英雄たちの選択「謎の屏(びょう)風が語りだす~復元推理 大坂冬の陣図屏風」何故豊臣優勢の場面ばかり描かれている?



出典:『英雄たちの選択「謎の屏(びょう)風が語りだす~復元推理 大坂冬の陣図屏風」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「謎の屏(びょう)風が語りだす~復元推理 大坂冬の陣図屏風」[字]


大坂冬の陣の詳細を伝える屏風が復元された。画面からはいくつもの謎が浮かび上がる。豊臣滅亡後に描かれたのに何故豊臣優勢の場面ばかり描かれているのか?発注者は何者?


詳細情報

番組内容

真田信繁(幸村)の活躍で知られる大坂冬の陣。その詳細を描いた屏風は原本が失われ、色指定をした下絵だけが残っていた。そこで下絵から原本を完成させる試みが始まった。その様子を長期取材する中で次々に謎が浮かび上がる。最大の謎は豊臣家滅亡後に豊臣方優勢の場面を描く屏風が作られたこと。発注者は徳川の覇権に納得しない大名か?あるいは家康に反感を持つ徳川家の有力者か?人気の戦国史家たちが屏風の発注者を徹底推理。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】千田嘉博,小和田哲男,平山優,【語り】松重豊



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英雄たちの選択「謎の屏(びょう)風が語りだす~復元推理 大坂冬の
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この夏
一つの合戦図屏風が注目を浴びている。

徳川家康が豊臣秀頼の籠もる
大坂城を攻めた戦いを描いたものだ。

実は この屏風
このたび新たに復元されたもの。

元の「大坂冬の陣図屏風」は
失われ

完成品を模写して 淡く色づけした
模本しか残されていない。

しかし よく見ると
至る所に細かな文字が書き込まれている。

のぼりに書かれているのは「白」と「朱」。

ここに塗る色を
指定しているのだ。

今回 この色指定に従って

大手印刷会社が
最新のデジタル技術で色づけ

復元を行った。

元の屏風にあったであろう色がつけられ

合戦の姿が
色鮮やかによみがえってきた。

色とりどりの のぼりと共に
大坂城へ押し寄せる徳川の大軍勢。

迎え撃つは

かの有名な真田丸から
鉄砲を放つ

赤い甲冑をまとった真田軍。

戦いだけでなく
食事や酒を楽しむ足軽たちの姿まで

生き生きと描かれている。

よみがえった「大坂冬の陣図屏風」。

しかし そこからは

大きな謎が
浮かび上がってくる。

描かれている場面の多くが
真田丸の攻防戦をはじめ…

だが 豊臣家は 冬の陣の5か月後

夏の陣で滅亡する。

徳川の時代になってから
描かれたであろう屏風に

なぜ 豊臣の勝利が描かれたのか?

一体…

今回 戦国史の専門家たちがこの謎に挑む。

この屏風は。
ああ…。

復元された謎の屏風が
知られざる歴史の真実を語りだす。

♬~

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

そのとき 彼らは何を考え 何に悩んで
一つの選択をしたんでしょうか。

さあ 今回 取り上げるテーマなんですが

私たちの後ろにある
「大坂冬の陣図屏風」です。

いや~ きれいなもんですね。
ねえ!

これ しかも 緻密です。

かなり細かく描かれているんですよね。

この屏風は東京国立博物館に
あるものなんですけれど

そこには ほとんど
色はついていませんでした。

実は 未完成のまま
残されていたんです。

よ~く見てみると
細かい所まで

どういう色で塗るのかが
指示が…。

色指定があるんだ?
書かれていたんですよね。

それを基に
およそ2年がかりで復元して

こうして
後ろに置かれている状態になりました。

もう これだけで
テンションが高いんです 私は。

細かい部分まで
本当によく描かれてるんですよ。

ただ この屏風
作者はおろか 作らせた発注者も

分かっていないという
謎の屏風なんですね。

そうなんです。
伝来の経緯が謎でね 何より…

なぜか。
まず 豊臣勝利の場面が よく描かれてて

首を斬られた徳川の兵士とかが
転がってたりするわけですよ。

なのに 屏風が存在するというのは

やっぱり
歴史家として見た場合は不思議ですね。

まさに 謎だらけの「大坂冬の陣図屏風」。

まずは この屏風が
どのように復元されて

そこから どんな発見と謎が
浮かび上がってきたのか

その辺りから見てまいりましょう。

「大坂冬の陣図屏風」の復元が始まった。

手がけたのは 数々の美術作品の
デジタル復元を行ってきた大手印刷会社。

さらに さまざまな分野の専門家が
プロジェクトに参加した。

イメージ的には
もう少し…。

城郭考古学の権威…

美術史を専門とする…

文化財の保存 修復を手がける…

大坂城天守の瓦には
「白六」という色の指定が書かれている。

しかし 岩絵具の
粒の大きさや配分によって

その色合いは大きく変わる。

描かれた時期などから
実際に屏風に使われていた色合いを

推定しなければならない。

色合いを決めるのには
描かれているものが何であるか

歴史的な事実が重要な手がかりとなる。

この日 検討されたのは
大坂城の塀と堀の間の部分。

石垣ではなく土手と判明したことで
色合いの修正が行われた。

この屏風の画面は 縦1メートル65センチ
横幅は6メートルもある。

その中に描かれている人物は なんと…

その一人一人の鎧や兜
さらには 樹木や建造物など

一つ一つの色合いを決めていく。

気の遠くなる作業である。

こちら側に 扉がきてるので
こっちが 当然 外で内でっていう…。

色がついていくにつれ
今まで分からなかった屏風の全体像が

浮かび上がってきた。

例えば…

それと対比しまして…

…で 情熱的に描かれていますので…

デジタルによる彩色。

そして
学術的な検討が繰り返されること…

「大坂冬の陣図屏風」そのすべてに

色がつけられた。

失われた屏風の姿がよみがえり

徳川の天下を
不動のものにした合戦の様子が

色鮮やかに浮かび上がった。

屏風に描かれた大坂冬の陣が
起こったのは慶長19年のこと。

関ヶ原を制し 江戸幕府を開いた
徳川家康が

全国から動員した軍勢は
およそ20万。

対する豊臣秀頼と その母 淀殿は

およそ10万の兵を
大坂城に集めた。

城の堀に乱杭を打ち

柵を設けて
防戦する豊臣方の浪人たち。

それに対して 徳川方は

城の周りに塹壕を掘って
銃弾を防ぎながら近づこうとする。

さらに 巨大な築山を築いて

その頂上から城に向けて
鉄砲を放つ。

冬の陣最大の戦いとなったのが…

真田信繁の巧みな戦法に
徳川方は大損害を被る。

その後 戦線は膠着。

半月以上のにらみ合いの末
徳川有利の講和が成立。

大坂城の堀は すべて埋められ
5か月後の夏の陣で落城。

豊臣家は滅亡する。

(千田)うわ~!

大阪城です! うわ~ すごい すごい!

城郭考古学者 千田嘉博さんが
訪れたのは

大阪城が見渡せるビルの屋上。

大阪城一望ですよね。
すごいとこですよね。

周りには すごい石垣と
何重にも取り巻いている堀が

本当に ここの場所に立つと
よく見えますよね。

ただし…

失われた豊臣時代の大坂城が
屏風には鮮やかに描かれている。

(千田)これを見ますと ここで
大きな仕切りがあったっていうことが

描かれていまして。

奥御殿と表御殿というのが
2つに大きく分離して

そこを長い渡り廊下でつないでいた。

大坂城天守のすぐ近くには

秀頼と その母 淀殿のいる
奥御殿がある。

そことは離れた場所に描かれているのが

諸大名が秀頼に謁見する…

実はですね…

豊臣大坂城の築城に携わった大工の棟梁
中井家に伝わる…

現存する史料で 最も正確に

豊臣大坂城の構造を
描いたものとされている。

その絵図には 天守の右下に 奥御殿。

絵図の右端に 表御殿。

その配置は 屏風に描かれたものと
一致している。

さらに
近年の研究で明らかになった事実も

屏風には しっかりと描かれていた。

大阪城の大手門近くで
発掘調査が行われた。

そこで見つかったのが

幅25メートル
深さ6メートルの

大規模な堀。

それが… あっ! これですね。

ちょうどですね
ここですね。

大部分は 雲に
隠れているんですが

大手門の所から道が出てきて

その先の所に
こういう堀があったんだっていうですね…

(千田)大手門を出てきた先にですね

コの字型の堀を巡らす空間があった
っていうことになりまして。

門の前の
そういった特別な四角い空間ですね

これを お城で言いますと…

「馬出し」とは

城の出入り口につくられた
防御施設。

敵の攻撃から
城を守るだけでなく…。

(銃声)

両脇から出撃
敵に反撃を加えることのできる

攻守を兼ね備えた工夫であった。

それが
大手門の前に つくられていたことが

「大坂冬の陣図屏風」から
読み取れるのである。

2003年の発掘調査で発見されたのは

その馬出しを形づくる堀の一角。

そこからは 大坂冬の陣のころのものが
多数 出土した。

大坂城や大名屋敷に使われていた…

そして…

さらには 人の…

屏風には そんな戦いの現実も

生々しく描かれている。

しかし
この屏風には大きな謎がある。

誰が何のために描かせたのか
分かっていないのだ。

この屏風を示すと思われる記述が

豊臣滅亡翌年の
公家の日記にある。

元和2年 狩野派の絵師
狩野興以から

「大坂攻之図屏風」が
完成したとの知らせがあった。

翌日 屏風が届き

京都の御所で
後水尾天皇に見せたという。

この日記では 屏風は「他所之物」として
発注者が伏せられている。

それならば 屏風を持ち込んだ絵師
狩野興以の存在から

発注者を探ることはできないか。

ここに 狩野興以が描いた
「韃靼人狩猟図屏風」が所蔵されている。

そこで 復元プロジェクトに参加する

美術史家の薄田大輔さんが

「大坂冬の陣図屏風」と
画風の共通点があるか 調査に赴いた。

例えば…

人の顔の…

ちょっと 非常に特徴的な
顔の描写があるんですけれども…

狩野派ではなく

長谷川派の絵師が
描いたという説もあるが

作者を特定するには至っていない。

その答えは 描かれたものから
探ってゆくしかないのである。

いつも さまざまな専門家の方々に
お越しいただいていますが

今回は 戦国史を専門とする先生方に
お越しいただいています。

皆さんには たっぷり 今日は
推理をしていただこうと思いますので

よろしくお願いいたします。

さあ 今回 復元された
「大坂冬の陣図屏風」を見て

小和田さん どういった印象を
お持ちですか?

今まで 色がついてないね
状況を見てたら やっぱ

今回 色がついたことで
本当 リアルになって

いかにも
戦国の合戦というのは

こんな華々しい旗や
のぼりが いっぱいあって

もちろん 武将たちも 変わり兜を
かぶっていたんだなというのが

本当にリアルに
感じるようになって

これは すごいなと思いましたね。

それと あと 今まで
あまり気が付かなかったんですけど

やっぱ 武士だけじゃなくて

いわゆる 普通の町人の方とか
あるいは 商人ですよね

そういう人たちまで描かれてて

単なる合戦図屏風
というよりかは 何か…

確かに
生活も伝わってくる描写はありますよね。

平山さんは
どこか気になる描写ってありますか?

ものすごく
リアルに描かれていて

先ほど 小和田先生が
おっしゃったように

城の中にも
物売りがいるんですよ。

これ 商人たちをね
引き入れて 籠城して

中で商売をやってるっていうことが
分かってますんで。

あと 堀の中に人が歩いてる。

例えば 京橋の下なんかにね

膝ぐらいまでしか水位がない。

これは 徳川方が
淀川の上流をせき止めて

堀の水を下げようとするんですよ。
これが かなり成功して。

その様子がね
ちゃんと描かれていて。

(平山)この辺は
すごくリアルですよね。

千田さん 今回のプロジェクトに
参加されていらっしゃいますけれど

復元したことによって
どんな発見がありましたか?

まずは 今まで
誰もちゃんと色がついて

彩色が完全な状態って 誰も
見たことがなかったので。

こんな すごい屏風だったんだ
っていうのは

復元して 本当に感動しました。

実は 堀の中に
夜間照明で提灯を出して

徳川方の攻撃に
備えてるという

そういう細かな
当時の戦いのシーンというのが

見えてきたっていうのは

本当に この絵
すごいなっていうふうに思いました。

お祭りみたいですね。
本当に…。

紅白の提灯がともっている
大坂城ってのは

私も
今 初めて自覚しました…。

だって 合戦図ですよね。

提灯もさることながら…

じゃあ 色がついたことによって…
分かったことなんですね。

ねえ!

(千田)これ
すごい屏風だっていうことが

復元していって
分かってきたんですけども

実は 分からないことが
たくさん ありまして。

例えば この絵を 誰が描かせたのか。
で 誰が描いたのかですね。

絵師についても諸説あってですね
実は はっきりしていないっていう

そこがね
すごくミステリアスな屏風なんですね。

ここからは
「大坂冬の陣図屏風」最大の謎

屏風の発注者に迫る。

普通 合戦図屏風っていいますと

「うちは こんなに 昔 頑張りました」
っていうのを見せようっていうことで

この屏風を描く…
描かせるっていうことが

多いと思うんですけども。

この屏風の中で…

頑張っているっていうですね
場合によっては

徳川方が やられてるっていうシーンが
たくさん描かれていて。

そういった点で言いますと すごく まあ

豊臣家に
シンパシーを感じているっていう人が

例えば 描かせたのではないかっていう
可能性 すごく出てくると思うんです。

(平山)私も そう思います。
こう言っちゃ なんなんですけど…

というのは
大坂冬の陣の史料を見ていくと…

(平山)だけど 惣構は全く無傷で
とってもきれいなんですよ。

だから この屏風の主人公は
明らかに大坂城ですよね。

大坂城をきれいに見せようとしてる
っていうところに

頼み手 あるいは 描き手の意図
っていうのを すごく感じる。

これは 明らかに 徳川寄りの人間の

描かせ方ではないというふうに
思いますね。

大坂城をきれいに
っていうのもありましたが

正確にも描かれているんですね 千田さん。

すごい正確だと思います。
大坂冬の陣のあと

惣構の所 あるいは真田丸の所なんかも
埋められてしまって

なかなか あとで その様子を
詳しく知るっていうことが

できなくなっていたはずなのに

これだけ詳しく描ける
っていうことは

軍事機密の
大坂城のいろんな情報を

絵師に伝えられる
っていうのか

あるいは実物を見たとかっていう
そういう人でなければ

これは描けないなっていうふうに
思います。

絵師が こうやって描きながら

「ここは どうですか?」って言ったら
「いや ここはね こうだよ」と…。

ああ~ なるほど。
「この形じゃないな」とか言って

やってるんですよ 細かく…。
そうですよね。

いや でも
これだけ立派な屏風を作るとなると

相当 お金がかかると思うんですけれど。
そうですよね。

大体 戦国合戦図の屏風っていうのは

それこそ 自分の先祖 あるいは本人が
活躍したシーンを中心に描く場合

江戸時代の大名たちが
大体 描かせてますからね

現在 残ってるのはね。
ああ~。

もうね 「武士の家計簿」に任せてください。
(笑い声)

もうね 城持ち大名クラスですね。

せいぜい
最低でも3万石から5万石は必要で

ものすごい いいものの材料を
使ったりすると

本当に 1, 000両近いから 億に近い単位

5, 000万とかそういうような…。
今の感覚だと…。

じゃあ しっかり 地位と財力を
持ってないと描けないですよね。

こうした いろいろと発注者の条件がね

何となく見えてきたと思うので
まとめますと まずは…

千田さん ここの3条件から
考えられる人物 いますか?

豊臣方の これは! というですね
有力な武将というのは

そうすると 可能性が出てくる
ということだと思うのですけども。

右隻でいいますと
何といってもですね この

一番華やかに盛り上がっている所は

真田丸の攻防戦ですよね。

真っ赤な旗が
いっぱい立っておりますけども

それを 徳川の大軍が

井伊さんとか越前松平の軍勢が

こういうふうに囲んでますけども
うわ~って目立ちますよね。

どう見ても 見せ場は ここですよね。

(千田)ここですよね。
この すごい攻防戦で

結果として真田丸は落城しませんですし

この絵でも 攻めている徳川の軍勢が
ばたばた 鉄砲で撃たれて倒れたり…。

ここなんか 倒れたりしてるんですよね。

真田丸の…

狭い所に たくさんの銃口を
向けることができるやつを

描写してますよね。
そうなんです。 上と下で…。

だから 相当 詳しく
知ってる人でしょ これ。

実際に見てる人でしょうね。
見てるでしょうね。

その屏風の中央に描かれた真田丸の戦い。

そこに発注者の隠された意図は
果たして あるのでしょうか?

まずは そこから
謎の屏風に迫っていきましょう。

大坂冬の陣において
豊臣方最大の勝ち戦となった戦い。

それが…

真田信繁が 大坂城の南に
真田丸をつくり

徳川に甚大な被害を与えた。

その戦いが
「大坂冬の陣図屏風」のほぼ中央

最も目立つ位置に描かれている。

真田丸の中には 鹿の角の兜をかぶる
信繁と思われる武将の姿。

真田丸の攻防戦をたたえる意図が
あるとすれば

発注者として浮かび上がる人物がいる。

信繁の兄…

信州松代藩10万石の
初代藩主となった大名である。

関ヶ原の戦いを機に 弟と袂を分かち

徳川にくみした信之。

だが 敵となった弟への思いを
うかがわせるものがある。

松代藩主となった信之が名を付けた寺…

その境内の片隅に置かれた
小さな供養塔。

これは信之が弟を弔うため
ひそかに建てたものと伝えられている。

そんな信之に 大坂の陣のあと

幕府から ある嫌疑がかけられる。

信之の息子たちが
大坂方の真田信繁と

内通していたのではないか
というのだ。

このとき
信之は こう反論したと伝わる。

「もし 我らに
謀反の気があれば

関ヶ原の戦いのとき

父や弟と共に立ち

将軍家の敵と
なったであろう」。

「今さら
謀反と疑うのであれば

もはや
子細は申さず

すぐにでも 我が腹を切るまでのこと」。

その後も 信之は徳川に忠節を尽くし
4代の将軍に仕え

「天下の飾り」
幕府を彩る存在とたたえられた。

そんな真田信之が

「大坂冬の陣図屏風」を描かせた可能性は
ないだろうか?

真田信之の名前 出てきましたけど
屏風の発注者の3条件に

この真田信之は
ふさわしい人物と思うのかどうか

聞いていきたいと思います。
小和田さん いかがですか?

財力はあるんだけど 果たして

豊臣にシンパシー 感じていたか
っていうとなると ちょっと疑問でして。

確かに… まあ
信繁 信之 兄弟ですけれど

もう 関ヶ原のときには
完全に分かれてますからね。

信之のほうは もう 完全に

うちは 徳川大名だということで
いますので。

そんなにね 豊臣に
シンパシー 感じてないんじゃないかな

というのは 私の感じです。

残念ながら 僕も違うと思いますね。

まず…

…っていうことが どうもあったようで。
これは どうも 本当らしいんですけど。

だけど とにかく…

疑いは晴れてるということもあります。

僕 この屏風を見て 気になるのは

西から このお城を

合戦の様子を見てる図なんですよ。

真田軍って 当時
城の東側から攻めてるんですよね。

つまり
真田家の視点で もし描かせるとすると

東側から 西に向かってお城を見る

という構図になってるはずなんですよ。

僕も ちょっと考えたんですけど
遠慮して作んないんじゃないかなと。

こんな… 目立つ屏風ですからね。

あると必ず 徳川家の中枢は…。
言われますよ。

屏風一つで言われてしまう可能性が…。
そんなリスクは冒さないと。

ちょっと 真田信之説は
薄めになってきましたけれど。

千田さん ほかに
屏風で気になるところってありますか?

まだまだ気になるところがあるんです。
例えば どこですか?

例えばですね こちらでございます。

この やはり
右側のとこなんですけれども

この徳川の大軍勢が
大坂城を囲んで 攻めておりますが

この一番手前側で
大きく描いている所にですね

九曜の紋を掲げた巨大な陣小屋が

3ブロックにも わたってですね
大軍勢がいるんですね。

当時 九曜の紋所で有名な
お大名といえば

細川さんだというふうに
思うんですが。

実はですね…

(千田)「いないのに この人たち誰?」
っていうので

先ほどの 合戦図屏風で
先祖が活躍したっていうのか

自分たち こんなに活躍したってことを
描かせるっていうことでいうと

この大きく描いてある
この九曜の紋の人たちが

発注者の可能性が
あるんじゃないかって思います。

なるほど。
それ 誰なんですか?

(千田)誰なんでしょう?
(笑い声)

「大坂冬の陣図屏風」の一角に
数多く描かれた

九曜紋という家紋の大軍勢。

これは 当時 小倉藩主だった
細川忠興の家紋である。

織田信長 豊臣秀吉と 時の権力者に仕え

関ヶ原では いち早く東軍に加わり
多くの武功を挙げた大名。

しかし 大坂冬の陣の 徳川の布陣図に

細川の名はない。

実は 細川忠興は

大坂冬の陣には 参陣していなかったのだ。

であれば
「大坂冬の陣図屏風」に描かれた九曜紋は

誰の軍勢なのか?

宮城県 仙台市博物館。

ここに その謎を解く鍵がある。

水牛の革で作られた弾丸入れ。

そこには 九曜紋が かたどられている。

これを愛用していた人物 それは…。

仙台藩62万石の初代藩主…

そもそも 細川忠興が
織田信長から譲り受けたとされる九曜紋。

実は その後 政宗が細川に頼み込み

使用の許可を得ていた。

大坂冬の陣のときには
政宗の重臣

片倉重綱が使用していたと
されている。

したがって
屏風に描かれている九曜紋は

政宗の軍勢とも考えられる。

事実 政宗は およそ1万もの兵を率い
冬の陣に参陣していた。

実は 政宗には 真田丸の攻防戦の主人公

真田信繁と意外な関わりがある。

大坂の陣の後
政宗の重臣 片倉重綱が

真田信繁の子どもを引き取っているのだ。

片倉が城を構えた…

その本堂裏にあるのが

真田信繁の娘…

大坂夏の陣の際
信繁は 敵方の武将である片倉に

自分の娘を託したのだという。

片倉は後に 阿梅を妻としている。

当然 それは 主君である政宗も
了承していたであろうこと。

幕府から にらまれる危険を顧みず

なぜ 信繁の娘を引き取ることを
認めたのだろうか?

ある意味では ちょっと…

…という側面があります。

大坂の陣から2年後

江戸にいた細川忠興から 国許に
こんな書状が送られている。

「政宗にいろいろな
うわさがある。

陣を
用意するように」。

政宗は 常に

謀反を警戒される
存在だった。

そんな伊達政宗が

「大坂冬の陣図屏風」を描かせた可能性は
ないだろうか?

九曜紋を手がかりに 伊達政宗
という名前が挙がってきましたけど

この政宗が 江戸幕府に対して

何か 含むところがあったかもしれない
というのは

小和田さん
どういうことなんでしょうか?

確かに 政宗は… 秀吉 家康に
おとなしく従ってますけどね。

ただ 本心は みずから…

(小和田)こんなエピソードがありまして

あるとき 将軍を 自分の屋敷に呼んで
料理をもてなしたときに

「お毒見を」ってね 言われたときに…

…みたいなね
そんな言われ方をしてるというのも

エピソードとしてあるので。

伊達政宗って 実は…

豊臣に出入りしてる商人の所へ

「このまま戦争になったら大ごとだから…」

「…というふうなのでは どうだい?」とか。
政宗からしたら 本当に

「何やってんだよ! 生き残るためには
ここまで妥協しなきゃ駄目だよ」って

言ってるんだけど 淀殿たちは
とても できないわけですよね。

「とにかく 城から出したほうがいい」って
ずっと言ってますもんね 政宗は。

だから もう 豊臣方からしたら
秀頼さんを外へ出して そんなこと…

「城を出しちゃったら
あの家康の… たぬきのことだから

殺しちゃうに決まってる!」なんていう
激論が戦わされていたわけですね。

発注者として考えると どうですか?
(小和田)ただね

発注者としては
どうなのかなっていうのが ちょっと…。

夏の陣では 結構 活躍するんですよ 政宗。

だけど 主戦場である この場面にも
そんなにね

戦いの場面にも出てきませんし
ちょっと 外れのほうですので

ちょっと違うのかなっていう感じは
ありますけどね。

いやあ やっぱり ちょっと 政宗は
難しいかなっていうふうに思いますね。

やはり 政宗ほどの人であれば

やっぱり 自分が発注するとすると

もう少し 伊達の軍勢が
華々しく活躍していても

おかしくないけれど

冬の陣で さほど大きな動きをした
っていう記録が見られないので

やっぱり 今回の場合は

描かせる動機に
少し 乏しいんじゃないかと思います。

なるほど。 千田さん いかがですか?

よく絵を見ていきますと
実は この伊達家の陣の前の所で

焼き餅を売っているお店と

何をめぐってなのかは
よく分かりませんが

何か たぶん
伊達家の足軽でしょうか。

殴り合いをしている
というですね

かなり不名誉な感じのところも
描いていますので

確かに その点は ちょっと…。

もし 政宗が描かせたとしたら
それは描かせないだろうという気は…。

自分で「そうかな」と言っておいて
こう言うのも何ではありますけれども。

しかし そういう
ディテールまで描くというのは

どういうことなんでしょうね? これ。

やっぱり これ 普通の合戦図では

そういうとこまで描くっていうのは
まず ないと思うんですけども

客観的に こういう大坂の冬の陣で
こんなことが起きていたとかっていう

「戦場の記録を残すんだ」みたいな
そんな気持ちがあるんじゃないかな…。

そういう けんかとか もめ事とか

あと そういう物売りとか
日常というのはね

どこの陣でも あったはずなんですよ。

あえて 伊達の陣で
そういうのを描かせるというのは

何か 伊達に対する含みを感じさせる
発注者の。

でも こうなるとですね 千田さん
屏風の発注者

ちょっと
いなくなってきちゃいませんか?

いないですね。 申し訳ないですね
次から次へと いろんな…。

候補が。
大丈夫です! 安心してください。

まだまだですね 実はですね

謎の部分というのか
可能性のある武将がいます。

ここをですね
ご覧いただきたいんですけども

こちらであります。
この屏風の右上のとこですよね。

この3つのとこにわたって

堂々と描かれた この陣ですよね。

これはですね
徳川秀忠の陣でありまして

この描かれ方 描き方って

特別ではないですか。

どうでしょう?
ハハハハ…!
徳川秀忠。

その徳川の描かれ方に注目して
次 見ていきましょうか。

そうしましょう! そうしましょう!

「大坂冬の陣図屏風」の右上に
堂々と描かれた陣。

これは 徳川二代将軍
秀忠の本陣だ。

御簾の奥に秀忠がいるとされる
建物の脇には

徳川の総大将であることを示す…

陣のそばには
秀忠体制を支える側近中の側近

土井利勝の旗印も描かれている。

周囲には 足軽や物売りが行き交い
実に にぎやかな印象だ。

一方 その下に描かれているのが
徳川家康の陣。

なぜか 半分しか描かれていない。

しかも 屏風には この合戦で
家康の存在を象徴する

あるものが描かれていない。

それは…。

(砲声)

家康が大量に用意した大砲だ。

≪放て!
(砲声)

講和のきっかけになるほどの被害を
豊臣方に与えた大砲が

屏風には 全く描かれていない。

もう一つの可能性として…

実は 秀忠にとって大坂冬の陣は

強い決意のもと臨んだ戦いだった。

その理由が 冬の陣の14年前に起きた…

そのとき 秀忠は

信州上田で 真田に足止めされ
徳川の主力を率いていながら

肝心の関ヶ原に遅れるという
大失態を犯す。

そんな秀忠が
初めて総大将として臨む「大坂冬の陣」。

関ヶ原での失敗を挽回するのは
今この時。

家康から出陣の命を受け

およそ6万の大軍を引き連れ
大坂城を目指した秀忠。

その進軍は…

江戸から 現在の愛知県豊橋市までの
およそ290キロを

僅か6日間で駆け抜けている。

さらに 冬の陣開戦後も

豊臣との講和を模索する家康に対し
秀忠は…

秀忠は この戦いで
関ヶ原の汚名を晴らすとともに

これからの世を率いるのは
家康ではなく自分だということを

天下に示したかったのかもしれない。

徳川秀忠が

「大坂冬の陣図屏風」を描かせた可能性は
ないだろうか?

はい。 さあ 徳川秀忠が

「大坂冬の陣図屏風」を描かせたという説。

フフフ…!
千田先生 大きくうなずいていますが

詳しく教えていただけますか?

すごく面白いのは

お父さんの家康が豊臣家に対してしたこと
あるいは 攻めたことというのを

ことごとく なかったことにするという

意図して描いていないというところが
ありまして。

合戦を前にして
家康が特別に発注をさせて

鉄の盾を
作らせたんですけども

それが 最前線で活躍した
というはずなんですが

実は 大坂城を攻めている
徳川軍は

誰も その鉄の盾を
使ってなくて

竹の… 竹束で矢玉を防いで
頑張ってますとか

板で頑張ってます
ってことになっていて。

あれも 古文書には
たくさん出てくるんですけども 鉄板。

(平山)あれ 1, 000枚
作ったはずなんですよ。       1, 000枚?

1, 000枚を全部 大名に配るんですよ。
記録に残っている。

そういうところは絵で なくなっている。
それから…

家康の天守を 雲が
にょきにょきにょきと現れて

それは もう全然描いていない。

家康が 実質 豊臣家の政治を…
入り込んで 握ってたときに

「僕も西の丸に天守が欲しい」っつって
もう 秀頼に対抗するかのように

一本 にょきっと
家康天守を建てちゃったんですよ 中に。

「それ 何で 雲で隠すんだよ!」と。

何かね 意図を感じるんですよね。

描いてあること以上に
描かれてないことが雄弁なんだ

この屏風は。
ああ…。

その父の痕跡を薄めてまで

自分の存在感を高めたいという意図がある
ということですか?

そうだと思うんですね。
やっぱり 秀忠にとって

この大坂冬の陣というのは

自分が 徳川の全軍を指揮して
引き分けといえば 引き分けですが

とにかく 最終的には
豊臣を屈服させたということでいえば

やっぱり 輝かしい戦績ということに

気持ちとしては なったんじゃないかな
って思うんですけど。

小和田さん この秀忠の気持ちも含めて
秀忠説は どうですか?

まあ 気持ちというのは
ちょっと分からないんですけど。

隅っこのほうにいるというのが
私はね

ちょっと 納得いかないんですよ。

で 恐らく
もし 秀忠が発注者なら

もう少し 真ん中に近い所で

俺は こう頑張ったんだよというね
形でのアピールが

あったんじゃないかなと
思うのが一つ。

それから もう一つ もし…

発注者だから
出来上がったものを持ってて…

…っていう気がするんですよ。

それがないということは

どうも 秀忠が…
発注ではないんじゃないかなというのが

私の感想ですけどね。

僕はね ちょっと
千田先生の この秀忠説ね

心が揺らぐんですよ かなり。
イエ~イ!

っていうか 秀忠って 皆さん
考えていただきたいんですけど

豊臣を滅ぼしておきながら…

家族みたいなもんである…。

今からすると
徳川は 家康・秀忠 一致結束して

その周辺も 大坂城を攻めたように
我々は結果からすると見えるんですけど

ちょっと違うんですよね 秀忠の気持ちは。

ひょっとすると…

…ように 自分は感じているので。

我々が想像してるよりは

秀忠は 豊臣にシンパシーを
持ってる人のような気がしますね。

平山さん いかがでしょう?

僕は やっぱり…
この絵の主人公は大坂城なんですね。

大坂城って 戦になれば

間違いなく滅びてしまう。
誰もが分かってた。

だから この大坂城を

後世に残しておかなきゃいけない
っていう強い意図が

僕は これ
見えるような気がするんです。

豊臣寄りの人が

どうも頼んだんじゃないか
ということを考えると

心ならずも
豊臣に お世話になったにもかかわらず

徳川方に つかざるをえなかった
大名クラスっていうとですね

画面の ど真ん中で
負け戦を展開してる 蜂須賀至鎮。

「大坂冬の陣図屏風」の中央下に

描かれているのが

幼少のころから
豊臣に仕えた

徳島藩初代藩主
蜂須賀至鎮。

冬の陣には 徳川方として参陣。

豊臣方から夜襲を受けるも
多くの武功を立て

戦後に淡路国を加増された。

あれ 真ん中に描かれてますよね。

それで 蜂須賀というのは
この戦いに参加したことが

あの家を
実は 近世を生き残らせてるんですよ。

そうするとね やっぱり 自分たちが
ここに参加しているっていうことを描く。

だけど やっぱりね
豊臣系の大名なんですよ。

大坂城を そんなに変には描きたくない。
いい思い出が いっぱいある。

一緒に 秀吉たちと天下をつくった
という意識があるっていうのは

これは ありえますね。
つまり ボコボコに描いていない。

きれいなままの大坂城を写し取って
そして 伝えたいと。

大坂城へのですね レクイエムだと
僕は思ってるんです。

絶対に この姿のまま

戦が終わったら 残ることはないだろうと
思うんですよ。

財力も あるんですよね。
財力 あります。

塩で儲けてるし。
あれはね 結構 派手な使い方します。

あと あんまり こだわらない大名です。
細かいことに。

蜂須賀家の無礼講って面白いんですよ。

宴会は…

…とかやるんですよ。
大名家って 家風によってはね

徳川を ものすごい気にしてるところと

家風が もう なるようになりゃいいや
っていうような

いけいけどんどんのお家とあって…

いけいけどんどんで 屏風も描いちゃえ!
みたいな感じですか?      そうそう…。

おおらかなんです あそこ。

家中に入りたいぐらい…。

千田さんは どう思います?
今の蜂須賀説は。

蜂須賀も 確かに 活躍している様子が
描かれてるとはいえですね

塙 団右衛門の夜討ちで
陣所を破られて

大変… 蜂須賀の侍たちが
討ち取られてる

っていうシーンですから

ちょっと
蜂須賀さん 難しい…。

もうちょっと かっこいいシーン
描いたかなっていうのと…。

あとですね 実は
豊臣方の軍勢っていうのは

誰がいるっていうことが
旗指物では 全然 分からないんですね。

旗指物だっていうことは
描いているんですけども

それが この人だっていうのが
分かるような旗っていうのは

実は
全くないっていう状況で。

実際に頑張ってるよって
分かるのは

徳川方の武将たちであると。

しかも
秀忠の本陣を中心として

まさに 秀忠政権を支えていく
有力な幕臣たちですよね。

秀忠説を推しますね。
推しますよ~。

もう 何か 小和田先生と…

確かに。 ハハハハ…。

それ以外だと どうでしょう? 磯田さん。

これ 僕は
実は 本命に思ってるんですけどね

秀忠変形説として 千姫。

徳川秀忠の長女として生まれ

7歳で 豊臣秀頼と結婚した千姫。

大坂夏の陣で 豊臣が滅亡した際

大坂城から救出され
家康と秀忠のもとに戻った。

千姫?
千姫は ものすごい お金を持っていて

こういうふうに描く動機に
ありありなんですよ。

秀頼の妻 秀忠の娘。
秀忠の娘。

ほんで 本当に 一緒に
この城の中で死ぬかっていうんだけど

夫と姑の淀殿の
命乞いをするために

辛くも出てきた。

もう そのときには
怒り心頭ですよ。

「お父さん おじいちゃん
何でやったの!」って言って。

「私の家族 めちゃめちゃにして!」
って言って。

「天下取ればいいの!?」って
こういう状態でしょう きっと。

それで「大坂城を祈念した屏風を作れ!」
とか言い始めたとする。

なぜ
千姫が金を持っているかっていうと

ものすごく大事にされていたことが
分かる 後は。

なんと…

えっ? お化粧?
お化粧料として。

10万石?

ものすごい 家康 秀忠の2人は
千姫に悪いことをしたと思っていて

大事にして
お金も入れてることが分かるんで。

彼女が「やれ!」と言ったら

恐らく お父さんの秀忠は
「やっていいよ」と。

「ただ あんまり外には出さず 家の中で
見てね」っていうことなのかもと…。

想像をたくましくしすぎかね 千姫説。

いや~ 面白い! 面白い!
千姫 あるかもしれないね 確かに。

というのは やっぱり…
それなりの やっぱ 豊臣家に対する思い。

嫁いでいますし 実際 大坂城でも
暮らしてた経験があるんで。

う~ん 千姫 面白いですね。

屏風って 実は
女の子が見るっていうのがあるんです。

男は 戦場に行くけど
女の子は 行かないので

高貴な人の…

…をされてたことが分かってるので。

それで
ここまでのことをやるっていうのは

何か 僕はね やっぱり 千姫の可能性…。

平山さん いかがですか? 千姫説。

(平山)面白いですね。 面白いです。

確かに 千姫というふうにするならば

秀忠説と そして 豊臣シンパシー説を

すべて包み込むことができるかな
という気はしますね。

そうですよね。
この屏風の すごく不思議なところは

誰が発注者だろうかということで
いろんな可能性が

ここで議論してきたように
出てきてしまうぐらい

誰かを特筆して
特に描いているっていう…

よくある合戦図屏風と
随分違うと。

何か… 本当の
この合戦の当事者が命じて

描かせたっていうところと
ちょっと何か違うところがある。

その客観さっていうところも

確かに
平山先生が おっしゃいましたように

全体を包み込むっていうことで言うと
千姫 秀忠ルートでっていうのは

確かに ありうるなっていうふうに
思いました。

いや~ 盛り上がりますね!

この一つの屏風で
こんなに盛り上がるんですね!

でも それも やっぱり
こうやってカラフルに復元されたから

こうやって 私たちも いろんな想像力を
かきたてられるんだと思うんですが。

やっぱり 復元って大事ですよね。

一つずつ こうやって あるもの…

すでにあるものを

さらに いろんな知恵でもって

元の状態に復元したりとかいうことで

情報を増やすという。

歴史は 時がたつにつれて

分からなく
なっていくことも多いんですけど

時がたつと 復元とか
我々の こういう推理によって

分かってくることも
あると。

だから やっぱり
歴史は 常に

更新されていくものであるということも

今回の
この番組で 私は非常に感じましたね。

いや 本当に尽きませんけれど。

これだけね 話しても結論が出ないという。
うん 出ない。

だから 歴史は 面白い
面白い。
ということですね。

本当に 皆さん
今日は ありがとうございました。

ちょっと
お酒でも欲しいぐらいですね。

楽しいスタジオでした
おかげさまで。


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