偉人たちの健康診断「松尾芭蕉 危険な“いびき”対処法」健脚を支えたのはなんとお茶漬け!?旅の途中、芭蕉を悩ませ…


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出典:『偉人たちの健康診断「松尾芭蕉 危険な“いびき”対処法」』の番組情報(EPGから引用)


偉人たちの健康診断「松尾芭蕉 危険な“いびき”対処法」[字]


奥の細道などで知られる俳諧師・松尾芭蕉が、晩年の10年に歩いた距離は6500km!健脚を支えたのはなんとお茶漬け!?旅の途中、芭蕉を悩ませた弟子のある癖とは!?


詳細情報

番組内容

江戸時代、大勢が集まって滑稽な句を作りあうものだった俳諧を芸術の域にまで高め、今も俳聖と呼ばれる松尾芭蕉。芭蕉はまた旅に生きた「漂泊の詩人」でもあり、晩年の10年で歩いた距離は6500キロ!芭蕉は地方の大名の情勢を探る忍者だったのでは?という説を唱える研究者もいるほどの健脚を支えたのは、芭蕉が愛したあるお茶漬けだった!そして旅の途中芭蕉を悩ませたのは、命に関わることもある弟子のいびきだった!?

出演者

【出演】関根勤,カンニング竹山,西村知美,ロバート キャンベル,【司会】渡邊あゆみ




『偉人たちの健康診断「松尾芭蕉 危険な“いびき”対処法」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

偉人たちの健康診断「松尾芭蕉 危険な“いびき”対処法」
  1. 芭蕉
  2. 俳諧
  3. 松尾芭蕉
  4. 弟子
  5. お茶
  6. 結核
  7. 杜国
  8. 奈良茶飯
  9. 俳句
  10. 江戸
  11. 潰瘍性大腸炎
  12. 当時
  13. 良忠
  14. お願いいた
  15. 江戸時代
  16. 人生
  17. 藤堂家
  18. 非常
  19. 病気
  20. 本当


『偉人たちの健康診断「松尾芭蕉 危険な“いびき”対処法」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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日本人の誰もが知る
一句。

作者は
江戸時代の俳諧師 松尾芭蕉。

当時 「俳諧」と呼ばれた世界に
新風を吹き込み

現代につながる「俳句」を確立した
日本文学の偉人です。

旅に生き 名句を数多く残したことで

「漂泊の詩人」とも
呼ばれています。

旅の途中で…

この謎の絵に 日本人の
国民病とも言われる「病」が

隠されていました。

え~!

芭蕉が 長い旅の間も健康でいられた秘密。

それは 芭蕉が愛した「お茶漬け」!?

完食してらっしゃいますけど。

そして 謎の多い人生を送った芭蕉に
今も ささやかれるのが…。

忍者だったという説。
その真相に迫ります。

♬~

健康のヒントは歴史にあり!
「偉人たちの健康診断」!

♬~

(拍手)

皆さん こんばんは。
「偉人たちの健康診断」です。

ご一緒して頂くのは こちらの方々
どうぞ よろしくお願いいたします。

今回 西村知美さん
初参加ということなんですけれども

何か こう 健康面で 日頃
気を遣ってらっしゃることってあります?

私は 毎日 休みの日は
5時間ぐらい歩きます。      え~!

もう歩くの大好きですね。
歩きすぎなんじゃないの。

5時間は多いって。
1時間で いいんじゃないですか。

歩くから健康で
今 この体形を保ってます。

よろしくお願いいたします。
お願いいたします。

そして もう一方 日本文学
特に 江戸時代の文学に造詣が深い…

どうぞ よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。

さあ今日はですね この方でございますよ。

江戸時代の俳諧師…

皆さん 松尾芭蕉
まあ 知らないことはないですよね。

知らない人いないでしょうね
日本人ならね。

まあね 「古池や 蛙飛こむ 水のおと」。
そういう数々のね すばらしい俳句を…。

だから パイオニアと言っても
いいんじゃないですかね。

全国を ずっと こう
歩いてらっしゃったという。
歩く。

もう ほんとに足腰の強い方だなっていう
印象がありますね。

何か共通する点がありそうですよね。

同じ世代だったら
一緒に歩きたかったですね~。 はい。

竹山さん。
僕は もう ちょっと別で

松尾芭蕉のことを調べたものがあって
そうすると僕は

ほんとに ただの俳人のおじいちゃんって
イメージがあったんですけど…

そういうこと聞いて
いや 全然違うじゃんってなったんで

今は分からないですね
松尾芭蕉という人物像が。

今日は そのミステリアスなところも
解いていこうと思います。

でも キャンベル先生

本当のところ 松尾芭蕉っていうのは
どういう人ですかね。

この方がいて 現代の俳句が
やはりあるという。
ええ。

江戸時代の人たちは
俳句という言葉は 使わないんですよ。

連句の俳諧というふうな言い方を
しまして。

連句っていう 連なる句って言って
みんなが集まって

例えば 私たち5人であれば
5人で 1人ずつが句を作って

付合と言って つなげていく
鎖のようなものとして作るんですよ。

だから グループ活動なんですよ。
ああ じゃあ

みんなで やってたんですか?
(キャンベル)みんなで やるんですね。   あ~!

(キャンベル)
それの一番最初の句を発句と言いまして

それが明治時代に 正岡子規などによって
それが独立をして

俳句っていうふうになるんですね。
あ~!

(キャンベル)芭蕉は 他の人たちを育てたり

一つの道に近いものに
つくり上げることに

大変な情熱を費やした人ですね。
そうだったんですか。

さあ 現代につながる俳句をつくり上げた
松尾芭蕉。

その秘密は 旅にあったようです。

永遠の旅人 松尾芭蕉。

芭蕉46歳の旅を記した
「おくのほそ道」は

日本文学史に輝く金字塔となりました。

芭蕉の旅は 記録に残るものだけでも5回。

西は兵庫から 北は秋田まで。

歩いた距離は
6500kmにも及びます。

なぜ芭蕉は それほど 長く厳しい旅を
続けることが できたのでしょうか?

芭蕉が生まれたのは 城下町 伊賀上野。

現在の三重県伊賀市です。

家は 農民の身分でしたが
名字帯刀を許されていました。

次男として生まれた芭蕉は 父の死後

城代付きの侍大将 藤堂家へ

奉公に出されます。

仕えたのは 2歳年上の藤堂良忠。

年の近い2人は すぐに意気投合しました。

良忠は 「蝉吟」という号を持つ俳人。

2人は 共に 俳諧を楽しむように
なったのです。

こちらの掛け軸に 良忠と芭蕉の
直筆の句が 仲良く並んでいます。

当時の俳諧は 「滑稽」。 つまり
面白おかしいことを詠むもの。

…と 美しい女性の顔を
桜に例えた良忠の句に対し。

芭蕉は 花には風が良くないし

女性には うわさ話がよくないと

面白おかしく返しています。

(良忠)
おぬし なかなか うまいではないか。

(芭蕉)いや まだまだでございます。

こうして芭蕉は 俳諧と出会ったのです。

(芭蕉)農民の私に 武士である良忠様が
ここまで心を開いて下さるとは…。

身分の差を超えて心を通じ合える俳諧に
芭蕉は魅せられました。

「このまま良忠様の相手を務めていれば

いずれは武士に
取り立ててもらえるはずだ…」。

芭蕉は 良忠に
自分の未来を託していました。

ところが…。 芭蕉の夢みた未来は
はかなくも崩れ去ります。

藤堂良忠が 25歳の若さで
亡くなったのです。

心の友 良忠を失った芭蕉の悲しみが
どれほど深いものだったのか…。

こんな句が残されています。

岩躑躅の花を赤く染めたのは
血の涙を流して泣く ほととぎすなのだ。

良忠の死は 武士になるという
夢の終わりでもありました。

この時 芭蕉23歳。

残された道は 一つしかありませんでした。

芭蕉は 後に
こう記しています。

俳諧師として生きていく道を選んだ芭蕉。

29歳の芭蕉は 故郷を離れ
江戸へと向かいます。

(芭蕉)この江戸で
自分の新しい俳諧を見つけてやる!

京都や大阪と違い 当時の江戸は
それほど俳諧が成熟していませんでした。

芭蕉は その みずみずしい感性で
頭角を現し

35にして宗匠 俳諧の師匠となります。

江戸の中心 にぎやかな日本橋。

ここで 芭蕉は 多くの門弟を抱える
俳諧師となったのです。

富も名声も得ることに成功。

ところが それは
目指す道ではありませんでした。

そのころ 句会で行われていたのが…

師匠が作る句の一部を隠して
皆で当てる「賭け」を始めたのです。

(芭蕉)これは 私の目指す俳諧とは
あまりに違う…。

世俗にまみれた俳諧の世界に絶望した
芭蕉は ある決意をします。

宗匠となった2年後。

37歳の芭蕉は 突然 日本橋を離れます。

当時 江戸の外れだった深川の庵に

移り住んだのです。

庭に芭蕉が植えられていたので
「芭蕉庵」と呼ばれ

自らも 芭蕉の号を使うようになります。

大雨の中 この貧しい庵では

雨漏りの音が やけに身にしみる。

「貧しさや寂しさの中に身を置き
新しい俳諧を見つける」。

芭蕉は そう考えました。

庵で 芭蕉が好んで食べたものが
ありました。

「なら茶」とは 貧しさの象徴とされた
「奈良茶飯」という お茶漬けのこと。

奈良茶飯の作り方が

当時の食の百科事典

「本朝食鑑」にありました。

お茶の葉を煎じて…

2回目のお茶に塩を少々入れ 米に
大豆や栗をまぜたものを炊き上げます。

この御飯に 1回目に入れた
濃いお茶をかけて頂きます。

芭蕉は この奈良茶飯を 日々
すすりながら 句を詠み続けていました。

(鐘の音)

江戸が 炎に包まれました。

天和の大火と呼ばれ
3, 500人以上が亡くなった大火事です。

江戸市中で出火した火は 隅田川を越え
芭蕉庵をも焼き尽くしました。

この川の中に逃げている人物が 芭蕉です。

(芭蕉)人生とは なんと無常なものか。

心安らかに住むところすら
この世にはないのだ。

貧しい庵さえ失った芭蕉は
自らの運命を悟りました。

(芭蕉)
全てを捨てて さすらいの旅に出る…。

そして 芭蕉は 死ぬまでの10年間
旅を住みかとします。

人生50年といわれた時代。

芭蕉は 40代のおよそ半分を旅に費やし
全国を歩いたのです。

それを可能にしたのは どうやら
芭蕉の「あの大好物」だったようです。

芭蕉の健康を支えた秘密は
「お茶漬け」という食べ方にありました。

お茶に多く含まれる 健康にいい成分
といえば ご存じ「カテキン」。

その健康効果は…

…も知られています。

実は お茶は飲むより お茶漬けにした方が
健康効果が高まるというのです。

お茶を研究する…

普通のお茶を飲んだ場合と

お茶漬けにして
お茶を摂取した場合っていうのは…

こちらが その実験結果。

縦軸が 血中のカテキン濃度
横軸は 時間です。

お茶を そのまま飲むより

お茶漬けにした時の方が

血液中のカテキンが

1.6倍 多くなっているのです。

お茶のカテキンには
いくつもの種類があります。

中でも エピガロカテキンと
エピガロカテキンガレートで

全体の およそ70%を占めます。

エピガロカテキンは
腸で吸収されやすいのですが

エピガロカテキンガレートは
腸で吸収されにくく

多くが排出されてしまいます。

しかし お茶漬けにすると…。

お茶漬けの場合 吸収されにくい
エピガロカテキンガレートが

お米についたまま腸まで届き
そこで…

そのため より多く
体内に吸収されると考えられるのです。

奈良茶飯の健康効果に支えられ

1689年 46歳の芭蕉は 弟子の曾良を連れ
あの「奥の細道」の旅に出発します。

現在の東北・北陸地方を巡る
全行程2, 400km 150日の旅。

芭蕉にとって 最も長く厳しい旅でした。

流れゆく月日は
永遠の旅人なのだ…。

この旅の中で 芭蕉は次々に
傑作と呼ばれる句を ものにしていきます。

あの奈良茶飯が 芭蕉が名句を生み出す
原動力になっていたのかもしれません。

はあ~ 40代後半から
あんなに歩くんですね。 奈良茶飯で。

(笑い)
ねえ。

お茶よりも茶飯のほうがいいっていうのも
それも いいことを聞きました。

これ 毎朝 もう朝ごはんにしようかなと。
僕も そう思いました。

奈良茶飯 気になりますよね 皆さん
気になりますよね。

ここまで来たら食べたいですよね。
はい お出ししましょう。

あっ うれしいです。
お願いします。

これは あの
お茶で ちゃんと炊いております。

もともと 奈良の東大寺や興福寺の
僧侶たちが食べていたと言われ

「奈良茶飯」と呼ばれるようになりました。

いただきます。

ちゃんと 栗も大豆も入っておりますし。
どんな感じなんだろう?

(キャンベル)ああ いい香り。
(西村)ほんとですね。

お茶の香りがしますね。
(竹山)お茶ですね。

うん!

さっぱりしてて おいしい。

…よりも もっとこう だし的な味に
お茶が変わってますね。

関根さん 黙々と召し上がってて
おいしいですか?

おいしいです。 奈良漬 合います。

奈良漬 合うでしょうね。
ほんのり甘いしね。

カテキンには
抗酸化作用と抗菌作用ありますし

それから コレステロールも
下げてくれるという お茶。

コレステロール
下げないといけないんですよ 僕。

そうですね。
このまま お茶も頂いてますしね。

これは おいしいですね。
(竹山)おいしいですね これは。

先生も もう完食してらっしゃいますけど。
すごい感動してるんですよ。

江戸時代には 実は…

…だって言われてるんですよ。
そうですか。

江戸時代の中でも
これは 明暦の大火のあとに

江戸では 浅草・門前で
奈良茶飯のお店ができるっていうことを

井原西鶴が 作品の中に書いてるんですよ。

芭蕉が 非常に やっぱり わびさび
本当に わびた深川の芭蕉庵で

1人で しとしとと 雨を聞きながら
寂しく作るっていうことには

結構 相性がいいんですね。 イメージとして。
なるほど!

さて 最初のころは やっぱり
芭蕉ですらって言うんでしょうか

ちょっと面白い句を詠んでいる。

これは 34歳の時に
この二句を詠んでおります。

ああ~。

面白いですね 何か しぐれる雲が
まるで天の上から

犬が おしっこをかけてるような
ものだっていうふうに見えるとか

2番目が いいですね。
いや 昨日 フグ汁を食べたけれども

もう本当に
怖くて しょうがなかったんだけど

まあ 夜が明けてみると
なんてことなかったっていう。

そうか フグは毒があるというね。
フグは毒があるから もう本当に それは

結構 緊張してたけれども 何てことは
なかったっていう 身も蓋もない。

そんな高尚なもの というんじゃなくて。

関根さん そのとおりです。

今で言うと ちょっと ツイッターで
つぶやくみたいなもんですよね。

そうです。      (竹山)どんどん出してね。
ツイッター的なものですね。

それに リツイートするのが また俳諧。
みんなが答えるという。

さあ それがですね 変化するんですよ。

これは 芭蕉が 43歳 旅に出てからですね。

やっぱ ちょっと違いますよね。

情緒あふれてる感じが。
情緒がね。

詠んだあとに すごく静寂な まさに…

ある意味 こう観念的というか
心の風景ですね。

本当に そこに 蛙がいて
飛び込んだっていうことだけではなくて

心の中で 思い描ける風景としてあるって
いうことが言えると思うんですね。

一句の中に 時間があるんですね。
流れてるんですね。

水紋 波紋があって それが だんだんと
平らになっていく 音が消えていく。

人生に重ねて感じることもできますし。

いろんなものにね。
いろんなものに まさに この心象ですね。

心の風景の中で 一人一人が
違うっていうのがあるんですね。

こんなふうに変わったんですね。
変わっていくんですね。

芭蕉のですね 人生の最後10年間
そのうちの半分を 旅に生きております。

その芭蕉に 今
ある疑惑が浮上しているのです。

その晩年を 旅人として過ごした松尾芭蕉。

41歳の時の「野ざらし紀行」から始まり

「鹿島詣」「笈の小文」「更科紀行」
そして 「おくのほそ道」へ。

旅を続ける中で 芭蕉の俳諧は
ますます 研ぎ澄まされていきました。

そんな芭蕉の旅とは
どのようなものだったのか?

「おくのほそ道」の足跡をたどってみると
不思議なことに気付きます。

3月末に 江戸を発った芭蕉は
日光東照宮を参拝。

今の栃木県大田原市に13泊し

盛んに句会を開いています。

更に 福島県の須賀川でも7泊。
ここでも 句会を開いています。

しかし 当時の伊達藩領へ入ると
突然 その足を速めます。

白石から仙台まで 50キロの道のりを
なんと1日で踏破。

古くから歌に詠まれた 絶景の松島でも

一句も詠まず 句会も開かず
足早に駆け抜けています。

ところが…。

伊達藩領を抜けた直後

今の山形県 尾花沢では
再び10泊もの長逗留。

句会も 盛んに行っています。

この不自然な 芭蕉の動き。

そこで ささやかれるのが…。

松尾芭蕉 忍者説。

「おくのほそ道」の
秘められた目的 それは

伊達藩の動向を探るための旅だったの
ではないかと言われているのです。

外様大名ながら 62万石を誇った伊達家。

当時 幕府は 伊達家が謀反を起こせば
大事になると 監視を怠りませんでした。

芭蕉が 伊達藩領近くで行っていた句会。

それは 伊達家の情報を
集めるためだったのではないか…。

当然 伊達家も 幕府の手先が
領地を探るのを警戒していたはず。

そこで芭蕉は 危険が伴う伊達藩領は
足早に過ぎたのではないか…。

検証を続ける専門家に聞きました。

忍者という とり方によると
思いますけれども。

例えば「忍者ハットリくん」を想像されると
ちょっと困ってしまうんですけれども

そうじゃなくて…

…という言い方だったら
正しいんではないかなと

私は 思っております。

芭蕉が 若い頃に仕えていた藤堂家。

芭蕉は 藤堂家との関係を 良忠の死後も
続けていたのではないかと

岡本先生は 考えています。

藤堂家は もともと家康の天下取りにも
貢献した 徳川家恩顧の家柄。

芭蕉は その藤堂家の下で
各地の情報を集める隠密。

今で言う スパイの役目を果たしていたと
考えられるというのです。

「おくのほそ道」の旅のあと

芭蕉が 藤堂家の家臣へ送った
手紙が残っています。

芭蕉の死によって かなわなかった旅。

しかし
「見残した九州・四国」という文面は

藤堂家と 何か約束があったことを
うかがわせます。

当時 隠密は 諸国を巡っても疑われない

虚無僧 山伏 行商人や旅芸人を
装っていたとされます。

俳諧師も また諸国を巡るうえで
格好のカムフラージュの一つ。

芭蕉の旅は 隠密として
各地の動静を探る活動だったのか…。

今も 研究者が追い続ける
歴史のミステリーです。

芭蕉の旅は 弟子を伴っていました。

もし 隠密だったら…

ちょっと困った弟子もいたようです。

弟子の名は 坪井杜国。

杜国は 大きな問題を抱えていました。

それが…。

こちらの記念館に 芭蕉が描いた
弟子の「いびき」の絵が残っています。

一体 どんな絵なんでしょうか?

この資料は
芭蕉が 「笈の小文」という旅の時に

一緒に旅をした杜国という人の
いびきが うるさくて

そのいびきを 絵にしたものになります。

同行していた弟子のいびきを
芭蕉が 戯れに描いたとされるもの。

いびきの大きさを示したのか
口元一寸二分 およそ3.6cm。

中央は 四尺七寸
およそ142cmと書かれています。

更に 最後には…

…と あります。

車長持ちとは 長持ちに車輪がついて
移動できるようにしたもの。

それを引く音に
いびきが似ていたようなんです。

いびきの専門家に
この絵を見てもらいました。

口から出てきて
非常に こう大きくなって

そのあと こう 少し揺れているような
状況じゃないかなというふうに

推測できるんですよね。

芭蕉先生 さぞや 弟子の大きないびきに
悩まされたのでしょう。

昔も今も 人々を悩ませるいびき。

いびきは どうして起きるのでしょうか?

多くのいびきは こうして起きます。

睡眠中 舌や のどの周りの
筋肉が緩み

重力によって落ち込んで
気道が狭くなります。

そこを 空気が通る時に出る振動音が
いびき。

白濱先生が注目したのは
「車長持ち」という記述。

恐らく 今 話題になってるような

無呼吸には なってないんじゃないかなと
思うんですね。

これ もし無呼吸とかがあった場合は

もう少し ぐ~っと こう狭くなって
ぐっと上がるようなね。

(いびき)

呼吸が止まる 危険ないびきとは
このようなもの。

(いびき)

呼吸が止まってしまいました。

そして…。

グガッ ガ~。

睡眠中 気道が完全に塞がってしまう
ことで 呼吸が止まってしまう

「睡眠時無呼吸症候群」と呼ばれる
病気です。

無呼吸の状態が長く続くと
血液中の酸素濃度が減少。

それは さまざまな怖ろしい病を
引き起こす危険があるのです。

人間の体というのはですね 非常に
高濃度な酸素が巡っているわけですね。

重症の睡眠時無呼吸症候群 例えば
1時間に30回以上 呼吸が止まる方

実は 血液の中の酸素濃度というのは
80%とかですね 70%とか

もう本当にね…

毎晩 エベレストに登頂している。

それが どれほど体に負担をかけているか
想像して下さい。

不足した酸素を補うため
心臓は 必死に働き続けます。

その負担は 動脈硬化を進め
狭心症や心筋梗塞

あるいは 脳卒中といった
命に関わる病に つながるのです。

更に 十分な睡眠をとれない
睡眠時無呼吸症候群は

日中に 猛烈な眠気を伴います。

それが もし運転中だったら
重大な事故に つながりかねないのです。

睡眠時無呼吸症候群は
太った男性だけの病気ではありません。

杜国のいびきに悩まされていた芭蕉。

しかし 一方で 杜国のことを思って詠んだ
こんな句も残っています。

杜国との楽しい旅の夜を思って
詠んだ一句。

かわいい弟子のいびき。

芭蕉にとっては
いびきに悩まされたことも

楽しい思い出だったのかもしれません。

杜国との旅を終えて 2年後
芭蕉のもとに 悲しい知らせが届きます。

杜国が 30代の若さで
亡くなってしまったのです。

芭蕉は 杜国への思いを
こう書き残しています。

人生の無常を感じる 弟子の死。

芭蕉は 深い悲しみを また糧として
自らの俳諧の道を突き進んでいくのです。

なるほど。 何かこう 忍者説って
私も聞いたことがあったので

あの50キロの距離も 木から木へ
渡り歩いてたのかと思ってたんですけど

でも スパイとして情報を得ながら
歩いてたっていうのは 何か納得しますね。

スパイ説 納得ですか。
そうですね。

絶対そうだなと思うんですけど
諜報部員みたいな。

絶対 やってたと思うんですけど。

だって よくよく考えたら
あんなだって てくてく歩いて

俳句ばっかりっていうか 考える旅なんか
おかしいじゃないですか。

やっぱり 伊賀生まれっていうのが
そういうふうな妄想を

我々 かき立てちゃうんですね。

やっぱり血縁者の中にも やっぱり
忍者に つながってる人たちもいますし

環境としては そうだっていうふうに
思うんですけれども

本当に 接点になるような証拠が
今のところないので 私は慎重ですね。

さあ 芭蕉は 弟子の杜国のいびきに
とても悩んでいたという

これも また びっくりなこと
なんですけれども。  そうですね。

芭蕉のように いびきの図を
描くということは 面白いんですね。

海外では あまり見たことはなくて

杜国のいびきを
愛情と やっぱり困ったなっていう

これを ミックスした気持ちで描いてる
芭蕉って すごく面白いと思うんですよ。

あの絵を また医学的に この部分では
呼吸はしていたと思われるとかいうのも

面白いですけど 今日はですね
専門家の方に おいで頂いています。

よろしくお願いいたします。

日本睡眠学会の専門医でいらっしゃる
高崎雄司さんです。

どうぞ よろしくお願いいたします。
どうぞ よろしくお願いします。

皆さんは いびきというのは
いかがですか?

実は 私は もう…

(竹山)痩せてるのに。
そうなんですよ。

私も いびきって
ちょっと こう ぽっちゃりした

恰幅のある方がするイメージが
あったんですけど

私が 何で? と思ったら
何かこう 調べて頂いたら…

そういうこともあるのかと
びっくりしました。

太ってる人だけじゃなくて 女性でも
結構 無呼吸の方が おられるので

日本では まあ恐らく 300万人ぐらい

いるんじゃないかなというふうに
いわれてますね。

結構いらっしゃいますね。

何か対策は してらっしゃいます?
だって今 睡眠時無呼吸症候群って。

調べたら 私も そうだったので

実は CPAPという
グッズがありまして。

付けるんだよね こうやってね。
こういうの付けて。 はい。

こんなところに2人もいると
思わなかったんですけど

僕も無呼吸症候群で
僕もCPAP付けてるんですけど

けど あれ 毎日
僕も5~6年になるんですけど

なかなかね毎日ね付けるの忘れるというか
正しい言葉で言うとサボるなんだけど。

そういう時は翌日どうですか?
体の調子。

もう明らかに調子悪いんで分かりますね。
もう CPAP付けるのと付けないんじゃ

昼間のねむ具合が全然違いますから。
(関根)あ~ やっぱりね。

もう あからさまに眠いですし
CPAP付けると全然調子いいですね。

なるほどね。
やっぱり先生 CPAPでしょうかね?

自分自身が心配だったら
しっかり検査を受けて

それで しっかり治療して頂ければ
かなり改善しますので。

先ほど言ったCPAP以外にも

マウスピースなんかが
効く方もおられますし。

マウスピースも
睡眠時無呼吸症候群の治療法の一つ。

無呼吸を改善することができます。

そのいびきが
重症になってくると

無呼吸症候群に発展する
可能性があるということですか。

大変だな~。

いびきを簡単に改善する方法は
ないんですか?

無呼吸は あれですけども。
無呼吸の患者さんでも

そんなに重症じゃなければ…

改善するというふうに思います。

いびきを止めるコツというのを
ずっと昔からやってまして

主人が すごく いびきが すごいんですよ。

そういう時に
主人の頭に向かってじゃなくって

ちょっと顔の横に座って
斜め向こうに向いて…

…って言うと
ピタッと止まるんですよ。

これ10回のうち7回は成功してます。
これ どうでしょう?

他の言葉は駄目なの?
何か その言葉が一番いいっていう。

先生 睡眠学会的に
この考察はいかがでしょう?

いや~ 僕は何とも答えが。
科学的には ちょっと。

さて 旅に生き
俳諧の世界を極めていった松尾芭蕉。

実は その死にも
ミステリーが隠されていたのです。

旅の中で芭蕉は 日常的な言葉で
文学性の高い句を詠む

新たな俳諧の境地に達していました。

そして 既成の流派とは一線を画す
新しい「蕉風俳諧」を確立。

全てを捨てることで到達した
芭蕉の俳諧は 人々に受け入れられます。

そして 各地に多くの弟子を
抱えるようになったのです。

51歳になった
芭蕉は

再び旅に出る
予定でした。

しかし かないませんでした。
持病の悪化が原因といわれます。

49歳の時の手紙です。

芭蕉が自ら語った持病 「疝気」。

江戸時代の辞典「病名彙解」には
こうあります。

芭蕉は おなかが痛くなる
「疝気」を繰り返していたようです。

芭蕉の「疝気」は 現代医学では
どんな病気にあたるのでしょうか?

芭蕉は腹痛に
長い間 苦しめられてまして…

こういう経過を見ますと…

…という病気ではなかったかと思います。

潰瘍性大腸炎は 現代でも原因不明。
難病指定されている やっかいな病気です。

その症状は 下痢や腹痛 血便 発熱など。

よくなったり悪くなったりを
繰り返すことが

最大の特徴とされます。

更に 芭蕉の手紙には
もうひとつ 気になる記述が。

芭蕉は 痔も患っていたようなんです。

実は これも潰瘍性大腸炎の
合併症の一つだった可能性があります。

それも示唆する所見の一つだと思います。

持病が小康状態となった5月11日
芭蕉は無理を押して旅に出ました。

そして これが芭蕉最後の旅となるのです。

九月。 大阪へ到着。

そのころの芭蕉の手紙には
ひどく苦しんだ様子が書かれています。

ついに旅先で
病床に就くことになった芭蕉。

病床で芭蕉が詠んだのが あの有名な句。

秋の静けさの中で床に伏せっていると
人恋しさが募ってしかたがない。

芭蕉の病状は急激に悪化します。
弟子による記録です。

泄痢とは 今でいう下痢のこと。
下痢で2晩も苦しんだというのです。

そして 芭蕉の容体は
日ごとに悪化してゆきます。

午後4時ごろ
旅の途上で 芭蕉は息を引き取ります。

51年の生涯でした。

芭蕉の命を奪ったのは
持病の潰瘍性大腸炎なのでしょうか?

だとしたら…

…可能性が考えられます。

実は 前の年の3月 同居していた
おいの桃印が亡くなっています。

死因は 「労咳」。 つまり 肺結核でした。

芭蕉自身が看病していました。

この時 芭蕉もまた結核菌に
侵された可能性があるのです。

…という病気であった可能性があります。

結核というと
肺結核だと思われがちですが

実は 結核菌は…

その一つが腸。
腸結核と呼ばれるものです。

しかも そこにも
潰瘍性大腸炎が関わっていました。

…ことが よく知られています。
気管支が拡張してしまいますと

そこに結核菌がですね
感染する温床になるんですね。

突然 腸に穴が開いたり

大量の下血をしたりして
亡くなることがあるんですね。

芭蕉は 潰瘍性大腸炎だったために
腸結核になりやすかったと考えられます。

結核は 今でも日本で 年間およそ
1万7, 000人ほどの患者が発生。

命を落とす人もいる
重大な感染症なのです。

結核の初期症状は風邪と似ています。

2週間以上 せきやたん 微熱が続いたら
病院へ行きましょう。

芭蕉は 旅に生き
旅の中で亡くなりました。

芭蕉が 死の直前に詠んだ一句。

病に倒れ もう動くことはできないが
夢の中で 心は自由に旅をしている。

永遠の旅人 松尾芭蕉。

彼が見つめ 俳句に刻んだ思いは
今も 私たちの心を捉えてやまないのです。

旅に生きたんですね。 ほんとに。

旅先で亡くなっているんですね この方ね。
そう。 ねえ。

博多に行こうとしてて 博多の弟子たちは
すごく待ちわびていたんですね。

四国 九州をね
行きたいって言ってましたよね。

修行。
そうです。 旅に出て 実際に…

…っていうことでもあったわけですね。

あれですね。 潰瘍性大腸炎って
ほんと 原因が分かんないんですね。

何か難病って 今言ってましたよね。
怖いですよね。

今日はですね そのあたりも
伺ってまいろうと思います。

どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。

日本消化器病学会専門医の
江田 証さんです。

どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。

潰瘍性大腸炎。 この患者さんっていうのは
やっぱり今でも いるものなんですか?

そうですね。
非常に増えている病気なんですね。

(江田)通常の免疫機能がですね

いいものと悪いものを
うまく識別できなくなりますと…

それで腸が荒れてしまうと。
環境とか食事なんかの影響ですね。

それから遺伝子の影響。
さまざまな要因が重なり合って

潰瘍性大腸炎を
引き起こすのではないかというふうに

推測されているんですけれども
まだ分からないことも非常に多いですね。

今 この時代に先生
なったら どうすればいいんですか?

薬では治らない?
非常に今は いい薬がありまして

そのお薬を飲んで症状をうまく
コントロールするっていうことは

十分に可能です。
ほとんどの患者さんはですね

その薬を飲みながら 一般健常人と
変わらない生活が送れています。

そこに その結核っていうのが 今ね。
しかも腸の結核ですか?

今も結核 やっぱり多いんですか?
非常に今 多いですね。

我々の芸能の仲間も結構ね
結核に 若くしてなったりとかも。

JOYくんとか 前なったし。
ハリセンボンも なったりしたんだけど

多いんですか?
そうですね。

それは なぜ日本が多いんですか?
それはですね

昔に結核に感染した人がですね
高齢化してきてますので

やっぱり免疫力が落ちてきて
結核が また再燃して

発症しやすくなってきてる。
体のどこかにいるんですか? ずっと菌が。

そうですね 隠れてるんですね。
最近もですね

年間2, 000人の方は
結核で命を落としているということで

今はですね
抗生物質に対して効きづらい

耐性菌の結核菌なんかも増えてますし
要注意の菌ですね。 はい。

ちょっと やっぱり
おかしいなと思ったらね

検査しないと駄目ですね。
広まってもいけませんよね。

さあ 今日は松尾芭蕉の
健康診断をしてまいりました。

いかがでしたでしょうか?
松尾芭蕉のね

僕も ひそかにね 忍者説っていうのをね
喜んでたんですけども

今日 キャンベルさんに否定されて
すっきりしました。

(笑い)

松尾芭蕉さんの
お弟子さんのいびきを絵に描くという

あのセンスのすばらしさ。
松尾芭蕉さんのように

私も茶飯を食べながら一生懸命
健康的に歩きたいと思います。

いや 僕もCPAPで
ゆっくり寝るようにします。

先生 改めまして
松尾芭蕉を評価いたしますと。

松尾芭蕉の手紙には やっぱり
門人に向けた大切な言葉であったり

常に周りに門人たちがいて

離れた所にいる人たちに
いつも やっぱりこう 気を遣って

それを少しずつ増やしていくということが
あったんですね。

ほんとに ある意味 リーダーとして
組織をつくって

きちんと各地に正しい俳諧が
花咲くようにしていたという

それは かなり実は
強力な力だったと思うんです。

いい先生でもあったんですね。
どうもありがとうございました。

(一同)ありがとうございました。

♬~

芭蕉は 旅先の大阪で生涯を閉じました。

その墓は 意外な所にあります。

琵琶湖のほとりにたたずむ
小さな寺 「義仲寺」。

♬~

こちらが芭蕉さんのお墓になります。
松尾芭蕉の本墓ということでございます。

なぜ 芭蕉は琵琶湖のほとりに
眠っているのでしょう?

♬~

それは 「おくのほそ道」の旅を終えた
47歳の時のこと。

♬~

芭蕉は琵琶湖を訪れ
旅の疲れを癒やそうと

大津の弟子が用意してくれた
庵に入ります。

この時 琵琶湖の広々とした景色に
心を打たれました。

♬~

美しい景色に 安らぎを覚えた芭蕉。

そんな芭蕉を
優しく迎えてくれた近江の人々。

こんな句を残しています。

人生という長い旅を終えたら
ここに眠りたい。

遺言で 芭蕉は弟子たちの手で
琵琶湖のほとりに葬られました。

芭蕉の魂は 今も 俳句という文学の中に
生き続けているのです。


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