100分de名著 西田幾多郎“善の研究” 第1回「生きることの“問い”」


出典:『100分de名著 西田幾多郎“善の研究” 第1回「生きることの“問い”」』の番組情報(EPGから引用)


100分de名著 西田幾多郎“善の研究”[新] 第1回「生きることの“問い”」[解][字]


認識する主体/認識される対象という西洋哲学の二元論を乗り越えるために「愛」という独自の概念を用いて「知」のあり方を根本から問い直す西田幾多郎の哲学の根本に迫る。


詳細情報

番組内容

認識する主体/認識される対象という二元論によって構築されてきた西洋哲学。それを乗り超えるために格闘してきた西田幾多郎は、「愛」という独自の概念で、「知」のあり方を根本から問い直す。冷たく対象を突き放すのではなく、あえて対象に飛び込み没入していくことで対象の本質をつかみとる作用を「愛」と呼び、「知」の中にその作用を取り戻そうというのだ。第1回は「知」の新たな形を追求した西田幾多郎の奥深い思索に迫る。

出演者

【講師】批評家・随筆家・東京工業大学教授…若松英輔,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】長塚圭史,【語り】小口貴子


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100分de名著 西田幾多郎“善の研究” 第1回「生きることの“問い”
  1. 西田
  2. 言葉
  3. 自分
  4. 哲学
  5. 研究
  6. 人生
  7. 純粋経験
  8. 時代
  9. 理屈
  10. 哲学書
  11. 世界
  12. 西田幾多郎
  13. 最初
  14. 仕事
  15. 若松
  16. 順番
  17. 大事
  18. 日本
  19. ウォーズ
  20. スター


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「日本最初の哲学書」と言われる
西田幾多郎の「善の研究」。

西田は 明治の終わりに

「生きるとは何か」という
人生の根本的な問題と格闘し

日本独自の哲学を誕生させました。

人生の悲哀を乗り越えるため
西田が追い求めた哲学とは。

その神髄を読み解いてゆきます。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の…

今月の名著は こちらです。

およそ100年前に発表された
日本で最初の哲学書と言われている

「善の研究」です。 ご存じでしたか?

いや~ 分からないです。
善 グッドってことですね。 はい。

私も 西田幾多郎さんというお名前も
存じ上げなかったんですけれども。

あっ me tooでございます。

ただ これが
文庫本でも 100万部を超えるという

時代を超えたベストセラーなんですね。

うわ~。 まあまあ
それだけ読まれるっていうことは

そして
ここの題材に上がるっていうことは

学ぶべきことが いっぱい
あるんでしょうから 頑張りますよ。

はい。 では 教えて下さる先生を
お呼びいたしましょう。

批評家の若松英輔さんです。

どうぞ よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。

高校時代に出会った 「善の研究」を
東日本大震災のあとに読み直し

多くの哀しみの中で生み出された
西田の哲学は

現代にこそ必要だと考えています。

若松さん この作品
かなり難しいと思うんですが

なぜ 今 取り上げようと
思われたんですか?    そうですね。

一つは 私たちの
まず 考えるという力ですよね。

考えるという力が 意外と
使われてないんじゃないかというのが

思い直すところ あるんです。

あとは もう一つ
今 こちらに写真が出ていますけども

これ 戦後 昭和22年ですね。

「西田幾多郎全集」が刊行された時に
人々が 徹夜して 買ってるんです。

う~ん。
うわ~! すごいなあ。

しかも 昭和22年っつったら

みんなお金が余ってるから 本 買おうって
時じゃないですよね。 そうなんですよね。

待ちわびてたんですね。
そうなんですね。

ほんとに 心の糧を求める
感じなんだと思うんですね。
ああ~。

自分たちが飢えてたのは
いわゆる 食べ物だけではなくて

心の糧 心の食べ物も飢えてたんじゃ
ないだろうかってことに

人々が 気がつき始めてる感じだと
思うんですね。

今 私たちも
食べ物は たくさんあるわけですけど

もしかしたら 少し
心の糧の方が足りないかもしれない。

それは 哲学というのが
私たちに与えてくれる

何かなんじゃないかと ちょっと皆さんと
今日 考えてみたいと思っています。

はい。
では 基本情報から見ていきましょう。

まず 明治44年に出版された哲学書で

作者は 哲学者の西田幾多郎です。

西田の 高等学校での講義録や
雑誌に発表した論文が基になっています。

ただ その時は
ほどなくして絶版になりました。

その後 大正時代の流行作家である
倉田百三が著作で言及してからは

再販を求める声が殺到し
再販されたんですね。

で 西洋哲学の研究が主だった時代に
誕生した

これが
「日本で最初の哲学書」とされています。

この本が出るまで
日本に哲学がないんです。

ああ~!
へえ~ なかったんですね。

いわゆる 私たちが今日考えるような
哲学はないんですね。

ですので 西田さんの
この「善の研究」という本によって

道が開かれていったというのが
大変重要な。

何か割と この番組でも かなり古い
哲学書みたいなの 出てきますけど

あ そうか あれは海外のものなのか。
そうなんですよ。

ああ そういうことですね。
そうなんです。

やはり「母語」ですね。 私たちの母語。

それによって 哲学をするという
そういう試みですね。

僕 それが大きいような気がします。
はい。

海外の方の書かれた本に ちょっとだけ

何か
しっくり入らないものがあったりする。

そういうことでいうと
その母語 母国語で書かれる

まして その「人とは…」とか
そういうことを書いてもらうのは

すごく重要なことかしら。
そうですね。

さあ それでは 「善の研究」が
どのようにして生まれたのかから

見ていきましょう。

文明開化の道を駆け上がっていた
明治の終わり。

まだ 哲学が 西洋思想の啓蒙に
甘んじていた時代に

哲学の動機を 徹底して
「人生の問題」だと考えた 西田幾多郎。

「善の研究」の執筆中

二人の娘を
相次いで亡くした時の思いを

こう書いています。

西田にとって 真理を求めることと
「人生の問題」は

分かち難いものとして ありました。

人間にとって
疑うことのできない 確実なものを

西田は突き止めようとします。

それは 現実そのままのものでなければ
ならないと考え

自分の主観と客観が分かれる前の
「純粋経験」という概念に至ります。

我々は コップに入った水を認識する時
さまざまな情報を基にします。

しかし このような瞬間は…。

≪(水音)

まだ 何が起こったかも分からず
考える余裕さえありません。

こうした経験こそが 「純粋経験」だと
西田は考えたのです。

その「純粋経験」から 道徳や宗教など

人生の全てを考え直してみようとした
試みが 「善の研究」でした。

これは… この本は強敵ですねえ。

早速 ちょっと難しさが。
かなり難しいですね。

その西田の哲学的態度を
伝えている部分というのが

先ほどもありました こちらです。

これは どういうことを
言ってるんでしょうか?    そうですね。

なかなか難しい文章ですけども
最後の文章が とても大事で

「真の実在とは
如何なる者なるかを 明にせねばならぬ」。

それは 一番大事なのは
自分のことじゃないんだって言うんです。

…ということなんですね。

ほう。
う~ん…。

分かっちゃいるけど 悲しいんだよとか

何か その理屈は分かったが
何だ このモヤモヤは みたいなことを

いやいや 理屈で こうなんだから
のみ込めよっていうんでは 違いますね?

違います。 今 おっしゃった
その モヤモヤですね。
はい。

それを 決して
手放さないということです まず。

ですんで 言葉にできることだけで
世界を認識するんじゃなくて

そのモヤモヤも
とても大事にしていきましょうと。

その全部入りの その真の実在
その全部入りの状態とは

何なんですかということを明らかにしよう
ってことか。               そうですね。

その「善の研究」の根本思想であるのが

こちらの
「純粋経験」というものなんですが

それが何か こちらをご覧頂きましょう。

「色を見 音を聞く刹那」ですね。
刹那なので 瞬間的だっていうんですね。

私たちは 経験すると いろんなものを
自分の価値で判断してるんです 既に。

まず 一番最初に始まってるのは
我々の言葉ですね。

例えば 日本語であったりとか
自分の好きな言葉であったりとか

いろんな言葉で
私たち 世界を切ってるんですね。

で どんどんどんどん
実は小さくしてるわけなんです。

それが まだ小さくならない
世界そのものというのが

この「純粋経験」の世界。

整理整頓して しゃべるっていうことと
思わず声に出るっていうこと。     ええ。

「危ない!」って言うことと

「よけきれない所 距離まで もう車が
来てるから危ない」ということで言うと

前者の方が
多分 純粋経験に近いんですけど

でも もっと言うと
この言葉を発しちゃった時点で

ちょっと 整理整頓が済んでるから
その前の 息吸ったところのみが

純粋経験かもしれないし
その前も そうなのかなと思うんですね。

まさに そうなんです。

何か 本能が揺さぶられてるみたいな。
そうなんです。

もう その「危ない!」という言葉が
出る前ですね。

「危ない!」という言葉が出てる時には

もう 私たちの さまざまな価値が
もう あるんだと思うんです。

その「危ない!」って言葉の前です もう。

さあ 時間がかかるよ これは相当。
そうですね。

まず 全体像を把握していきましょうか。
はい。

こちらが 「善の研究」の構成です。

まず 第1編が「純粋経験」。
今のところですね。

で 第2編「実在」について。

第3編が「善」。 第4編が「宗教」。

ただし 西田が書いた順番は
こうだったんですね。

2 3 1

最後の4という
順番で書いているんです。

更に 序文で
西田は 読者に こう勧めています。

ええっ? えっ えっ?      これ 面白い。
とばしちゃっていいの?

ここをとばすように
勧めてるんですよね 若松さん。

そうなんです。 これが面白いですよね。
はい。

一つは
まず 哲学を専門にした人だったら

どうぞ 最初からお読み下さい
ということですね。

でも 世の中には その哲学を
専門にしてる人ばっかりではないので

そうすると
最初から 大変なことになると。

番組では またちょっと違った順番で。
そうですね。

今日 ご提案申し上げたいのは
こちらなんです。

はい。 え~ 下から。

終わりから読んでいくと。
終わりから読んだ方がいいと。

何か 「スター・ウォーズ」みたい。
ハハハ ほんとですね。

「スター・ウォーズ」は 原作の何番目かから
映画化されてるんですけど

「スター・ウォーズ」マニアに言わせると

この順番で見るのが
一番 分かりやすいですよ みたいな。

後ろから 一番… 4 3 2 1。
そうなんです。

西田はですね 分かってて
この本を書いてるんじゃないんです。

書きながら 分かっていくんです。
どんどん分かっていく。

ですんで 西田が こう穴を掘っていく姿を
我々は目撃するわけですね。
はあ~。

で 大変な体力のある人ですから

私たちは やっぱり
ちょっと穴が掘り上がったところから。

完成を ある程度 見てから。
…から 少し こう始めた方が。

もう
この道を 我々がたどるなんていうのは

もう ちょっと やめた方がいいと
思うんですね。
はあ~。

では まずは第4編の
「宗教」から読んでいきましょう。

「宗教的要求」とは我々の生そのものの
要求であると 西田は考えました。

そして そこには
「知」のはたらきと

「愛」のはたらきを
欠くことができません。

「しからば 如何なる精神作用であるか」。

「知る」と「愛する」という営みは
一見すると 異なる精神作用のようです。

しかし 西田は
そうではないと考えました。

それらは 「主客合一の作用」

つまり
自分と対象が 一つになろうとする時

共に動き始めるものだというのです。

もし 「主客合一の作用」がなければ
私たちは美しい絵画を見て

あるいは 音楽を聴いても
感動することはありません。

悲しむ他者の姿を見て
涙を流すこともありません。

その時 「愛」がはたらくと
西田は言うのです。

まず このように西田は言っていました。
「知と愛」について。

これは 若松さん かみ砕くと
どういうことでしょう?

まず 知と愛というのは
一つのものなんだというわけなんですね。

例えば 私たちは
これを知ろうとしますよね。
はい。

でも どんなに
その人のことを知っても

その人のことを愛せるとは
かぎらないですよね。
ええ ええ。

愛の力というのは 全く知らなくても

その人を愛することってあるんだと
思うんですよ。

その両方が必要だって
西田は言うわけなんです。

片方だけでは駄目だ。
愛だけでも駄目。 知だけでも駄目。

知に対する理解って その理屈と本能とか
そういうことですか?

分かりやすく言いますと…

言葉。 はあ はあ。

私たちが 言葉によって
認識していこうとする力。

愛の力は やっぱり
言葉を超えていくんだと思うんですよ。

言葉で理解しようとするということは
理屈で理解しようということですよね。

それは とっても大事な力なんです。
でも…

でも私たちは それ実は 日々
いろんなとこで やってるんですよね。

仕事の現場というのは もう

その 知と愛がなければ
成り立たないわけなんです。

ですんで 西田は特別なことを
言ってるわけではなくて

私たちが 日々実践してることを
あえて言葉で言うと

こうなるんだっていうことなんです。

ですんで 例えば
「我が物に一致する」って

「物」というのは 仕事に かえてみると
いいかもしれませんね。

私と仕事が 一つになるような
状態なんだって。

そう考えると 日本的ですよね。

職人における仕事って
それが人生だし

作ってるものに対する
まあ 愛情みたいなものと

だからこそできる 緻密な仕掛けなり
仕様なんていうものは 一体だから

これに関しては
とても 日本的理解ですね。  そうですね。

ですので いわく言い難いですよね。

いわく言い難いんですけど
私たちが実践してること。

ああ~ なるほど。

まあ 愛するということは

やっぱり 自分よりも
大事になっていくということですよね。

ですんで その人の苦しみは
私の苦しみを超えるなんてことは

人は あるんじゃないでしょうかね。

その人が笑うことが
俺の楽しいことだって なってくると

今 その人を喜ばそうとしてることは
自分を喜ばそうとしてることであって

何か その人のためにやってんの? って
そういうことでもないんだよ

回りまわって 俺のためでもあり なんだよ
みたいなところは ちょっと分かります。

もう まさに それですね。

私が というところから
少し 私たちは離れて

世界を考えることができるんです 実は。

西田は 私たちを
そこに連れていこうとするんですよね。

では 続いて
なぜ このような思想が生まれたのか?

その背景を
西田の人生から見ていきましょう。

海を眺めるのが好きだったという
西田幾多郎。

明治維新から2年後 石川県宇ノ気の
由緒ある家に生まれました。

西田は その前半生で
次々と苦難に見舞われます。

相次ぐ肉親の死。 父親の事業の失敗。

やがて 西田家の没落。

高校を退学した西田は
大学に正規入学できず

大学時代は 選科生として
さまざまな差別にあい

「人生の落後者」のような目にあいます。

卒業後は 就職もままならず
ようやく 中学の教師となった西田は

幾度も失職の憂き目にあう中で
禅寺で 坐禅を熱心に組みます。

その思索の結晶として
後に 「善の研究」が生まれたのです。

自分の解釈が変わってるのかな。

「哲学の動機は 深い人生の
悲哀でなければならない」って

ちょっと僕ね 元気が出る言葉です。

今 すごい つらい人とかが
もしかしたら 頑張れるか みたいな。

いや 多分
こんなはずじゃないはずなんだよって

ず~っと思ってたんでしょうね きっと。

「理屈に合わない」って
よく言うじゃないですか。

「おいおい 理屈に合わないよ
これ どういうことだよ」の

じゃあ どうすると
理屈に合うのかなっていう。

時代的には
まあ 激動の頃に生まれていますよね。

そうですね。
この時代そのものというのは

やっぱり 人を
ある型に はめようとした時代でもある。

それが近代化だったんですね。
ああ~。

それは いわゆる西洋型という型なんです。
で 西田は それに強く反発する。

ですんで 学校も うまくいかない。

先生になっても
辞めさせられちゃったりもする。

そういう意味では
枠から はみ出した人だったって

言っていいと思うんです。

でも ちょっと 似たような目に
あってる人 いるんじゃないのかな。

何か 日本が どんどん
グローバル社会になっていって

すごい自由で いい世の中になっていく
って聞かされてた割には

何だ 俺の
日々の この かわいた暮らしはっていう。

ご指摘は大変重要で 僕は やっぱり
この本を今 皆さんと読み解いてみたい

一つの 大変 大きな理由はですね
そこにこそ 次の時代をつくっていく

何かがあるんじゃないだろうか
ということなんです。
なるほど。

ですんで たくさん言葉ができて
たくさん ものを知っていてというのに

少し違和感を感じてる人たちこそが
西田が やってくれたように

あるいは 私たちの こういう
大きな苦難を背負ってる人こそが

私たちの 次の時代をつくっていけるん
じゃないだろうかということを

ちょっと皆さんと 4回にわたって
考えてみたいなと思ってるんですけど。

いや~ 一番後ろの第4編から
今回 読んできましたけども

いかがだったでしょうか?

少しずつ その何でしょうね 知と愛
それから 自分のことと 物。

はいはい。 自分以外と自分。

自分みたいなことを 全部知らないと
真実にたどりつかない みたいなことが

テーマであるということは
少し分かってきたかな。

私たちは 哲学書を読もうと思うと
何か答えがあるんじゃないか そこにって。

西田は そういう人ではないんですね。

この人は
問いだけを残していった人なんです。

ですので 私たちは 西田の この書物から
何か解決を求めようとすると

少し もったいないことを
してしまうかもしれません。

このあとも楽しみになりますね。
そうですね。

とりあえず 入り口には
到達しましたかね。        はい。

若松さん ありがとうございました。
ありがとうございました。

♬~


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