徹子の部屋 岡田茉莉子~夫婦共に86歳…職場結婚から55年~1964年ドイツで映画監督の吉田喜重さんと結婚式…



出典:『徹子の部屋 岡田茉莉子~夫婦共に86歳…職場結婚から55年~』の番組情報(EPGから引用)


徹子の部屋 岡田茉莉子[解][字]


~夫婦共に86歳…職場結婚から55年~岡田茉莉子さんが今日のゲストです。


詳細情報

◇ゲスト

1964年ドイツで映画監督の吉田喜重さんと結婚式を挙げ今年で55年。女優・岡田茉莉子さんがゲスト。

◇番組内容

ここ数年の楽しみは想い出の地ドイツを訪ねる事。それには何より健康でなければと夫婦で体力強化。体を動かす事が大好きな岡田さんはスポーツジムでエアロビクスやジャズダンスを行うという。そんな岡田さんも東京大空襲を経験し、空襲の激化で東京を離れた。着いたところは新潟。後に分かった事だが、終戦を前に広島・長崎に続き「原爆投下」目標の一つに新潟が含まれており、実際に逃げるように町を出た…と、当時を振り返る。

◇おしらせ

☆『徹子の部屋』番組HP

 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/



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徹子の部屋 岡田茉莉子~夫婦共に86歳…職場結婚から55年~
  1. 本当
  2. 映画
  3. お母様
  4. 新潟
  5. 随分
  6. 全部
  7. 日本舞踊
  8. 主人
  9. 学校
  10. 自分
  11. エアロビクス
  12. レッスン
  13. 健康
  14. 疎開
  15. 大変
  16. お鍋
  17. お父様
  18. ジャズダンス
  19. フフフ
  20. 一緒


『徹子の部屋 岡田茉莉子~夫婦共に86歳…職場結婚から55年~』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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(黒柳)女優の仕事は

まず健康管理。

仕事のために 健康な体を

キープという事で

ご主人… そろって ご夫婦で
ジムに通っていらっしゃいまして

ジャズダンスだの
エアロビクスだの

いろいろ やっていらっしゃる?
偉い。

どのぐらいの割合?
えっ?

どのぐらいの割合?
えっとですね

週に3日は
スタジオ 入ってるのね。

すごい…。
まず 日本舞踊でしょ。

それから エアロビクスね。
今… これ。

それから あと ジャズダンス。

うん すごい。
45分間。

だから 週に3回は スタジオで
今のところは やってます。

日本舞踊もその中に入ってる?
入ってます。

日本舞踊は 前から
やっていらっしゃるの?

はい。
そうでしょうね。

この初公開…
レッスンの風景は

初公開だそうでございますけど

ここで ご主人も
ご一緒にやっていらっしゃる?

はい エアロビクスは
一緒にやってます。

そうなの。 すごいわね。

でも 1週間に3回っていうと
随分…。

そうですね 結構 あっという間に
1週間 きちゃうから。

レッスンはいつも ああいう格好で
やっていらっしゃるの?

エアロビクスはね。
ふーん…。

1回は どのくらい?
1時間ぐらい?

えっとね エアロビクスは
30分なんですけど

ジャズダンスが45分。
ふーん… そうなの。

何人ぐらいでレッスン…?
えっとね

今 メンバーは6人なんですけど

私が曲を選んで

それをインストラクターに
振り付けしてもらって

それで やってるんですよ
ジャズはね。

♬~(音楽)

これ? こういう?
こういう音楽?

ハハハハ… やってます。

この選曲は
ご自分で なさるんですって?

はい。 だから
ジャズが好きだったから

ジャズの曲をね…
アームストロングの曲だとか

シナトラだとか 選んで。

なるほど。
はい。

今度の時は 動く映像も ちょっと
お持ちいただいて… できれば。

そうですか。 はい。

だって 写真だけじゃ
つまらないじゃない。

せっかく
やっていらっしゃるのにね。

でも それ やっていらっしゃると
やっぱり 健康にいいみたい?

そうですね。
もう5年になりますから。

ジャズダンスとかは 結構
覚えなくちゃいけないので…。

頭も働く… うん。

せりふを覚えるのには
ちょうどいい… なるほど。

お家の中で
運動していらっしゃるの?

家では やりませんけど

たまに 仕事で
ロケーションなんか行くと

お部屋で やってます
ストレッチを。

ストレッチをね… そう。
ストレッチも悪くはないですよね。

本当は した方がいいですよね
絶対ね。

…と思うんですけど
私も なかなか やらない。

でも 私も 体操は やってますね。

ねえ? 体操はね いいですよね。
そうです。

さて おめでとうございました。

ご夫妻で… 日本アカデミー賞
ご夫妻で受賞という事で。

これ うれしかったでしょ?
ご夫妻で…。

うれしかったです。 今まで
何十年もやってきた事を

認めていただけたという事が
一番うれしかったです。

長年の貢献と顕著な実績。

今もなお活躍している人が
対象という事ですが…。

これは ご夫妻で こちらに
おいでくださった時のですけど。

さっき これの前に お二人が

その 会長功労賞を
受賞していらっしゃる時の

お写真が出ました。

これ これ… そう。 本当にね
おめでとうございました。

ご主人も お喜びでしたでしょ?

そうです はい。
本当よね。

まあ やっと報われた
っていう感じですかね。

2人で 一生懸命 苦労して
映画を作ってきて

やっと認めていただけて
っていう感じで。

すごい そういう意味で
うれしかったです。

そうですよね。
それから やっぱり あなた方は

一応 前に出る人だけど
監督は やっぱり ほら…。

そうなんですよね。

作品は出るけども
本人は出ないので。

でも 随分 あなたも
芸歴 お長いわね もうね。

何歳の時にデビューでしたっけ?

18歳。
ああ そうか…。

じゃあ もう 六十何年…
わかんないけど。

60年 越しましたね。
そうですよ。

東宝のニューフェイス?
そうです。

そうですよね。
ちょっと遅れて 中高生で入って

すぐに抜擢されて
映画に出ちゃったもんですから

それっきり ずっと
どこの世界も知らずに

映画界だけで育った。

でも 本当に 私なんか
テレビがない時代ですから

もう 映画しかないじゃない。
だから もう 本当に

あなたの映画なんか
封切りした時に すぐに見に…。

毎日毎日 映画 見ました。
ありがとうございます。

あの頃 映画しかなかったから。
ねえ。

あの頃の あなたが
出ていらしたような映画って

楽しいお話が多かったじゃない。
はい。

割とね… 怖くないような。

それで とても 私…
拝見いたしました。

ああいう お出になった時は

演技のレッスンとかは
なさったの?

いえ レッスンは もう…
要するに 研究生時代に全部…

基礎を全部 教わってましたので

本番に入ってからは…。

予習 復習を
欠かさない人なので…。

映画って いきなり 最後のシーン
撮ったりするじゃありませんか。

ですから 最初から本を読んで
何度も本を読んで

一人の人間像を
作り上げていく事が

すごい楽しかった。
それは面白いですよね きっとね。

だから 最後から撮っても
別に困らない?

はい はい。
でも あの…。

ちょっと動いた映像があるそうで
あなたが日本舞踊を…。

ちょっと
VTRで ご覧いただきます。

踊りの?
踊りのよ。 日本舞踊。

(ナレーション)「あでやかな藤娘は
岡田茉莉子さん」

『藤娘』だ。
そう。

(ナレーション)「芸能界の人気者が
今日ばかりは

裏芸を見せるという趣向が
いっぱいの人を呼んで…」

ハハハハ…!
あら 可愛い。

なんか
東映のニュースですってよ。

ああ あの…
新年会かなんかだと思います。

可愛い… でも 相当
ちゃんと『藤娘』だから 大物…。

大物っていうか…。
そうですね 大作ですね。

大作ですからね 大変ですよね。
あっ そう。

でも 今でも
やっていらっしゃるの?

はい 今でも やってるんです。
好きなんです。

あっ そう。

なんか こう…
体を動かす事が好きなんで

なんか 音楽が鳴ると
すぐに こう 動いちゃうっていう

変な人なんです。
フフフ… でも いいじゃない。

それは人間の持ってる本能…

もともとの本性
そうかもしれないのでね。

日本舞踊は
随分 お稽古もなさった?

はい。

お母様が
教えていらしたって事はない?

母はね 日本舞踊じゃなくてね
モダンバレエの方…。

全然 違う。
なぜ私が日本舞踊が好きなのか

わからないって言ってました。
フフフ…。

お母様とご一緒の写真…。
母はね バレエの方でね

宝塚時代に なんか
ロシアから先生がいらして

習って
すごい楽しかったって。

だから うん… 全然違うの。

この あなたのさ
お洋服っていうものは

あの時代の…。

ウエスト キュッと締めて…。
そうですね。

そうです そうです。
はい そうでした。

でも あれですよね 考えてみると

昭和の初めに
本当に人気俳優だった

岡田時彦さんという

ハンサム中のハンサムの
あなたのお父様が

割と早く亡くなったから
お母様 随分 長く…。

母一人で… あの時代は

女性家族だと バカにされる
という事があったらしくて

私は すごく厳しく
育てられたんですよ。

お母様に?
はい。

お父様は 今 ちょっと
写真がね…。

お父様 出てて
本当にハンサムな方なんだけど。

でも おかげさまで その厳しさが
今でも残ってるので なんか…。

「強い 強い」って
言われるんですけど

本当は
そんな強くないんですけどね。

なんとなく でも
頑張ろうっていう…。

監督の吉田喜重さんと
結婚なさって

もう55年ですってね。
早いですね。

ねえ。
早いですね。

今でも お互いを
尊重し合う仲なんですって?

そうですね。 はい。

ドイツでね 結婚なさったってね
あなた 前に…。

これ そうでしょ?
そうです。 結婚式の時ですね。

そう。 それで この前…。

ここに全部 行って
ご覧になったって

おっしゃいましたよね。
そうです そうです はい。

可愛い。 でも あんな
外国にいらっしゃるのに

着物を持ってらして 全部。
そうなんですよ。

本当はね なしで行こうと
思ったんですけどね。

木下惠介さんが お仲人で

「どうしても持っていけ」って
おっしゃって。

それで振り袖を…。
持ってらしたのね。

持っていきました。
自分で着たんですよ これ。

すごいわね。 帯も?
うん 自分で。

誰もついていかなくて
2人だけで行ったものですから。

帯は 付け帯じゃなくて?

ええ。 これはね 自分で…
後ろで締めてもらって

あと 自分で全部やりました。
あっ そうなの。 へえ…。

随分…。
フフフ…。

55年っていう事になると
随分 長いんだけど

初めてお会いになった時
ご主人の印象って どんなでした?

初めて会ったっていう時はね
彼は助監督だったので

私 記憶にないんです。
あっ そうなの。

その時 岡田さんの事を
夫は どう思ったのか知ってる?

聞いてください 今度。
フフフフ…!

どう思ったか?

生意気とか 強気とかって
思ったかしら。

えっ?
生意気とかね 強気とか…。

どうなんですかね?
同じ年でしょ?

同い年なんですよ。
生まれたの同じで。 全く。

だから ちょっと わからないけど

監督からして あなたが きっとね

大人っぽいと
お思いになったかどうか。

結婚式の場所に…。
金婚式のあとですね 行ったのね。

いらした時ね この前ね。
はい。

この旅は 本当によかったと
おっしゃったわよね? あなたね。

そうです。
みんなが

昔のとおりだったんですってね。
本当に昔のまま残ってて

よかったです。
ねえ 本当にね。

でも 行ってみようって
2人の相談が まとまったのが

よかったですよね。
そうです。

なかなか そうじゃないと
行かれないですもんね。

結婚式をした昔のドイツへ
行ってみようなんていうような事

あっちこっちね。

あなたのお父様は もう
ハンサム中のハンサムの

岡田時彦さんだって事は
知ってたんだけど

お母様が宝塚の男役だった
っていうのは…。

そうなんです。
男役?

男役なんです。
へえ…。 お名前がね 田鶴…。

田鶴園子っていう芸名… はい。

ふーん…。

あなたは それを
ご覧になる事はなかった…?

そうね。

でも あれでしょ? 岡田さんは
1歳で お父様を亡くして

ご主人は2歳の時に
お母様が亡くなって…?

お母様なんですね。

彼は 福井の大空襲で
家を全部なくして。

私は いろんな… 怖い思いをして。

だから 戦争体験は
全く2人 同じなんです。

そうなのね。
だから まあ 同い年ですから

話をしても すぐに ピッと
通じるっていうのが楽です。

そりゃそうですよね。

でも ビックリしたんだけども
あなた 新潟の方に

疎開なさるような事に
なったんだけど

当時 新潟に疎開したら
大変な事になってたんですって?

えっと… ええ そうなんです。

これはね 結局
新潟へ疎開する前に おじが

「もう これからは 赤い色とか

色のついた服は
着れなくなるだろうから

写真屋 行って
撮ってらっしゃい」って

おじに言われて
撮った写真なんですよ。

写真屋さんでね 可愛い。
それで新潟で怖い思いを…。

私 知らなかったんですけど

新潟から… 動けって
言われたのは

あとで わかったんだけども
広島 長崎に原爆が落ちたあと

なんか 「次が新潟だ」っていう風に
新聞に出てたのね。

そうなんですって。
それ 私たちもね…。

ビックリしたの。 原爆投下…。

当時 原爆っていうのは
わからなかったんだけど。

それで 私たち知らなくて
帰ってきてから

こういう事だったって
聞いたんですよ。

ねえ 怖い事だわね。
怖い事ですよ。

ある日 学校から帰ったらね

近所の方たちが みんな集まって

裸馬の… 木の 荷物を置く馬車に

「みんな 乗ってください」。

で とにかく
4里っていうから…

「16キロ離れた所に
行きなさい」って

新潟の知事さんに
言われたって…。

全員 近所の方たちと一緒に

その馬車に乗っかって
行ったんですよ。

で 痛いですよ 木ですから。
そうそうそう…。

お母様はいらしたの? その時。
えっ?

お母様。
お母様は いらっしゃらないの?

だから おばと おじも全部…。

一家全部で…。
行ったのね。 うん。

だんだん ほこりだらけの道から
新潟が見えなくなっていって。

で 着いた所は
赤塚っていう村だったんですよ。

覚えているのは
あんまりないんですね

そこに… 生活っていうのは。

だけど 覚えている事は 1つは

着いた日に 馬小屋の横の
板の間に寝かされた。 ね?

夜中に 馬のノミが
飛んでくるのが見えるの。

見えるの?
見えるの。 それぐらい大きいの。

それで 私 肌が弱いもんで
すごい苦しかった記憶が1つ。

それで…
何日 どうやって生活したか

全然 記憶にないんですけど

何日か経って
沼で泳いでたら 呼ばれて

お庭の縁側の所に
こんなラジオが置いてあって

それが玉音放送だった。

あっ そうだったの。
そうだったんです。

ですから そういう赤塚の村で
終戦を迎えた。

で それまででも
やっぱり 夜中 寝てると

突然 空襲警報になって…。
そうそうそう。

寄居浜って浜まで

お鍋を頭にのっけて逃げました。

なんか 落っこってくると
いけないから。

うん…。
お鍋?

防空頭巾なんかじゃ
間に合わないのね。

鉄かぶとなんか
ないじゃないですか。

お鍋。
お鍋。

逃げましたね。
授業中も やっぱり

いきなり空襲警報で
机の下に全員 すぐ入って。

隣の子は「お母さん」って言って
泣くしね。

すごいですよ 機銃掃射の音って。

上から? ああ 怖い…。
ダダダダダ…!

あっ 次は自分だと思いましたね。

あっ 本当に?
そんなに すごかったの?

結局 新潟に
鉄工所があったんです。

それでだと思うんですけど。

で 学校の帰りに
萬代橋 渡って帰るんですけど

見たら ちょうど
信濃川の河口の所に

お船が… 軍艦が斜めになって
沈んでました。

本当に?
だから あの音だったんだなって

その時は思ったの。
だから すごい怖い目に…。

遭ってないですか?
私は 青森に疎開してたので。

東京大空襲の次の日に
疎開しました。

あんまり怖い思いはしてないです
その割に。

見ましたけどね。

空が焼けてるのとか
そういうのはね。

でも お互い
そうだと思うんだけど

本当に おなかすいてたでしょ?
あの頃って。

そうです。 ねえ。

私も15粒 大豆を
朝 母から与えられて。

それなんか いい方ですけどね。

「この15粒で 1日 あんた
暮らしていきなさい」って

言われて。 そんな感じ…。
私も やっぱり

ご飯は お丼で ほとんど大豆。

ご飯は ちょっと。
だから 大豆を数えて食べて。

それから
こんな ちょっとのご飯を

いただいて… ありましたわね。
そうです。 そんな感じでしょ。

それだって まだいい方よね。

だんだん
そういうのも なくなってきてね。

本当 随分
栄養失調で死んだ人もいるって

聞いたもんね あの頃ね。

だから どんなに まずくても
なんでも 食べ物があれば

食べたのは
よかったと思いますよね。

私もね それまではね すごい
好き嫌いが多かったんですけど

そんな事 言っていられなくなって
おなかがすくから。

おみかん… おみかんの皮も焼いて
食べてましたからね。

皮 焼きましたよね。
ねえ。

それから あれは
あなたは召し上がらなかった?

海藻麺っていうの。
海藻… 海のね。

海藻っていうと おいしそうだけど
そうじゃなくて

こんな… こういう
ザバッと こういう四角い

お座布団みたいな
打ち上げられている

茶色い昆布みたいなものに

ポロンポロンと
こういうものがついてる

食べられない昆布なんだけど
それを粉にして

それをコンニャクの…

なんかでつないで

こんな おうどんみたいに
おそばみたいになって

中に 点々 点々と
カエルの卵みたいに

昆布が入っているっていうものが
配給になったの。

召し上がった事ない?
それはね ないです。

それで それはね おしょう油とか
なんにもないから

ただ お湯で ゆでて

ただ ズルズル食べる
っていうだけでしたけど。

あんな… ねえ まずいもの
ないと思ったけどね。

小沢昭一さんがね
「それでも あったから

君 死ななかったんだよ」って
言われましたよ。

「それでも食べてたからね
生きてたんだよ」って… ねえ。

だから
丈夫なのかもしれませんよ。

そう 私たちはね。
そういう時代にね 育ったからね。

でも お台所には
いつも水をためておく

っていう風にしてたんですって?
そう。

だから 寝る時は
脱いだ順番に服を置いて

いつ 空襲になっても
すぐ着られる。

お台所に 必ず
洗面器にお水を1杯。

もし 爆弾が落ちてきても
それで消すと。

今でもね お水 ためてますよ。
あっ そうなの?

そうなの。 抜けないんです 習慣。
そうなのね そうね。

だから 朝 もったいないから
そのお水を植木にやってます。

そういう事ね。 でも なんでね

あの最中に なんで
小学校へ行ったんだと思わない?

私 ずっと
不思議でならなかったの。

行ってましたね 本当。
だって 家を出たら

家は もう焼けてるかもしれないし
親も死んでるかもしれないし

今日 帰ったら
どうなのかな? なんて

そういう感じで
学校 行ったでしょ?

行きましたね 学校にね。
なのにね どうしてね

そんな あの… 学校へ
行かせられたのかと思ってたの。

私 ずっとね
最近まで 不思議に思ってたの。

私 この間ね
レバノンっていう国にね

ユニセフで
ちょっと行ったんですよ。

そこに まあ 難民が…
450万のレバノンに

150万の難民が入っているっていう
すごい所なんだけど

みんな
勉強がしたくて勉強がしたくて

仕方がないんだけど
なんとも もう

間に合わないわけ 全てが。

その時に 「この年代の時に
勉強しなきゃダメなんです」って

先生たちが言ってるわけ。

だから 小学生ぐらいの時に
その時に詰まった事って

きっと大事なんじゃない?
だから 私たち

なんで 学校へ
行かなきゃいけないのかなと

思ってた事が
ちょっと それでね…。

ああ あの時 勉強してなかったら
ダメだったのかなと思ってね。

そうかもしれないですね。
それでもね うん。

でも 本当に 映画やなんかでも
表現しきれないような

戦争体験ってね…。
そうですね。

毎日毎日の事でね。
だから 本当に

あなたもそうだと思うけども…
ご主人もそうだと思うけども

本当に 永遠に平和であればいいと
思うでしょ?

そうです。 本当に願いますね。
ねえ。

まあ そういう戦争体験が
ありながら

ニコニコして
スターに おなりになって。

…っていうんですから なかなか
大変だと思うんですけども。

ご主人が 今度
ご本を出版なさる?

私 全然知らなかったんですよ。
10年間 書いてたんですって。

10年も!? すごい…。

全然知らなかったんですけど。
なんか 5歳の時に

お家にあった新聞の切り抜きが
すごい気になってて。

それが あの… ヒトラーの
ナンバー2の人の話で

その人の記事があったのを
ずっと覚えてたんですって。

こんな子どもの時 読んだのが?
うん それを…

「ずっと書きたいと思ってた」って
言うんですよ。

私 全然 そんな 小説 書いてるの
知らなくて 10年間。

10年かかって
それを お書きになったの?

去年 書き上がったんで…。
すごいわね でもね。

その人の事 調べてでしょ?
えっ?

その人の事を調べてでしょ?
そう。

まあ お互いに
仕事の事は干渉しないっていう

スタイルで きましたので
別に聞かなかったんですよ。

研究してたんです。

そしたら その本 お書きに…。

お二人で 今後の人生の
お話とかってなさる事ある?

そうですね 今 とりあえずは

2人で健康に過ごしましょう
という事ですね。

毎年1回 できれば
外国旅行してっていう。

来年 彼は ニューヨークで
メトロポリタン美術館でね

回顧上映があるんですって。

あら! 彼の映画の?
うん。 彼の映画ね。

それで 来年は 久しぶりに
ニューヨーク行けるかななんて。

いいじゃない。
ついていけるかな なんて…。

行かれるわよ。
大丈夫よ あなたね。

あっ そうなの? 回顧映画。
はい。

すごい! たくさんあるの?
たくさん作りましたけどね

何本 上映されるか
わからないんですけど。

あなた その中の…
随分 出ていらっしゃる?

はい。 出てるのがあるといいなと
思ってます。

そうよね。 でも そういうのを
やってくださるっていうのは

いいですよね。
はい ありがたいです 本当に。

そうですか。

じゃあ それが まあ 来年の
差し当たっての お楽しみで。

あと そうすると
年取っていくとか

そういう事については
あんまり お二人で話ししない?

うん あまり…
あまり話しはしない。

とにかく 健康に
気を付けていましょうという事を。

だから 体操を お二人でやる。
ダンスもやる。

2人で これをやって。
ダンスもやって。

ご飯も それじゃあ
正しく食べてる?

朝昼晩 きちんと いただいて。

私が 一応
家事を全部させていただいて。

まあ あの… やっておりますので

それも健康の1つかなと
思ってます。

体をね 動かすという事は
いい事だなと。

例えば 朝は
どんなものを召し上がるの?

朝はね パンです。 パン食で。

パンに
蜂蜜とバターをちょっとつけて

あとは サラダを
いっぱい食べていただいて。

で カフェオレで デザートで
果物を ちょっといただいて。

朝は それだけ。
お昼は? ちなみに。

お昼はね 大体 和食か麺類かです。

夜は もう いろいろです。
フフフ… お肉とか?

お肉とか お魚とか。
お野菜とか?

はい。
そうですか。

でも 献立
考えるのも大変じゃない?

それが一番大変です。 作るよりも
お献立 考えるのが大変。

でも あの方は
好き嫌い おっしゃらない方?

台所には一切 入ってきません。
でも それは楽です。

ああ その方がね。

そうかもしれない。
どうもありがとうございました。

(拍手)


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