英雄たちの選択「警察誕生~川路利良、恩人西郷との対決~」 西南戦争では恩人・西郷と対決した。川路苦悩の選択…



出典:『英雄たちの選択「警察誕生~川路利良、恩人西郷との対決~」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「警察誕生~川路利良、恩人西郷との対決~」[字]


“警察の父″、川路利良。西郷隆盛に引き立てられ「警視庁」を創設したものの、西南戦争では恩人・西郷と対決した。川路苦悩の選択、そして現代警察への遺産とは?


詳細情報

番組内容

日本の“警察の父″、川路利良。薩摩藩の下層身分だったが、幕末の戦乱で数々の武功を立て、西郷隆盛の引き立てで大出世を遂げる。明治5年に渡欧、フランスの警察制度に感動した川路は、帰国後、日本初の近代警察「警視庁」を作りあげた。しかし明治10年、西南戦争が勃発。多くの薩摩藩士が西郷に従うなか、川路は警察を使って恩師・西郷と対決する道を選ぶ。西郷との決別に至る苦悩の選択、そして現代警察への遺産に迫る。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】加来耕三,家近良樹,久保正行,【語り】松重豊





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英雄たちの選択「警察誕生~川路利良、恩人西郷との対決~」
  1. 川路
  2. 西郷
  3. 警察官
  4. 警察
  5. 鹿児島
  6. 新政府
  7. 選択
  8. 当時
  9. 明治
  10. 士族
  11. 薩摩
  12. 西南戦争
  13. 加来
  14. 邏卒
  15. パリ
  16. 警視庁
  17. 東京
  18. 日本
  19. 西郷軍
  20. 部下


『英雄たちの選択「警察誕生~川路利良、恩人西郷との対決~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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≪(警察官たちの掛け声)

回れ!

新人警察官が学ぶ警察学校。

来年の
東京オリンピック・パラリンピックも見据え

厳しい訓練が行われている。

≪警棒の中心 見るんだぞ!

真下だ 真下!
≪はい!

握った位置な。 指1本分だぞ!
≪はい!

この警察官の卵たちを見守るように立つ
銅像がある。

幕末 薩摩藩出身。

初代警視総監であり

「警察の父」と呼ばれる
人物だ。

幕末 動乱の時代。

薩摩は 長州とともに
討幕へと突き進んでいた。

武士より身分が低い
与力の出身だった川路。

あまたの戦いに参戦したが
一兵卒にすぎなかった。

そんな川路が どのようにして
栄達へのきっかけをつかんだのか。

これは…

よく見ると いくつもの刃こぼれが。

激戦を生き抜いた証しである。

敵を恐れぬ 命知らずの戦い。

川路の奮闘を評価し
大役に取り立てたのが

薩摩藩の指導者 西郷隆盛だった。

明治維新後 川路は 西郷から
新政府の重要な任務を与えられる。

それは 首都…

江戸時代 町奉行の管轄だった
市中警備の役割を

新たに担うというものだった。

しかし 明治6年
川路は苦しい立場に追い込まれる。

新政府内の対立が原因で 西郷が下野。

多くの同志が 後を追って
鹿児島へと帰っていったのである。

それでも 川路は
新政府に残ることを決断した。

そして 翌 明治7年
西洋の警察制度をモデルに警視庁を創設。

5, 000人を超える警察官を束ねる
大組織のトップに上り詰めた。

やがて 川路に最大の試練が。

明治10年…

鹿児島の士族が
西郷を担いで決起したのだ。

数千人の警察官を率い

恩人の西郷と戦うことになった川路。

その複雑な胸の内に迫る。

川路という人物をね 評価したいのはね…

川路は 新しい警察制度を

どう 明治の日本に
定着させようとしたのか?

警察誕生 その苦難の道のりをたどる。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

そのとき 彼らは何を考え 何に悩んで
一つの選択をしたんでしょうか。

今回の主人公は こちらの人物です。

明治の初めに警視庁創設に力を尽くした

「日本の警察の父」と呼ばれる
川路利良です。

今の警視総監にあたる「大警視」を

最初に務めた人物でもありますね
磯田さん。

そうですね。
司馬遼太郎さんの「翔ぶが如く」では

おなじみの人物ですよね。
はい。

普通 薩摩人… 薩摩の方です この人。

豪快な印象の方が多いんですけど
もうちょっと…

今日のテーマの中で 注目するところって
どんなところでしょうか?

幕末の動乱期に 川路は
戦で西郷隆盛に認められます。

新政府の発足後は警察の仕組み作りですね
これに携わりますね。

そして 西郷が鹿児島に戻って
西南戦争へ向かう中

果たして…

究極の選択を迫られるわけですね。
「公か私か」。

川路を見ていくことでですね

現代にも通じる
「公と私」の問題というかな

考えていきたいと思います。
さらに 今日は警察のお話です。

川路が作った その思想というのは
今の警察にも影響があるだろうと。

この番組を見るとですね
ひょっとすると

刑事ドラマもですね
よりよく理解できるかもしれない。

刑事ドラマはね 古くから ファンも
多いですからね。 見ていきましょう。

薩摩藩の城下町として栄えた…

城下から およそ北に12キロ。
皆与志町 比志島地区。

出迎えてくれたのは
薩摩藩研究の第一人者…

バス停の名前が「大警視」なんですよ。

「大警視」とは
現在の警視総監のこと。

川路利良の役職が
バス停の名前になっている。

川路利良が生まれた家が
ここだったわけですから

ここは特別なバス停なんですよ。

天保5年
後に大警視にまで上り詰める川路は

薩摩藩の下層身分 与力の子として
生まれた。

西郷隆盛や大久保利通などの
下級藩士よりも身分が低く

武士とみなされなかった。

比志島地区は 今も田畑が広がる農村地帯。

川路は 農業で生計を立てながら

毎日 遠い城下まで通い
藩の勤めを果たしていた。

14歳のとき…

藩の情報を伝える飛脚として活躍。
薩摩と江戸を何度も往復した。

川路には もう一つ
誰にも負けないと自負するものがあった。

剣術である。

一つですね 他藩の藩士で

利良を 川路をですね
評価している言葉があるんです。

高杉晋作もね 江戸に剣術の修行に
行ってるわけですよね。

江戸で 同じころ 利良も
剣術修行やってますからね。

それに対して 晋作がですね…

川路は 飛脚で培った情報収集力と
剣術の腕前で

徐々に藩内で知られるようになる。

そして 幕末維新の動乱が 川路を
さらに表舞台へと押し上げていった。

きっかけは

元治元年7月に起きた
禁門の変。

前年に起きた政変により…

御所を守るのは 薩摩藩と会津藩。

31歳の川路も 一兵卒として参戦していた。

序盤は長州が有利だった。

長州勢は 御所を守る兵を蹴散らし

蛤御門に突入する。

そこに 援軍として駆けつけたのが
川路ら 薩摩兵。

川路は 「長州勢を
率いる大将を

狙い撃ちすれば
勝てる」と

仲間の兵を鼓舞した。

薩摩兵が その大将を狙撃。

重傷を負わせ 長州勢の進撃を食い止めた。

川路の機転は
戦局が変わるきっかけの一つとなり

薩摩・会津の勝利で この戦は終わった。

勇猛果敢な一人の男。

これに目を留めたのが

薩摩藩の軍事指導者
西郷隆盛だった。

西郷は川路を取り立て

やがて 大隊長に抜擢する。

4年後の…

…が勃発。

薩摩・長州が中心の新政府軍と
旧幕府軍が京の郊外で戦い

新政府軍が勝利した。

このときの川路の活躍を物語る書簡が
残されている。

玄孫の利永さんが

大切に
守り続けてきたものだ。

これは…

これが 川路直筆の書簡。

鳥羽・伏見の戦いが終わった直後
家族へ送ったものである。

戦いの興奮冷めやらぬ川路は
戦場の様子を克明に記している。

「敵である
会津藩の重臣を

討ち果たした」。

「このまま
江戸城へ
攻め込み

慶喜の首を
とってやる」。

そして こう語る。

その後 川路は西郷に従いながら
戊辰戦争を会津まで転戦。

新政府軍の勝利に貢献した。

そして 明治維新後
新たに首都となった東京で

川路は 活躍の場を
さらに広げることになる。

川路は 新政府の参議だった西郷から

重要な任務を任された。

それは…

江戸時代 町奉行が管轄していた職務を

近代的な組織に変える必要に
迫られていた。

新政府は…

そのうち1, 000人は薩摩藩士で
川路みずから 鹿児島で集めたという。

彼らは「邏卒」と名付けられた。

現在の警察官の前身である。

明治5年 川路は

邏卒たちのリーダー…

薩摩藩士の中で 江戸勤めで…

これまでね…

川路は このときから
日本の警察制度を確立するために

生涯を ささげることになる。

さあ 川路はですね
身分が低かったものの

西郷の配下として戦で活躍して
「戦は面白い」と

自信に満ちあふれた手紙も
残していましたよね 加来さん。

身分が低いがゆえに
もし 立身するためにはですね

もう 合戦しかないわけですね。

この戊辰戦争のときですね

大活躍をして
一気に上がっていくわけですね。

薩摩隼人 いわゆる薩摩の下級の武士たち。

これが もう…

ああ そうですか。

久保さんは 元警視庁の捜査一課長でも
いらっしゃいましたけれど

この川路っていうのは
どういう印象でしょうか?

川路大警視については
身分が低かったということについて

非常に驚いてます。

警視庁の17階に

大会議室があるわけなんですけれども

そこに
川路大警視の肖像画

これが
飾ってあります。

そこで署長会議等をですね 行いますので。

ですから…

警視庁の警察官は
すべて存じ上げています。

そういう方なんですね 警察官にとって。

そうです。 はい。
分かりました。

磯田さんは この川路の 戦での活躍は
どのように思われますか?

私ね 戊辰戦争の過程で
川路が書いたものが

発見されて 公開されて 実は解読にも
関わったことがあるんですけど

なんとも…

例えば…

そうすると みんな
手柄 立てようと思って 前線に行く。

あと 「大将を狙撃すれば勝てる」
とかいうような情報と…。

面白いなと思ったのは
「戦ほど面白いものはない」というのはね

同じようなことを 西郷は やっぱり
口走ってますよね。 だから

どちらも武人的なものは
好むんでしょうけど

ただね タイプは 全然違うと思いますね。

非常に 川路というのは
実務的な感じ しますね。

それからね
何よりも私ね

川路という人物をね

評価したいのはね…

その点はね 見事なもんだと思って。

そういう点では 案外ね
西郷と共通項もあるし

違うとこもあると思いますね。
うん…。

戦いで手柄を立てた人は
軍の要職に就くというイメージが

何となく あるんですが
そうじゃないんですね 加来さん。

その中で西郷はどう考えたかというと…

だから 身分の問題で
 一つ きたことは間違いない。

恐らく 川路も
ショックを受けたと思いますね。

自分も軍人として頑張りたかったのに
そうか 邏卒かという。

ただ…

「治安維持を任せられるのは
川路である」という…。

たぶん 感情にぶれがないんですよ。

…っていうんですか
常の心っていうのがね

やっぱり求められるんじゃないですかね。
ああいう… 仕事上ね。

そういう点では…

その側面はありますか?
警察として求められるところですか?

そうですね やはり…

一時的なもので うろたえをしないで
それで前に進む。

そういうようなことは 変わってないな
っていうふうに思ってますけど。

だから 川路という人は
そういう仕事には

うってつけの人じゃ
なかったでしょうかね。

その資質を やはり西郷は
見極めていた…?      そうでしょうね。

やっぱり 西郷クラスになってくるとね
人の特性というのはね

たぶん 早く見つけると思いますよ。

さあ このあと 川路は
西郷の行動がきっかけで

究極の選択に迫られることになります。

明治維新後 新政府は

緊急に解決しなければならない問題を
抱えていた。

維新の功労者たちが 各地で次々と暗殺
または暗殺未遂に遭っていたのである。

新政府では 一連の事件を機に

これからの治安維持には
犯罪の捜査だけでなく

犯罪を未然に防ぐ近代的な警察組織が
必要という意見が強くなった。

明治5年8月 邏卒は
司法省警保寮の管轄になり

川路は そのナンバー2になった。

そんな川路に

ヨーロッパの警察制度視察の
命が下る。

9月 川路たち司法省の視察団は
横浜を出発。

…などを1年かけて回った。

川路が とりわけ感銘を受けたのは
フランスの警察制度だった。

このときの視察メモの写しが
群馬県の図書館に残されていた。

川路の部下が当時 手書きで写した
300ページを超える記録。

例えば 川路は パリの警察制度について
こう記している。

「警察官は 1か所に
12人ずつ配置している」。

「ただし 30人を
特別に繁華街に巡回させている」。

「刑務所では 罪人に仕事を与えて
善良な心になるまで面倒を見ている」。

「さらに
罪人に本を貸し出す図書館まである」。

当時 フランスは
プロイセンとの戦争に敗れ

戦後も 労働者の革命自治政府
パリ・コミューンが樹立されるなど

混乱が続いていた。

しかし 7, 000人を超える警察官によって
パリの治安は維持されていた。

当時のパリは 維新後の
日本と同じような状況だったと

明治時代の警察を研究する
大日方さんは考える。

いろいろ視察した断片的な資料から見て…

そこで 果たしてる…

…ということは インプットされて
持ち帰ったのかなというふうに思います。

…ということが
課題になってきたときのテーマが

やはり 彼の中にはあったのかな
というふうに思うんですね。

1年間の視察を終え 川路は帰国した。

そして すぐさま…

新しい警察組織の創設を訴えたものだ。

冒頭で「警察は
国家平常の治療なり」
と宣言。

人間の健康を
養うように

警察は 民を保護し

国家の力を
養うものと説いた。

さらに
「ヨーロッパでは

邏卒に軍人を
登用している」。

「日本にも士族がいるので

これを用いないのは

失制の極みである」と提案。

川路は フランスでの視察から
得たものを盛り込み 建議した。

これに目をつけたのが

西郷と並ぶ
新政府の実力者だった大久保利通。

当時 大久保は
警察から地方行政まで

内政全般を担う

内務省創設の準備に
取りかかっていた。

川路は 大久保の後ろ盾のもと

新しい警察組織の創設に まい進する。

ところが 建議書提出の翌月
新政府を揺るがす衝撃的な事件が起きた。

西郷隆盛が新政府を離れ
鹿児島に戻ってしまったのである。

朝鮮への外交方針をめぐって
大久保らと意見が対立。

論争に敗れたのが原因だった。

西郷 下野。 その影響は大きかった。

薩摩藩士の多くが 次々と軍や邏卒を離脱。

邏卒だけでも 100人以上が
西郷を追って鹿児島へと帰っていった。

川路もまた 同じ薩摩人として
岐路に立たされた。

西郷さんより受けた恩は 確かに大きい。

あの方がいなければ
私は世に出ていないだろう。

薩摩出身の兵や邏卒が

西郷さんとともに
鹿児島へ帰るという気持ちもよく分かる。

う~ん…。

いや 今は 日本に警察を作る第一歩を
踏み出そうとしているときだ。

ヨーロッパに行って痛感した。

日本は あらゆる面で
まだまだ 西洋に後れを取っている。

せめて 警察だけは
私の手で世界一にしたい。

国家の重責を担いながら
私情によって その役割を放棄しては

国が立ち行かないではないか。

西郷への恩義か 国家の任務を全うするか。

川路に決断のときが迫っていた。

選択を見ていく前に
パリでの話をしたいと思うんですが

川路は フランス パリの警察に
大きな感銘を受けたといいますが

加来さん どこが川路の心を
捉えたんでしょうかね?

当時の日本人は
警察そのものが分からないわけですね。

川路も同じようなもので ほとんど
概念的に分かってないわけですね。

しかし「行けよ」ということで
そうしますと フランスも同じように

度重なる パリでの 革命のあとですから
治安は とにかく悪いわけですよね。

歩きながら 彼は
警察官を観察するわけですね。

言葉が分からないのに
街を ほっつき歩くわけですよ。

そうしたら 警察官を捕まえて

前もって用意したカードを
見せるわけですね。

どこどこへ泊まっていると。
道が分からないと。

助けてくれって書いてあるんです。
警察官は それを読んで

人によっては 警察官によっては
宿まで連れていってくれたと。

そうしたら 治安が全くない
最悪の状況であっても

人民を警察官 ポリスは守っていると。

こういうもんなのかというのが
分かるわけですね。

改めて 今 びっくりしたんですけど
よく見てますね。

どういう形で対処したら

どういうような結果が
もたらされるかということを

ものすごく具体的に考えてるでしょ。

例えばですね さっき…

私 これはすごいなと思ったのは
例えば 犯罪を犯す人に関して

よく言われるのは 無知である。
何も知らないから

犯罪を犯すというようなことを
言われるじゃないですか。

そのときにね 本を読ませて
いろんなことを考えさせる。

そういうものが…

そういったことを どうも川路がね
見抜いたというか学んだというか。

これは すごい慧眼ですよね。

さあ 警察創設に まい進せんとしていた
直後に起こったのは

恩人である 西郷の下野でした。

選択1は 「西郷を追って

鹿児島へ戻る」という選択肢。

選択2は 「このまま
警察の創設に

まい進する」という
選択肢です。

さあ 皆さんが
川路の立場だったら

どちらを
選択するでしょうか。

まずは久保さん
いかがですか?

そうですね
選択2 「警察の創設に まい進する」。

これ以外は ちょっと
考えられないと思うんですよね。

国費で海外に行かれてますよね。

これで…

また 鹿児島に帰ったとしても

身分的なもの
そういうようなものを考えると

力を発揮できるような場は
ないんじゃないかと。

ですから…

これに力を注ぐ。
この道を選ぶと思います。

パリにまで行きましたからね。
さあ 家近さん いかがでしょうか?

私も同じ2番ですね。

一番大きな
さっきもちょっとね 出ましたけど

やっぱり 彼はね 川路は
帰国して次の月に

西郷は辞職してるんですよ。
1か月後に後を追ってというのはね…。

それと もう一つは やっぱり 私ね

西郷との関係がね そこまでの恩義
もちろん恩義はあるんでしょうけど…

だって 西郷との書簡なんて
やり取りなんて

本当に職務的なこと しかも 彼が
筆頭参議… 留守政府の筆頭参議に

なったぐらいからですよ。
手紙を送ったりしてるのはね。

そういう 2つの理由で
私は ごく常識的ですけど 2番ですね。

2人とも 「警察の創設に まい進する」を
選びましたが

加来さんはいかがですか?

私は1の 「西郷を追って鹿児島へ」
というほうを選びたいと思いますね。

お二方とも そうなんですけどもね

あるいは これを見ている人 皆さんが
そうかもしれませんけれども

我々は歴史を知ってますよね。

しかし このとき
川路がどうであったか。

恐らく 1か2かという選択を
本当に彼は困ったと思うんですね。

なぜならば
帰ってきたのが9月ですよね。

西郷が下野したのが10月ですよね。

自分が考える警察が
どういう形になるかなんて

誰も分からないわけですよ。

だから 私は やっぱり
追っていってほしかったと思いますね。

行って 顛末を話して…

そういうところを
期待したいと思いますけどね。

さあ 磯田さん。
うん。 それは2でしょう。

いや やっぱり
「警察創設に まい進する」という。

条件がそろってて 「洋行」っていって
西洋に行って帰ってきた人って

このころ ものすごい大事にされますよね。

しかも いろんな国のを見て帰って

フランスの内務警察のあり方を

知っている人って 一番なわけですよね。

さあ それでは
川路の選択 見ていきましょう。

西郷が新政府を去って 僅か数日後。

大久保利通 肝煎りの巨大官庁
「内務省」が設置された。

トップである内務には
大久保が就任した。

この内務省誕生は 川路の選択に
大きな影響を与えることになった。

みずからを取り立ててくれた
西郷への恩。

しかし
国にもっと尽くしたいという思い。

大正元年に出版された 川路の伝記。

日記など
今は失われた貴重な史料を用いて

書かれたものだという。

ここに 川路の決断の言葉が
記されている。

「私情 寔に忍ぶべからず
とするも

国家行政の活動は
一日も休むべからず。

大義の前に
私情を抛って

飽くまでも
警察事業に献身せん」。

…ということが
川路の頭の中にあった。

それは…

内務省の管轄下に「警視庁」が誕生した。

当時の警視庁は 現在とは違い

首都 東京の治安維持だけでなく…

川路は 「大警視」。

現在の警視総監にあたる
警視庁のトップの座に就く。

そして 日本の警察制度を
一から作り上げていくことになった。

警視庁の草創期をしのばせるものが
残されている。

当時 川路が着用していた…

警察トップが着用する
威風堂々とした制服だが

まだ このときは
軍隊を思わせるデザインだった。

これは「警棒」。

町を見回る巡査が携帯していた。

当時は 現在の警部補にあたる
一等巡査より上の者だけが

刀を持つことを許されたという。

邏卒から警察官に変わったことで

新たに導入されたのが…

所属と等級が書かれた身分証明書。

中は 捜査の際のメモ帳として使った。

この警察官たちの実力が試される事件が
起きる。

明治9年 九州を中心に

各地で
新政府に不満な士族たちが

反乱を起こしたのである。

士族たちは 武士の誇りである刀を
持つことを禁じた「廃刀令」や

家禄の支給が廃止されたことなどに
強い反感を抱いていた。

警察官たちは 次々に現地派遣され

軍の後方支援などに活躍。

乱の鎮圧に貢献した。

不平士族の反乱が続く中

新政府が最も警戒していたのが

鹿児島の西郷だった。

大久保や川路は

西郷が設立した私学校の士族たちが
暴発することを恐れ

対策を講じる。

私学校の動向を ひそかに探るため

薩摩出身の巡査たちを
密偵として鹿児島へ派遣したのである。

さらに 川路には秘策があった。

目をつけたのが

戊辰戦争に敗北した
会津藩や仙台藩など

東北出身の士族たちだった。

中でも 旧会津藩士は
酷寒の青森に移住して斗南藩を立て

苦難の生活を送った。

当時は その斗南藩も
すでになく

路頭に迷う者も多かった。

川路は 会津藩で家老を務め

「鬼官兵衛」として官軍に恐れられた

佐川官兵衛と接触する。

会津戦争のとき 最後まで
徹底抗戦を貫いた佐川は

部下からの信頼も厚かった。

佐川は かつての部下たちのことを思い
決断する。

佐川は 旧会津藩士300人を従えて
警察官となった。

川路と西郷との対決の時が
刻一刻と迫っていた。

川路は 選択2の
「警察制度導入に まい進」を選びました。

磯田さんは どうして
この選択を選んだと思いますか?

僕 やっぱりね 西郷っていうものが
理解できなかったんだと思うんですね。

で グループがある。 それで これをね…

それで「何 勝手なこと やってんだ」と。

だけど 西郷隆盛 好きな人からすると
西郷には西郷の心の中があるわけで

これは やっぱり
両者の埋められない溝っていうのが

やっぱり あったんだろうと思うんですね。

そうか。 「私党にしか見えない」。
それとね もう一つね

川路が 明治9年のときにね
書いている中でね

やっぱり…

ヨーロッパも行ってね

西洋文明も
実際に見てきた人間からしたら

やっぱり 西郷および
その西郷の一党というもののね

あまりにも時代のね
この流れと逆行するようなね

そういうふうに見てるようですね。

それが 「残る」という選択肢に

つながっていったと思いますね 東京にね。

川路が導入に力を尽くした警察とは
どのようなものだったのか

こちらをご覧ください。

警視庁発足当初の
巡査の姿を描いた絵です。

加来さん
発足以前の治安維持組織と比較して

この警視庁の警察官には
どのような特徴があるんですか?

絵を見ていただくと分かるんですけども

2人ばかり
刀を差してる人たちがいますね。 はい。

(加来)武士が刀を差す。
で 廃刀令が出て

「誰も刀を差してはいけないよ」と。
まあ 役人の一部は別ですけれども

「軍隊以外の人間は駄目だよ」と
言われたのに

「警察官はそれを認める」と。

すなわち…

(加来)…が やっぱり
あったと思いますね。    ああ…。

じゃあ 是が非でも
帯刀というのは

認めさせたかった…?
なければ 優秀な人間は集まらない。

また だからこそ…

そういうふうな気がしますね。

それは大きいと思いますね。
警棒だけとは違いますからね。

それと やっぱり…

そういう中で 刀なんかの佩刀ですね

これを認めていくみたいな

やっぱり そういう配慮みたいなのが
あったんでしょうね。 うん…。

地位を ちょっと上げたいという…。
(家近)あるんでしょうね。

VTRにもありましたけれど

警察手帳も
このときに導入されたものだといいます。

やっぱりね 警察サービスっていうか

それの標準化っていうのが
やっぱり あると思うんですよ。

「標準化」?
標準化。 要するに

それまで 近代警察っていうのは
警察官が替わったら

違うことをやっちゃう…。
法治国家じゃないわけで。

それで 「警察官心得」とかを
何度も何度も復唱させるという形で

均質なものを作っていくと。

だから 一つは規律心を育てるのとね
案外 私

そういう手帳を持ってることで
仲間意識みたいなのがね

出来るのかもしれませんね。

結構 ばらばらな行動を取る…
各藩から来て

しかも お侍さんなんか
士族なんかの場合は

自立心 強くて
ばらばらな行動を取るから

それを均一にするっていうのは

非常に難しかったと思います
明治の当初はね。

ばらばらじゃ 治安維持も何も
できなそうですもんね。

久保さん 警察手帳って
どういう存在だったんですか?

久保さん自身にとって。

やっぱり こう…

(久保)お守りとして 大事に…。

暴漢だとか そういうようなものも

この警察手帳が守ってくれるんだ
というようなことでですね

危険な所に行くというようなことは
ありましたですね。

さあ その川路は くるべき戦いに備え
警察官をリクルートします。

そこで目をつけたのが 旧会津藩士など
戊辰戦争の敗者の人々でしたけれど。

加来さん ここには
どんなねらいがあったと感じますか?

東京の町っていうのは
真っ暗なんですよ。

それを警察官は
循環しながら回るんだけども

必ず いわゆる どぶに足をすくわれて
落ちてしまうんですね。

循環から帰ってくると まずやることは

風呂に入って きれいになると。
そういうことを

雨の日も風の日もやるわけですよ。
はい。

そういうことに耐えうる精神。
そうなりますと

武士の中でも 特に 負けたと思う…

そういうとこにも やっぱり
期待した部分はあると思いますね。

そうですね 忍耐力は必要そうですよね。
(加来)うん。

あとね…

当時の警察の
暗号や乱数表の研究っていうのが

戦後 進むんですけど
そうすると 1文字で元斗南とか…。

斗南っていうのは何かっていったら
旧会津藩士ってことです。

ですから 危険な団体として はっきり…

犯罪を犯しかねない
反乱を起こしかねないという目で

見てるわけです。 それをですね…

だから なぜ佐川と
そんなにすぐ交渉できるかっていうと

川路は もう 総力を挙げて

佐川たち 戊辰の勇者たちを
監視してたからです。

それを体制に取り込むことができると。
天皇の下に取り込むという。

しかも…

なかなか したたかです。
そうですよね 確かに。

さあ 川路は警察を率いて
西郷と いよいよ戦うことになります。

ご覧いただきます。

川路と西郷の対決の時が訪れた。

薩摩では 士族をないがしろにし

中央集権化を進める新政府への不満が
爆発寸前だった。

そこに 川路が密偵を派遣したことが露見。

私学校の士族たちの怒りに
火をつける結果となった。

2月。
武装した1万数千人が鹿児島で決起。

東京を目指し 出発した。

九州各地で
薩摩と行動を共にする士族が現れ

西郷軍に加わった。

西南戦争の始まりである。

西郷軍を阻止するため

警察官たちは 陸軍と共に各地で奮戦した。

今回は 後方支援にとどまらず

およそ1万3, 000人の警察官が
武装して従軍した。

激しい戦いを物語るものがある。

従軍した警察官に支給された 一冊の手帳。

よく見ると穴が開いている。

銃弾で撃ち抜かれた痕だ。

旧会津藩士 篠澤虎之助が

開戦からの日々をつづっていた。

最後のページでは
こんな思いを吐露している。

「薩摩兵は
西郷を尊敬するあまり

命を ささげてしまう。

天皇陛下の存在を
忘れるのは

卑しい考えであり
悲しくなる」。

篠澤は この銃弾が致命傷となり
命を落とした。

川路は 陸軍少将兼大警視として

警察官からなる別働第三旅団を率いて
西南戦争に参戦した。

当時 熊本城にいた
政府軍は

西郷軍に包囲され
孤立していた。

八代に上陸した川路は
熊本城の救出へと向かう。

しかし その途上
川路の旅団は 西郷軍の奇襲を受けた。

戦死した部下のことを聞いた川路は

激怒した。

「いざ
弔い合戦せん」と

部下たちを
叱咤激励。

兵を率いて反撃に転じ
西郷軍を蹴散らした。

川路の勝利を知った西郷は
こう語ったと伝わっている。

「川路は『兵の機』を
よく把握している。

敵ながら天晴なり」。

やがて 陸軍の増援部隊が加わり
勢いづいた政府軍は

西郷軍を敗退させ
落城寸前の熊本城を救った。

その後 火力と兵力に勝る政府軍は

西郷軍を鹿児島県との県境まで
押し戻すことに成功する。

しかし 6月。

終戦を待たずに
東京へと帰還することになった。

それには どんな理由があったのか。

やはり…

両方あると思いますね。

そりゃ やっぱり
川路だって人間ですからね。

開戦から7か月過ぎた 9月24日。

鹿児島の城山に追い詰められた西郷は
自害。

西南戦争は終結した。

大恩ある西郷を
裏切ったともいわれた川路。

当時の心情を知る手がかりとなる史料が
子孫の家に残されていた。

敗色濃厚の中で 鹿児島に戻った西郷が

士族たちに最後の決起を呼びかけて配った
回文である。

死の20日ほど前に書いた絶筆と
いわれている。

川路は この手紙を手に入れ

みずから
「西郷の直筆である」
と書き加え

手元に
置いていたという。

その方の…

…のであろうというふうに思います。

西南戦争から2年後の 明治12年10月

川路は 病のため 46歳で亡くなった。

大警視の地位にあったのは
僅か5年であった。

川路が眠る墓は
故郷の鹿児島ではなく東京にある。

西南戦争のあと

川路は 鹿児島の地に
足を踏み入れることはなかったという。

これは…

…という話を聞きました。

大義のために
私情をなげうったという川路。

しかし 鹿児島 そして 西郷を思う心は
終生 変わらなかったのかもしれない。

少し切ない結末になりましたが。

西南戦争には軍隊だけでなく
多くの警察官も従軍しました。

そんな中ですが
いよいよ鹿児島攻めという段階で

川路は 九州を離れることになりますけど
これは なぜなんでしょう?

一つはね 川路に対する

西郷先生を殺そうとした
不届きなやつだという そういうね…。

これは たぶん
私は誤解だと思いますけども

その憎しみがね
みなぎっていますからね

やっぱり それは…

もう一つ 面白いのはね 実は…

とにかく
このときの西南戦争に参加したのはね

中心人物は 全部 山縣有朋とかね

全部 長州なんですよ。
で 考えてみたらね

例えば 佐川官兵衛なんかとね
接近したっていうのは

要するに…

川路が 東京に帰らされたみたいな面も
少なからず あると思いますね。

それは 逆に言えば
川路が 「薩摩 薩摩」じゃなかった。

そういう 彼の ある意味では
すばらしさっていうんですか。

つまり…

西郷が自害した 僅か2年後に
川路も病気で亡くなりますが

その川路が すべての警察官に向けて
残したものがあるんですね。

こちらです。
ああ そうそう。 それ… これこれ。

…の復刻版なんですけれど

川路が書き留めた大量のメモを部下たちが
明治9年にまとめたものでして

中を見ますと こんな感じで。

ここ 「巡査心得」と書いてありますよね。

このように いろんな…

警察官としての心得が
書かれているんです。

久保さんは 警察官時代に
この「警察手眼」

読んでいらっしゃる
ということですけれど。

まあ 我々の時代…。 ですから
そういう授業がありましたので

そこで習っておりましたね。

今でも きちっと覚えてるっていうのは…

ありますね。
この警察官の心得。

これは刑事の心得。
刑事が犯人を捜すとき。

あるいは 群衆の中の…
ちょっと おかしな人間を見つけるとか

そういうようなものの糧として
現在も生きてると思います。

私は 例えば

一番 川路らしいなと思いますのは…

それこそ 「寝るな」と。
はい。

「気楽にするな」と。
「気楽にするな」と。

「昼も夜もね
いつでも動けるようにしとけ」と。

私も 4時間以上 たぶんね

睡眠をとるということは
なかったと思います。

要は 「警察手眼」のとおりに
寝てなかったわけですね。

はい。
すごいですね。

川路という人のね 本質的なものが
これに全部 入ってますね。

ものすごい真面目ですよ。

逆に言えばね 私 川路のちょっと嫌な…
っていうかマイナス点を言いますとね

私が 非常に皮肉を感じるのは

こういう言葉なんですね。

つまり「未然に予防する」。
で これはね

本当 究極の対処法だと思うんです。

ところが そのためにね
西南戦争の原因も作っていくわけですよ。

つまり 彼が部下を鹿児島に派遣して

結局 それで
西南戦争の原因を作っていくわけですよ。

だから 難しいもんですね。

歴史というのは
思いとは違う結果をね

招くものだなと思って
皮肉な感じしますね 私はね。

さあ 磯田さん 冒頭では

「公と私」ということを
テーマにとおっしゃってましたけど。

川路の中に やっぱり
「公と私」は すごいですよね。

非常に 今 ちょっと
少ないかもしれないから

大事なことなんですけど。

だから その…

川路は 公と 実は考えてたものも…

あれ
選挙を経てるわけでもない組織なので

ひょっとしたら
川路が持ってる…

そういうことも
考えながら

やっぱり もうちょっと広い視点でね
考えてく。

で もう 川路は もう一方で 本当は…

これ 非常に
健全な関係ですよね。

だから 民が
自分たちのために
警察を養い

警察は 養われると思って 全力でもって

民を守るという
良好な関係っていうものを

我々は
「私」に偏り過ぎたり

「公」に偏り過ぎたりしながら たどって

良い国家っていうか 「公」…

警察力っていうものについての あれを

進めてきてるんだと思うんですけどね。

今日は 皆さん ありがとうございました。


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