NHKスペシャル「全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る~」天皇の知られざる発言や、青年将校らの未知の行動…



出典:『NHKスペシャル「全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る~」』の番組情報(EPGから引用)


NHKスペシャル「全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る~」[字]


歴史的大事件「2・26事件」に関する「最高機密文書」が見つかった。天皇の知られざる発言や、青年将校らの未知の行動など、新事実の数々と共に、“衝撃の全貌”に迫る。


詳細情報

番組内容

私たちが知る歴史は、一断面に過ぎなかった―。NHKは「2・26事件」の一部始終を記した「最高機密文書」を発掘した。1936年2月、重要閣僚らが襲撃された近代日本最大の軍事クーデター。最高機密文書には、天皇の知られざる発言や、青年将校らと鎮圧軍の未知の会談、内戦直前だった陸海軍の動きの詳細など、驚くべき新事実の数々が記されていた。事件後、軍国主義を強め戦争に突入した日本。事件の「衝撃の全貌」に迫る。

出演者

【朗読】今井朋彦,【語り】守本奈実



『NHKスペシャル「全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

NHKスペシャル「全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る~」
  1. 決起部隊
  2. 海軍
  3. 天皇
  4. 陸軍
  5. 事件
  6. 極秘文書
  7. 記録
  8. 情報
  9. 事実
  10. 陸軍上層部
  11. 鎮圧
  12. 日本
  13. 二六事件
  14. 陸戦隊
  15. 事態
  16. 部隊
  17. 奉勅命令
  18. クーデター
  19. 戒厳司令部
  20. 軍令部


『NHKスペシャル「全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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昭和天皇は 晩年
生涯 忘れることがなかった出来事を

2つ 挙げています。

(玉音放送)「堪え難きを堪え」。

一つは…

そして もう一つが…

陸軍の青年将校が
部隊 1, 500人を動かし…

天皇中心の軍事政権を目指し

日本の中枢を
4日間にわたり占拠しました。

83年たった今年。

事件を克明に記した
最高機密文書が発見されました。

緊迫の4日間を
同時進行で記録した公文書は

存在しないとされてきました。

しかし この極秘文書には
第一報から収束まで

これまで 知られてこなかった全貌が
分刻みで記録されていたのです。

陸軍上層部が
事件の裏で進めていた策略。

海軍と陸軍が臨戦態勢をとり

内戦直前だったという新たな事実。

そして 公にされてこなかった
天皇の知られざる行動。

日本を揺るがし
今なお 多くの謎を残す 二・二六事件。

この事件をきっかけに
日本は軍部の力が拡大し

太平洋戦争へと突き進みました。

壊滅的な敗戦に至った日本。

歴史の転換点となった
この4日間に

一体 何があったのか。

現代によみがえった最高機密文書で迫る
二・二六事件の全貌です。

(銃声)

♬~

(英語)

太平洋戦争に敗れた日本が
降伏文書に調印した時の映像です。

日本の代表団の中に
一人の海軍幹部の姿がありました。

富岡定俊少将です。

終戦の時 海軍 軍令部の部長だった富岡。

彼こそ 二・二六事件に関する文書を
持っていた人物でした。

富岡は 海軍の最高機密だった文書を
ひそかに保管。

これまで
公になることはありませんでした。

戦後 史料調査会の理事として

旧海軍の資料の管理をしていた
戸高一成さんです。

この極秘文書を目にするのは
初めてだといいます。

これは やっぱり ちょっと…。

いや これは本当に
ちょっと すごいですね。

これまでは 事件後まとめられた

陸軍軍法会議の資料が
主な公文書とされてきました。

今回 発見されたのは

海軍が
事件の最中に記録した文書 6冊です。

海軍は 極秘扱いの文書に
赤い色を使っていました。

作成したのは
海軍の全ての作戦を統括する軍令部。

そのトップら 海軍の上層部が目を通し
確認した事実が記されています。

陸海軍っていう
2つの大きな組織の中の…

実際 事件から八十数年ですか。

私たちは 専門家と共に
極秘文書を詳細に分析。

そこから 事件の4日間に起きていた

新たな事実が浮かび上がってきたのです。

2月26日。

降り積もった大雪が

東京の中心部に
10センチ以上残っていました。


午前7時。

海軍 軍令部に
1本の電話がかかってきます。

連絡を最初に受けた軍令部員が

手元にあった青鉛筆で書きつけた
第一報です。

夜明け前 陸軍 青年将校が

部隊 およそ1, 500人を率いて決起。

重要閣僚らを次々と襲い
クーデターを企てました。

「将校の指揮により
機関銃を発射しつつ突入し

将校 下士官は室内に侵入。

拳銃をもって
鈴木侍従長を
射撃し

ラッパ吹奏裡に引き上げたり。

約二個中隊の兵は
内大臣私邸を包囲し

軽機関銃
約100発を乱射す。

うち 約5~6名の者
拳銃を乱射。

内府を即死せしめ

首相は
栗原中尉の手により

殺害せられたる
模様なり」。

後に明らかになる事件の概要を

海軍は 発生当初の時点で
かなり正確につかんでいました。

首相 岡田啓介は
間違って別の男性が殺害されました。

(銃声)

(銃声)

天皇の側近 齋藤 實内大臣。

高橋是清大蔵大臣らは
銃や刀で残虐に殺されました。

警備中の警察官も含め 9人を殺害

負傷者は
8人に上りました。

決起部隊を率いたのは
20代 30代の青年将校たち。

陸軍の中の派閥
皇道派を支持していました。

政治不信などを理由に
国家改造の必要性を主張。

天皇を中心とした
軍事政権を樹立するとして

閣僚たちを殺したのです。

しかし 天皇は 勝手に軍隊を動かし

側近たちを殺害した決起部隊に
厳しい姿勢で臨もうとしていました。

事件を起こしたのは

赤坂と六本木に駐屯していた

陸軍の部隊の一部でした。

国会議事堂や首相官邸など
国の中枢を武装占拠。

これに対し 陸軍上層部は

急きょ設置された
戒厳司令部で対応に当たりました。

ここに全ての情報を集め
厳しく統制していました。

ところが 今回の極秘文書から
当事者である陸軍とは別に

海軍が独自の情報網を築いていたことが
分かってきたのです。

海軍は 情報を取るため

一般市民にふんした私服姿の要員を
現場に送り込んでいました。

戒厳司令部にも要員を派遣

陸軍上層部に集まる情報を
入手していました。

更に 現場周辺に

見張り所を数多く設置。

決起部隊の動きを監視し
分単位で記録 報告していました。

海軍は ネットワークを張り巡らせ

膨大な情報を集めていたのです。

なぜ 海軍は 事件発生直後から
これほどの態勢を組んだのか。

「事件前 入手せる
情報類。

第一師団所属
皇道派
急進将校らが

一騒動起こすべし」。

実は 海軍は 事件よりも前に

陸軍の一部に
不穏な動きがあることを

つかんでいたのです。

陸軍の青年将校が率いた決起部隊。

天皇を中心とする国家を確立しようと
クーデターを企てました。

決起部隊の行動を否定し 憤った天皇。

双方の動きを巡る
陸軍上層部と海軍の

水面下の攻防が始まろうとしていました。

極秘文書には 事件初日に
その後の行方を左右する

ある密約が交わされていたことが
記されていました。

事件発生直後。

場所は 陸軍大臣官邸。

「川島陸相を官邸に
武装着剣のまま

決起事情報告のため
部隊幹部訪問」。

事態の収拾に当たる
川島義之陸軍大臣に

決起部隊が
クーデターの趣旨を
訴えた時の記録です。

これまで明らかではなかった
陸軍大臣の回答が記されていました。

「陸相の態度 軟弱を詰問したるに」。

閣下!

「陸相は威儀を正し
決起の趣旨に賛同し

昭和維新の断行を約す」。

川島陸軍大臣は
決起部隊から軟弱だと詰め寄られ

彼らの目的を支持すると
約束していたのです。

この直後 川島陸軍大臣は
ある人物と接触します。

皇道派の幹部 真崎甚三郎大将。

決起部隊が軍事政権のトップに
担ごうとしていました。

「陸相の招致により
真崎大将 陸相官邸に集合。

謀議の結果
決起部隊の
要求を入れ

軍政府樹立を決意」。

クーデターに乗じて
陸軍上層部の中に

軍事政権の樹立を
画策する動きが
出ていたのです。

一方 別の場所で
もう一つの密約が交わされていました。

極秘文書に「上」と書かれた人物。

軍を統帥する大元帥
昭和天皇です。

事件発生当初から
断固 鎮圧を貫いたとされてきました。

しかし 極秘文書には

事件に直面し 揺れ動く
天皇の発言が記されていました。

事件発生直後

天皇は 海軍の軍令部総長 伏見宮に
宮中で会っていました。

伏見宮は 天皇より26歳年上

長年 海軍の中枢に位置し
影響力のある皇族でした。

その伏見宮に
天皇は 次のように問いかけていました。

「艦隊の青年士官の
合流することなきや」。

「海軍の青年将校たちは

陸軍の決起部隊に加わることはないのか」。

天皇の問いに 伏見宮は
こう答えたと記されていました。

「殿下より 無き様 言上」。

殿下こと 伏見宮は

「海軍が決起部隊に加わる心配は
ありません」と語りました。

「海軍は決起部隊に
加わることはないのか」。

不安を抱く
天皇の言葉が

初めて
明らかになりました。

当時 まだ 34歳だった天皇。

軍部の中には 批判的な声もありました。

陸軍少佐だった弟の秩父宮などが

代わりに天皇に担がれる
という情報まで流れていました。

いわゆる 大元帥としての仕事を
ちゃんとしてないんだという形で

非常に権威が軽んじられてたと。

事件の対処次第では

天皇としての立場が揺らぎかねない
危機的な局面でした。

「決起部隊に加わることはない」
と明言した海軍に対し

天皇は 畳みかけるように
注文をつけていきます。

陸戦隊とは 海軍の陸上戦闘部隊です。

艦艇の乗組員を中心に編制されます。

万が一 決起部隊に
同調する動きが出てこないか

天皇は 疑心暗鬼になっていました。

天皇は
陸戦隊の指揮官の人選にまで

注文をつけるほど
細かく気を回していました。

このあと 海軍の存在が
天皇の鎮圧方針を支えていきます。

こういう状況の中で
事態を打開しようとした時に…

決起部隊の目的を支持すると約束した
陸軍上層部。

天皇に
決起部隊に加わらないと約束した海軍。

事件の裏で
相反する密約が交わされる中

天皇は 鎮圧に 一歩踏み出していきます。

天皇は
海軍に鎮圧を準備するよう命じる

大海令を出しました。

天皇が
立て続けに3本の大海令を出すのは

極めて 異例の事態でした。

極秘文書には 戦艦を主力とする第一艦隊。

そして 第二艦隊の動きが

詳細に記録されています。

天皇の命令 大海令を受け

全国に部隊を展開する
極めて大規模な作戦でした。

大分の沖合で演習中の第一艦隊は
直ちに動きます。

長門など 戦艦4隻をはじめ

巡洋艦や駆逐艦。

9隻の潜水艦。

戦闘機 爆撃機など 飛行機隊。

第一艦隊全体が東京を目指しました。

鹿児島沖で訓練していた第二艦隊は
大阪に急行しました。

全国で決起部隊に続く動きが広がることを
海軍は警戒していたのです。

午前8時。

横須賀から出動した
陸戦隊の4つの大隊が

東京湾の芝浦に到着していました。

極秘文書には この時の陸戦隊の
兵器一覧表が残されています。

三八式小銃は 1, 635挺。

小銃の弾薬を入れた包みは
20万8, 400に上りました。

これまで 陸軍の事件として語られてきた
二・二六事件。

実は 海軍が全面的に関わる市街戦まで
想定されていたのです。

海軍 陸戦隊 第三大隊
中林秀一郎さん 99歳です。

当時 海軍に入ったばかりの16歳。

出動した時のことを鮮明に覚えています。

初めて 実弾を300発か…
300 それを渡されて…。

そんな ばかなことはねえと。

一方 この時…。

陸軍の不穏な動きは
更に広がりを見せていました。

「第一師団
関係情報」。

海軍が注目したのは
東京を拠点とする 陸軍の第一師団。

決起部隊の大半が この師団の所属でした。

第一師団の参謀長がもらした言葉を
海軍は 記録していました。

「決起部隊も また日本人。
天皇陛下の赤子なり。

彼らの言い分にも
理あり。

決起部隊を
暴徒としては
取り扱いおらず」。

クーデターに理解を示すかのような
陸軍幹部の発言。

海軍は 強い危機感を抱きます。

もし 陸軍 第一師団が
決起部隊に合流したら どうなるのか。

海軍は 陸軍と全面対決になることを
警戒していたのです。

午後2時。

軍令部の電話がなりました。


電話の相手は なんと
クーデターを起こした決起部隊でした。

この事実は 極秘文書によって
初めて明らかになりました。

決起部隊は
なぜ 海軍に接触してきたのか。

実は…

事件に関係があるとして
当時 取り調べを受けた人物の一覧です。

そこに
大物の海軍関係者の名前がありました。

小笠原長生
元海軍中将。

小笠原は
天皇を中心とする国家を確立すべきだと

常々主張し
皇室とも近い関係にありました。

事件発生直後
小笠原は 軍令部総長 伏見宮を訪ね

決起部隊の主張を実現するよう
進言していたのです。

「反乱将校の
心情を承知し

決起部隊の
中心目的たる

軍政府樹立
実現のため奔走」。

小笠原は 有力な海軍大将らと接触し

働きかけを続けていたことが
記録されています。


海軍にまで接触を試みてきた決起部隊。

次のように要求してきました。

決起部隊は 物の分かる海軍将校に
一人で来るよう求めてきたのです。

「これに対し 軍令部 岡田為次参謀は

課長の命により 同部に」。

決起部隊に派遣されたのは

海軍 軍令部の中堅幹部
岡田為次中佐です。

決起部隊の拠点に赴き
そこで語った言葉が記録されていました。

「君たちは
初志の大部分を貫徹したるをもって

この辺にて打ち切られてはいかが」。

決起の趣旨を否定せず

相手の出方を
見極めようとしていました。

この時 既に 天皇の命令を受け
鎮圧の準備を進めていた海軍。

その事実を伏せたまま

このあとも
決起部隊から情報を集めていきます。

天皇の鎮圧方針に従う裏で

海軍は
決起部隊とも つながっていました。

一方 この日 陸軍上層部も
新たな動きを見せます。

天皇が事態の収束が
進まないことにいらだち

陸軍に鎮圧を急ぐよう求めていたのです。

午後9時。

戒厳司令部に派遣されていた
海軍 軍令部員から

重要な情報が飛び込んできました。

決起部隊が クーデター後
トップに担ごうとしていた

陸軍 真崎甚三郎大将。

真崎が ある陸軍幹部と会い

極秘工作に乗り出したという情報でした。

相手は 石原莞爾大佐。

満州事変を首謀した人物です。

「戒厳司令部は 今後 次の処置をとる。

決起部隊の親友を召集し

統一方針の下に
個々に決起部隊を説得せしめ

明朝までに その回答を求む」。

2人が話し合ったのは
青年将校らの親友を送り込み

決起部隊を説得させるという計画でした。

この説得工作によって
事態は収束するという

楽観的な見通しを持っていました。

一方で 従わない場合は
容赦なく切り捨てることを

内々に決めていたことも
明らかになりました。

「要求に
一致せざる時は

一斉に
攻撃を開始す」。

海軍は 情勢を より厳しく見ていました。

決起部隊の考えをひそかに探っていた
海軍 岡田中佐

午後10時30分の報告。

「真崎ら 軍事参議官の説得に対して
一部の者は強硬。

なお 解決しおらず」。

海軍は 決起部隊が説得に応じず

深刻な事態に陥る可能性が高いと
見ていました。

事件発生 3日目。

朝から みぞれが降っていました。

午前5時。

天皇が出した ある命令を巡って

事態が
大きく
動きます。

決起部隊の行動は

天皇の意思に背いていると断定する

奉勅命令。

直ちに 元の部隊に戻らせるよう
命じるものでした。

事件発生当初は
不安を抱く言葉を発していた天皇。

奉勅命令によって
自らの意思を強く示したのです。

しかし 海軍は
この天皇の意思に反する動きを

つかんでいました。

「11時5分。

小藤大佐が

戒厳司令部よりかけたる
電話の傍聴」。

海軍が傍聴したのは

奉勅命令を決起部隊に伝える役割を担った
陸軍 小藤 恵大佐の電話です。

奉勅命令を伝えるため
決起部隊と面会してきた小藤。

その結果を電話で報告している時

海軍 軍令部員は そばで聞いていました。

そして 小藤が 天皇の重大な命令を

決起部隊に伝えなかったという
事実を知ったのです。

「奉勅命令は
師団司令部にて

握りつぶしおれり」。

決起部隊との衝突を恐れ
天皇の奉勅命令を伝えずに

曖昧な態度をとり続けていたのです。

しかし
小藤とのやり取りや その態度などから

決起部隊は 天皇が奉勅命令を出し

自分たちを反乱軍と位置づけたことを
知りました。

天皇が
自分たちの行動を認めていないこと。

そして 陸軍上層部は もはや
味方ではないことを確信したのです。

奉勅命令をきっかけに
事態は一気に緊迫していきます。

同じ頃 決起部隊と面会を続けていた
海軍の岡田中佐。

交渉が決裂したと報告します。

「交渉の結果は 決起部隊の趣旨と
合致することを得ず」。

「決起部隊 首脳部より
『海軍を我らの敵と見なす』との意見」。

「海軍当局としては
直ちに芝浦に待機中の約三ヶ大隊を

海軍省の警備に就かしめたり」。

天皇に背いたと見なされ

陸軍上層部からも見放された決起部隊。

期待を寄せていた海軍とも交渉が決裂し

敵対関係になりました。

絶望的な状況へと追い込まれていきます。

鎮圧に傾く陸軍。

そして 海軍 陸戦隊。

決起部隊との戦いが
現実のものとなろうとしていました。

「全軍に ガスマスクを
配給 携帯せしむ。

ガスマスク約三千個
速やかに送付」。

市街戦で催涙ガスなどが
使われる可能性があるとして

ガスマスクが
海軍省で待機する陸戦隊に配られました。

それに…

やっぱり
用心に用心にこしたことはない。

海軍省の地下通路みたいな

分からんですが そこへ…

「本日 午後九時ごろ」。

攻撃準備を進める陸軍に 決起部隊から
思いがけない連絡が入ります。

決起部隊の首謀者の一人 磯部浅一が
ある人物との面会を求めてきたのです。


海軍は この極秘情報を入手。

詳細に記録を残していました。

「決起部隊の
磯部主計より

面会したき
申し込みあり」。

「近衛四連隊
山下大尉

(以前より
面識あり)」。

陸軍 近衛師団の山下誠一大尉です。

磯部の2期先輩で 親しい間柄でした。

山下がいる近衛師団は

天皇を警護する
陸軍の部隊です。

追い詰められた決起部隊の磯部は

天皇の本心を知りたいと

山下に手がかりを
求めてきたのです。

2人が面会したのは 文部大臣官邸。

「天皇のために決起した自分たちを
なぜ 鎮圧するのか?」。

磯部が まず問いました。

「何故に貴官の軍隊は出動したのか?」。

「命令により出動した」。

一方 山下は「決起部隊から
攻撃することになった場合

磯部は どうするのか?」と問います。

「貴官に攻撃命令が下りた時は
どうするのか?」。

「空中に向けて射撃するつもりだ」。

「天皇を守る近衛師団に 銃口を
向けることはできない」と答えた磯部。

しかし 鎮圧するというなら
反撃せざるをえないと考えていました。

「我々が攻撃した場合は

貴官は どうするのか?」。

「断じて反撃する決心だ」。

山下は説得を続けますが
2人の溝は 次第に深まっていきます。

「我々からの撤退命令に対し

なぜ このような状態を
続けているのか?」。

「本計画は
十年来 熟考してきたもので

何と言われようとも
昭和維新を確立するまでは

断じて撤退せず」。

もはや これまでと悟った山下。

「皇族の邸宅を傷つけないように
気を付けろ」とだけ磯部に告げました。

極秘文書に記録された2人の会話は
ここで終わっています。

近衛師団だった
山下大尉の長男

忠雄さん 84歳です。

事件当時1歳だった忠雄さんを抱いた
山下大尉の写真。

二・二六事件の17日前に撮影されました。

極秘文書に書かれた父親の言葉を
忠雄さんは初めて読みました。

…以上。

それを おさめなきゃいかん
ということになって…

共に天皇を重んじていた2人。

再び会うことはありませんでした。

説得工作が失敗すれば
総攻撃するという陸軍上層部の計画が

いよいよ現実味を帯びていきました。

天皇に訴える道筋が
次々に絶たれていった決起部隊。

自分たちは天皇に背いたわけではないと
市民に向け主張を始めます。

極秘文書には
現場の緊迫した状況が記録されています。

「決起部隊の拠点
料亭 幸楽」。

集まった群衆 数百人に対し

自分たちは間違っていないと
訴え続けていました。

「一日も早く悪い者を殺す。

国民の腹の底にある考えを
我々が実行したのだ。

上 お一人をして
ご安心あそばさるよう。

また 国家皆様も安心して
生活することができるように

出動したものである」。

天皇と国民のために
クーデターを起こしたと訴える決起部隊。

事件の詳細を知らされていない人々の
発言も記録されていました。

「これからなお 国賊をやってしまえ。

腰を折るな。

妥協するな。

諸君の働きには 国民は感謝している」。

(拍手)

「午前2時40分。

安藤 新井両部隊は

秩父宮殿下を奉戴し行動すとの情報」。

決起部隊が皇族に接触しようとしている
という情報が 前夜から飛び交い

鎮圧側は大混乱に陥ります。

「安藤大尉の一行が トラックにて
東久邇宮邸に向かうとの情報あり。

霊南坂方面を
トラック20台。

突破せられざるよう
極力 阻止を要す」。

決起部隊のトラックが包囲網を破った
という情報も入ってきました。

鎮圧部隊は
皇族の邸宅周辺に鉄条網を設置。

戦車も配備して 警備を強化しました。

「午前6時10分」。

決起部隊が現れたのは
天皇を直接補佐する皇族の邸宅前でした。

陸軍 参謀総長 閑院宮です。

「閑院宮 西正門前に
決起部隊17名

軽機関銃2挺を
西方に向けおれり」。

氷点下まで冷え込む中
決起部隊は 閑院宮を待ち続けていました。

閑院宮を通じ
天皇に決起の思いを伝えることに

いちるの望みを託していたのです。

しかし 閑院宮は現れませんでした。

宮様
なんとかして下さいというふうに

なってくるので。 だから

そういうふうに
ならないように…

早朝。

陸軍は
ついに鎮圧の動きを本格化させます。

戒厳司令部は 周辺住民に避難を指示。

住民1万5, 000人は
着のみ着のまま 避難所に急ぎました。

武力行使に備え 劇場や学校など
頑丈な建物に身を寄せました。

一触即発となった鎮圧部隊

そして 決起部隊。

東京が 戦場になろうとしていました。

決起部隊の元兵士が
その状況について 口を開きました。

志水慶朗さん 103歳です。

当時19歳だった志水さん。

兵士の多くは
事前に詳細を知らされないまま

上官の命令に従っていました。

僕たちも…

小銃で ダ~ッてやって
そのガラスを割って 中へ入ったんですよ。

国会議事堂に迫りくる戦車の音を聞いた
志水さん。

自分たちが 鎮圧の対象に
なっていることを知りました。

そういう…

そういうような気持ちは感じましたね。

座って下さい。

陸軍 鎮圧部隊の兵士だった
矢田保久さん 103歳です。

当時20歳。

最前線での任務を命じられていました。

何が起きてくるか分かんない。

向こうの方が慌てれば
もう むやみやたらに撃つでしょ。

だけど 撃ち合いになった時は
どうしたらいいか…。

想像がつく? つかないでしょう。

つかないよ そりゃ。

海軍 陸戦隊は
攻撃準備を完了していました。

実行直前だった陸戦隊による作戦内容が
極秘文書に残されています。

「攻撃目標を 内務省 外務省間の
道路上の敵とす。

進撃命令は ラッパ符『進め』。

本大隊の全部を率い
直ちに出撃し

一挙に
敵を撃滅す」。

この時 第一艦隊は
東京・芝浦沖に集結していました。

極秘文書に記された第一艦隊の配置です。

一線に並んだ戦艦。

世界最大級の主砲を備えた戦艦 長門など
第一艦隊は命令を待っていました。

もし 決起部隊との戦闘が始まったら。

海軍 軍令部は 状況次第では
ある作戦の実行も想定していました。

当時 対処に当たっていた
軍令部員の名前が

極秘文書に残っています。

「矢牧 章中佐」。

艦隊が攻撃することになった場合の
重大さを証言しています。

天皇は 時々刻々と入る情報を
聞き取り続けていました。

事件発生から4日間
鎮圧方針を示してきた天皇。

最終盤 陸海軍の大元帥としての存在感が
高まっていました。

「午前8時10分。

戒厳司令部情報」。

ついに 陸軍 鎮圧部隊による
攻撃開始時刻が決定。

「8時 避難完了」。

「8時半より
攻撃開始」。

攻撃開始にあたり 戒厳司令部が
ラジオで流した緊急ニュースの内容が

極秘文書に残されています。

「戒厳司令部発表。 南部麹町付近に
銃声 聞こゆるやもしれず

市民は落ち着いて
低い所にいて下さい。

建物などの援護物を利用し

銃声の反対方向にいるが
安全なり」。

いつ攻撃が始まるとも分からない中

海軍は
最前線で様子を探り続けていました。

その時 追い詰められた決起部隊の変化に
気付きました。

「10時5分ごろ
陸軍省入り口において

決起部隊の約一ヶ小隊

重機関銃2門
弾丸を抜き 整列せり。

30名 降伏せり」。

「11時45分 首相官邸屋上の
尊皇義軍の旗を降ろせり。

12時20分 首相官邸内に
万歳の声 聞こゆ」。

万歳~!
(一同)万歳~!

万歳~! 万歳~!

最後まで抵抗を続けていた決起部隊に
海軍は注目していました。

「12時40分。

残るは山王ホテルの
250名。

指揮官 安藤」。

安藤輝三大尉の部隊。

鎮圧側は攻撃を決めました。

「やむをえざるにおいては

山王ホテルを砲撃せんとする
決心をなせり」。

最後に残った決起部隊の指揮官 安藤。

その一挙手一投足が記録されていました。

「安藤大尉は部下に対し 『君たちは
どうか部隊に復帰してほしい。

最後に 懐かしい我が六中隊の歌を
合唱しよう』と

自らピストルでコンダクトしつつ
中隊歌を合唱。

雪降る中に 第一節を歌い終わり
第二節に移ろうとするせつな

大尉は指揮棒代わりのピストルを首に」。

(銃声)

「合唱隊の円陣の中に倒れた」。

「14時25分。

戒厳司令官より
軍令部総長宛。

午後1時 平定」。

日本を揺るがした戦慄の4日間。

陸軍上層部は 天皇と決起部隊の間で
迷走を続けました。

事件の責任は 決起部隊の青年将校や

それにつながる思想家らにあると断定。

弁護人なし 非公開 1審のみの

暗黒裁判とも呼ばれた
軍法会議にかけました。

事件の実態を
明らかにしないまま

首謀者とされた19人を
処刑しました。

陸軍は 組織の不安は取り除かれたと強調。

一方で 事件への恐怖心を利用し
政治への関与を強めていきます。

34歳で事件に直面した天皇。

軍部に軽視されることもあった中

陸海軍を動かし
自らの立場を守り通しました。

クーデター鎮圧の成功は 結果的に
天皇の権威を高めることにつながります。

そういうものは…

日本は 戦争への道を突き進んでいきます。

高まった天皇の権威を 軍部は最大限利用。

天皇を頂点とする軍国主義を
推し進めていきます。

軍部は 国民に対して
命をささげることを求めていきます。

(爆撃音)

日本は 太平洋戦争に突入。

天皇の名の下
日本人だけで310万人の命が奪われました。

壊滅的な敗戦。

二・二六事件から僅か9年後のことでした。

戦後 天皇は
忘れられない出来事を2つ挙げています。

終戦の時の 自らの決断

そして 二・二六事件。

これは…

実は…

ということで…

晩年 天皇は 2月26日を慎みの日とし
静かに過ごしたといいます。

二・二六事件を記録し続けた海軍。

その事実を 一切
公にすることはありませんでした。

なぜ 海軍は
事実を明らかにしなかったのか。

極秘文書6冊のうち

事件後 重要な情報をまとめたと思われる
簿冊があります。

この中に これまで決して
知ることのできなかった重大な事実が

埋もれていました。

海軍が 事件前につかんだ情報が書かれた
文書です。

その内容は
詳細を極めていました。

「2月19日」。

事件発生の7日前。

東京憲兵隊長が
海軍大臣直属の次官に

機密情報をもたらしていました。

「陸軍 皇道派将校らは

重臣の暗殺を決行。

この機に乗じて
国家改造を断行せんと計画」。

襲撃される重臣の名前が
明記されていました。

「襲撃の目標と
なりおる者は

岡田首相 齋藤内府

高橋蔵相
鈴木侍従長らなり」。

そして 続くページには
首謀者の名前が書かれていました。

「香田清貞。

栗原安秀。
安藤輝三」。

事件の1週間も前に 犯人の実名までも
海軍は把握していたのです。

海軍は 二・二六事件の計画を
事前に知っていた。

しかし その事実は闇に葬られていました。

その後 起きてしまった事件を記録した
極秘文書。

そこに のこされていたのは

不都合な事実を隠し
自らを守ろうとした組織の姿でした。

事実とは 何か。

私たちは 事実を知らないまま
再び あやまった道へと歩んではいないか。

83年の時を超えて
よみがえった最高機密文書。

向き合うべき事実から目を背け
戦争への道を歩んでいった日本の姿を

今 私たちに伝えています。

♬~


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