先人たちの底力 知恵泉「菅原道真 “オタク男子が自分らしく生きる極意”」 後編は学問の神様・菅原道真…



出典:『先人たちの底力 知恵泉「菅原道真 “オタク男子が自分らしく生きる極意”」』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉「菅原道真 “オタク男子が自分らしく生きる極意”」[解][字]


職場で生きづらい日々を送る人は多い。それは千年前の平安時代も同じ。今回は代表的な才人2人を取り上げ、“自分らしく生きる極意”を探る。後編は学問の神様・菅原道真。


詳細情報

番組内容

職場で生きづらい日々を送る人は多い。それは千年前の平安時代も同じ。今回の主人公は、学問の神様・菅原道真。優秀さゆえ藤原氏から疎まれ、大宰府に左遷され非業の死を遂げた挙句、怨霊に。悲劇の秀才とのイメージが強いが、実は国家崩壊の危機にひんする日本を救った敏腕政治家でもあった。“学問オタク男子”だった彼だからこそ成しえた仕事術とは?言葉に命を込め、混迷の世だからこそ、正論に価値を見出した道真の知恵に迫る

出演者

【出演】小説家/直木賞受賞者…石田衣良,川村エミコ,京都産業大学名誉教授/モラロジー研究…所功,【司会】新井秀和




『先人たちの底力 知恵泉「菅原道真 “オタク男子が自分らしく生きる極意”」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

先人たちの底力 知恵泉「菅原道真 “オタク男子が自分らしく生きる極意
  1. 道真
  2. 正論
  3. 本当
  4. 学問
  5. 漢詩
  6. 言葉
  7. 勉強
  8. 文章博士
  9. 讃岐
  10. 菅原道真
  11. 自分
  12. 知識
  13. 大事
  14. 知恵
  15. 地方
  16. 中国
  17. 意味
  18. 宇多天皇
  19. 時代
  20. 大学


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勉強って 何のためにするの?

今回は そんな疑問が吹っ飛ぶ極意
お教えします。

今 平安時代を舞台にしたコミックが
若者たちの人気を集めています。

主人公の名は…

若き日の学問の神様が
相棒の在原業平と共に

都のさまざまな怪異を解き明かしていく
物語です。

特に人気なのが
道真のキャラクター。

ストレートな物言い 人づきあいが苦手で
貴重な書物には目がない。

まさに学問オタクな少年。

実際の道真も同様でした。

ひたすら学問の道を究め

32歳で学者官僚
文章博士に選ばれます。

しかし 42歳の時 予想外の左遷。

都から
四国 讃岐の国司として

地方に赴任することに
なるのです。

道真が目の当たりにしたのは
困窮した農民の姿。

地方政治が乱れ
国の行政システムが崩壊していたのです。

この時 実に道真らしいやり方で

この状況を切り開こうとします。
それが…

道真は 言葉で
政治課題を浮き彫りにし

言葉を武器に
地方政治を立て直すべく

さまざまな改革を提言。

敏腕政治家となっていくのです。

そんな菅原道真の知恵を読み解くのは…

石田さんの小説は
いじめや貧困 孤独死などを

少年たちの目を通して
見つめ直した作品や

誰にも愛されたことがなく
殺人者となる主人公を描いたものなど。

社会が抱える身近な問題を
小説で問い続けています。

人間が作った最も強力な道具は
言葉だという石田さん。

使い方によっては強力な武器になると
言葉の力を信じています。

そんな言葉に熱い情熱を持つ石田さんは

言葉で世の中を改めていこうとした
菅原道真の知恵を

どう読み解くのでしょうか。

道真っていったら
やっぱ 学問の神様ですけども

衣良先生は お参りとか?

僕は お参りっていうよりは
受験の時に うちの父親が

お守りを買いに行ってくれましたね。
「ほら これ」って言って。

まあ 本命は落ちましたけど。
あら。 私もね その道真の神社で

お祈りした鉛筆を使って 落ちましたね。

意外とね。
(笑い声)

ただ 政治家っていうイメージが
ちょっと なかったんですけども。

そうですね。 特にね 今の紹介だと
敏腕政治家っていう

ちょっと気になるワードが
出てたじゃないですか。

こんばんは。
(3人)こんばんは。

お待ちしておりました。 所 功先生です。
お邪魔いたします。

よろしくお願いします。
どうぞ どうぞ。 いらっしゃいませ。

お待ちしておりました。
何か 菅原道真の回だと

すっごい上品ですね。
ねえ。 何か品があっていいですね。

よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。

いや~ 今 ちょうど 菅原道真
話をしていたんですけれどもね

歴史学者ということで 所 功先生に
今日 お話を伺っていこうと思うんですが。

先生は 元号の研究者としてもね。

令和に変わった時に
解説されてたんですよね。

恐れ入ります。
ちなみに道真と元号っていうのも

何か こう関係があるんですか?
もう大ありでして。

もちろん ご本人もさることながら
そのご子孫が 代々 学者でしたから

例えば 平成という元号が
ついこの間までありましたけども

あれは
幕末の慶応という年号が決まった時に

平成という案も出たんですね。 それを…
この平成。

この平成を最初に出したのが
菅原道真のご子孫なんです。

へえ~! すごい。
江戸時代の元号の案は ほとんど全て

菅原道真のご子孫なんですね。
それは どうしてか。

漢籍に詳しい だから 漢籍から

いいフレーズから
いい文字を取り出す仕事を

ず~っと やってこられている。
へえ~。 そのプロだったんだ。

先生のネクタイ 令和じゃないですか。

これはね 実は
この間 令和になりました時に

たまたま 私の娘がね こんなものが
出ているよと 買うてくれました。

こんなもの すぐ出るように
なったんですね。 びっくりしました。

先生
道真は官僚 政治家でもあったっていう

これ 意外だなと思って。

知らない方もいらっしゃるんじゃないかと
思うんですけれども。

そうなんだ。
要するに
大体 7世紀 8世紀ごろからできた

律令国家においては
要するに 社会に出るということは

役人になって 国家なり地方に尽くす
ということでしたから

それが本命で
そのためにも学問は必要であったし

あるいは漢詩や漢文
和歌ができるということが

必要だったという意味では
政治家が本職で

いわば そのためにも学問ができた
歌が詠めたということだと思います。

知らなかったですね。
ねえ。 さて 学問ということでね

今日 ちょっと いろいろ見ていこうと
思うんですけれども

ちょっとね 私 最近よく読んでる
こういう雑誌がありましてね。

まあ 「週刊店主」っていう。
ここを ちょっと見てましたらね

こんなデータがあったんで
ちょっと こちらに大きくしてみました。

載ってます? 「週刊店主」に。
うん 載ってたんです。

これ 20代から30代の働く男女に

アンケート調査をしたもの
なんですけれども「学生時代の勉強は

仕事に役立っていますか?」
ということに対して

「はい」と答えた人は 38.9%
およそ4割ということなんですね。

意外です。 今 後悔してますもん
勉強あんましてこなかったこと。 何かね。

こういったデータも 実はありまして。

学校以外での1日の勉強時間。

高校生も小学生も
ほとんどの人が30分から1時間…。

うわ~ そっか。
ということなんですね。

あと これに もう一つ加えるなら
あれですね。 大学生の1日の読書時間。

ゼロが もう50%以上ですね。
え?

だから もう本も…。 勉強もしないし
本も読まないっていうのが

割とスタンダードな大学生になってる。
そっか。 何か でも意外です。

日本人イコール勤勉っていうイメージが
あったので

もっと勉強してたんじゃないかなと
思います。

ただ 僕 ここで
あんまり言いにくいんですよね。

僕も これでした。
30分じゃなくて青の方ですね。

30分未満。        ゼロから30分でしたね。
すごい。 でも それで

大学とか行かれたんですか?
いや もう学校の勉強が本当に

あんまり好きじゃなかったんですよ。
で 小学生の時に作家になりたいって

思ったんですけど 作家になる勉強って
体系的にないじゃないですか。

なので 適当に乱読 積読して
書いてみるぐらいのことしかなくて

気が付けばっていう。
でも ちょっと寂しい感じはありますね。

いや そうですよね。
道真公が これ見たら何て言いますかね?

怒るんじゃないですか。

そんな道真の知恵を味わう
今夜のメニューなんですが。

お願いします。
こちらです。

漢学が入ってますね。

まあ 漢詩を詠んだ
天神様ということでね

漢漢学学 天神飯… 天津飯。
天津飯… 天津飯なんですけど。

天津飯はどこから? まあまあ いきます?
そ… そうですね。

祭られているのは
学問の神様 菅原道真。

受験生なら誰しもあやかりたくなる
日本史上きっての秀才です。

菅原道真は 845年 平安時代中期に

ここ京都で生まれました。

道真の家は代々学者の家系で
自宅で開く私塾には

教えを請う学生たちが列を成すほど
盛況でした。

祖父と父は 中国の学問…

トップクラスの学者官僚
文章博士として活躍していました。

道真も…

神童と称されたといわれています。

当時の日本は…

道真が生まれる30年ほど前に

唐から最先端の仏教だった密教が

空海や最澄によって
もたらされ

政治 経済や法律の規則も
中国の律令がお手本。

公的な文章は全て漢文で

優れた漢詩文を作ることが
国家の大事業であり

国が栄える秘けつであるという
中国の故事から

漢詩を作る能力も重要とされていました。

道真は 18歳で官僚育成機関である
大学に入学します。

道真の最終目的は 祖父や父と同じ
学者官僚として活躍することでした。

道真の漢詩 漢文の才能は
当時 既に評判が高く

天台宗の高僧からも
代筆を頼まれるほどでした。

ひたすら学問に没頭し 妻子を得てからも
勉強時間が削られるのを惜しんで

友や家族と親しむ時間も断ったと
つづっています。

努力が報われ
道真 26歳の時 異例の若さで

最難関の国家試験 方略試に合格します。

古代の教育史を研究している…

秀才試に合格しないと
文章博士にはなれないっていうふうに

平安時代にはなっていくんですけれども
秀才試の合格者っていうのは

非常に少なくって 古代の…

道真は 外国使節を接待するポストや
財務 税制をつかさどる民部省など…

33歳で念願の文章博士に。

学問は 菅原家の家業と
誇らしげに語っています。

しかし 学問を志す者にとって

文章博士は羨望と嫉妬の対象。

父 是善が心配する様子を
道真は漢詩に詠んでいます。

「父は驚き危ぶんで こう言った。

『そなたが
一人で この職に

たえてゆかねばならぬのを思うと
胸が痛む。

文章博士は
官賤しからず

俸禄も軽くない。

私が文章博士になった時は
身を慎んで人の思惑を恐れ

憚っていたのだ』と」。

父 是善は自らが文章博士の時は
常に学者仲間と交流を深め

何事も穏便に事を運ぶよう
努めたといいます。

ところが息子 道真は
自分が正しいと思ったことを

臆面もなく相手にぶつける性格。

それゆえ
孤立しないか心配だというのです。

道真は
自分にも他人にも厳しい性格でした。

道真が友人に送った手紙です。

知識人は 公私を問わず議論を好むが

基本が しっかりしていないから…

それ以外の者は 酒に酔って大騒ぎし
人を罵倒するばかりだ。

こんなこともありました。

大納言 藤原冬緒を誹謗する匿名の詩が
出回った時

巧みな漢詩ゆえに
犯人は道真ではないかと

疑いをかけられます。

勉強はできるけど 人の機微には疎い。

つきあいづらい人物と嫌厭された道真。

風当たりは強くなっていきます。

そして 42歳の時
予想外の出来事が襲います。

文章博士を解任され
地方行政官である国司として

讃岐の国 現在の香川県への赴任を
命じられたのです。

道真は あまりのショックに声を失い
号泣したといいます。

しかし この讃岐行きこそが
道真の人生の転機となるのです。

瀬戸内海に面した…

地元で歴史ガイドをしている…

今も 道真ゆかりの場所が多く残り
語り継がれているといいます。

あそこ 府中ダムというダムがあります。
それでダムが ちなみにね

そこに こんもりした
ほこらのような神社があります。

あの下の一帯が国府です。

道真が赴任した讃岐の地は
ため池が各地に広がる土地。

昔から この地は水不足で
農民たちは悩まされてきました。

天変地異になりやすいような土地柄で

たまたま あの年は 仁和の年は
そういう大きな干ばつが起きて

もう 民が苦しんで苦しんで。

道真さんが民が苦しんでいるのが見える

その場で見える原点で
来られたと思いますね。

道真が目にしたのは…

雨不足で農作物が育たず 税金が払えない。

土地を捨てて逃げ出す者もいるありさま。

地方政治は乱れ
国の行政システムは崩壊寸前でした。

…が そこにあったのです。

この困難な現状に対し 道真は
彼でなければできない手段をとります。

それは…

道真は讃岐各地に足を運び
「寒早十首」という連作漢詩を作りました。

最も苦しい境遇にある人々を
言葉に託したのです。

苦しさのあまり
田畑を捨てたが
連れ戻された農民。

家族を亡くした
老人 子どもなど

過酷な運命に翻弄される
十の人々をテーマに

冬の寒さが最もこたえるのは誰かと
漢詩で問いかけたのです。

「冬が来て 寒さが いち早くこたえるのは
誰であろうか。

それは きこりたちである。

いつになったら働かないで隠居できるか
という当てもなく

毎日 せっせと木を切り出し
重い木を担いでいる身の上である」。

「雲がかかっているような
険しい岩山を登って働き

帰る家は 割れた甕の口を
窓にしているような粗末なものである。

そうやって切ってきた そまきを
安く買いたたかれるので

家計の足しにはならず
妻も子も飢えて しきりに病気になる」。

それを知る道真の詩も 民衆の苦境を
ただ言葉にしただけではなく…

更に かつてない大干ばつが
讃岐地方を襲った時

道真は 自ら山の頂上に登って
雨乞いをしたといいます。

それくらい
生きて帰れないぐらいの感じの気持ちで

上がってきたんじゃないですかね。

ここが 道真が雨乞いをした磐座。

道真は 大干ばつは
己の政治が悪いせいだと

7日7晩 雨乞いの祭文を
読み上げたといいます。

「城山におわす神よ
わが願いを聞き入れてもらえば

讃岐の人民は 末代まで敬うだろう。

だが もし
聞き入れなければ

人民は神を疎んじ

その尊厳は 地に落ちるであろう」。

神をも脅すような道真の迫力ある言葉。

たちまちにして
雨が降り注いだといいます。

道真さんいうたら もう今の時代は
受験勉強でね 「道真さん 道真さん。

天神さん 天神さん」言うけどな
地元は やっぱり ここにおられた

ここで仕事を業務をしてたという
そのことが じかに伝わるというね。

雨が降っても
道真さんのおかげで降ったとかさ

昔の古老は言いますけどね。

民を思い 民の暮らしに進んで分け入った
讃岐での日々。

不本意な赴任先で学び 魂を得た言葉が

その後の道真を
変えていくことになります。

う~ん。 いや~ でも
これ考えたら すごいですよね。

香川県知事が1週間 雨乞いをするって
今だったら考えられないですもんね。

そういうことになりますね 今で言うとね。

お役人って やっぱり
上を向いて仕事をする人と

下を向いてする人がいると思うんですけど
道真公は やっぱり下の人

庶民のことを ちゃんと見てできた人
だったんだなっていうのがありますね。

すごい民に寄り添ってたという。
ねえ そういうこと聞くと

道真って やっぱり優秀だったのかなって
思ってしまいますけれども。

まあ いろいろ例えがありますけどね。

例えば 藤井聡太さんみたいな
人だと思うんですよ。

あの将棋の? もう ずばぬけてね
お小さい頃から

例えば 今 ご自身が編さんされた
漢詩文集がありまして

最初の漢詩が11歳の時

それがすばらしい
梅を詠んだ詩なんですね。

そういうふうなことが
小学校 中学校にあたる頃から

おできになった。
それが抜群だったと思います。

この時代は 特になんですけれど…

言葉の力が そのまま… 例えて言うと
先進国 中国の

民を治める方法の
一番の根幹にあるみたいなものですから。

もう今で言えば あれじゃないですかね
例えば アメリカの

超IT企業の先端のところで
勉強してくるっていうのと

おんなじだと思うんですよね。 ですから…

それによって一生が左右された
っていうことだと思うんですけれども。

すごいですね。
でも その文章博士ですか?

そこのころの道真は
ちょっと困った人ですよね。

お世辞が全く言えないタイプじゃ
ないですか。   なるほど。

だから 学問仲間の人に
ちょっと相手の気持ちが分かんなくて

鈍感すぎて嫌われちゃった部分
っていうのは あったんですかね?

多分そうでしょうね。
念のためですが 文章博士というのは

今で言う文学博士とは全く違うんです。

要するに文章道という
いわば 今で言えば東大の文学部の

博士というのは 教授ということですから
それは2人しかいないんですね。

大学は そもそも1つですから
そこで2つの席を占められるのは

本当に もう至難の業だったんですが
当時は…

そういう中で でも やっぱり…

なるほどね。 要するに学者は
そんなに身分は高くなかったと。

そうですね。
身分が高くなくて
そういう地位に就くと

周りからは やっかまれますよね。
そういう点では やっぱり…

道真は 今まで知らなかったけども
実際 讃岐行ってみれば

本当に山にも川にも いろんな人がいて

それらの人々が本当に苦しい思いを
してるということを見ると

もう なんとかしなきゃいけないという
そういう思いを持った。

それを さっきから出ておりますように
やっぱり漢詩に詠んで

それで これをやはり
中央に訴え出ようという気持ちも

あったんだろうと思いますね。
その漢詩というのがね

こちら
「寒早十首」ということなわけですよね。

まあ 困窮する十種の人々というのが
主人公になっているわけなんですよね。

本当に あそこにありますように
3番目に お年寄りとか

4番目に本当に若くして亡くした人とか

いろんな立場の人に会ってるわけですね。
それと声を聞いてるわけですね。

それは本当に
都にいては分からなかったことを

実際 体験してみて
実感したんだと思いますね。

それをちゃんと
「こういう苦しんでる人がいますよ

どうすんですか? 都さん」
ってことですもんね。

そういうことです。

すごい。 何か好きになってきました
道真のこと。

なるほど。
ただの頭がいい人じゃなかったんですね。

非常に情の深い人だろうと思います。
それに漢詩自体が また難しいですからね。

僕たちは何も知らずに
ああやって見てるから

まあ 漢字が並んでるだけだって
思いますけど 細かい規則とかが

いっぱいあって
そういうのを全部満たした上で

すばらしい漢詩にするんですが でも
テーマが貧しい人であったって考えると

二重 三重に 自分の力をうまく使ってる
人だなっていう気がしますね。

それを受け取った側の中央の天皇であれ
あるいは朝廷の人々も

すばらしい漢詩ですから それなりに
尊敬をもって読むという意味で

やっぱり普通の…

すごい。
作品としての力があるからこそ

訴えられるっていうことなんですね。
説得力があったってことですかね。

でも何か 作品のトーンとしては…

なるほど。
暗い つらい どんなことでも耐えている。

つらい つらい生活があるっていう
話なんですけどね。  そっか。

今でも ともかく…

道真だと それをまともに考えて
学んだ学問をそのために生かそうとした。

よく道真という人は
和魂漢才の人だといいますよね。

和魂漢才っていうのは?
和魂漢才 つまり日本人の心

中国人の知識といいますか
…なことで いうんですが

道真としては 中国から入った知識を
十分に身につけて

それを どう使ったらいいかという
その知恵 その応用力というものこそが

大事で それは しかし
その前提に やっぱり知識があって

いろんなこと知っておって
それを そのままいかないということに

気が付いて じゃあ どうしたらいいのか
ということを工夫していく。

結果として そういうことができたから
和魂漢才の人だと

いわれるようになっているんじゃ
ないかなと思います。

でも そう考えると勉強しとくことで
こういう人のためになれた。

誰のためにって
さっきVTRであったけど

そこの やっぱ
みんなのためにってところに

道真は たどりついたってことですもんね。

あの 本って読んだら何の役に立つのって
みんな思うじゃないですか。

でも ず~っと読み続けているうちに

本当に いろんなことに
役に立つんですよね。

ある種 一番大きいのは
知識が増えることじゃなくて

生き方を
まるまる人に手渡せることですね。

手渡せるっていうのは?
こうして生きていて

時々 本当に迷うことが
あるじゃないですか。   あります。

どっちにしようって。 でも その時に
昔読んだ本で あの本の主人公は

こういう かっこ悪いことは
選ばないよなっていって

正しい道に行けるみたいなのが
一番の本の力なんですよね。

確かに。 それを知ってるっていうことで
選択肢が増えますもんね。

はい 選べる数が増えるのと 何でしょうね
すごく強い強制力が働くんですよね。

この讃岐行きによってね
パワーアップした道真ですけれども

今度は どんな知恵があるのか
味わってまいりましょう。

道真が讃岐に赴任して1年後
都で大騒動が起こります。

新たに即位した宇多天皇が

関白に藤原基経を任じました。

ところが 天皇の命を受け…

文面に記された
「阿衡」。

もともと中国で皇帝を補佐する
重要な役職を示していましたが

基経は 位は高いが
実権のない名誉職ではないかと…

天皇の補佐役である関白職の空白により
重要決裁を仰ぐ書類は停滞

年中行事も支障を来す始末。

都は大混乱に陥ります。

この状況を讃岐で伝え聞いた道真。

「自分の信じることを言わないのは
おもねり へつらうことになるので

あえて諫言を申し上げます」。

関白に対する厳しい苦言は
命懸けの覚悟が必要でした。

正しいと信じることを貫こうとする道真。

その迫力に 基経は強く心を動かされ
政務に復帰。

正論が混乱した政治を収めたのです。

4年間の讃岐での生活を終えた道真は
46歳で帰京。

律令制の崩壊で
地方から お金が入らないため…

阿衡事件で道真に絶大な信頼を寄せていた
宇多天皇は

秘書官のトップ 蔵人頭に登用します。

翌月には式部少輔
その翌月には左中弁と

さまざまな役職を兼務し

4年後には 異例のスピードで
中納言にまで出世した道真。

ついに重要閣僚の一人として…

この時 道真らしい鋭い正論を
次々に繰り出します。

その一つが…

このころ 唐は ちょう落し…

道真は 慣例を改め 成果の薄い海外派遣を
停止に踏み切ることが

今の国家のためになると判断したのです。

もう一つ重要な課題が…

当時 多くの官僚は諸国に検税使

今で言うマルサを派遣し
地方で余っているものを

中央の財源に補填しようという意見が
優勢でした。

しかし 道真は猛反対しました。
その記録が残っています。

「都から検税使を派遣しても
煩わしいだけだ」。

「地方長官の国司が

民を治めるすべを失ってしまう」。

財源は余っているように見えても
自然災害への備えなど

現地それぞれの理由がある。

地方の現状を知る国司に裁量を与える方が
大事だと説得したのです。

自ら経験したからこそ言える 道真の正論。

揺らぐ国家で大きな役割を担う中

宇多天皇が譲位し 醍醐天皇が即位。

道真は 右大臣となります。

右大臣は
律令制でナンバーツーの地位。

学者の家柄では異例の抜てきでした。

しかし…。

突如 天皇廃位の嫌疑をかけられ
その座を追われます。

矢継ぎ早の出世に嫉妬と危機感を抱いた

左大臣 藤原時平の陰謀といわれています。

道真は 都から遠く九州に流され

2年後に59歳で亡くなりました。

左遷先の太宰府では 最後まで
恨み言は言わなかったといいます。

その後 朝廷は
更なる財政改革を進めました。

安定した世の中のしるべとなったのは

現実に即した 道真の正論とも
いわれています。

はあ~ 勉強になります。

でも 波乱万丈ですね。
そうですね。

何か だって今まであった正論も
あったわけじゃないですか。

それを道真の正論で
覆していったってことですよね。

すごいことをされてたんですね。
いや 本当ですね。

大体は ああいう… 諫言ですか
うまくいかないことが多いので

今回は珍しく うまくハマりましたね。
そうですね。

やはり道真が
宇多天皇に出会ったというのは

認められたことの意味は
大きいと思います。

その上で やはり言うべきことを
言われた。

実は最前 阿衡の紛議の話が
出ましたけれども

宇多天皇自身が こういうことを
言っておられるのですね。

道真は 自分に対して
実にズケズケと直言をすると。

自分としては こうだと思っても
なかなか聞いてくれないと。

だからこそ この正論が
実にありがたいと。

宇多天皇というのは そういうふうに

自分に わざわざ苦言を
直言してくれることが

重要だと考えられて
そういう人をとり上げられた。

日本中のトップに聞いてほしいですね
今の話。

もう何て言うね…
めったにいないんですよ そういう人。

それだけの度量のある天皇がおられ

知識と経験のある道真がいた
ということが

あの時代に ともかく
ある意味のプラスをもたらした。

混迷の世だからこそ 正論に価値がある。

お二人 どう思われました?

今の時代にとって
すごく大事なんじゃないですか。

今の時代って
まあ SNSなんかもそうですけど

フェイクニュースの方が
大きく扱われますよね。

道真の知恵は大事だなって気がしますね。

私は 結構 正論に苦しめられてきて
生きてきたタイプというか。

何か 「いや 正論は分かるけど…」って
思っちゃうタイプなんですよね。

ああ~。 それ1つ挙げるとしたら
何ですか?    例えば じゃあ

大学3年生の時に
就職活動ってあるじゃないですか。

もう卒業した大学の時の先輩に
私は芸人になろうっていうので

そこに履歴書も送った。 でも
まだ どうなるか分かんないから

就職活動もしてたんです 3年生。
でも その卒業した先輩に言わせれば

企業は そんなの迷惑だっていう。
それ正論。 でも いや そんな生き方…。

いや 分かるよ。
言ってることは分かるけど

私も どっち選ぶかっていう
私の選択肢もあるじゃないですかという。

本当に そのとおりだね。
でも それ正論じゃないんじゃないかな。

要するに相手の立場に立っても
考えていないし

道真は 貧しい人だったり
地方の立場に立って考えた上で

何か言ってるじゃない?
本当の正論を道真は言ってくれてる…。

やっぱり共感性だったり

より広く その正論が
当てはまるようなことを考えた上で

何か言ってるって人じゃないんだよね。
だから 今は正論 正論って言って

正論じゃないことを正論って言ってる人が
多すぎるんですよね。   そうなんですね。

だから惑わされちゃいますね。

私はね 正論の3要件というふうに
まあ 仮に言うならば。

ほ~う 3つですか。
正論とは何かという時に

さっき出てますように
やっぱり大事なことは よく言葉で…

知識が豊富であることは
大事なことですよね。

けど そこに仁愛の情といいますか
思いやりがあるということ。

そして それを勇気をもって
言ったり やったりする。

知と仁と勇というものが
兼ね備えることは 結構難しいんですよ。

要するに さっき出ているように
正論らしく見えるんだけれども

知識だけで言ってるとか
あるいは 今度は蛮勇で

ともかく やっつければいいということで
言ってる。 けど そこの中に

仁愛の情 思いやりの情がなければ
本当の正論にならないと思うんですね。

なるほどね。
知があり仁があり勇があって初めて

言ってることが なるほどなと
人の心に届くようなものになるんじゃ

ないかというふうに思います。
うわ~ でも なかなか難しい。

それは本当 勉強も必要だし。
もう最終的な目標ですね。

経験も必要だし。
でも覚えておきたいですよね。

覚えておきたい。 そして言う勇気ね。
そこも なかなかね 難しい。

ねえ。 その道真の男の人生といいますか
そういう視点で見ると…?

いや 僕 特に最後に
太宰府に流されてからの2年間で

恨み言を何も言わなかったっていうとこに
しびれますね。

学問するとかいうことの意味合いを
あるいは人生というものを

この世限りで考える場合と
もっと長いベクトルで考える場合と

違うと思うんですね。
なるほど。

道真の人生などから学ぶことは
生きてる間の幸不幸ではなくて

長い目で見ると この1, 000年以上たっても
なお学問の神として仰がれるのは…

この世だけでなくて あの世まで

子々孫々まで考えながら生きていくことに
やっぱり意味があるんだと。

なかなか そうはいかないんですけども。
すごい。

しみじみしますね。
いや~ 本当に。

道真さんから
こんなに学ぶことがあったなんて すごい。

おなかすいちゃいましたよ。
ペコペコです。

うん そうですよ。
はい。

何かありますか?
え? もしかして これですか?

天神飯? 天津飯? あっ う~ん…。

あの 私ね
料理に魂を込めるタイプなんですよ。

なので あまり妥協した料理
出したくないので

またってことにしません?
(笑い声)

そっか~。
楽しみにしております。

ねえ 頂きたいんですけど。
今日は
ご来店ありがとうございました。

昨日は 梅酢を使って
さっぱりと夏ずし。


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