先人たちの底力 知恵泉「真田一族のブランド力 維持する哲学 真田信之」今回は、昌幸の長男・信之の、ブランドを…



出典:『先人たちの底力 知恵泉「真田一族のブランド力 維持する哲学 真田信之」』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉「真田一族のブランド力 維持する哲学 真田信之」[解][字]


武士にとって家名は、いわばブランド。信州の小大名・真田昌幸と、次男・信繁が打ち立てた「真田ブランド」。今回は、昌幸の長男・信之の、ブランドを維持する知恵に迫る。


詳細情報

番組内容

父・真田昌幸亡き後、次男・信繁は、大阪の陣の戦いで天下に名をはせ散華した。しかし真田は滅びはしなかった。真田の名を守ったのは、父、弟と決別し、徳川についた、長男・信之だった。徳川家光の時代までに取り潰しになった大名家は百以上。徳川に盾ついた父や弟を出した真田家はその筆頭となってもおかしくなかった。弟に比べて地味な存在ながら、信之は真田ブランドをどうやって守り継いだのか?その賢明な知恵と哲学に迫る!

出演者

【出演】アパレル会社代表取締役…山口絵理子,八木亜希子,静岡大学名誉教授…小和田哲男,【司会】新井秀和




『先人たちの底力 知恵泉「真田一族のブランド力 維持する哲学 真田信之」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

先人たちの底力 知恵泉「真田一族のブランド力 維持する哲学 真田信之」
  1. 信之
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  3. 昌幸
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  10. 知恵
  11. 東軍
  12. 判断
  13. プラス
  14. マイナス
  15. 結構
  16. 存続
  17. 大名
  18. 農民
  19. お父さん
  20. バングラデシュ


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ブランドを維持するのが大変?

この人の苦労に比べたら
乗り越えられます。

実力次第で天下人にもなれた戦国時代。

多くの武士たちが命をかけてまで

手にすることを願っていたものが
2つあります。

一つは 戦に出て武功をとどろかせ…

そして もう一つが子々孫々にまで…

信州上田の小大名 真田一族は

見事に この2つを成し遂げたことで
知られています。

慶長5年 関ヶ原の前哨戦

上田合戦で
真田昌幸は西軍に味方し

10倍の秀忠軍を相手に奮闘。

関ヶ原の戦いに遅刻させ
真田の名を世間に知らしめます。

この真田の名を不動のものにしたのが
昌幸の次男 信繁。

大坂夏の陣で
家康の本陣を突き崩し

日本一の兵と呼ばれるほど
大手柄をあげたのです。

しかし この戦いで真田軍は全滅。

家名はついえたかに思えますが

真田家は これで滅んだわけでは
ありませんでした。

真田ブランドを引き継ぎ
真田家の礎を築いて

明治に続く家にしたのが 昌幸の長男…

信之は 徳川家に盾ついた
父や弟を持ちながら

家康や秀忠の信頼を勝ち取ります。

四代将軍 家綱に至っては

信之のことを
手本とすべき人という意味の

天下の飾りと呼んで
尊敬し

家名存続のお墨付きを与えたといいます。

信之の末裔で愛知淑徳大学の教授…

幸光さんの家には
口伝による家訓が残されているそうです。

それは 私が聞いている解釈では…

どんなにつらいことがあっても
とにかく生き延びていく

そういう執念を持ちなさいと。

まさに 信之が生きた時代

名家といえども
存続が保障されているわけではなく

家光の時代までに
取り潰しになった大名家は 100以上。

徳川家に盾ついた父や弟を出した
真田家は

その筆頭となっても
おかしくありませんでした。

そんな中で信之は 真田の家と
日本一という真田ブランドを

どうやって守ったのでしょうか。

今回 真田信之の
ブランドを維持する知恵を読み解くのは…

学生生活を送りながら

途上国から世界に通用するブランドを
つくりたいと…

誰もが無理だと言う中

心をつかむ いい商品をつくれば
必ず売れると信じて

現地の職人と共に
細部までこだわったバッグを製作。

日本で販売すると
若い女性から人気が広がり

今ではバッグだけでなく
ジュエリーやストールなども手がける

ファッションブランドとして
注目されています。

途上国から人気ブランドを生み出した
山口絵理子さん。

今に続く真田ブランドの礎を築いた
信之の知恵を

どう読み解くのでしょうか。

店長 また3人でやって来ました。

ありがとうございます。
約束の親子丼 よろしくお願いします。

あ… あ~ はい。

食べに来たんですよね。
はい おなかすきました。

私 ふだん 飲む時は
ごはんもの食べないんですけど

前回ね 今度は親子丼が出るっていうんで
楽しみにしてきました。

約束でしたから。
いや まあ 親子丼もね

この店 よく出るんで
いいんですけれども

今日はね 実は今日のネタに
ぴったりなものを私 見つけたんで

そちらを召し上がって頂こうかなと
思ってるんですよ。

何?        何ですか?
おススメですので。

こちらなんですよ。 わっ! 何ですか?
どうぞ どうぞ。

先生も どうぞ どうぞ。 ほほほほ ほ~う。
上から失礼します。

これ 見て下さい。
こねつけ餅っていうんですけど

長野県北部の郷土料理。
おやきとは違うのね?

あっ いいところ いってますね。
ちょっと違うんですね。 これ お米と

小麦粉を混ぜて
餅状に固めたものを焼いて

最後に おみそを塗ってあるんですね。
わあ おいしそう。     食べてみましょう。

どうぞ どうぞ。
いいですか? いただきま~す。

うわ~。       一口 召し上がって頂いて。
焼きたてじゃないですか。

そうなんですよ。
あっ 五平餅みたいな感じですね。

うん! 食べやすい お餅っていう感じで。
おいしい。

よかった。 いや 何で
今日に ぴったりかっていうと

これ 伝説では 大坂夏の陣の前に

信之を訪ねてきた信繁に出したとも
いわれているっていうことなんですね。

でね 信之といいますと
大河ドラマ「真田丸」では

八木さんも関係の深い役柄を演じられた
ということですけれども。

そうなんですよ。
どういう役と言ったらいいんですか?

小野お通さんの役だったんですけど
小野お通さんっていうのは

謎の多いね。        謎ですね。
女性なんですよね。

なので
三谷幸喜さんの脚本の中では

ストレスの多い信之さんを癒やす
セラピストみたいな役割です

というふうに言われて
そういうふうに信之さんが

何か一説によると 手が震えるぐらい

ストレスがたまってたっていうふうに
伺ったので

それを ほっとする場を提供するみたいな
感じの役だったんですよね。

ほうほう…。
この信之という人ですけれども

先生 お父さんの昌幸とか
あと 信繁に比べると

あまり知られていないという感じも
するんですけれども

これは どうしてなんですかね?
やっぱり お父さんと弟が

大活躍しちゃってるから その陰に隠れて
あまり ちょっと目立たない

そういう人間だったんでしょうけれども
ただ 実際は

この信之がいたから真田家っていうのは

江戸時代
明治維新まで残ったわけですから

私は やっぱり すごい人だったな
という思いは持ってますね。

真田家を存続させていった
っていう意味では

キーパーソンっていうことなんですかね。
だって 徳川幕府が出来上がった頃は

もう多くの大名
取り潰されてるわけですよね。

しかも この場合 お父さんと弟は
家康に盾ついたわけですから

当然 何か ちょっとでもあると
取り潰される危険というか

怖さっていうのは
もう 身にしみて持ってて。

だから それこそ名前 今 信之
之という字を書いてますけど

もともとは 幸いという字だったんですね。

同じ発音はノブユキですけど。

だけど これは
お父さんの昌幸と

幸っていう字が重なるから
これはもう ちょっと

まずいぞっていうことで
そこから名前も

関ヶ原の頃から変えてますから。
はあ はあ はあ…。

そこまで こう割と
お父さんや弟のにおいを消すというか。

そうですね。
気をつかってた?

気をつかってた。
そうじゃないと取り潰される。

そういう厳しい時代だったですね。
なるほどねえ。

さあ ということで
今日はね そんな信之から

ブランドを維持していく極意を
味わっていこうと思うんですけれども

今 皆さんに召し上がって頂いた お餅
こんなメニューを付けてみました。

こちらです。

うん 餅が掛かってるわけですね。

そうなんですよ。 改めて言われると
ちょっと恥ずかしいんですけど。

そういうことなんですよ。
ブランドを長モチさせるためには

どうしたのかというところ
見ていこうと思うんですけれども。

ねえ 山口さん
ブランドを生み出すっていう話も

前回も伺いましたけれども
それも大変だと思うんですが

それを維持していくとなると
また別の大変さがあると思うんですが

この辺って どうですか?

私は ブランドをスタートしたのは
まだ24歳の時だったんですけど

何か 知らなかったから できたなって
思うんですよね。

いろんな怖さとか いろんな その…
覚悟というよりかは

無知だから いろんなことをできた。

でも やっぱり
10年以上 ブランドを継続する中で

いろんな熱量の人が仲間に加わって
くるんだなと思うんですね。

自分と同じモチベーションとか
やる気の人たちばっかりじゃないこと

しかも それが
国をまたいで仲間が増えること

そこを こう一緒に
こっちがゴールだよっていうふうに

いっつも言い続けるというか
旗を振り続けるっていうのは

すごく 何か難しいなっていうのは
いろんな面で感じます。

そうですね。

でも やっぱり みんなだからこそ
やれることも たくさん広がるから

何か自分一人の喜びも みんなだと
もっともっと倍になるなっていうのは

感じてますけど。 はい。

では一体 どうやって その信之が
真田家を残していくことができたのか

最初の知恵から ご覧頂きましょうか。

家康は
謀反を企てる上杉景勝を討つため

会津に向けて進軍。 世に言う…

真田昌幸は 長男 信之 次男 信繁と共に
家康軍に加わるため

宇都宮を目指していました。

ところが この日
石田三成から1通の書状が届きます。

その内容は

天下を狙う家康を成敗するために
挙兵した。

仲間に加わってほしいというものでした。

まさに 天下分け目の大合戦。

東の家康 西の三成。

東軍 西軍 いずれに味方するべきか。

究極の選択が
昌幸親子に突きつけられます。

通説では
昌幸は 家康の養女を妻にしている

長男 信之を東軍に味方させ

自分は次男 信繁と共に西軍につき

どちらが勝っても真田家が存続するように
謀ったといわれています。

ところが真田家の歴史をまとめた
「松城通記」によれば

全く別の話が書かれています。

それによると…

しかし 信之は
家康の動員に応じ 出陣した以上

今になって寝返るのは
不義になると反対し

父 昌幸と対立します。

親兄弟こぞって西軍につくことを
主張する昌幸。

信之を説得しようととった行動が
史料に こう書かれています。

昌幸は
信之が信頼する
僧を呼び

信之を説得するように
頼んだところ

「信之様が
一度決めたことは

誰にも
変えられません。

説得は無理です」と
返答します。

信之は 家康に合流するため
宇都宮を目指します。

世に言う犬伏の別れは
昌幸が企てたリスク分散ではなく

長男 信之が自ら決断した

父 弟との
決別だったのではないでしょうか。

信之の行動について大河ドラマ「真田丸」で
時代考証を手がけた

歴史家の平山 優さんに話を伺いました。

昌幸は
生っ粋の戦国人なので

これで また
世の中が戦国争乱に戻る。

そしたら一獲千金の
つまり欲しかった信濃一国

場合によっては 甲斐まで手に入れられる。

信之は そうではなくて
今は家康の指揮 命令下で

今 ここに来てる大名たち
みんな動いてる。

それを放り出して
西軍につくということは

これは道義上も筋が通らないことだから

認めるわけにはいかないと。

かなり冷静な判断だったんではないかと。
つまり…

そして この信之の冷静な判断で
東軍に残ったことが

真田家を存続させることになったのです。

実は 信之が父や弟と決別し
東軍につくことは

石田三成も家康も
全く予想していませんでした。

その証拠に三成が送り続けた書状には

昌幸 信繁と共に信之の名前が書かれ

三成は 信之が
父たちと別行動するなど

考えてもいなかったのです。

それは家康も同じで
秀忠から信之が親兄弟と決別し

東軍に来たとの報告を受けると
奇特千万と大いに驚きます。

そして 勝ったら

昌幸の領地 上田を与えると
約束するほど喜んでいます。

一般的なイメージでは
弟 信繁の方が圧倒的に武勇に優れ

兄 信之は
おとなしいように思われていますが

実は 信之は
若い時から荒武者として知られ

鎧などから身長は185cmを超える大男。

秀吉の命令で出陣した忍城攻めでは
昌幸や信繁が止めるのも聞かず

僅か20騎で出城に攻撃をかけ
落城させたほどの

勇猛果敢ぶりを発揮したそうです。

結果は…

昌幸の信濃一国の大大名になる夢は破れ

一方で 信之が親兄弟と分かれ
東軍についたことで

真田の家は
断絶を免れることができたのです。

しかし 西軍大名を処罰するため…

この時 信之が
父を厳罰に処するなら

自分も腹を切ると
命がけの嘆願をしたことで

九度山への蟄居に減刑されます。

信之は 更にツテを使い…

慶長8年 家康は
朝廷より征夷大将軍に任命され

それを祝い恩赦が出るだろうという
うわさが広がりました。

同じ年の3月に

昌幸が信州にいる住職に出した手紙には
こう書かれています。

ところが昌幸に恩赦はなく…

当時の大名の当主というのは
戦国の時代であれば

家臣をまとめて
戦に勝利をするっていうのが

これは絶対条件です。
でも同時に

戦のない あるいは戦をしながら
同時に彼らは経営者でもあるんですよね。

自分の国を経営していかなきゃいけない。

経営者である以上
これは やっていいことだろう

これは やってはいけないことだろうって
たくさんあるわけですよ。

ですから信之にとっても
特に徳川幕府と衝突するようなことは

これは絶対にあってはならないことだ。

何が何でも
幕府の命令は受けなければいけない。

特に真田のように
反乱を起こした経緯があるとか

たてついた経緯がある
しかも父親が弟が

一族がっていうようなことがある大名は
なおさらなわけです。

すごい。 知れば知るほど
かっこいい人ですね。

何か いろいろと物事が
見えてたのかなとか思うんですけど。

冷静な判断があったっていうこと
なんですかね。

あと やっぱり先を見る目っていうのも
あったんでしょうね。

これからは
もう そういう何て言うのかな…

また戦国乱世に戻るような
時代じゃないよと。

もう ちゃんと徳川の時代に
なっていくんだよっていうとこが

まあ 信之の方は見えてたというか
読めてたんでしょうね。

そうですね。
普通 どうしてもね
弟の信繁の方の活躍ぶりが…。

華やかにね 伝わってますけど。
華やかになってるから

お兄さんの方は
ちょっと おとなしかったとか

そんなに武勇 優れてなかったんじゃない
っていわれますけど

意外と そうでもないですね。

ちゃんと武将としては
一級の仕事をしてますね。

山口さんは いかがですか? 今の知恵。
その「情や欲にとらわれず

冷静に判断せよ」
っていうことでしたけれども。

う~ん やっぱり
自分が その渦の中にいると

目の前の人の表情だったりとか
セリフだったりとか

一喜一憂しちゃう部分はあります。
ほ~う。

その時に自分なりの判断って
どういうふうに決めていかれるんですか?

う~ん やっぱり最終的に
何がしたいのかっていうところは

自分の 結構そこって好き嫌いなんじゃ
ないかなっていう気もするんですけど。

好き嫌い?
うん 好き嫌いっていうか

もうちょっと本能的に「それを
やり遂げますか? 自分」みたいな

問いかけはします。
はあ~。

途上国とかだと やっぱり
みんなが結構 意外だったのは

私 当然 何か かわいそうな人が
いるかなっていうふうなイメージで

最初 行くわけなんですよね。
でも やっぱり ある意味で

援助慣れしている部分っていうのも
すごくあって もらえるのが当たり前。

日本人だから買ってくれるよね
っていう部分って

すご~く浸透しちゃってる
悪い面でもあるんですよね。

何か そこに対して
「あれ? 本当のゴール

何だろう?」って思った時に
やっぱり 職人さんが

自分の力で つくりたいものをつくって
それが評価されるっていう

何かシンプルなことが
できたらいいなって思ったんですよね。

私 そのバングラデシュの大学院に
通ってたんですけど

すごい印象的だったのが
クラスメートが

「えっ 僕たち援助が欲しいわけじゃなくて
仕事が欲しいんだよね」って

言ったんですよね。
で みんな 休み時間に

ず~っと求人募集を見てるんですよ。

コンピューター 10台しかないから
みんな 列になって。

それでも とにかく
「職がない 職がない」って言って

大学院卒業しても
リキシャになったり
しちゃうとか

そこのギャップが
すごいなと思って

何か仕事場の方が大事なんじゃないかなと
思ったのも きっかけだったんです。

やっぱり 自己実現のためにはっていうね。
そうですね。

その お金だけじゃないっていうことが
いっぱいありますもんね。

自分の達成感とか。
ただチャンスがないだけなのかな

というふうに思ったんですね はい。
そうなんですね。

何か 判断にね 迷ったりした時って
私も よくあるんですけど

どっちも正しいなと思った時に
どうしようってなると

私は結構いろんな人に
話を聞いたりはするんですけど。

私は結構 一人じゃないと
決めれないタイプで。    逆に?

はい。 一人の時間で…

日記?
日記を ずっと小学校から書いてるんです。

すご~い。 そこからして 人間として違う。

(笑い声)
三日坊主です…。

その日記っていうのも
ただ 今日 何があったっていうだけじゃ

ないような気がしますよね 何かね。
はいはい 自分に対しての質問。

えっ ど… どういうことですか?

「本当に腹に落ちてるのか」とか
そういうこと。

自分の思いの丈を割と日記に?
そうです。

今日一日あったことでも。
そうです。 その癖が バングラデシュが

インターネットにつながらなかったから
より強くなったんです。

何か 友達もいないし
インターネットもないから

そのバングラデシュにいた時
ず~っと日記を書きまくってたんですね。

何か そうする中で
自分 本当は援助とかじゃなくって

何か仕事をつくりたいのかなとか
いろいろ書いてました。

文字に書くっていうの その作業が
やっぱり何か 頭を整理したりとか。

覚悟を決めるみたいな それもありますね。
はい。

でも分かる気がします。 私も就職の時とか
あと ちょっと先行き迷った時に

書き出してみるっていうことを
やったりして

客観的に文字を見ると
何かね 見えてくるものとか…。

そういうのやったこと…?

うん やりましょうね。
(笑い声)

メニューを書くとか。
そうですね。 メニューを書く。

先生 ないですか?

私 書くっていうこと
あまりないですけど

むしろ 昔の人が書いたもので
何か導かれるみたいな。

昔の家訓とか そういうの
いろいろ残してますよね 遺言状だとかね。

そういったものを読み返すことで
「あっ こういう判断してるんだな。

じゃあ 自分は これに従うかな」みたいな
そういう こう…。

自分では あまり書くっていうのは…
まあ 原稿は書きますけど

そういうあれは
自分のあれは書かないですけど。

そこでも歴史が役に立ってるんですね
先生は。

本当に すばらしい。
なるほどねえ。

さあ 関ヶ原の戦いを生き抜いて

家を存続させることが
できたわけなんですけれども

そんな信之が 次に挑んだのが
財政破綻の危機にひんしていた

藩の経営だったということなんですよね。

今度は一体 どのようにして
藩を立て直して家名を存続させたのか。

2つ目の知恵を見ていきましょうか。

関ヶ原の戦いで親兄弟と決別し
東軍に味方した信之を

家康は 忠義の人と呼び

沼田領に加え
父 昌幸の上田領を与えました。

慶長6年 信之は沼田城から上田に移り

領内経営に乗り出します。

ところが信之の上田領統治時代は
相次ぐ戦で田畑は荒れ

その上 度重なる浅間山の噴火で

後にも先にもないというほど
過酷な状況だったといわれています。

だから両方ともが浅間山の影響
もろに受ける地域なんですよね。

ですので… 浅間山は
ほぼ連年のように噴火をします。

ですから そうすると
どういうことになるかっていうと

火山灰が降る 農作物が駄目になる。

で 火山灰が積もって 農地をですね

また 切り起こさなきゃ
直さなきゃいけないとか。

領地を経営する最高経営者として

これほど頭の痛いことは
なかっただろうと思うんです。

更に検地帳には
もう一つの災害が記されています。

それが ひそん。

実は 上田市は
年間降水量が900ミリ未満という

本州で最も雨が少ない地域なんです。

そのため 度々 干ばつが起き
不作に見舞われ

収穫ができず 逃げ出す
うせ人となる農民が現れ

主なしになった
荒れた農地が たくさんありました。

年貢の取り立ては うまくいかず

もはや一刻の猶予もないほどの
財政難に陥った藩。

その立て直しの鍵が
農村の復興にあると考えた信之は

逃げ出した農民を村に呼び戻すため

未納分の年貢の追徴を破棄します。

その上で毎年義務づけていた

無償の使役を3年免除し

村に帰ってきた農民には
当座の糧として

一人 米1俵を支給します。

なんとか定着をさせなきゃ
いけないわけです。

でも そのためには…

これは沼田領の方の話ですけど
百姓が年貢を払うために借金をして

結局 自分の身をかたにして
お金を借りて年貢米払ったけど…

こんな大名は 多分 ほかにいないんじゃ
ないかというふうに思いますけどね。

こうした取り組みで

真田領に戻ってくる農民が
少しずつ増え始めると

次に信之は
農業生産を増やすための方策を考えます。

そして思いついたのが
干ばつが多いというマイナスの状況を

プラスに変える方策でした。

上田市の南にある塩田平。

この一帯には
信之の時代からつくられ始め

今も農業の役に立っているものが
あるそうです。

それが ため池です。

今でも60近く残っていますが

江戸時代の最も多い時には
230くらいあったそうです。

干ばつという被害は
江戸時代には相当あったようで

まあ 数年に一回ぐらいは

干ばつの被害が出るような状況では
あったと思います。

逆に考えてみますと…

災害としか思えなかった日照り。

しかし 逆に天気に恵まれていると考え

水さえ確保できれば
稲作に適した農地になる。

このマイナスをプラスに変える発想で
信之は ため池づくりに着手。

ただ 近くに大きな川がないことから

離れた小さな川から
用水路を引かなくてはならず

中には4キロ以上離れたものも
あるそうです。

工事は 冬の農閑期に行われ

参加した農民には
一日1升の米が支払われたことから

冬場の貴重な収入となる
一石二鳥の策でもありました。

ため池によって
水を確保できるようになった

この一帯は 塩田三万石と呼ばれ

上田藩の
米の半分を生産するといわれるほどの

穀倉地帯になったそうです。

マイナスをプラスに変える思考で
上田藩を復興に導いた信之は

元和8年 将軍 秀忠から…

移った先は 松代藩。

中山道と北国街道が通り
越後や北信濃を押さえる要所で

幕府は 譜代大名に統治させていました。

その場所を
秀忠は 外様出身の信之に任せるほど

信頼したのです。

松代に移った信之は 93歳まで生き

家康から家綱まで
4代の将軍に仕えました。

戦国の世から幕府の創成期を知る信之を

家綱は敬意を込め
天下の飾りと呼び

師のように接したといいます。

こうして信之が礎を築いた真田家は

明治までのおよそ240年
松代藩主として この地を治めます。

これは 信之が
家康から贈られた脇差しを納め

開けることを禁じて
子孫に伝えた箪笥です。

明治になり この箱を開けたところ
中から60通を超える書状が出てきました。

その中には 石田三成が

昌幸 信之 信繁に宛てたものが
ありました。

三成の書状は 幕府に見つかれば

家が取り潰される危険がある
ご禁制のもの。

信之は なぜ この書状を
処分せずに残したのでしょうか。

本当は
お父さんの昌幸と弟の信繁と一緒に…

戦いたかったんじゃないかなと。

当時の状況からしたらば これは
どっちが生き残るか分からない中で

自分は あえて そのリスク分散を選んだ
っていうことで その思いがですね。

でも…

家を残すために
あえて親兄弟と別の道を選ぶ

という決断をした信之。

信之が家名を守る礎をつくったことで

徳川の敵と見なされていた信繁の評価にも
変化が起こります。

家康の死から50年以上たって
大坂の陣を描いた軍記本で

秀頼に殉じた信繁の忠義が紹介されると
人気を呼びます。

以後 日本一という真田ブランドは

ドラマやゲームに取り上げられる
鉄板ブランドとして今に続いています。

いや~ いろんなもう 真田家自体も
もまれるような土地でいたし

その中で信之さんも
ず~っと もまれて もまれて

生きてきたんだなって感じが
すごくしますね。

江戸時代 いわゆる
殖産興業という言い方しますけど

それに成功した名君と呼ばれる大名も
何人もいるんですけど

まあ そのトップかもしれないですね
この真田信之っていう人はね。

そうですね。
まあ だから信之が亡くなった時には

農民たちも悲しがったっていうね
家臣だけじゃなくてですよ。

そういったあれだから
本当に慕われてた人ですね。

だって自分のこと
買い戻してくれるんですもんね!

そんな… そんな人
戻してくれたっていったら

やっぱり尽くしますよね。
そんな人 いない?

いないでしょうね。
そうですか。

でも 知恵がね 「『マイナス』を
『プラス』に変える視点を探せ」

ということだったんですけれども
干ばつっていうものを

天気がいいとプラスに考えるっていう
ポジティブシンキングっていう

感じですけれども
八木さんは どうですか?

いや あの~ 発明発見の教室に
通ったことがあるんですよ。

何 その教室!?
その時に一番最初に言われたことが…

チェッて思うことに。 だから
こういうことかって思いました。

だから チェッて
自分が思ってるようなことに

実は そこに みんなが不便だなとか
嫌だなって思ってることこそ

発明とか そこをなんとかすれば

特徴的な何かが生まれるって
言われたことがあるんですよね。

だから まさに実践されてるなって
思いました。

山口さんは どうですか
この知恵 どうご覧になりました?

う~ん すごく好きですね
マイナスをプラスにっていうのは。

私も途上国にいて
最初 電気がないとか飲み水がないとか

工場をつくり始めた時も
何か まっすぐな定規自体が

結構 手に入れるの大変だったり。
「定規って

普通 まっすぐじゃないの?」って。
そうですよね。

そこからして え~って感じですよね。
そうそう そうそう。

でも何か さっきのジュートも
そうなんですけど

洪水たくさんあるんですよ
バングラデシュって。
洪水?

洪水とかサイクロンとか
そういう土地じゃないと

育たないんですって。
あっ そうか。

そのジュートの原料になるものが?
そうそう… そうなんです。

2メートルぐらいの
草なんですけど。

何か それ聞いた時に
みんなが 現地のみんなが

「これがゴールデンファイバーだ」って
言ってるんですね。

何か そういう天災とかを

こう栄養にして育ってるんだって
説明を受けた時に

すばらしいなと思ったんですよね。

でも やっぱり それを本当に
単純に安いものを大量に

麻袋ばっかり つくってるんだったら
もったいないなというふうに思ったので

ちょっと加工を始めたんですよね。

だって バングラデシュとかに限らずね

そういう やっぱり
日本と違う環境の中だと

マイナスのことを探したら
キリがないですよね。
本当に そう。

ネパールとか… 国あるんですけど
行った時も

18時間… 一日18時間 電気がないっていう
国だったんですよね。

でも そんな時に 現場のカトマンズとかの
女性たちに聞くと

「太陽と共に機を織るのが
気持ちいいのよ」って言って

太陽が沈むと帰るっていう
何か自然を原料に

あるものを使ってる暮らしぶりが
すごい力強いなっていうふうに思って

学ぶこと たくさんあります。
はあ~。

苦しい時ほど
いいことを見つけていくことの

大切さみたいなことはね
すごく大切な感じがしますよね。

見方によっては。
ねえ そうですよね。

何か 私は特に物とかをつくっていると
よく分かるんですけど

結局 先進国にあるべきものがない。

ないんだけど
例えば 日本とか中国でやる

生産工程で使う大がかりな機械とかも
全然 導入されてないし

まして電気もないみたいなとこでいうと
結局 いいものつくれないじゃんって

お手上げっていうふうに
なっちゃうところを

でもね みんな
手仕事は すごい得意なんですよ。

だったら じゃあ 手縫いしてみようとか
だったら手で染めてみようってなると

結構 味あるなっていうふうに思って
お客さんに提案してみると

「味あるね」って言ってくれて
何か ぬくもりを感じるっていうふうに

おっしゃって下さることが
ヒントになって。

何か むしろ だって手縫いだとか
手づくりだっていうことって

日本では売りになりますよね。
そうですね。

すごく わあ 特別なものだって感じがね
してますよね 受け取る方としては。

そうなんです。
現地にいると みんなは むしろ

僕たち機械持ってないからねって
言うんですけど

でも 全然そうじゃないよって。

だから同じものが
二つとないってことですよね?

手づくり 手縫いってことは。
そうそう そうなんです。

それも自分の
オリジナルってことですもんね。

山口さんが考える そのブランドを
維持するための極意って 何ですかね?

やっぱり こだわりとか個性で生まれた
ブランドに対して…

何て言うか
やっぱり 花火を打ち上げることは

もしかしたら 簡単ではないけれども
1回で できるかもしれないけど

その哲学とブレないようなアクションを
今年も今年も今年もって

いろんな感じで続けていくことは
極意なんじゃないかなと思います。

それは すごく日々 何かこう…
継続的な努力が必要ですね。

常に常に新しいというか
新鮮な芽を見つけていく。
はい。

そんな突然の「これ やれば!」って
いうようなことじゃないっていうね。

おっしゃるとおりですね。
そうか。 えっ 4代目は

何か 先代から学んだ そういう
引き継いだものってあるんですか?

え~… どっかに残ってないかな?

今 探すの!?
山口さん どう思います? このお店。

きっと大丈夫だと思います。
そうですか?

親子丼 食べてから考えましょうか。
そうですね。

待ってます。 今度 待ってます。
うわっ あ…

皆さん よく覚えてらっしゃいますね。
(笑い声)

またのご来店をお待ちしております。
ありがとうございました。


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