アナザーストーリーズ「朝ドラ“おしん”誕生~人生をかけた、女たち~」最高視聴率62.9%の大ヒットはなぜ生まれ…



出典:『アナザーストーリーズ「朝ドラ“おしん”誕生~人生をかけた、女たち~」』の番組情報(EPGから引用)


アナザーストーリーズ「朝ドラ“おしん”誕生~人生をかけた、女たち~」[字]


爆発的ブームを巻き起こした朝ドラ「おしん」。その舞台裏を橋田壽賀子が、泉ピン子が、小林綾子が今明かす!最高視聴率62.9%の大ヒットはなぜ生まれたのか?


詳細情報

番組内容

1983年4月、テレビドラマの金字塔ともいうべき朝ドラがスタート!連続テレビ小説「おしん」。その舞台裏には、人生をかけた女たちのドラマがあった。脚本家・橋田壽賀子が込めた日本人への痛切なメッセージとは?泉ピン子が、小林綾子が今、明かす、その過酷な撮影現場。そして、おしんブームは世界にも広がり、戦争中に放映されたイランでは、視聴率90%ごえ!イランでおしんに影響を受けた女性は今どうしているのか?!

出演者

【司会】松嶋菜々子,【出演】橋田壽賀子,泉ピン子,小林綾子,【語り】濱田岳



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母ちゃん! 母ちゃん!

ほだなことで
おれがやめると思ってるのか?

米5俵くれるって言うから
どだいつらいことあったって

辛抱するつもりで来たんだ。

帰れねえ 帰れねえんだってば!

そこには
女たちの熱い思いが込められていた。

♬~

半世紀以上にわたって
お茶の間の朝に元気を届けてきた

連続テレビ小説「朝ドラ」。

今放送されている「なつぞら」で
ちょうど100作目となりました。

1996年に放送された「ひまわり」では

私もヒロイン役を務めさせて頂きました。

俳優として生きていくきっかけと
多くの学びを与えてくれた

人生の転機となった大切な作品です。

そして
これまでの数ある「朝ドラ」の中で

人々の記憶に
最も深く刻み込まれているのは

この作品と言っても
いいのではないでしょうか。

日本中の涙を誘い…

ドラマ史上 いまだ破られたことのない

驚異的な数字を たたきだしました。

♬~

物語の始まりは明治時代。

主人公は
食べる物にも事欠く山形の農村で

貧しさゆえに過酷な運命を
背負わされた少女 おしん。

もう おめえに食わせる米がねえんだ。

んだから 奉公さ 行かんなんねえんだ。

おれは
父ちゃんや母ちゃんのそばさいたい。

どこさも行きたくねえ!
≪おしん!

田んぼでも畑でも何でもする。
子守もする。

んだから よそさ行けなんて
言わねえでけろ。 ここさ置いてけろ。

ドラマは 成長していく
おしんの姿を見つめる。

それは 明治から昭和までの
激動の時代を生き抜いた

女たちの思いに
寄り添うことでもあった。

自分の息子が戦争に駆り出されると
思ってなかったんだよ…!

描かれ続けたのは
きれいごとではない リアル。

その中でも
今も語り継がれるのが この場面。

少女時代のおしんが 貧しさのあまり

米1俵と引き換えに
いかだに乗せられ 奉公に出る。

おしん!
あっ 危ない!

母ちゃん! 母ちゃん!

母ちゃん!

父ちゃん! 父ちゃん! 父ちゃん!

その撮影現場は
母娘を演じた女優たちにとって

過酷なものだった。

真冬の川で6時間の撮影。

そしてドラマは
日本中に大ブームを巻き起こす。

おしんと名の付く
ありとあらゆるものが売られ

「おしんドローム」という
社会現象まで巻き起こした。

やがて その人気は
国内だけではなく 世界へと広がり…

そして 世界のトップまで…。

豊かな時代におしんが訴えかけたものとは
何だったのか。

運命の分岐点は…。

「おしん」の放送が始まった日です。

この日を皮切りに
数々の名場面が生まれました。

中でも こちらのシーン。

7歳のおしんが 米1俵と引き換えに

いかだに乗せられ
奉公に出される場面です。

第1の視点は…。

その撮影現場を 多くの
スタッフに交じり

心配そうに見守っていた
一人の女性。

実は この場面。

ある女性から届いた
一通の手紙に

深い感銘を受けたのを
きっかけに

いつの日か映像化したいと
願い続けていたのです。

その手紙には 何が書かれていたのか。

物語に 日本人への痛切なメッセージを
込めた脚本家の アナザーストーリー。

その女性は 都会の喧騒から離れ

移りゆく時代にあらがうかのように
筆を執り続けてきた。

「おしん」の脚本家
橋田壽賀子 94歳。

キャリアをスタート
させたのは 70年前。

以来 おびただしい数のドラマを書き
ヒット作を連発してきた。

20年以上続き 多くの世代に愛された
民放の人気シリーズ。

初めて女性の目線で戦国時代を
見つめた 大河ドラマ。

いつも日本人の心の機微を
すくい取ってきた。

中でも 最大のヒット作が「おしん」だ。

全297話 橋田は一文字一文字手書きで
言葉を紡いだ。

そうまでして「おしん」に込めたのは

めまぐるしく変わる時代への
橋田なりの問いかけだった。

そもそも 「おしん」が放送された1983年は
バブル景気直前。

世の中に お金や物があふれ始め

豊かな社会であることが
当たり前になりつつあった。

実は そんな時代だからこそ

「おしん」は どのテレビ局も
手を出そうとしない企画だった。

同じ頃 人気だったドラマといえば

女性アイドルが明るく奮闘する物語や

若者たちのリアルな日常を描いた作品。

そして 上流家庭の闇を暴く
サスペンスドラマ。

その中にあって
橋田が出した「おしん」の企画は

徹底的に貧しさや苦労を描くことから

時代に逆行するものと
受け止められた。

それでも簡単に引き下がらないのが
橋田だ。

「おしん」には 時代にあらがってきた
自分の経験も刻まれていた。

橋田が脚本家として第一歩を
踏み出したのは 戦後まもない昭和24年。

最初に就職した映画会社では

初の女性脚本家と もてはやされた。

だが 現実には男社会。

女だからと ほとんど書かせてもらえず
10年間 仕事らしい仕事はできなかった。

「女性の自立」が
橋田の描くテーマの一つとなっていく。

そんな頃 見たのが
昭和34年 テレビで中継された

あの 世紀のご成婚パレード。

初めて民間から嫁ぎ 晴れやかな表情で
手を振る その女性の姿に

新たな時代の幕開け
更に テレビの可能性を強く感じた。

そして 大切な人と出会う。

現在も橋田と「渡る世間は鬼ばかり」で
名コンビを組む

TBSのドラマプロデューサー 石井ふく子。

すでに第一線で活躍していた石井は
橋田と共に

作りものではない人々の日常に
ドラマのテーマを探していった。

そこから生まれたのが

女3姉妹の何気ない日常を
繊細に紡いだ人気シリーズ。

石井との出会いが 女性の目線で
家族の日常を描くというスタイルを

橋田にもたらした。

そしていよいよ 橋田を「おしん」へと
向かわせる出来事が起きる。

橋田のもとに…

そこに綴られていた
壮絶な人生に

橋田は深い衝撃を受けた。

「かつて若い頃には
米1俵で何度も奉公に出され

その後 女郎に売られた
とありました。

やがて そこから逃げ出し

ミシンを習って自立したという
体験物語に

私は大きな衝撃を受けました」。

この時 そこにつながる
もう一つの話を思い出す。

戦後まもなく訪れた山形で
ある女性から聞いた話だ。

時はまさに
日本が 1980年代を迎えようとする頃。

豊かさの陰で 何か大切なことを
失っているのではないか。

明治生まれの女性が背負ってきた苦労を
社会にぶつけようと心に決めた。

橋田は何度もテレビ局に断られたが
かまわず取材を続けた。

そして 手紙を受け取ってから3年後

橋田はようやく
「おしん」のテレビドラマ化を勝ち取った。

主人公の名前には
さまざまな思いを込めて…。

おしんの名前なんて
早くから考えてたんですよ。

いっぱい「しん」の字があるんですよ。

それを込めて「おしん」って
最初から決めてあった。

「おしん」だけは決めてて なぜか。

そして 撮影が始まった。

これですよ。 寒かったんですよ。

橋田も現場に駆けつけた
あの大切なシーンの撮影。

真冬の最上川で
おしんが奉公に出される別れの場面。

だが 撮影は簡単ではなかった。

理由は 橋田が台本に書き込んだ一文字…。

「筏」。

橋田は自分が聞いた話を
忠実に再現することにこだわった。

しかし 当時この地域で
いかだは もう使われていなかった。

スタッフは地元の人に頼み

撮影の40日前から準備して

当時と同じ材料で いかだを作った。

誰もが橋田の思いに応えようと
必死だった。

そうしたこだわりの末に
あの場面が生まれた。

スタッフ50人以上が見守る厳戒態勢の中
本物のいかだを使った 命がけの撮影。

しっかり つかまってろ!
どだなことあっても立つなよ!

おしん!
危ない! 座ってろ!

母ちゃん! 母ちゃん! 母ちゃん!

母ちゃん! 母ちゃん!

母ちゃん! 母ちゃん!

父ちゃん! 父ちゃん! 父ちゃん!

父ちゃん! 父ちゃん!

おしん! おしん!

父ちゃん! 父ちゃん! 父ちゃん!

おしん! おしん!

おしん すまねえ…。 すまねえ…。

役者たちの懸命の演技に
橋田は 現場で涙を流したという。

橋田は 更に当時の現実を忠実に描こうと
筆を走らせていく。

その一つが この 大根飯。

あれ? このうちも大根飯が?

おっきな店だから
白い飯だとばっかり思ってたのに。

店の衆5人も抱えてる大所帯だ。

白い飯など食ってたら
身上 もたねえべ!

この大根飯も 橋田がいかだの話を
聞いた時に 存在を知ったものだった。

その作り方を苦労して調べ上げたのが…

米が不足していたため
大根で かさ増しした…

当時の庶民の暮らしは
ほとんど記録に残されていなかった。

天野は 数え切れないほどの資料を
読み込み

ついに その作り方を探し出した。

その大根飯を食べる場面を

橋田は豊かな時代に突きつけるように
あえて何度も使った。

しかし 橋田と共に撮影を見守った

プロデューサーの小林由紀子は

それが視聴者にどう受け止められるか
自信はなかった。

結果は 小林も驚くものだった。

どうもお待たせしました。

大根飯は 豊かな時代に
大ブームとなったのだ。

はい しんちゃんも。 おいしいよ。

そんな顔しないで。

NHKには連日
視聴者からの便りが寄せられた。

「涙なしでは見ていられません」。

「私によく似たところがあって
びっくりしています」。

そして ドラマの中の時代が変わり
おしんが母親へと成長した頃

橋田は もう一つ どうしても伝えたかった
テーマに取り組む。

神風特攻隊のニュース聞いて
じっとしていられなくなったんだ。

お国のために死ねるんなら

こんな光栄なことはないさ。
いつだって喜んで。

(たたく音)
≪おしん!

何も分かんないくせに
特攻隊なんかに憧れて!

命を粗末にすることだけは
母さん 許さないからね!

日本が 戦争に突き進んでしまった
時代への反省。

橋田は 敗戦後感じてきた自責の念を
こんなセリフに込めた。

母親なのに
自分の息子も守ってやれなかった…。

母さん…。

母さん一人でも

何の力もなくても
反対しなきゃいけなかったんだ。

自分の息子が戦争に駆り出されると
思ってなかったんだよ…!

戦争中 橋田も海軍の経理部で
働いていた。

日本がいい戦争をしていると思い込み
何の疑いもなく お国のために働いた。

しかし 突然の終戦の知らせ。

戦争を後押ししていた大人たちが

何事もなかったかのように
態度をひょう変させたことが

橋田には 腹立たしかった。

それでも人は 生きていかねばならない。

傷つきながらも また立ち上がっていく
おしんの姿に 橋田は希望を託した。

もっともっと立派な家
建ててみせるからね。

母さん これから一生懸命働いて
お金もうけるわ。

この戦争でなくしてしまったものを
きっと取り返してやる。

母さんの腕一本で取り返してみせるから。

逆境にめげず たくましく生きる おしん。

橋田には どうしても
見てほしかった人がいたという。

おしんが生まれたのは
明治34年という設定。

それは 昭和天皇が生まれた年だった。

橋田さんが語り継ごうとした
日本人が歩んできた道のり。

それが視聴者の胸を打ったのは

過酷な撮影現場に立ち向かった
俳優たちの存在があったからです。

第2の視点。

1人目は いかだに乗って奉公に出される
おしんを演じた 名もなき子役。

当時 僅か10歳だった その少女は

周りのスタッフを仰天させるほどの覚悟で
撮影に挑んでいました。

そして もう1人は…。

この極寒の最上川で
その当時の日本にあった

悲劇的な真実を伝えようと
鬼気迫る演技を見せた女優です。

身の危険さえ顧みず
その役を演じきった女優の決意は

ドラマが伝えるメッセージを
より強烈なものにしました。

現在放送中の「なつぞら」。

いってきます。

その中で 北海道開拓に来た
貧しい一家を支える母がいる。

天陽と仲良くしてやってね。

おはようございま~す。
よろしくお願いいたします。

彼女こそ 少女時代のおしんを演じ
一躍 時の人となった…

当時は まだ10歳だった。

旦那様は 優しい人だ!
おれ ここさ奉公に来ていがった!

母ちゃん
おれ 学校さ行くんだぞ!

そして もう一人
ドラマに欠かせなかったのが彼女。

家族の幸せのためなら
どんな犠牲もいとわない。

そんな母親の生涯を演じた。

体 大事にして 丈夫で帰ってこい。

長い女優人生の中で

「おしん」ほど心身を消耗する
過酷な撮影はなかったという。

最上川での撮影初日。

いかだの場面に挑む小林の姿を
カメラは追っていた。

(撮影スタッフ)ちょっと「母ちゃん」って。
母ちゃん!

(撮影スタッフ)OK? はいはい よし。

緊張感あふれる現場での
初々しい気持ちを語っていた。

(聞き手)歯医者さんに行くよりは
ましだと思ったら 緊張しなくなったんだ。

(小林)はい。

「おしん」のオーディションで 100名を
超える子役の中から選ばれた小林は

実は それまで全く無名。

小さな役しか演じたことがなかった。

「おしん」のプロデューサー
小林由紀子は

おしん役に決めた理由を こう明かす。

しかし おしん役に決まってからが
大変だった。

当時 テレビ番組のインタビューで
こう答えている。

(聞き手)セリフ覚え。 山形弁でしょ。

当時使ってた台本を
持ってまいりました。

撮影前 小林は 36話分の台本を渡され
覚えるように言われた。

橋田が書く長ゼリフは
子どもであっても容赦なかった。

(小林)ここにね
「帰れねぇッ 帰れねえんだってばッ。

おねがいするっす おねがいするっす
おねがいするっす」って

ここ 自分で書いてありますけど
このあとですね。

今度 ここに続くわけですよ。

これがまた結構長いセリフでですね。

それが この場面。

撮影が始まるまでに

小林は自分だけではなく
相手のセリフまで頭に入っていた。

しかし 実は…。

そして いざ撮影が始まると
小林を もう一つの試練が襲う。

ひどい風邪をひいたのだ。

この時 小林は 子役とは思えないほどの
女優魂を見せて 周囲を驚かせた。

母役の泉は
そのことを強烈に覚えていた。

そんな泉もまた 「おしん」の撮影に
ただならぬ思いを抱いて臨んでいた。

泉にとって 「おしん」への出演は
女優人生をかけたものだった。

芸能の道に進んだ当初
歌謡漫談家を名乗っていた泉。

当時は地方で
キャバレーのステージに立つ毎日。

酔っ払った客を相手に
芸人としての腕を磨いた。

世間に知られるようになったのは
20代の時に出演した あるワイドショー。

お色気ネタをマシンガンのような語り口で
レポートする姿が受け 人気が爆発。

ドラマへの出演にも
声がかかるようになった。

大きな転機となったのが
橋田が脚本を務めた「おんな太閤記」。

わしと甚兵衛殿は 好きで夫婦になった。

別れようが一緒にいようが 兄様から
そのようなこと言われる筋合いはないわ。

泉は見事に演じきり
女優として高い評価を受ける。

姉様… 姉様にも ようしてもろた。

許せ あさひ…。

橋田も 泉の人間味あふれる芝居を
気に入った。

与えられた役を懸命に演じた泉。

この頃のインタビューで
女優業への思いを こう語っている。

そんな泉に 橋田は
「おしん」への出演を打診。

泉は その依頼を すぐに引き受けた。

泉は全身全霊で
おしんの母親役を演じた。

これは おしんの妹 すみが
里子に出されるシーン。

お前には 子守も よぐしてもらった。

ほだなことになってしまって…。

実は この時
泉の足には ガラス片が刺さっていた。

それでも 演技をやめることはなかった。

そんな泉には
特に大切にしたいシーンがあった。

それは 橋田に出演を依頼された時に
聞いた場面。

代役が考えられていたが
泉は それを断り 自ら川に入っていく。

母ちゃん!

1月下旬 川の水は 身を切る冷たさ。

母ちゃん! 母ちゃん!

心配ねえ すぐ上がるから!
誰さも言うなよ! 黙ってろよ!

撮影は6時間に及んだ。

まさに命がけの演技だった。

その女優魂に 橋田は舌を巻いた。

歌謡漫談家から始まった芸能人生。

泉はいつしか 女優へと転身を遂げていた。

きれいだな。

そして 成長したおしんの腕の中で
母 ふじが亡くなる頃

ドラマの人気は頂点に達し…

…を記録する。

ドラマの人気の火付け役となった
小林には

今も大切にしている宝物がある。

♬~(ハーモニカ)

ドラマの中で
つらく悲しい出来事があった時

おしんがいつも吹いていたハーモニカ。

撮影後 それを譲り受けた小林。

ハーモニカを吹く度

ドラマが始まると まもなく

「おしんドローム」という言葉が
生まれるほどの旋風が巻き起こります。

更に その人気は海外にも。

これまで世界73の国と地域で放送され

「日本人」といえば
「おしん」と連想されるほど

世界に
その人気は広がりました。

中でも 中東の国イランでは
戦時下で放送され

最高視聴率90%台を記録。

第3の視点は 当時イランで
「おしん」を見ていた人たち。

戦争によって追い詰められ
過酷な境遇の中で生きる人々にとって

「おしん」とは一体何だったのか。

はるか海を越え
人々を勇気づけたドラマの

アナザーストーリー。

若者に人気の居酒屋がある。

はい 唐揚げ できましたよ。
はい どうぞ~。

名物は この…

写真撮ったら返してね。

この量にして 全ての料理が400円。

店の主人で イランから来た…

こうした料理を振る舞っているのは
「おしん」の影響でもある。

食べてね いっぱい食べてね。
おしん食べられなかったんだよ 昔。

知ってる?
ご飯食べられない時代があったんだよ。

今 すごいよね。
いっぱい食べられるんですよ。

苦労して ここまできたマンスールさん。

つらい時
おしんが いつも励ましてくれた。

イランで「おしん」が放送されたのは…

当時のイランは重い空気に包まれていた。

理由は 長く続いた…

そんな中 人々が楽しみにしたのが
「おしん」の放送。

苦難を乗り越えていくおしんの姿が
胸を打った。

イランのプロデューサーは
当時の状況を こう語る。

「おしん」が放送された
土曜のゴールデンタイムには

街から人がいなくなりました。

特に女性たちが おしんに魅力を感じ
共感しました。

彼女たちは大人になったおしんが

さまざまな困難にめげず
何度でも立ち上がる姿に

夢中になったのです。

女性たちの胸を打ったのは
こんな場面だという。

女子でも
おてんとさまも誰さも頼らねえで

生きていける仕事ば
腕さ つけてえんでっす。

その頃のイランは まだまだ男社会。

女性たちは 社会で活躍するおしんの姿に
夢中になっていった。

このドラマの主人公は女性です。

私の家族は女性が多かったので

みんなで一緒に「おしん」を見て
学びました。

「おしん」は
私たちに希望を与えてくれました。

女性だって家を守るだけではなく
社会に出て働くことができるんだと

勇気をもらいました。

女性たちの中には
「おしん」に背中を押され

世界へと道を切り開いた人もいる。

東京の とある住宅街。

イランから日本にやって来て20年になる…

大学生の時に「おしん」の放送を見て
心を打たれた。

イラン北部の街で生まれ育った
ナヒードさん。

でも それは決して
かなえることのできない夢だった。

更に ナヒードさんの心に
重く のしかかっていたのが戦争だった。

男は戦争に駆り出され

女性たちが食べる物を求めて
街をさまよっていた姿が

今も記憶に刻まれている。

そんな中 一筋の光となったのが

「おしん」の放送だった。

ナヒードさんが憧れたのは

自らの意思で…

そして 何か自分の武器になるものをと
必死で英語を勉強。

24歳の時に 通訳の仕事をするようになる。

その後 日本人と結婚し 来日を果たす。

日本に来てからは…

やがて一つずつ実を結び 現在では…

…など 多方面にわたり活躍している。

そして ナヒードさんは

幼い頃のあの夢にも 再び挑戦する。

♬~

かなわないと思っていた歌手になる夢。

努力を続け 10年前からはプロとして
イベントにも呼ばれるようになった。

ナヒードさんの支えになった
おしんの精神は

今 娘へと引き継がれている。

「おしん」は 国や時代を超え
人々の道しるべとなっている。

「おしん」に影響を受け
自らの人生を切り開いた女性たちが

世界中に たくさんいます。

豊かさを謳歌し 家族という形すら
見失いそうになっている日本人に

ドラマが語り継ごうとしたもの。

それは「本当の幸せとは何か」という

シンプルながら もっとも難しい
問いだったのかもしれません。

どんな苦難にも負けず まっすぐに
ひたむきに生きる おしんの姿は

国や時代を超えて
今でも私たちの心に訴えかけています。

人々の日常に潜むドラマを描き
社会へメッセージを発信し続けてきた…

94歳になった今も あの人気の
ホームドラマを書き続けている。

今後どんなドラマを書きたいのか
尋ねると

旅先で ふとした瞬間 目にした光景を
語り始めた。

そんなところから
ドラマが生まれるんですね。

楽しみにしています!


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