歴史秘話ヒストリア「三十三間堂 国宝大移動 よみがえる平安の祈り」乱世を生きた後白河上皇の祈りがよみがえる!



出典:『歴史秘話ヒストリア「三十三間堂 国宝大移動 よみがえる平安の祈り」』の番組情報(EPGから引用)


歴史秘話ヒストリア「三十三間堂 国宝大移動 よみがえる平安の祈り」[解][字]


千体もの千手観音像が金色に輝く京都・三十三間堂。去年行われた国宝仏像群の歴史的大移動に密着。850年の時を超え、乱世を生きた後白河上皇の祈りがよみがえる!


詳細情報

番組内容

千体もの千手観音像が金色に輝き並ぶ京都・三十三間堂。去年、その千体仏が国宝に指定。さらに中央の千手観音坐像や、守るように配置されている二十八部衆像や風神雷神像まで国宝という途方もない祈りの空間だ。しかし長年の修復の過程で、これらの像の配置が創建当初と違っている可能性が明らかになった。番組では、去年夏に行われた国宝仏像の歴史的大移動に密着。創建した後白河上皇が三十三間堂に込めた祈りが今よみがえる。

出演者

【キャスター】渡邊佐和子




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歴史秘話ヒストリア「三十三間堂 国宝大移動 よみがえる平安
  1. 三十三間堂
  2. 後白河上皇
  3. 千手観音
  4. 上皇
  5. 仏像
  6. 今様
  7. 風神
  8. 国宝
  9. 雷神
  10. 中尊
  11. 移動
  12. 庶民
  13. 世界
  14. 大移動
  15. 二十八部衆
  16. 時代
  17. 位置
  18. 今回
  19. 場所
  20. 千体仏


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♬~

その麓に 巨大な仏堂があります。

およそ850年前

平安から鎌倉へと移りゆく
激動の時代に建てられた…

中には 金色に輝く…

多くの人々を魅了してきました。

初め 入った時 ほんと驚き
それと やっぱ…

♬~

せ~の。

去年の夏 三十三間堂で
仏像の大移動が行われました。

実は 多くの仏像が
長い年月の間に動かされ

本来の位置が
分からなくなっていたのです。

きっかけは 仏像の内部から見つかった
一枚の絵。

創建当初の配置に迫る
大きな手がかりでした。

そして始まった
史上空前の国宝大移動。

今回 密着取材が許されました。

よみがえった
三十三間堂 本来の姿とは…。

平安時代の終わり
三十三間堂を建てたのは…

貴族の世から 武士の世へ。

激動する時代を生きた
後白河上皇は

なぜ このような
途方もないものを つくったのか。

〽「遊びを」

戦や天災の絶えない時代。

三十三間堂に
上皇が込めた祈りに迫ります。

♬~

850年の時を超え

平安の祈りの世界が よみがえりました。

♬~

「歴史秘話ヒストリア」。
今夜も どうぞ おつきあい下さい。

今日のテーマは
「国宝 三十三間堂」と

それを築いた
「後白河上皇」です。

三十三間堂が完成したのは

平安時代の終わり。

天皇や貴族を中心とした政治に

陰りが見える一方

武士が台頭。

源平の争乱へ続く
激動の時代です。

国の政を率いる立場にあった
後白河上皇は

平清盛や 源頼朝といった
武士の実力者たちと

対峙した人物でした。

そんな時代に 上皇がつくった
三十三間堂。

その本尊である
1, 001体の千手観音立像は

去年 国宝の指定を受けました。

そして 去年の夏

国宝の仏像の大移動が
空前の規模で行われました。

なぜ このような
途方もないことが行われたのか。

その舞台裏に密着しました。

三十三間堂で行われる 「通し矢」。

その年の新成人たちが
60m先の的を射る 新春の風物詩です。

その舞台 京都・東山区にある…

堂内に 一歩入ると
まず目に入るのは 千手観音の大群像。

「千体仏」と呼ばれます。

そして他にも
多くの国宝の仏像があります。

中央には…

千体仏と共に 三十三間堂の本尊で

「中尊」と呼ばれます。

見る人を見守る 柔らかなまなざし。

名仏師・運慶の子で

父に負けない技を
持つとされた

湛慶の代表作です。

千体仏の前に こちらも傑作と名高い
群像があります。

皆さん ご存じの
仁王様に…。

東西南北を守護する 四天王など。

千手観音や それを信仰する人々を守る
28の神や仏。

こちらも 全て国宝です。

ところが 二十八部衆像には
一つの疑問がありました。

40年以上 三十三間堂に勤め

あらゆる儀式の
取りまとめ役を務めてきました。

仏像にまつわる違和感。

その正体が 近年の調査によって
明らかになってきました。

千体余りの仏像は

戦前から 65年をかけ
調査や修復が行われてきました。

その過程で見つかった あるものから
二十八部衆の配置が

本来とは違う可能性が
出てきたのです。

見つかったのは
千手観音の内部に納められた絵でした。

千手観音と二十八部衆が
描かれた版画…

そして 千手観音の足元。

左右に控えているのは…

二十八部衆の中でも
重要な神仏です。

よく見ると
向かって右側は 老いた男性。

もう片方は 若い女性。

ところが これまで
三十三間堂の中尊の脇にいたのは

その どちらとも違う四天王です。

では この2体は
どういう神仏なのか。

仏像の図像を研究する 田中公明さん。

今回 二十八部衆の
配置の検証に関わりました。

千手観音の脇侍は…

確かに 千体仏から出てきた絵と同じ
女性と老人です。

実は 三十三間堂にも
大弁功徳天がいます。

音楽や芸能をつかさどり
財を授けてくれる女神として

広く信仰される 「弁天様」です。

一方 こちらは 婆藪仙。

もともと インドの仙人で
殺生の罪で地獄に落ちますが

仏教に帰依し
徳の高い修行者になったといいます。

しかし 三十三間堂の2体は

長い間 中尊から離れた場所に

バラバラに安置されていました。

なぜ 二十八部衆の配置は
変わっているのか。

例えば 幕末から明治の頃に撮られた
写真を見ると

中尊の周りに集められています。

二十八部衆は 長い年月の間に
火災や修理などで動かされ

元の位置が分からなくなったと
思われました。

そこで 見つかった絵を手がかりに
本来の位置に戻す試みが始まりました。

実は もう2体
移動することになった像があります。

千手観音の世界を構成する
重要な神々で

二十八部衆の両脇に立つ
風神と雷神です。

風神は
自然の大いなる営みを神格化した 風の神。

雷神は 時に恵みの雨を降らせ
時に台風を巻き起こす 水の神。

田渕さんは 風神・雷神についても
気付いたことがありました。

これまでの位置は

風神が向かって左 雷神が右です。

ところが…。

現在 風神と雷神の動きは

このように
外側から内側へ向かっています。

しかし 本来 風神と雷神は
中尊の命を受けて 外へ向かうため

このような動きに なるべきだと
いうのです。

もう一つ 根拠がありました。

江戸時代初めの絵師 俵屋宗達が描いた…

宗達は 三十三間堂の風神と雷神を見て
この作品を描いたと言われています。

ところが 三十三間堂とは
左右が逆。

これらの根拠をもとに

今回 風神・雷神も
移動することになりました。

去年7月 いよいよ

創建当初の配置に近づけるための
国宝の大移動が始まりました。

(一同)せ~の…。
よいしょ。

移動は 専門の技術者たちの手で
慎重に行われます。

何体もの国宝の仏像が移動するのは
異例のこと。

はい 抜けた。
抜けた。

ゆっくり ゆっくり…。

作られて 数百年たった仏像は

持つ位置を 一つ間違うだけで
壊れる可能性があります。

はい OKです。

あ~ 抜けた 抜けた。

いよいよ 弁天様を移動します。

一緒に もしかしたら。

先に それで やってみてたんですけど…。

あっ 結構 抜ける?

きた きた きた。
後ろメインで持つよ。

大丈夫です。

♬~

中尊から離れた場所に置かれていた
大弁功徳天。

せ~の…。

最も近い場所に移されます。

♬~

こうして まず 中尊の すぐ足元に

婆藪仙と大弁功徳天が
安置されました。

千手観音の 本来の世界観が
よみがえったのです。

国宝の仏像の大移動によって

かつての姿に近づきつつある
三十三間堂。

見どころは まだまだ あります。

それは 何といっても「千体仏」。

高さは 170センチほど。

今回 大移動には加わりませんが

注目ポイントを一つ。

よく見ると お顔が 一体一体 違います。

作った時期や 人が違うからです。

こちらは 三十三間堂が出来た当初
平安時代に作られた 千手観音。

平安の仏像の特徴である
穏やかな丸顔 優美な姿です。

そして こちらは鎌倉時代に作られたもの。

力強くて写実的です。

実際の人間の顔だちに 近づきました。

千体仏のお姿からは

三十三間堂が

さまざまな時代の さまざまな人の手で

守り伝えられてきたことが分かります。

1, 032体もの国宝が集う 祈りの世界。

どうして このような
壮大な空間が生まれたのでしょう。

その誕生秘話です。

三十三間堂の本尊 千手観音。

その姿には
さまざまな願いが込められています。

それが分かるのが 「持物」。

千手観音の持ち物です。

更に 手のひらを よく見ると 細い線が。

実は これ 「目」です。

千のまなざしで 苦しむ人を
一人も見落とさない

千手観音の無限の慈悲を
表しています。

千手観音に込められた あまたの願い。

それは 一人の上皇の祈りから
生まれたものでした。

平安時代の終わり。

時の権力者 鳥羽上皇には
一人の皇子がいました。

母親の待賢門院のもとで育ちました。

実は この場所 ある女性たちが集う
サロンとも呼ぶべき場所でした。

〽「鶯 佐保姫」

彼女たちは 「遊女」や「傀儡」と呼ばれる
いわば プロの歌手。

街道沿いや港などで

旅人に 歌を聴かせていました。

〽「よくよく」

彼女たちが歌ったのは 「今様」。

庶民の生活の中にある音楽などから
生まれた芸能で

当時 大流行していました。

〽「春の初めの歌枕」

4番目の皇子として生まれたためか

政から離れた場所で
のびのび育ち

今様に熱中した 雅仁親王。

後に こう 書き残しています。

「喉を壊し…」。

ところが

29歳の時
突然 天皇に即位することになります。

父親である鳥羽上皇の
4番目の皇子だった 後白河上皇。

兄である崇徳天皇のあと

母親が違う弟 近衛天皇が即位したため

天皇への道は 絶たれたと
思われました。

しかし 近衛天皇が
子どものないまま亡くなり

急遽 即位することになったのです。

〽「戯れ…」

その後 3年で上皇となり
国の政を行うようになります。

このように 上皇が政治を主導する形を
「院政」と呼びます。

しかし 後白河上皇は
政治を つかさどる立場になってからも

今様を歌い続けました。

「愚かな君主」と
揶揄する者もいました。

そんな中 後白河上皇は
更に驚きの行動に出ます。

今様の名手であった元遊女 乙前を

今様の師匠としたのです。

かかる身で
御前に出るだけでも恐れ多く…。

真に 今様の心を知る者は
乙前 そなたしかおらぬ。

そなたの他に
誰が 我が師となれようか。

上皇が庶民の弟子となり
教えを乞うなど 前代未聞のこと。

馬場光子さんは 後白河上皇が
乙前から 今様を習ったのは

今様を通して 知りたい世界が
あったからではないかと考えています。

…と思います。

更に上皇は
京の町に 何度も足を運び

庶民の様子を
自らの目で確かめました。

そこに生きる人々の姿は

まさに 今様の世界と
重なるものでした。

後白河上皇が 見聞きした今様の中には
このような歌があります。

〽「舞え舞え かたつむり」

〽「舞わぬものならば」

〽「牛の子に蹴させてん」

〽「我が子は 十余に成りぬらん」

〽「巫してこそ ありくなれ」

〽「いとをしや」

5, 000にも上る今様を集めた 後白河上皇。

大半が 庶民の暮らしから
生まれたものでした。

このころ
上皇が作らせたものがあります。

こういうものがありまして…。

「年中行事絵巻」です。

この絵巻からも

後白河上皇の庶民へのまなざしが
うかがえるといいます。

「年中行事絵巻」は 宮中の行事を中心に

それらを 後世に伝える目的で
描かれたものです。

しかし 後白河上皇は

行事を楽しむ庶民の姿や
彼らの風俗まで 詳しく描かせました。

(鳴き声)

(いななき)

このころ 世の中は乱れていました。

朝廷内の権力争いを きっかけに起きた…

天皇家 貴族 武士を巻き込んだ戦が
相次ぎ 都も戦場となりました。

一方 庶民は
天災や飢饉などで

食べるものにも困る ありさま。

苦しみに あえいでいました。

このころ
上皇が歌ったとされる今様です。

〽「遊びをせんとや生まれけむ」

「私は 遊ぶために生まれてきたのか
いや そうではないはずだ

無邪気な子どもの声を聞くと
私の心は揺れてしまう」。

誰よりも民の苦しみを知る 後白河上皇。

そして目指したのが
三十三間堂の建立でした。

一体一体が 千の手と千の目を持って

誰一人の苦しみも見逃さず

救いの手を差し伸べる。

後白河上皇の祈りと決意が
乱世を生きる人々の前に 現れました。

後白河上皇は 自ら千手観音の前に座し
幾度も祈ったといいます。

こうして 三十三間堂は誕生したのです。

後白河上皇の 「人々を救いたい」という
願いが込められた 三十三間堂。

そもそも なぜ
この名前で呼ばれるようになったのか

皆さん ご存じでしょうか?

実は 「三十三間」とは

お堂を支える 柱の「間」が
「三十三」あるという意味。

では なぜ「三十三」なのか。
大切な訳があります。

千手観音は 人々を救う時
相手に合わせて姿を変えます。

王様や僧侶 時には 子どもや女性など。

なんと 三十三とおりに

変身するというのです。

「三十三」には

そんな意味があったんですね。

去年の夏 大移動が行われた
三十三間堂。

改めて その姿を見ていくと

850年前 後白河上皇が思い描いた世界が
浮かび上がってきました。

じゃ すいません…

後白河上皇が建てた
当時の姿を よみがえらせる

国宝の大移動。

この日は 風神と雷神が入れ代わります。

風神の 風の袋…

風神が握る下の部分が落ちないよう
取り外されました。

(一同)せ~の!

続いて
雷神が台から下ろされ 移動します。

♬~

中尊の命を受け
外の世界へ飛び出そうとする

風神と雷神。

2体の動きが変わったことで
三十三間堂の堂内は

新たな広がりを持つ空間に
生まれ変わりました。

今回の大移動では
28体の国宝が移動しました。

中尊の周りの四天王は

下の段に おろされ

すぐ脇には 婆藪仙と大弁功徳天。

更に 四天王に付き従う神仏

梵天や帝釈天。

そして 八部衆など

それぞれの性格を検証し

全体が配置し直されました。

そうする中で
分かってきたことがあります。

後白河上皇の ある意図です。

これまで バラバラの位置にあった
こちらの4体の神々。

今回の移動で並びました。

実は 共通点があります。

笛を吹くのは 鳥の頭を持つ 迦楼羅。

真剣な表情で 小さなシンバルを鳴らす
緊那羅。

鼓を打つ 乾闥婆。

そして 琵琶を弾く 摩羅。

いずれも 音楽によって
観音の世界を彩る神々が

集結したのです。

(田渕)まさしく そういうことで…

そして もう一つ

同時に行われた建築調査でも
発見がありました。

ある空間から またしても
上皇の意図が見えてきたのです。

本堂の正面に張り出した 「向拝」です。

後白河上皇専用の 祈りの空間。

それ以降の寺院建築では
ほぼ見られない

珍しい特徴が確認されました。

仕切りがない 開放的な構造です。

法要の時は 庭との境に
御簾をかけて使っていたと考えられます。

三十三間堂の千手観音に
国と民の安寧を祈り続けた

後白河上皇。

御簾の外側では
人々が 上皇と心を一つにして

千手観音に
手を合わせたのかもしれません。

上皇の晩年 源平の合戦が
激しさを増しました。

その結果 平氏が滅亡し
源頼朝によって 武家政権が誕生します。

激動の時代を生き
多くの人々と関わった 後白河上皇。

その交わりは 新たな世の礎を
生み出したといいます。

後白河上皇は 66歳で生涯を閉じました。

最後まで祈りながら亡くなった。
そう伝わっています。

それから およそ60年後の1249年
三十三間堂は 大火に見舞われます。

♬~

僧侶たちが
命懸けで仏像を救出。

156体の千手観音と

二十八部衆を
運び出しました。

17年の後 三十三間堂は
創建当初の姿に 忠実に再建されました。

この時 800体余りの千手観音像が作られ
今に伝わっています。

♬~

このころの三十三間堂を描いた絵です。

後白河上皇の供養のために集まった
人・人・人。

貴族から庶民まで
多くの人々で にぎわっています。

そして今も 三十三間堂には
救いを求める 多くの人々が集います。

本尊に供えた清らかな水を

聖なる木とされる柳で
人々の頭に振りかけ

無病息災を祈ります。

頭痛に苦しんでいた後白河上皇が
治ったことにあやかる法要です。

♬~

上皇が 亡くなるまで大切にしたと
言われるものが残されています。

自ら ゆかりのある人々の供養のため
その名を記した…

平清盛 源義経などの他

遊女などと思われる
女性の名前まで

身分の差なく
記されています。

後白河上皇は 人生の最後まで

全ての人々の幸せを
願ったのかもしれません。

上皇の眠る 後白河天皇陵。

遺言により 三十三間堂の正面に
向かうよう建てられました。

千手観音に 民の幸せを願った
後白河上皇の祈りは 今も続いています。

♬~


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