英雄たちの選択「新視点!信長はなぜ本能寺に泊まったのか?」…鍵を握るのは後継者になったばかりの息子・信忠だ。


出典:『英雄たちの選択「新視点!信長はなぜ本能寺に泊まったのか?」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「新視点!信長はなぜ本能寺に泊まったのか?」[字]


天下統一を目前にした織田信長が家臣・明智光秀に倒された本能寺の変。真相に迫る新視点は、なぜ本能寺に泊まったのか?鍵を握るのは後継者になったばかりの息子・信忠だ。


詳細情報

番組内容

本能寺の変で信長が倒されると、織田家は天下を失う。その理由は、後継者である息子・信忠も京都にいて光秀に殺されてしまったからだ。現代の企業でもナンバー1とナンバー2が同じ飛行機に乗らない、などリスク回避は常識。なぜ信長親子はそんなリスクを冒したのか?そしてなぜ信長は本能寺に泊まったのか?その謎を解く鍵こそ、信長の後継者として認められたばかりの信忠の存在だった。新たな視点で本能寺の変の真実に迫る。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】金子拓,中野信子,飯田泰之,【語り】松重豊




『英雄たちの選択「新視点!信長はなぜ本能寺に泊まったのか?」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

英雄たちの選択「新視点!信長はなぜ本能寺に泊まったのか?」…
  1. 信忠
  2. 信長
  3. 本能寺
  4. 光秀
  5. 安土
  6. 京都
  7. 妙覚寺
  8. 後継者
  9. 選択
  10. 磯田
  11. 上洛
  12. 織田家
  13. 天下人
  14. 当時
  15. 家臣
  16. 官位
  17. 記録
  18. 視点
  19. 宿泊
  20. 人物


『英雄たちの選択「新視点!信長はなぜ本能寺に泊まったのか?」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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(銃声)

この日 歴史が変わった。

天下統一を目前にした織田信長が

家臣・明智光秀の謀反により

非業の死を遂げる。

信長に対する恨み?

天下への野望?

あるいは
黒幕がいたのか?

諸説入り乱れ
今なお 多くの謎に包まれた

本能寺の変。

だが 今回 これまでとは異なる視点で
この事件に挑む。

それは…

実は このとき 信長には

京都で 定宿と呼べる所が3か所あった。

その中で…

現代の京都の街で
400年以上前の痕跡を探った。

どうなんですか?

鍵を握るのは 信長でも光秀でもない。

第三の人物 それは

信長の長男・信忠である。

このとき 信忠は

信長から家督を相続

誰もが認める天下人の
後継者であった。

だが このとき 信長だけでなく
信忠も討たれてしまう。

つまり 本能寺の変とは…

なぜ このとき 2人は京都にいたのか?

さまざまな分野の専門家が
熱い議論を交わす。

もしかしたら 信忠にとっては…

…になったことは 確かだろうと。

戦国史上最大のミステリー 本能寺の変。

今 新たな視点で 歴史の真相に迫る!

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

そのとき 彼らは何を考え 何に悩んで
一つの選択をしたんでしょうか。

今回の主人公は 明智光秀でもなく
織田信長でもないんです。

信長の長男…

この信忠の視点で 皆さんご存じの
本能寺の変を見ていきます。

信忠の立場から見る
本能寺の変っていうのは

また新しい視点ですね。
そうですね。

本能寺の変は 光秀の動機に関わる
さまざまな説ありますね。

恨みだとか 野望だとか 陰謀だとか

あと 黒幕説っていうのもあって。

「誰が信長を殺したんだ!」みたいな
いろんな説がある。

ところが 大事なとこを忘れてんですよ。

勘違いされている方も多いんですけど…

もう一つ 重要な人物がいた。
もう一つ?

信長に家督を譲られていた…

ああ…!

つまり キーパーソンは 信忠。
歴史を変えたのは 信忠ではないかと。

で ここで この番組はですね
本能寺番組史上初めて

信長の子ども・信忠を主人公にしてですね
考えてみようと。

このときに 信忠はですね
ある判断をしてしまうんですね。

ある判断?
逃げるとか 光秀と戦うとか

いろんな選択肢が
彼には あったはずなんですよ。

ここで…

さあ 本能寺の変のキーパーソン
織田信忠の実像から見ていきましょう。

戦国最大の事件 本能寺の変。

このとき…

しかし 信忠とは
どのような人物であったのか

知る人は少ない。

ここに 近年公開された
信忠の肖像画が保管されている。

切れ長の目に 面長な顔。

鼻の形は 父・信長とそっくりである。

この お顔見てもね
年齢が分かりづらいんですけど

実は…

偉大な父・信長の陰に隠れ

歴史に埋もれた存在となった
信忠。

信長の長男として誕生したと伝わる。

信長のもうけた男子は
長男・信忠をはじめ

次男・信雄 三男・信孝など

なんと 11人。

しかし
信忠以外は

早くから養子に
出されている。

なぜか?

いろいろ戦略上のことは
あるんだろうと思いますね。

生まれながらにして
信長の後継者として成長した信忠。

だが 信長の帝王学は厳しい。

一つの逸話が残されている。

織田家の家臣が信忠を褒めて 言った。

「信忠様は

皆の予想に違わぬ
行動をされる

器用な方だ」と。

だが それを聞いた信長は こう答えた。

「家臣に手の内を読まれるなど

信忠は
誠 大将の器ではない。

そうであれば 信忠を

わが後継者と
するわけにはいかない」。

こんな逸話もある。

信忠が
みずから能を舞うほどの

能数寄だと分かると

信長は それに対し…。

「武将たる者が
能に

うつつを抜かすなど
何事か」と怒り

能に使う道具を

ことごとく
取り上げたという。

信長から
後継者としての資質を疑われた信忠。

織田・徳川連合軍が

戦国最強とうたわれた武田軍と激突。

世に言う…

結果…

この機に乗じ…

その総大将に抜てきされたのが

僅か19歳の信忠であった。

岐阜県恵那市岩村町。

武田軍の東美濃の
拠点となった岩村城は

標高717メートルの
巨大な山城である。

信忠軍が包囲する岩村城は

自然の地形を利用して築かれた
難攻不落の要塞であった。

その秘密が
城内に今も残された井戸にある。

事実 信忠は 5か月もの間
岩村城を落とせずにいた。

そこに
長篠の戦いの敗戦から
息を吹き返した

武田の援軍が迫ってくる。

岩村城に籠城していた武田勢は

援軍到着を前に出撃

信忠の陣を逆に攻めかけた。

だが…。

放て!

このとき信忠は
みずから先陣として出陣。

敵を返り討ちに
したばかりか

大将格21人を討ち取った。

これにより
岩村城は落城したのである。

11月 信長は 信忠に

茶器などの名物を
褒美として与えたばかりか

尾張 美濃 2か国を与え…。

さらに
織田家の家督を譲った。

信忠は みずからの武勇を示すことで
織田家当主の座を勝ち取ったのである。

そして 天下人の後継者としての地位を
盤石にしたのが

家督相続から 6年後の武田攻めである。

総大将 信忠率いる織田軍は
怒とうの勢いで 武田領を席巻。

最大の激戦となった 高遠城攻めでは

みずから 前線に赴き
総攻めの采配を振るった。

信忠は 武田が誇る高遠城を
僅か1日で落城させたのである。

戦国最強の武田軍を相手に
みずから先陣を切る信忠に

信長は苦言を呈している。

「信忠に申し聞かせ

うかつに
前へ出ぬようにせよ。

武田を
弱敵と侮ってはならぬ」。

だが そんな信長の心配をよそに
信忠は快進撃を続け

ついに 武田家は滅亡。

信忠が武田領に侵攻して
僅か ひとつきであった。

武田滅亡により 東の憂いはなくなった。

ここに至って 信長は宣言する。

「信忠に 天下を譲る」と。

織田家の家督だけでなく
天下人の座も継ぐことになった 信忠。

本能寺の変 3か月前の出来事であった。

いや しかし
あの 信長を父親に持つあまり

ちょっと この信忠の人物像って
見えにくいのかなって思うんですけど

金子さん
どういった人物だと考えられますか?

信長が
あまりにも偉大なというか

有名な カリスマ的な
人物だったので

陰に隠れた感じでは
あるんですけれども。

やっぱり
優秀な人だったと思いますよ。

10代のころから戦場に連れていかれて

それで 最終的には…

そういう英才教育っていうんですかね

受けていた人物だったと思います。

磯田さんは どんな…?

この優秀さの中身を
やっぱり 僕は考える。

さっきも出てたけど

予想に違わぬことをするって
褒められてたんですけど

これは さらに言うと…

そうすると いろんな身分の
高い人も来れば 低い人も来るんで。

何をあげたら いいですか? というと

信忠は もう瞬時に その人適応の

馬なら馬 扇子なら扇子
小判なら このぐらいってあげられると。

これがすごいと言ったら 要するに…

過去の事例で
ディープラーニングをしていて

それで きっちりした待遇をやってる。

それを説明したら 信長が怒ったと。

中野さん この親子関係も含めて
どう思いますか?

やっぱり 偉大な親を持った人の
特徴っていうかね

あんまり
心理的な負荷かかって

育った人じゃ
ないのかもしれない。

すごく やっぱり
いい生まれで

大事に
育てられた人なんでしょう。

やっぱり 大事に
育てられた人ならではの

自己評価の高さも
きっとあったでしょうし。

なりふり構わず 何か
新しいことをしなきゃという

環境ではなかったんだろうなと
思いますね。

…というのは 私は ちょっと疑問です。

一方では…

親子のコンビでやっている分には
よかったと思いますね。

信長の まあ 事業継承といいますか。

現代にも通じる
非常に典型的な

事業継承のあり方だと
思うんですね。

何よりも
例えば組織 大企業

今でいうところの
上場大企業ではなく

ある程度 家族的な
組織が残っている

中堅企業ですと
息子に代を譲るときに

この…

…みたいなものを
ゆっくり 2代目と共有していって。

さらにいうと それを各代の…
番頭にあたるような

会社だったら…

気づいたら あれ? 先代社長って

今 何やっているんだっけ?
みたいなふうになって 事実上…

あるとき 突然 「ほい お前が2代目だ。
はい」って渡しても

それは やはり
うまく いきっこないですから。

実際に この織田家の代替わりでも

見えてくるところなんじゃ
ないでしょうか。

さあ ここから いよいよ本題です。

本能寺の変のとき
なぜ 信忠は京都にいたのか?

そして なぜ 信長は
本能寺に泊まったのか?

ご覧いただきます。

本能寺の変 2日前。

この日 信長は 安土を出立。

僅か20~30人の供回りと共に上洛した。

信長が少人数で上洛したのは なぜか?

信長の一代記
「信長公記」に
こうある。

「直ちに 中国へ
出陣せねば
ならぬので

安土に残る者は
戦の準備をして
待機させ

命令次第 出陣する
というので

このたび 小姓衆以外は随行しなかった」。

当時 織田軍は 関東 北陸 四国 中国と
各地に展開。

中国方面軍 羽柴秀吉は 備中高松城で
中国の覇者 毛利と対峙。

信長に援軍の派遣を
要請していたのである。

その宿所となったのが…

京都市内にある本能寺を訪ねた。

おっ 本能寺。

「ヒ」の代わりに使われているのが
「去る」という漢字。

「火が去る」
つまり 「戦火から逃れたい」という

願いを文字に込めたのである。

境内の一角には 信長や
共に戦死した家臣たちを祭る

供養塔が建立されている。

よろしくお願いします。

歴史家・河内将芳さん。

戦国時代の京都の実像を
研究している。

河内さん あの… 京都は

戦国時代 どういう姿だったんですか?

別の所だったんですね。
はい。

信長が宿泊した当時の本能寺は

現在の場所から南西に
およそ1キロ離れた所にあった。

そうですね。

そうですね。

…姿だっていうふうに思われています。

戦国時代の京都の姿を
克明に描写しているのが…

本能寺の周辺には
水堀などの防御施設が描かれている。

本能寺周辺で行われた発掘調査の結果

寺の周囲に 幅およそ4メートル以上

深さ1メートル以上の堀などが
設けられていたことが分かっている。

うて!

戦国時代の京都は
応仁の乱で焼け野原になって以降も

戦火が繰り返され その結果…。

「上京」と「下京」に分断されていた。

それぞれの町は
「惣構え」と呼ばれる

堀などの防御施設に
囲まれていた。

しかし 本能寺は
町を囲む惣構えの外側に位置していた。

どうなんですか?

そうなんですか。 何か てっきり…

ふ~ん!

そうですね。

当時 信長が
上洛した際の宿にしていたのは

主に「本能寺」「二条御新造」
「妙覚寺」の3つである。

記録によれば 二条御新造には14回

妙覚寺には 20回宿泊。

しかし 本能寺には
僅か4回しか泊まっていない。

本能寺の北東に位置した妙覚寺は

信長が 京都で最も多く泊まった
宿所である。

本能寺と同じく 寺の周囲に

土塀や堀を巡らせた

防御機能を備えた寺院であった。

こっち側が妙覚寺?
はい 妙覚寺ですね。

ふ~ん! へえ!

信長が上洛する8日前。

信忠は 兵500を従え 上洛。

このとき 妙覚寺に
宿泊していたのである。

妙覚寺は 結構
大きなお寺だったんですか?

そうですね。
今 歩いている途中なんですけども

あの二条通から
御池通までありましたので

先ほどの本能寺からすると
ちょうど2倍の大きさ。

2倍! へえ~。

そうすると…

そうだったんですね。
そうですね。

妙覚寺と向かい合っていたのが
二条御新造。

信長が京都の宿所として築いた

屋敷である。

(河内)そうですね。

そうなんですね。

妙覚寺には 長男・信忠。

二条御新造には 皇太子・誠仁親王。

信長は 本能寺に
宿泊せざるをえなかったのである。

だが 疑問はそれだけではない。

それを解き明かす
信長の言葉が記録されている。

朝廷に対し
信長は こう申し立てた。

「わが顕職は 嫡男・信忠に譲与したい」と。

当時 信長の官位は…

「右大将」とは 武家の棟梁を意味する。

つまり 信長は 朝廷の許しを得て

自分の官位を
信忠に譲ろうとしていたのである。

戦国時代の朝廷官位に詳しい
堀 新さんは こう考える。

これは江戸時代でも同じで…

…だったということは 確かだと思います。

当時 信忠の官位は…

信長は信忠の官位を

武家の棟梁である右大将の地位に

引き上げようとしていたのである。

それを裏付けるかのように…

それまで信長は 京都における
公家衆との対面を断ることが多かった。

その理由は「草臥云々」。

つまり
「面倒くさい」という意味である。

ところが この上洛では…

…するほどの気遣いを見せている。

そもそも なぜ 信長と信忠は
本能寺のときに京都にいたんですかね?

当時…

で 一つは…

後継者・信忠の地位を盤石にするため
本能寺に宿泊した信長。

しかし このとき…

なぜ 信長は こう
本能寺に泊まっていたんでしょうか。

現実的に…

たくさんの軍勢を率いている信忠は
その広い所にっていうのは

現実的にもあったのかなって
思いますけどね。

また 本能寺というのは
惣構えからも ちょっと外れて

防御施設が
しっかりされた場所ではないですよね。

それを選んだのは 何でしょう?

そんなに…

もう 武田も討ちましたし

そういうところは
考えてないと思いますね。

なぜ 本能寺にいたのかにも
つながってくると思うんですけれども

今まで以上に もう…

だから そういう意味でも 安心したり
公家の人に宝物を見せてみたり

っていう行動に
つながったりするのかなと思いますね。

油断とも つながるかもしれませんけど

この天下人としての信長。
そして その後継者である信忠。

2人一緒に京都にいるっていうのも
なかなか リスクあるな…。

…と考えていたとしか

言いようがないと思うんですね
この状況というのは。

家中に敵がいるとも
ちょっと 想定しにくいでしょうし。

最も効率的な動きというのを追求したら
こうなるんでしょうけれどね…

仮想敵がいない状態だから。

金子さんは いかがですか?

このとき やっぱり…

本当に 一時的な滞在。

ただ 一時的な滞在ではあっても…

ですので そういう覚悟は

ある程度はしてるんだろうと
思いますけどもね。

う~ん 確かに。

公家たちも 会いたいって思う人たちも
多そうですよね。

翌日…

ですので この6月1日っていうのは

信長がいたってことは
当然 大きいんですけど

それに重ねて…

こういう場なので 信長も

そうそう断れなかったのかなっていう
気がしますけどね。

磯田さんは 信長や信忠の この上洛
どんなところに…。

もちろん…

あと もう一つは やっぱり…

…という説も
ありえるんじゃないかなとは思いますね。

例えば 右大将とか
そういう官位の話ですよね。

頼朝が 元持っていた官位ですから
東の武田を討って

それで 右大将に
子どもをしたっていうことになると

国内で武権 武力を統一する際には

非常に大きな威力になって。

で これから
西の大名をやっつけるときにも

おもしがきくということにも
なるだろうと思いますよね。

いよいよ
本能寺の変 勃発です。

天下人の後継者・信忠の
選択に迫ります。

明智軍1万3, 000が

信長の宿泊する本能寺を襲撃。

記録には
このとき 信長は こう叫んだとある。

近くにいる軍勢は
信忠だけと思い込んでいた信長。

それほど 明智軍の襲撃は
信長にとって想定外であった。

本能寺から
信忠の宿泊している妙覚寺まで

600メートルほど。

明智軍の鬨の声は
信忠の宿所にも届いていた。

実際 目撃した町衆の一人は
こう証言する。

「そのころは
町家が所々ある程度だったので

土塁の上から眺めると
明智の水色の旗が

妙覚寺へ
進んでいるのが見えた」。

信長のいる本能寺が
明智の大軍勢に攻められている。

信忠は どうするべきか?

その心の内に分け入ってみよう。

何はともあれ 本能寺へ駆けつけ
父上の救援に向かうべきである。

天下人の後継者となれたのも
父上のお引き立てがあったからこそ。

親のために子が尽くすことこそ
親子の道理である。

だが このとき
信忠が率いる兵は 僅か500。

1万3, 000の明智軍に
かなうはずもない。

ならば ひとまず 京を退き
安土へ移ることこそ

天下人の後継者たる者の役割であろう。

天下の名城・安土城で
光秀と対峙していれば

やがて
各地の織田の方面軍が戻るであろう。

光秀を討つのは
それからでも遅くはあるまい。

当時 来日していた宣教師の記録に
こうある。

信忠のいる京都 妙覚寺から
安土まで およそ50キロ。

道は整備されている。

また 伊勢には 次男・信雄

大坂には 三男・信孝の四国方面軍が集結。

京都脱出に成功すれば

弟たちと合流することもできる。

実際 逃げ延びた者は多い。

万が一 父上と わしが
ここで討ち死にすることがあれば

織田家の行く末は どうなるものか。

信忠亡き後を後継者候補は
次男・信雄と三男・信孝。

しかし 2人は
それぞれ他家へ養子に出ている。

家督相続をめぐり
骨肉の争いが起こるのは必至である。

いや 待て。

やはり ここは籠城し
謀反人・光秀に一矢報いることこそ

武家の棟梁たる者の務め。

戦わずに退くなど 武士の一分が立たぬ。

信長を救援するため
本能寺へ向かうべきか。

安土城へ撤退すべきか。

それとも 籠城して迎え撃つか。

信忠に 選択のときが近づいていた。

本能寺の変の勃発で

すぐ近くにいた信忠に

選択のときが訪れます。

信長の救援に向かうのか

安土へ退くのか

それとも 明智を迎え撃つのか。

皆さんが 信忠の立場だったら

どちらを選択しますか?

私は「光秀を迎え撃つ」ですかね。

これは もちろん 信忠が
何を大切に思っていたかによって

全く変わってくるんですけれども。

何だったら…

これが もう
一番 最悪の結末だと思うんです。

それに対して
ここで光秀を迎え撃つならば…

そう考えると 迎え撃つという選択に
なるのかなと思いますね。

金子さんは どうでしょう?
そうですね。 私も やはり

「光秀を迎え撃つ」という選択かなと
思います。

本能寺が燃えてるところで

信忠が6百何十メートル離れた辺りで
気付いて。

そうすると やはり…
もはや 逃げるということは

やりたくても できずに
その迎え撃って そして 戦うという

選択を取るかなと思いますね。

それに囲まれた状況で
逃げられるかっていうところも

考えたのかもしれないですよね。

逃げられる可能性が低いから
迎え撃ったほうがいいということですね。

中野さんは いかがでしょう?

「安土へ撤退」です。

逃げられる可能性は 確かに
少ないかもしれないけれども

この場合 大局を見れば…

…だろうと考えただろうと思います。

恐らく 信長なら

「逃げる」を選んだんじゃないかと
思うんですけれども。

信忠にも そうしてほしいとは
思うけども

ただ 彼は 非常に
真面目な性格でしたでしょうから

そういうことが
できたかどうかというのは

やっぱり 一抹 疑問として
残りますよね。

「安土へ退く」。

さあ 金子さん 飯田さんが「迎え撃つ」。
中野さんは「安土へ撤退」。

磯田さんは?
僕は もう迷わず 「安土へ撤退」。

迷わず!
うん。

で どうするかですけど
とにかく もう 直ちに出発して…

瀬田の唐橋も焼き落として
もう ひたすら逃げる。

それで 恐らく
安土に行く途中

光秀の坂本城っていうのが
途中にあるので

ちょっと
南寄りのルートを経て

甲賀方面とか
そっちのほうの山に入って

それで 安土を目指し
安土まで手が回ってたら

伊勢の国へ向かって
次男の信雄と合流して

安土城 奪還作戦に
向かうっていうのが

たぶん 一番いいんじゃないかな
というふうに…。

僕が横にいたら
一生懸命に それを言おうと思います。

あと それ やるときに…

情報工作も 同じようにやったほうが
いいのではないかと。

一番良くないのが
やっぱり ちょっと その…

僕にとっては 「迎え撃つ」の3で。

比叡山籠城だったら
分からんでもないんですけど。

とても無理だと思うんで。

ちょっと あの辺の山へ
籠もるっていうのは難しいと。

だから やっぱり 安土へ向かって
急速に撤退すると。

少しずつ 鉄砲隊を
鴨川の向こう側だとか。

橋さえ落として
対岸に鉄砲隊を置いておけば

かなりの時間が稼げるはずなので

逃亡することを祈って「逃げる」ですね。

放て!

…で終わった。

そのころ 信忠は 妙覚寺を後にしていた。

…と判断したためである。

このとき 信忠の側近は

「寄手も まだ襲って来ぬ間に

安土へ移り
光秀を退治してはどうか」と進言。

それに対し 信忠はこう答えた。

「これほどの謀反を企てた
光秀が

洛中の あらゆる退き口に

手を廻していないはずが
なかろう。

途中で 相果てることこそ
無念である。

いたずらに
ここを退くべきではない」。

信忠は 二条御新造に籠城し
光秀と戦う道を選んだ。

信忠は 大手門を開門させ
そこに敵を集中させた。

敵がひるむと打って出て

押し寄せる大軍勢を

三度にわたって押し返したという。

実は信忠 新陰流の免許皆伝
剣の達人である。

みずから剣を振るい
敵17人を斬り伏せたという。

だが…。

多勢に無勢。

獅子奮迅の働きをした後
信忠は 家臣にこう命じた。

「縁側の板を引き剥がし
遺体を床下へ入れて隠せ」と。

そして 燃え盛る炎の中 信忠は切腹。

壮絶な最期を遂げた。

実は このとき

光秀は 都の出入り口を
押さえていたわけではなかった。

もし このとき 信忠が逃げていれば
生き残る機会は十分あったのである。

江戸時代初めの記録にも こうある。

「信忠が
安土へ向かっていれば

無事であったであろう。

人の運が尽きるとは
こうしたものである」。

信忠亡き後の織田家は
弟たちの家督争いで力を失い

天下は 秀吉
そして 家康のものとなってゆくのである。

信忠は 二条御新造に籠城して
光秀と戦うという道を選びました。

磯田さん
信忠の決断 どうご覧になりますか?

何か 惜しい気がしますよね。

やっぱり 逃げなかったのは
まずかったんじゃないかなと。

秀吉や家康っていうのは

台頭してこなかった可能性も
あるんですか?

全くないとは言えないですけど。
でも 秀吉が ああいうふうに

トンと出てくるってことは
ないでしょうし。

家康も ちょっとね
どうしたでしょうかね。

なかなか やはり 現代においても
この本能寺の変が

もう 永遠の謎のように
語られるのと同じく

この同時代で…

そして もう一つは これって本当に…

…っていうのを 瞬時に思うと…

そう思うと 逃げたところで
もしかしたら… 何だったら

伊勢も もしかしたら 安土も とっくに
何らかの形で

手が伸びてるんじゃないか
っていうふうに思ってしまう。

そこは やっぱり 情報がないことの
怖さなのかなと思うんですよね。

情報が そこまでないがあまりに

そういう判断が
できないかもしれない。

(飯田)そして まさか
あとから見てみると

十分…

(中野)気になるのが…

やっぱり ずっと気になるんですよね。

もしかしたら…

…というふうに考えると
確かに

迎え撃つっていう選択肢の重みが
増してくるんですよね。

何か 横になんて付いてりゃ…

なるほど。 磯田さんが家臣だったらね。

でも このあと 僕 すごい思うのはね…

…っていうのが 非常に重要なんですよ。

でね これ
どっちが早いんだっていうのをね

分析するんですけどね…

恐らく 手勢を持たずに
安土に入ってきたところで…

そこが ちょっと 肝心な…
読めないんだけど

ここ もう想像しただけで ちょっと
何か ドキドキする話…。

どっちが先に もし生き延びて帰って
光秀を討ち取ったかって。

それで また 評価も変わりますもんね。

確かに。 本当に もしもの話ですからね。

金子さんは もし
この信忠が生き延びられていたら

どうなっていったと考えますか?

信忠が生き延びてるので
織田家自体は存続して

それなりの継承をして
やっていくと思うんですけど

私も やっぱり 磯田さんが

今おっしゃったようなことを
やっぱり 考えてまして。

信忠は 安土に帰るわけですよね。

そうすると…

…なんていうことがあったので
少なくとも それはなくなりますから。

柴田勝家も引き返したときに…

何か 私は 信忠が

行きそうな感じもしたんですよね。

秀吉が どういう反応するかは
あれですし。

どこに…
どこに行くのかっていうこともあるので。

そうすると やっぱり だいぶ変わって。

逆に…

やっぱり
もしもの話で思ったりはしました。

そもそもですね その信忠は
逃げるのではなくて

戦うという決断をした
ということですけど

中野さん どう思います?
これについては。

これは 私 やっぱり気になるのが

「信忠が別心か」っていう ひと言ですよね。

信頼できないと思っていたのか

まあ 逆に
能力を認めていたということなのか

どちらか分かりませんけれども。

少なくとも 記録に
そうあるんでしょうから。

そうなると 信忠は
それを推測できないほど

頭の悪い人ではなかったでしょうから。

そうすると やっぱり…

織田家のために
何とかするっていうよりは

そっちの気持ちのほうが
ずっと重かったんじゃないでしょうかね。

そう考えると ちょっと切ないですよね。
(中野)切ないですね。

いや まさに 私も 信長が
「信忠の謀反か」と叫んだというのは

すごい気になる言葉だなと
思ったんですけど。

それほど 信長にとって
光秀が裏切ることは絶対にないという

確信みたいなものがあったんですかね。

最近 ちょっと
本能寺の変のことを調べてまして。

細川家の史料っていうのが まあ

別の分家で作った史料の中に…

どうも そのときだけ気になって

ちょっと 陰陽師に占わせたら…

…みたいに言われて。

6歳 離れているんですけど
午と子というのは。

6歳上だと ちょうど 55か
もうひと回り上だと 67歳っていう

今 光秀の年齢で出されている その説が

両方とも やっぱり
子年の その説なので。

そういうことが あとあと

うわさ話として
出てきているっていうのを知って

面白いなっていうふうに感じまして。

じゃあ 夢は 何か こう
警告をしてたのかもしれない…?

そうですね。
あまり 全然気にしない人だったのに

そのときだけ気にしたっていう。

まあ それも あとから
付け加えた話かもしれないですけど。

でも 面白い話ですね。
そうですよね。

…という不安には ひょっとしたら
とらわれていたのか

それは単に 江戸時代に作られた話か
分からないけど

とにかく細川家では そう言っていた。

光秀の親戚が言っているわけだから
根も葉もは あると。

その辺が 来年の大河が
どう描かれていくのか

ちょっと 見どころではありますけど。

磯田さん 今回は
後継者・信忠の視点から

この本能寺の変を見てきましたが

現代の私たちにとって
何か 教訓になること…。

平時と緊急時の対応が
だいぶ違うなっていうのがありますよね。

武門の誉れとか 何とか言ってられない。

それは 襲ってくるのが光秀にかぎらず

その今の時代だって
地震だとか 台風 津波だとか

想定外の自然現象が起きますし
もちろんね 経済的にも

資産を守らないといけない場合も
あると思いますから。

だから 平時の感覚

いつもの感覚で あれしちゃいけない。

ちょっと
恥ずかしいと思っても 身の安全を

緊急事態のときには 確保する

ということのほうが 歴史上は

あとでの結果が
良かったものもたくさんあるよ

という話の
教訓じゃないかなとは思いますね。

信忠の視点から見るのは
なかなか面白かったですね。   うん。

いろんなことが分かりました。
皆さん ありがとうございました。

♬~


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