そういうふうな風潮が出来てたんですよ
もう一律に。

ちゃんと見に来てくれと。

それこそ
山縣有朋さんは見に来たじゃないですか。

今は飛行機で ぽっと来れますから

見に来てくれって
私 何回も言ったんですよ。

地方の道路は無駄だっていうような
そういうことではないっていうことは

分かるはずだからって。
もう 大げんかしました。

あん時 そうですもんね。
道路っていったら 何かもう 何かね…。

利権の塊みたいな感じでね。
イメージがあって。

私 言われましたよ。

飲み屋でよく聞きました。 おじさんたちが
「道路族がよ~」っつって。

さあ 「改革の犠牲に目を背けるな!」
というのがね 知恵でしたけれども

片山さん この知恵は
どう ご覧になりましたかね?

時代の変革の時に

大きな改革をやらなきゃいけないことって
ありますよね。

その時は基準を作って
こっから下は 切り捨てるとかですね

これは やめるとかってやるんですけど
必ず ひずみが出てきますよね。

だから そこは
やっぱり現場をちゃんと見る。

私は だから山縣有朋さんっていうのは

イメージとして
あんまり好きではなかったんですけど…

そういう判断をされた方っていうので
最近では とっても こう…

何か あれですか その
片山さんが改革に向き合う時に

大切にしてる言葉とか思いとかって何か
あったりするんですか? これね 私

若い頃ですけど 自治省にいた頃に
大臣秘書官ってやったんですよ

自治大臣秘書官っていうのを。

で その時 仕えた大臣が
梶山静六さんていう

田中眞紀子さんが

小泉さんと小渕さんと梶山さんが

自民党の総裁選挙 争った時に

「変人 凡人 軍人の争いだ」って。
(笑い声)

その軍人と言われた人なの
陸軍士官学校 出た。

でもね 本当は とっても優しい人で
私 いつも教わったのはね

いろんな改革やんなきゃいけない
政治も行政も。 だけどね…

…っていう話を
しょっちゅう聞かされました。

何で 今そんなに… ないんですかね?

ねえ~ すごい…
何か とっても何か大事だし。

自分の職業に置き換えると…

やっぱり ひな壇で
声がでかくて 強い人が前に行くんですよ。

気の弱い子 行けないんですよ。

それを振ってくれるMCがいると

弱い人に優しいなとかね。
なるほど。

さあ 2週にわたって 廃藩置県
知恵を見てまいりましたけれども

中央集権国家という形が生まれて
およそ150年ということですけれども

いかがでしたか?            廃藩置県で
本当に中央集権の近代国家が出来て

欧米列強に
ある意味では ごしていくという

そういう力をつけましたよね。
でも その過程では

本当に あらゆる権力を
ぐ~っと中央政府に集めましたよね。

それが 今となっては ちょっと やりすぎ
もうちょっと…

じゃあ その地方が
自分たちで切り盛りする時に…

何となく お任せみたいなね。

誰かが なんとかしてくれるだろうと。
そうではなくて

自分たちの地域のことは
自分たちが代表を選んで決めるし

常に こう自分たちもハラハラしながら
地域を良くしようという

そういう意識を
一人一人が持たなきゃいけないんですね。

あんまり全てを中央に集中しないね
そういう体制を考えなきゃいけないし

個々の住民も
そういう責任感を持って要求していく

ということが
必要なんだろうと思いますよね。

思ったんですけど
私たちの時は ネットがなかったし

東京に来なきゃ なかったんですよ
見れなかったし。

今の時代の子は
ネットの力があるじゃないですか。

そしたら ちょっと これから
また何か変わっていくのかなっていう

こう ギュッと東京に集中することが
今から

ちょっと変わっていくんじゃないかなと
私は思ってるんですが。

同感するところ 多いです。

だから だんだん だんだん
変わってきてると思いますよね。

廃藩置県を通して いろんなことが
見えてきましたね。         そうですね。

ご来店 どうもありがとうございました。
ありがとうございました。

昨日はおうちで にぎりずし。
楽しかったぁ。


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