100分de名著 大江健三郎“燃えあがる緑の木”2 世界文学の水脈とつながる・「新たな福音書」や新しい形の「祈り」…



出典:『100分de名著 大江健三郎“燃えあがる緑の木”2▽世界文学の水脈とつながる』の番組情報(EPGから引用)


100分de名著 大江健三郎“燃えあがる緑の木”2▽世界文学の水脈とつながる[解][字]


四国の森に「燃えあがる緑の木」教会がついに設立。集った人たちの力で世界文学や宗教書の引用からなる「新たな福音書」や新しい形の「祈り」が生み出されていく。


詳細情報

番組内容

四国の森に「燃えあがる緑の木」教会がついに設立。ギー兄さんに寄り添い支え続ける両性具有のサッチャン、父親である「総領事」、地元の有力者・亀井さんなど、多くの人たちが集い始める。彼らの協力を得ながら、古今の文学や宗教書の引用からなる「新たな福音書」や新しい形の「祈り」が生み出されていく。そのプロセスには、大江が続けてきた世界文学との対話の成果が縦横に生かされていた。大江がそこに込めた思想とは?

出演者

【講師】芥川賞受賞作家/早稲田大学教授…小野正嗣,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】寺島しのぶ,【語り】加藤有生子



『100分de名著 大江健三郎“燃えあがる緑の木”2▽世界文学の水脈とつながる』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

100分de名著 大江健三郎“燃えあがる緑の木”2 世界文学の水脈と
  1. 教会
  2. ギー兄
  3. 自分
  4. 作品
  5. 総領事
  6. 大江
  7. カラマーゾフ
  8. 引用
  9. 兄弟
  10. 存在
  11. 伊集院
  12. 亀井
  13. 死者
  14. 物語
  15. ワル
  16. 言葉
  17. 世界
  18. 息子
  19. イェーツ
  20. サッチャン


『100分de名著 大江健三郎“燃えあがる緑の木”2▽世界文学の水脈とつながる』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

☆無料で民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから!

他にも、無料お試し期間のあるVODサービスが増えてますので、各社のラインナップを調べてみるといいかもしれませんね。


大江健三郎が
その知性と想像力の全てをかけ

魂の救済を描いた 「燃えあがる緑の木」。

特殊な治癒能力を持つ
主人公 ギー兄さん。

既存の宗教に とらわれない

教会の在り方を模索していきます。

この 唯一無二の宗教観に
至るまでに

世界文学との対話を
繰り返してきた 大江。

その意味を探っていきます。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の…

今月は大江健三郎の「燃えあがる緑の木」を
読み解いています。

前回 いかがでしたか?

何だろう 一行一行
もう その一行について

そうね 15分は しゃべれる感じだから
100分が 全然 足りないんですよ。

そうですね。
はい 今日も。

さあ 今回も楽しみです。
指南役は 作家の小野正嗣さんです。

(伊集院 安部)よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

じゃあ 登場人物から
確認していきましょうか。

まず サッチャンは語り手で
教会設立を提案しました。

ギー兄さんと呼ばれる 隆。

長老から
不思議な治癒能力を得て

村人たちを助けてきました。

そして今回
新しい登場人物が加わります。

教会のメンバーですね。

まず小野さん 総領事から
教えて下さい。

故郷である四国の森に
まあ 戻ってくると。

ご自身も病気をね 抱えてまして

自分自身も傷ついた人として

ギー兄さんの教会の近いところで
それを見守るという形ですね。

で 伊能三兄弟は
教会に加わったメンバーですね。

そうです。 教会をつくろうっていうことで
始めた時に

その教会って どんなとこだろうと。

自分たちも
そこに参加したいと。

教会って 農場とか
工場というのも やってたんで

そういうとこで働きたいといって
やって来た 伊能三兄弟と。

キャラクター たってますね。
そうですね。

亀井さんという人も 今後 出てきますね。

重要な役割を果たします。
重要な人物です。

そして
2人は 教会のしるしを掲げます。

片方は緑が生い茂り
片方は炎で燃えあがる 不思議な木。

糾弾された日 ギー兄さんは

テン窪の大檜から
この光景を夢想したのだといいます。

ここに 「燃えあがる緑の木」の教会が誕生。

総領事を筆頭に
賛同者が集まり始めました。

そんな ある朝 サッチャンは
教会の前で 一人の男を目にします。

製材所を営む地元の有力者

亀井さんという人物。

ギー兄さんが糾弾された日

反対者の先頭に立っていました。

しかし糾弾後 不慮の事故で右腕を切断。

酒に溺れ 救いを求めるかのように
教会にやって来たのです。

ギー兄さんは
そんな亀井さんの改悛を受け入れます。

勢いを増す教会。

総領事は 教会のマークが
大きな力を発揮していると

考えていました。

ギー兄さんの夢想した
燃えあがる緑の木

実は ある詩人の作品世界を
イメージしたものでもあったのです。

その人物とは
ウィリアム・バトラー・イェーツ。

アイルランドを代表する詩人です。

ケルト神話を題材にした作品を
多く残す一方

晩年は 死を意識し
魂について考え続けました。

そのイェーツの ある詩のモチーフが
教会のしるしだったのです。

うん まあ ようやく タイトルの

「燃えあがる緑の木」という話が
出てきましたけど。           ええ。

モチーフも出てきましたね。
まず その詩を見てみましょうか。  はい。

重要なのはですね 「半ばはすべて緑」
半分は 「半ばはすべてきらめく炎」。

それを 「二律背反」
というようなことを書いてますけども

ある一つの木が 一方は燃えている。

一方は 緑の葉で艶やかに濡れている。

燃える炎と水という相反するものが
同時に存在するっていうね。

これは サッチャン自身の
姿でもありますよね。

サッチャン だって 両性具有でしょ。
あ~ はいはいはい。

男性と女性というのが
自分の体の中にあるという。

ある両極というものを
自分の中に抱えていると。

矛盾するものが
同時に ここにあるということ。

それを このシンボルは
ことほいでると言いますか。

要するに AかBかじゃない
白か黒じゃない。

そのイメージが
ギー兄さんにとって大切だと。

ギー兄さんは だって 自分が持ってるのか
力を持ってないのか分からない。

そういう悩みというか疑問を抱えたまま
生き続ける。

つまり 正解がない状態に耐えうると。

僕たちって すぐ何でも 今
答えが欲しいじゃないですか。

AかBか 白か黒かって。
でも そういう…

やっぱり 例えば こいつがいいもんで
こいつがワルもんとかね。

最初は こいつがワルもんだと
思ってたんだけど

どうやら こっちの方がワルもんで
もともとワルもんだったヤツは

今度 100%いいもんだって
言いだすじゃないですか。     ほんとだ。

それは違うよ。
両方 そこで成り立ってるもので

片面だけでは
捉えられませんというような。

今 多分 どっちかを排除するという
形でしか存在しないかなと思って。

矛盾したもんが同時に存在するもんじゃん
世の中っていう感じに

僕は ちょっと受け取ってね。
そうですね。

ちょっとだけ それますけど

アウシュビッツでね
ユダヤ人が大量虐殺された時に

ガス室に並ぶ ユダヤ人の列の人たち
いるわけ 裸にされて。

その中でも
子どもは遊んでたというんですよね。

その子どもたちが遊べるように

大人たちは
木切れとか ひもとかを集めてきて

道具 おもちゃを作って 渡した。
2分後とか 死ぬんですよ。

だけど そういうふうなことで
子どもたちは それで遊んで

喜びに輝いてたというかね。

それは 多分 より悲惨なところも分かるし
死んでいくのにもかかわらず

人間の根幹の力強いところも
ちょっと分かるし

その両方ないと おかしいし 両方同時に
存在するのが当たり前だみたいなことも

ちょっと やっぱり入ってるかな。
うん 読み取れますね。

さあ 物語に戻りますと 教会が急成長を
遂げる中 新たな動きが生まれます。

続きをご覧下さい。

軌道に乗りだした ギー兄さんの教会。

その活動は 一風変わったもので
ギー兄さんを囲み

「集中」と呼ばれる瞑想を行う
というものでした。

…と疑問を投げかけられると
ギー兄さんは こう答えました。

神もいない 教典もない教会に対し

ある日 亀井さんは
福音書の制作を提案します。

大きな集団となった今 ハンドブックを
作ってほしいと思っていたのでした。

しかし どうすればいいのか?

そこで 教会のメンバーを集め

自分の人生に影響を与えた言葉を
言い合うことにしました。

イェーツ
ルーマニアの宗教学者 エリアーデ

更には ドイツの音楽家 ワーグナーまで。

中でも ギー兄さんが注目したのは
ロシアの文豪 ドストエフスキーの

最晩年作品
「カラマーゾフの兄弟」からの一節。

ギー兄さんは
あらゆるジャンルの言葉を引用し

世界に類を見ない福音書が
作られていくのでした。

誰かが見たと言ってる
オカルト的な出来事を中心に添えずに

宗教の骨格を 持てる知識
しかも 世の中に存在している

いろんな作品の合成で
作ろうとするという。

その中の一つが 「カラマーゾフの兄弟」。
はい そうですね。

でも なぜ 「カラマーゾフの兄弟」の中の
ここを引用で使ったのかというのは

どう お考えですか?
「カラマーゾフの兄弟」はですね

大江さん自身が 非常に
自分の大好きな作品だということで

言及してきた作品ですけども
多くの場合はですね

父殺しの物語だと言われることが
多いんですけど

実は 虐げられた子どもの物語だって
いうようなね 読み方もあるわけです。

イリューシャというね
病気の男の子が出てくるんです。

「燃えあがる緑の木」でも
やっぱり そのカジ少年って

14歳の少年が亡くなろうとしてる。

そこに…

そういうようなシーンと どうしても

やっぱり重なるところがあるかな
というふうに思うんですね。

でも なぜ ここまで
大江さんが その子どもというものに

惹きつけられるかというと 大江さんには
頭部に障害を持って生まれた

光さんという…

だから 大江さんの
お子さんが生まれてからの

あらゆる作品に その 子どもの問題
というのは描き込まれてると。

ちょうど その 大江さんの
子どもに対する思いと

ドストエフスキーの
「カラマーゾフの兄弟」に

そこが共鳴するから その作品を引用して
使っていると思っていいんですか?

それが意図的かどうか
分からないですけど やっぱりね

「カラマーゾフの兄弟」を書く
数年前にですね

ドストエフスキーは 自分の次男を
亡くしてるんですね。 幼い子どもを。

その 亡くなった息子さんの名前が
アリョーシャなんですよ。

ああ…。  ある種 作品の中で
自分の亡くした子どもを

そこで生まれ変わらせてるということが
あるんじゃないかと思うんですね。

それを言うとですね 僕は なんか…

作品の中で 大江さん
光さんを想起させるような

ペアの2人組というのを
登場させることによって…

そういうようなことも 僕は時々感じます。

すごい 叱られそうですけども

ゼロから生み出すのと
引用して こう 持ってくるのとだと

引用して 持ってくる方が
楽なのかと思ってたんですよ。

思うよね 最初はね。 でも
この使い方は ちょっと異質ですよね。

これだけ膨大な
世界文学の作品があるんですよ。

その中から どれを どのように引用するか
ということ自体が

もう それこそがクリエーションですよね。

しかもね…

それはね ほんとに…

へえ~。

いや なんか 自分の魂について考える。
はい。

いや そうだと思う。 あ そういうことだ!

自分の その息子さんとの関係

それから 息子さんとの関係の中で生じた
魂への疑問みたいなものを

ありとあらゆるものを読んで

それが どんどん
解決に向かわせてくれたんでしょうね。

いや 伊集院さんの方が 僕なんかより
はるかに深く読まれてると思います。

つまり ほんと そうです。

小説という形でね。
はい。

なんか もちろん それは いろんな
勝手な解釈なのは分かってるし

僕がやってるのは 付け焼き刃なのも
分かってるんだけど

でも それを少なくとも感じさせるもの。

いや もう全然ね それは
勝手な解釈でも何でもないと思いますよ。

まさに それが大江健三郎が 多くの読者に
やってもらいたいことだと思うんですよ。

つまり 自分という人間が
こういうふうにして生きてきて

自分の人生の こういう時期に
この作品に出会った時に

自分は やっぱり この作品が
このようにしか読めない。

自分は このように読んだということが
作品の中に書き込まれてるわけでしょ。

それのいいのが あの
「言いはる」って言葉で。   そうそうそう。

「言いはる」は 自覚があるじゃないですか。

俺は間違ってるかもしれないけども…

…という読み方を
まず していいのかというのを

ちょっと いいんだろうなって思って。
いいと思う。

やっぱりね 日本の読者は ちょっとそれが
足りないかもしれないと思うんですね。

さて 福音書作りに熱中する
ギー兄さんたちでしたが

やがて 一つの別れが訪れます。
ご覧下さい。

教会では
新たな計画が進められていました。

今や 教会の参謀役となった亀井さんが

個人資産をなげうって
礼拝堂を建設したいと言うのです。

計画は着実に進み
ギー兄さんが糾弾された テン窪に

円筒形のホールを造ることが決まります。

しかし 礼拝堂の完成を目前に
総領事が心臓発作で倒れます。

総領事は かつて 息子の教会に参加した
心の変化を こう話していました。

そして 死期を悟った総領事は

ギー兄さんに
自分の葬儀を挙げてほしいと頼みます。

戸惑うギー兄さん。
しかし その日は訪れます。

完成した礼拝堂には
200人もの関係者が集い

教会の急成長を物語っていました。

彼らを前に ギー兄さんは説教を始めます。

なるべくして
そうなっていく感じっていう。

そういうたたずまいに そういう言葉を
発する人になっていくっていうのが

すごいですね。   もう すっかりですよね。
あっという間に。

物語に戻りますと 総領事の死にあたって
ギー兄さんが説教をしますよね。   はい。

あそこで 死者と土地の
呼吸のようなことがあったと

思うんですが
あれは どう考えたらいいんでしょうか?

息って 要するに 我々と世界を
つなぐものでもありますよね。

つまり 外側にあるものが
僕たちに入ってきて それが出ていく。

その空気は 伊集院さんも
僕と それを共有してるってことで

僕と伊集院さんは ある種 この…

それは だから…

…ということかと思います。 はい。

領事館だから
世界 飛び回ってる人ですよね。    はい。

その人が 最後 あそこで死ぬということは
自分の木の話なんだと思って。

あ~ そうも読めますね。
あ ほんとだ。

そこも いくじゃないですか。
そうですね。

それ
僕が言ったことにしてくれませんか?

ハハハハハ…!
お互い いろいろ交換で。 声が違う 声が。

それも思って ああ そうかって。

あの人は いろんなこと考えて
魂のこと 考えていくと

あそこに戻ってきて
息を引き取るんだって思ったり。

ほんとですよね。
ちょっと それとかも。

だから ものすごい繊細に この…
組み合わさってる話だな。

いや~ 僕は 何にも読めてないな。
小野さんは どう思いますか?

現代の私たちにも
死者と共に生きるというのは?

死者と共に生きているという
感覚はですね

我々でも 実はあるんじゃないかと
思うんですよね。

僕も やっぱり 兄貴 ちょっと
亡くなったんですけども 数年前に

つい 兄に対してね
語りかけること ありますんで

つまり カジ少年とギー兄さんが
同じ鮎が 葉をかむところを

一瞬よりは長い時間というのを見る
ということをおっしゃってましたけど

僕も時々 兄と一緒にね 亡くなった兄

同じ その自分の故郷の風景を見てる
というふうに感じること ありますので

死者と共にあるというのは あんまり
その 近代合理主義というものに

とらわれなければですね それは
普通のことじゃないかと思いますね。

実際 文学作品を読むということはですね。

だって 書かれた作品というのは
実際には 存在してない人たちですよ。

だから ある意味 僕たちにとっては
死者みたいなもんだし。

だって 僕たちが いくら語りかけたって
答えてはくれませんからね。

だけど そういう
違う世界に生きる人たちが

作品を 小説を読むということによって
共に生きることができるっていう意味で…

…というふうに思います。

伊集院さん いかがでしたか?
第2回。

僕は すごくね
そのね オカルト的なものに対して

すごく否定的に きたんですけどね

だけど こういう みんなの持っている
知識みたいなものが

何か その教会をつくれるということに
今 ワクワクしてるんですよ。

このあと どうなりますかね。
このあと いろんなことが起きますよ。

あら そうですか。 そうですね。
そうでしょうな ええ。          はい。

小野さん
今回も ありがとうございました。

ありがとうございました。

♬~

♬~(出囃子)


関連記事