SWITCHインタビュー 達人達(たち)「舘野泉×中村桂子」“左手のピアニスト”として国内外で称賛の声を浴びる…


出典:『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「舘野泉×中村桂子」』の番組情報(EPGから引用)


SWITCHインタビュー 達人達(たち)「舘野泉×中村桂子」[字]


“左手のピアニスト”として国内外で称賛の声を浴びる舘野泉と、「生命誌研究」の第一人者・中村桂子。ともに今年83歳になる二人が、「生きること」について語り合う。


詳細情報

番組内容

まずは中村が、舘野の生まれ育った自宅を訪ねるとスタインウェイのグランドピアノで独占生演奏。2002年脳溢血で倒れ、その後遺症で右手が動かなくなってから左手のみの演奏で奇跡の復活を果たすまでの秘話などを聞く。後半は舘野が、中村が立ち上げた「生命誌研究館」を訪問。生命科学などの知見をもとに生物の歴史物語を読み解こうという研究への思いに耳を傾ける。二人の話は「自然」から「生きること」へと深まっていく…

出演者

【出演】ピアニスト…舘野泉,生命誌研究者…中村桂子,【語り】六角精児,平岩紙



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SWITCHインタビュー 達人達(たち)「舘野泉×中村桂子」
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  14. 駄目
  15. ゴーシュ
  16. 生命誌
  17. 大事
  18. DNA
  19. 意味
  20. 科学


『SWITCHインタビュー 達人達(たち)「舘野泉×中村桂子」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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フィンランドの
ある管弦楽団のコンサートが

開演3時間前に迫っていた。

ピアノを演奏するのは 日本人だという。

車いすに乗る こちらの男性…

フィンランドを拠点に
演奏活動を行ってきた舘野。

この日は 日本とフィンランドの
国交100周年を祝う特別な舞台だ。

♬~(ピアノ)

舘野は 左手だけで演奏する。

17年前 脳出血で倒れた後遺症で
右手が まひ。

以来 「左手のピアニスト」として
活動を続けている。

(拍手)

満員の観客に迎えられ 開演。

♬~(演奏)

♬~

1曲20分を超える ピアノ協奏曲。

この日 舘野は 2曲を弾ききった。

(拍手)

大勢でね。 うん。

そんな舘野の対談相手が

この日
コンサートを見に やって来ていた。

どうも ご無沙汰してます 本当に。

本当に 何か すばらしかったです。

舘野の大ファン
だという女性…

今も最前線で活躍する研究者だ。

男社会だった生物学の世界に
飛び込んでいったのは 60年前。

女性科学者のパイオニアでもある。

そんな中村が提唱した新しい学問…

DNAの研究を主体とする
分子生物学をもとに

38億年に及ぶ 生命の歴史を読み解き

人間の生き方まで考えていこう
というものらしいが

分かるようで 分からない。

舘野も そんな新しい分野の研究に
興味を寄せていた。

我々は もちろん…

…だと思うんですよね。

そういう面で いろいろと…

舘野さんは もちろん
ピアニストですけども

私 生き物のこと やってますでしょ?

やっぱりね こう…

…と思うんですよ。 だから 何か

音の技術とか そういうことじゃなくて

舘野さんが こう
生き物としてというかな…

共に 今年 83歳となる2人。

激動の昭和 平成を駆け抜けてきた彼らの
トークから見えてきたものとは…。

あっ 本当ですか?

…と思って。

そうですね そうですね。

♬~

東京 自由が丘。

まずは 中村が舘野の自宅を訪問する。

♬~

あっ ここでした! ごめんなさい。

ああ どうも!
は~い。

何か… 本当に

楽しみにしてまいりました。
どうもありがとうございます。

8年前
仕事で顔を合わせたことのある2人。

じっくりと話すのは それ以来だ。

世界中を演奏で飛び回る舘野。

現在 1年のうち およそ3か月を
妻と共にフィンランドで過ごし

残りを日本で暮らしている。

わあ…! うれしい。
私 こんなにピアノの近くで…。

築80年を超える生家。

リビングに置かれているのは
スタインウェイのグランドピアノだ。

ふだんは ここで 一人で
暮らしてるもんですからね。
はい。

ああ そうでらっしゃいますか?
で お食事なんかは?

えっ! ご自分で お作りに…。
で 自分で洗う。

えっ 本当ですか?

本当ですか? 何か あの…

お料理で お得意なものは何ですか?
いや もう…。

得意だなんて そんなこと言いません。
はい。

(笑い声)

口から入るものは…。
入るものは…。

そうです そうです!
そっちの液体のほうが

お好きでらっしゃるから。
そうです。 そちらも好きで…。

これ 本当に懐かしい。
私も まあ 白状すれば…。

もう 舘野さんは よくご存じだけど
同い年ですので。             そうです。

ですから こういう感じが
やっぱり 身に染みついてて。

子どものころ
こんな感じで暮らしてましたから…。

やっぱり こういうの
残してらっしゃるって すばらしい。

ここ… このお家は ここには

お小さいときから
お住みになってらしたわけでしょ?

え~! 本当ですか?

ここで 取り上げてくださった…。

母はピアニスト。 父はチェリスト。

弟と2人の妹も 全員 演奏家という

生っ粋の音楽一家で育った舘野。

5歳で ピアノを始め

東京藝術大学のピアノ科を
首席で卒業した。

このピアノは…。
それで これはね… この楽器が

スタインウェイなんですけど。
ええ スタインウェイですね。

随分 古いスタインウェイなんですね。
へえ~!

実は 亡くなった妹が
使ってたものなんです。

うわ~… それじゃ
思い出が入ってるんですか。 へえ~。

やっぱり…

ああ そうですか。 そうすると やっぱり

妹さんのことも思い出したりなさいます?
そうですね。

ああ そうですか。

それで 今はね
もう 82になりましたけども。
はい。

う~ん… まあ… 平均して
1日のうち 3時間ぐらいかな。

ああ そうでらっしゃいますか。

でも その時間が 一番楽しいお時間?
ええ…。

そうですか。

コンサートに伺うと 何かね こう
音に包まれるっていう感じがする。

それが大好きで。 ええ。

それで もしかして
こんなに近くで音が聴けたら

どんなに幸せかって 今 ちょっと
ぜいたくなことを思ってるんですけど。

こんなのは… どうかしら?
はい。

♬~(ピアノ)

♬~

こんなような…。
うあ~…! 何か

こんな ぜいたくして
いいのかしら~? っていう。

今の曲… 何です?
これはね…

これは…

両手でも弾けますけどね。

でも 左手で弾くのが 何だか…。
きれいに弾ける?

なるほど。
やっぱり 何ていうか…

ああ… こう 自分の中から

この 一つの手の中に
こう 入っていく。

ええ。 だから 音楽というのは

まあ よくいわれるのは こっちが…

この 一つの手に まとまって。
だから メロディも 伴奏も。

あるいは…

そういうのが こう 一つの手に固まって

ここへ出てくるという…。
そこへ 思いを込めてらっしゃるのね。

その 何ていうか…

なるほど。 ふ~ん。

でも 私 今ね 本当に
ピアノ全体が鳴ってるっていうのが

何か よ~く分かりました。

♬~(ピアノ)

♬~

18年前のコンサート映像。

力強い演奏と豊富なレパートリーで
世界を魅了してきた舘野を

病が襲ったのは この翌年。

2002年
フィンランドで開かれたコンサート。

演奏を終え
立ち上がって あいさつをした直後

舘野は ステージ上に崩れ落ちた。

脳出血だった。

幸い 命は取り留めたものの
右半身に まひが残った。

前兆は
お感じになってらっしゃいました?

前兆は 感じてなかったんだけども

やっぱり…
知らなかったんでしょうね。

だから もう 相当なハードスケジュールが
ず~っと続いて。

体が もう悲鳴を上げていらした?
悲鳴 上げてたんでしょうね もう…。

ご自身は お気付きにならなかったけれど。

もう ここまでだよ… っていって
倒れてしまった。

それで 結局…

でもね それも… その2年間…

えっ? つらくなかったんですか?
つらくなかった。

それで…

家内が「あれほど 私たちの家で…」。

いや~ それは だって

いつも 演奏旅行に
行っておしまいになって 奥様としては

ご一緒にいる時間が
とても短かったわけでしょ。

それが いつも いてくださる。
そういう意味では…。

すばらしい時間だった…。
はい。

ある意味では ご夫婦の人生の中で

もちろん
災難でいらっしゃいましたけど

いい時間をもらったともいえるんですね。
そうそう…。

何か 全部 プラスに お考えになりますね。

そう思って やってるわけじゃないけどね。
ええ。

何か 不思議な方だわ。

でも そういうふうに生きられたら
すばらしいなとは思いますね。

何十年間か…

分かりました。

教えられたから やったんじゃなくて

自分で こう やってきたから

そんなことでは なくならないぞ これは
っていうのは おありに…。

そうです。

なるほど。

そんなに 特に
教わったりなんかすることじゃなくって。

なるほど。

それは でも やっぱり
お小さいときから

ず~っと そういう中で
お暮らしになって

それが もう
体に染みついてらしたからで

そういう意味では
お幸せだったんですね。

そういうふうに思える…。

それは やっぱり
ご両親が くださったんですよね。

それで 僕が 小学校なんかで
呼び出されるんですよ。

「おたくのお子さんは 授業中に

いつも 外ばっかり ぽか~んと見て
心は どこにあるのかしら?

ちょっと
発育が遅れてるんじゃないか」とか。

それから「おたくのお子さんが書く…」。

フフフッ…。

うわ~ いいお母様ですね~!

「はみ出したほうがいいんだよ」…?
はい。 フフフ…!

へえ~! あっ それで…
こういうすてきな方が育ったんだわ。

やっぱり お母様が偉かったんだ。

(笑い声)

「平凡」とは言えないかもしれないけど
でも…

…っていうのは 何か
本当に よく分かりました。

脳出血で倒れてからも
ピアニストとして 復帰を願っていた舘野。

根気よく リハビリを続けたが
1年たっても 右手は動いてくれない。

「もう自分は おしまいなのか?」。

1年半ほどが過ぎ 諦めかけたころ
大きな転機が訪れる。

きっかけは
自宅のピアノの上に そっと置かれた

ある曲の楽譜だった。

イギリスの作曲家 ブリッジが

戦争で右腕をなくした友人に向けて書いた
左手のための曲。

楽譜を置いたのは
バイオリニストの息子 ヤンネさん。

ピアノが弾けなくなった父を思い

留学先のアメリカで
探してきたものだった。

僕も
そういう… 軽い経験あるんですけど。

…と思って。

その瞬間ですから…。

それに 1秒か2秒しか
かからなかったと思うけど…

左手で やればいいとかなんとか
そういうことじゃなくて。

理屈じゃないんですね。
理屈じゃないんです 全然。

ああ この音楽…。

だから それが本当に…
たぶん 2~3秒で

考えが パッと変わっちゃったんですよね。
はあ…。

それで…

東京と大阪 札幌 福岡 仙台で
復帰しますと。

え~! まだ弾いてらっしゃらないのに?
はい。

復帰のリサイタル
それで復帰しますけど でも…

でも 私 見ただけで… パッと開いて
曲を頼んでしまうっていう…。

舘野さんらしいって思いますよ。

普通は ちょっと考えますよ
やっぱり そこは。

そうなんですよね。
ええ。

でも それは何か…
何なんでしょうね? それ。

自分でも 何だか分かんないけど…。

でも それあっての
今でらっしゃるわけだから。

だから パッと…

ああ… そこが…。

(笑い声)

そこが やっぱり
楽天家で いらっしゃるのかな?

ただ いつも 自分のやりたいことが
見えるっていう

それは分かる気がします。

それが 一番大事ですよね。

このごろ 社会はね

大事な… 求めることをやれとか
いろいろ言って

自分がやりたいことを なかなか
やらせてくれないじゃありませんか。

このごろ 「多様性」っていうような言葉
使いますけど

そんな難しい言葉じゃなくて…

こうでなきゃいけない!
みたいにやると

自分も つらくなりますからね。
そうですね。

そうですね。
そういう生き方をしてらっしゃる…。

♬~(ピアノ)

倒れてから およそ2年。

左手のピアニストとして
復帰することを決めた舘野。

しかし 復活公演で演奏することになった
ある曲に

戸惑いを覚える。

数あるバイオリン独奏曲の中でも
不朽の名作とされる…

それを ブラームスが
左手のピアノ曲として編曲した作品だ。

だが 単音が続く展開。

両手で奏でる重厚な音色とは
大きなギャップがあった。

なんて つまらないもの。

こう鳴らす…。

♬~(ピアノ)

♬~

…って 今 こうやってると
いいですけどね。

いい曲ですよ。
どうして… つまんないんですか?

要するに ピアノを単音で

ずっと続けて
弾いていくなんていうことは…

それを 音楽に… バイオリンならできる。

チェロならできる。

だけど ピアノで…。
はいはい。

これは 大変なことだ。
それがね…。

で 2か月ぐらい こういう…
こうやってて。

「つまんねえな」と思って。
ハハハハ…。

それでも…

♬~(ピアノ)

あっ そういうことって あるんですか。

最初は つまんないっていうところから
始まって。

そういうふうに出来上がって…。

左手のピアニストになってから
もう15年たちますけども…

「両手のピアニストに
また なる」っつっても…

とっても面白い。
私ね 最初は… 伺ったころは

「あっ 左手でらっしゃるんだな」って
思いながら

会場へ参りました。
このごろ 全く それ 考えない。

左手で お弾きになるっていうことを
考えなくなりました 聴く側も。

だんだん そうなってきましたね。
そうです。

たぶん 皆さん そうだと思いますよ。

さっきから お話を伺ってるとね よくね…

それが大事ですね。

それで 結局 生きてるっていうことは

本当に ごく単純なことなんだって
思うんですけど…。

でも 例えば…

…なんていうのが これも見て…。

…と思うわけ。
なるほど。

単純に言っちゃうと そうですよ。

でも 単純って おっしゃるけど
とっても本質的なことですよね。

私も 生物学ですから

いろんな生き物たちを見るっていうことは
よくやるんですけど…。

植物って 何も動かないから 生きてる…

子どもたちはね 植物って
止まってるもんだ みたいに思ったり

動物は ひょこひょこ動いてるけど
っていうけど…

意志があるって言ったら 変ですけど…

その気持ちになってみると ありますよね。

だから 自分も そういう 何ていうか…

今 お弾きになれて
本当に お幸せですね そういう意味で。

生きてるっていうので。

また 次がある 次がある 次がある。

今があって…

そうですよね。
うん。

それで 毎晩 焼酎飲んで 泡盛を飲んで。
そこにいくんですか?

そこ いっちゃう。
ハハハハ…!

80を超えた今なお
年間およそ50本の公演をこなす舘野。

演奏活動と並んで
力を入れてきたことがある。

左手のピアノを 世に広める取り組みだ。

例えば 左手用の曲を増やすため

「左手の文庫(募金)」を設立。

集まったお金で
作曲家に曲作りを依頼し

これまでに 100を超える作品が生まれた。

最近は 左手のピアニストのため

演奏会の企画にも精力的に携わっている。

♬~(演奏)

♬~

(拍手)

左手の音楽というのが

最近 ステージとか

1つの分野を作りましたからね。

そういう意味で

新しく それを
いろいろと書いてくださる方が…。

例えば 本にする。 左手の音楽の世界でね。

そういう世界も必要だなと
なるほど。
思ってるんです。
なるほど。

新しい そういうところを

演奏だけじゃなくて いろんな形のもので
きちっとした分野に仕上げていく。

それは 随分大きな…
大変なお仕事ですね。

大変なことだと思うんだけど。
ええ。

でも それは大事なことですね。

いや まだまだ なさることが
たくさん おありになって。

そうです そうです。
やることは いくらでもあります。

だから この年だと 普通なら

「ちょっと静かにしてなさい」って
言われるときですけど

幸か不幸か…

そうそう…。
ハハハハ…。

もうちょっと やらせてください
っていうのが

共通の気持ちかもしれません。

「はい さよなら さよなら」とは
いかないんですよね。

(笑い声)

後半は 舞台をスイッチ。

「生命誌」という新しい学問を切り開き

科学を通じて人間を見つめ続ける
中村桂子。

もともと化学を専攻していたが

DNAの二重らせん構造に
魅せられて以来

分子生物学の道へ。

たんぱく質を合成するRNAの
特別な働きを明らかにするなど

多くの実績を残した。

湯川秀樹など著名な物理学者とも
親交が深かったという。

そんな中村が 生命誌を研究する場として
立ち上げたのが…

研究室では チョウやクモ カエルなどで

ゲノムDNAの研究が進められている。

そうした研究から分かる
生命の進化の歴史。

生命誌とは その歴史をひもとくことで

人間の在り方そのものを見つめよう
という学問だ。

今年 開館27年目を迎える生命誌研究館。

最大の特徴は
最先端の研究を行う場所でありながら

一般にも公開しているということ。

こうした場所は
世界でも類を見ないという。

うわ~ すごい!

すごく面白くて…。

いろんなことが学べる。

中村は ここを

「科学のコンサートホール」と
表現している。

さきの対談から2週間。

今度は 舘野が中村の仕事場
生命誌研究館に やって来た。

♬~

わあ…! ようこそ
遠い所をありがとうございました。

しかも 今日 雨だったんですよね。
ありがとうございます。

中を見せていただくのを
楽しみにしてました。

ありがとうございます。

真っ先に 中村が案内したのは
一枚の絵の前だった。

えっ? どれが始まり?
これが始まり。

これが 一番最初に始まったときに
描いた絵で

「生命誌絵巻」っていうんですね。

38億年の月日をかけ
地球上の生命が

どのような歴史を
たどってきたのかを表した…

そうです そうです。

実は ご存じのように…

…っていうことは
もう 今 みんな知ってますのでね。

バクテリアだって キノコだって
人間だって

みんな そうだっていうのが
偶然 起きたとは思えない。

ここから さまざまな生き物たちに

38億年かけて なっていった。

でも みんな 祖先 一つですから
みんな 仲間で ということで。

この それぞれが どういうふうになって…

DNAの研究で
生き物の どんな歴史が見えてくるのか。

面白く 深く伝えようと
試行錯誤を重ねてきた中村。

舘野に
ぜひ見てほしいという展示があった。

100分の1ミリほどの細胞の世界を

模型や最新のCGなどで
楽しく知ることができる「細胞展」。

こんなふうに
分子がひしめく細胞の中の様子も

見ることができる。

本当に…

そう。
自分に必要な たんぱく質 作ろうとか

あれは いらないもの 壊そうとか

みんなでもって 今 一生懸命 働いてる。
ああ すごいな~。

生きてる間じゅう 本当に 絶え間なく
これ やってくれてるんだと思うと

それも すごいなって思いますね~。

そうですね。 ある程度… まあ やっぱり。

これで
だんだん だんだん… 壊れてったり

DNAも 少しずつ変わってったり

いろんなことしますから。

そうすると DNAが変わって
がんになったりとか

いろんなことが起きますしね。

だから これが…

そうですね! そうですね そうですね。

私も そう思います。

今まで…

そうです。

英語では…

「館」は「ホール」。

開いているのは「ホール」だからで

「研究所」だったら
素人は入っちゃいけないよって…。

そうですね。
だけど…

なぜ「ホール」かっていうと

私は「科学のコンサートホール」と
思ってるんですよ。      そうですね。

音楽って 例えば
ベートーヴェン作曲とかありますよね。

「運命」っていう有名な交響曲が…。

ベートーヴェンが書いたら
そこで 音楽は出来てるわけですよね。

でも ここに置いておいてもらっても
私は これ 全然 分からない。

で やっぱり 弾いていただかないと。

それから まあ ショパン。
舘野さんが弾いてくださる。

そうやって 弾いてくださると 初めて

「あっ ここに音楽がある」って
分かりますでしょ。

何か だから
科学って 論文書いたら終わり。

音楽は ずっと
それをやってらしたじゃないですか。

我々は 演奏をして そして…

生きてくる。
「生きてくる」。 そっか…。

それが大事なんですね。
そうですね。

だから みんなが 何か 響き合って…

それから 出来てきて…

そうすると
音楽が生きるだけじゃなくて

それを やる人たちの中でも

そういう 何ていうか…
気持ちが出来上がっていくんですね。

それも大事…?
そうです。

ああ なるほど。

そうすると 科学も
それと同じことをやって

ここの仲間たちが論文出して
「はい さよなら」じゃなくて

みんなで それを作ることで
まあ やっぱり ここは

そういう気持ちができてるかなって
思います。

そのことを やっぱり
ふだん あんまり考えないけども

分かるといいですね みんながね。
なるほど。

さっき…

…っておっしゃって。

今 何か 社会の流れは

死ぬって悪いことみたい…。

何か 永遠に生きること… プラスのこと

それだけがいいみたいに言ってるけど

私は やっぱり…

しかも それで終わっちゃったら
駄目なんだけれど…

これは やっぱり…

もし 機械の世界だったら
それは駄目なわけですよね。

壊れるものは いけないんだけど

生き物は ちゃんと…

違うっていうこともね。
みんなが違うっていうこと。

同じく…

そうすると…

…と思ったんだと思うんですよ。

…って言うと 変ですけども

そういうシステムを生み出すことが
続くためには いいんだ。

結局 だから…

…っていうことを
見つけたんだと思います。

そうです。 「生命誌」っていうのは

そういう いろんなものが
それぞれの物語を紡いでるから

それを見ていきたいなって思って。

音楽だって それぞれ いろんな方が
いらっしゃるから 面白い。

そうですよ。 それで…

今まで できていなかった音楽が…

あの… 私も 実を言うと…

舘野さんも…
好きでいらっしゃるでしょ。

これは やっぱり 何で好きかっていうと

やっぱり 生きてるって
どういうことかっていうのを

何か 一生懸命 考えていた…。

みんなが幸せになるには
どうしたら いいだろうっていうことを

すごく考えていた人だ
っていう気がするんで。

私 実は「セロ弾きのゴーシュ」っていう

人形劇を作って。
えっ?

ここの20周年のときに
それをやったんですね。

宮沢賢治の代表作の一つ
「セロ弾きのゴーシュ」。

♬~(演奏)

≪(手をたたく音)

(楽長)ゴーシュ君!
しっかりしてくれたまえ!

僕は君に ドレミファを
教えてまでいる暇はないんだがな!

(ゴーシュ)すみません。

いつも怒られてばかりの
チェロ奏者ゴーシュが

夜ごと訪ねてくる動物たちとの
交流を通して

知らぬうちに
音楽家として成長していくという物語。

♬~(演奏)

中村は5年前
チェロと人形によって

生命誌版「セロ弾きのゴーシュ」として
舞台化していた。

♬~

≪「あなたのは いいようだけれども
少し違うんです」。

≪「何だと? 俺が 貴様に
教わってるんではないんだぞ」。

「何だ? 赤くもならないやつをむしって」。

東日本大震災のあと
この作品を読み返したという中村。

舞台化しようと考えたのは
ある気付きがあったからだという。

「あのときは すまなかったなあ」。

帰ったら「お水を一杯飲みました」っていう
記録がある。

私は 自分で勝手に考えて…。
だって 必ず飲むんですもの。

自然の中へ戻ると ネコがいたり
タヌキがいたり カッコウがいたり

ネズミさんがいて それで

ゴーシュに「何とか 駄目だよ」とか
いろいろな…

「お前 駄目じゃないか」
「リズムが駄目だよ」とか

「音程が駄目だよ」とか言われながら

そこで学び取ると
最後に拍手されるわけでしょ。

ゴーシュは何をしたかっていったら…

これ 私の勝手な解釈ですけどね。
すばらしい!

そういう解釈をして これを

東日本大震災が終わったあとに
やっぱり…

…っていうことを 賢治は言ってるよ
っていうことが伝えたくて

それを人形劇にしたんですね。

私が 生命誌でやりたいことは
やっぱり 今

自然から もっと学んでほしい
っていうことなので。

「人間は生き物であり
自然の一部である」と

考え続けてきた中村。

その言葉どおり みずからの日常生活も
いつも 自然であふれている。

ここは 東京にある自宅の庭。

ほら これと これ。
ここにも まだ なってるし。

家族と一緒に植物を植え
一から作り上げてきた庭は

今や 公園さながらだ。

風がね 違うの。 すごい ほっとして。

こう 息がよくできるっていう気がする。

定期的に 庭の公開もしているという。

自然の中でこそ 人は人らしく生きられる。

多くの人に自然の良さを伝え

地域の緑を守ることも
自分の役目だと考えている。

♬~

一方の舘野も 自然とは縁深い。

もう半世紀以上
北欧 フィンランドに暮らす舘野。

湖のほとりにある
白樺の木々に囲まれた別荘は

大のお気に入りの場所だ。

♬~

自然にも いろいろあって。
それは 一面 厳しかったり

だけど それが また楽しかったり
っていうことだと思うんですけど

フィンランドと両方 お過ごしに
なっていらっしゃいますでしょ?

やっぱり 自然って思われたときに

そういう広がりみたいのはあります?

向こうは その半年が…

言ってみれば 冬。 半年が春。

ちょっと 日本じゃ分かんないですよね。
極端なんですよね。

それと それに…

でも 僕は 別に…

世界 どこ行っても…。
どこ行っても… どこ行っても

それぞれに楽しい?

その場その場の自然がお好き…。
そうそう…。

それは そうですね。

どこの自然がいいとか
どこがっていうのではなく。

生きて 動いてるんですから…。
それも多様だし いつも動いているし。

舘野さん 拝見してても

お好きなように
やっていらっしゃるような気が…。

あんまり
お選びにならないんじゃないですか?

選ばないです。 ピアノなんか よく
どこそこのじゃなきゃ…

どこそこの高級品じゃなきゃ
駄目だというのが

それが いいようにも
言われているけどもね。

楽器と そういう関係が出来るんですか?
関係が出来る。

まあ つまり…

あっ 本当ですか!
だから それが すばらしいんです。

楽器も生き物みたいな…。
そうそう。

ああ そうですか。

だから…

そういうふうに やればいいんだ。

だから 私は
生き物 生き物っていっても

生き物については
知ってますけど

楽器も生き物。
そうです。

そういう見方をすれば…。
手が触れるとこは みんな そうなる。

そうすると 応えてくれる。
ええ ええ。

「これは生き物じゃないよ…」。

ともに生きるっていうのは
生き物だけの話じゃなくて

あらゆるものと ともに生きるっていう。

なるほど。 それは いいことを伺いました。

僕はね とにかく ずっと…

それで だからね…

だから これから また
いろいろ新しい作品を いろんな人とやる。

合奏もやる。 オーケストラともやる。

そういうことが つながっていってね。

それで ある日
「はい さよなら さよなら」と。

そうできたら 一番いいですよ。

本当に そうなったら
それは 一番いいですけどね。

生き物 なかなか思いどおりには
いかないところが ありますけれども。

それは 舘野さんの場合 ピアノで

それを表現してらっしゃる。

私は 生命誌っていう形で。

やっぱり 本当に…

同じように 共通に

「生きる」っていうことの大事さ

というものを
同じように感じていらっしゃる。

音楽の面でもね 生命学の面でも

そうなんだなと思って

感心することが多かったですよ。

とてもよかったですね。

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