SWITCHインタビュー 達人達(たち)「堤真一×重松清」…2人が、演技や家族についてじっくり語り合った。


出典:『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「堤真一×重松清」』の番組情報(EPGから引用)


SWITCHインタビュー 達人達(たち)「堤真一×重松清」[字]


幅広い役柄を演じ分ける俳優・堤真一。人情味あふれる作品で人気の作家・重松清。既に作品上で「共演」を果たしている2人が、演技や家族についてじっくり語り合った。


詳細情報

番組内容

舞台の稽古場を訪ねた重松。「言葉」にどう向き合うか、俳優と作家の立場で意見を交わす。堤は脚本の言葉を信じることの大切さ、重松原作のドラマ「とんび」出演の際、方言のセリフにどう取り組んだかなど語る。一方、教師や父親の小説を数多く発表してきた重松は、人生を振り返りその理由を説明する。同世代でそれぞれの道を歩んできた2人、これからの人生をどう進んでいくか、率直な心境を語り合い共感する。

出演者

【出演】俳優…堤真一,作家…重松清,【語り】六角精児,平岩紙




『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「堤真一×重松清」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

SWITCHインタビュー 達人達(たち)「堤真一×重松清」…
  1. 自分
  2. 本当
  3. 舞台
  4. 重松
  5. 先生
  6. 小説
  7. 息子
  8. 仕事
  9. オヤジ
  10. 結構
  11. 言葉
  12. 物語
  13. セリフ
  14. 赤鬼
  15. 一番
  16. 稽古場
  17. 芝居
  18. 役者
  19. 理解
  20. お父さん


『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「堤真一×重松清」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。

↓NHK関連商品

「SWITCHインタビュー 達人達」。

本日は…

これまで演じた役は 数知れず。

宣誓! 我々は
スポーツマンシップにのっとり

正々堂々 戦うことを誓います。

バン バン!

真面目なサラリーマンが
突如 巻き込まれる惨劇を

コミカルに
演じるときもあれば…。

ごめんなさい!

甘やかすばっかりが
親の役目じゃありません。

あほか! わりゃ。

親が子どもを甘やかさんかったら
誰が甘やかすんじゃ!

男手一つで息子を育てる父親を
人情味たっぷりに演じるなど

幅広い演技力を見せる。

フレー! フレー! アキラ!

フレッ! フレッ! アキラ!
お父さ~ん!

そんな 堤のお相手は
ゆかりの深い この人物。

堤が
主演を務めたドラマ

「とんび」の原作者だ。

重松は これまで
たくさんの家族の物語を書いてきた。

過去にタイムスリップした主人公が

長年にわたる父親との確執を見つめ直す。

「ビタミンF」では子どものいじめ問題や

夫婦関係の綻びなどに向き合う父親たちを
描いている。

重松は この「ビタミンF」で…

うれしいです。 ひと言で申し上げて。

「みんなに支えられてきたな」と。

そのひと言です。

読者の心をつかんできた重松の作品は

たびたび 映像化されている。

[ 回想 ] 声かけろ! 声!

(斎藤智之)マジで怖かったからね。

[ 回想 ] (斎藤)努力しても無理じゃん。
報われないじゃん。

[ 回想 ] 努力してから言え!
やってから言えよ!

重松原作の
最新映画…

余命半年の元教え子と教師の絆の物語だ。

(斎藤)赤鬼先生?

おお…! やっぱり!

堤は「赤鬼」と呼ばれる教師を演じた。

ゴルゴ… だよな?

ハハ…! 覚えてんじゃん。

「とんび」に続き

重松と堤がタッグを組むのは
2度目となる。

大体 出版社の方 何か 5~6人…

関係の人が5~6人いて
ものすごく おおぎょうなんですよ。

何かね
堤さんのやってらっしゃる お芝居とか

全部含めてね…

いつも感じてます。

だから それと同じものがね…

堤に招待され 重松がやって来たのは
何やら 倉庫のような建物。

これね。

(チャイム)

は~い 失礼します。

宅急便の人にしか見えないな。 ハハハ…!

どうも おはようございます。
ご無沙汰してます。

この間は どうも お世話になりました。
こちらこそ。

よろしくお願いします。
どうぞ。 ここが あれなんですよ…

あっ 稽古場があるんだ。
はい。

全然 もう分かんないでしょ。
全く 普通のね 倉庫のような。

すみません ここでスリッパに…。
はい 分かりました。

すごいなあ… よいしょ。

あんまり こういう稽古場とかって
来る機会ないですもんね。

もう 初めてなので… すごいな。

ここは
堤が20年以上通う舞台の稽古場だ。

ここで たばこ吸って

台本 横に置いて ブツブツ ブツブツ
セリフを言いながら。

ここは あれなんだ?

たばこの吸い殻を ちゃんと消して帰れと。
そうそうそう…!

で ここに置くなと。
ああ…!
落ちちゃうから。

たばこ みんな… ここで吸うから。
ここに置く?

通行人に当たるからっつって。
あっ 本当だ 本当だ。

で ここで こう見てると…

この景色は すごい 常に…。
面白いな そういうの。

で こっちが…。
はい。

稽古場というか。

失礼します。

へえ~!

本当に何にもないんですね。
何にもないんです。

で これが 実際 舞台の稽古になると
簡単なセットを作って…。

ここの劇場が
僕 たぶん 今までの中で一番…

シアターコクーンに
一番いっぱい出てるんで。

なるほど。 じゃあ この稽古場でも
たくさんの時間を過ごしてるんだ。

それこそ…

灰皿は飛んでこないですけど…

やっぱり そうなんだ!

実は2人 50代半ばの同年代。

男たちの語らいは 深みある輝きを増す。

こんだけ いっぱい書いてきて

それでも なおかつ
やっぱり まだ書きたいって思ったり…。

ハハハハ…!
だからね…

「これやったら人気者になりまっせ」
みたいなふうに言われても…

♬~

映画やドラマへの出演が相次ぐ
俳優 堤 真一。

その原点は舞台にあるという。

蜷川幸雄や野田秀樹ら

日本を代表する演出家の作品に
数多く参加してきた。

何をしてる 将門! 早く教えろ!

もったいぶるな! 将門!

早く 俺の手を引け~!

35年前に初舞台を踏んで以来
舞台に立ち続けている。

その無意味さこそ
我ら人間にかけられた 最大の呪い!

お芝居のチラシがね
たくさんあるんですけども…。

これ全部 シアターコクーンっていう劇場。

ここの…
ここが そこの稽古場なんですけど。

この作品のとき
蜷川さんのやつだったんですけど

これ ものすごい
おどろおどろしい将門を

みんな やるんですけど 僕は
単なる パーって明るいふうにしたんです。

おどろおどろしいセリフ
「うう…」いうのが… だったんで。

それから出てくるときに
カエルのまねして

ピョンピョン ピョンピョンとかやったり。
うんうん。

で 蜷川さんは
「あそこは普通に出てこい」って言われて。

それでも 何か はいずって出て行ったり
カエルみたいに出て行ったり

後ろから出て行ったり
後ろ向きで出て行ったり…。

抵抗するんだ。
はい。

始めちゃえば自分のものだ
ってことですね。      そうなんですよ。

やめて帰ることもできるんですよ。
うんうん うんうん…。

で 全然違うセリフ言うことも
できるんですよ。

そうですよね。
勝手に。

ないですけど 稽古場で 彼に
すごい けちょんけちょんに言われて

細かく 心理的なものとかも
全部いろんなふうに こう

お互いに探っていく中で…

いつもね
いろんなインタビューなんかで

堤さんはね
舞台が一番 自分にとって大事なんだと

おっしゃってますけども
やっぱり その魅力って…?

僕が舞台に 今でも絶対にこだわって

年に2本は やりたいって
思ったりしてることって…

あっ そうじゃないんですか?
はい。

1964年

甲子園球場がある
兵庫県西宮市で生まれた堤。

中学まで 野球漬けの日々を送っていた。

高校卒業後 上京。

はっきりとした目標が
定まらなかった堤に

ある転機が訪れた。

21歳のとき
坂東玉三郎主演の舞台「天守物語」に

獅子役として参加。

その素質に目をかけた
玉三郎の勧めもあり

堤は 舞台の世界に ひかれていった。

玉三郎さんの舞台で
黒子をやってるときに…

…と思って そのときに…

でも それは 役者としてじゃないんです。
うんうん…。

ぺーぺーの黒子をやったり 立ち回りで
ちょっとやったりするぐらい…。

僕 たぶん
そういう関わりしかできないから

それこそ 裏方でもいいから
舞台に関わっていこう…。

舞台の この世界なんだ。
はい。

…と思っただけなんで

役者になりたくて
やってきたわけではないから

何ていうんですかね
今でも 僕は ものすごい あの…

役者の仲間 舞台の仲間で…

…と仕事するときに…

だから 今でも

舞台 ちゃんとやらなきゃいけない
っていうのは 僕は

役者として未熟すぎるから。

これは 昔
おふくろから聞いた話なんですけどね。

姉が生まれて
最初に口にした言葉っていうのが

「おっぱい ちょうだい」
だったそうなんです。

これは 堤が39歳のときに出演した舞台。

公演時間は3時間。

満員御礼の会場の中

次々と繰り出されるセリフの応酬で
観客を沸かせた。

寂しくないよ…。
そうよ!

寂しくない…!
そうよ! 寂しくないのよ あなたは!

寂しくない!
寂しくないのね?
寂しくない!
本当ね?

本当じゃないよ!
だから 「本当じゃない」って言っちゃ…!

どこ行くんだよ!?

お芝居ってね こう 何日もわたって

あるいは ここ… ロングランだったら
相当 長くやりますよね。    はいはい…。

やっていくうちに
変わったりってするんですか?

いや もう 変わります 確実…。
相当 変わる?

えっと… 大きな演出の中で
変わるわけではないんですけど

細かく発見していったりすることが
あるので…。

…とか もう 日々違うっていうか。

…だと思ってるんで。

こう 例えば…

自分が 例えば
こういう表現していたものが

心の中に ちゃんと腹が据わったら
もう 手もいらなくて

ただ言葉を言えばいいっていうふうに
なっていったり

要は…

…っていう言い方を。 ただ

それができるには やっぱり
その役を理解して… いれないと

自分の人生とは全く違う人生を
やるわけですから

「こんな人 理解できねえよ こんな…」ね。
うん。

「うわっ… どうしよう」って思って
やってると

オーバーアクションになったり
するんですけど

そのうちに その役が
こう 自分の中で

自分なりの解釈しか
できないんですけど

自分なりに こう 腹に落ちてくると

そういうものが
なくなってくるっていうか

シンプルにできるんですけど…

変な話…

舞台への道を歩みだした堤。

25歳のとき 自身の人生を決定づける
演出家と出会った。

一番 影響を受けた演出家
誰になるんですか?

やっぱり その… 一番若いころやった…

何年前の?
これは…。

「1994年」? ということは…。

すごいな!

あっ この人ですか?
もうね たばこ吸って

イライラ イライラしてるんですよ
いつも こいつ!

今は もうね 丸くなってね。
うん。

どういうところに 一番…?

結局 彼に言われたのは

舞台っていうのは…
日本の場合は 舞台は客に向けて

歌舞伎と同じで
見得 切ってやるような…

普通の演劇でも
どっか それが残ってるんですけど。

彼は… 一番最初に言われたのは…

「どういう関係なのか
どういう関係が破綻していくのか

つながっていくのか。
そういう人間の その…

絆とか 糸っていうか 線が

どういうふうになっていくのか
っていうのを お客さんは

物語を見に来てるんだ」って。 だから…

そうか そうか。
物語の中で言うんだもんね。

「ちゃんと言葉を伝えろ」。 で それは…

「相手役の この役に伝える。

こいつの気持ちを変えるために
言葉があるんだ」と。

だから それを 徹底的にやられたんで。

だから 何ていうんでしょう…
本当に 基礎の基礎を

この人に もう ずっと言われ続けたんで。

それは 今でも残ってますか?

意外なほど 堤さんから
「言葉」っていうものがね 出てきたのが

言葉をね 書いてる人間からすると
すごくうれしいっていうか

光栄なんですけども。

こう… 例えばね 堤さんが

シナリオとか戯曲 原作の小説。

こういうのって みんな
文章で表現されてますよね。    ええ。

そこから読み込んで
自分なりの解釈していくときの

ポイントって何かあるんですか?

うん。 セリフの…?

「何で この言葉を言うんだろう?」
っていうことから

読み解いていくっていうか。
うん。

「この人は どういう気持ちで
言ってんだろう?

これって 怒りなんだろうか?
それとも 何だろうか?」って

そういう読み解き方で
見つけていくっていうか。

だから えっと 変な話…

だから…

少なくとも 僕はね

2回 やってもらったんですけども

すごく 僕は
うれしかったですよ 解釈。

あのね 僕 ずっと とにかくね

堤さんの やってもらった
「とんび」のヤスさんとかね

何か 骨太っていうか 一回 しっかりと

何か 堤さんの体の中から出てきてる
セリフだよなっていうのがね

すごく感じるんですよ。
はい…。

親子の絆を描いた
重松の長編小説「とんび」。

2012年に堤主演でドラマ化された。

「とんび」の舞台は
高度経済成長時代の広島。

今日も張り切ってますね!
当たり前じゃ!

小口は数が命!
銭が欲しけりゃ 体 動かせ!

待望の息子が生まれ

ようやく 家族のぬくもりを
手に入れたのも つかの間…。

アキラ!

突然の悲劇が訪れる。

お父さんの顔 よう似とったな~。

周りの支えを受けながら

男手一つで息子を育てる父親を
堤は見事に演じた。

「とんびが鷹を産む」とは このことじゃ!

錦を飾らんでもええ。
立派な人間にならんでもええ。

それでも つらいことがあったら思い出せ。

最後の最後に帰れる場所がある思うたら
元気も出るじゃろう。

お父さん…。

わしは お前らのふるさとじゃけん。

あれは あの…
方言が広島弁なんですよね。

でね 結構ね 方言だから分かりにくい
とかっていう意見もあったんですけど

僕の中ではね やっぱり
方言じゃないと出せないものって

あるはずだからっていうのがあったんで
だから それをね 堤さんが…

兵庫県でしたっけ? 出身。
僕 兵庫県です。

だから 兵庫県出身で
東京で仕事をなさってる堤さんが

広島弁で ドーン! とやったのがね
本当に違和感なく…。

僕としては 関西人だから
ちょっと ニュアンスは似てるんで

感覚的には 自分では
すごく 広島弁 好きな感じで

できてるふうで やったんですけど

出来上がった作品で…

それは 恐らくね

キョンキョンの
ファンだったんですよ その人。

いや たぶん 音的に捉えるのは
やっぱ 音楽ができる人なんで

上がったり下がったりっていう
その… アクセントが

本当 感覚的に捉えられるし
だけど 僕… 感覚的にっていうか

僕は もう 単なる直感でやってるんで。

一応 方言テープとか もらうんですけど
一番 嫌なのが

「こうだよな?」って 「じゃけん」みたいな
「こういう上がり方だよな?」とかを

考えながら芝居するのが嫌なんですよ。

だから 方言指導されるのも
めちゃめちゃ嫌なんですよ。

自分の中で
ニュアンスの伝え方っていうかなんで

言葉を… 逆に言うと

「こういうイントネーションだから
もう一回」って言われると

「いやいや 今 芝居良かったから
いいんじゃねえの?」って

思っちゃうんですよね。

それを気にしだすと意識が完全に…。
そっちになりますもんね。

頭が そっちに いっちゃうんで
それが できたからって

いいもんではないと思ってるんで。

だから エセでいいと思ってたんです。

エセ広島弁でいいなと…。

なんちゃって広島弁っていうかね。
そうそうそう!

その… 映画とかドラマの仕事

舞台とは また違う意味での面白さも
あると思うんですが

そちらの世界でも
やっていこうっていうふうに思われた

きっかけとか転機になったものって
あるんですか?

映像に関しては 僕は…
それこそ 生意気なんですけど

トレンディードラマといわれた
時代なんで…

ああ そうですか。
いわゆる

連続ドラマ的なものは…

要は…

…と思ってました。

ただ… そのときに

フジテレビの連続…
30ぐらいのときにやって

で それはそれで…
そのときに

テレビのドラマも
こんなに現場って すごい人数がいて

寝ずに いろいろやってる
スタッフがいたり…。

自分の一方的な 単なる その…

「連続ドラマみたいなのは やらねえ」
っていう意識は なくなりましたけど。

最初に思っていたのって
やっぱり 反発だったんですか?

反発かな? う~ん…。

…っていうか 変な話ですけど

「これやったら人気者になりまっせ」
みたいなふうに言われても

僕 人気者になるために
やってるわけじゃない。

お芝居 うまくなりたくて やってるから。

うまくなりたいというか お芝居を…。
やりたい?

…から 何か そういう
何ていうんですかね…

まだまだ 力つけないと こんな世界
すぐ終わるって思ってたんで

そういう部分もありつつ

やっぱり ある種の反発心っていうのが…
…だったのかもしれないですね。

あの… それこそね 芝居が

もっといい芝居をやりたいっていう
思いって

ずっと あると思うんですけども

その一方で
肉体っていいますかね

体が… 年齢の問題ってね…。
ハハハ…!

どうしてもね 出てくると思うんですよ。
あります あります。

もちろん 肉体的なこととか

年齢的のこととかっていうより
やっぱり…

…っていうことのほうが
やっぱり 大事だから

そういうこだわりは全然ないんですけど
う~ん…。

僕 だから… 何でしょう?

年取ってきて

「ああ… 若いときに
これもやりたかったな」とか

例えば「ハムレット」やりたかったなとか

そういうのは 全然ないんですよね。

よく 自分がやりたかった芝居を

オーディションかなんか受けて

別の人がやってるのを見たりすると

すごい 悔しいって言う人とかいるけど

僕 そんなふうに
悔しいと思ったことないんですよ。

立つべき人が立ってるんだろうし

今でも僕 芝居 見に行くと…

どうやって… いろんなことがあった中で
作ってきてるから

作品としては くそつまんなくても

この人ら 役者が
どれだけの思いをして…

その姿に感動したりとかするんで

だから まだまだ 僕
何ていうんですかね…

家でね… 「今度 堤さんと会うんだよ」
って話をしたら

まあ 家にはですね

堤さんが さっきおっしゃってた
民放のね

転機になった あのドラマのDVDの
ボックスセットがあるぐらいで

ファンなんですよ。
ありがとうございます。

毎週ね… 最近はね 「もふもふモフモフ」。
「もふもふ」 はい。

一緒に見てるんですよ かみさんと。
アハハハ…!

<堤真一が ご案内します>

動物バラエティー番組に

堤は ナレーションで参加。

展開される画に合わせ

声色からトーンの強弱まで
変幻自在に変えていく。

<頭が高い 控えおろう!

我が名は
さんじゅーろー。

この城の主である。

こんにちは。
僕 ボブ!

ねえちゃんの腕枕

ふわふわで
気持ちいいにゃ~>

その はっちゃけた
語りが

人気を博している。

<うっとりしてま~す!

ねえちゃんのばか~!>

あれの堤さんも

ちょっとまた こう… 違う面ですよね。
ナレーターとしての。

そうですね。 …っていうか

よく ディレクターとか
プロデューサーの人 あの番組を 僕に…。

振ったなと?
うん。

最初 話 頂いたとき
「うそでしょ?」と思って。

いやいや これ ちょっと
自分も どうイメージ…。

分かんないなと思ったけど
あれ やれたのも

僕 年取ってから…

絵本を。
はい。

あ~ なるほどね!
あれ たぶん 子どもいなくて

急に 話 きたら
「いやいや 無理でしょ!」っつって

「俺には こんなん無理ですよ」って
お断りしてたと思います。

だから ああいうのも
タイミングだったり

プロデューサーの勇気というか…。
ハハハ…!

やってよかったですか? やっぱり。
やってよかったです。 楽しかったですね。

だから よくね 本当に

ベテランっていわれる年齢になってきて
絞っていく人もいれば

いろんな方向性 広げていこうという人も
いると思うんですけども

堤さんは 結構 広げていく感じですか?

だから この若いときって
こだわって こだわって

とにかく お仕事…
お金になる お仕事とかでも

自分が 脚本で面白いと思わなければ
やんなかったし

今でも それ 本当は スタンスとしては
大事にしたいんですけど。

意固地だった部分も いっぱいあるので…

こだわりとか そういうものを少しずつ…。

いっぺんに バ~ンとはできないから
怖がりだし

だから 少しずつ こう
自分の中の殻を 少しずつ 自分で…。

だから…

今後の堤さんの現場っていうものがね

本当に ステージで
役者としてやっていくのか…。

今の話 伺ってると
演出をしていくとかね

そういう可能性も

何か あるんじゃないの? っていう感じ
したんですけど。

僕 舞台の演出は… 映像は ちょっと 僕

カット割りとか 全然 分かんないんで
あれですけど。

…っていう気持ちはあるんですけど。

どうだろう… もし やるとしたらね

すごい厳しい演出家になるのか
こう 割とアットホームな…。

あ~ 僕自身が
緊張するのが嫌なんで たぶん

なるべく アットホームな感じのほうが
いいと思うんですけど。

そうですね… 結局 でも 演出って
ある意味

まあ 自分も役者やってる部分で言うと
我慢の連続だと思うんですよ。

自分だったら こうするっていうのが
あるじゃないですか。

だから その…

我慢 我慢だから。

「我慢」っていう言い方は おかしいけど
自分とは違うんだ…

自分と ものの捉え方が違う人が
やるっていうことに対して

すごい 客観性を持って

ちゃんと見れるかっていうことだと
思うんですけど

それが 今は まだ ああだこうだ
言ってしまいそうな気がするんで。

うん。

う~ん まあ でも 60…
今年で55なんですけど

60までにできれば…
まあ 60過ぎてからでもいいかな?

うん… でも 一度は
やってみたいですね。
ですよね。

後半は 舞台をスイッチ。

東京 新宿にある
早稲田大学 戸山キャンパス。

実は 重松
2016年から ここで教べんを執っている。

何かね…

だから 体育館の ここ
天井が… 天井というか…

すごいな~。
4年がかりで工事してたな。

ここのキャンパスっていうのは
新しい… あれなんですか?

もともとあったとこなんですけど
この10年ぐらいで どんどんね

校舎を建て替えて。
あ~ なるほど。

何か コンクリートコンクリート
してるんですよ。

ここが 重松さんの…。
そうなんです。

どうぞ!
うわ~ 失礼します。

何か すっごい…。

うわ~ 何か キャンパスライフを
楽しんでるっていう…。
そうそう…!

うん。 あのね 一応 基本的にはね

ここでは まあ 大学の仕事にしたいけど
なかなか そうもいかないんで。

暇を見つけては…。
見つけては こう 打ってっていうね。

まあ 僕なんかは 仕事が遅くて
いっぱい受けちゃうから

本当に もう分刻みで
もう あと30分で やばいっていう段階で

パ~ンとメール パ~ンと入れたりね。

「読めません! 開けません!」とかって
言われて。

教師と生徒の物語を描いた
重松の短編小説集「せんせい。」。

その中の一つ 「泣くな赤鬼」は

余命半年の生徒と教師の絆の物語だ。

最後の時が迫る元教え子に向き合う教師。

この作品は 今年 映画化された。

よろしくお願いします!

NHKドラマ
「とんび」に続き

2度目の重松作品となる堤。

ばか野郎!

日焼けした赤い顔と
鬼のような熱血指導から

「赤鬼」と呼ばれていた教師役に挑んだ。

頼む!

赤鬼は元教え子のために何ができるのか。

泣いてるの?

赤鬼は… 人前では泣かないよ。

「泣くな赤鬼」のときには 原作ってね

短編小説なんですよ。
はい はい。

それをね よくね 膨らましたなと思って。

やっぱり 全然 違ったんですか?
違うシーンとか。

そうそう。 ベースとか
僕が やってほしいなって世界は

みんな やってくれたんだけども
それに加えて

新しい 映画オリジナルの脚本
オリジナルのね シーンが結構あって。

だから 夏 お目にかかった…
あのロケのね 見学に行ったときなんか

わざわざさ 群馬県まで行ったんだよね。

はい はい。
群馬県まで行って。

そこのシーンってさ ないんだよ 原作に。

ハハハハ…! そうだったんですか?
何で 俺 わざわざさ

自分が書いたわけでもないシーンのね

見学に行ったんだろうと思ってね。

だからね あれ どっからどこまでが
オリジナルで どっから…

あれ? 俺 これ
書いたかもしんないな… みたいなね。

ただね… これも
本当に舞台と似てるなと思うのが

セリフなんかの言い回しで

俺の小説の登場人物は こんなふうには
言わないよっていうのが

結構 分かるのね。
はい はい…。

でね 今回なんかは
全然 それがなかったから

「あ~ よかった」と思って。 うん。

僕 「赤鬼」は 本当
僕の中学の野球部の先生が

本当に 顔 真っ赤にして怒るんですよ。
フフフフ… うん。

僕 その中学の その野球部の先生って

中学卒業してから
お会いしたことなかったんで。

何か でも その先生の顔が浮かんで
で 「俺 絶対やろう」って決めたんですよ。

そしたら その先生…
この「泣くな赤鬼」見てほしかったのに

ついこの間 亡くなったんですよ。
本当…。

僕は やっぱりね
映画でも それから この小説でもね…

あ~ なるほど。
もう絶対に この小説を読んだ人は

自分の中学校時代の先生とか
小学校のころの先生のことをね

こう 懐かしく思い出すだろうな
っていうのを願いながら書いてるから。

でも 重松さんは 先生に対する

重松さん自身の思い入れっていうか
これは 何なんですか?

あのね
僕 すごくね 転校が多かったんですよ。

だからね 小学校で
4回ぐらい転校してるから。

だから 転校生っていうのは それだけ
先生と出会う回数が多いよね

学校 変わるとね。

で 知らない町に引っ越してきて
知ってる大人はいないわけですよね。

で 本当に 先生に…

…っていうのがあってね だから 自分が…

その先生を頼りにしたりとか
もちろん反発もするしね。

たくさん いろんな先生を
知ってるってことは

嫌な先生にも会うわけですよね。
はいはい はいはい。

やっぱり
そういう先生のことがあったんで

そういうことを小説にしたいって…?
うん。

いろんなね 先生とか友達の話も
多いんだけども 友達関係のね。

何か 基本的にね…

…っていうのをね
今だったら 言葉にして

できるんじゃないかなと思ってね。

だから 全部とは言わないけれども
結構 多くの小説が

僕が子ども時代に感じていた
あのモヤモヤとかね

「友達って何なんだろうな?」とか

「先生 勉強って
何のためにするんだろう」とか

何か そういうものがベースにある。

僕… 結構…

で 割と覚えてて。
本当に あの当時は

モヤッとしか分からなかったとか
っていうものをね

今だったらできるかなと。

それから こう 例えばね…

だから 昔だったら
「青」としか表現できなかったものを

「こういう青」「ああいう青」
っていうようにね。

だから 何か そうやって
絵の具が増えたんだったら

いろんな色を使ってみたいなっていうのが
すごくあって。

重松は…

さまざまな人間の人生を描き
読者の心をつかんできた。

定年を迎え
新たな自分の居場所を探す男たち。

2人の息子と共に…

同級生が起こした事件を
きっかけに

心が揺れる思春期の少年。

これまで出版された小説は
およそ80冊に上る。

僕 ずっと思ってるのが

誰しもが 一回 小説書こうと思ったら
一つは 出来ると思うんですよ。    はい。

文体とかも関係なしに
物語を何となく構成して

自分の人生で こう 何となく…
名前は変えてても

何となく自分の経験だけで
一回ぐらいは

書くということが
できるかもしれないけど

これだけ 登場人物がいっぱいいて

それで 話も違うわけですよね。
そういうのって やっぱり

それは そういう 何か
人物像とかの情報というのは

自分の経験からなる…。
あのね… あのね

半分は 恐らく
いろんなアルバイトやったりとかね

若いころからね。
いろんなこと やってきたり…。

転校生だったっていうのも含めて

いろんな大人を見てきた
っていうのもあるし もう一個ね…

「シリーズ人間」っていうね
「女性自身」の

ずっと昔からあるね
結構長い読み切りで

いろんなね 有名人から
無名の人とかね。

それをね 僕 毎週毎週ね
もう 10年ぐらいやってきたのよ。

あっ そうなんですか!
うん。 だから…

これはね 登場人物 一人じゃないから

その人の家族とか
その人の知り合いっていうのを

ずっと いったらね

たぶん あの仕事だけで
登場人物 数千人ぐらいのね

長い仕事やってきたなと思ってて。

その ルポっていうのは
何ていうんですかね

普通 こう… よっぽど好きな人とか
興味がある人っていうのは

体にしみるだろうけど
その間って その相手の人に対して

重松さんの 何ていうの
スタンスっていうか…。

これはね その仕事がね

取材する 取材記者がいて
その人が こう作ってきた

「データ原稿」っていうんですけども

いろんな あの…
データ原稿を 分量に合わせて

一晩で書く仕事なんですよ。

一晩で 原稿用紙で20枚近く…。
はい はい…。

だったら 何が一番
一気に その人の人生に入っていって

一気にまとめる…
パソコンをね こう たたいていける

原動力になるかっていったらね…

ああ…。
好きなやつを紹介するっていうかね

読者にね。
あ~ はい はい…!

「こんなやついるんだよ」とかね
「こんな人いるんですよ」っていうのをね

やっぱり それをしないと 冷静にね
冷静に分析しながらやっちゃうと

とても 一晩ではね 間に合わないんで
一気に好きになるための…。

だから もう必要に迫られて…

そうですよね。
だから 本当にね…

その10年間で。
10年間でね。

それが こう…
フリーライターやってる中で

小説にしようとかって思った
きっかけというのは…。

あのね 僕がね…。

ここにある
「ナイフ」っていうね 小説が 恐らく

最初に みんなに受け入れてもらえた
小説だと思うんですけども…。

1997年に発表された
短編小説集「ナイフ」。

いじめをテーマにした
5つの物語からなる。

90年代の半ばにね
ずっと 少年犯罪とか

いじめのね 問題があって。

息子が いじめに遭っていて

お父さんがね
その息子をいじめたやつらに

仕返しをするために
ナイフを持ち歩いていて

刺したか刺さなかったかっていうのが
あったんですよ。

実際に?
うん。 でね

そのときにね 僕が思ったのが

それは 刺したら…
本当に刺して 事件になったら

フリーライターとして
週刊誌で 絶対に書けるけれども

息子を救おうと思って
ナイフを持ち歩いて

ず~っと何日も歩いてるんだけど

結局 刺せなかったっていう

お父さんのほうも いると思ったの。
うんうん…!

むしろ そっちのほうが多いと
思うんだけども。

しかし…

そうですよね。
そしたら もう 「絶対にいるぜ」と

そういうお父さん いるから その話を…

…と自分で思ってね。
あ~ なるほど。

だから 僕がね 息子のために ナイフを

「あいつら 絶対 許さない!」と思って
持ち歩くんだけども

でも それができないお父さんの
その気持ちを書きたいと思った。

そしたら
小説しかなかったっていう感じですね。

重松は フリーライターならではの視点も
取り込み

名もなき人々の思いを物語にしていった。

その時代その時代の若者を
理解するっていう…

理解っていうか 描くっていうのって

難しくはないですか?

本当にね… だから もう
理解はできない。

理解できないっていうか…

…っていうのだけはね
自分に言い聞かせていて。

で 今と昔で いろんなものが変わった。
それは認めたい。

でもね 何かね…

…っていうのを信じてる。

そこをね だから 昭和の小学生の話を

いっぱい書いてるんだけども

今のね 平成とか令和の
小学生が読んでくれて

感想文なんかをね
書いてくれたりすると

「あっ 結構 昭和の感覚あるね」
っていう感じがね しちゃってね。

俺 これ 本当にね
2016年から この早稲田で先生やってて。

最初は3年間の任期があるから
3年間で…

去年で 本当は
終わるはずだったんだけど

もうちょっと やりたいなと思ってね。
アンコールというかね

「もう2年 お願いします」っていうふうに
やらせてもらって。

現在 大学の教壇に立ち

小説表現やライター論も教えている重松。

何か… 言いたそうだったから。
≪えっ じゃあ…。

はい 頑張れ! いけ。
(笑い声)

若者たちとの交流は 執筆活動にとっても
大切な時間だという。

はい はい!
(2人)イエ~イ。

あ~ これ 今の使われるな たぶん。
(笑い声)

ちょうど2016年ってね
うち 娘が2人いるんですけども

下の娘が二十歳になっちゃって。
っていうことは

我が家には もう未成年が
いなくなったんだと思うとね

何か 急に怖くなって。

だから 子どもたちっていうかね…

…と思って やったらね

まあ あれですよ…

もう すっごい みんな…

もうね 何かね
僕が その学生たちと歩いてると

何かね 出川哲朗さんの周りに

アンガールズがいるような
ハハハ…!
感じがしちゃってね。

そうそうそう! だからね…。
思います 思います。

同じ人間と思えないなって…
もう本当 膝から下が長いんですよね。

すねが長いよね。

僕 娘いるんですけど

まだ ちっちゃいんで
頭が でかいじゃないですか。

これが どんどん伸びていって

10代とかになって見下ろされたら
本当 嫌だなと思って。

僕 しかも 49のとき…
1人目 49のときに生まれてるんで

おじいちゃんじゃないですか 普通。

俺 どういう扱いされるんだろう?
って思って

今から ものすごいビビってるんですけど。
もう 「洗濯物 洗わない」…

「一緒に洗ってくれるな」どころの騒ぎじゃ
ないんじゃないかな。

恐らくね それは… うちが 33で
下の子が生まれたんだけど

それくらいの差だったら やっぱ
「お父さん嫌い」って

言うかもしれないけれども
それぐらい離れてたらね…

一周回って いい感じかもしれない。

「とんび」の中で
息子に こう 反発されて

「それでも 俺 お前を育てる」って
お母さんに…。       死んだ美佐子にね。

「約束したけん」みたいなセリフがあって。

怒ってもええ。

嫌うてもええ
恨んでもええ。

それでも わしは お前を育てる!

お前を一人前にしてやらんと

「何のために あんたが生き残ったん」
言うて お母さんに叱られるけえ。

その「育てる」って いいセリフだって
すごく思ったんだけど

ちょっと距離置いてる感じが
したんですね。         うんうん…。

非常に…
義務的な言い方じゃないんだけど

それが 今 ものすごく 子どもに
育てられるとか 育てるとかっていうか

とにかく 一緒に お前が大人になるまで
責任持つんだっていう

俺の思ったとおりの子どもに
なってほしいとかいうんではなく

大人…

いるってことなんだよね。

「とんび」やってるとき 僕 本当に
オヤジのこと考えて考えて…

全く違うんですよ。 うちのオヤジは
この はちゃめちゃな感じよりも…。

無口で?
無口で。

たまに聞こえるのが

僕が こう 野球見てて
巨人の選手の顔見て

「お前みたいなパンダみたいなのが
どうのこうの」とかって言うと

オヤジが食事しながら

「人は顔で判断したらあかん」。

渋いな。

っていうか 食卓 シ~ン… ですよ。
アハハハ…!

何にも楽しくなくなりますから。
ハハハハ…!

でも 僕 東京に
二十歳のときに出るんですけど

東京へ出て 1か月後に父が死ぬ…。
亡くなったんだ。

そんなに会話もなかった オヤジだけど

やっぱ 30過ぎぐらいのときに

おふくろには こういうこと言ったら

「何や! 根性なしが」みたいなこととか
言われたり それだけで終わるけど

オヤジだったら 分かってくれるんじゃ
ないかなっていうのがあったから。

4畳半にいるころとか
20代のときとか 30代とか

今 本当に 心底 話したいのが
オヤジだなって思ってましたね。

僕… っていうか…

結構ね オヤジのことを考えるのって
増えるよね。

うち 娘2人だから
息子がいないっていうのでね

オヤジと息子の関係を
もう一回できないから。

それがあってね 結構

オヤジと息子の小説って
たくさん書いてる気がするんですよね。

だから 小説 書きながらね…

目線が でも… お父さんなのかな?
重松さんって。

こう… そういう ものの見方ができるって
何か すてきだなと思いますよね。

いや とんでもないです。

でも 本当にね…

やっぱりね 少年の話も そうだけど

こう 理解できない。

分かんないところって。 それがあるから

書き続けていられるんじゃないかなと
思うしね。

これは難しいですよ。

そこのエネルギーって…。

しかも こんだけ いっぱい書いてきて

それでも なおかつ
やっぱり まだ書きたいって思ったり…。

だから 例えば
小学生時代の自分のモヤモヤは

だいぶ 小説をね 書いてきて
減ったけれども…

ずっと 切りなく あるの。
はい はい はい!

だからね やっぱ ずっと
書いていくんじゃないかなっていう。

あるかぎり 書いていくんじゃないかな。
思ったのが 僕 結構

何か言いたくなっちゃったんですよ
オヤジのこととか。

うれしいです。
何か それ すごくうれしい 僕。

不思議と…
ちょっと泣きそうになったぐらい。

「あれ? 何で 俺 こんなこと 今
思い出したんだろう?」って思いながら。

そういうのって人間力なんだなって…。
いやいや いやいや…。

でも 本当に また ゆっくりと
どこかで お目にかかれれば…。

飲みながら。
ぜひ お願いします。

ありがとうございました。
お疲れさまでした。

♬~


関連記事