偉人たちの健康診断「戦艦大和 男たちの“健康”」水兵用ベッドや艦内エアコン、最新機器を備えた医務室などの…


出典:『偉人たちの健康診断「戦艦大和 男たちの“健康”」』の番組情報(EPGから引用)


偉人たちの健康診断「戦艦大和 男たちの“健康”」[字]


戦艦大和での生活を、貴重な資料や元乗組員の証言をもとに健康診断。画期的な設備、食事や運動など健康管理でも万全の理想を掲げた大和。しかしひとたび戦闘が始まると…。


詳細情報

番組内容

太平洋戦争中、「世界一」の巨大戦艦を目指して建造された大和だが、海軍が目指したもうひとつの世界一があった。それは“健康”。残された設計図や元乗組員の証言などから、戦艦大和での生活を健康診断。画期的な水兵用ベッドや艦内エアコン、最新機器を備えた医務室などのハード面に加え、食事や運動など健康管理でも万全の理想を掲げた大和だったが、戦闘が始まると、その理想はことごとく崩れていった。

出演者

【出演】戸高一成,【司会】渡邊あゆみ


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偉人たちの健康診断「戦艦大和 男たちの“健康”」水兵用ベッドや
  1. 大和
  2. 戦艦大和
  3. 乗組員
  4. カレー
  5. 食事
  6. 艦内
  7. 軍艦
  8. 健康
  9. 戸高
  10. 戦艦
  11. 中元
  12. 当時
  13. 米軍
  14. ラムネ
  15. 海軍
  16. 取材者
  17. 寝返
  18. カレーライス
  19. センチ砲
  20. 海水風呂


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本日の健康診断は…

大和は 太平洋戦争中
日本海軍が保有した 世界最大の戦艦。

最強と言われた 46センチ砲に…。

魚雷が当たっても びくともしない
厚い装甲。

「不沈艦」と呼ばれ
いかめしい雰囲気が漂う

まさに 戦うための船ですが
その中身は?

「大和ホテル」って言われたぐらい…

大和は
クーラーが効いておりましたからね。

大和が目指したのは
世界最強でありながら

世界一快適な戦艦です。
更に…。

最強の戦艦であるということは
兵隊が健康であるということなんですね。

運動から食事まで
「万全の健康管理」を理想に掲げた大和。

今回は 艦内で行われていた
知られざる健康法を徹底紹介!

しかし 戦闘の激化とともに

その理想は ことごとく
崩れ去ってしまいます。

その時 乗組員たちを襲った病とは?

♬~

健康のヒントは 歴史にあり。

「偉人たちの健康診断」。

「偉人たちの健康診断」
本日は 戦艦大和です。

今から 80年ほど前に 大和が造られた
広島県呉市から お届けいたします。

ご案内頂きますのは 大和ミュージアムの
館長の戸高一成さん。

どうぞ よろしくお願いいたします。
どうぞよろしくお願いします。

ここで造られたんですね 大和は。
そうですね。

これが 昔の海軍工廠の跡で
あの奥に見える

ちょっと緑がかった倉庫のような建物
あそこで大和を建造しました。
はい。

あの 一番奥のところに ちょっと
三角屋根が見えるんですけれども。

(戸高)あそこは 昔から
大和建造当時からのまんまの鉄骨

そのまま残ってるんです。
今でも使ってます。         ああ~!

(戸高)
大和は 263mですかね あります。

すっぽり入って で 高さも
40m以上の建物です。         なるほど。

もし 今ですね その263mの大和が
ここにあると 停泊してるとしたら

どうなるか。
このようになります。

(戸高)すごいですよね。
他のものと比べたら 相当の大きさですね。

(戸高)当時としては
もう とんでもない大きさなので

人によっては 島が動いてるように
見えたって言った人もいるぐらいですね。

は~… すごいですねぇ。

秘密裏に製造されていた戦艦大和が
その姿を現しました。

これは 完成直前の調整をしている写真。

圧倒的な打撃力を持つ
世界最大の46センチ砲。

ビルのようにそびえる艦橋。

ここに
操舵室や指令室がありました。

極秘だったため 国民には一切知らされず
ひっそりと行われた試運転。

主砲の試し撃ちも行われました。

(砲撃音)

戦艦大和の設計者の一人…

松本は 「最強の戦艦」には

これまでとは異なる 「新しい設計思想」が
必要だと考えていました。

「世界一快適で 乗組員が健康であること」。

それこそが 世界最強を目指した
大和が掲げた理想だったのです。

これは 大和以前の軍艦で撮られた
兵の就寝時の写真です。

天井から 所狭しと
ハンモックが つるされています。

軍艦は 基本的に兵器中心の構造で

士官を除く 多くの兵の
居住スペースがありませんでした。

まるで ミノムシ!

窮屈で
なかなか寝つけなかったといいます。

写真に写る この人も
とっても眠そうですね。

軍艦の問題は 他にもありました。

軍艦内は とても暑く
兵が倒れるほどだったのです。

それもそのはず。

軍艦の動力は ボイラーです。

大量の熱を発するボイラーを
鉄の箱で囲っているため 熱がこもります。

それに加え 赤道直下など
南方地域に赴くことも多く

例えるのならば
オーブンの中で暮らしているようなもの。

狭くて 暑くて 十分に眠れない軍艦。

これでは 戦う前に疲れきってしまいます。

そこで
設計者たちは 兵の戦力を高めるため

大和に さまざまな快適装備を
施していきました。

あっ こんにちは。

三等水兵として
2年9か月 大和に乗艦した…

(石上)これですわ。 ここが…。
「大和乗組ヲ命ズ」いうて

17年3月6日
この時に 大和に乗っとるわけですわ。

うわ~!

あまりの大きさに
驚がくしたという石上さん。

艦内では 更に驚きの
快適装備が待っていました。

トイレですけどね
水洗で 結構 美しかったですわ。

個室やからね。

それまでの戦艦のトイレは 扉もなく
外から 丸見えの状態。

しかし 大和では…

個室!

きれいな洋式便所で 人目を気にせず
ゆっくりと用を足すことができました。

更に 誰でも使える売店もありました。

故郷に手紙を書くための便箋や
タオルなどの生活用品

ようかんや お酒まで売っていました。

当時最新の医療設備も!

陸上の病院も顔負けの
立派な手術室を完備。

胃がんの摘出まで行うほど
本格的な外科治療が可能でした。

中でも 設計者たちが とりわけ
力を入れたのが 兵士たちの「安眠」です。

こちらは
大和の中央部分の船体断面図です。

(濱名)上を見ますと こちら 兵員室。

大和の兵員室に関しては
十分な設備が整えられておりまして

他の艦よりも広い兵員室が
こちらには ございました。

兵員室は 2段にわたって
大きく とられています。

駆逐艦などに比べて 1人当たりの面積が
3倍も広くなりました。

そして ここには
兵が ぐっすり眠れるための工夫が。

冷房が 一般家庭に普及するのは
昭和40年代のこと。

兵たちは 見たことすらない冷房装置に
感激したといいます。

もともと 軍艦の弾薬庫には 高温になって
自然発火することを防ぐために

冷房装置が入っています。

大和では その能力を高め 艦内の大部分に
冷気を供給できるようにしたのです。

更に
広いスペースを確保した兵員室には

兵たちが歓喜した
あるものが備え付けられていました。

それはもう…

折り畳み式の三段ベッドなどが
用意されました。

ハンモックから ベッドへ。

そんなに寝心地が変わるのでしょうか?

睡眠医療や スポーツ科学を研究する
西多昌規さんは

ハンモックで寝る時の体勢に
問題があったと指摘します。

いわゆる平面ではないですから
まず…

そう! 健康な睡眠をとるためには
適度な寝返りが必要なんです。

人は 寝ている時…

そのままにしておくと…

しかし ハンモックの場合 窮屈なため
寝返りが打ちづらくなります。

すると 血行障害だけでなく
腰痛や首の痛み

更には
胃腸にまで 負担をかけてしまいます。

途中 ちょくちょく 目が覚めちゃうと。

ベッドになった大和では
寝返りを打つことができ

兵たちは ぐっすりと
安眠できるようになりました。

また 大和で
使用していた枕は

硬めのものだった
そうですが

これも 寝返りに関係が。

それで 実際 僕が試したところ…

硬めの枕の方が 軟らかい枕に比べて
頭が沈まない分

寝返りが打ちやすい傾向にあるのです。

大和の 兵をぐっすり休ませるための
設備は それだけではありません。

疲れた体に最も効くもの。
それは…!

これは 大和とは別の軍艦の入浴の映像。

水が貴重な軍艦では 湯船に海水をためた
海水風呂に入っていました。

通常は 1週間に1度の割合ですが…。

大和では 水回りの設備を大幅に改善。

3日に1度は
海水風呂に入ることができました。

実は この海水風呂 なんと
「温泉」と同じような健康効果があると

温泉博士 前田眞治さんは指摘します。

これはね とてもいいと思いますね。

なぜかというとですね…

(前田)…と 全く一緒なんですね。

東京の近くでいきますと
熱海の温泉もそうですし

日本には たくさんあります。

これは 食塩性の温泉に似ているのです。

つまり 戦艦大和のお風呂は
いわば熱海温泉!

その効能は…

兵たちは 海水風呂に入って
体 ポカポカ リラックス…。

そして 寝返りの打ちやすいベッドで
ぐっすりと眠る。

大和は 夢のような
快適・健康戦艦だったのです。

ちなみに 前田先生によれば
私たちの ふだんのお風呂も

あるものを入れることで 海水風呂と
同じような効果が期待できるといいます。

それが…。

重曹はですね…

是非 試されてもいいと思いますね。

ご家庭のお風呂では
重曹がオススメ。

目安は 1回につき
30~40gだそうです。

冷房 ベッド 温泉…。

快適に過ごすための数々の装備。

それらが 戦艦大和の乗組員たちの健康を
支えていたのです。

ええ~!? これですか~!

うわ~! すごい大きいです。
(戸高)大きいでしょう。

こちらは
大和ミュージアムに展示されている…

模型とはいえ 全長26m。

人が乗れるほどの大きさです。

他にも 僅かしか残っていない
大和の設計図や

大和に積まれていたものと同じ
世界最大の46センチ砲の弾など

当時をしのばせる貴重な史料が
展示されています。

(戸高)こちらが 海底の大和から
引き揚げた部品ですね。

ああ~! 遺品というものですかね。
まあ 船の。

船にとって。
船の遺品ですね。

これ見ていくと ちょっと これが
なんか 私 気になるんですけど。

(戸高)これ お風呂の床ですね。

士官用の浴室。 タイル敷いてたんですか?

(戸高)ええ。
しかも セメントが随分 厚いですし

随分 がっちりした
浴槽だったんだなと思いますね。
ねえ。

タイルも それも1色じゃなくて。
(戸高)はいはい 凝ってますね。

ねえ。 何かの模様になるんでしょうかね。

更に 酒瓶とビール瓶もありました。

大和には
大量のお酒が積まれていたといいます。

アメリカの海軍なんかは 一滴も 船には
アルコールを積んではいけないという

厳しいルールですね。

でも 軍隊といいますけど

日本の軍艦は 本当に たくさん
お酒を積んでましたね。
ああ~。

その中で 何か月も
生活するわけですよね。
はい。

ですから やっぱり生活の中で
時々 レクリエーションがあったり

やっぱり
緊張してばかりはいられないので

お祭りの時とかですね お酒許すっていう
号令があると 飲めるんですね。

はあ~! あの~
「お祭り」って 今 言われましたけど。

船だと 「赤道祭り」というのが
あるんですね。
はい。

(戸高)船が赤道を越える時は
赤道の神様に

赤道を越える鍵をもらうという
船独特のお祭りがありまして

その時には もう みんな
どんちゃん騒ぎをするんですよ。

それは 日本の一つの
お酒に対する文化の一つですね。

戦艦の中で 赤道を今 通ったっていうか
それで お祝いするんですか。      ええ。

昭和16年 日本の真珠湾攻撃をきっかけに
始まった太平洋戦争。

連合艦隊の旗艦として 大和は満を持して
最前線へと向かいました。

当時 日本海軍の拠点があった
トラック島に

同じ時期に造られた
同型の姉妹艦 武蔵と共に停泊。

ところが
出番は 一向にありませんでした。

当時 西太平洋の島々では

米軍との激しい攻防戦が
繰り広げられていました。

その周辺は さんご礁の浅瀬が広がり
巨大な大和は近づけなかったのです。

敵艦隊が こちらへ来れば
打って出ることもできますが

その機会は訪れませんでした。

米軍の戦う準備が

まだ できていなかった
と考えています。

戦う相手が いない。

大和と武蔵が トラック島に
停泊し続けること 実に8か月。

その快適な設備から 他の艦では
皮肉を込めて こう うわさしました。

日本最強の戦艦でありながら
戦う機会すらない日々。

2, 500人余りの乗組員たちは
どのように過ごしていたのでしょうか?

当時 戦艦大和に
信号兵として 乗艦していた…

訓練 訓練。

いざという時
いつでも 最前線で戦えるよう

連日 繰り返された 厳しい訓練。

一分一秒 時間を無駄にすることなく

規則正しく生活を送るよう

徹底して たたき込まれました。

そんな日々を 廣さんは
ある楽しみで乗り切ったといいます。

「食事」です。

廣さんは 細かな献立までは
覚えていませんが

とてもおいしく 量が多かったといいます。

大和では 一体 どのような食事が
出されていたのでしょうか?

これは 大和の調理場の写真。

調理担当の兵が
ひそかに撮影したものです。

大和の内部を写した 唯一の写真とも
言われる 貴重な一枚です。

若き兵たちが
初々しい表情で写っています。

彼らは ここで 1日3回
2, 500人の食事を作っていたのですが…。

詳細を知る乗組員も
今は誰もいないのです。

ところが 今回 取材を進めると

広島に 戦艦大和の詳細な献立が
残っていることが分かりました。

父はね 丸野正八っていうんですけど

戦艦大和の みんなの
食事を作る係。

ずっと 飯炊きを
してたっていう。

これが 大和の1週間分の献立表です。

父が まだ元気な時に
一緒にね 書いていったんです。

大和の調理場に勤めていた丸野正八さんが
後年 献立を思い出し

それを娘の陽子さんが清書した
大変 貴重な記録です。

大和では 下士官以下は
全員 同じ献立だったといいます。

月曜日を見てみると 朝食は
味噌汁 佃煮 漬物に御飯。

昼食のおかずは 鯖の煮魚。

夜のおかずは ブタ肉の入った
サツマ汁に煮豆。

3食 全て麦飯です。

別の日は…

戦時中とは思えないほど
食べ応えのある おかずが並びます。

この献立表に分量は書かれていませんが

当時の海軍の配給表から
その量を割り出すことができます。

炊き上がりは お茶わん…

献立をもとに再現した料理が こちら。

肉厚な…

大和で出される食事の1日のカロリーは
なんと 3, 000kcal以上!

今の成人男性の必要カロリーの1.5倍も
とっていました。

大和乗艦時の丸野さんの写真を見ると
ほれぼれする体つき!

大和の高カロリー食が乗組員の屈強な
体をつくっていたと言えそうです。

そんな戦艦大和の食事の中でも

乗組員たちに 一番人気の
メニューがありました。

それは…。

現代でも大人気!
カレーライスです。

献立表には土曜日の夕食に
カレー汁と書かれています。

航海中は 曜日感覚を
失ってしまうため

毎週土曜日に 決まって
カレーを出していました。

実は 海軍で カレーライスが
食べられるようになったのは

明治時代から。

100年以上前の海軍の料理の教科書には…。

こちらが 「カレイライス」 こちらですね。

小麦粉を入れて 煎って
カレー粉を入れて…。

一説では 揺れる軍艦内で
カレーが こぼれないように

初めて 小麦粉を入れて
とろみを出したのが

海軍とも言われています。

海軍が カレーライスに注目した理由
それは もちろん…

カレーは ターメリックをはじめ
10種類以上のスパイスで作られています。

そのスパイスには
クミンやシナモンなど

漢方薬の生薬として使われるものが
多くあります。

カレーは 体にいい薬膳料理としての
一面も持っているのです。

近年の研究で カレーは

健康長寿にも大きな効果があることが
分かってきました。

ご自身も 毎日のように
カレーを食べているという…

…というのが
僕の意見というか ポリシーで。

なんと カレーを食べると

アルツハイマー病など
認知症を予防できるというんです。

2004年に発表された
カリフォルニア大学の研究によれば

カレーの色のもととなる ターメリック

別名 ウコンには

クルクミンという物質が含まれており

このクルクミンが
認知症の原因物質が脳にたまるのを

阻止することが分かったのです。

認知症の一つ
アルツハイマー病は

脳に アミロイドβという
物質がたまることで発症します。

カレーに含まれる クルクミンは

脳にアミロイドβがたまらないようにする
効果があるんです。

実際 シンガポール大学が
1, 000人以上を対象に行った調査では…

…という結果も出ています。

更に カレーは がんにも効果があることが
最近の研究で実証されています。

そういう意味では…

戦艦大和で 週に1回 必ず食べられた
カレーライス。

実は 兵たちの士気にも影響を及ぼした
可能性があると専門家は言います。

例えば スポーツ選手の
イチローさんなんか

朝 食べるという
カレーライスをね。

ということは やはり 朝
体を動かすのに発汗作用だとか

特に 中枢刺激作用が言われてますので…

カレーを食べることで中枢神経が刺激され
兵たちの士気が上がり

パフォーマンスが向上する効果がある
というのです。

大和の乗組員たちは 栄養たっぷりで
バラエティー豊かな食事を

規則正しく食べることで 健康を維持し

兵としての能力も
向上させていったのかもしれません。

お邪魔します。
は~い。

こちらで なんか戦艦大和ゆかりのものを
作ってらっしゃるということなんで。

はい そうなんです。

見せて頂けますでしょうか?
ええ どうぞ。

よかったら こちらです。
よろしくお願いいたします。

ああ ここが工場なんですね。
(中元)そうなんです。

今 音が ちょっとしてるんですけれども
あちらですね ちょうど。

ああ ああ! ラムネ!

(中元)そう。 お分かりになりましたか。
ラムネです!

ああ 瓶が見えますよ 瓶が。 ええ~!

戦艦大和など 艦内でですね

ラムネ製造機を積んで
作って 飲まれてたんですよ。    ああ。

それは お宅と関係ある?
はい。

実際に 作られたとこへ
弊社の初代が教えに行っていたんです。

ああ! 今も作っているの じゃあ
見せて頂けますでしょうか?      はい。

これですか!?
(中元)はい。

あ なんか白くなったのは あれ 炭酸が。
(中元)炭酸水です。

ですね。    (中元)向こうで シロップが入って
炭酸水が入って

炭酸水が全部 入りきったところで
ひっくり返ってるでしょう。
ええ。

(中元)炭酸ガスの圧力で
ビー玉が落ちない感じになるんですよね。

ああ~。

これは 昔からですね
作り方は変わっておりません。

じゃあ海軍でも これ やってるって
ことですか?  はい そうです そうです。

大和では火災が起きた時に消火するため
二酸化炭素を積んでいました。

その二酸化炭素で 炭酸水を作り
ラムネを製造していたのです。

大和と同じ時代に使われていた
簡易的なラムネ製造機が

工場の片隅に保管されているというので
見せてもらいました。

おお~!
これは これは。      (中元)すいません。

おっとっとっと。
大丈夫ですか?

大丈夫ですよ。 はい。 はい~!

えっ!?
これなんです。

これ? あ~ これがラムネの機械ですか?
(中元)そうなんです。

戦艦大和でも もしかすると
同じ形が使われてた?    (中元)はい。

多分 使われとったんじゃないんかなと
思います。

ラムネ製造機の この丸い部分。

中は こうなっています。

まずは ラムネの瓶をセット。

炭酸水やシロップなどの材料を入れ

レバーを回して 逆さにすると

ガラス玉が入り口にはまり 栓がされます。

大和の艦内でも こうして
ラムネが作られていたんですね。

だから すごい
ちっちゃなとこで できるでしょう。
ええ。

だったら 狭い艦内でも
ラムネは エリアを限って

多分 作られてたんじゃないんかなと
思います。

これが 歴史の証言ですね。

すっきりと 何の雑味もしない
爽やかな炭酸の味ですよね。

で 甘くて。
これはね 疲れが取れますね。
はい。

もうちょっと飲んでもいいですか
おいしいから。
はい 大丈夫ですよ。

こうやって のぞいちゃったりなんか。
アハハハハ!

ビー玉 飛び出してきたりしませんよね。
大丈夫です。 はい。

戦艦大和の快適装備の数々。

その一部は 現在の海上自衛隊にも
受け継がれています。

2014年に就役した 最新の護衛艦で

150名の乗組員が 任務に就いています。

ふゆづきという名は 大和と共に戦った
駆逐艦から受け継ぎました。

(ラッパ)

艦内に お邪魔してみると

大和とも共通する
数々の快適設備がありました。

隊員が寝るのは 三段ベッド。

これなら 寝返りも十分に打てますね!

カーテンもあり
プライバシーも しっかり確保。

はい。 全然 もう…

医務室では 手術も可能。

航海時は 専門の医師も乗るため

外科手術から 虫歯治療まで
幅広く対応できます。

そして お風呂は…。

ありました! 海水です。

海上自衛隊も
海水風呂を使用しているのです。

食堂をのぞいてみると…

この日のメニューは
あのカレーライスでした。

(取材者)絶対 出せない?
出せないですね。

そして 昼食後
甲板で行われていたのは…。

実は これ 大和でも行われていた
海軍体操が もととなっています。

大和の乗組員だった廣さんは なんと
今も毎日 海軍体操を行っています。

ご覧下さい!

95歳とは思えない しなやかな動き。

(取材者)ひざも大丈夫ですか?

この海軍体操
そんなに 体にいいんでしょうか?

体操の研究者 武藤三千代さんに
分析してもらいました。

反動をつけて 可動域を広げる際
ふだん使わない筋肉を使います。

それを繰り返すことで

筋力トレーニングのような効果を
得られるといいます。

70年の時を超え

大和の体操が 今も多くの人々の
健康維持に役立っていました。

本土に戻っていた大和は 再び戦線へ。

南方に向かいます。

圧倒的な物量で進撃を続ける米軍に対し

日本は
戦力を 西太平洋に集中させていました。

そんな中 世界最強の戦艦を目指して
造られた 大和に与えられた任務。

それは 兵や物資を戦地に運ぶ
「輸送船」としての役割でした。

そこで 大和は
敵から攻撃を受けることになります。

警戒にあたっていた 米潜水艦に
見つかってしまったのです。

潜水艦から発射された魚雷が
大和の右舷に命中。

浸水した大和は 右舷側に4度傾きます。

と ここで大和自慢の防御機能が働きます。

大和の装甲は 二重になっているため

2~3発 魚雷を受けても
中心は浸水しません。

更に 反対側を意図的に浸水させることで
傾斜を修正。

何事もなく 離脱したのです。

不沈艦と呼ばれる実力を見せつけた
瞬間でした。

そして 昭和19年6月。

大和は 太平洋戦争の命運を決める
マリアナ沖海戦に挑みます。

日本から南へ
およそ2, 000キロ。

グアム島やサイパン島近くの
マリアナ沖に

米軍は 空母15隻
航空機900機で侵攻。

日本海軍は その半分程度の戦力で
迎え撃ちます。

この時 大和は 空母の護衛として参加。

実戦で初めて
世界最大の 46センチ砲を放ちます。

(砲撃音)

その すさまじい衝撃を

元乗組員の石上さんは
今も はっきりと覚えています。

(取材者)そうしないと
飛ばされるんですか?    そうですよ。

(取材者)自分が飛ばされる?
そうです。

こうやって…

敵の軍艦を 一撃で沈めることができる
巨大な 46センチ砲。

しかし この時 大和の標的は

縦横無尽に空を飛び回る
小さな戦闘機でした。

既に 航空機が主流の時代。

大和が得意とする
戦艦同士の撃ち合いはなく

マリアナ沖海戦は
米軍の圧勝に終わったのです。

また 巨大戦艦である大和は 米軍にとって
格好の標的となっていました。

常に 敵潜水艦に狙われ
頻繁に戦闘配置につくようになります。

大和の乗組員たちに異変が起きたのは
このころ。

ある病が
多発するようになりました。

当時
大和に乗っていた…

一般的に 「盲腸」と呼ばれる病気は
正式には 「虫垂炎」といい

大腸の一部である虫垂で
炎症が生じる病です。

主な原因は
硬い便が詰まったり

ウイルス性の
感染症などですが

近年 注目を集めている原因は
ストレスです。

急激な環境の変化や
極度の緊張などにより

免疫力が低下し 虫垂炎を起こすのです。

戦艦大和でも 同じようなことが
起こっていたと考えられます。

兵たちにとって 大和は
世界一快適な戦艦ゆえに

戦闘時との落差は
ひときわ大きいものでした。

被弾した際 火や煙が冷気ダクトを通って
艦内に広がってしまう危険があります。

そのため 戦闘時は ダクトが閉められ
一転 とても高温になります。

食事も ふだんの豪華なものから様変わり。

お握り2個のみ。

ひとたび戦闘が始まると
兵の健康を考えて作った快適装備も

十分な食事も なくなってしまうのです。

更に もう一つ 戦闘配置時は
大和艦内に 異質な環境を生み出します。

それは…。

戦闘時は 被弾に備え
区画ごとの扉を閉めます。

分厚い鉄に囲まれた艦内の一部は
とても静かになり

無音に近い閉鎖空間となるのです。

戦闘時の静かな閉鎖空間。

これが
兵たちのストレスを助長させていたと

専門家は指摘します。

アメリカ・ミネソタ州の
オーフィールド研究所で行われた

こんな実験があります。

「無響室」と呼ばれる
外界の音を 一切遮断した空間で

どれだけ耐えられるかを調べたところ
最も長い人でも およそ45分が限界。

その理由は…。

大和の艦内でも 無音に近い状態が続き

不安と緊張感が増大していったと
考えられます。

最強の戦艦にして 最新の設備まで備えた
大和ですが 最大の敵は ストレス。

自慢の大砲や医療設備では
解決できないものでした。

レイテ沖海戦に
大和は 姉妹艦 武蔵と共に挑みました。

この戦いで 連合艦隊は

米軍の戦闘機 およそ1, 000機による
大規模な攻撃を受けるのです。

当時 大和の旗甲板で
任務に就いていた石上さん。

至近距離で飛ぶ戦闘機を
目の当たりにしました。

こんなとこを シューッと飛ぶわけ。
(取材者)えっ そんな近く?

そうです。
(取材者)へ~。

それぐらいまで 飛んでくるいうことや。

ということは…

敵戦闘機の容赦ない攻撃が始まります。

大和の医務室には
大勢の負傷者が運ばれてきました。

止血に追われた祖父江さん。

負傷兵たちの中に
不思議な傷があることに気付きます。

それは 敵の攻撃によるものでは
ありませんでした。

大和自身の放った 対空砲の破片を受けて
兵たちが重傷を負うのです。

体に入った破片は
大和の医療設備をもってしても

取り出すことはできませんでした。

戦いは 更に激化。

増え続ける負傷者を前に
軍医たちは ある決断を迫られます。

トリアージです。

災害や事故現場で行われる
トリアージでは

助かる見込みのある重傷者から
優先的に対処します。

しかし 戦場では全く逆。

そのため 治療さえすれば助かる命も
諦めざるをえませんでした。

当時22歳だった 祖父江さん。

命の選択を行いながら
兵を 戦場に送り出し続けました。

米軍の波状攻撃は 5回にわたって続き
午後4時ごろ ようやく終わります。

治療を行っていた祖父江さんたちは 突然
甲板に上がるように命令を受けました。

そこで見たものは…。

沈みかけた姉妹艦 武蔵の姿。

武蔵には 祖父江さんの同期の軍医も
乗っていました。

戦艦武蔵の沈没は

不沈艦と呼ばれた大和型戦艦も
「沈む」という現実を突きつけたのです。

♬~

その半年後。

大和も
最期の時を迎えます。

沖縄に上陸した米軍を
食い止めるため

捨て身の特攻という任務を
与えられたのです。

300機を超える戦闘機の攻撃を受ける大和。

戦艦大和は 3, 063人の乗組員と共に

鹿児島県 坊ノ岬沖に沈没しました。

♬~

水深350mの海底。

沈没から 70年以上がたった今も

大和は 静かに眠り続けています。

♬~

これは 世界最大の46センチ砲に使用した
火薬缶。

そして こちらは 大和艦内の電球です。

まるで つい先ほどまで
点灯していたかのように

きれいな状態で残っています。

元乗組員たちも…。

(石上)これは…

大和を降りる時に持ち帰った
食事を運ぶ アルミの配給器。

石上さんは 今も健康でいられるのは
大和での経験が大きいと考えています。

信号兵だった廣さんも
大和で培った 規則的な生活が

その後の健康の支えになったといいます。

(取材者)ああ~!

(廣)血圧から 体温から。

世界最強を目指した
戦艦大和の悲劇は

平和であること
そして 健康であることの大切さを

今に語りかけているのかもしれません。

♬~


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