アナザーストーリーズ「ロッキー誕生~負け犬たちの逆転劇~」スタローンが、スタッフが人生の一発逆転にかけた!…


出典:『アナザーストーリーズ「ロッキー誕生~負け犬たちの逆転劇~」』の番組情報(EPGから引用)


アナザーストーリーズ「ロッキー誕生~負け犬たちの逆転劇~」[字]


映画史に残る名作「ロッキー」、その製作の舞台裏は映画以上に波乱に満ちていた!スタローンが、スタッフが人生の一発逆転にかけた!辰吉丈一郎もはまったロッキー誕生秘話


詳細情報

番組内容

無名の若者が一世一代のチャンスをつかむ!映画史に残る名作「ロッキー」、その製作の舞台裏は映画以上に波乱に満ちていた!どん底の境遇で映画を企画、脚本・主演を務めたシルベスター・スタローン。スタッフ一人ひとりもロッキー同様、人生を変えるチャンスにかけた!そして感動のラストシーンに隠された驚がくの事実とは!?永遠のボクサー・辰吉丈一郎がロッキーから受け取ったメッセージとは?自分を信じて戦う男たちの物語

出演者

【司会】松嶋菜々子,【語り】濱田岳



『アナザーストーリーズ「ロッキー誕生~負け犬たちの逆転劇~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

アナザーストーリーズ「ロッキー誕生~負け犬たちの逆転劇~」
  1. ロッキー
  2. スタローン
  3. 映画
  4. 脚本
  5. 当時
  6. シーン
  7. 撮影
  8. 自分
  9. 人生
  10. プロデューサー
  11. ボクシング
  12. 試合
  13. 主演
  14. 製作
  15. 俳優
  16. 無名
  17. 場面
  18. 辰吉
  19. 物語
  20. チャンス


『アナザーストーリーズ「ロッキー誕生~負け犬たちの逆転劇~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。

↓NHK関連商品

♬~(「ロッキーのテーマ」)

ここに来れば誰もが走りだす。

あの男が栄光に向けて
駆け上がった時のように…。

(「ロッキーのテーマ」の鼻歌)

映画史に残る名作 「ロッキー」。

その製作の舞台裏は

映画以上に 波乱に満ちていた。

♬~

無名の若者が
一世一代のチャンスを つかむ!

その映画は
まさに アメリカンドリームでした。

捨てばちな生活を送っていた
ある若者が

ボクシング 世界タイトルマッチの
挑戦者に選ばれる物語です。

それは 勝ち目のない
試合でした。

容赦なく襲ってくるチャンピオン。

それに比べ 不格好な挑戦者。

それでも ひるまずに戦い
まさかの接戦に持ち込みます。

主演を務めたのは
当時 無名の俳優にすぎなかった男…

どん底の境遇で この映画を企画し

自ら脚本を書き 成功を手にしたのです。

しかし そこに至るまでは 苦難の連続。

映画が完成したこと自体
奇跡といっていいほどでした。

主人公 ロッキーは
さえない無名のボクサー。

タイトルマッチとは縁がなく
ボクシングでは食えない。

稼ぎは借金取りの使いっ走り。

うらぶれた生活を送っていた。

だが チャンピオンの
気まぐれなアイデアから

思わぬチャンスが巡ってくる。

誰が見ても 「かませ犬」だった。

だがロッキーは
人生最大のチャンスを前に

全てを なげうって
猛練習を積む。

そして 恋人や仲間たちに励まされて
リングに上がり

最終ラウンドまで 激闘を繰り広げていく。

そんな無名の男が
ひたむきに挑み続ける姿に

人々が 喝采を送る物語だ。

映画は予算も桁外れに少なく
期待もされていなかったが

興行収入が 600億円を
超える大ヒットとなる。

内容も高く評価され

アカデミー賞では作品賞など
3部門を受賞した。

しかし 映画が完成するまでには
いくつもの壁が立ちはだかった。

だが ロッキー同様
スタッフ一人一人にとっても

この映画は 人生を変えるチャンス…。

製作を諦めるわけには
いかなかった。

「ロッキー」に隠された
人生の一発逆転を 狙った男たちの物語。

運命の分岐点は…

「ロッキー」が 初めて公開された日です。

俳優もスタッフも ほとんどが無名。

期待もされていない 地味な作品でした。

なにしろ それまで通行人や

セリフのない役ばかり
やっていた若者が

自分が主演する映画の脚本を
持ち込んだのです。

第1の視点は その若者…。

売れない役者は

どうやって
ビッグチャンスを つかんだのか?

負け犬を地でいった男の
アナザーストーリーです。

「ロッキー」の製作を
縁の下の力持ちとして支えた男を訪ねた。

現れたのは…。

(うなり声)

今やB級映画の名物プロデューサーとして
その筋では知られている…

「ロッキー」では 撮影現場の交通整理や
食事の手配まで

雑務を こなした。

そんな男が 撮影中の様子を
8ミリフィルムに収めていた。

当時 スタローンは
自分の頭の中のイメージを

フィルムに焼き付けようと
躍起だったという。

撮影場所は 全てスタローンが選んだんだ。

自ら 街のあちこちに 下見に行って
たくさん写真を撮ってきた。

「ここでは こういうシーンを
撮影したい」と熱心に話していたよ。

だが スタローンがチャンスを
つかむまでは

苦難の連続だった…。

映画「ロッキー」が完成する 僅か1年前。

スタローンは
最底辺の暮らしを送っていた。

イタリア系移民の子として
ニューヨークに生まれたスタローン。

大学をやめて 俳優を志したものの
オーディションに落ちること 50回。

ありつけたのは 通行人など
エキストラ同然の役ばかりだった。

やがて金は底をつき バスターミナルで
ホームレス生活を送るようになる。

周りは 麻薬づけの浮浪者ばかりだった。

そのころの暮らしを赤裸々に語る
スタローンの映像が残されている。

そんなスタローンとともに
20代の時 芝居に打ち込んだ男がいる。

映画監督の…

スタローンと 一緒に作った 短編映画だ。

2人で作った自主映画。

このころ スタローンは
彼の家に居候していたという。

理由は聞かなかったが スタローンが
「アパートを追い出された」と言うんだ。

当時 私が住んでいた家の地下には
広めのクローゼットがあって

マットレスを置けば 寝ることもできた。

それを知って 転がり込んできたのさ。

私が足音を立てると…。
(足を踏み鳴らす音)

「うるさいぞ!」という声が
響いてきたよ。

スタローンは
まず生きる気力を取り戻そうと

少年時代に かじったことのある
ボクシングを始める。

♬~

そんなスタローンに 一筋の光が差す。

1975年 アメリカで行われた
ボクシング ヘビー級のタイトルマッチ。

チャンピオンは 英雄…

挑戦者は 無名の白人ボクサー…

誰もがウェプナーの完敗を予想した。

だが彼は なんと
最終ラウンドまで戦い抜き

全米が熱狂した。

テレビで見ていたスタローンは
この試合に触発され

映画にすることを思いつく。

すぐさま脚本に取りかかり

自分の貧しい境遇
成り上がりたいという欲望を

物語に織り込む。

僅か3週間で 書き上げた。

そんなふうにして
「ロッキー」の脚本が出来上がった。

脚本を手に
ハリウッドのプロデューサーたちを

あてどなく回る日々が始まる。

何度も門前払いを食らった末
ある男と出会う。

後に 「ロッキー」の
プロデューサーを務める…

下積みから たたき上げで
プロデューサーになった男だ。

青春の痛みや

生きることの切なさを
描いた作品で知られ

アカデミー賞にも
ノミネートされていた。

自らも下積みを経験して そのつらさを
知っているウィンクラーは

スタローンの脚本を読むことにした。

「戦う男の話だ」と言って
彼が出してきたのが

「ロッキー」だったんだ。

その時 彼は 条件を出した。

…と言うんだ。

でも まあ 登場人物が個性的で
ユニークな話だったから

とりあえず 映画会社に脚本を
持ち込むことにしたのさ。

こうしてスタローンは
ようやく 浮上のきっかけを つかむ。

ウィンクラーが脚本を持ち込んだ先は
大手映画会社の幹部…

「地獄の黙示録」や 「羊たちの沈黙」の
製作に関わったハリウッドの重鎮は

当時 脚本を読みもせず
突き返したという。

ボクシングというのが問題でした。

それまで ボクシング映画は
ヒットしたためしが なかったんです。

製作するのは疑問でした。

彼らは全く乗り気じゃなくて
こんなふうに言われたよ。

「さえないボクサーが さえない女に
ほれる話なんて 誰が見るんだ?」。

「戦う男の話なんか
今どき はやらないんだよ」。

「大体 ボクシングだったら
テレビで見られるじゃないか」ってね。

それでもスタローンは ボクシングを
題材にすることに確信を持っていた。

そうして
時にはスカッとしたいのだと…。

人生の辛酸を なめてきた
スタローンの直感だった。

脚本に可能性を感じていた
ウィンクラーは

映画会社に対し
とんでもない提案を ぶつける。

映画化を認めさせるには

思い切った方針を
打ち出すしかないと思った。

そこで こう言ったんだ…

「絶対に迷惑は かけない」。

当時ヒットしたハリウッドの
大作映画の製作費を見れば

この100万ドルという金額が

いかに少ないか分かるだろう。

その なりふり構わぬ売り込みに
メダボイは ようやく折れた。

だが 気に入らないのは

無名役者 スタローンを
主演にするという条件だった。

スタローンを主演に起用するなんて
問題外でした。

上司も反対したので 私は ひそかに
3人の俳優を候補に挙げたんです。

映画会社は 主役候補に

ロバート・レッドフォードや
ポール・ニューマンなど

当時 人気絶頂のスター俳優たちを
考えていた。

ただ メダボイが
スタローンに難色を示したのは

無名だからという理由だけではない。

俳優として 決定的な
弱点があったのだ。

それは 彼が生まれた時の出来事に
原因がある。

出産時の医療ミスで
顔面の神経が傷つけられ

言葉が うまく しゃべれなくなったのだ。

そのことで 少年時代はイジメも受けた。

しかし彼は
それを ものともせず

逆境を はねのけて
演劇の道を志した。

共に演劇に打ち込んだ
ハーツフェルドには

こんな記憶がある。

彼は言葉を うまく しゃべれるようにと
毎日 詩の朗読を行っていた。

朝の5時から大声を出して読むので
私が文句を言うと

「大声じゃないとダメなんだ!」
と言い返されたよ。

彼は 鋼の意志を持っている。

成功すると思っていたかは 分からない。

でも 自分自身を信じていたんだ。

しかし 映画会社にしてみれば

そんな役者に主演を
任せるわけにはいかなかった。

リスクが大きかったんです。

実は 映画ビジネスでは
製作費のことよりも

無名俳優を起用するリスクの方が
ずっと大きいんです。

そして彼らは スタローンから
脚本だけを買い取ろうと画策する。

当時の日本円で
7, 000万円以上という大金だ。

だがスタローンは かたくなに拒否した。

なぜ 主演を譲らなかったのか?

スタローンの伝記には
こんな言葉が つづられている。

二枚目スターでもなく

せりふも 流ちょうに
しゃべれない自分に

この先 主役が回ってくるはずはない…。

そう自覚していたのかもしれない。

かつて
マネージャーを務めたジェフ・ワルドは

スタローンの胸の内を こう明かす。

ロッキーとは彼自身なんだ。

言葉の問題なんて関係ないと
全ての壁を乗り越えようとしてきた。

彼は話し方のせいで
仕事をクビになったこともあった。

「ロッキー」で描かれたのは
そういう彼の現実だ。

負け犬がチャンピオンに挑む
という現実だ。

そして ついに 映画会社は根負けし

しぶしぶ スタローンが
主演することを承諾した。

スタローンにとって 「ロッキー」の製作が
人生を懸けた大勝負であることを示す

こんな場面がある。

ロッキーを なぜ
自分が演じなければならないのか。

スタローンは当時 こう語っている。

主演を勝ち取り

どん底から はい上がるチャンスを
つかんだスタローン。

しかし ここからが正念場でした。

「ロッキー」の製作費は

当時のアメリカのテレビドラマ
1話分の金額です。

果たして そんな低予算で
映画は完成するのか?

第2の視点は
その困難と闘い続けたスタッフたち。

B級映画の現場で
鍛えられてきた彼らは

あらゆる困難を タフに
そしてユーモラスに乗り切ります。

B級映画の意地が逆境で さく裂した
大逆転のアナザーストーリーです。

この映画で どん底から はい上がったのは
スタローンだけではない。

若い頃 ボクサーとして鳴らし

その後 俳優として
活躍することになる…

彼は 「ロッキー」シリーズ全作に出演。

ロッキーの恋人 エイドリアンの兄で

飲んだくれのダメ男 ポーリーを演じた。

映画では 底辺に生きる人々の
怒りや悲しみを代弁する存在だ。

現在 最愛の孫と幸せに暮らす
ヤングにとって

「ロッキー」は 人生を変える宝物になった。

「ロッキー」からは 全てを もらいました。

役者としての自信 勇気 積極性を
与えてくれたんです。

エキストラも含め 全てのスタッフが

この映画の おかげで
成長することができました。

みんな情熱的で 「ロッキー」に
関わることを誇りに思っていました。

お金を稼ぐことなんて
頭に なかったんです。

誰もが この映画に 無償の情熱を注いだ。

あのころ 彼らもまた
ロッキーだった。

映画の製作は決まったものの
予算は限られていた。

決して高くはないギャラで
引き受けてくれた俳優の1人が

長く下積みを経験した ヤングだった。

当時 私は芝居に夢中で

ギャラも もらわず
舞台に上がっていました。

オファーがあれば 何でもやりました。

くだらない内容でも 観客が40~50人でも
かまいませんでした。

舞台に立てること自体が
大事だったんです。

そんな彼が出演を決めた理由は
ただ1つ…。

今も宝物として 大切に保存している台本。

一読して
「これが自分の人生を変える」と直感した。

物語が シンプルで明快
そして汚れがなかった。

たくましくて
すばらしい人間ドラマでした。

何というか…

どん底から はい上がる
主人公の姿に感動して

是非 チームの一員になりたいと
お願いしたんです。

なんとか 俳優は決まったものの

次に乗り越えなければならなかったのは
撮影場所の確保だった。

製作の下働きをしていたカウフマンは

スタローンの あるこだわりに
苦労させられた。

スタローンと監督は
舞台となる街が重要だと考えていた。

そこで プロデューサーを説得して
フィラデルフィアに決めたんだ。

スタローンが強く こだわった街…

アメリカの独立宣言が署名された
由緒ある街だが

当時は失業者で あふれ
治安も最悪だった。

そんな街から
ロッキーが立ち上がることに

スタローンは こだわったのだ。

予算がないから 小さな役は
地元の人々を説得して

タダで やってもらったんだ。

「世に フィラデルフィアを
知らしめよう!

そのためには
街全体で盛り上げるんだ!

だから 家を貸してくれ!
ペットも出演できるぞ!」ってね。

選挙演説みたいだったよ。

1975年11月 映画はクランクインする。

当時のメイキング映像を
見ると

いかに お金のない
撮影現場だったか分かる。

スタローンが車で
移動する場面の撮影も…。

カメラマンは ボンネットに
ひもで縛りつけられている。

撮影は深夜まで続くうえ

食事は差し入れのピザを みんなで
分け合って食べていたほどだった。

現場を経験した1人 メイク担当の…

目が回るような忙しさの中
ほっとする出来事もあったという。

撮影が終わったのが夜中の2時ぐらいで
みんな疲れ切って 早く帰りたかった。

だけど スタローンが
「まだ帰れないぞ!」と言うんだ。

「俺たちのことを気に掛けて

近所の人が
食事に招いてくれたんだぞ」って。

しかたなく その家を訪ねると

おじいさんが
自家製のワインを出してくれた。

そのワインと食事が信じられないくらい
おいしかったのを 今も覚えているよ。

そんな人々が暮らす街だからこそ
生まれた名場面がある。

ロッキーが
市場を駆け抜けるシーンだ。

突然 投げ込まれたオレンジ。

脚本にはなく
地元の人が偶然 投げたものだった。

撮影された市場を訪ねてみると
当時のことを覚えている人がいた。

スタローンが走っている時に
この辺りから投げたんだ。

すると彼が うまくキャッチした。

今は いないけど
投げたのはチャッキーという男さ。

あの撮影は みんな楽しんだ。
いい思い出だよ。

一方 俳優バート・ヤングは

スタローンが物語に込めた思いを
懸命に くみ取り

映画にスパイスを加えていった。

当時の台本を見ると

無数の書き込みで 埋め尽くされている。

これは アドリブのセリフです。

「二度と頼まない 俺にもプライドがある」
と書き足しました。

現場で 「これは いける」と思いついたら
すぐに 台本にメモしたんです。

忘れてしまわないようにね。

例えば ロッキーが取材を受ける場面。

そこへ ポーリーが
一瞬だけ顔を のぞかせる。

ロッキーが 脚光を浴びるシーンなので

それに 便乗したらどうかと思ったんです。

(笑い声)

そうです。

でも 正直に言うと
アドリブの ほとんどは

スタローンの脚本に触発されたものです。

脚本を読み込んでいると
自然にアイデアが浮かんできたんです。

予算がない中 苦し紛れのアイデアが
名シーンを生むこともあった。

それが 夜のスケート場での

2人きりのデートシーン。

脚本の設定は全然違っていた。

客で いっぱいのスケート場に

ロッキーとエイドリアンが
やって来ることになっていたんだ。

だけど お金がないから
エキストラなんて雇えないんだよ。

悩んだスタローンと監督は
あるアイデアを思いついた。

スケート場が閉まったあと ロッキーが
なけなしの金を払って開けてもらう

という設定さ。
これで うまく乗り切ったんだ。

逆転の発想によって
脚本よりも印象的なシーンが生まれた。

ロッキーとエイドリアンの恋は
美しかった。

私は 嫉妬に駆られたほどでした。

現場のアイデアは 時に
すばらしい場面を生み出すことがある。

ハリウッドの大作映画では
そういうことは 決して起こらないんだ。

あのシーンは シンプルだけど

キャラクターが
深く美しく表現されていたよ。

そして クライマックスである
試合のシーン。

ロサンゼルスに場所を移して
行われることになった。

そこでまた 大問題が発生する。

その処理を任されたのが
プロデューサーの1人だった…

試合を撮影する金が
足りなくなったんだ。

それなのに 映画会社の担当者は
「試合なんか いらないよ」って言うんだ。

だから 私は泣きだした。

大人が泣くところなんて
誰も見たくないだろう?

そこで 一緒に これまで撮影した
フィルムを見ることになった。

見終わったら OKとなったんだが

くれたのは
たった 1万5, 000ドルだった。

できるわけないよ。

Crazy!

しかし 映画を見ると

僅かな予算しかなかったはずなのに

会場を大観衆が埋め尽くしている。

一体どうやって撮ったのか?

私が老人ホームに行って
お年寄りを大勢 連れてきたんだ。

そして彼らに
試合会場の客席に座ってもらった。

退屈させないために おやつを配ったり
余興をしたりしてね。

でも 薬の時間があるから 夕方4時には
帰さないといけなかったんだ。

そんな苦労の末に
あのクライマックスのシーンが生まれた。

ロッキーは何度打たれても 諦めず

不屈の戦いを繰り広げる。

こうして なんとか
試合シーンを撮り切って

28日間に及ぶ撮影は終了する。

しかし これだけでは名作たりえない…。

この男の力が大きかった。

「007」や 「ベスト・キッド」を手がけた
映画音楽の巨匠…

当時まだ 成功を夢みる
無名の作曲家にすぎなかったが

少ない予算にもかかわらず
39人ものオーケストラを編成した。

報酬は 2万5, 000ドルでした。

でも その お金の中から
オーケストラに支払いをし

楽譜をコピーし 録音エンジニアを雇い

全ての費用を支払わなければ
ならなかったんです。

もうからないから 誰も やりたがらない。

そんな仕事だったんですよ。

この 歴史に残る名曲にも
彼のこだわりが かいま見える。

♬~(ピアノ)

♬~(「ロッキーのテーマ」)

♬~

プロデューサーが こう言うんです。

「こんなにトランペットは
必要ないだろ!」。

オーケストラ39人のうち
トランペット奏者は6人いたんです。

私は反論しました。

「私の欲しいサウンドは
6人 必要なんです。

それ以下だと
ファンファーレが響かないんです」と。

この曲で もう1つ苦労したことがある。

♬「Gonna fly now」

この コーラスだ。

♬~

ラジオ局で秘書をしていた妻に
相談したんです。

「君の同僚で誰か
歌が得意な人はいないかな?

もし 歌ってくれるなら

ギャラは払えないけど
ランチを おごるよ」。

そうやって出来たのが
あのコーラスです。

妻も 同僚と一緒に歌ってくれました。

もうけなんか 度外視だった。

他のスタッフ同様
運命の分岐点となる映画の成功に

彼も賭けた。

そうした熱によって
あの感動の結末が生まれた。

Adrian!
Rocky!

Adrian!
Rocky!

Adrian!
Rocky!

I love you!

♬~

コンティの音楽と相まって

映画史上屈指の ラストシーンとなった。

あれは 私の感情が
揺さぶられて出来た曲でした。

悲しいことや うれしいことがあった時
何かに打ち勝った時

曲が生まれてくるんです。

分かるでしょう? 理屈じゃないんです。

戦いを終えたロッキーが
恋人と抱き合うシーンは

感動の涙を誘いました。

でも 考えてみて下さい。

もし あの結末でなかったとしたら。

これは 映画「ロッキー」の
有名なポスター写真です。

しかし このシーンは
実際の映画には登場しません。

そこに何があったのか?

ロッキーは 試合に敗れ 映画は終わる。

だが ビル・コンティは
驚くべき事実を明かした。

実は…

「勝者 ロッキー・バルボア!」と
リングアナが叫ぶんです。

仕上げの時に それを巡って
スタッフが激論していました。

「ダメだ それはできない」

「いや そっちのバージョンも
見てみたい」

「勝った方がいい!」 「ありえない!」。

最後の最後まで
小競り合いが続いていましたよ。

それでも結局
ロッキーが負ける結末が採用された。

その理由を プロデューサーの1人だった
カークウッドは こう明かす。

「ロッキー」は
負け犬が成功する話に見えるが

本当に訴えたかったのは
「勝つことが全てではない。

逆境に屈せず
自分のアイデンティティーを貫け」

ということだったんだ。

この映画は
人生を踏みにじられた人々に

そういうことを語りかけたんだよ。

だが それに続くラストシーンにも
予想外の展開が待っていた。

実は当初 このポスターにある

2人が静かに
控え室に去っていく場面で

映画は終わることになっていた。

つまり リング上で
ロッキーとエイドリアンが抱き合う

あの感動の場面は
存在していなかったのだ。

最初に撮ったエンディングには
私も みんなも 物足りなさを感じた。

そこで 3か月後に撮り直したんだ。

リング上で2人が抱き合うシーンだ。

そこに ビル・コンティの音楽を乗せて
あのエンディングになったんだ。

Adrian!
Rocky!

Adrian!
Rocky!

I love you!

♬~

♬~

崖っぷちの人々が人生の逆転を懸けて
作り上げた 映画「ロッキー」。

「ロッキー」を見て心を揺さぶられ
勇気づけられた人は

数多くいることでしょう。

しかし この人ほど影響を受けたファンは
いないかもしれません。

それが 第3の視点。

プロボクサー
元世界チャンピオン…

49歳になった今も
彼は現役に こだわり続けています。

数々の激闘を経てもなお
立ち上がろうとする

不屈の男の アナザーストーリーです。

よし。

よし。 よいしょ。

はい よろしくお願いします。

元WBC 世界バンタム級チャンピオン

辰吉一郎。

90年代 カリスマ的人気を誇った
ボクサーだ。

49歳となった今も現役を宣言し
毎日 練習を欠かさない。

そんな辰吉は 30年以上にわたって

「ロッキー」を
事あるごとに見続けてきたという。

「うっそ~!?」いう。

辰吉が 「ロッキー」から受け取った
メッセージとは…。

辰吉は 19歳でプロデビュー。

当時の彼にとって 生きることが
すなわちボクシングだった。

「ロッキー」に はまったのは そのころ。

試合前のボクサーが抱える恐怖を
あまりにもリアルに描いていたからだ。

すごい。

それが この場面。

試合の前夜 ロッキーは
1人 会場を訪れる。

そして…。

試合直前に
ボクサーが襲われる 恐怖と不安。

待っとれよ みたいな。

そんな辰吉の人生は
「ロッキー」に救われもした。

プロになって僅か8戦目で
世界チャンピオンになったものの

目の網膜が傷ついていることが判明。

僕個人としては
やっぱり まだ続けたいですからね。

今後は どうなるか分かりませんけど。

長期休養した後
ファンの後押しもあって

なんとかリングに上がり続けた。

しかし。

(実況)ああ 右!
あ~っと ウィラポンの右だ!

(実況)試合終了! 試合終了!

失神KOに追い込まれた。

ファンの期待に応えれずに負けてしまった
いうのは すごい心残りではあるけど

もう終わったことですからね。
結果が全てなんで。

誰もが 辰吉は
ここで引退だと思っていた。

そんな時に見たのは 「ロッキー2」だった。

一度は引退したロッキーが
愛する者のために

リングに戻ってくる物語だ。

多分…

辰吉は既に プロボクシングの
ライセンスを失っている。

だが 人から何と言われようと
いつか来る日のために

厳しいトレーニングを
やめるつもりはない。

いつでも試合に臨めるよう
体重もキープし続けてきた。

辰吉もまた 自分を 信じ続けている。

世界中の人々の心を震わせた
映画 「ロッキー」。

スタッフの1人は 語りました。

「負け犬が成功する映画に見えるけれど
本当に訴えたかったのは

勝つことが全てではなく
逆境にあっても屈せずに

自分のアイデンティティーを
持つことだった」。

まさに 「ロッキー」は
見た者に勇気をくれる

そんな映画でした。

そして その後も多くの人が
「ロッキー」のメッセージを胸に

それぞれのリングで 戦い続けています。

フィラデルフィアには
あの階段の他に もう1つ

「ロッキー」ファンの聖地がある。

ロッキーの銅像だ。

ファンの中には
特別な思いを抱いて訪れる人もいる。

私は この年になって
修士号を取ることができました。

ここに至るまでには ロッキーのように

多くの困難を乗り越えなければ
なりませんでした。

この記念すべき日に ロッキーと
一緒に写真を撮りたかったんです。

地元の人々にとって ロッキーは
実在する英雄のような存在。

困難に ぶつかった時
何かを成し遂げた時

彼らは ロッキーに思いをはせる。

プロデューサーのウィンクラーには
今も忘れられない出来事がある。

自宅の庭を手入れしてくれる
若者がいたんだが 彼は

「僕も 一生懸命 働いて
ロッキーのようになります」

と言っていたんだ。

20年後 その彼が電話してきた。

「伝えたいことがあります。
建築技師になる夢を かなえました。

僕は ロッキーの教えを
守ったんです」とね。

そして 今年73歳を迎える
シルベスター・スタローンは…。

彼は今 ある脚本を
映画化しようとしている。

それは彼が 20代の時に書いたもので
当時 私も読まされた。

その後 彼は 50回も書き直したそうだ。

諦めてなかったのさ。

普通なら
そんな古いものは捨てるだろう?

そう 今も戦ってるんだ。

あのころと変わらず
彼は挑戦し続けている。

そんな気持ちさえあれば

誰もが きっと ロッキーになれる。

♬~


関連記事