英雄たちの選択「悲運の天才・菅原道真~なぜ怨霊は神となったのか~」・大宰府左遷の真相とは?そして死後…



出典:『英雄たちの選択「悲運の天才・菅原道真~なぜ怨霊は神となったのか~」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「悲運の天才・菅原道真~なぜ怨霊は神となったのか~」[字]


平安時代のスーパースター、菅原道真。大宰府左遷の真相とは?そして死後、怨霊から神になったのはなぜか?謎に満ちた道真の足跡を辿り、不世出の英雄の実像に迫る。


詳細情報

番組内容

平安時代の初め、類まれな学識で時の帝にちょう愛され、右大臣にのぼりつめた菅原道真。異例の昇進は周囲の誹謗中傷を招き、無実の罪で大宰府に左遷、非業の死を遂げる。当時、都で頻発した災いは、道真の怨霊の仕業だと人々は恐れおののいた。ところが、その後一転、道真は天神様として広く敬われるようになる。道真左遷の謎、そして怨霊から神への劇的な転換。平安王朝最大のミステリーを読み解き、不世出の英雄の実像に迫る。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】夢枕獏,中野信子,藤原克己,【語り】松重豊



『英雄たちの選択「悲運の天才・菅原道真~なぜ怨霊は神となったのか~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

英雄たちの選択「悲運の天才・菅原道真~なぜ怨霊は神となったのか
  1. 道真
  2. 醍醐天皇
  3. 左遷
  4. 宇多天皇
  5. 大宰府
  6. 菅原道真
  7. 時平
  8. 中野
  9. 天皇
  10. 朝廷
  11. 藤原
  12. 夢枕
  13. 本当
  14. 自分
  15. 政治
  16. 右大臣
  17. 怨霊
  18. 学者
  19. 天神様
  20. 意見


『英雄たちの選択「悲運の天才・菅原道真~なぜ怨霊は神となったのか~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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(雷鳴)

今から およそ1, 100年前。

京都御所 清涼殿を落雷が襲った。

(雷鳴)

ある者は胸を焼かれ

また ある者は顔を焼かれ 死んだ。

一瞬にして 都を
恐怖の どん底へと突き落とした雷神。

人々は 「この雷神の正体は

あの方に違いない」と
うわさした。

平安時代の初め

類いまれな
学問の才能を発揮し

右大臣にまで上り詰めた男。

だが 突然…。

無実の罪で 九州 大宰府に左遷され

非業の死を
遂げることとなる。

当時 都で
次々と起こった災いは

道真の怨霊の仕業だと
人々は恐れおののいた。

ところが その後
道真は 一転 天神様として

広く あがめられるように
なってゆく。

今や 道真を祀る
天満宮や天神社は

全国で1万2, 000を数え

毎年催される天神祭は
大勢の人々でにぎわう。

その信仰は

千年の時を刻み
日本人に定着していった。

なぜ 道真は
怨霊にまでなり

やがて
天神様として

敬われるように
なったのか。

…ということをしないと

もう…

神となって今も生き続ける菅原道真。

不世出の英雄の実像に迫る。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今回は この方が主人公です。

(雷鳴)

お~…!
ハハハ…。

びっくりした。

ど派手に
登場しましたが

天神様 学問の神様でおなじみの
菅原道真です。

磯田さんから見て この菅原道真は
どんな魅力がある人物なんですか?

子どものころから 何か 色紙に菅原道真の
絵を たくさん描くぐらいでしたね。

肖像画を描くんですか?
色紙に描いていく…。

百人一首に描いてある 菅家だとかね。

それでね 私 あの…
描くだけじゃなくて

やっぱ こういう菅原道真が好きなので

菅原道真の こんなもんも
集めてるんですよ。

がらくた屋さんとかで絵があると
道真の絵を集めるんですよ。

道真の絵コレクターなんですよ 実は。
ハハハハ…! そうなんですか。

何をやったらいいのか 学者というのは
何をやってはいけないのかっていうのを

道真の絵を掛けながら
いつも考えてるんですよ。

ああ そうですか。

学識や教養が行政にも通じることを

見事に証明したと。

一方で 大宰府に流され

怨霊 雷神になったという
怖い存在としても知られてますよね。

そんな菅原道真が活躍したのは

今から1, 000年以上も昔の平安時代。

藤原氏による摂関政治が
着々と整えられていく中

学者 政治家として
頭角を現していったのが

菅原道真だったんですよね。

いや 道真をね ひと言で表現するなら

歴史の闇の部分が ちょっと関わる。
闇ですか?

あのね
国民的歴史作家の司馬遼太郎さんも

実は 「道真を書かずに日本史は語れない」
と言いながら

結局 書けなかった。 で 歴代の天皇家も

実は 神となった道真を畏れ敬う。

要するに 今回は

こういう天神様 雷様に
なってしまうという…

まあ 天皇も畏れた…
闇だからこそ日本史を動かす。

この… じゃあ 道真の闇とは何なのか。

この平安時代から始まる…

道真の姿に 今日は迫ってみたいんですよ。

「最大のミステリー」ときましたか。

では 天神様 菅原道真とは
一体 どんな人物だったのか

その実像に迫ってみました。

平安時代に都が置かれた京都。

御所の南
菅大臣神社が立つこの地で

承和12年 菅原道真は生まれた。

菅原家は 代々
学問で朝廷に仕える中級貴族だった。

祖父 父は ともに

貴族の教育機関
大学寮の学者として名高く

その最高職 文章博士を歴任した。

文章博士の定員は2名。

漢文学のエキスパートとして
その学識をもとに

天皇の諮問に答える重要な役割を
担っていた。

道真も 幼いころから
当時 必須の教養だった

儒学や漢文学を
究めようと

勉学に励んだ。

大阪府 道明寺天満宮。

ここに そんな道真の
人となりを伝える

貴重なものが残されている。

中国の唐で製作された この硯を

道真は 肌身離さず持ち歩き

書や詩をしたためては
帝や貴族たちに献上したという。

「家の名に恥じない学識をもって
朝廷に奉仕する」。

道真の文人官僚としての気概が
伝わってくる。

そして 33歳のとき 努力は実を結び

道真は ついに 文章博士に抜てきされた。

ところが 喜びもつかの間

父親が 道真の前途を心配し始めたのだ。

道真の漢詩や散文などを収めた…

この中に
そのときの想いをつづった漢詩がある。

しかし 道真は
周囲の誹謗中傷にもめげず

卓越した学識を駆使し
朝廷の政治を支えていった。

仁和3年 そんな道真の才能が発揮された
ある事件が都で起こった。

この年 急逝した光孝天皇の跡を継ぎ

息子 宇多天皇が 21歳で即位。

当時の朝廷は 地方財政が破綻し
税収が激減していた。

宇多天皇は
問題山積の状況を打開しようと

政治改革に情熱を燃やしていた。

頼りにしたのは 朝廷一の実力者だった…

ところが この基経にあてた天皇の詔が

思わぬ大問題へと発展してしまう。

そこには こう書かれていた。

「どうか
阿衡の役職に就いて

私を
手助けしてほしい」。

基経は この「阿衡」という役職に
異議を唱えた。

中国の古典では 阿衡は
政治権限のない名誉職にあたるとして

政務をボイコット。

朝廷に出仕しなくなってしまったのだ。

即位早々 宇多天皇は
追い詰められてしまう。

学者たちは
一様に基経に迎合するばかりで

政務の停滞は 1年にも及んだ。

ところが…。

基経に宛てた道真からの書簡が
事件を収束に向かわせた。

身分が上であっても
臆すことなく意見した道真。

訴えが通じたのか
基経は 1年ぶりに政務に復帰する。

事件を解決に導いた道真は

宇多天皇から あつく信頼され
さらなる出世への足がかりとなった。

しかし それが
道真を窮地に追い込む始まりだったとは

このとき 知る由もなかった。

今回も スタジオには
さまざまな分野のゲストを

お招きしています。
よろしくお願いいたします。

まず 夢枕さん。

菅原道真
どんな人物だと夢枕さんは考えますか?

僕は もう 印象としてはね

もう… 真面目な人だったんだな
っていうのが まず あって。

あと もう一つはね

「あっ 鬼になっちゃった人だ」
っていう… ありますね。

この時代の人って

特に 芸術家とか文人って
鬼と仲が良かったんですね。

どうも朱雀門に住んでる鬼っていうのは
結構 芸術家が好きらしくて。

あの… 文人 芸術家と
いろいろなことをやって

道真の同時代人の文人は

鬼と 結局
上手に折り合いをつけてるんですよ。

…っていう印象ですね。
まず そこが面白い。

「そこが面白い」?
はい。

中野さんは どんな人物だと考えますか?

そうですね 日本に生まれ育った人なら

誰でも知ってる わらべうたが
ありますよね。

「通りゃんせ」っていう。

「天神さま」って出てくるんですけど

すごい怖~い感じで出てくるんですよね。

「行きはよいよい 帰りは恐い」って。

何か 何されるんだろう? っていう
恐ろしさがあって。

で のちのち その「天神さま」というのは
菅原道真だということを知って。

…と疑問に思う そういう人でしたね
自分にとっては。

中野さんにとっては ちょっと こう

恐ろしいという感覚もあると。
(中野)恐ろしい人。

…みたいな人です。

さあ 藤原さんは 道真を文学の視点から
研究されていらっしゃいますが

道真って 藤原さんにとっては
どういう人物なんでしょう?

今 夢枕さんが
「真面目な人」とおっしゃったけど

僕も 本当に真面目な人だと思いますね。

それと やっぱり
生っ粋の詩人だと思います。

生っ粋の詩人。
ええ。 で 僕の考えでは

同時に その… 鴻儒
鴻儒詩人っていうのが

恐らく理想だったと…
違いないと思うんですね。

「鴻儒詩人」…?
「鴻儒」っていうのは

「優れた儒者」。

ただ その…
儒教の経典に通じているとか

ただ学識があるっていうだけじゃなくて

大局的な見地に立って

現実的 建設的なね 提言ができる。

それが鴻儒だと思うんですね。

ものを言うことが自分の使命であると
本当に まっすぐ思ってるという感じ。

たぶん… たぶん。

やっぱりですね
困ったちゃん だと思うんですよね。

思ったことを正直に言うだけじゃなくて

大変に頭の良かった方なので
的確だったんですよ。

まあ 普通はね あの…

嫌がられるタイプなんじゃないかなと
思いますね。

確かに… 正論だよっていう感じですよね。

正しい意見って困るんですよね。
あの… 反論できないから。

たぶん 天才でね
ちょっと 空気読むのが下手で。

で 一方で…

文房具とか ものすごく美しいし…
遺品も とってもきれいでしたよね。

皆さんの眉間の奥ぐらいの位置に
あたるんですけども

前頭葉の一部に

「美を認知する領域」
っていうのが

見つかってるんですね。
ここの部分が

美しい 美しくないを
判断すると。

一方で 相同…
同じ位置がですね

「善悪を認知する機能領域」と

一致してるっていう報告が…。

美と善悪と。

おっしゃるとおり。

数理的に 答えが解けたときに

美しいとか きれいって感じが
あるじゃない?

あれと近いんですよ。
(中野)道真の行動を見ていると

ああ もう
その基準で動いてる人なんだなと。

その基準が ほかの人よりも強い…

強く認知できる人なんじゃないかな
というふうに推測するんですね。

まあ もちろん 今の時代に生きてたら

「ちょっと MRIに
入ってもらえませんか?」と言いたい…。

言いたくなるでしょうね。
(中野)…ぐらいですけれども。

でも まさに 私が言いたかった その…

鴻儒であることと詩人であることとが
不可分な そんな在り方と

善悪と 美醜とのね… 美意識とが
不可分であるのと

一致するように思いますね。

それと家の期待ですね。 菅原家を
もう どんどん やんなきゃいけないと。

僕は 道真のお母さんの和歌っていうのが
すごい気になるんですけど。

…っていうのがあるんですよ。

これはね 「はるかかなたにある

月の木に生えているであろう木も
折るばかりに

家のすごいパワーの風を
吹かしておくれよ!」っていう

お母さんの すごい期待ですよ。
「うちの息子は出来がいいのよ。

藤原なんて吹っ飛ばすわよ」っていうのを
歌で詠んでるわけですから。

たぶん お母さんに似たんだと思う
この純な感じっていうのは。

韜晦がない。 隠さない。
(中野)お母さん…

全く忖度とかしないお母さんなんですね。
似たんだね お母さんに たぶん。

(中野)明らかに遺伝してます…。

皆さん それぞれに
道真像があるようですけれど

先ほどのVTRを見ますとね まさに
もの言う官僚という印象でしたが

藤原さんは どう思いますか?

中国では まさに 政治に携わる者は

詩が書けるような
高邁な文人でなきゃいけないっていう。

だから まさに その白居易のような
詩が書けて 諫言を盛んにする

そういう白居易のような
政治家の在り方が

道真の… 自分でも
理想だったと思います。

じゃあ 道真は
政治の世界に関わることは

望んではいたと考えていいんですかね。

ただ単に 高い地位に就きたいという
そういう野心は

僕は なかった人だと思うんですけども。

やっぱり…

…という思いは
あったんじゃないですかね。

すべての文芸って
たしなみだったんですよ。

少なくとも 職業文筆家というのは
まだ存在しなかった時代なんですね。

小説家っていうのは
職業として成り立つようになるのは

江戸のころからなんですね。
はい。

当時が もし そういう時代だったら
道真は ああいうふうには

ならなかったんじゃないかなと
思うんですね。

このあと 道真は
宇多天皇からの信頼を受け

政治の世界で活躍していきます。
しかし その先には

葛藤と苦悩が待ち受けていました。

道真が47歳を迎えた寛平3年。

朝廷に君臨した太政大臣
藤原基経が死去。

宇多天皇は みずから主導権を握って
政治改革を進めようとした。

このとき 天皇が
ブレーンとして重用したのが道真だった。

道真自身も 帝のためならばと
堂々と諫言を行い 政務に励んだ。

当時 懸案だったのが
遣唐使派遣の問題だった。

寛平6年 宇多天皇は
実に およそ60年ぶりとなる…

大国 唐との交流を復活させることで

朝廷の威信を高めることが狙いだった。

天皇は そのために道真を

日本を代表する遣唐大使に任命していた。

ところが 道真は 唐の政治情勢が
混乱を極めているとの情報を得て

帝のご意志であろうと

今は唐に使節を派遣すべきではないと
宇多天皇に進言した。

すると 天皇は道真の意見に従い

一大事業のはずだった
遣唐使の派遣を中止したのだ。

なぜ 宇多天皇は

これほどまでに
道真に信頼を寄せたのか?

平安時代の政治史を研究する
今 正秀さんは こう指摘する。

その後も道真は
宇多天皇の側近として活躍。

朝廷の政治を支えていく。

ところが 不穏な事態が起き始めた。

寛平9年

道真の後ろ盾だった宇多天皇は

13歳の息子 醍醐に譲位し

みずからは上皇となった。

宇多上皇は
まだ若い醍醐天皇の補佐役に

道真と藤原時平を任命した。

時平は 道真より26歳も若かったが

亡くなった
基経の嫡男として重んじられた。

当時 朝廷の中枢に
関わる

参議以上の貴族は
「公」と呼ばれ

学者 文人が
その地位に就くことは
まれであった。

しかし 道真は
このとき既に 権大納言に昇進。

大納言 時平に次ぐ地位だった。

宇多上皇が 若い醍醐天皇に

政治の心得として書き贈った…

ここには「時平と道真に頼るように」と
つづられている。

一方 道真に対しては…。

宇多上皇は 時平に配慮しつつも

「引き続き 道真を重用するように」との
メッセージを

醍醐天皇に送ったのだ。

譲位から2年後
宇多上皇は出家し 法皇となった。

そして 平安京西北の郊外に
広大な敷地を持つ

仁和寺を建立。 ここに移り住んだ。

…とも呼ばれた ここを拠点に

表向きは 政治から身を引きつつも

依然として強い影響力を及ぼし続けた。

学者でありながら
藤原氏と並ぶほど昇進を重ねた道真。

時平に対し

みずからの無欲を訴えるかのような
詩を詠んでいる。

しかし 昌泰2年

醍醐天皇は 道真と時平に対し

さらなる官位昇進の宣命を発した。

道真を右大臣に。

時平を左大臣に。

道真は ついに朝廷トップ2の地位にまで
上り詰めたのだ。

これに対し 身分不相応だと
周囲の反感は最高潮に達し

誹謗中傷の嵐が道真を襲った。

学者としては異例の栄誉。

右大臣就任を受諾するのか

それとも これ以上
朝廷に波風を立たせないために

固辞すべきか。

道真は 厳しい選択を迫られていた。

夢枕さん 私 不思議だなって思うのは

「出世できるならしたほうが
いいんじゃないかな」って

私なんかは思ってしまうんですけど。

いやあ これがね

望んでないような感じも
あるんですけれども

望んでるような…

「まあ そんなに言うんならやろうかな」
みたいな

何か そういった感じも 何か ちょっと
見えるような気もするんですよ。

だから…

(夢枕)どこまでやれるか…。

自分の… その何者かを極めたかった
っていう思いは

僕 必ずあったと思うんですよね。

藤原さんは 漢詩からは
この時代の道真の心境…。

あのね… やっぱり宇多朝。
宇多天皇の在位中と

宇多が譲位して醍醐朝になってからと
全然違うと思うんです。

やっぱり 詩も変わってますよね。
変わりますね。

(藤原)…だったんじゃないかと
思うんですよね。

宇多天皇に信頼されて

道真自身も理想とする
鴻儒詩人としての活躍の場が出来て

醍醐朝では 本当に孤立してしまう。

で 醍醐天皇と時平は
やっぱり年齢が近いので

親しかったんじゃないかと
思うんですね。

だから 醍醐朝になってからは
やっぱり 道真は

本当に 憂愁というか不安というか

心 閉ざされていたように思います
その漢詩からは。

漢詩からは。
ええ。

お父さんは「寛平御遺誡」という…
ものを残すと。

何て書かれてるかっていうと

まず前の宇多天皇は 藤原時平のことを

「先年 女のことで あいつはしくじったが
俺は 早く忘れていることにしている」

と紹介してるんですよ。

「あれは 功臣の息子だから」。

要するに
「鎌足 不比等の子孫だから重く用いろ」と。

一方 道真に対しては

「お前を皇太子に立ててやるときに
俺は道真とだけ話し合った。

だから お前が天皇になれたのは
道真の意見があるんだぞ。

言うことを聞け」と
こう言っているわけですよ 裏では。

年も上だし。 ほんで だから まあ…

打たれるしかない あとは。

さあ
そして VTRにもありましたけれど

道真は 醍醐天皇により

左大臣に並ぶ朝廷のトップ
右大臣就任を命じられます。

果たして…

道真の葛藤を
皆さんに聞きたいと思うんですが

中野さん どうでしょう?

もし私なら 全力で断りたいですね。

恐らく 受けたら
もう あまりにも目立ってしまって

あらゆるところから
標的になりかねないし

自分には後ろ盾があるわけでもない。

血筋も菅原家ですから。

ちょっと これは危ないなと思って
私なら断ります。

辞退すると。
辞退する。
藤原さんは どうですか?

僕はね 本当に
彼は辞退したかったと思うんですよ。

もう この醍醐朝においては。

彼の書いた ほかの文章から見ても

もう危険だって思ってたと
思うんですね。

だから やっぱり
背けなかったと思うんですね。

(中野)なるほど。
そうか そこも倫理基準が…。

もう それは取り立ててくれたね
宇多天皇のご恩があるんでね。

それに そこまで言われたらね
なかなか やっぱり断れないですよ。

一度の就任は もう しょうがないです。
そりゃあ。

そうだ…。 倫理基準に 確かに反する。

断れない人でしたね。 きっと この人は。

ああ… 何か 痛いですね。
胃が痛くなってきました 私 すごい。

夢枕さんは どう思いますか?

一番いい在り方は 恐らく

宇多天皇… 上皇
法皇の 茶飲み友達として

詩歌の相手をするね… ことなら
私もできますよと言って

そっちのほうに行けば
幸せだったのになって思いますね。

あの… 詩を詠んでるほうが良かったと
思うんですよね。

ハハハハ…!

さあ それでは
道真の選択をご覧いただきます。

醍醐天皇から道真に言い渡された
右大臣への任官。

平安時代の貴族社会では
天皇から昇進の宣命を受けても

2度 3度 辞表を出すのが習わしだった。

道真も 3度にわたって辞表を提出。

そこには 悩みぬいた切実な思いが
吐露されている。

しかし 辞表は受け入れられず

昌泰2年 道真は右大臣に就任する。

このとき 55歳。

道真は どんな思いで
右大臣の座にいたのか?

就任から1年がたったころ
宮廷で開かれた宴会の席で

醍醐天皇を前に
こんな漢詩をしたためている。

すると その翌月

道真のもとに
同じ文人官僚から辞任勧告状が届いた。

そして その僅か3か月後。

昌泰4年 1月25日。

道真を九州の大宰府に左遷するとの詔が

醍醐天皇から突如 発せられた。

道真は 謀反の罪に
問われたのだ。

右大臣就任から僅か2年。

急転直下の天皇の詔。

一体 何が起こったというのか?

専門家の間でも意見が割れる…

道真は なぜ左遷されたのか?

そして 首謀者は一体 誰か?

謎を解く手がかりが
道真の波乱の生涯を描いた

「北野天神縁起絵巻」の中に
書き記されているという。

絵巻を研究する
同志社大学の竹居明男さんに聞いた。

竹居さんは
首謀者は藤原時平だと指摘する。

道真の躍進を恐れた時平が
道真を排斥するために

罪状をでっちあげ 醍醐天皇に進言。

それが 大宰府への左遷に
つながったというのだ。

こういうことですね。

一方 日本古代史を研究する
聖心女子大学の佐々木恵介さんは

異なる説を唱える。

佐々木さんは 首謀者は
詔を発した 醍醐天皇その人だと言う。

醍醐天皇の不安。

それは皇位継承をめぐる
父 宇多法皇との確執にあった。

依然 政治に影響力を持つ
父 宇多法皇が 道真と組んで

道真の娘婿を
皇位に就かせようとしている。

そんな醍醐天皇の不安が

左遷の引き金に
なったのではないかというのだ。

道真を大宰府へと追いやったのは
誰なのか?

藤原時平か? 醍醐天皇か?

それとも…。

というわけで 右大臣となった道真は
急転直下

罪を問われて 大宰府に
左遷させられることになりました。

皆さんは 誰が左遷したと思いますか?

夢枕さんは どうでしょう?

僕は…

二人は同じ思いがあって

道真いないほうがいいって
両方 思ってたので。

重量はね 醍醐天皇のほうにあったのかな
っていう気はしますね。

うるさいというのは
あったと思うんですね。

だから 「宇多法皇は
こう おっしゃっておられますよ」

なんていうのを
いちいち政務の折々に言われたらば

ちょっと やっぱり煙たいと。

やっぱり 放っておくわけにはいかない
っていうのは多かったと思いますね。

はい。 藤原さんは どう思いますか?

醍醐も たぶん… 先ほど
どなたかも おっしゃってましたけど

宇多との間に やっぱり
父と子の確執があったと思うんですよね。

それから 時平にとっても

道真は 非常に目障りな存在だったと
思うんですよ。

醍醐と時平は年齢も近いし

非常に良好な関係を作ってたと
思うんですよね。

だから そこで 道真を流そう

左遷しようという線が
浮上したんじゃないかと思うんですけど。

もう一つ やっぱり
道真の昇進を快く思っていなかった…

友達 いなかったんですね。
フフフ… 道真に。

でも 自分も危険になってまで
道真を守ろうという人は

やっぱり あんまり出てこなかった
っていうことですね。

何だか
かわいそうになってきたんですけれど。

中野さんは
誰が道真を左遷したと思いますか?

「みんな悪い」
っていうやつですよね。

これは
もう ソーシャルエクスクルージョンの

典型的な例だと思いますね。

そもそも 辞任勧告状でしたか?

あれが届くっていうのも
すごく変な感じがするんですね。

これって もう明らかに
善意の顔を装った妬みの塊のように

私には読めます。

「空気読んで自主退職しろ」という
メッセージですよね

貴族 みんなからの。 それを読めずに

「自分は 嫌だ嫌だと言ってるわりに
まだ続けているじゃないか」と。    はい。

「あなたにも分かるように
罪をでっち上げて

自主退職しないんだったら
辞めさせてあげますよ」っていうのが

この左遷の事件だったと
思うんですけれど。

だけども 誰も止めないんですよね。

誰も止めないっていうのが
すごく特徴的だと思うんですが

こういう 消極的排除が行われた結果
道真が大宰府へ

という流れになったんじゃないかな
というふうに思います。

ああ…。 何か 集団における
いじめに近いものがありますよね。

(中野)そうですね。

磯田さんは 皆さんの意見を踏まえて
どう考えますか?

私も同じで 道真を左遷させたのは

もちろん時平もあり 天皇もあり。

あと もう一つ…

…と思うんですよ。

この年 まず特別な年なんですよ。

辛酉の年って 60年に1回 回ってくる

革命が起きる 2月1日に
と言われている日であるうえに

なんと…

現職天皇は
ものすごい不安に取りつかれる。

「俺は死ぬんじゃないか?
革命が起きるんじゃないか?

殺されるんじゃないか?」。
これに気付いたインテリがいたはず。

で 若い天皇に おそらく吹き込んだ。

そうすると 時平もそれに乗った。

まあ 太陽も暦も一緒になって

道真に不運が起きた
というふうに考えたほうが

いいんじゃないでしょうかね。

「日食」 説得力ありますね すごく。
ええ。

元日の日食なんです。
そうですよね。

「何か起きてしまうかも」という不安は
何か 増長しそうですよね。

さあ このあと道真は
九州の大宰府に流されて

やがて 神となります。

左遷の命を受け

都を離れるときに道真が詠んだ歌である。

「もう二度と都の土を踏むことはない」。

そんな悲哀と覚悟が伝わってくる。

「北野天神縁起絵巻」の中に

その後の道真の運命を
暗示するかのような場面が描かれている。

大宰府に船で向かう 道真とその従者たち。

そういう表現というふうにも

受け取ることができるかと思います。

この場面は 大宰府の配所での
道真の暮らしぶりが描かれている。

粗末なあばら屋で
無念そうな従者たちを前に

醍醐天皇から賜った衣に
涙を落とす道真。

道真は みずからの運命を嘆き
こんな詩を詠んでいる。

大宰府に左遷されて2年後の延喜3年。

深い絶望と孤独の中

菅原道真は 59年の生涯を閉じた。

その後 怪事件が次々と都を襲った。

道真の死から6年後

醍醐天皇に重用され
権勢をほしいままにしていた

藤原時平が病死。

天皇の皇子たちも
次々に亡くなっていった。

貴族たちを震撼させた 不吉な死の連鎖。

さらに 台風 洪水 疫病と
災いが収まることはなかった。

そんな折
まことしやかに ささやかれ始めたのが…

慌てた醍醐天皇は
道真を右大臣に復帰させ

あの大宰府左遷の詔を焼却。

道真の霊を慰めようとした。

しかし 災厄は続いた。

(雷鳴)

延長8年 醍醐天皇のいる
内裏の清涼殿を

突如 落雷が襲う。

雷神となった
道真の怨霊の仕業とされた。

(雷鳴)

稲妻を浴び 体を焼かれ
命を落としたのは

道真の左遷を見て見ぬふりをした
公たちだった。

その3か月後
心身に異常を来した醍醐天皇は

ついに この世を去る。

道真の霊を慰めなければ
都に安泰が訪れることはない。

そこで 平安京の北西に
道真を祀る社が建立された。

北野天満宮である。

…っていうふうに
考えられているんじゃないでしょうかね。

今では 道真を天神様として祀る
天満宮や天神社は

全国に
およそ1万2, 000社あると言われている。

学問の神様としてだけでなく

五穀豊穣や開運招福など
さまざまな御利益がある神様として

多くの信仰を集めている。

毎月25日 道真の命日に

北野天満宮では 天神市が開かれ

大勢の参拝客でにぎわう。

道真が非業の死を遂げてから
1, 000年以上。

今も 道真を畏れ敬う気持ちは

人々の心に生き続けている。

絵巻にも描かれていましたけど

清涼殿に落ちた雷の あの描写って…。
すごいですよね。

だって あの御所の中って
死が起きちゃいけないので

もし どっかで蹴つまずいて
血でも流れようなものなら 汚れだから

「汗」って言いかえるように
ずっと 千年してたとこなんですよ。

それほど… そういうことがあったから
余計に衝撃も?

そうでしょうね。

あの… 夢枕さんは
どうして この道真が

これほどの怨霊として
扱われたんだと考えますか?

あの 道真って
やっぱり 左遷されてから…

…を書くんですよ。

だから 「治したくないのか? お前」
っていう そのね

忘れたくないのって思うような…。

普通 書くとね 楽になるんですよ
システム上。

小説でも その文芸っていうのはね。

それで 書くことによって
少しずつ楽になっていくんですけど

恨みつらみって減るんですよね
作品にすると。

何か 減んなかった節があるんですよね。
だから

そういう詩を作る能力のある人間として
生まれて良かったねという面と

それでも癒やせなかったのか
っていう面と 二つ

僕は その道真に感ずるんですよね。

怨霊になるタイプじゃないですかね。
あっ タイプ。

(夢枕)タイプとしてはね。

藤原さん いかがですか?

どうして こういう存在に
なっていったんでしょう?

道真が 大宰府で不当に流されて

大宰府で死んだっていうふうに
思ってる人たちの後ろめたさと

それから やっぱり
その道真を敬愛していて

その悲劇的な生涯に
非常に同情してる人たち。

この…

もう一つ 僕 強調したいのは

道真が大宰府で詠んだ
三十数首の詩を読んでる門人たちとか

仲間 友人たちは そこに鬱積している
すさまじい悲しみを感ずるわけですよね。

それも やっぱり
道真の怨霊っていうのを

イメージさせていったんじゃないかと
思いますが。

後ろめたさっていう話が
出たんですけども。

やっぱり 後ろめたいという
気持ちがあるとき

人間は ストレスを
抱えているわけなんですが。

それを じゃあ
何とかして 汚れをはらいたい。

汚れというか そういうものを
何とか払拭したいというときに

ストレスを…
それで受けていたストレスを

転換するような認知の装置が
必要なわけですよ。

これまで…

(中野)それを たぶん 誰かが意図的に
行ったんだろうなと思うんですね。

…があるんですね。

それから…

やっぱり 讃岐に島流しにされて
大怨霊になってくんですが。

道真も その大怨霊と化してしまって。

天神様として祀ることによって…

(藤原)…じゃないかなと思いますね。

本当に 道真公が
大怨霊であったっていうことを

知る人のほうが
今は少数派じゃないかなと思うんですね。

何か 1, 000年以上にもわたって
残るっていうことは…

…だったんだと思うんですね。

例えば 「貴種流離譚」っていうものが

世界中の どこでも見られると。

その物語の構造が
どの民族にも共通に見られるのは…

(夢枕)ああ… そうですね。
作ったから 伝播しているのではなくて

脳自体が そういうものを
作り出すように

最初からできているのだという
考え方ですよね。

その物語は 何で必要かっていうと
集団を おそらく作って

子孫を残すのに有利にするためとか

何か 生き延びるために有利だという
事情があったはずなんですね。

(夢枕)物語を作れない個人とか民族は
滅びますので… 大体。

それはもう… 本当に そう思います。
(中野)本当に そう思います。

何か そういう浄化の物語が
天神信仰だったんだと思います。

浄化の物語。
きれいにするという。

御霊が 福徳をもたらす神に変わる
っていうのが御霊信仰ですが

ただ…

(藤原)特に とりわけ詩ですよね。

いかに 道真の詩がよく読まれ
大事にされたかっていうことですよね。

さっき 「北野天神縁起絵巻」でも
出てましたけどね

醍醐天皇が かずけてくれた着物を
持ってって

衣装箱のそばで
涙ぐんでるっていう

絵が出ましたよね。
はい。

…っていう原文ですけど

あれを 「源氏物語」で
引くんですよね。

もう一つ 大宰府で詠んだ詩で
面白い詩があって

「秋の月に問う」 尋ねる。

月に尋ねても月は答えられませんから
「月に代わりて答う」っていう。

「君 今 浮雲に覆われて
西へ向かってるけど どうしたんだい」。

これは その…

暗に 「君も左遷されたのか」って
月に問うわけですよね。

そうすると 「月に代わりて答う」で。

自分は天体の運行に従ってるだけだ
ただ 西へ行く。

「左遷ならじ」って詠む… 答える。

その 「ただ 西へ行く」っていうのも
「源氏物語」が引くんですよ。

だから もう…

道真の悲劇の物語が。

それが「天神縁起絵巻」になる。

今度は この「天神縁起絵巻」が
道真への信仰

敬愛の念を後世の人に
また 受け継がせていく。

…と言っていいんじゃないでしょうかね。
う~ん。

磯田さん最後に 今回の…
この菅原道真 見てきましたけど

いかがでしたか?
やっぱりね

文章を残して すごい人だということは
後世に至るまで

やっぱり 伝わったので。
道真の影響って大きいと思いますよね。

すごい便利なんですよ。
だけど…

…という恐ろしさ。

これはね もう つくづく思いますね。

知は鞘の中に…
情という情けという鞘の中に入れて

使わないといけないし。
だから こういう天才児が現れたときは

本人が無理ならば 周りの人が
鞘になってあげるとかいうことも

大事なんじゃないでしょうかね。

そしたら みんな幸せになれるかな
というのが…。

僕は 道真大好きなだけに
何で こんないい人が

こんな ひどい目に遭うんだろう?
というのが思いでしたね。

私も 何か 道真に いいサポート役が
いたら良かったのになって

本当 つくづく思いました。

皆さん 今日はありがとうございました。


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