偉人たちの健康診断「源義経 バランス感覚は身を助ける」本当にイケメンだったのか?残された史料から浮かび上がって…


出典:『偉人たちの健康診断「源義経 バランス感覚は身を助ける」』の番組情報(EPGから引用)


偉人たちの健康診断「源義経 バランス感覚は身を助ける」[字]


日本史上屈指の美男子と言われる源義経は本当にイケメンだったのか?残された史料から浮かび上がってきたのは意外な素顔。さらに人並みはずれたバランス感覚の秘密に迫る。


詳細情報

番組内容

源氏を率いて平家を滅ぼした戦の天才・源義経。武芸の達人として数々の伝説を残す義経だが、なぜ活躍できたのか? 義経の身体能力の秘密を現代医学の目で解き明かす。浮かび上がってきたのは人並み外れたバランス感覚。さらに、日本史上屈指のイケメンのイメージがある義経の実像に史料を駆使して迫る。

出演者

【出演】関根勤,カンニング竹山,本郷和人,【司会】渡邊あゆみ




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偉人たちの健康診断「源義経 バランス感覚は身を助ける」本当にイケメン
  1. 義経
  2. 頼朝
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  4. 当時
  5. 牛若丸
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  10. 体性感覚
  11. 感覚
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  14. 今日
  15. 北斗
  16. 問題
  17. 一本歯下駄
  18. 関根
  19. 御家人
  20. 前歯


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本日 健康診断する偉人は…

源氏を率いて
平家を滅ぼした 戦の天才にして

日本史上屈指の美男子!

その義経の「見た目」を
残された史料から徹底検証!

浮かび上がってきたのは…

更に 数々の戦で敵を驚かせた

義経 驚異の身体能力!

その秘密は 足の裏にあった!?

もし 牛若丸みたいな選手がいたら
これは…

…も ご紹介!

源義経の知られざる素顔に迫ります!

♬~

健康のヒントは 歴史にあり!

「偉人たちの健康診断」。

♬~

皆様 こんばんは。
「偉人たちの健康診断」です。

ご一緒して頂くのは こちらの方々。
どうぞ よろしくお願いいたしま~す。

(3人)よろしくお願いします。
北斗 晶さん 久しぶりでございますね。

はい ありがとうございます。
また お世話になります~。

楽しみにしておりました 今日も。

そして 歴史面では 本郷和人さんです。

どうぞ よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。

さて 皆様 本日は 源義経。

この方でございますよ。
あ この顔だ。

え~と イメージは?

やっぱり 美少年ていうね
イメージありますよね。

滝沢君が やってましたからね。
あ そうですね!

大体 かっこいい人がやりますよね。
(関根)そうですね。

私も同じくですが 牛若丸。

美男子で 強い
若いんだけど勢いがある みたいな。

そういうイメージを持ちますね。
はい。

本郷先生 どんな人物なんでしょう?

やっぱり あの~ 当時
源平の戦いが行われたわけですけど

彼が いたおかげで 源氏は
勝てたわけですね。 平家を滅亡させた。

それまでと もう全く違う発想で
戦争をやった人なんですね。

では早速 その義経の
健康診断と まいりましょう。

山口県と福岡県を隔てる関門海峡。

今から およそ800年前 ここで
歴史上 名高い戦いが行われました。

源氏と平家が
生き残りを懸けて激突した この戦い。

この時 源氏の軍を率い
平家を滅亡に追い込んだ立て役者が

今日の主人公…

幼くして両親と別れ
天涯孤独の身で育った義経。

そんな義経が どのようにして

時代を動かすような大活躍を
することが できるようになったのか。

そのきっかけは
意外なところにありました。

それは なんと…

源義経といえば イケメン
というイメージがありませんか?

江戸時代には 義経を主人公にした
人形浄瑠璃や歌舞伎が人気を集め

義経は 常に…

…として
描かれてきました。

ところが 実際の義経はというと…

どうやら ちょっと違ったようなんです。

1159年 源義経は

京都で 源氏の棟梁・源義朝の九男として
生まれました。

当時 都では
源氏と平家が 武士の覇権を懸けて

しれつな争いを繰り広げていました。

牛若丸が生まれて僅か数か月後

父・義朝は ライバルである
平 清盛との戦いに敗れ

殺されてしまいます。

まだ幼い牛若丸は 母親から引き離され
寺に預けられることになりました。

京都の中心部から
およそ10キロ北の森の中

鞍馬山の中腹にある 鞍馬寺。

牛若丸が預けられた寺です。

当時 天狗が住んでいるといわれるほど
人里離れた山奥にありました。

将来 平家に害を及ぼさないよう

人目につかない山奥の寺が選ばれたとも
いわれています。

しかし 実は 牛若丸が
鞍馬寺に預けられたのには

もう一つ
意外な理由がある可能性があります。

それが 義経の…

こちらは 京都 醍醐寺で 舞いを舞う
童の様子を描いた絵図。

醍醐寺の桜会や
仁和寺の舎利会など

当時 名のある寺で
大きな行事が
ある時には

寺の童たちが 美しい舞を披露し
大きな喝采を浴びていました。

童たちは いわば アイドルのような存在。

そのため 都の格式ある寺は

こぞって 美しい童を
求めたといいます。

お寺で やる行事には
その 芸能が付き物ですので

そういう芸事を務めるというのは
稚児さんの一つの仕事であって

ま そういった場合に…

…という部分は あると思いますね。

ところが 牛若丸が預けられたのは

芸能とは無縁な
都から離れた山の中のお寺…。

もし 牛若丸が
希代の美男子であるならば

都の大寺院が
放っておくはずは ありませんよね。

実際のところ 義経の見た目は
どうだったのでしょうか?

愛媛県 大三島の大山祇神社に
手がかりがあります。

義経が奉納したと伝えられる甲冑です。

当時の甲冑は 着る人の体に
ぴったり合わせて作られており

甲冑を測定すれば
おおよその体型が分かります。

この甲冑をもとに割り出された体型は…

現代から見れば
随分 小柄ですね。

発掘調査からは
鎌倉時代の成人男性の
平均身長は

160cm程度で
あることが

明らかに
なっています。

当時としても 義経は かなり小柄で
華奢だったことが うかがえます。

更に 当時の人々にとって

美男子とは どんな人のことだったのかが
分かる史料があります。

随身とは 貴族の護衛をする
ボディーガードで

容姿にも秀でていた憧れの存在。

これは そんな随身を描いた いわば
当時の「イケメン図鑑」のようなものです。

義経の時代のイケメン代表は こんな感じ。

平安末期の随身…

かっぷくのいい いかにも
健康そうな体型をしていますよね。

まあ 多少 大げさには
描かれてますけど…

…といったような感じが

当時の一般的な
美男子というふうに

考えていいんじゃない
でしょうかね。

背が小さく華奢だったと考えられる
義経は

やっぱり 当時のイケメンの基準からは
ちょっと外れているような…。

更に 史料を検証していくと

「平家物語」の中に
こんな具体的な記述を見つけました。

「義経は…」。

当門歯とは 前歯のこと。

これが 義経の外見に関する

ただ一つの記録です。

どうやら 義経は

いわゆる「出っ歯」だった
可能性があるのです。

一般にいわれる「出っ歯」とは

医学的には 「上顎前突」と呼ばれ

上あごの前歯が前に出ている
かみ合わせのこと。

ほとんどの場合
日常生活に支障はありませんが

極まれに 前歯が
極端に突き出ている場合には

健康面で
問題を引き起こすことがあります。

それが 一つですね。 それから…

…ということになるので 前歯の方が
ここが 乾燥しちゃうんですね。

そうすると 唾液による…
何ていいますか 抗菌作用とか…

通常 私たちが ものをかむ時

一番 力がかかるのは 奥歯。

自分の体重ほどの力がかかると
いわれます。

それが 極端な上顎前突で
前歯で かむことができないと

その分 よけいに 奥歯に 負担が
かかってしまいます。

これを放置しておくと
奥歯が痛み

砕けたり抜けたりする
危険があるのです。

また 口の中が乾燥し
唾液の抗菌作用が失われると

虫歯や歯周病の原因菌が
増殖してしまいます。

更に かみ合わせが悪いことで

顎を動かす筋肉に
負担がかかり それが

頭痛や肩こりを
引き起こすことも
あります。

義経も…

…に悩まされていたのかもしれません。

少なくとも当時の人々の美男子の基準に

義経が当てはまっていたとは
言えなさそうです。

そんな見た目の理由もあってか
鞍馬寺に預けられた牛若丸。

しかし それが その後の人生に
大きな影響を及ぼすことになります。

鞍馬寺で 牛若丸は日夜
武芸の稽古に打ち込んだといわれます。

[ 心の声 ] いつの日か平家を滅ぼし
父の敵を討ってみせる。

このころ
都で権力を欲しいままにしていた平家。

大それた牛若丸の志が
もし 平家に知られてしまったら

牛若丸自身の身に
大きな危険が及ぶことになります。

しかし 鞍馬寺は
人を寄せつけない山奥の寺。

牛若丸の行動が
都に知られることはありませんでした。

事実 牛若丸が ここで どんな鍛錬をし
どのように武芸を磨いていったのか

それを伝える史料は
一切 残っていません。

ただ一つ こんな言い伝えが残るのみ。

そして 16歳の時
鞍馬寺を飛び出した牛若丸は

自ら元服の儀式を行い
それまでの名前を捨てます。

[ 心の声 ] 今日より俺は 義経を名乗る!

源氏で代々受け継がれてきた
「義」の文字…。

こうして義経は 突如すい星のごとく
歴史の表舞台に登場します。

その裏には 義経の「見た目」も
関係していたのかもしれません。

あら… 美少年じゃなかったんだ。
ほんとだ。

びっくり~。
もしかするとね~。

いわゆる 当門歯っていうんですかね。

まあちょっと 歯が出てる
みたいなことを いわれてるんですが

それは どこまでほんとか 分かんない
ですね。 というのは それを言ったのは

実は あの壇ノ浦の時の平家軍… が

平家軍が 敵の大将 あいつは
歯が出てるって言って

みんなで ワーッて はやしたてた
というわけですから

そこまでじゃなかったかも
しれないですね。

それが ミステリアスでいいですよね。
ああ いいかもしれません。

それにしても あの え~
イケメンが ずらっと並んだ図鑑。

なんか 美男子図鑑みたいなものがあって。

美男子図鑑の中に出てきて
最後 映った人が

なんか 随分 健介に
似てんなと思って。

健介 あの時代に… ね?
あれだったら

私 とんでもない人と
結婚したって なって。

白くて ちょっと ふくよかな感じで 目が
細くて そっくりじゃなかったですか?

まあ ふくよかさっていうのは
言ってみれば…

(関根)そうですよね。
うん。 だから

まあ ふくよかな方が モテた。

それから あの当門歯ですか?
歯の問題ね。

まあ 出っ歯で得してるのは

さんまさん ぐらいじゃないですか?
(笑い)

かみ合わせは単に見た目だけの問題では
ありません。

歯の健康を保つためにも

自分のかみ合わせが大丈夫か
知りたいですよね。

そこで…

…を お教えします。

この状態で鏡を見て

両目をつないだ線と
平行になっているかどうかを見ます。

どちらかに傾いている場合は

かみ合わせに問題がある
可能性があります。

是非 お試しあれ。

ここからは 歯の専門家と一緒に

かみ合わせを悪くする「くせ」について
見ていきます。

東京歯科大学の末石研二さんです。
どうぞ よろしくお願いします。

(一同)よろしくお願いします。

さて 日頃の まあ 自分の習慣というか

そういうもので
かみ合わせが悪くなる可能性もある。

ということで こちら
先生の ご指導のもとにですね

パターンに まとめてみました。

まずは まあ こんな癖が
かみ合わせを 悪くするということで。

最初に これでございます。

(北斗)そうなの!
(竹山)そうなのよ。

なんかもう 一斉に皆さん 「そうなの」と。
(北斗)そうなんですよ~。

気が付くとね そういう時あります。
だから ずらすんですよね。 ええ。

そうなんです。 私も右ばっかりで。

それで だから 食べ物
左で食べなきゃとかって思って。

なんか 顔のゆがみにもつながる
とかって。

まあ ただでさえ ゆがんでんの
これ以上ゆがんだら まずいなと思って。

これは 先生。
通常のレベルで言うと

そんなに 問題にはならないんですけども
それが極端な場合には

使ってる方の歯が すり減ってきたり。

負担が強くなってしまいますと

歯と 歯茎の状態に
やはり 問題を起こしやすいと。

僕 左側の奥歯を もう 数年前に
虫歯で もう抜くしかなくなって。

抜いて そっから ほったらかしに
してるから 1個 空いてるんですよ。

そっから ず~っと右ばっかり
かむようになったら

何となく 左 たま~に「左 使わなきゃ」と
思って 左 使った時

力が弱いような気がするんですけど。
あ もちろん。

使わないと そちら側の筋肉も だんだん
衰えていくということになります。

さあ 次は…。

先生 こちらは。

そうですね あの 食事の時に

強い力が 瞬間的にかかる
というような状況ですと

特に問題はないんですけれども

一つは ほんとに 癖で
気が付くと ず~っと かんでると。

私が ちょうど プロレス時代
とにかく 奥歯が悪くなってくんですよ。

力がもう こう「ん~!」とかって 「う~!」
っていうのを やり過ぎて。 投げたりとか。

やっぱ 癖になっちゃいますね。
なんか 持ち上げたりする時も

あらよって やりながらも
「ん!」ってやる癖になってますね。

…というのは 最近
いわれてますので

気が付いたら いや かんじゃ駄目だ
ということで リラックスしましょうと。

かんじゃ 駄目。 すんげえ ぼけっとした
顔になっちゃいますよ 先生。

いやいや 唇は閉じて。

さあ 3つ目は 何でしょうか?
(北斗)何だろう?

(関根)こんなことする人います?

え~と そうですね 小さいお子さんですと
割と多いんですけれども

「舌突出癖」というような
習癖がありまして

舌で いつも前歯を押してますと

上の歯と下の歯 こう だんだん だんだん
前の方に動いてもきます。

舌の押す力だけで?
押す力 あるいは 舌の位置ですね。

でも そうすると 舌って
あんまり 日頃 気にしてませんけど

どこにあったら いいんでしょうね。

口の中で
どこに置いといたら いいんですか?

開けて頂いて まあ上の方で言いますと
この前歯の すぐ奥の所に

少し膨らみがあります。
熱い お茶を飲んだり

ラーメンを こう すすったりした時に
一番 やけどしやすいところですね。

あそこのところにですね
舌を こういうふうに あの当てて

できたら 歯には当てない
位置関係ということになります。

(関根)なるほどね。
かみ合わせ 重要ですよね。

時々 気にした方が
いいかもしれないですね。

ありがとうございました。
今日は どうもありがとうございました。

さて さまざまな伝説が残る
義経の身体能力の秘密に迫ってみます。

父の敵を討とうと
義経が鞍馬を出て6年後。

宿願を果たす 絶好の機会が訪れます。

伊豆で 義経の兄・源頼朝が

「平家打倒」を掲げて
挙兵したのです。

当時 東北に身を寄せていた義経は
早速 頼朝のもとに駆けつけます。

そなたが来れば 百人力じゃ!

これからは 兄弟 力を合わせ
父上の仇を討とうぞ!

はっ!

共に 平家を討とうと誓い合った兄と弟。

義経は 頼朝の命を受け
平家を倒すために出陣します。

神戸市須磨区にある 一ノ谷。

源平合戦の中でも
その後の戦況を大きく左右した

一ノ谷の戦いが行われた場所です。

ここは 南に海 北に険しい山を背負う…

この難攻不落の場所を
いかにして 攻めるか。

義経がとったのは
常識では考えられない 驚きの方法でした。

義経を 手本にせよ!

それは 背後の山の上から

断崖を 馬で一気に駆け下りて
敵を奇襲するというもの。

まさか 険しい崖の上から敵が現れるとは
思いもしなかった 平家軍は

大混乱に陥り やがて 海へと敗走します。

義経の この奇襲作戦により
源氏軍は 大勝利を収めたのです。

「平家物語絵巻」にも
この時の様子が描かれています。

世に言う…

この作戦の成功によって

義経の名は
一躍 全国に知れ渡ることになりました。

当時 義経が通ったとされる道が
残されています。

今は 登山道として
整備されているとはいえ

歩くにも 注意が必要なほど
傾斜のきつい道です。

ここから地上までは およそ60mの高さ。

最大で 傾斜60度もの断崖を
馬で 一気に駆け下りたことになります。

当時の人にとっても にわかには
信じがたい義経の離れ業でした。

家来の畠山重忠は
「これは ちょっと…」と

自ら馬を背負って
岩場を駆け下りたというほど。

これだけの急斜面を 馬を自在に操って
駆け下りることを可能にしたもの。

それは 義経の…

人間は バランスをとる時

主に3つの感覚によって
体の状態を把握し 姿勢を制御しています。

目による 「視覚」。

三半規管など 耳からの「平衡感覚」。

そして もう一つ これまで
あまり注目されていなかった第3の感覚。

「体性感覚」です。

人間には 皮膚や筋肉 関節など
体じゅうに 自分の位置や動きを感じる

センサーのような感覚器が
張り巡らされています。

これが 体性感覚です。

日常生活で 体性感覚の大切さを
実感できる時があります。

皆さんは 階段を下りる時 無意識に
手すりに触っていることはありませんか?

実は この時
体性感覚を使っているのです。

地面と接している足からは
地面が どれだけ段差があり

どれだけ傾いているかという
状況が分かります。

そこに 手の情報が加わることによって

地面の傾きに対して 自分の体が
どれだけ傾いているかを より正確に把握。

まっすぐ立てるように
体を制御することができます。

つまり 体性感覚では…

体の隅々まで
張り巡らされている体性感覚。

その中でも 特に重要なところが…

足裏の感覚というのは
非常に やはり重要だと思うんですね。

足裏の感覚というのは
我々が 運動するうえで

実に 重要な役割を
果たしてると思います。

足の裏は 私たちにとって
常に環境と接している 唯一の場所。

この足の裏の感覚を鍛えることで

バランス感覚が
向上すると考えられるのです。

人並み外れた 義経のバランス感覚も

この足の裏に
秘密があった可能性があります。

それを うかがわせるのが あの伝説です。

天狗といえば こちら!

歯が一本しかない この下駄は

平安時代より 山の中で修行する山伏や
僧侶などが履いていました。

義経に 武芸を教えたと伝わる
天狗の正体も

こうした人々だと考えられています。

鞍馬の山の中で
修行に励んでいた義経も

この 一本歯下駄を履いていた
可能性があるのです。

スポーツ科学の研究者によれば

一本歯下駄は 体性感覚を鍛えるのに
極めて効果的だといいます。

一本歯下駄の効果
その秘密は 不安定さにありました。

立ち続けるためには グラグラして
変化し続ける 下駄の傾きを

常に 把握しなければなりません。

この結果 体性感覚が鍛えられ
バランス感覚が向上すると考えられています。

一本歯下駄による トレーニングは

スピードスケートなど
さまざまな競技に取り入れられています。

バランス感覚は
どの競技でも 重要だからです。

いわゆる バランスを崩さないように
ピタッと立つっていうことが

バランスだというふうに
捉えられがちなんですけど…

義経が修行に励んだのは
足場の悪い 鞍馬の山の中。

バランスをとるのが 極めて難しい環境は
足の裏の鋭敏な体性感覚を培い

義経を 常人離れしたバランス感覚の
持ち主にしたと考えられるのです。

義経の驚異的なバランス感覚をうかがわせる
エピソードは 数多く残っています。

例えば 義経と弁慶の出会いの場面。

京都 五条大橋で
突如 弁慶に襲われた義経は

ひらりひらりと 身をかわしながら
橋の欄干を飛び回ります。

そして
ついには 弁慶に馬乗りになり ひと言。

小柄な義経に 返り討ちに遭い

弁慶は 降参して
家来になることを誓いました。

更に 壇ノ浦の戦いでは
平家の敗北を悟った敵の大将が

義経を道連れにしようと
船に乗り込んでくると

義経は 重い鎧を着たまま
ひらりと宙を飛び

通りかかった味方の船を
次々と飛び移っていきました。

八艘飛びの エピソードです。

こうした話が生まれたのも

義経が 人並み外れたバランス感覚を

持っていたからこそ
だったのかもしれません。

ほう~ まあ鞍馬山 足場悪いですからね。
都に比べたら。 そこで修行すればね。

でも バランス感覚って やっぱりあの
アスリートは 気にされるものでしょ?

私は 当時は細かったんで
空中殺法を やっぱり得意としてたので

もし 牛若丸みたいな選手がいたら…

この伝説が ほんとだったら。

それにしても あの裏の山から
駆け下りるという 鵯越ですか? 先生。

あれ やっぱり
平家は 不意をつかれたですかね?

そうですね だから あの大体
あの義経の戦法っていうのは

いつも そうなんですけど 少数精鋭で
スピードを持って 敵に襲いかかるんですね。

そういう戦術というのは 当時の世界史で
見ても 彼だけですね やっていたのは。

それが そのあと出てくるのが
ジンギスカンなんですよ。

ああ~。                     ああ~。
へえ~。

足裏のバランス感覚を
ちょっと鍛えてですね

これからの来たるべき時代というか
老後というか備えたいと思うんですけど

今日は バランス感覚について
教えて頂く方 お招きいたしました。

順天堂大学の松田雅弘さんです。
(一同)よろしくお願いいたします。

先生 やっぱり 足裏は
鍛えないと駄目なんですね?

そうですね。 足裏は しっかり鍛えないと
あの 例えば 足がしびれた時に

足の裏の感覚が なくなるような感じが
あると思うんですけども

そうした場合に
自分が どの位置で立ってるかとか

どういうふうに立ってるかっていうのを
分からなくなりますよね。

そういう時に
あの 少し転びやすかったりとか

体が不安定になってしまったりとか
それは 足の裏からの感覚が

やっぱり 上がってこないというのが
問題かなと思います。

なるほど~。 お葬式の時にね
ず~っと正座してて

あれで 「どうぞ お焼香を」っつってね

お坊さんの頭を
押さえちゃったやつ いるんですよ。

よろけちゃって。
(笑い)

それにしても どうやって
足裏を鍛えたらいいかっていう時に

さっきの あの 先生
義経は 一本歯下駄っていうものをね

使ってたっていうんですけど
下駄は いいんですか?

そうですね…

その支持してる面が減った中で
自分の体を 整えようとするので…

それじゃあ 皆さんにも
一本歯下駄を お見せしたいと思います。

高いっすね これ!
これですよ これ。 こんなに。

(北斗)これで 山道 歩くとかって。
(竹山)いや これ無理ですよ。

ということで 一本歯下駄に挑戦です!
まずは 竹山さん。

(竹山)うわ これ 関根さん ちょっと
思ってた以上に難しいかも。

高さも ありますね。
さあ 立ち上がれるかな?

せ~の…。
よいしょ!

今大丈夫です。 今 持ってもらってるんで。
でも ここで もうバランスとれないですね。

歩けます?
いってみますよ。

すごい あの なんか…

意外とね 安定しないんですよ。
ちゃんと つけてるつもりですけど。

あっ でも いけるかな?
北斗さん いけるかも いけるかも。

あっ いける いける!
むしろ 止まらない方がいいのかな?

いや 止められない。
止まらないです 止まらないです。

立てないです 立てないです。
もう動かないと無理です。

どうしよう どうしよう?

そうですね。
歩き方が そうですよね。

お次は 北斗 晶さんが挑戦です。

ああ これは
体幹を鍛えないと駄目ですね。

あっ でも 結構 スッスッと
歩いてらっしゃいます。

(関根)やっぱり 鍛えてたから。
(竹山)やっぱり 北斗さん すごいわ。

体幹が やっぱり体の芯が
まっすぐになってないと 多分…。

きれいです。
(本郷)まっすぐだ。

これ 姿勢矯正に いいですね。
はいはいはい。

やっぱり 体幹しっかり使えないと
立てないと思います。

まあ ここが支持してる面ですけど ここが
とても足の裏に比べて 狭くなってると。

はだしで乗っかって その中で自分が
どこが 重心が正しいのかっていうのを

まあ いろいろ確認すると。

その時に ふだんは なかなか足の感覚って
気にしないと思うんですけども

自分が ここの位置に立ってると。
この時に 例えば あと姿勢が悪いと

どうしても 重心が
後ろに行きすぎてしまったり

前に 来すぎてしまったりするので

この上に 体の軸を整えなきゃ
いけないっていうことが

とても バランス感覚に
重要かなと思います。

義経が ピョンピョン飛んだっていうのも
分かる気がする。

(竹山)これだったから。
五条の橋の上ね。

もう 全然 楽っていうんですか?
う~ん 八艘飛び。

とはいえ 一本歯下駄は
普通の人には なかなか難しいですよね。

そこで 手軽に 足の裏の感覚を
鍛えられる方法を お教えしましょう。

まずは 青竹踏み。

足の裏に 直接 刺激を与えるのが
体性感覚を 鋭敏にするのに効果的です。

更に 足の裏で
ビー玉をつかむ練習もおすすめ。

日常生活で ふだん使わない
足の指を使うことが

体性感覚を鍛えることに つながります。

更に もっと お手軽な方法は…

靴を履いてばかりいると
足の裏の感覚が鈍ってしまいます。

たまには はだしで
直接 地面に接することも大切です。

これからは やっぱり足も鍛えましょう。
(関根)足ですね~。

先生 ありがとうございました。
(一同)ありがとうごさいました。

さて 一ノ谷の戦いで
一躍 ヒーローとなった義経ですが

このあと 悲劇が訪れます。

源氏と平家の
最終決戦の火蓋が切られます。

総勢 両軍で 4, 000ともいわれる船が
関門海峡で激突します。

源氏の総大将は 義経です。

今日こそ この戦の決着をつけん!
皆ども かかれ~!

勢いに乗る源氏軍。

平家の軍では 裏切りが続出し
総崩れとなっていきました。

こうして およそ5年に及んだ
源氏と平家の争いは終結。

平家は ここに滅亡したのです。

兄上! 我ら兄弟の宿願
ようやく果たすことが できましたぞ!

亡き父の敵を討ち 源氏を再興する。

悲願を果たした義経は
鎌倉にいる兄・頼朝のもとに向かいます。

ところが… 鎌倉まで
あと少しというところで

頼朝の使者から
思わぬことを告げられます。

鎌倉に入ること まかりなりません。

なぜじゃ!

義経が鎌倉に入ることを
頼朝が許可しないというのです。

実は この時 頼朝は

義経に 不信を
募らせていました。

発端は 前の年
一ノ谷の戦いに勝利した義経が

朝廷から官位を授かったことでした。

これを知った頼朝は カンカン。

頼朝は 部下の御家人たちに
自分の許可を得ずに

朝廷から官位をもらうことを
厳しく禁じていたからです。

朝廷から独立した新しい武士の世の中を
築こうとしていた頼朝にとって

朝廷から官位をもらうことは
これまでの古い権威におもねる行為。

断じて許せることではなかったのです。

それまでにも 頼朝は
勝手に官位を授かった御家人に対して

厳しい言葉で叱責しています。

こうした頼朝の言動を考えれば
義経も 勝手に官位を受けたら

頼朝を怒らせることになるのは
当然 分かっていたはず。

それなのに なぜ?

頼朝の不信を買う義経の行動は
戦の時にも。

ある合戦の夜。 暴風雨の中を
義経は強引に船を出そうとします。

安全を心配する
御家人から止められると…。

行くと決めたら行くのだ!

…と逆ギレ。
付いてくる者だけを引き連れ…

周りの意見を無視して突き進む義経に

御家人たちの間で
不満が高まっていきました。

こうした義経の振る舞いは

御家人たちから頼朝のもとに
報告されていました。

大将という立場にもかかわらず
御家人たちの輪を乱し

好き勝手に突き進む義経に
頼朝は怒りを募らせていったのです。

[ 心の声 ]
義経… 自分の立場がなぜ分からんのか…。

鎌倉の僅か8キロ手前の腰越の地で

義経は 兄・頼朝の怒りが解けるのを
待ち続けます。

この時 義経が頼朝に宛てて
書いた手紙が残っています。

義経には 兄の頼朝が なぜ怒っているのか
まるで分かっていませんでした。

[ 心の声 ] 兄上… なにゆえ…。

弟と兄のすれ違い。

どうして こんなことに
なってしまったのでしょうか?

その原因の一つに 義経が ある問題を
抱えていた可能性があると

精神医学の専門家
星野仁彦さんは推測しています。

いろんな文献 読みますと
私が見たところ…

ADHD 注意欠陥多動性障害とは
発達障害の一種です。

こういった症状を示します。

ADHDなどの発達障害は…

その詳しい原因は
まだ はっきりと分かっていません。

近年 そのメカニズムの解明に
つながるかもしれないと

期待される発見がありました。

1万人の脳を MRIで診断・治療してきた
脳のスペシャリスト 加藤俊徳さんです。

海馬とは 記憶などをつかさどる脳の部位。
左右に1個ずつあります。

上は普通の人の脳のMRI画像。

下は発達障害の人のものです。

普通の人の海馬は
ほぼ左右対称ですが

発達障害の人の海馬は
左右で形が違います。

これは 胎児の時に 何らかの理由で

左側の海馬の発達が極端に遅れ

本来の形にまで
なれなかったことによるもの。

そのため…

こうした 普通とは異なる
脳のネットワークに起因する

ADHD特有の言動が 義経にも
数多く見られると 星野さんは言います。

よく我々は
瞬間湯沸かし器と言いますけど…

例えば…

急しゅんな崖を馬で一気に駆け下りる

一歩間違えば 敵にたどりつく前に
転げ落ち

命を落とすかもしれない
危険な作戦にもかかわらず…。

義経を手本にせよ!

周りを顧みず…

更には 暴風雨の中…。

行くと決めたら行くのだ!

みんなが止めるのも聞かず…

もう一つ
星野さんが義経を診断するうえで

大きな手がかりとなったことがあります。

それは…

人の気持ちを読めてない。
ADHDの方はですね…

いわゆるKYですね。

義経の兄・頼朝に宛てた手紙でも…。

頼朝が なぜ怒っているのか

頼朝や御家人たちの気持ちが
全く分かっていません。

ADHDには キレやすく 空気が読めない。

加えて もう一つ特徴があると
星野さんは言います。

表裏がなく 思ったことを
そのまま口にしたり

行動に移したりといったことが
時に周囲の理解を得られず

誤解され 孤立してしまうことが
あるといいます。

なぜ 義経は
自分の意図をくもうとしないのか。

なぜ いつも一人 突っ走るのか。

頼朝の中で 義経への不信感は
増大する一方でした。

結局 鎌倉入りを許されなかった義経。

しかたなく 京の都に引き返します。

しばらくして 義経のもとに
頼朝から使者が送られてきました。

ある武将が 頼朝に反旗を翻したため
義経に その追討を命じるというのです。

頼朝は 義経に もう一度
チャンスを与えようとしたのです。

ところが…。

(せき)

この命令を 義経は 病気だと偽って
断ってしまいます。

事ここに至っても 義経は 兄の心情を
理解することは できませんでした。

(雷鳴)

[ 心の声 ] 義経め! 仮病を使いおって。

よもや 謀反を
たくらんでおるのでは あるまいな。

1か月後 義経の館は
数十騎の軍勢の襲撃を受けます。

[ 心の声 ] 兄上は この義経を
亡き者にしようというのか。

からくも刺客を撃退し 難を逃れた義経。

このまま ここにいては危ないと
僅かな者たちを連れて都を脱出。

姿を くらまします。

やがて 義経は
東北 平泉に たどりつきます。

そこは
京都や鎌倉の勢力とは一線を画した

奥州藤原氏が治める地でした。

源頼朝の勢力拡大に反発する
奥州藤原氏は

戦に強い義経を喜んで迎えます。

ところが…。

義経が平泉に入ったという情報は
ほどなく鎌倉の頼朝の耳に入ります。

[ 心の声 ]
これは 義経を藤原と共に潰す好機!

義経の館は 数百もの軍勢に包囲されます。

やがて館は炎に包まれます。

兄上…。

燃えさかる炎の中で
義経は 自ら命を絶ちました。

日本史上に残る戦の天才の生涯は

悲劇的な結末で
幕を下ろすことになったのです。

この見方だと でも 意外と なんかこう
いろいろ納得することも ありますねえ。

当てはまるところもあると。
最近ですね こんな統計がございまして

これ 文部科学省の
調査なんですけれども…

つまり 100人いれば
6~7人は周りにいるということで

決して珍しいものではない
障害ではないんですけれども。

いや 僕 実は これなんですよ。
え? 先生が?

だから僕 ADHDじゃないかな~と思って
外来 訪ねて テストやったら

「あなた その可能性 高いですね」って
言われて。

じゃあ ここに ずっと座ってるのは
なかなか大変なんですね 先生。

(関根)苦痛なんですよ。
こうやって動きたいんですけど。

多動児って いらっしゃるんですよね。
子供さんでね。

学校の中で チョロチョロ
教室の中を動いちゃう。

割と僕 そうだったみたいです。
(竹山)調べてないだけで

今 すごく多いんですよね。
(北斗)そうですよね。

僕も ず~っと 先生と同じ若手
しばらく僕 預かってたから。

(本郷)そうなんですか?
だから もう 大体なんか

ほんとに そういう感じでしたよね。

今の話 聞いてると
物事に順序をつけるのが下手なんですよ。

だからね 掃除ができない。

だから 僕の研究室 行くと
みんな びっくりしますね。

今日は 源義経について
健康診断してまいりました。

いかがでございましたでしょうか?

いや あの 美少年ではなかったという
可能性をね 知ってね

驚きました。 歯並び悪かったという。

ただ やはり 鞍馬山で鍛えた
その技術が

後のね 平家を滅ぼすことに
つながったっていうのがね

やっぱり そういう 人間は環境で

いろんなことを つくられるんだな
っていうのを 今日 学びました。

後天的にもね 身体能力を磨かれたと。
ええ。

いかがでしたでしょう?
はい。 その 歯並びのことが出てきて

それによって 歯は どれだけ 健康に
大切かっていう見直しもできたので

今日はね 歴史の勉強にもなり

今後 気をつけなきゃいけないことも
学べたので。 はい。

あと ご主人様に
イケメンだったんだよって。

昔だったら お前はイケメン
伝えておきます はい。

はい。 ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。

宮城県にある 判官森。

自害に追い込まれた義経は
平泉近くの この地に埋葬されました。

しかし ここに眠っているのは
義経の胴体だけ。

首は 鎌倉に程近い地に葬られたと
伝わっています。

義経の死後 その首は鎌倉に送られ
首実検にかけられました。

亡くなって
1か月以上たっていたことから

本当に義経の首なのか
判然としなかったといわれます。

そのため 義経は平泉で難を逃れ
生き延びた。

そんな うわさが まことしやかに
語られるようになりました。

北へ逃れた義経は
やがて中国大陸に渡り

モンゴルの英雄 チンギス・ハーンに
なったという 壮大な伝説まで。

800年余りの時を超え 源義経は

今も 伝説のヒーローとして
人々の心の中で生き続けているのです。


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