100分de名著 西田幾多郎“善の研究” 第2回「“善”とは何か」東洋思想から練り上げていった独自の哲学で…


出典:『100分de名著 西田幾多郎“善の研究” 第2回「“善”とは何か」』の番組情報(EPGから引用)


100分de名著 西田幾多郎“善の研究” 第2回「“善”とは何か」[解][字]


西田幾多郎が東洋思想から練り上げていった独自の哲学では、善は人間の中に「可能性」として伏在しており、いかにしてそれを開花させていくかが重要であるという。


詳細情報

番組内容

西田幾多郎が東洋思想から練り上げていった独自の哲学では善は人間の中に「可能性」として伏在しており、いかにしてそれを開花させていくかが重要であるという。そのためには、主体/客体という敷居を超えて「他者のことを我がこととしてとらえる」視座が必要であり、真にその境地に立てたときに「人格」が実現される。それこそが善なのである。第2回は、西田がこの著作の根本に据えた「善とは何か」という問いに迫っていく。

出演者

【講師】批評家・随筆家・東京工業大学教授…若松英輔,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】長塚圭史,【語り】小口貴子


『100分de名著 西田幾多郎“善の研究” 第2回「“善”とは何か」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

100分de名著 西田幾多郎“善の研究” 第2回「“善”とは何か」
  1. 西田
  2. 自分
  3. 言葉
  4. 行為
  5. 人間
  6. 自己
  7. 宗教
  8. 宇宙
  9. 他者
  10. 意味
  11. 人類
  12. 可能性
  13. 開花
  14. 根底
  15. 意識
  16. 現代
  17. 人格
  18. 素朴
  19. 存在
  20. 多分


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今から 100年前に誕生した哲学書
「善の研究」。

作者の西田幾多郎は

人生の哀しみや苦悩を
出発点として

「真に生きる」ことが
可能かどうかを

問い続けました。

第2回は 西田の考えた
「善」の思想について読み解いてゆきます。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の…

今月は 西田幾多郎の「善の研究」を
取り上げています。

1回目 伊集院さん いかがでしたか?

本来の本の章立ての順番と
実は その書かれた順番が違い

更には 読み方としては この番組では
第4章から読んでくのが

まあ 分かりやすいんじゃないかって
案内を頂いて。

でも 何とか ついていけてます。
はい。 指南役の先生 ご紹介しましょう。

批評家の若松英輔さんです。
よろしくお願いいたします。

お願いします。
よろしくお願いします。

さあ第2回で いよいよ タイトルに入っている
「『善』とは何か」ですけれども

善悪の善と捉えていいんでしょうか?

いや そこがですね
まず 一番大きなハードルとして

我々 現代人にもあるんだと
思うんですね。

西田は 善というのは
我々の中に 種のように存在していて

それが開花していく可能性を
この本で論じてるんですね。

漢字に とらわれて
「これは 善いことの話なんだ」って

思わない方がいいわけですね?
そうです。 そうですね。

さあ それでは
「善」とは何かを探るためには

まず「自己」について 第4編の「宗教」を
振り返りながら 見ていきましょう。

西田は 宗教を「大いなるはたらき」だと
とらえていました。

その上で 大いなるものを求めるのは

「真の自己」に出会いたいという
要求だと考えます。

「大いなるもの」の前で
人は 自らの限界を知り

自分が絶対的な存在ではないと
自覚します。

そして 己は「小さき者」だと思い至り

大いなるものに
畏怖をもって向き合う。

その時 自己の根底で可能性が開花し
人間は 真の自己になるのです。

それを 西田は「善」としました。

また 前半 ついていけるかなと思ったら
後半 思いっ切り 置いてかれましたね。

まず 前半に出てきた
宗教から言うと

やっぱり 私たちの思う宗教とは
違っていましたね。

ちょっと違いそうですね。

やっぱり 現代人は宗教というと
ある宗派だと思ってしまいます。

そうではなくて 「宗」というのは
イメージとしては大いなるものですよね。

ですんで その教えですので

やはり 大いなるものからの
呼びかけぐらいに思って頂くと

いいんじゃないかなと思うんですね。

皆さん 手のひらを
ちょっと出して頂くと

今ね 現代で言う宗教と
西田の言う宗教の違いというのはですね

この指が 一つ一つの
宗派的な宗教ですよね。
はあ はあ。

キリスト教とか 仏教とか 例えば神道
イスラム教 いろんなものがあります。

で この 手のひらのところが
西田の言う宗教なんです。

なるほど。
僕は もともと無宗教な中で

この番組で いろいろ宗教関連の本とかを
読ませてもらうと

何か 言っている根底は同じっていう気が
いつも するんですね。    そうなんです。

それは 人々が暮らしていくために
みたいなことだから納得は少しいきます。

で 先ほどのビデオにも出てきました
善ですけれども

西田の言う善としては

こういうことなんですね。

善というのは 人格 すなわち
人間であることの可能性ですよね。

それが 実現 開花するということが
善なんだっていうんです。

ですんで 我々の中に
いろんな可能性がありますよね。

いろんな可能性があって

それが開花していくことが
善なんだっていうのが 西田の考え方。

はあ~。

西田は善について 更に このように
書いています。 見てみましょう。

うん うん。 自己実現とかというのは
今 自己啓発セミナーとか

そういう 自己啓発本みたいなのが
いっぱい出てますけど

…とかで耳にする感じの言葉かしら。
全く違うと言っていい。 全く。

むしろ 正反対だと
言っていいと思いますね。
はあ~。

現代の私たちは 自分が元気になれば

自分が幸せになればっていうことを
考えるのが 自己ですよね。

西田は そうは考えていなくて…

はあ~ これは同じ言葉だけに
難しいですね。         難しいんですね。

その 僕が言った方の自己実現は
きちんとした目標を立てて

それに向かって 達成しましょうみたいな
イメージで使われてるんですけど。

むしろ そういうことを
全部 捨てたところから

始まっていくのが 西田の自己だ
っていうことですね。
はあ~。

ですんで 「私」を手放していく
ということなんです ある意味では。

「私」であろうとすることから開かれていく
って言ってもいいんですけど。

そこが 西田の哲学の
大変 重要なところなんですね。

これは だから
そもそも 自分の根底のところに

シンプルに自己はあるということですか?
ある。

あるんですけども
多くの人は それを知らない。

あと もう一つは…

何か 人間って
群れで生きる動物じゃないですか。 はい。

ってことは 人間の根底には 群れとして
きちんと行動できるように

プログラムがされてるような
気がするんです。

だけど それを何か 変に知恵つけたり
間違った欲が発動したりすると

それを傷つけるようなことをするし

…ごと 環境も おかしくしたりとか
していくような気がするんですよ。

そうすると
根底に もともと流れてるのは

群れとして 自然の摂理にかなった
行動をするようには

できているのではないかと。
そうなんですね。

ですんで 私たちは
あまりに自分らしくあろうとする時

かえって 自分らしくなくなるんだと
思うんですね。

ちょっと分かります。 自分らしくなろう
自分って こうなんだろう

人間って こうなんだろう
ということを考えると

それは どんどん不自然になっていく
という。           そういうことですね。

私たちは不完全なので
自分が正しいと思うことが

絶対の善では
やっぱり ないんだと思うんです。

その人にとって 善いことですけども

意見の違う人からしてみれば
それが 正反対になることもありますね。

ですので 私たちは
その哲学の原点に立つ時に

自分の中に 今
今ですね 自分の中に

今 ここに絶対的なものはないんだ
というところから スタートするのは

とても重要なんじゃないかな
というふうに思うわけなんですね。

善とは 「考えるもの」ではなく
あらわすもの。

「行為」によって 体現されるべきものだと
西田は考えました。

その「行為」とは
私たちの ふだんの行動とは違います。

表層意識と深層意識が一つになり
「行為」する時

初めて
「善」への道が開かれるというのです。

「人格的要求」とは

人間を
人間たらしめている はたらきのことです。

それに従っている時
私たちは おのずから 自分だけでなく

他者の存在も尊ぶことができます。

しかし 「人格的要求に反した時」

つまり 他人を尊ぶことができない時

たとえ 健康や学識など
一見 善なるものでも

容易に 「悪」とつながると
西田は警鐘を鳴らすのです。

善は 行為している時にってありましたね。
思うのじゃなく。

要は 考えてるだけではない状態が行為。
(伊集院 安部)はい。

あと もう一つは…

ちょっと 西田における
他者というのはですね

少し 解説するのに
今日 準備したんですが

この番組でも おやりになった
河合隼雄さん。

日本に あのユング心理学を
紹介して下さった方の図なんですけども

まあ 河合さん
あるいは ユングがですね

意識というのは こういうふうに
層を成してるというふうに

彼は考えたわけなんですね。

で 我々は普通 意識と言うと 何か

個人の意識のことを考えがちですけども

私たちの心の深いところでは

もともと 他者と
つながっているんじゃないかというのが

ユングという人が考え
そして 河合さんが考えたことなんです。

ですんで 西田が言う善というのは
ここで行うことではなくて

ここまで入ってきて
我々の中にあるものが開花したら

何かなんじゃないだろうかって。

私たちは やっぱり
深くなれば深くなるほど

開かれていくという習性を
持ってるんです。

ほ~。
ですんで 一番ここで

私たち もう
がんじがらめになるのは 怒りですね。

はいはい なるほど。 はい。

もう 怒ってる時は
とっても狭いところにいる。

でも 私たちは
もう少し 心を深めていくと

未知の人たちと 深く
つながったりするわけですね。

ですんで 西田は
まず一つのステップとしては

小さな意味での私から 離れていくことだ
っていうことは言ってますよね。
はい。

もう一つは そこには必ず
他者がいるんだって。

少なくとも
今 自分が思っていることが

全くもって
自分のことしか考えていない場合は

西田の言うところの普遍的無意識
もしくは その善の人格には

到底 近づいていないということですね。
難しいですね。

更に 行為の奥にあるもの 潜むものが
大切だと 西田は こう書いているんです。

これは どういうことでしょうか?

「人格的要求」って これも難しいですね。

これも 現代の私たちには
およそ使わない言葉ですけど

言いかえるとすると「他者の存在を尊ぶ」と
言っていいと思うんですよ。

じゃあ 他者を大事に思わなかった場合は
悪になるよということでいいですか?

そうですね。
でも そうだよね。

権力を持ったことで みんなに
よくしようと思うことは 善だけど

権力を持ったことで
他を 蹂躙しようと思えば

それは 分かりやすく悪だから
そこは分かりやすい。

ここ 分かりやすいですね。

この「意識」という言葉が
西田が言う時には

さっきの言った 「普遍的無意識」まで
含むものなんですね。

ここを言いかえればいいんですね。
はい。

ですんで
すなわち 普遍的無意識のために働いた

行為でなければならぬと。

ですんで 私にとって得であるとか

あるいはですね 例えば
私たち この狭い世界の私たち

私たちの家族だけにとって
得だとかいうことではなくて

もっと深いところの
ほんとに みんなのために何かできた時

それは 本当に善なのだということですね。

でも僕は この言葉 皆さんに言うと
えっ!? と思うかもしれないんですけど

見方によってはですね
とっても希望に満ちた言葉ですよね。

ああ と思います。 はい。
はい。

誰でも ここまで行けるんだよって。

これが 人格の実現なんだ
ということなんです。

もっと言えば 見失ってる人もいるし
掘れてない人もいるけれども

人間の奥底には
流れているんですっていう。

備わっているんです
ということですもんね。 そうなんですよ。

人格を実現することは
自己を深めてゆくことです。

自己を深めると それだけ
自分が他者に開かれてゆきます。

その開かれ方が 最も深くなった時

それは
「人類」にまで つながるのです。

「人類」の中には 同時代の人間だけでなく
過去や未来も含みます。

完全なる善行は果てしなく大きなものへの
「愛」に昇華するのです。

そんな壮大なる善行は
極めて難しいように思えますが

誰にでもできると 西田は言います。

何か すごく
腑に落ちてきましたね。 うん。

規模としては でも相当壮大に
なってきましたよね。
なってきたね。

だから 自分サイズで まず
やっていくことではあると思うんだけど

家族にとって みたいなことから始まり
お隣さんも含めてってなり

世界まで 宇宙まで行くんだろうな
という感じはしますけど。

西田の哲学は 少し 一見すると

「私」を掘っていくようなイメージが
あるんだと思うんですけど

「私」を早々に超えて 「私たち」
「人類・宇宙」というところへ

行けっていうのが
西田の考えなんですよね。

子どもが喜ぶ顔を見てる時
楽しいじゃないですか。 楽しいですよね。

これは多分 子どもも自分も
うまく つながってる地層まで

掘れたということだと思うのね。
そうです そうなんですよ。

で 子どものお友達の機嫌もいい方が

恐らく 子どもも喜ぶっていうことで
つながってくと

多分 お友達のお母さんも
みたいなことにも 多分つながっていく。

そうやって 掘ってくごとに
何か 下の方はさ

お芋みたいに
すごい つながってるみたいな感じの

全部 つるで
つながってる感じっていうのかな。

西田は 更に こう言っています。

これは どういうことですか?

これは もう大変端的に 西田も珍しく
端的に言ってくれてますけども

発見するわけですから あるわけですよね。
うん うん。

「善」というものは 私たちが努力して
つくり上げていくものではなくて

既に あるものを発見していくことなのだ
ということですよね。

私たちは
もしかしたら 善という言葉よりも

生きる意味ぐらいに かえると
少し分かりやすいですかね。
ああ~。

生きる意味が もう 私たちの中にあって
それを私たちが見つけていくのであって

生きる意味をつくっていくんじゃないんだ
ということなんですね。

第3編 「善」の最後を
西田は こう締めくくっています。

「善を学問的に説明すれば
いろいろの説明はできるが…」。

そして 西田は
こんな逸話を紹介しています。

中世の画家 ジョットは

ローマ法王の前で
画力を見せよと命じられた時

ただ 一円を描いたといいます。

シンプルで欠けることのない まるい円。

我々は 道徳の上で このジョットの
一円形を得ねばならないと書いて

「善について」の章は終わっています。

う~ん…。

こちら。

これ どういうことですか?

そうですね 一見すると
壮大に見えるんですけど

まず 私たち自身が宇宙の一部ですよね。
ここも 宇宙なんです。

現代人は やっぱり
宇宙に ロケットで行けるようになって

ここが宇宙だということを
忘れちゃったんですよね。

ですんで 西田の哲学を
我々が読み解く時に 人類とか。

我々は やっぱり人類なんです。
で 宇宙ですよね。 我々 宇宙なんです。

ですんで その現代の言葉に
置き換えるとすると

やっぱり 無限ということかなと思います
やっぱり。

「無限と融合し…」。
「神意と冥合する」。

ここも分かりにくいんだと思うんですね。

西田における神というのは
先ほどから お話ししてるように

大いなるものということなんですけど
やっぱり ここで大変重要なのは

言葉を超えた世界で
一つになるということだと思うんです。

ですんで 私たちが言葉を超えて
無限と一つになるということに

私たちは 善というものを見いだすことが
できるんだっていうことですね。

無限というのは 先ほどの図から言うと
人類でもいいんです。

そういうものに開かれていった時に
私たちは

本当の善というものを求めることが
できるんだっていうことですよね。

そして あの まる。 円ね。 クルッという。
ええ そうでしたね。

あの クルッという あの円の逸話は
どういう意味なんでしょう?

大変 素朴なことだということですね。
ほう ほう。

ですんで 薔薇の絵を精巧に描くとか
そういうことではないんだって。

完全な円を描けるという
この素朴な行為の中に

あらゆる要素があるんだっていうことだと
思うんです。

こちらにですね
西田の描いた円の図もあるんですよ。

こういうものを残してるんですね。
そうですね。

西田だけではなくて禅のお坊さんたちは

しばしば この円を描いたりします。

いろんな解釈が
できるんだと思うんですけど

円というのは
本当に大変 素朴なものですよね。

ですんで 私たちが善を求めていく時も

複雑な もう 何か多くの言葉をもって
説明しなきゃいけないものではなくて

大変 素朴な行為の中に
「善」が現れるんだっていうことは

西田は 私たちに伝えようとしてくれてる
と思いますけどね。

そう考えると 円は面白いな。

何か 自分が今 円 描こうと思っても
かなり いびつ。

力むから 絶対 いびつになるし
円を描こうということに力が入るし

もうちょっとで結ばれるんだ
ということとかで

多分 かすれたりするんだろうけど

恐らく 一番リラックスした時に
描けたりとかするのは

そもそも 円なんて 何にも考えなきゃ
描けるんだよっていうところが

さっきの 一番 人間の普遍的な
その心底に流れてるものを探す行為に

ちょっと似てるかしら。

そうなんだと思います。
そうだと思います。

ですんで 何も考えないわけには
いかないんだけども

考えだけでやるのでもないんですよね。

で 難しくもあり シンプルでもあり
という感じですね。               はい。

やっぱり私たちは 何ものかに
生かされてるんだと思うんですよ。

ですんで どう生きようかって
これも とても大事です。

しかし どう生かされているのかって
こっちも とても大事だと思うんですよね。

ですんで ほんとに この2つを

私たちは両方 考えていかなくちゃ
いけないんじゃないか

ということじゃないかなと思いますけど。

まだまだ 先がありますね。
そうですね そうですね。

若松さん ありがとうございました。
ありがとうございました。

♬~


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