アナザーストーリーズ「エイズの衝撃~スターの告白が世界を変えた~」差別と偏見に立ち向かった人々の知られざる…



出典:『アナザーストーリーズ「エイズの衝撃~スターの告白が世界を変えた~」』の番組情報(EPGから引用)


アナザーストーリーズ「エイズの衝撃~スターの告白が世界を変えた~」[字]


世界を震かんさせた恐怖の病・エイズ。差別と偏見の中、ある大スターの告白が世界を動かした!差別と偏見に立ち向かった人々の知られざる愛と勇気のアナザーストーリー。


詳細情報

番組内容

エイズ、これほど世界に衝撃をもたらした病気があっただろうか?80年代初頭、当時は治療の手立てがなく、しかもゲイ特有の病気と誤解されたことで患者は偏見にさらされた。ところが85年、ハリウッドきってのスター、ロック・ハドソンがエイズを告白したことで、世間の認識を大きく変えていくことになる。そこには、差別と偏見に敢然と立ち向かった人々の知られざるドラマが。ある者は愛のために、ある者は誇りのために…

出演者

【司会】松嶋菜々子,【語り】濱田岳





『アナザーストーリーズ「エイズの衝撃~スターの告白が世界を変えた~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

アナザーストーリーズ「エイズの衝撃~スターの告白が世界を変えた~」
  1. ロック
  2. エイズ
  3. 感染
  4. 自分
  5. ゲイ
  6. 病気
  7. エリック
  8. ローレン
  9. 家族
  10. 告白
  11. 当時
  12. 息子
  13. ハドソン
  14. 治療薬
  15. HIV
  16. 公表
  17. 世間
  18. 発症
  19. 偏見
  20. スコット


『アナザーストーリーズ「エイズの衝撃~スターの告白が世界を変えた~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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今から 38年前

突如 現れた 「死の病」が
世界を絶望させた。

その名は…

人々から 恋人を 家族を
無残に奪っていった。

毎年 自分の…

♬~

エイズ。

これほど世界に衝撃をもたらした病気は

まれかもしれません。

今でこそ HIVというウイルスに感染しても
早期の治療によって

発症を抑えることが
できるようになりましたが

当時は治療薬もなく 不治の病。

でも エイズという病気が
衝撃をもたらした理由は

それだけではありません。

誤解や偏見が つきまとい

感染者は いわれなき差別に
さらされました。

その後 多くの有名人が
HIVへの感染を公表。

治療薬の開発も進んでいます。

エイズを発症させる HIVウイルス。

その起源は アフリカと言われている。

そこから人知れず
世界へ広がったとされる。

エイズの症例が初めて報告されたのは…

1981年6月のことだった。

当初は感染経路も不明。

患者が急激なスピードで増えていく。

医師たちも 打つ手がなかった。

非常に危険な病気で
患者の容体は深刻でした。

それでも世間や
対策を練るべき政府ですらも

無関心を決め込んでいた。

当時 ホワイトハウスで行われた
記者会見の音声が残されている。

(笑い)

そこにこそ エイズまん延の理由があった。

しかし 最初の報告から4年後

社会が無関心ではいられなくなる
出来事が起こる。

当時 ハリウッド映画の大スターだった
ロック・ハドソンの 突然のエイズ告白。

公表されるやいなや
話題に火が付きました。

ロックの告白が 治療薬を開発する過程で
重要な役割を果たしたのです。

彼が…

誰もが知る大スターの告白で
世界は ようやく

この恐ろしい病気を直視し始めた。

運命の分岐点は…

ロック・ハドソンが 有名人で初めて
エイズを公表した日です。

ロック・ハドソンといえば

男らしさを象徴する
ハリウッド随一のスター。

そんな男の
痩せ衰えた姿を

メディアは驚きとともに報じました。

今回は その衝撃の瞬間を告白した本人

発表を待ちわびていた家族など
3つの視点から ひもときます。

第1の視点は 自らもHIVに感染。

死の恐怖に駆られながら
そのニュースを知った男です。

エリック・ソーヤー 当時31歳。

絶望の中で懸命に生きようとした男の

愛のアナザーストーリー。

80年代 エイズが まん延した街の一つ…

その恐怖の中を生き抜いた
一人の男がいる。

自らもエイズを発症したが
なんとか死を免れた。

そして 現在は
HIV感染者を支援する団体を率い

この問題を社会に訴え続けている。

恐ろしい時代でした。

誰も この病気そのものを
知らなかったのです。

治療法もなく エイズを発症して
半年から1年ほどで

みんな亡くなっていきました。

そこにあったのが ある理由による…

そして エリックは大切な人を失った。

私の胸は張り裂けそうでした。

心から愛し 生涯を共にしたいと
思っていた人でしたから。

世間の無関心が引き起こした 悲劇とは。

エイズという言葉が まだ生まれる前の
1980年代初頭。

ニューヨーク 中でもマンハッタンは

音楽や芸術など
次々と新たな文化が生まれ

若者を引き付ける自由な街だった。

そして この街に広がる
コミュニティーがあった。

ゲイたちだ。

同性愛への差別が激しかった この時代

自由を求めてアメリカ中から
ゲイたちが多く集まっていた。

そんな街に憧れていた一人が

当時 大学院で
心理学を学んでいたエリックだった。

エリックが生まれ育ったのは
ニューヨーク州北部の小さな町。

人々の考え方は保守的で エリックは
本当の自分を打ち明けられずにいた。

10代の時に兄に 自分が男友達と性的な
行為をしているところを見られたんです。

すると 兄は…

あの時代 人々にゲイであることが
知られたら たたきのめされました。

同性と手をつなぐなんて
決して許されなかったのです。

そんなエリックが 念願叶い
マンハッタンに移り住むのは…

会社員として働き始めた。

そして休みの度に
通うようになった場所がある。

マンハッタンの すぐ東にある…

裸で戯れる男たち。

そこは 男同士が自由に恋愛を
謳歌できる場所だった。

(エリック)ゲイであることを
隠さないといけない田舎町とは

全く異なる場所でした。

島では ゲイの人々が楽しく過ごせて
自由に愛情を表現できました。

そんなエリックに すぐに恋人ができた。

弁護士の…

幸せの絶頂だった。

2人は 一緒に暮らし始め 愛を育んだ。

(エリック)
これは 2人で飼っていた犬です。

こっちは 2人で
ハワイに行った時の写真です。

だが そんな2人に
不幸は静かに忍び寄っていた。

あのファイヤーアイランドの
ゲイたちの間に

奇妙な皮膚の病気が はやり始めたのだ。

(エリック)やがて そういう人たちを
度々 見かけるようになり

「あそこにも病人がいるぞ」
という感じでした。

最初は 「変な病気だな。
僕には うつらないといいな」

と思っている程度でした。

肌に広がる…

しかし この時 エリックたちは

この異変を
特に気に留めていなかった。

そして マンハッタンの
ゲイが多く集まるディスコでも。

ディスコのすぐ近くにある薬局の店主は

早くから異変に気付いた。

客が急に増えだしたんだ。

多かったのは 皮膚の病気さ。

とにかく ひどく弱っていたよ。

最初は 風邪かなんかだと
思っていたんじゃないかな。

誰もが戸惑っていたよ。

僕はただ 言われるがまま
薬を渡していただけ。

僕も戸惑うばかりだったよ。

その皮膚病は 一体何なのか。

それが 「死に至る病のあらわれ」だったとは
まだ知る者は ほとんどいなかった。

しかし いち早く この事態を
重く捉えていた医師がいた。

Hello,  Nice to meet you.

当時 ニューヨーク大学の
皮膚科医だった…

1981年の1月だったと思います。

皮膚病の名は…

特に 地中海沿岸の老人や

免疫不全になった人々に多く見られる
皮膚病の一種だった。

なぜ ゲイの若者に多く
この病気が発症しているのか。

原因は まだ誰も分からないままだった。

そんな状況の中で 一つの報道が出る。

これは 81年7月のニューヨーク・タイムズ。

記事には こうある。

「5週間で 41人の患者が
カポジ肉腫を発症」。

それが全て…

このころから
カポジ肉腫はゲイ特有の病気で

男性同士の性交渉が原因だという
うわさが広がり始める。

そうして世間は この病気を

自分には関係のないことだと
思うようになっていく。

それでもエリックにとって

ようやく手に入れたスコットとの恋愛は
手放せるものではなかった。

しかし 彼らを取り巻く状況は
切迫していく。

転移しにくいはずのカポジ肉腫が
全身に広がり 悪性化。

致死率の高いカリニ肺炎という病気も
併発するケースが相次いだ。

そして 最初の報告から1年後の
1982年ごろから

死者が激増し始めたのだ。

仲間たちが
次々と その病に伏していく様子を

目の当たりにした男がいる。

エリックも度々訪れていた
ファイヤーアイランドで

ゲイたちの姿を
ポラロイドカメラに収めていた。

この3人の男性は全員
この写真を撮ってから

1~2年で亡くなりました。

私が出会った全ての人が
そういう話をしていました。

それから間もなく 1人が亡くなり
また1人 また1人と

次々に亡くなっていったんです。

夏が終わり
ファイヤーアイランドを去ってから

次の年に戻ってくる間に

一体 誰が亡くなっているんだろうと…。

そう考えたことを思い出しました。

数か月ほどの間に 何人も友達を
亡くすかもしれないという

現実があったのです。

そして そのとおりになりました。

毎年 自分が愛する人が
次々 亡くなっていったんです。

そして 82年7月。

アメリカの感染症の学者たちが
その病気を…

免疫不全を起こす原因が

新しく見つかった 「HIV」
というウイルスであること。

ゲイたちの間で
特に感染が まん延しているのは

不特定多数との性交渉が
多いためであることも特定された。

そして 2人の身にも
恐れていたことが起こった。

恋人のスコットに
あのカポジ肉腫の斑点が現れたのだ。

その結果を僕に伝えてきました。

そして 僕は泣き崩れた。

なぜなら 彼が死ぬ運命だと
分かったからです。

スコットの告白を聞いて 僕は ただ
泣き叫ぶことしかできませんでした。

それなのに 彼は とても穏やかで
毅然としていて

僕を慰めてくれました。

彼の方が 傷ついていたのに。

しかし エイズという言葉が生まれて
2年がたっても

肝心の政府の動きは鈍かった。

1984年 ホワイトハウスで行われた
記者会見の音声を聞いてほしい。

(笑い)

(笑い)

エイズの危機を訴える記者の質問に
周囲からは 笑い声さえ聞こえる始末。

これが当時の
ゲイたちに対する世論の表れだった。

もちろん 世間に対し
懸命に警鐘を鳴らそうとした記者も

少なからず いた。

当時 ニューヨークで
フリーのジャーナリストをしていた…

私は主要メディアに 病気のまん延と
感染者についての記事を

書かせてほしいと提案したんだ。

でも いらないと言われた。

メディアや 一般人は

ゲイコミュニティーで
起きていることなんて

見たくもなければ 興味もない。

報道すれば 一般人が
憤慨するだろうとすら考えていたんだ。

エイズ患者が偏見にさらされる中

エリックにも
HIVウイルスの魔の手が忍び寄る。

(エリック)私の症状は重くなかったものの

当時 自分もまた HIVに
感染しているのではと感じていました。

そして医師から 感染を言い渡されました。

私も 死に向かう道のりの
途中にいることが分かったのです。

スコットがエイズを発症し
エリックも HIVウイルスに感染。

死の恐怖に おびえる暮らしが始まった。

それに輪をかけるように
街には こんな落書きさえ。

無関心どころか 差別が広がり始めていた。

(エリック)最後に2人で行った
レストランのことを覚えています。

「出てけ! 出てけ! うちは病気のゲイに
サービスはしない!」と。

スコットは涙を流し
その場を後にしました。

そして僕たちが 外食することは
二度とありませんでした。

2人は差別を恐れて入院もできず
自宅に籠もることになった。

エリックは自分も感染しながらも

病状が悪化するスコットを
自宅で看病することになる。

髪の毛は抜け落ち
体は腫瘍に覆われました。

スコットの痩せ方や容体を見て
彼が死にかけていることは明白でした。

私たちに残された時間が
長くないことを悟りました。

治療薬の開発も遅々として進まない中

2人は ただ お互いの死を待つ
絶望の日々を送っていた。

そんな時 世の中の風を一変させる
ニュースが流れる。

誰もが知る大スター ロック・ハドソンが
エイズを告白。

それにより エイズ問題への関心が
一気に高まった。

そして 今まで偏見を恐れて
身を潜めていた

ゲイやHIV感染者たちが立ち上がった。

積極的な対策を講じない政府に対して
抗議デモを行ったのだ。

私は その報道を
新聞の一面で知りました。

私が期待したのは
世の中がロック・ハドソンに同情して

治療薬を開発するように

政府に圧力を かけてくれるのではないか
というものでした。

実際このころから
エイズ患者に対する理解や同情が

高まっていったように思います。

しかしスコットは
ロックの公表から1年後の86年

この世を去った。

翌年…

それを皮切りに
次々と治療薬が開発される。

エリックは それらの新しい治療薬により
生き延びた。

そして 96年には
HIVウイルスの増殖を抑える

有効な治療法が確立。

最初の症例から 15年後のことだった。

ゲイの病気にすぎないという偏見によって
感染が広がり続けていたエイズ。

大物スター ロック・ハドソンの告白で
ようやく その流れは変わり

世界はエイズと向き合うことになります。

しかし…。

ロック・ハドソン自身は
その時 一体何を思っていたのか?

実は告白は
自ら望んだものではありませんでした。

ハリウッドスターというステイタスと
偏見に まみれた病気。

葛藤の中で決断した男の
アナザーストーリー。

エイズ問題を一転させた あのニュース。

エイズが偏見を持たれていた
あの時代

なぜ ロック・ハドソンは
告白に踏み切ったのか。

その真相を知る 一人の女性がいる。

Hello.

ロック・ハドソンの自伝を書いた…

サラは亡くなるまでの1か月間
ロック本人や側近たちに取材を重ねた。

そして あの告白の真実を知ることになる。

エイズ告白の陰に秘められた
スターの葛藤とは。

ロックが生きた この街では
今も その名声は衰えていない。

1956年に公開された映画
「ジャイアンツ」では主演を務め

作品はアカデミー賞を受賞。

誰もが憧れる男らしさの象徴として
絶大な人気を博した。

彼は セックスシンボルでした。

すごく人気だったわ。

アメリカで一番ビッグなスターだ。
男性女性 両方から人気だった。

たくましい体と その甘いマスクで

スターの地位を確かなものにしていた
ロック。

しかし男には ある秘密があった。

撮影現場では みんなが笑って
楽しい時間を過ごせるように

気を配っていたそうなの。

だけど周りの人は ロックが本当は
何を考えているのか分からなかったの。

自分の胸の内を
明かそうとはしなかったそうよ。

本当の自分を見せなかった理由。

それは 自分がゲイであることを
隠していたからだ。

同性愛への差別が はびこっていた時代。

男らしさの象徴である自分が
ゲイだと分かったら どうなるか。

(サラ)
ロックは生涯ずっと 自分がゲイであると
世間に知られることを恐れていた。

当時 ゲイは俳優になれないと
誰もが思っていたの。

なぜなら 銀幕の男性が
女性を愛せないと知ったら

映画として成り立たないでしょう。

ファンはロックに恋ができず

ファンですら
なくなってしまうでしょうから。

偽りの仮面を かぶりながら

デビューから長年
理想の男性を演じ続けていた。

そんなロックに
エイズの予兆が出始めたのは

1984年初頭。

ホワイトハウスの晩さん会に招かれた
ロック。

たくましかった頃に比べて痩せて
肌色が悪いと うわさされた。

この時 ロックの肌を治療した

ビバリーヒルズの…

ロックの皮膚の状態は ひどく
症状は 一向に おさまりませんでした。

治りの経過を見ていて
何かが おかしいと 私は感じてました。

それで私は検査を行い その結果を
病理学者に見てもらうことにしたのです。

ルタンティアは その結果を
すぐに電話で伝えた。

ロックは立ったまま電話をしている
というので

私は まず座るよう伝えました。

自分がエイズだと知れば 気を失って
倒れてしまうと考えたからです。

でも エイズだと告げると彼は

「何ですか それは?」と返してきました。

ロックは最初 否定したそうよ。

「そんなはずない。
俺はエイズじゃない」とね。

ショックは徐々に大きくなっていって

誰にも打ち明けられないと
感じたそうよ。

エイズが ゲイの病気だと思われていた
この時代。

自分のエイズが明らかになれば
同時に ゲイであることもバレてしまう。

自伝に この時のロックの様子が
記されている。

そうして世間には公表せず
体調を崩しながらも 仕事を続けていた。

しかし このロックの肌色の悪さを
パパラッチは見逃さなかった。

当時 ロサンゼルスで
ゴシップ誌の記者をしていた…

病気であることは 一目瞭然だったわ。

あれほど がっしりしていて
たくましい体型の人だったのに

それが どんどん痩せ衰えていくの。

顔が げっそりしていて 肌もボロボロ。

そして パパラッチに
疑いの目を向けられたロックを

更に追い詰める出来事が起こる。

出演しているテレビドラマの脚本に
キスシーンが出てきたのだ。

唾液での感染も
心配されていたため ロックは悩んだ。

共演者への感染を恐れ
突然 脚本変更を申し出れば

エイズと疑われるかもしれない。

がんじがらめになったロックは
悩んだ末

唇を しっかり閉じて
相手の女優の頬に軽くキスをした。

これで なんとか難を逃れた。

Hi.

決してエイズを告白せず
仕事を続けるロック。

しかし その顔は痩せ細り
誰が見ても その異変は明らかだった。

そして 85年7月。

ロックは開発されたばかりの薬を
試すために

ひそかにパリへ向かう。

しかし そのやさき 容体が急変。

ロックが担ぎ込まれたのは

エイズ患者の受け入れを
断っている病院だったのだ。

(サラ)当然ながら 病院は激怒したわ。

ロックが病院にいることがバレたら
大変な騒ぎになる。

何の感染の対策もしていなかったから。

エイズ患者が入院していたことを隠し
それが明るみになれば

病院にとって信用に関わる。

ならば包み隠さず
公表するようロックに迫ったのだ。

病院から公表を迫られ

外には ロックの入院を聞きつけた
パパラッチたち。

1年間エイズを隠してきたロック。

しかし もう選択の余地はなかった。

そして…。

ロックは言ったわ…

ロックは ついにエイズを
公表する事態に追い込まれた。

ロックのエイズを伝えるニュースは

その日のうちに
世界中を駆け巡った。

スクリーンの上で 偽り続けてきた仮面が
ついに剥がれ落ちた瞬間だった。

ロックは
世間からの大きな非難を覚悟した。

しかし人々は 意外な反応を見せる。

反響は すさまじく
ロックを心配する電話が殺到したの。

「私生活は どうであれ 愛している」って。

そして エイズ問題を
早くから気に掛けていた

俳優仲間のエリザベス・テイラーからは

ロックがエイズに かかったことを
認めたことで…

…という電話が届いた。

その言葉を聞いたロックは

自分の告白が エイズ対策において
どれほど大きな意味を持っているか

初めて気付いた。

その心の変化を
間近で見ていた医師がいる。

マイケルは エイズまん延当初から

ロサンゼルスで いち早く
その治療にあたり

ひそかにロックも診察していた。

ロックに
「あなたの健康状態や診断について

多くの問い合わせが来ている」
と伝えました。

何も言わずに黙っている方がいいか

記者やマスコミに対し
話した方がいいか尋ねました。

彼は…

そしてロックは 今度は自らの意思で

自分のエイズを伝える
記者会見を開くことにした。

ロックの勇気ある行動に
称賛が集まり

エイズに関する慈善活動が
次々と行われた。

♬~

そして ロサンゼルスの自宅で
療養を始めたロックは

それが世の中のためになるならと

自分の過去を赤裸々に
つづることを決意し

自伝を書くように頼んだ。

(サラ)ロックの容体は
日に日に悪化していったわ。

亡くなる直前
私は毎日のように彼を訪ねた。

最後に生前の彼と会った時のことは
はっきり覚えているわ。

部屋にいた彼は顔の辺りに
光が さし込み 輝いていて

ほほえみを浮かべていたわ。

そして
あの告白から2か月後の10月2日

ロックは 自宅で息を引き取った。

ロックが亡くなって2年後の…

時の大統領レーガンが
初めてエイズについて声明を出した。

スターの告白が国をあげての対策に
乗り出す きっかけとなった。

エイズを隠し 悩み続けたロック。

そんな彼の告白を今 アメリカの人々は
どう受け止めているのか。

ゲイだってカミングアウトすることは

当時 すごい勇気のいることだったと
思います。

ロックの告白には
とてもショックを受けたよ。

でも彼は 誰もがエイズになることを
世の中に教えてくれたんだ。

ハリウッドスターである自分と
本当の自分。

葛藤を乗り越え 全てを さらけ出した
ロック・ハドソン。

彼は自分の生き方に
誇りを抱いて その生涯を終えた。

スーパースター ロック・ハドソンが
ついにエイズを告白した時

その病は既に
多くの人に広がっていました。

世の中の無関心は 対策の遅れを生み

思わぬルートから
感染が拡大していたのです。

第3の視点は ある治療を受けたことが
きっかけで家族がHIVに感染。

夫と息子を奪われた 一人の女性です。

絶望の中で
毅然と生きることを選んだ母親の

アナザーストーリー。

ペンシルベニア州の小さな町に
一人の女性がいる。

夫と息子をエイズで失い
自らも HIVに感染。

現在は治療薬によって
エイズの発症を抑えている。

思いも寄らぬ経路で感染した
一つの家族。

今から 34年前
ローレンの家族が

NHKの取材を受けた際の
映像が残っている。

血友病だった
夫のパトリック。

血液製剤を輸血した際
HIV感染者の血液が紛れ込んだ。

その夫から感染した
妻のローレン。

そして ローレンの妊娠時に
母子感染したとされる

息子のドワイト。

前の夫との間に生まれた ニコルだけが

唯一 感染を免れていた。

当時の映像を ローレンに見てもらった。

あのころは つらかったです。

でも 夫と息子の姿を
また見ることができて うれしいわ。

夫の声を聞けて うれしい…。

夫が私に 生き続けてほしいと
思ってくれていたことを思い出しました。

彼女は その絶望の中で
どう生き抜いたのか。

ニューヨークのゲイたちの間で性交渉が
原因でエイズが まん延していた頃

他の感染経路でも
人知れずエイズが広がっていた。

血液感染も
その一つ。

中でも輸血を必要とする
血友病の患者は

感染のリスクが高かった。

その感染経路が
まだ しっかり分かっていなかった時

あのローレンの家族に
HIVウイルスが入り込んだ。

ローレンは 一度離婚して
看護師をしながら

幼い娘と2人で生きていた。

そして
職場でパトリックと知り合い 再婚。

パトリックは血友病でありながらも

自分と娘の新たな支えになることを
誓ってくれた 最愛の男だった。

息子のドワイトは 家族の顔を見ると
泣きやむ甘えん坊で

娘のニコルは
新しい弟が生まれたことを喜んでいた。

新たな人生に期待をしていたローレン。

しかし その幸せの日々は
すぐに崩れ去った。

(ローレン)ある日 旅行に出かけた時
息子の体調が とても悪くなりました。

血友病のパトリックが
輸血により感染し

知らず知らずのうちに
家族で感染が広がっていたのだ。

中でも パトリックと

生まれたばかりのドワイトの
病状が進んでいた。

最初は 「なんとかなるだろう きっと薬が
開発されるはずだ」と思っていました。

前向きに考えていたのです。

「私たちは大丈夫。 死なない。
私たちは幸せだもの。

何か治療法が見つかる」
と信じていました。

「家族には きっと明るい未来がある」。

そう信じながらも
ローレンには 一つの恐怖があった。

当時 HIV感染者は
いわれなき偏見に さらされていた。

その矛先が 自分たちにも向くのではと。

だが家族は
その偏見の目に背を向けず

勇気ある決断を下す。

(ローレン)医者には エイズということを
周りに言わない方がいいと言われました。

でも 私と夫は よく話し合い
隠さないことに決めました。

私たちはエイズになり
HIVを持っていると

いちかばちか みんなに
知らせることにしたんです。

家族は世間に対して
自らの意思で公表を決めた。

しかし なぜ
あえて苦難の道を選んだのか。

その理由は
家族で唯一 感染していない

娘のニコルの存在があったからだ。

(ローレン)一つ屋根の下に
住んでいるだけでは

うつらないことを示したいと思いました。

私たち家族を見て
人々が何か学んでくれるのではないか。

感染者と過ごすことを怖がる必要はないと
知ってほしかったんです。

もし家族全員が亡くなり
ニコルが たった一人で残された時

周囲は きっと 娘も感染していると見る。

自分が生きているうちに
家族への偏見をなくし

娘の将来を明るいものにしたかった。

そして ローレンたちの勇気ある行動を
見ていた周囲の人々は

少しずつエイズについて
理解を示し始める。

周りの人々は
私たちを受け入れてくれました。

そして できるかぎりの支援を
してくれました。

その助けは励みになって
家族が生き続ける力になったんです。

しかし 息子のドワイトの病状は
悪化し続けていた。

息子は ずっと苦しんでいました。

亡くなった時は
目も見えず 耳も聞こえず

食事を口にすることも できませんでした。

ドワイトは1歳8か月で この世を去った。

夫パトリックは
深い罪悪感に さいなまれる。

(ローレン)
「息子が感染したのは 自分のせいだ」。

夫は そう感じて
自殺しようとさえしました。

でも 私たちにはニコルがいました。
だから言ったんです。

ローレンは息子を失いながらも
娘のために強くあろうと励ました。

パトリックは家族と共に
最期まで生きることを決めた。

そして ドワイトが亡くなって1年後の春。

(ローレン)私たちは クイズ番組を見て
夫はクイズに答えていました。

そして…

最期の言葉は 「愛しているよ」でした。

息子を そして夫を
エイズで失ったローレン。

そんな絶望の中でも 母の心は強くあった。

悲しかったけれど
幼い娘のために生きたかった。

だから 持てる全ての力を出しきって
生きようと決めたんです。

母として 娘と一日でも長く生きようと

あらゆる治験に参加し
新しい薬を試し続けた。

ローレンは治療薬の副作用で
体を崩しながらも

ニコルを育て上げた。

ニコルは健やかに成長し
今では 2人の息子を持つ母親になった。

ローレンにとって新たな家族は
人生の宝物になっている。

懸命に生きた母を 娘は どう思うのか。

親元を離れ 遠くワシントン州で暮らす
本人に話を聞くことができた。

とても強い人だと思います。

私のために頑張ってくれました。

母は病気に打ち勝ちました。

私の成長を 学校の卒業を
結婚を見守るため。

そして 孫に会うため。

私を深く愛してくれたし
私も母を愛しています。

彼女は最高です。

たくさんの苦労があったけど
いつも 一緒に乗り越えてきました。

何があろうとも 生きるために闘う人です。

絶望の中を毅然と生きた
母の強さと愛情は

娘に確かに届いていた。

今は2人の孫がいて とても幸せです。

生きるために闘う理由
それを家族が与えてくれたんです。

エイズが最初に報告されてから 38年。

治療薬は改良され HIVに感染しても

早期の治療によってエイズの発症は
抑えられるようになりました。

しかし その闘いが日の目を見るまでに
どれほどの犠牲が払われてきたことか。

命を懸けた叫びと願いが
世間の無関心の前に

数知れず消えていきました。

そして エイズとの闘いは
今も決して終わってはいません。

この町に 日本のエイズまん延を
人知れず防ごうとした男がいる。

これも古着だよ。

日本で初の商業ゲイ雑誌「薔薇族」を
立ち上げた男だ。

伊藤自身は同性愛者ではないが

読者のため
この雑誌を通じ

日本で いち早く
感染の予防を呼びかけた。

…っていう気持ちが強かったから。

伊藤は 「薔薇族」が廃刊になってからも

雑誌をブログに変え
エイズを取り上げている。

そして 伊藤と同じく

今もエイズ問題に
警鐘を鳴らし続けている男がいる。

当時 伊藤に頼まれ

読者のHIV検査に
奔走した医師の…

松田は 今も大学の講義で
エイズについて取り上げ続けている。

松田には 危機感がある。

不治の病ではなくなり
再び関心が薄れているエイズ。

しかし日本でも
感染は今なお 広がっている。

もし 新たな未知の病が
再び社会を襲った時

我々は毅然と それに
立ち向かうことができるのだろうか。


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