英雄たちの選択「名人円朝 新時代の落語に挑む!~熊さん八っつぁんの文明開化~」怪談ばなしで、幕末から明治初期…


出典:『英雄たちの選択「名人円朝 新時代の落語に挑む!~熊さん八っつぁんの文明開化~」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「名人円朝 新時代の落語に挑む!~熊さん八っつぁんの文明開化~」[字]


「怪談牡丹燈籠」「真景累ケ淵」などの怪談ばなしで、幕末から明治初期に人気を集めた落語家・三遊亭円朝。文明開化の新時代に、彼に迫られる選択とは?


詳細情報

番組内容

文明開化の時代になっても、寄席は大衆のメディアとして、人気を集めていた。これに目をつけた新政府は、当時、人気実力ともに群を抜いていた円朝を「落語家頭取」に任命、庶民を文化的に啓蒙する役割を担わせようとする。新たなはなしの創作を迫られた円朝。引き続き怪談ばなしにこだわるか立身出世物語に大きく舵を切るか?今回は、“熊さん八っつぁんの文明開化”。新時代の演芸に挑む名人三遊亭円朝の奮闘に迫る。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】高橋源一郎,中野信子,須田努,【語り】松重豊



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英雄たちの選択「名人円朝 新時代の落語に挑む!~熊さん八っつぁん
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  2. 寄席
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  11. 怪談
  12. 高橋
  13. 選択
  14. 落語家
  15. 怪談噺
  16. 須田
  17. 創作
  18. 塩原多助
  19. 塩原多助一代記
  20. 政府


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(林家正雀)カラーン コローン
カラーン コローン。

怪談噺の名作…

東叡山は 寛永寺
聞こえてまいりました 八つの鐘。

辺りの しじまを破って

ボーン。

カラーン コローン カラーン コローン…。

恋焦がれる男のもとへ夜な夜な訪れる
女の幽霊の駒下駄の音。

この名作を作り上げたのが

近代落語の祖と称される…

ここに その創作の糧となった
興味深いものが秘蔵されている。

どうぞ こちらの…。
(杉浦)はい 失礼します。

はあ~! いろんな絵が…。

ああ…
ちょっと おどろおどろしいですね。

壁一面に飾られた
幽霊画の数々は

円朝が 生涯をかけて
集めたものだという。

例えば この絵なんていうのは
江戸時代のものですので

円朝が
当然 生まれる前のものですけれども

そちらなんか見てみますと
円朝の噺の絵ですから

それは 2通り

何か 絵から
インスピレーションをもらって

噺を作ったものもあるし

「自分の噺に合わせて絵を描いてくれ」と

画家に注文したものも
あるんじゃないでしょうかね。

幽霊を通して 人の情念を見つめ

作品に練り上げた円朝の怪談は

幕末の江戸で 大当たりとなった。

だが 文明開化とともに
新たな壁が立ちはだかった。

新政府は
退廃的な寄席の演芸を厳しく統制。

円朝に こう命じた。

「怪談噺など 以ての外。

今後は 庶民を教え導く噺をやれ」。

果たして 政府の要請に応えて

大衆の人気を勝ち取る
芸ができるのか?

困難に直面した 円朝の葛藤に

現代の論客が迫る。

優れた作家の特徴は 一つあるんですよ。

移り変わる時代 ものすごく暴力が
覆っているような時代の無意識を

彼は感じ取ることができた。

江戸時代に すごい言われてた
身分の「分」。

その「分」の破壊っていうのが

やっぱり 底流に
彼の作品の魅力があったし

「分」を破壊する時代の
ひょっとしたら芸術だったかもしれない。

今 分かった。

「英雄たちの選択」 今回は
「熊さん 八っつぁんの文明開化」。

新たな時代の演芸に挑む
名人 三遊亭円朝の奮闘に迫る。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択

そのとき 彼らは何を考え 何に悩んで
一つの選択をしたんでしょうか?

さあ 今回なんですが
こちらから番組をお送りしています。

おお 寄席だ!
そうなんです。

実は 僕
落語 ちょっと 関わりありまして。

関わりがあるんですか?
ええ…。 家に 落語家を呼んで

近所の子どもを集めて
一緒に聞くっていうのが

趣味の一つなんですよ。
ええ!

大体 人間 先生って言われるようになると
どこか おかしくなるので

落語家を呼んで
人間としておかしくなるところを

正そうという そういう企画なんですけど。
どういうこと…? ええ。

ということで
落語家が よく家に出入りしてですね。

そうなんですか。
じゃあ お好きなんですね。

まあ 聞くのは はい。
うん うん うん。

今回の主人公は この方なんです。

こちら 近代落語の祖といわれる
落語家…

落語家が「英雄」というのは
ちょっと これまでとは変わって…。

そうですね。 英雄から
一番遠いかもしれませんね 落語家は。

どういうことなんでしょう?
円朝が生きたのは

幕末から明治にかけての
激動の時代ですよね。

私 円朝には
あんまり詳しくないんですけど

2つぐらい 歴史的意味があるかなと
思ってるんですね。

一つは たぶん…

例えば 落語で
物事を描写しますよね 状況を。

これは 口語で描写するっていうのを
見てると

ひょっとしたら 落語が
文学を はるかにリードした形で

落語の筆記とか
そういうようなものを見る中で

きっと文学者たちも
後を追いかけたんじゃないかってぐらい。

あと もう一つは…

電波がない時代ですよね
幕末 明治っていうと。

ところが 大きな会場に集まって
今みたいな ホールみたいな所で。

みんなで 何か 一人の人がしゃべる…
噺を聞くっていうのは

ひょっとすると
これは… 大衆向けメディア。

だから
非常に気になるところなんですよね

明治の落語の意義っていうのは。

じゃあ 単なる芸 エンターテインメント
というわけではないんですね。

なさそうですね どうも。
じゃあ 明治維新という時代の

大きな変化に直面した三遊亭円朝

一体 どういう人物だったのか
まず 見ていきます。   見ましょう。

落語家 三遊亭円朝とは
いかなる人物なのか?

明治時代にまとめられた
伝記に基づいて

円朝本人に語ってもらおう。

はい あたくし 三遊亭円朝。

天保10年 江戸の湯島に

音曲師だった 父親の子として
生まれました。

当時 江戸は 落語が大流行してましてね

寄席も どんどん増え
300軒以上もありました。

噺家は たわいもない滑稽噺や
卑わいなバレ噺で ご機嫌を伺って

ちまたのお職人衆は それを聞いて
日々の憂さを晴らしてました。

あたくしの初高座は なんと7歳でしてね。

芸名は 「小円太」と申しました。

広い江戸でも
子どもの噺家は珍しいってんで

大評判になりました。

この興奮が忘れられなかったんですね。

おやじの勧めで
二代目 三遊亭円生師匠に入門。

噺家としての修業を始めたんです。

ところが 息子が
卑しい芸人になっちまうってんで

おふくろが猛反対。

2年ほどで 実家へ連れ戻されちまいます。

じゃあ 次に 何をしようかってんで
見つけたのが 浮世絵。

奇想天外な絵で人気だった
歌川国芳って絵師に弟子入りをして

師匠からも 「筋がいい」って
期待されてたんですがね。

ところが しばらくして
あたくし 患っちゃいましてね。

それで 浮世絵の修業は おしまいです。

やはり 自分には噺しかない。

噺家の道に戻り 17歳のとき

今までにない名跡 「円朝」を名乗りました。

誰かの跡を継ぐんじゃ 面白くない。

自分の力で 名人への道を
切り開こうって決めたんです。

噺家としての実力を
めきめきと高めた円朝は

21歳で 一流の寄席のトリに抜てきされる。

その記念すべき高座が
円朝の芸人人生にとって

大きな分岐点となった。

円朝は この興行の助っとを
師匠の円生に頼んでいた。

ところが 弟子の人気を妬んだ円生は

高座で思いもよらぬ行動に出た。

トリの円朝がやるはずの噺を
先にやってしまったのだ。

寄席で 同じ噺を演じるのは
ご法度である。

円朝は この窮地を
どう乗り越えたのだろうか?

円朝作品を今に引き継ぐ 林家正雀さん。

その方法は 当時としては
思いもよらぬものだったという。

円朝師匠は
師匠から教わったものをやるから

こういうことになるので じゃあ…

そこで 創作
新しい噺を作ろうということを

決心したということを伺っておりますね。

円朝は急きょ 新たな作品を舞台にかけた。

後の代表作 「真景累ヶ淵」である。

「だって 新さん… あたしゃ お前
こんな顔になったもの」。

主人公 新吉は
富本の師匠 豊志賀と恋仲になるが

病で 醜い顔になった豊志賀を
次第に疎ましく思うようになり

その女弟子の お久と関係してしまう。

これを恨んだ豊志賀は
「新吉が このあと女房を持てば

7人まで取り殺すから そう思え」と
書き残し

非業の死を遂げる。

この後 新吉と関係を持った女性は

豊志賀の怨念のせいで
次々と醜い容貌となる。

最初 気が弱く
義理にあつかった新吉は

欲に駆られ 残忍な人物となり
次々と殺人を犯すようになった。

色や欲といった感情が
人を凶悪な犯罪に駆り立てていく。

円朝は 従来の落語とは全く異なる

怪談噺を作り上げたのだ。

「口では親切に言いなさるが

とうから あたしに
愛想が尽きていなさるはず」。

「そなたは豊志賀… 迷うたな!」。

さらに 円朝は新機軸を打ち出す。

かつて
国芳門下で修業した腕を振るって

みずから舞台背景を描いたのだ。

「腰膝立たぬ わしを連れ
お久を連れて 下総へ」。

真に迫った 血みどろの怨念の世界に
観客は熱狂した。

「南無阿弥陀仏… 南無阿弥陀仏」。

ちょ~ん! と柝が入って
幕がパッと落ちて 絵が こう出ると

お客さんはね ワッ! という声を
上げるんですよね。

それは こっちが噺で
十分に お客様を

グーッと こう ひきつけておいて
最高潮に達したところで

ちょん! と柝が入って
パラッと幕が落ちたときだけに感じる

お客様の声なんですよ。
ましてや 円朝師匠は初めのころは

「累ヶ淵」は 毎晩 毎晩
違う道具を飾ってたっていいますからね。

で 「明晩のお楽しみ」と言われると

やっぱり 明晩も行こうかっていうのが
あったんじゃないですか?

それで だんだん だんだん

人気が上がってきたということだと
思うんですけどもね。

当時の浮世絵には
一日に千両を稼ぐほどの人気者として

歌舞伎役者の中村芝翫
稲本楼の花魁 小稲と並んで

円朝の姿も描かれている。

頭を「円朝髷」と呼ばれる
大たぶさに結い上げ

黒羽二重の着物から
赤い襦袢をチラチラとのぞかせる

粋な姿に 娘たちは夢中となった。

その様子を
当時の寄席の評判記は こう記す。

「おや おや おや
円朝さんの評判でございますよ

うれしいねえ」。

「もし えんちょさん待ってましたよ

えんちょさん えんちょさん」。

円朝は 自作の怪談噺を武器に

江戸の噺家の頂点へと
上り詰めたのである。

円朝は これまでにない
怪談噺というジャンルを切り開くことで

名人となりました。

さあ 今回も
さまざまなジャンルの皆さんと

三遊亭円朝に迫りたいと思います。

まず 円朝について
歴史学の立場から研究されている

歴史学者の須田 努さんです。

須田さん
円朝のどこに注目されていますか?

円朝の最初の作品は
まあ 怪談噺なんですけども

私は その怪談噺
円朝の噺の中核にあるのは

暴力と人の欲だと
思うんですね。

近代の この国の始まりという
国民国家とか

帝国って道を
歩んでいったんですけれども。

文化の面で言うと
かつての秩序ですね。

儒学的な秩序というのが
非常に壊れてくる時代でもありますね。

そういう中で 円朝は欲というものを
ものすごく

前面に こういうふうに
押し出してきまして

先ほど出ていました 二つの作品

「真景累ヶ淵」とか 「怪談牡丹灯籠」に
出てくる男たちって

最初は 非常に気が弱いんですね。

だんだんと それが人殺しになっていき
悪党になっていく。

で それを…
気が弱かった男は どういうふうに…

なぜなっていくかっていうと
やっぱ 欲なんですね。

欲が あの…
人を変えていくんだっていうところを

向き合って描いていったのが
円朝だと思いますね。

今 人間を描くという話が
出たんですけれども

人間を描くって
実は 意外と難しいことですよね。

というのは
自分の心の動きっていうのは

確かに 自分で
感じることはできるんだけれども

それを客観的に観察するというのは

実は かなり難しい。 難しいというのは

自分の情動が
今 こういうふうに動いたなというのを

認知するのを 「メタ認知」というふうに
言うんですけれども。

恐らく メタ認知が
円朝にはあったんじゃないでしょうか。

だから いろんな人間の感情とかが
話せた?

はい そう思いますね。

いろんな人間の感情を噺にして
創作として… 世に出すことができた。

感情として出すのではなくて

作品にすることができたというのが
彼の才能だと思います。

僕… えっとね 20年ぐらい前に

「日本文学盛衰史」という小説を書いて

近代文学の最初からを
たどり直すっていうのを

小説で書いてみたんですけれども。

今回 真剣に読んで めっちゃ面白いね。

(笑い声)

いや 「真景累ヶ淵」と「牡丹灯籠」は
もちろん読んでたんですが

本当に流麗な…。

基本的には 下町言葉を基にした
口語の文章なんですけども。

当時 作家たちが読んでたような
いわゆる 言文一致じゃない

古めかしい言葉の横に
円朝のを置くと 全然違うんですよ。

この描写といい 何といい

「おい ちょっと待て!
これ 文学者を超えてるぞ」と思って。

それから 作家たちが
どの程度 落語を聞きに行ってるかを

調べてみたら
漱石にしたって 正岡子規にしたって

ものすごい やっぱ
落語の影響を受けるぐらい

学生時代 入り浸ってるぐらい
聞きに行ってる みんな。

それほどなんですか。
(高橋)すごい影響受けてますよ。

だから 明治20年ぐらいに
そういう書いたものが出て

で 10年間で
頑張って追いつくんですよ。

作家全員で頑張って追いつくっていう。
へえ~!

それで みんな黙ってる。
「円朝の影響は受けてません」。

文学史も放置してるという。
それほど落語は

先端を行っていたんですね。
行ってたんですね。

特に 円朝の落語が?
円朝のが やっぱ 特にぬきんでてたって。

当時というのは 幕末の変革期ですよね。

これって 須田さん
怪談噺が受けたことと

その時代っていうのは
何か関係があるのでしょうか?

元号で言うと
天保という時代なんですけど

まあ 西暦で言うと
19世紀の初めですね。

そのころから
非常に治安が悪化してくるんですね。

特に 関東は治安が悪化してきて
有名な博徒がいろんなところに出てきて。

例えば…

(須田)要するに 物事の解決は
お上に頼っていくのではなくて

自分たちで解決する。
つまり 暴力なんですね。

トラブルは 地元の顔役が出てきたり

そういう中で 自分たちで解決していく。
で 頼っていくのは暴力であると。

荒れてますね。
荒れてるんだよ 荒れてる…。

荒れてる状況っていうのが起きて
いろんな… 幕府は

関東を取り締まる役職を作って
回らせたりするけど

全く 現状を変えるには至らず。
で 荒れて 貧乏になって

「俺は 楽しみのために江戸出るや」
って言って

その日暮らしのために
江戸に ガーッ! と人が出てくる。

で そういう人たちは
寄席に行くんだよね。
寄席に行くんですよ。

寄席に行って そんな もう
道徳的な噺 聞きたいわけはないので。

そことマッチしたってことなんですか。
そうでしょう きっとね。

それと すごく 私が気になったり
面白いなと思うのは…

天保から尊王攘夷っていうのが
出てくるまでは。

つまり 江戸時代が 非常に成熟してきて。

それぞれの所に
既得権益が生まれてしまってて

土地も新たに開発ができない。
町に行ったら

町には 株が設定されていて
そこに新規参入はできない。

だから 彼らが荒んでいくって
よく分かりますね。

その日暮らし…
そのときだけ楽しめればいい。

そういうところが背景にあって

円朝のような噺が
生まれたんだと思いますね。

なるほどね。
まあ 彼 作家だと思うんですけど

作家で… 特に優れた作家の特徴は
一つあるんですよ。

無意識過剰?
あ~ 無意識過剰。

あんまり書いてあるのと
考えてることが一致しているのは

大した作家じゃないの。

で 書いているものが
当人が思っているより

先に行っちゃわないと…。
ああ なるほど。

これ考えたら
めちゃくちゃな話じゃないですか。

縁とか全部飛ばして
こんなの偶然 偶然 偶然… なのに

読んでて 全然感じないんですよ。

それは作品の持ってる無意識の力。

で これを 移り変わる時代

ものすごく暴力が
覆っているような時代の無意識を

彼は感じ取ることができた。

だから そういう意味で
時代精神みたいなものを

作品に無意識に入れることができた
作家だったんだなっていうのを

今回 読んで。

だから すいません
「日本文学盛衰史」書き直さなきゃ…。

新版が?
新版出さなきゃ駄目だ。

面白い。 さあ 独自の芸で
名人の地位にたどりついた円朝ですが

明治維新という時代の変化に直面して
選択に迫られます。

円朝が30歳を迎えた ちょうどその年

新たな時代 「明治」が訪れた。

僅か4年後には鉄道が開業し

銀座には瓦街が完成する。

いわゆる…

だが 時代が変わってもなお

円朝は 売り物の怪談噺に
こだわり続けていた。

十八番の「累ヶ淵」
題名を「真景累ヶ淵」と変え

噺の枕で 次のように語った。

これが すなわち「神経病」といって

自分の幽霊を
しょってるようなことをいたします。

西洋文明が一気に流入したことで

都会人の間に神経病が まん延。

「神経」という言葉は流行語となっていた。

「幽霊は神経病だ」と語ったのは

怪談を明治の世に演じるための
円朝 苦し紛れの策だった。

だが そのような小手先では
対応できないほど

時代は大きく動いていた。

このころ 東京府は相次いで
寄席への統制令を出している。

そこでは
民衆に文明開化を教える噺が推奨され

「芝居仕立ての怪談など以ての外だ」と

断じられていた。

この要請に いち早く応えたのが…

伯円は テーブルと椅子という
斬新なスタイルで

「佐賀の乱」「神風連の乱」などの
時事講談を次々と発表し

人気を博していた。

すべての落語家の頭取という立場にあった
円朝にとっても

その動向は見過ごせないものだった。

明治5年 円朝は芝居仕立ての噺を捨て

扇子一本で語る 素噺に転向した。

翌年 新政府が設置した
教導職に就任した円朝は

芸人仲間に こう語っている。

そして 次なる新作に取りかかったとき

円朝に いよいよ選択の時が訪れた。

東京 王子稲荷。

一枚の絵馬が奉納されている。

渡辺 綱に腕を切り落とされた
茨木童子を描いた

すごみのある絵である。

この絵を描いたのは
幕末の蒔絵師 柴田是真。

明治9年 円朝は是真から
興味深い話を聞いた。

本所の炭問屋 塩原家に

怪談めいた話が
伝わっているというのだ。

早速 塩原家の菩提寺を訪れた円朝は

五代目となってもなお 塩原家では

不幸が続いているという
事実を突き止めた。

円朝好みの怪談に仕上げるのに
十分な素材だった。

だが 創作に取りかかろうとしたところで
円朝は 一つの葛藤に直面した。

その心の内に分け入ってみよう。

塩原家では 一代で身代を築いた初代が
亡くなったあとに

嫁は井戸に身を投げ

二代目 三代目は
精神に変調を来したあげく

店は潰れてしまったという。

悲劇の裏には
何やら悪だくみがあったらしい。

確かに 因果応報という
怪談噺の定石を踏まえている。

これを一席に仕立てれば
満場の喝采は間違いない。

政府が何を言おうが 己の芸の道を貫く。

これが芸人の意地というものだ。

だが… 待てよ。

今の噺家は
政府に民衆教化を託された立場。

今までどおり
怪談を語っていてよいだろうか?

講釈師の伯円は
新聞ダネの政治事件を講談に仕立てて

大衆の喝采を浴びている。

それなのに 噺家の代表の あたしが

古めかしい怪談に こだわって
大衆の支持を失えば

落語という芸の存亡にも関わる。

ここは 新時代に ふさわしい
新たな噺を作って

活路を見いだすしかないか。

従来どおりの怪談に こだわるか
それとも新たな芸の道を切り開くか

円朝に選択が迫られた。

円朝は文明開化という
時代の大きな変革に直面しました。

須田さん この文明開化のときの
寄席っていうのは

どういう存在だったんでしょうか?

はい。 一つは
国民教化ということを

政府が意図していきますね。

社会のエリートは

文明開化の啓蒙思想家たちのものを
読めばいいんですけども

そうではない 八っつぁん 熊さん…
多くの庶民ですね。

…の教育の場がないというところで

彼らの 最大の娯楽の空間であった寄席に
注目していきまして

そこで 落語家に
ためになる噺をさせようとかですね。

あとは まあ… 女 子どもも行って

ためになる噺を聞いてくるということを
政府は企図していくのが一つで。

捨て置いたわけではないというのが
大衆芸能。

それが利用できるというふうに
持ってったところが

すごく政府としては
うまいやり方だなと思いますね。

さっき 「落語という商売は卑しい」って
出てきましたでしょ。

どういうことかっていうと
あれは芸人だから大丈夫だと。

あんな ひどい噺をしていても
あそこは そもそも悪所だと。

芝居小屋だとか寄席っていうのは
悪所なので

もともと 悪いところをやる…。
これが江戸社会の 実は多様性なんですよ。

ものすごい道徳的なことで
縛られてる人たちも いるかと思えば

ものすごい悪所で悪いことをしゃべって…
その自由がある人たちもいる。

これが身分制の社会。 ところが…

みんな平等だと
国民だっていうことになると

寄席であっても不道徳なことっていうのは
まずいんじゃないのっていうと

本当は これ 前の…

いや~… じゃあ そういう中で

円朝は いよいよ
選択を迫られるわけですが

知り合いから教えられた
塩原家の怪談を

当初のもくろみどおり
怪談として仕上げるのか

それとも
新たな作風に挑むのか。

皆さんが円朝の立場だったら
どちらを選択しますか?

まず 高橋さん。
悩むとこです 正直 言って。

で あの… でも まあ 結局ですね

新たな作品を作ることに
いくと思います。

どうしてかっていうこと
なんですけど やっぱり…

後ろにとどまって 間違えないよりも

前へ進んで何かやるっていうのが
やっぱり 本能だと思うんですよ。

彼にとって もしかすると
これから作るものは

国策に協力するものだったり

自分が信じてない
道徳的なものかもしれないけれども

でも やったことがないものだと。

しかも大義名分は
いっぱい立つでしょ?

これは やっぱり
作家 物書き 作り手ならば

迷わず前へですね。

じゃあ 新たな作品に取り組む
ということですね。 中野さんは?

条件付きですが
一の「怪談にこだわる」。

もう 本当に条件付き。

やっぱり 江戸の人間ですから

きっと新政府をダサいと思ってたと
思うんですよね。

ただ やっぱり
落語界を背負っている人でもあって

その人が お上に盾ついたら
弟子 みんな 食いっぱぐれちゃう。

もう 食いっぱぐれるどころか
弾圧を受けるかもしれないと思ったら

政府の言うとおりのものを作って…

めちゃくちゃダサいものを作って

過剰にダサいものを
「どうだ!」って出してみて

試してみたいっていう気には
なるかもしれませんね。

(高橋)ダサいものは 作れないね。
(笑い声)

やるからには…。
やるからにね いいのになっちゃうんだ。

(中野)なっちゃうか~。

私は 二の
「新たな作風に挑む」という答えで。

先ほども出てきた
江戸時代の身分制社会の中では

芸人っていうのは
非常に卑しい身分とされていて

それは…

…っていうのは 行動と
彼の作品の中で分かるんですね。

それと あと 彼は…

そのプライドが ものすごく強くあって…

そこの出身が… 本家なんですね。

そこ出身だって すごく高いプライドと。

彼は 芸人言葉を
一切使ったことがないというんですね。

落語家さん よく出てくる「げす」とか
「そうでげす」っていうような言葉は

弟子が使っても たしなめた。

そういう面から考えていくと
彼は 新たな作風に…。

私は 歴史家として言うと
バックグラウンドをすごく重視するので。

そういうところから
いったんじゃないかなと思うんですね。

さあ それでは
円朝の選択をご覧いただきます。

明治9年 円朝は

塩原家初代 太助の出身地
上州 沼田を旅している。

円朝に造詣が深い
作家の 森 まゆみさんに

その足跡を たどってもらった。

実際に その現地…

…っていうのが円朝の考え方だから。

要するに
自分の作るフィクションの話を

堅固なものにするために
必ず実地を見て

あらゆることを 本当のことを
入れ込むっていうのが彼の手法ですよね。

そのことを物語る円朝直筆の取材メモが
残されている。

題して…

作品の舞台の地形や名所が
事細かく記された このメモからも

円朝が 常に 現地取材を行っていたことが
うかがえる。

上州の旅路で 円朝は
一体 何を見いだしたのだろうか。

あ~ これが
太助の愛馬 あおと別れた松ですか。

ここに馬をつないで 自分は下ってって…

塩原太助が 愛馬 あおと別れたという
伝説の松。

江戸へ出て成功した太助を記念して
後世に植えられたものだ。

円朝が創作したのは
次のような物語だった。

江戸へ出て 身を立てようと決意した
上州 沼田の青年 塩原多助は

愛馬 青を
旅路の途中の松につないで別れ

江戸へ向かう。

道中 懐の有り金をスリに盗まれ

川から身を投げようとした多助は

江戸の炭問屋 山口屋に救われ
奉公人として必死に商売に励む。

店で出た炭の粉を集めて炭団を作り
貧しい人々に売ったことで

多助は大成功し
江戸で 一二といわれる炭屋になる。

円朝の選択は

立身出世噺という 新たな落語の地平を
切り開くことだった。

実在の太助が 江戸へ向かう途中
立ち寄ったという榛名湖に

森さんが注目しているものがある。

文化12年 太助が寄進したという常夜灯だ。

功成り名を遂げた太助が

暗い夜道を歩く旅人の安全のため
常夜灯を建てたというエピソードは

円朝が 立身出世物語へ舵を切る
きっかけだったのではないかと

森さんは推測している。

円朝は 円朝なりに こっちに来て

太助という人の人柄とか
生き方を調べたら

単に その…
東京に出て偉くなって 金もうけして

勲章もらうんだみたいな
そういうんじゃなくて

やっぱり 社会が望んでいる
社会が必要としている仕事を

自分で作り出し
それで妥当な利益を得たらば それを

道普請であるとか
常夜灯であるとかいう形で

社会に還元するっていう…

…と思うんですね。

円朝は 実在の太助をモデルに
新作「塩原多助一代記」を創作した。

新時代の人々が目指すべき理想を説いた
この作品は

円朝最大のヒットを記録した。

これは 円朝の口演を文字に起こした
速記本である。

発行部数は なんと12万部。

多助の物語は 活字を通して

直接 円朝の芸を聞けない人々へも
広がっていった。

さらに 「塩原多助」は
当時 人気絶頂の五代目菊五郎主演で

歌舞伎として上演されている。

このとき 円朝自身も
脚本・演出に積極的に協力した。

そのことを物語る円朝直筆の手紙が

塩原家の子孫のもとに残されている。

これはね 円朝さんが
え~っと 明治25年だと思うんですが

歌舞伎座に初舞台を
お出しになったときの

招待状なんですね。

円朝は 舞台の初日を見にくるよう
塩原家の当主を招待し

興味深い申し出をしている。

「初代 太助氏の木像を
持ってきていただけないでしょうか」。

勤勉実直だった太助の面影を伝える
素朴な木像。

円朝は この木像を持ってきてもらい

楽屋で菊五郎に見せ
役作りに助言を与えたという。

実在の人物を取り上げ

現地を歩いて作り上げた
「塩原多助一代記」。

新たな落語の完成によって 円朝は
芸人として大きな飛躍を遂げたのである。

円朝の選択は
「塩原多助一代記」という

立身出世をテーマにした話を
創作することでした。

高橋さん この選択を
どうご覧になりましたか?

僕 ちょっとね…
今回 2回読んだんですよ。

でね 1回目 読んだときにね
つまんなかったの。 ハハ…。

っていうかさ つまらないな
この「塩原多助一代記」って。

でね もう1回 読んで
ちょっと 印象が変わったんですよ。

どうも 円朝っていう人は
僕は 2人いるんじゃないか

っていう感じを持ったんです。

で… どういうことかっていったら…

つまり そこまでやらなくても
いいだろうって人なんです 塩原多助は。

最後のほうで結婚式が終わったあとに

「お前 こんな服 いらないから
切っちゃえ」っつってさ

なたで切っちゃうところがある。
頭おかしいんじゃないとか。

袖が ぜいたくだと。
(高橋)そうそう そうそう。

そんなことさ
誰も求めてないじゃないですか。

実は 全部 そうなんですよ。
塩原多助って やりすぎなんです。

これが 本当に「立身出世」とか
「忠孝」とか「恩義」なの? って。

つまり そういう… 表面上は
そういう物語だけど 「円朝1」は。

書いてる「円朝2」は 「やれやれ」みたいな。

働いてるのに やっぱり
幽霊に うなされてるような。

そういうのに 実は みんな
感心したんじゃ…。

これは 別に円朝が狙ったんじゃなくて
円朝が書くと ああなっちゃうんですよ。

過剰な暴力と同じように
過剰な刻苦勉励 過剰な倹約みたいな。

(高橋)そうそう。
過剰な国家への忠誠とかね

過剰な恩義って…
いや もう 結構 迷惑だから。

あれ 結構ね
危険思想じゃないかと思うんです。

それが また 面白いところ…。
(中野)あれって 何か

新しい欲の在り方なんじゃ
ないかなっていうか。

明治になって現れた

「俺のほうが
もっと世に出たい もうけたい」。

だけど 一見 それは 聖人君子風の殻を
かぶってるんだけど

女房の袖を切るみたいなところで
ちょっと異常な感じが

皮肉なんだと思う。
(高橋)根本的に欲望って

限度 ないじゃないですか。

限度 ないものを
これ 解放したわけだから。

うん…。
(高橋)悪で限度がなかったのが

善の方向に限度がなくなって
そっちのほうに突っ走る。

そうなっちゃうのが やっぱり

僕は優れた作家…。
僕 それ 正しいと思う。

江戸時代に すごい言われていた
「限度」っていうのを「分」って言ってた。

「分を守れ。 その分の中で生きろ」と。

家老は「家老の分」
お百姓さんは「お百姓さんの分」。

身分の「分」。
で その分の破壊っていうのが

やっぱり 底流に
彼の作品の魅力があったし

分を破壊する時代の ひょっとしたら
芸術だったかもしれない。

今 分かった。
そう言われてみればそうだ。

そういう中で生まれた
この「塩原多助一代記」。

速記本が12万部。
それは いくでしょうね 大受けでしょう。

例えば この時期の…

福沢諭吉や中村正直が
いるんですけど

彼らが書いた
「学問のすゝめ」だとか

「西国立志編」っていうのは
それなりの知的教養がある

一部の社会的なエリートじゃないと
理解はできなかったと思うんですね。

でも 分かりたいと思うんですよね
高尚なことを。

面白いのは
やっぱり ベストセラーになってて

読まないけど 家には置いてある。

あとは 読めて理解できた ご隠居たちに
話をしてもらうという欲求は

八っつぁん 熊さんにも出てきて

少し高尚なものまでいきたいという
雰囲気は

やっぱり 明治になって
出たんじゃないかなと思いますね。

あと 寄席に来る人も 確か…
タイプも変わっていったはずですよね。

武士がいなくなって
そのあと 流入してきた人は

全部 地方出身の人たち。
だから もう 完全に上昇志向。

やっぱり 江戸の町民は
基本 上昇志向 ないじゃないですか。

さっき言った「分を守る」って。

(中野)かっこ悪いですもんね。
「粋」とかね。

それに対して 新住人は
全部 上を向いている。

そういう人たちに
たぶん 受けたんじゃないかと…。

うちは江戸だから 何か…

何となく そういうものに対して
ケッと思ってる…。

田舎の人 頑張らなきゃいけない。

多助になりたかったんですよね?
たぶん そうだと思う。

政府の要請に応えて

「立身出世」を描いた人情噺を創作した
円朝ですが

その後 「塩原多助一代記」は
思わぬ方向へ 円朝を導いていくんです。

新時代の落語
「塩原多助」に注目した人たちがいた。

明治新政府である。

これは 尋常小学校向けの
修身の教科書である。

子どもたちが
見習うべき人物として

円朝の「塩原多助」が取り上げられている。

捨てられた わらじを拾って売ることで
身代を築いた多助。

「倹約」と「立身出世」を体現した物語は
政府の意図に うってつけだったのだ。

円朝は次第に 新政府要人に接近していく。

例えば 長州の大物政治家 井上 馨。

大蔵大臣や内務大臣を歴任した井上は
円朝をひいきにし

視察旅行に連れて行くほど ちょう愛した。

井上邸で行われた園遊会の錦絵。

ここに円朝の姿が描かれている。

この日 円朝は 明治天皇の前で

「塩原多助一代記」を演じたと
伝えられている。

だが 新時代は

必ずしも円朝が期待したような
輝かしいものではなかった。

明治10年代半ばを境に
日本は深刻な不況に突入。

秩父事件をはじめ 各地で暴動が激化する。

不穏な社会情勢は
寄席の演芸にも影響した。

これは…

「ヘラヘラ」「クサメ」といった
奇妙な芸が目を引く。

尻っぱしょりで立ち上がり

「すててこ すててこ」という
歌に合わせて踊りだす…

乗合馬車の御者のラッパを吹き吹き
高座に上がった…

当時の寄席で熱狂的に支持されたのは
このようなナンセンス芸だった。

このころの円朝の言葉が残されている。

円朝は…

だが その創作意欲は全く衰えなかった。

活躍の場を新聞に移し
次々と作品を発表する。

江戸っ子の心意気を描いた…

人情噺の代表作も この時期に生まれた。

近代落語は 円朝の孤独な営みによって
完成したのである。

東京 谷中…

円朝が生前 最後まで
こだわり続けたものが ここにある。

幽霊画の数々。

100幅を目指して集め続けたが
ついに果たせぬまま他界したという。

こよなく愛した幽霊画には

円朝の どんな思いが
込められているのだろうか?

ある意味 人間って

すべての感情を
表にあらわしているわけではなくて

いろいろな感情があって でも…

(平井)何を称して
人間の心の美しさと呼び

何を称して 人間の心の醜さと呼ぶのか。

同じ人が
あるときは仏のようなことをし

あるときは 悪魔のようなことをする。

そういった その…

明治33年
円朝は 62歳の生涯を閉じた。

最後の高座で演じられたと伝わる一席。

それは あの「牡丹灯籠」だった。

「東叡山は 寛永寺
聞こえてまいりました 八つの鐘。

辺りのしじまを破って ボーン。

カラーン コローン
カラーン コローン」。

円朝が創作した「塩原多助一代記」は

明治の人々に
大きな影響を与えました。

こちらを ご覧ください。

「塩原多助」が掲載された
修身の教科書なんですが

こうして 教育にも使われたんですね。
不思議な風景ですよね。

落語って 子どもに見せられないような噺
やってたのに

子どもが こうなってほしいっていう
修身の教科書になってるって

世にも珍しい風景が現れるわけですよ
ここに。

じゃあ
もともと合うものじゃないんですね。

国策と その落語っていうのは。

いかがですか? 須田さん。 影響が…。
(須田)あったと思いますね。

ただ 円朝さんにとって不幸なのは

明治20年代に
松方デフレになって

ものすごい不況になるんですね。

ですから あんな
わらじを拾っただけでは

もう 富は得られない。
1回 ミスをしてしまって…

すると 浮かび上がることができない
っていう現実ですね。

で 勉強を一生懸命やっても
境遇から抜け出せない。

東京には
貧民窟が生まれてくるという

現実が出てきたときに
やっぱり 人々は

円朝から 離れていったんじゃ
ないでしょうかね。

(中野)あと もう一つ言うことが
あるとすれば

行政が絡むと
どうしても 文化っていうのは

つまらなくなるなっていうところ
あると思います。

というのは やっぱり
集団的極性化が起きるので。

というのは
コーシャスシフトって言い方されますけど

平均的な意見を言っておかないと

自分は 社会的排除に遭うかもしれない

という恐怖があるので

平均的な意見を言うことで 自分の身を
守るんですね 構成員 それぞれが。

そうすると 面白い意見が
出せないというのが

行政の在り方として
やっぱり どうしてもあるので。

なかなか やっぱり
文化と行政の相性っていうのは

難しいものが
あるんじゃないかと思います。

(須田)ぜひ お聞きしたいんですけど。

今日は 異種格闘技みたいで
すごく楽しくて。

この「塩原多助一代記」書いた同じ年に
円朝は もう1本 書いてまして。

「業平文治漂流奇談」
っていうのを
書いてるんですね。

これは もう全面暴力なんですよ。

業平文治というのは江戸っ子で

町内の顔役なんですけど

いろんな問題を持ち込まれるんですね。

でも その解決は 全部 もう… 腕ずくで

敵対する勢力は殺しにいったりとか。

江戸っ子のくせに ねちっこく
恨みを忘れないんですよ。

そういうのを
同じ年に書いてるんですね。

両極端に どんどん どんどん
それが すごく離れながらも

一人の人格にあるっていうのは
どういうふうに考えるかなんですけどね。

僕 須田さんの本を読んで
実は その「業平文治」を読んだんですよ。

めちゃくちゃですよね。
めちゃくちゃですね。

もうね お前は
タランティーノかみたいな。

バイオレンスな?
(高橋)そうそう。 「わらの犬」みたいな。

(高橋)どうしてかって やっぱり
どっちかっていうと この…

そっちのほうに共感するのが
円朝の持ち味だったので

やっぱり 合わないことを
やってたと思いますよ。

合う合わないを判定する
領域っていうのが

前頭葉にはあるんですよ 人間の脳の。

その円朝の倫理観に
合わない話だったんでしょうね

「塩原多助」って。
すごく後ろめたい気持ちを

どこかで持ちながら…
もちろん 作家としては

創作だから
楽しくやってたと思いますけど。

一方で こんな物語を
俺は書いていいのかっていう

逡巡を抱えつつ

で その逡巡を どうにかして

葛藤を解消しないと
いけないわけですけれども。

それを解消するのが
やっぱり 創作によってしか

彼は できない
ということだったんだと思います。

でも 落語家の地位は
実際に上げたようで。

渋沢栄一が 確か この…
円朝に対して書いているのだと

「勧善懲悪な
普通の変な話じゃないやつを

こいつは書ける」と書いて
やっぱり 落語家の中の名人だと。

長屋の八っつぁん 熊さんで
殺しのやつ もっと聞きてえよ

バイオレンスアクションがいいよ
っていうのには

「業平文治」を書き
それで もうちょっと違うのを求めて

身分がなくなったから
階級がなくなったから

こういう生き方でいけるぞ
っていうのには

「塩原多助」を書くというような。
この絶対値の大きさっていうのが

やっぱり この
円朝なんじゃないかなって。

さあ 今日は 怪談噺から出世噺までね。

円朝を通して 落語って 本当に

いろんなバリエーションがあるんだ
ということが分かりましたけど。

高橋さん 改めて
円朝という人物から

何を 私たちは くみ取れるのか
伺いたいと思いますが。

円朝… 特に
この多助のことなんか考えると

いろいろ思うことがあるんですけど。

やっぱり 作家はですね
失敗作によってこそ…

価値が出てくる場合もあるんですね。

特に この… 分裂してて
しかも バランスが悪い

この多助の物語の中に
僕は一番 円朝らしさを感じて。

だから つまり
江戸が持ってた文化みたいなものは

今度 明治っていわれる
新しい日本の国の生き方とは

合わないんだっていうことを

結構 身をもって
象徴しているんじゃないかっていう。

一種の…

そういうふうに読むと
結構 味わい深くて。

僕ね もはや
結構 好きなんですよ これ。

「もはや 好き」…。

須田さんは いかがですか?

私は 円朝をこういうふうに見てきて

行動とかも見てくると
一つは プライドですね。

ものすごい強いプライドを持って
生きてるっていうのが

私は 今 見習うことかなってのが
一つと。

あと 非常に
きれいな生き方をしましたね。

最後なんですけども 円朝が…

東京の寄席にいられなくなって
で そのときに

井上 馨たちが 円朝に いろいろ
手を差し伸べるんですよね 経済的な手を。

「お前のためだったら
寄席ぐらい買ってやるよ」とか

こういうふうに言うわけですね。
円朝 それを断るんですね。

それらを 一切 断っていく
というところの

引き際のきれいさっていうのは…。

僕は 円朝さんの噺で
「文七元結」が一番好きなんですね。

怪談も描いて 欲を描いたり
それから 「塩原多助」みたいな

要するに くさい噺ですよね
…を作ってしまったり。

僕が行きついたのが
「文七元結」かなと思ってて。

あそこの登場人物は
全部 善人なんですよね。

そうなんだよね。
(須田)で 円朝さんは やっぱり

明治になっても
彼 やっぱり 江戸の粋というのを

ずっと あったんじゃないですかね。
あ~ なるほどね。

さあ 最後に磯田さん。

今日は 円朝という存在を見てきました。
面白い話でしたね。

やっぱり 落語っていうのは
僕は あの…

情ってものに着目してるってことが
とてもいいと思うんですよ。

理・知・情というのがあると思うんですよ。

理屈だとか 知恵だとかっていうものと

もう一つ 情という
なかなか厄介なものを持って

厄介にしては面白いものを
人間は抱えてる。

何か知らないけど そこにお酒があったら
人のものでも飲んじゃうとかね。

これは 情なんですよ。

理で言ったら 絶対 駄目ですよ?
法とか理で言ったら。

だけど 人間って
法や理にのっとって

暮らせないところ自体が
人間の本質で。

そういうもんだってことを
どこまで見つめられるかっていうのは

これはね 理・知は
学校で教えてくれるけれども

人間が 本来
そういうものである情…。

見とれて… 女に見とれたとか
そういうのを

ちゃんと そういうもんだっていうことを
教える学校はない。

落語や寄席が学校なんです 実はね。
(高橋)あと小説ね。

そうそう そうそう!
本来の小説は そうなんです。

だから
AIだとか コンピューターの時代になったら

絶対 理・知じゃね
勝てないものが出てくるときに

人間性そのものは 何かっていうと

やっぱり 芸術であったり
人文のものであったり

寄席だったりというようなものだと
思いますね。

本当そうですよね。
何か エンターテインメントって

今 文学 芸術って
いろんな選択肢がありますけれど

唯一 自由に物を申していい場所で

ずっとあってほしいな
っていう感じがしますね。

社会に それがないと駄目ですよね。

皆さん 今日は
どうもありがとうございました。

荒々しくそびえ立つ岩峰。


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