ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 具志堅用高×宮嶋泰子・「100年に1人の天才」と呼ばれ、デビュー2年で…



出典:『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 具志堅用高×宮嶋泰子』の番組情報(EPGから引用)


[字]ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 具志堅用高×宮嶋泰子


「100年に1人の天才」と呼ばれ、デビュー2年でWBA世界ライトフライ級王者に。13回連続防衛を達成。しかし、王座陥落、現役引退…今、明かされるボクシング人生。


詳細情報

番組内容

今回のゲストは、元WBA世界ライトフライ級王者の具志堅用高、64歳。国内でいまだ破られていない、前人未到の13回連続防衛を果たしたボクシング界のレジェンド。高校生でボクシングを始め、18歳でプロの世界へ。プロデビュー戦から8連勝して「100年に1人の天才」と呼ばれ、1976年、デビューからわずか2年でWBA世界ライトフライ級王者に輝く。

番組内容2

翌年、初防衛戦でも勝利し、13回連続防衛を達成。しかし、14回目の防衛線でまさかの王座陥落。そのまま現役引退へ。一体その裏側で何が起きていたのか…。引退後の意外な生活や若手選手の育成に尽力する指導者としての顔も見せてくれた。猪突猛進で駆け抜けた半生。今ではあまり見せない“プロボクサー”具志堅の素顔に迫る。

出演者

【ゲスト】具志堅用高(元WBA世界ライトフライ級王者)

【インタビュアー】宮嶋泰子(テレビ朝日スポーツコメンテーター)

次回放送予定

次回9月7日(土)は、女優の池上季美子に、編集者の舘野晴彦が迫る!お楽しみに!

番組概要

様々なジャンルで時代を切り開いてきたトップランナーたち。彼らはどのようにして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?人間洞察のプロのインタビュアーによって、知られざる「裸の履歴書」が明かされる!!

番組ホームページ

<番組ホームページはこちら!>

www.bs-asahi.co.jp/interview/

制作

BS朝日、テレビ朝日映像



『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 具志堅用高×宮嶋泰子』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 具志堅用高×宮嶋泰子
  1. ボクシング
  2. 具志堅
  3. 自分
  4. 沖縄
  5. 本当
  6. 試合
  7. 世界チャンピオン
  8. 石垣島
  9. 先輩
  10. 選手
  11. チャンピオン
  12. リング
  13. 羽田
  14. 頑張
  15. 相手
  16. 最後
  17. 最初
  18. 大変
  19. 卓球
  20. 野球


『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 具志堅用高×宮嶋泰子』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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〈都内のスポーツジム〉

〈運営するのは

ボクシングの
元世界チャンピオンだ〉

(宮嶋)失礼しまーす。

あっ どうも!
どうも。 よろしくお願いします。

こんにちは。
こんにちは。

テレビ朝日の宮嶋といいます。
はい 宮嶋さん。 はい。

いやいやいや 具志堅さん
本当に そのままですね。

「そのままです」って変ですけど…。

いや もう本当に 私

実は 具志堅さんと同じ
1955年生まれなんです。

嘘っ!
そうなんですよ。

じゃあ… 1976年に 僕

チャンピオンになったんですよ。
でしょ?

はい。
私 77年入社なので。

だから 具志堅さんが もう 13回

ずーっと こう勝ち続けたのは

もう 毎回毎回 本当に テレビに
かじりついて見てました。

いや 私も 宮嶋さんをテレビで…。

あの 今日 私 ここ来て
ちょっと驚いたのは

なんか こう
ボクシングジムっていうのと

イメージが違うなっていう…。

なんか全然 その汗臭さのにおいが
しないっていうか。

今はね ボクシング以外の人が
来るんですよ。

ああ!
ボクササイズとか。

ああ なるほど。

だから 小学生から
おじいちゃんまで来る。

70かな 一番…。
へえ~。

女性の方々とか。
そうなんですね。

だから ちゃんと
しとかないとですね はい。

今でも
ご指導は されてるんですか?

具志堅さんは。
普段はね ここにいるんですよ。

という事は
指導とか されるんですか?

やります はい。

ちょっと どんな感じでやる…
なさるんですか?

やっぱり あの 選手にはね

やっぱり あの
ボクシングで 一番大事なものは

やっぱり バランスと…。

最初に打つパンチは
ジャブとストレートなんですよ。

で これが しっかり打てなくちゃ
ダメなんですよ。

これが もう基本なんですよ。

これを まず教えてもらって。

へえ~。

こういうバランスが
やっぱり大事。

なるほど。 今
体重がドンと のってましたよね。

全て もう 前… 右足へ。
ねっ。

で これで 左…。
そうだ 左なんですよね。

サウスポーですね。
そう。

それを… そういうのを まず
誰でも 同じ事を教えてあげる。

あと いろいろ…
ボクシングは楽しいスポーツと。

だから みんなに楽しくするように
アドバイスをしてるけどね。

じゃあ ぜひ 楽しいお話を。
すいません。

よろしくお願いします。
ありがとうございます。

♬~

じゃあ 続きまして
マシュマロキャッチ対決です。

あ~!
お~!

惜しいな!
惜しいな!

〈現役時代を
知らない世代にとっては

天然でユニークなキャラクターで
おなじみだ〉

(一同 笑い)
マシュマロ?

〈かつて 日本中を熱狂させた
プロボクサーだ〉

〈切れ味鋭い左ストレートが
武器だった〉

〈18歳のデビュー戦を皮切りに

次々と相手をリングに沈め

とった異名は

〈21歳で

WBAライトフライ級の
世界王者となる〉

〈そこから

13度の防衛に
成功〉

〈前人未到の
記録は

国内では いまだ
破られていない〉

〈選手 指導者としての功績が
認められ

2015年には

国際ボクシング殿堂入りを
果たしている〉

〈あまり語られてこなかった
現役時代の話に

ボクサーの横顔がのぞく〉

♬~

♬~

♬~

羽田に着いたらですね

来たのが。

ちょっと…。
タクシーで。

あれ? 羽田で拉致されたんじゃ
ないですか じゃあ。

それが また こういうジムで

♬~

普段 来ない会長が来ちゃって

あら。

現役の時は ずっと 僕は もう
世界チャンピオンになる前から

アイスクリームなんか
食べてたんだから。

エネルギーですもんね?
そうよ!

糖分でね。
それは もう ずーっとだから。

と思いましたね。

♬~

あら! まあ 体はね
小さくていらっしゃるから

競艇の選手には
向いてるかもしれませんけど…。

競艇学校にも行きましたよ。

やっさんも お好きでしたからね。

一番現役の時ですよ
やすしさんの。

それも また

大変なんですよ。

〈1955年
沖縄の石垣島に生まれる〉

〈4人きょうだいの3番目〉

〈家は カツオ漁で

生計を立てていた〉

〈敗戦後 まだ
アメリカの統治下にあった時代〉

〈本土復帰が果たされるのは

高校生になってからだ〉

〈子供の頃は
意外にも

喧嘩は からっきし
だったという〉

具志堅さん やっぱり
沖縄ですね この感じが。

フラミンゴと花。

ハイビスカス。
あっ たまたま…。

たまたまかな。
たまたま?

そうそうそう。

ああ ハイビスカスね うん。

ハハハハ…。
ああ そうか。

あんまり 沖縄っていうのは

意識はされないですか? 普段は。

寂しいとか なんか こう…

つらい時なんかは やっぱりね

沖縄の事を考えれば

それは やっぱり
なんていうのかな

あの… また元気が出ますけどね。
へえ~。

今 あの… もう

具志堅さんが出身された石垣島。

もう 石垣島はリゾートでもあり

あと よく スポーツ選手が
キャンプをはったりして

なんか ものすごく こう
人気があるみたいですね。

まあ 観光客が増えましたね
すごい はい。

自分は 中学までいまして…。

もう 全く信号がない。
車は走ってない。

その時代ですからね。

車も走ってないですか?
走ってません。

あの頃は 沖縄返還の前で
ドルですから まだ。

あっ そうか。
沖縄 そうなんですよね あれ。

1972年に
日本に こう 返還されて。

それまでは ドルだし

それから 道路も… 運転するのが

道が反対だったりするんですよね
日本とはね。

右側通行だったりして 車が。

石垣島ね 信号がないから
わからないんですよ 我々。

で 線も引かれてないから
わからないんですよ。

横断歩道もないんですよ。
ハハハハ…。

だから みんな
こうして歩いてるんですよ。

道路から こう歩いてるんですよ。
みんな こう渡ってるんですよ。

で あまりにも暑いもんで
道路が…

アスファルトっていうか
コールタールみたいで

溶けてるのよ!
ああ 嫌…。

サンダルとか
靴に付いたりするし

いい道はね
いい道は付くけど…。

溶けちゃうんですよ 夏は。

それぐらいの時代で。

まず 海が きれいだったんですよ。

サンゴ。 目の前に…

実家の前が もう海なんですよ。
うわ~。

で サンゴとか なんでも
魚介類 なんでも取れてた。

へえ~。

え~ ウニとか ノリとか。

へえ~。

もう 本当に きれいな海だった。

じゃあ そこで
真っ黒になりながら

夏は遊びまくってたっていう?
パンツ一丁ですよ。

で 夕方は だから

砂浜にパッと出て
体 ブワーッと洗って

家に戻って ホースで水を
パーッとかけて終わりですよ。

家の中に だって
シャワーとかトイレは

みんな ないんですから。

トイレは外?
外 はい。

どんなお子さんだったんですか?

結構やんちゃだったね。

とにかく 近所の… そうだなあ…

同級生か 下の子みんな
こう声かけて 呼んで

そこで 野球したり
缶けりしたりさあ

鬼ごっこしたり
もう こうして…

これ すべて
僕が決めるんだな こうして。

そこで みんな もめて
喧嘩したり で 俺 殴られたり

2人 3人がかかってきたりさ。
あらら。

もう 本当 泣いて帰って
親に怒られたり。

喧嘩は どうだったんですか?

弱いですよ。
喧嘩 勝った事ないですよ 私。

そう。
なんでですか?

みんな 大きいんだもん。
ああ~。

体 みんな
大きいんですから もう。

具志堅さん 子供の頃から
ちっちゃかった?

もう クラスで一番…。

1人 2人ぐらい
いたぐらいですね 低いのが。

〈中学は野球部だった〉

〈けれど レギュラーになれず
途中で辞めてしまう〉

〈3年の時
別のスポーツと出会い

その面白さに引き込まれた〉

野球は どうでしたか?

野球は 中学2年まで
やってましたね。

一生懸命でしたよ うん。

本当に 選手になれなくて

ライバルが いっぱいいたりして。

それでも やっぱり
2年間は やったんだけど…。

いや~ ベンチに入れなかったね。

ええ~。
外野からホームまで。

じゃあ 野球で
ボールが投げられなかったって

やっぱり 体が… 筋量が
少なかったんですかね?

体 小さかったから?
そうです。

おっ 卓球だったら
いけましたか?

すごかった。

なぜ好きだったかっていうと
卓球が。

ああ~ はいはいはい。
これ。 ずっと。

で 足もね…。
そう。

フットワークが こう あって。

で 目がすごい良かったんですよ
僕は。

だから 卓球のピンポンなんかも
はっきり こう…

すごい もう…。
ああ。 という事は

動体視力のトレーニングに
なってるみたいな感じですね。

そういうのをやってる時は

全く わからないですよ
何がいいか 自分には。

動体視力とか
フットワークがいいとか

そういう言葉自体
全く わからないんだから

とにかく もう
一生懸命なんですよ。

こう 来るのを

休みなく ずーっと こう。

集中してね こう
一生懸命やるってのが

合ってたんですよ。
へえ~。

楽しかった?
楽しかった うん。

卓球の選手になるんだって
思ってたんですけどね。

〈卓球を続けるため

地元の商業高校を受験した〉

〈それが
あろうことか

致命的なミスで
不合格〉

〈図らずも その失敗が

具志堅を ボクシングと
引き合わせる事になる〉

その卓球から どうして
ボクシングに変わったんですか?

まあ いろいろありますよ。

えっ いろいろありましたか。
話が長くなりますけど…。

中学の担任が

電気とか機械関係の
商工に行きなさいって言って

八重山商工を受けたんですよ。

それが落ちちゃったのよ。
あら。

高校受験を。
また どうして?

えっ!?
うん。

相当 緊張しちゃったんですかね?

緊張は 僕は
あまりしないほうだけど

おっちょこちょいなんですよ。
おっちょこちょいですか。

わからないんですよね はい。
ああ~。

で 落っこっちゃって
どうされたんですか?

今度
学校の担任の先生と話して

「沖縄の那覇の

スポーツでも 野球でも
甲子園でも ベスト4に入った

興南高校に行ったらどうか?」と。

それで だから 船で

みんなに… 同級生に 石垣の港

あそこから 夕方 出て

翌日 朝 那覇に着くのかな。
こう テープで…。

おふくろに なんか 俺
5ドルかなんか渡されて

頑張ってこいっつって… うん。
行って…。

2学期に入って ある日 突然…。

一緒に。
ボクシングクラブって

ボクシングっていう
ものに対する知識は

なんかあったんですか?

聞いた事だけです。
見た事はないんです。

えっ。
沖縄本島へ出るまで…

石垣島に テレビは
NHKしか映らないんですよ。

民放は 何一つ映らないんですよ。

自分が見たのは野球ですから。

NHKで
土曜日 日曜日 中継される

ジャイアンツの
試合だったんですよ。

という事は
プロレスも見た事ない。

ボクシングもない。
キックもない。

なんにもなかった…。
格闘技は見た事ない。

で ボクシングクラブ行ったら

あれは
普通の教室の中なんですよ。

教室の床でやってんですよ
みんな。

一生懸命 縄跳び跳んだり。

そこに なんかもう すっごい

1年生から3年生まで
いるんですよ。

で みんな
こうやって手を繋いで

円を描いて 手を繋いで

ガンガンやってるんですよ
こう殴り合いを。

リングがないんですよ 要するに。

あっ 手を繋いで
それが リングの代わりなんだ。

そこで練習なのよ

興南高校の
ボクシングクラブっていうのは。

ああ そう。 そっか。

そこで やっぱり
沖縄チャンピオンとか

沖縄の代表の先輩たちが
いるんですよ。 チャンピオンが。

うわ~。
で そこで

石垣島からの出身ですって

よろしくお願いしますって
あいさつして

「構えてみろ」って
こう 構えさせられて。

「お前 左利きか?」って
言われたんですよ

こう いきなり こう構えたら。

こうじゃなくて こうなんです
あそこはね。

「ああ サウスポーか?」って…。

って言いながら なんか

いろいろ褒めるんだよ こうして。
ハハハハ…。

今度 足…

フットワークの練習とかやって…

お前 すごい 立ち方
いいじゃねえかなんて言われて。

普通 こうなんだけど 俺

最初からね
こうやってたらしいね。

へえ~。
こう こう。

前で立つっていう…。
こう着けちゃダメだっつって。

それを なんか
こう やってたらしい

こう 自然に こう。

いいじゃないかって
言われたわけですね。

そうそう。
なんにも知らないのに。

へえ~。

それからですね。
はまりましたか?

はまりました。

ボクシングをして
自分に やっぱり…。

夢っていうか
目標が やっぱり 自分で…

俺は もうボクシングで頑張る…

頑張るんだっていうのが
やっぱり 高校ボクシング。

あれはな…
秋頃かな 3カ月ぐらいかな

自分に感じたのは。

ボクシングで頑張るっていう。
へえ~。

じゃあ 練習も楽しかったし…。
うん。

いや つらいよ だけど。

打つんだけど 打たれちゃうから。
そう。

痛いんです!
「痛いんです」…。

これ やってる人しか
わからないんですよ。

痛いですよね。
痛い。

人間に殴られた
痛さじゃないんですよ。

ああ~。

鼻が腫れたり もう
いろいろやってた 最初は。

ねえ。

それでも やっぱり 辛抱して…。

試合があるからと
言い聞かされた時は

また これも
一生懸命 練習して…。

〈十分すぎる資質に加え

惜しみない努力に
結果も ついてきた〉

〈高校2年で
全国大会ベスト4〉

〈翌年には

優勝を
成し遂げている〉

〈喜びをかみしめる一方で

気がかりな事が一つだけ…〉

〈石垣島にいる母親だ〉

〈ボクシングに反対だった〉

沖縄本島で

ボクシングに こう
集中してらしたわけですけど

おうちの方たちは
それは ご存じだったんですか?

これは もう内緒です

おふくろには。

ボクシングクラブ入った時点で

もう内緒で
ずっと やってたんです。

それが… 「具志堅 優勝」。

ボクシングで優勝した事が
バレちゃったのよ 新聞で。

バレちゃった。

ボクシングやってる
っていう事が。

ああ~。
こりゃあ もう怒る怒る

おふくろは。

自分がですね 小学校から
言われた言葉がですね…。

この2つがですね
いまだに もう…

大人になるまで ずーっと

この言葉を使ってたんですよ
おふくろは。

これは やっぱり おふくろは

厳しいおふくろだった。
ねえ。

元々ね おふくろが育った所が
普通の島じゃないんですよ。

神様の島なんですよ。

久高島っていう。
はい 久高島 はい。

そこの出身だから そこの女性が
全部すごいんですよ もう。

あの 久高島の皆さん
こう 白装束を着て

こう いろいろな踊りをするの

すごく有名ですよね。
神様をたたえるっていう。

争い事が 一番嫌う…。
ねえ。

それで
ボクシングしたきっかけで…。

あら~。

もう ボクシング
できなくなっちゃうと思って

島に行ったら。

そのまま ずっと
東京へ出たんですよ。

そっか。
帰りたいって思いはあるものの

お母さんに怒られちゃうし

ボクシング
続けられなくなるから…。

なるほど ボクシングを
選んだわけですね?

そうです。

〈1974年 2年後の
オリンピックを目指し

名門 拓殖大学への
入学を決めた〉

〈それなのに
東京で待っていたのは

高校日本一の実力に目を付けた
ボクシングジムの関係者〉

〈言われるがまま
自分の意思とは関係なく

プロの道に進む事になった〉

将来を考える時に やっぱり

オリンピックの選手になりたい
って思いが

強かったんですか?
そうです。

高校3年の全国大会にですね
会場にはですね

大学の… ボクシングのOB
監督 コーチ

現役の選手
大学生が見に来るんですよ。

あっ スカウトのために?
スカウトに。

日大 拓大 中央 法政
みんな 1部リーグ。

みんな オリンピックに出てる
大学ですね。

最終的に
拓大が決まったんですよ。

先輩がいましたから 拓大に。

で そこで 学校内に
ボクシング寮があるから

寮を見て 練習場を見て
ああ やっぱり

高校の時と違うなと思って
すごい リングとか…

自分が ここで
泊まる部屋もあるんだなって

風呂もでっかいなとかさ…。

よし そこで頑張ろうっつって

先輩に 「お願いします!」って
言って 戻って。

卒業式を終えて 羽田へ…。

大学に行くのに
飛行機で羽田まで行った。

そう。

羽田に着いたらですね…。

なんです 来たのが。

ええ~。
協栄ジム。

高橋勝郎さんっていう
マネジャーが

「おう 具志堅 こっちだ」
っつって。

そのまま連れていかれました

タクシーで。
あれ?

羽田で拉致されたんじゃ
ないですか じゃあ。

本当は 大学に
行かなきゃいけないのに。

先輩たちが待ってるから
って言うんですよ。

先輩たちが待ってるっつったら
拓殖の先輩と思うじゃん。

そうそう。
違うんですよ。

沖縄の先輩なんですよ
協栄ジムの。

それが また こういうジムで

30人ぐらいいるんですよ もう
カメラマンと記者が。

俺を待ってたんですよ もう。
羽田から来るっていうのを。

だから そのままで
もう記者会見ですよ。

具志堅プロデビューの。
あら~。

おかしいよね。

そんな事あるんですか?
あるんですよ。

今は もう 絶対ないんだけど。

バカっていうか なんか 全く…

わからないんですよ もう
考えが。

僕 これしか…
ボクシングだけだったもんで。

で その日は
先輩のマンションに泊まれと。

で 泊まったんですよ。 朝

「昨日の新聞
相当 載ってるはずよ 記事」

「駅に ちょっと 新聞買いに
行ってこいよ」っつって

スポーツ新聞 4つか5つ
全部 買ったぐらいかな。

こう持って帰って…
で 開いてみると

でっかく載ってんですよ。

インターハイで優勝した時の
倍以上 載ってるんだよ。

これが嬉しくてね
新聞に でっかく載ってんのが。

うわー! って思いながら

じゃあ もう これ
プロでやっちゃえっつって

やっちゃったんだよ もう だから。

拓殖大学には どうしたんですか?

お伝えはしたんですか?
全く。

ええ~。

先輩たちは
相当 怒られたらしいね。

そうですよね~。

じゃあ おわびも
なんにもしないまま

もう プロデビューですか?
はい。

〈結局 拓殖大学への入学は
白紙となり

協栄ジムに所属〉

〈鳴り物入りで
プロの世界に飛び込んだ〉

〈2カ月後には 早くも
デビュー戦が組まれる〉

〈相手は
全日本フライ級新人王だ〉

〈強敵に苦戦しつつも

判定でプロ初勝利を手にした〉

〈そこからは連戦連勝〉

〈デビューから2年という
異例の早さで

世界タイトルマッチが決まった〉

〈プロのリングに立った具志堅は

どんどん 強さを増していく〉

〈気づけば デビュー戦から
破竹の8連勝〉

〈100年に1人の天才と
呼ばれるようになっていた〉

〈デビューから わずか2年で

チャンスが巡ってくる〉

〈世界タイトルへの挑戦だ〉

〈相手は ドミニカの
ファン・ホセ・グスマン〉

〈強烈な右ストレートで
KOの山を築いていた〉

そこまで ポンポンポンポンって
順調にいって…。

なかなか
世界ランカーとやるっていう

日本ランカーのボクサーは
まだまだ その時は

いないんですよ あんまり。

そんなに呼べるような
ボクシング界じゃないんですよ。

世界タイトルマッチやるってのも
大変なんですよ。

よっぽど強いのじゃないと
できなかったんですよ。

ジムの人に すぐ
チャンピオンの写真を見せられた。

ドミニカのファン・グスマン
っていう人ですよ。

世界タイトル…。
10月10日。

あ~。

いや~ 気合 入ったね。

山梨県の甲府の
山梨学院大学。

ああ あの駅伝で有名な
山梨学院の体育館。

そうです。

また なんで そんなところで
やったんですか?

なんでって 僕も まだ
山梨県自体 わからないんだもん

どこにあるって。
ああ そうか。

行った事ないところなんですよ
山梨っていうところ。

東京だけです。
もう 都内だけなんですよ 僕は

知ってるのは。
ああ~。

甲府です。 本当ですよ。

8時ですよ あれ。
それも知らないんで。

あとで
ああ 歌ってるなと思って。

ハハハ…。 狩人がね。

いやあ だけど
こう 笑ってるけどね…

こうして 昔の事 話しながら。

だけど 試合 振り返ったら
強かった 相手は。

ねえ。 ドミニカのグスマンって

ものすごい強かったんでしょ?
当時は。

日本に来日して…。

えっ? ハードパンチャーだった?
…パンチャーだった。

公開スパーリングの時も
そうですよ。

マスコミの前で パートナーが
やっぱり倒れちゃって。

これは もう パンチもらったら
終わりだなと思った。

ボクサーでしか わからないもの
だと思うんですけれども

恐怖心みたいなもの…。
ある。

本当に。

一つだけ 僕は…。

ああ~。

石垣島のほうに向かって。

「世界チャンピオン
さしてください」って。

勝たせてくださいって?
そうです。

これだけは覚えてますね 今でも。

〈序盤から果敢に攻めた試合は

4ラウンドまでに
3度のダウンを奪い

迎えた 7ラウンド〉

〈渾身の右アッパーで
グスマンをマットに沈める〉

〈ボクシングを始めて5年

21歳で
世界チャンピオンとなった〉

ちっちゃなグローブでね
あの世界タイトルマッチの。

メキシコ製の… 今まで使った事…
初めて使うグローブなんですよ。

いや~。

それは やりにくいですよね
初めてのじゃあ。

いやいや…。

もう ちょっとでも触ったら
もう グラッとくるんですよ。

だから それを
しっかりガードを上げてですね

パンチをもらわないように
スタートしたんですよ。

それでも やっぱり受けたパンチは
グググッとくるんだもんね

体が。

それでも 自分は もう

出したんですよね
ストレートを こう。

左?

これで
相手がグラッときたんですよ。

で グスマン
何度か倒れましたけど

7ラウンドで 結局 勝ったという。

そうです。
KO勝ち。

相手 ものすごい
ハードパンチャーじゃないですか。

だから 向こうが
こう 打ってきた時

ヒュッ ヒュッと こう 頭を こう

波のように使って
かわしてらっしゃる。

あれ 驚きました。
あれ…。

もう 何もかも
体で こう 覚えるんですよ。

こういうの セコンド陣が
まず アドバイスできないから

ああやれ こうやれって。

だから あの世界戦は
セコンド陣のアドバイスは

一つも聞いてないんですよ。

聞いてたら やばい。

声よりは
手のほうが速いんですよ。

ああ はいはいはい はい。

ジャブ出せって言ったら
ジャブ…

もう終わってるんですよ。
次のパンチにいってるんですよ。

ダッキングやれって言ったら
もう ダッキングしてるんですよ

こうして。
なるほど。

だから もう 先に
言う前に もう やるんです。

これ 本能で…。

これが 島でも そうなんですよ。

怖いと思ったら
逃げたんですよ 僕。

逃げるのが早いんですよ
要するに。

何か 物が飛んできたら
よければいいじゃないですか。

そういう習慣ってのも

島で 体に身につけてるんですよ
僕は。

子供の頃から…。
そうなんです。

ボクシングの原点…。

自分の体を強くしたのは。

ボクシングして
強くしたわけじゃないんですよ。

元を強くしたのが 島なんですよ。

ああ そう。

全て やっぱり 共通するものが
やっぱ ありましたね。

自分の やっぱ 遊びの中で。

だけど 会場が ワーっと騒いで

ゴングが響いて
「ああ 試合終わった」って

嬉しかったね。

ねえ。

一晩で 一夜で
このリングで…

山梨の甲府のリングで
人生が変わりましたね。

〈石垣島への凱旋は

上京してから
初めての帰郷となった〉

〈ボクシングに
反対していた母親と

3年ぶりに再会する〉

大変だったでしょ?
世界チャンピオンの時に

石垣島へいらしたら。

うん。 だから グスマン戦取って

返還後の沖縄の

ボクシングの
初の世界チャンピオンっていう。

いや~ すごかったね。

石垣島の空港

島の人が全部 囲んでね

出迎えですね。
うわ~。

嬉しかったね。

あの頃に ちゃんと 車が…
オープンカーがあるんだね。

あれ どっかから
取り寄せたと思いますね

パレード用に。
ああいうの見た事もないから。

すごかったなあ。 それ見て

はあ~
石垣島で生まれてよかったって

やっぱり
ボクシングしてよかったって

島で やっぱ感じるね。 うん。

全部が もう
家族のように見えるんだよね。

全てが 島の人が。

で 肝心のお母さんは
どうだったんですか?

いや あの…

最後まで ボクシングを
すすめるっていう話はしない。

辞める話を…
いつ辞めるかっていう話です。

っていうのが やっぱり
そのあとに続くわけです。

それでも どんどんと
僕は戦ってるわけなんですよ。

〈防衛戦は

世界チャンピオンになった
3カ月後〉

(ゴング)

(歓声)

〈パナマのハイメ・リオスを
迎え撃つ〉

〈序盤こそ

アクロバティックなリオスの動きに
てこずったものの

具志堅は徐々にペースを取り戻し

相手のボディーに
打ち込んでいく〉

〈最後は判定勝ちを収め
初防衛に成功した〉

〈そこから ベルトを守り続け

前人未到の13回防衛〉

〈その記録は 国内では

35年たった今も破られていない〉

私 世界チャンピオンに
なってからが

ボクシング強くなったんですよ。

それで ボクシングっていう
スポーツが楽しくなったのも

世界チャンピオンに
なってからなんですよ。

ベルトを抱えてる この恐怖感と

この刺激は最高だね。
ああ そう。

練習も楽しくできるし
練習の疲れも残らないし

すごいんですよ だから。

だから 組まれた試合は もう

本当 大変だけどね
今の若い子に比べれば。

4カ月に一遍ですから 試合。

で 年4回 防衛戦するんだから。
大変ですよね。

ああ これは もう
遊んじゃいけないなとか思うけど

どこかで やっぱり 遊ばなくちゃ
いけないなと思ったら

遊びに出たよね。

歌舞伎町とか… 六本木とか。

行ったら ばれちゃったり。
ハハハハ。

自分が… みんな近いんだよ。

近いところなんです。 狭いとこ。

だから 誰かに つかまったりさ…。

有名人に会えるっていうのが
嬉しかったね。

どんな方 いらっしゃいました?

う~ん 僕が一番最初に
チャンピオンになって

すぐお会いしたのは王さんですね。
ああ 王さん。

王貞治さん。
うん。

後楽園球場の。

小さい時にテレビを見ていた
野球選手とか。

あと 有名人だから やっぱり

歌を歌ってる番組が多かったから

それを目の前で見たり…。

ハハハ…。
そうそう。

世界がブワーっと
広がるわけですね それで。

そう。
へえ~。

「頑張れよ」って言われたら
よっしゃと思って。

いろんな方に会って
いろんな方の そのエキスを

自分の中に取り入れた
みたいな感じなんですか?

そうです。 あとは やっぱり

周りの応援してくれる人たちの
アドバイスと

そういうのもあるし。
へえ~。

あとは やっぱり…。

これが大事ですよ はい。
ああ そう。

だから このアフロヘアも…。
ディスコ行って…

ちょうど 音楽の時代でしたから。

ディスコね みんな踊ってましたよ
大好きでしたよね。

これが かっこいい人がいるんだ。
黒人の こう 踊ってるの見て。

「おっしゃ
これ… まねする!」っつって

すぐ 床屋で

まね マスターにさして。
最初 パーマかけてたけど

こう アフロに
してくれっつって

マスターに
すぐお願いして。

で まず 先輩たちが
「ああ 似合うな お前は」って。

で 今度 「ひげ生やせ」っつって
ひげ生やして。

ハハハハ…。

じゃあ なんか こう
世界チャンピオンになってから

自分自身を作り上げてきた
って感じですね。

クリエイトしてるって感じ。
そう。 チャンピオンになって

ボクシングが
好きになったっていう。

とにかく 頑張れば
幸せがくるっていうのが やっぱ。

〈具志堅は 14度目の防衛戦で
王座から陥落〉

〈たった一度のKO負けで
引退を決意する〉

〈連続防衛記録を伸ばしていた
具志堅にも

ついに ベルトを手放す時が来た〉

〈1981年 14回目の防衛戦で
KO負け〉

〈敗因は 毎試合 欠かさなかった

ルーティンを崩された事に
あるという〉

最後は 沖縄でしたから…

みんな
スタッフも 神経使ったり。

いろいろ やるんですよ

試合の前の計量後とかも
食事の面とかも。

ちょうど 沖縄の試合の場合は

普段来ない会長が来ちゃって

おいしい食事をしてる最中に…。

これがショックで
大きかったな~ 一番。

どうして
ショックだったんですか?

ボクシング 現役の時は
ずっと 僕は

世界チャンピオンになる前から

アイスクリームなんか
食べてたんだから。

糖分とかの… 大好きな
アイスクリームだったんだ。

計量終わって すぐ
アイスクリーム食べるんだから。

エネルギーですもんね 糖分でね。
そうよ!

それは もう ずーっとだから

世界タイトルマッチは。
最後の試合だけ。

あら~
ずーっと勝ってきてた時には

アイスクリーム
必ず食べてたのに。

いや~ あのアイスクリームが
もう…

ホテルに向かう途中に

あっ 今日の試合 終わったなと
思いましたね。

はあ~…。

あの日 だけど…
1ラウンドのファイトは

すごく 動き良くてね。 うん。
ええ。

8ラウンド以降かな
ガクって きてるんですよね。

じゃあ やっぱり
エネルギー切れですね。

コンディション 失敗してるのは
失敗してますよ あれは。

だけど やっぱり
ちょうど 時期的にも…

もう 落ちる時ですよ。

年3回 4回の試合は
しんどかったね~。

それはそうですよね。
うん。

〈試合に敗れ
そのまま 26歳で引退〉

〈それが ボクシング人生…

最初で最後の敗戦だった〉

もう 負けたら辞めよう
っていうのは

最初から決めてらした?
そうですね 最後の…。

だけど やっぱり 目標は
大体 15回防衛は…。

誰とでも いつでもやるっていう
自信は持ってたんですよね

連続KO防衛してた時は。

だけど 急に落ちるっていうのは
やっぱり…。

ビルから落とされてる
っていう感じ。

ドン…。 もう…。

つらかった!

もう…。

ずっと うちにいました。

誰かに やられるんじゃないかな
と思って。 不安とか…。

あ~ 誰かが…。
なんか やられるっていうのは…。

もう 自分 殴られるんじゃ
ないかなと思ってさ。

あ~ このバカ野郎って…。
なんで負けたんだっていう?

うん そうそう。

もう 「自分じゃない」に
なっちゃったのよね。

本当に だから…
何しても ダメなのよ。

もう チャンピオン 失ったあとは。

本当に もう 本当に苦しかった。

何したらいいか わからない。

なんか 一種の
うつ状態みたいな感じですか?

そうです。

〈ボクシングを辞めて

新たに
始めようとしたものがある〉

〈やはり 勝負の世界
ボートレーサーだ〉

〈4年半のプロ生活に
終止符を打ち

具志堅は
ボートレーサーを目指した〉

〈だが 年齢制限によって
あえなく断念〉

〈その後 1995年

日本人初の ボクシング
世界チャンピオン

白井義男と
スポーツジムを設立する〉

〈以来 タレント活動をしながら

若手の育成に尽力してきた〉

(鶴太郎)反則負け。

〈ジム設立から22年

2017年 教え子から

ついに
世界チャンピオンが誕生した〉

なんか ボートレースかなんか
やられました?

ああ それは
競艇の選手になりたくて。

あら! まあ 体はね
小さくていらっしゃるから

競艇の選手には
向いてるかもしれませんけど…。

競艇学校にも行きましたよ。
え~! いらしたんですか?

でも 年齢が ちょっと足りなくて。

やっさんも お好きでしたからね。

一番現役の時ですよ
やすしさんの。

え~。
アマチュアのレースで

会場 行ったら
やすしさんがいるんで…。

「おら~」って…
もう酔っ払って来て

バーって 1着で優勝して
パーって帰るんだ また すぐ。

「わしは帰るわ~」って パッて。

すごい 現役の時は
一緒にやってて…。

で ボートも もう…
とにかく 海が好きだったから。

そういう
やっぱり ボートレース…

なんていうのかな
パワーボートのレースをやったり

すごく もう また
そういう仲間ができたりして…。

それもまた お金は掛かるし
大変なんですよ。

でも その段階で ボクシングの
指導者になろうなんて思いは

なかったんですか?

ここ 具志堅さんだけではなくて

「白井・具志堅スポーツジム」
って書いてあったんですけど。

そうなんですよ。
ねえ 選手にとって

ボクシングジムを持つって
夢だとは思うんですけれど。

白井先生が やっぱり…。

僕ね 世界タイトルマッチ 全て
白井先生が解説をして頂いてる。

だから 私の事も
よく知ってたんですよ。

引退して 私が あるテレビ局に

解説を白井先生と一緒にして

また…
人間の素晴らしさを聞いて

それで ボクシングを
具志堅がやるなら 俺は…。

バックアップするぞと。

で ここのジムになるわけですね。
そうです。

そして そこで…。

比嘉さん?
そう 比嘉大吾。

それ 一つの夢だったんですよ
僕は。

その前に 何人か
世界へ送り込んだんだけど

失敗したんだけど

比嘉大吾に勝負を懸けて
やったら

チャンピオンに
なったんですよ。

比嘉さんも 沖縄の方?
そうです。

沖縄の方と
ボクシングっていうのは

本当に なんか
密接な繋がりがありますよね。

熱い! やっぱり…
ものがありますよね。

熱い!?
うん。

「闘う」というのを持ってますよ
沖縄。

今 チャンピオンを作り

これから こんな事をやりたい
っていうのはありますか?

っていう感じしますけど。

ここ もう やっぱり…
3~4年の勝負だろうな。

今 僕 楽しいんですよ 人生が。

それを しばらく
あと… 続けたいなと思うし。

だから そんなに
変わってはいないんですよ。

変わってはいないけど
やっぱり それを

もうちょっとやってみたいと
思うだけですね。

子供の時の遊びっていうのが

こんなふうに花開いていくんだな

っていう そのプロセスも伺って

人生って やっぱり 子供の時に

いろんなものが作られるんだな
っていうのを驚いたのと

やっぱり 沖縄の方が持ってる
明るさだとか 人懐っこさだとか

なんか 全部 具志堅さんの中に
詰まってるなと思って

とっても楽しかったです。

〈具志堅用高が
今 大切にしている言葉〉

ありがとう 宮嶋さん。

(スタッフの笑い)

自分の人生は
いろんな人に「感謝」と

「ありがとう」っていうのが
一番多いかな。

全ての人にね。

それで 今の自分が
いるんじゃないかと思います。

〈感謝の先に
幸せがある〉

〈生き生きとした
文字に

見て取れた〉


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