英雄たちの選択「難攻不落!月山富田城~尼子vs毛利 史上最大の籠城戦~」月山富田城は、その巧みな守りの仕掛け…



出典:『英雄たちの選択「難攻不落!月山富田城~尼子vs.毛利 史上最大の籠城戦~」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「難攻不落!月山富田城~尼子vs.毛利 史上最大の籠城戦~」[字]


悲劇の山城スペシャル第1回は、中国地方の山城・月山富田城。名だたる武将が挑み、武力で攻め落とすことが出来なかった戦国時代最大級の山城の強さの秘密に迫る。


詳細情報

番組内容

尼子氏の居城・月山富田城は、その巧みな守りの仕掛けによって難攻不落の山城として恐れられた。第1次の戦いは、大内義隆が、1万5千の大軍で攻めたが、はねつけられる。次に、中国地方の覇者となる毛利元就が、3万の大軍で、月山富田城を包囲した。かくして、史上最大の籠城戦が始まった。この後、悲劇の忠臣・山中鹿介が尼子氏再興をかけて、月山富田城に迫る。城郭考古学者・千田喜博さんが、難攻不落の山城の秘密に迫る。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】千田嘉博,小谷賢,飯田泰之,【語り】松重豊



『英雄たちの選択「難攻不落!月山富田城~尼子vs.毛利 史上最大の籠城戦~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

英雄たちの選択「難攻不落!月山富田城~尼子vs毛利 史上最大の籠城戦
  1. 月山富田城
  2. 元就
  3. 尼子
  4. 山城
  5. 本当
  6. お城
  7. 力攻
  8. 難攻不落
  9. 城内
  10. 包囲
  11. 本丸
  12. 毛利
  13. 巨大
  14. 尼子氏
  15. 山中鹿介
  16. 千田
  17. 毛利元就
  18. 籠城
  19. 曲輪
  20. 選択


『英雄たちの選択「難攻不落!月山富田城~尼子vs.毛利 史上最大の籠城戦~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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「城」という字は 「土」をもって「成す」。

文字どおり 山を削り
自然を要害とした「山城」。

それは 時として
戦国武将たちの命運を左右する

悲劇の城でもあった。

「英雄たちの選択」悲劇の山城スペシャル。

2回シリーズで送る第1回は
山陰地方の要となった巨大山城

月山富田城に迫る!

戦国時代
月山富田城に3人の名将たちが挑んだ。

名門守護大名…

後に中国地方の覇者となる…

そして悲劇の忠臣…

だが いずれ名だたる戦国武将たちも

力で この城を攻め落とすことが
できなかったのである。

難攻不落の城は 山城に詳しい
現代の専門家たちをも魅了する。

大小の谷が入り組んだような地形を…

その地形を巧みに利用して

どこから攻められても

挟み撃ちできるように設計されている。

まあ 尼子氏が滅亡するといった
ドラマチックなお城ですので

やっぱり その舞台に立てるっていう

醍醐味は すごく…

いろんな残り具合もいいし

それから いかにも

山上部分の本丸 二の丸 三の丸が

戦国の いかにも城という感じで。

そこまで たどりつくのが
結構 大変なんですね。

私の中では…

なぜ天下の名将たちは
月山富田城を前に苦戦を強いられたのか?

その謎に迫るべく 城郭考古学者
千田嘉博さんと共に

月山富田城を探索した。

そこで待っていたのは…!

(千田)守りますよ。

そこには 鉄壁の守りの工夫が!

無敵の月山富田城。

その攻略法を さまざまな分野の専門家が
熱く語る!

この戦い 結構…

なめちゃいけない…。

戦国一大籠城戦 「月山富田城の戦い」。

難攻不落の山城 その強さの秘密に迫る!

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

彼らは何を考え 何に悩んで
ひとつの選択をしたのでしょうか。

今回の主人公は… と

いつもであれば歴史上の人物
ということになるんですが

今回は こちらです。

戦国時代に築かれた山城。

現在の島根県安来市にある
月山富田城が今回の主人公なんです。

この月山富田城っていうのは
あまり知られてないんですが

とにかく すごい山城なんですよ。

なにせ 山陰の雄 尼子氏の拠点。
拠点…。

日本最大級の山城と言っていいんですよ。

僕ね 子どものころから
岡山の者なもんで

このお城に対して
恐怖感を持っていたんですよ。
へえー!

…みたいに怖い城だった。

大体 岡山の山奥の僕の先祖も
みんな 尼子に城を奪われたりしている。

で その… スズメバチが
襲ってくるみたいに 山から。

怖くてね 行きたかったんですけど。

下までは行ったんですけど
親に連れてもらって。

上がれなかったですね。
なので ちょっと代わりに

誰か行ってくれないかなあと
思っていたら どうも今日

この戦国最強の山城
上がってくださったみたいで。

代わりに行ってきました! はい。

本当はね やっぱり…

ぜひ この人と一緒に
山城番組作りたい… と言えば

もう 分かりますよね?
そうですね。 はい。

はい この人。
助っ人に来ていただきました。

皆さん おなじみの
城郭考古学者の千田嘉博さんです。

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

お願いします。
お世話になります。

今日は最強の援軍が来ましたので。

もう 千田さんとの山城探検は
なんせ ぜいたくでした。

でしょうね。
みんな 全国の人 山城を

千田先生と一緒に行きたいと
思っていますよね。

いや それはそうですよね。
あなたと行きたいと思っている

おじさんもいると思いますけどね。
いやいやいや…。

もう 本当にね。
でも すばらしい山城ですよね。

すごいですよね。
もう 全国のお城ファンが

「月山富田城 行きたい!」
っていう所ですから。

そこを もう 徹底的に
歩いてまいりましたから。

本当にもう 月山富田城の魅力を
全部体感してきました。

早速 千田さんと一緒に
月山富田城の探検へとまいりましょう。

室町時代に勃発した 「応仁の乱」。

京の都を舞台に
11年間続いた権力闘争は

やがて全国に拡大。

群雄割拠の戦国時代の幕開けである。

戦乱の火種は 山陰地方にも飛び火した。

そこで急速に版図を広げたのが
守護代から台頭した…

出雲を拠点に 最盛期には

近隣諸国8か国の守護に任じられた
尼子氏。

その隆盛を支えたのが 海の道である。

古来 朝鮮半島や中国大陸に近い出雲は
日本海海運の要衝であった。

さらに 山陰地方には
「石見銀山」があり

尼子氏の経済基盤と
なっていたのである。

当時 世界の3分の1の産出量を
占めたとされる日本の銀。

中でも 石見銀山は
ポルトガル人が制作した日本地図にも

「銀鉱山」と明記されているほど。

こうした莫大な富を背景に
領土を拡大した尼子氏。

その拠点となった山城が
月山富田城である。

城郭考古学者 千田嘉博さんに
案内してもらった。

今 月山富田城が ものすごく
よく見えているんですけども

富田城が どこっていうのは
杉浦さん お分かりになりますか?

そうですよね はい。
あれとしか思えない…。

実はですね
あれは本当のお城じゃなくて

本当のお城は この目の前の
この山全体がお城なんです。

この山全体ですか!
全体なんですよ。

へえ~!

一見すると 木々に覆われた ただの山。

この山城の全体像を理解するのは難しい。

そこで 城の麓の歴史資料館を訪ねた。

これ全体で 月山富田城なんですか。
そうなんです!

むちゃくちゃ大きいですね。
もう本当に…

新たな発掘調査を基に
今年4月に完成した

月山富田城の復元ジオラマ。

東京ドーム15個分
日本最大級の巨大城郭である。

山頂から麓に至るまで

大小合わせて500もの
曲輪が築かれている。

それぞれの曲輪に
兵が配置され 守りを固めている。

特に月山富田城のような

地域を支配する拠点の
巨大な山城というのは

お城の中に その主要な
武士たちの屋敷が建てられていく。

大名も その城内に暮らしているという。

ですから 軍事的な拠点でもあるし
武士たちの住まいですね。

都市の一部でもありますし
そこが 政治の中心でもあったという。

そういう状況を
この模型から見ていただけると思います。

城の麓には 城下町が形成され
商業施設もあったことが

近年の調査で分かってきた。

城下町を守る川は
軍事的な役割だけでなく

日本海海運の交易路としても
利用されていた。

その証拠として 月山富田城から

多数の陶磁器が出土している。

しかも それは国内に限らず

アジア各地に広がっているという。

(舟木)こういった青磁ですね

それから白磁。

それから 中国以外ですと

今度は この辺は
タイのほうから運ばれた壺。

それから これは 恐らく
ベトナムから運ばれた壺になります。

こういった高級な青磁ですとか
そういったものが

かなり大量に出てきますので
やはり財力的には

少なくとも考えますと
強大だっただろうと推定してますね。

この巨大山城を舞台に
第一次月山富田城の戦いが始まった。

月山富田城に挑んだのは

中国地方を含め
7か国の名門守護大名…

山陰の中心 月山富田城の攻略は
中国地方の覇者となり

天下への足がかりとしても
大事な戦だった。

尼子と決戦を挑もうとした。

それに異を唱えたのが

当時 大内の配下にいた…

元就は言う。
「力攻めなど無理である。

たとえ日本全土の軍勢を
もってしても

この城を
たやすく落とすことなど

できぬであろう」。

だが 義隆は元就の意見を聞かず
総攻撃を命じた。

大内軍は 城下町を焼き払うと
手勢を三方に分け 城を攻撃。

敵の猛攻を待ち受けていたのが
月山富田城に築かれた防御システム

土塁であった。

その一部が
月山富田城内に 今も残されていた。

杉浦さん! これもすごいでしょ?
えっ?

千田先生…

教えてください。
そこの… そこ!

地面 高くなっているじゃないですか
土手。

はい なってます。
これがですね…

へえ~!
これ 今 曲輪の中っていうか

城内側にいるんですけども。

城外からの敵の攻撃を 防ぐために

人工的に こういう巨大な土塁を
造っていた様子なんですね。

すごいでしょ?

…もの巨大な土塁跡。

こうした巨大土塁が 城内のあちこちに
築かれていたと考えられる。

実はですね…

おっ 何ですか?
これが面白いんですよ。 行きましょう。

これのですね
外側を見ていただきたいんですけど。

こういう高い城壁ですよね…。

ここがお城の外ですね?
外になりました。

城内の続きではあるんですけど
一旦ここで

区切っているんですが。

堀になっているんですね これ。
こちら側も一段低くなって

堀の対岸側は ここまで来るんですよ。

土塁の外側には

深さ6メートル 幅10メートル以上の
巨大な堀が築かれていた。

ここ! フフフ…!
ここまで堀なんですね。

へえ~!
広いでしょ?
あっ! 広い!

で 城壁がドーンって。
深い! しかも。

深いでしょ?
フフフ…! え~!

だから土塁だけでも
すごい高いんですけど…

敵 突破させないという。

これは すごいですね。
これ…

こうした土塁を突破し
侵入できたとしても

城内のあちこちに
巧みな仕掛けが隠されていた。

城内の 「花の壇」と呼ばれる曲輪。

ここで2人は 早速
功妙な仕掛けに遭遇することになる。

で こっち…
そこに 本丸が見えているんですけども

実はですね これ
まっすぐ進めないんですね。

この先には 尾根筋を断ち切っている
「堀切り」がありまして

まっすぐ わざと
進めないようになっています。

そうなんですか。
で それで ここに門がありますから…。

あっ! また1回曲がらせるんですね。
はい。 曲がって

行きたい方向とは
あっ 本当だ。
真逆のほうに進んでいく。

背を向けちゃうじゃないですか。

あっち行きたいのに。
あっち… あっち行きたいんですけどね。

本丸へ向かおうとする敵は
屈曲した道に翻弄され

行ったり来たりを繰り返さざるをえない。

こういうところも守りの工夫でして。
やっぱり その 城内に入っても

それぞれの場所に
こういう仕掛けがありまして。

本丸にたどりつくっていうのが
いかに大変かというのが分かります。

そして 花の壇を突破した2人に…

すでに 私たちもですね その仕掛けの中に
完全に入っちゃっているんですよね。

えっ! 今 私たちがですか?
今 もう… はい。

大変なことになる… なります!
えっ?

えっ! ちょっと… ちょっと ちょっと!
千田先生! ちょっと守ってください。

守りますよ。 撃たないで!

ああ~! 撃たれた…。

こういうふうにですね
やられるんですね。

やられましたね~。 やられますね。
やだ~ びっくりした。

あらま~。

月山富田城の侵入路は 3つ。

数々の仕掛けを突破し

それぞれ3つのルートの
行き着く先が

山の中腹に築かれた

「山中御殿」と呼ばれる
広大な曲輪である。

どのルートをたどっても

侵入者は必ずこの場所に誘い込まれ
一気に撃退される。

恐るべき守りの工夫である。

もし 敵がここを突破できたとしても
山頂にある本丸へ向かうためには

絶壁「七曲り」を
攻略しなければならない。

実際の戦いでは…

力攻めを諦めた義隆は 月山富田城を包囲。

だが ひとつきたっても
籠城側に降伏する様子がない。

なぜか?

本丸へ向かい
急坂を上ること およそ20分。

はあ~! よいしょ。
いや~ 来ました 来ました!

わあ~ 急に ここ
やっぱ 高いからかしら?

風が抜けますね 気持ちいい!
爽やかですね。

うわ~。

あれですね あっちは海ですよね?
はい。

もう 日本海のほうまで
見えておりまして

ここからは もう 海の様子も
手に取るように分かりますよ。

千田さんによれば

籠城戦に耐え抜く
月山富田城の強さの秘密は

もう一つあるという。

実はその 月山富田城の周りには

この堅固な月山富田城だけではなくって…

月山富田城を守るため

尼子は出雲国内に
城郭ネットワークを築いていた。

この防衛網を
「尼子十旗」という。

月山富田城が
攻められても

ほかの山城群によって
兵站線は確保され

援軍としての
後詰めを担ったのである。

そして 開戦から数か月後 事態が急転。

月山富田城を包囲していた
大内軍の家臣たちが

次々と尼子に寝返ったのである。

味方が動揺する中
大内義隆は全軍撤退を決断。

撤退する大内軍は

それを追撃する尼子軍に
多くの者が討たれた。

戦いは 尼子軍の圧倒的な勝利であった。

大内軍の猛攻を完全にはねのけた
難攻不落の城 月山富田城。

次に この城に挑んだのが

後に中国地方の覇者となる毛利元就。

第二次月山富田城の戦いが 迫っていた。

実際に月山富田城を歩いてみますと
本当に生きた心地がしないといいますか

何度も 討ち死に 遭いましたね。

改めて千田さん
月山富田城のすごさをですね

こちらのボードを使って
ちょっと解説していただけますか。

こちらがですね
月山富田城の最新のレーザー測量ですね。

それを 基にした全体の図面です。

山の一番高い所に本丸がありまして

先ほどのVTRでも出てまいりました
山中御殿ですね …がここにあります。

ですから
この緑色の色を塗った範囲がですね

月山富田城の
城域っていうことになりますが。

この中には なんと合計で500もの

曲輪と呼んでいます
防御した陣地が展開していまして。

戦国でも屈指の巨大な山城だった
っていうことが分かります。

さらにですね
主要なお城が展開していたのは

こちら側の尾根なんですが。
もう一つ隣の尾根にも

実は 広大な城域が広がっていまして。

こちら 主要な所と比較するとですね
恐らく この巨大さというのは

地域の方が合戦のときに
逃げ込んでくる避難所のような役割を

こちらの所は果たしていて。
全体としては

巨大な月山富田城が
出来ていたというですね

そういう特徴があるんだというふうに
思います。

磯田先生 どうですか?
時々あるんです。

こういう戦国で よく出来たお城って…

まあ お城造り 守る側からしたら
理想なんですけど。

そういう化け物城なんですよ。
化け物城ですか。 ヘえ~。

その南から 本丸は
攻められないんですか? そこからは。

まあ 確かに こちら側から攻めれば

ということになるんですけれども

実はですね この部分は
地図で見ても そうなんですけども

すごい崖状の地形になってまして
登れないんですね。

ですから
こちら側から攻めてくるっていうのは

ちょっと不可能だということで

まあ 攻められなかったっていうことだと
思います。

これ 負けるパターンとしてはですね
多分 三方から攻めることをするんですよ。

それでね 楽に入れるのは ここなんで

結構 この中まで
侵入すると思うんですけど。

こっちを攻めるぞ! っていう顔をして
相手を分散させといて

こっちへ わざと中まで入れるんですよ。

でも ここって 三方が山なので
これを袋だたきにして

それで死体の山を築いては
もう駄目だ!

もうこっちも無理だ!
みたいなことを繰り返したんで

これ攻める場合は…

(笑い声)

いや でも そういった意味の
本当 難攻不落のお城。

じゃあ 何で この難攻不落なお城がですね
築かれたのか

話し合っていきたいんですが
飯田さんは どう思いますか?

こういった化け物城を造るには
膨大な費用がかかるし

膨大な動員力がなきゃいけない。

尼子氏の場合は
やはり…

これが もう三拍子
そろっちゃってるんですよね。

まず 鉄はもともと
奥出雲は

この時代の鉄。

鉄は 何といっても
この時代であれば武器になりますから。

その生産地であって。

この時期ですと
石見銀山の支配というのも

比較的
尼子氏が支配していた時期でもあると。

ただ…

といったら ここは 港も近くて
まさに それの積み出し港もあると。

近世以前の日本の場合ですと

航路って
ものすごく限られているんですよね。

で まさに…

日本海側に
良港を持っているっていうのは…。

ですから 全部そろってますから
だからこそ

ここまで金をかけられたっていうところ
あると思うんですよね。

小谷さん いかがですか?
これ 資金があったとはいえ

これほど
巨大な山城が築かれたというのは

率直に言って驚きです。

やっぱり入り口から本丸までの距離が
異様に長いですよね。

これは軍事的には縦深性がある
ということでありまして。

守りに特化した城であると。

つまり
籠城しやすい城ですね。

ですから
逆に言えば

攻めるほうは
大変でありましてですね。

火縄銃とか大砲の
ない時代ですと

力攻めは
ほぼ無理じゃないか

というふうな
お城ですよね。

もう…

で もう みんなが狙ってくるんで

ここへ どんどん鉄関係の人たちが
城下町で集まるので

城下町自体も大きくなるし

「膝元軍事力」っていうんですけど
もう この膝元に すごい武士が集まる。

そしたら その人たちが
みんな ここへ立て籠もるわけだから

落とせない城になっていってるという。

お金はいくらもあるから
どんどん曲輪を500も造っちゃったと。

これだけ曲輪があるのも
本当に珍しいですよね。

(千田)すごいですよね。 やはり…

やっぱり逃げ込むのに
負けそうなお殿様の所に逃げ込んだら

一緒にひどい目に遭いますので。
勝てるほうに みんな逃げますから。

まあ すごい絶大な信頼は
地域からあったんだなというのが

もう お城の姿で すごくよく分かります。

さあ その難攻不落な月山富田城を
舞台にした戦いが 再び始まります。

次のチャレンジャーは
戦国一の知将 毛利元就です。

大内の大軍勢をはねのけた
名城 月山富田城。

月山富田城の戦いに敗れた大内義隆。

勢いの衰えた大内は8年後

家臣の謀反に遭い
自害することとなる。

大内に代わり
台頭したのが…

元就は大内を滅亡に追い込んだ家臣
陶 晴賢を奇襲攻撃で撃破。

元就の勇名を全国にとどろかせた…

主君の弔い合戦で勝利した元就は
大内の領国を継承。

一気に戦国大名へと変貌を遂げた。

これにより領国を接した尼子と毛利。

中国地方の覇権をめぐる戦いは
もはや時間の問題となった。

永禄3年。
両者の戦いを決定づける事件が起こる。

尼子の当主 晴久が急死したのである。

家督を継いだのは 僅か21歳の義久。

元就にとって好機の到来であった。

だが 大内軍の配下として参陣した
前回の戦いと同じ轍を踏めば

月山富田城は攻略できない。

難攻不落の城攻めを前に
まず元就が狙ったのは

当時 尼子の支配下にあった
石見銀山である。

元就は 石見銀山を守る尼子の家臣を調略。

尼子の経済基盤を奪取することに
成功した。

次の狙いが月山富田城の防衛網

尼子十旗を
崩壊させることである。

尼子十旗がなくなれば
月山富田城は孤立。

籠城戦の援軍は
見込めなくなる。

出雲の南を守る
赤穴城を皮切りに

およそ1年がかりで
尼子十旗を次々に撃破。

残るは月山富田城の北を守る
白鹿城であった。

その矢先
元就を不測の事態が襲った。

嫡男 隆元が
なんと急死してしまったのである。

このとき 隆元は毛利家の当主であった。

元就 すでに67歳。

当時の平均寿命を大きく超える
高齢である。

跡継ぎとなる
隆元の嫡男 輝元は

僅か11歳。

しかも ほかの息子たちは
すでに他家へ養子に出ている。

すぐに領国へ引き返し
内政を固めなければ

毛利家自体が
崩壊する可能性もあった。

ところが…。

元就は諸将を集め こう宣言した。

「隆元の供養は
尼子を退治するほかにない」。

隆元の弔い合戦を大義名分として

尼子との戦いを優先したのである。

最大の敵 尼子を倒してこそ
毛利家は安泰となる。

元就は 尼子十旗 最後の砦

白鹿城を陥落させた。

元就は3万5, 000の兵を率いて
ついに 月山富田城に迫った。

元就の心の内に分け入ってみよう。

第一の手段は 「力攻め」。

月山富田城を 力でねじ伏せることである。

だが 防御力に優れた月山富田城には

山中鹿介など
武勇に秀でた猛将たちがいる。

元就にとっても 手ごわい相手である。

また 力攻めで負け戦が重なれば

従軍した家臣たちの中から
寝返りが出る可能性も高い。

前回の戦いのとき
元就も こう主張した。

「力攻めなど無理である。

日本全土の軍勢をもってしても

この城を
たやすく落とすことなどできぬ」と。

では もう一つの手段
「兵糧攻め」はどうか?

敵の兵站線を断ち 直接の戦闘を避け
城を包囲し 自滅するのを待つ。

しかし 月山富田城には
長期戦に耐えられる工夫が施されていた。

実はですね ここに当時の井戸の跡が
残っているんです。

本当だ。 井戸って書いてある。
はい。

こんな高い所で こういうふうに
水が湧くっていうのは 本当に…。

そうですよね!
もう すばらしいことですよ。 ええ。

これ 湧いているんですか?
湧いているんだそうです。

これだったら 籠城できますもんね。
できますね。

…だったっていうふうに思います。

兵糧攻めに耐え
長期の籠城戦を可能とする

名城 月山富田城。

戦が長引き
万が一にも 高齢の元就が亡くなれば

毛利軍は崩壊。 敗北は必至である。

「力攻め」か 「兵糧攻め」か。

どうすれば
この難攻不落の山城を攻略できるのか。

元就に 決断の時が迫った。

あくまでも
力ずくに城を攻め落とすべきか。

それとも お城を包囲して

時間をかけて兵糧攻めにするのか。

2つの選択肢を用意しましたが

皆さんが攻めるとしたら

どちらを選択されるでしょうか。

まずは小谷さん どちらを選びますか?

私は 選択2の「兵糧攻め」を
選びたいと思います。

まあ まず常識的にいって
力攻めは無理だろうと。

さっき 磯田さんが スズメバチの巣だと
おっしゃっていましたけど

これは 本当に
素手でスズメバチの巣を

触りにいくようなもので
ありましてですね

私は やりたくない。

で まあ 恐らく…

この時代は まだ大砲は
日本に入ってきていないと。

そもそも このとき
元就は 月山富田城以外の

いわゆる尼子の支城群は
全部落としてやってきていますので…

ですので もう周りは
全部落としているわけですから

あとは この城を包囲して
気長に兵糧攻めで待てばいいという

選択肢がいいんじゃないかというふうに
思います。

飯田さんはいかがでしょうか?
う~ん 難しいんですが

私は ここは
「力攻め」すべきだと思うんですね。

で その理由がですね

時間をかけちゃいけない理由が
たくさんあると。

一つは やはり年齢的に
元就 もう60代後半。

何か 今のイメージでいうと
80代のイメージで。

何かのきっかけで
体調を崩してしまうかもしれない。

そして そうすると
嫡男といいますか 隆元もいませんから…

これ 結構厳しい。

もう一つは この戦い 結構…

例えば
大内氏が尼子氏を攻めるとしたら

名門の守護大名家に対して
尼子氏は守護代の家ですから

いわゆる…

…ということもできるんですが。

元就がですね
攻めているという状態ですから

時間がたてばたつほど
外からとか周りから

例えば 裏切りが出たり

または仲介に立ちたいっていう
大勢力が現れたり

そういった可能性を考えると
短期決戦に持ち込むというのも

手ではあるんじゃないかなと。
じゃあ 千田先生。

お城のこと
知り尽くしていらっしゃいますけど

千田さんは どちらを?
私はですね

選択1のですね
「力攻め」を選択したいと思います。

あの… いろいろあるんですけども
ぜひですね

ちょっと この地図を使って
ご説明したいと思います。

もちろん
これだけの大きなお城ですから

これを力攻めで落とすっていうのは
非常に難しいと思います。

しかしですね…

…でもあった というふうに思います。

実はですね 従来の
その大内氏の月山富田城攻めも

とにかく主要な部分ですね

月山富田城の西側の曲輪群を攻める
ということで戦いが行われて

撃退される
っていうことだったわけですけども。

実はですね この巨大な月山富田城の
東側の部分っていうのは

いろいろ記録を見ても
主要な城域とは ちょっと外れていまして。

ところが こういった所から…
回り込んで もし攻めることができれば

この部分というのは
避難している人も多いと思いますから

大混乱が起きて
みんな この本丸のほうへ…

この尾根筋で実は
つながっていますので

どんどんですね 入り込んでいって
こういうのを こう… 下げさせて

こちらの もう
あまり高さの差がない所から

中心部に一気に攻め込むことができると。

多くの人が逃げ込もうとしてくると
もう… とても

組織的に守ることもできませんので。

こういう力攻めの方法であれば
毛利の軍勢のほうにもですね

勝機はあったと思うんです。

このお城って
実は2つの構造を持ってて

詰めの城と こちら側の下の段にある
要塞地帯があるので

比較的 ここがですね
ここから こう登っていって

構造物もあんまり…

住民が立て籠もる用なのか
分かりませんけど

この辺のは丁寧に出来てないんですよ。

ところが ここに ちゃんと
山中鹿介の屋敷跡があるから。

山中鹿介は 自分が…

弱点が
よく分かっていることが分かるんですよ。

精強な山中軍をなんとか排除して
この山が取れたら

こっちとこっちに分断されてるから
こっちも攻めながら

この山中御殿
これを半分に分断する形で

あの… こういう戦っていうんですかね。

こういう形に持ち込まないと
いけないですね。

ベストケースですよね…。
うん ベストケース…。

まさに 住民を
立て籠もらせていたとしたならば

その住民っていうのは
結構 大きな制約になりまして。

それが 例えば 本丸のメインの所に
なだれ込んでしまうと

そこまで 飯 食わさなきゃならない
っていうことになると

それはそれで籠城が困難に
なるんじゃないかなと思うんですよね。

小谷さん いかがですか?
うん だから その 毛利側としては

何とか 中の兵糧を 早く消耗させる

いろんな策を打たないといけない
ということですよね。

まずやらないといけないのは…

兵糧の施設を忍者部隊でもって
消滅させることに成功させた場合は

6か月程度で
落とせる可能性があるんで

それと並行するのは当然ですね。 ええ。
う~ん。

毛利元就は およそ3万の大軍勢で
月山富田城に総攻撃を開始した。

力攻めで 城を
陥落させようとしたのである。

籠城する尼子軍は およそ1万。

城の3つの登城口で

激戦が繰り広げられること10日以上。

だが…。

終始 尼子軍は
3倍もの敵に対し勝利を得

さしたる大敗もなかったという。

一方の…

総攻めの愚を悟った元就は 方針を転換。

城を包囲し
徹底した兵糧攻めに転じた。

月山富田城を包囲するため

川を挟んだ山頂に布陣した毛利軍。

勝山城には

このときの元就の覚悟の程が
うかがえる痕跡が残されていた。

いや~ 来ました 来ました。

お~ すごい すごい!

ここに ず~っと
はるか向こうまで広がっているのが

戦国時代の山城で
全国的に非常に多く使われました

「畝状空堀群」という
そういう守りの施設です。

「畝状空堀群」とは

侵入する敵の動きを限定し

上から攻撃をしやすくする
防御の工夫である。

現在は
これぐらいの深さなんですけれども

実際には もっと深くて

三角形にとがった溝状になっていた
っていうふうに考えられます。

ですから 溝の中に入ってしまうと

隣の溝の中が どうなってるか
竪堀の中がどうなってるかは

お互いに見ることができなくなって

敵としては 集団で
作戦を取りながら攻めるっていうのが

大変 難しくなりました。

城兵としては 弓矢とか あるいは
大きな石を用意していただいて

ちょっと これ 転がしていただきますと

ボウリングのガターってありますけども
まさに この溝の中を

ごろごろ ごろごろっと
大きな石が転がっていきますから

ずっとここに並んでいた敵の足軽たちが
ばたばた ばたばたばたっていうですね

ガターみたいに倒れていくっていう

必殺のですね 防御施設だったわけです。

大規模な土木工事をしてまで…

あ~… ここからはですね

月山富田城が 一望でありますね。

この月山富田城を見下ろす周りの山々には
それぞれ かなりですね

本格的な工事をした毛利軍の陣地
陣城がですね

連綿と築かれていました。

これほどの備えをしなければ
毛利元就であっても

月山富田城を攻めることが
できなかったっていう…。

この毛利軍の厳重な備えっていうのは

それは もう 別の見方をすれば…

見事に物語ってるというふうに思います。

周囲に要塞を築き
完全に月山富田城を包囲した元就。

城内では
次第に兵糧の不足が深刻化していた。

その隙をつき
元就は城内の離反を狙い

しきりに
調略を仕掛けたという。

それが功を奏したか 城内で事件が起こる。

当主 義久が 「謀反の疑いあり」と

重臣の宇山久兼を処刑したのである。

これを機に 尼子の家臣たちは
次々と毛利方に下った。

そして…

ついに義久は 元就に降伏を申し入れた。

毛利の総攻めから1年7か月。

戦国史上まれに見る籠城戦であった。

このとき 毛利の重臣たちは

将来に禍根を残さぬよう
義久の命を絶つことを主張した。

だが 元就は

「助けてやるのが
武士たる者の法」として

義久を許したのである。

尼子滅亡。

しかし 戦国一の知将 毛利元就ですら

月山富田城を武力で陥落させることは
ついに できなかったのである。

月山富田城に籠城した尼子は降伏。

しかし 元就は 難攻不落の城を
陥落することはできなかったんですね。

小谷さん この元就の攻略法
どう思いますか?

はい すばらしいと思います。

もう 本当 2年近くもですね
包囲を続けたという… もう

これは執念に近いものが
あったというふうに…。

冬 越えてますもんね。
ええ。 思います。

さらに ただ これは
包囲していただけじゃなくてですね…

特に
尼子の中心になった宇山久兼をですね

讒言によって
処刑に追い込んでるんですよ。

宇山っていう人は もともと
尼子の忠臣でありましてですね

さらに この籠城を
実は 陰で支えてた人物なんです。

毛利側が 非常に狡猾なのは

その中心…
キーパーソンである宇山をですね

わざと 「実は 裏で毛利とつながってる」
といううわさを流してですね

で 讒言によって
処刑に追い込んだということで

この離間策は
私は 見事だというふうに思います。

見事な策ということで。
千田さんは どう思いますか?

元就は すごいなあと思いましたのは
先ほど 勝山城っていう

恐らく毛利元就の
本陣にしていただろうという

月山富田城を
一望に見下ろす

川を挟んだ
真向かいの所にですね

付城
陣城を造るんですが

月山富田城側に
向けたほうにですね

畝状空堀群っていう…
敵が もし斜面を登って攻めてくれば

一網打尽に撃退するぞっていうですね
そういう施設を

うわ~っと こう 造っているんです。
しかし

その尼子軍が川を渡ってお城を出てきて
その山に…

毛利方のですね 陣のある山を登って
本陣に到達してくるなんていうのは

ちょっと まあ 考え難い情勢なのですが
やっぱり その…

勝山城側から あれほど
月山富田城が見えるっていうのは

月山富田城からも よく見えていて

それを みんな 尼子の足軽に至るまで
見ているわけですから

元就は本気だ! っていうですね
あのすごさっていうのは

本当に もう あらゆる…
そういう相手の心を

いかにくじくかっていうとこを含めて
攻めてるっていうですね

まあ 見事な戦いだなっていうふうに
思いました。

そういう表れでもあるんですね。

飯田さんは どう考えますか?

このとき 重要なのって

相手にとって
この籠城戦の終点というのを

悟らせないっていうことだと
思うんですよ。

それこそ 雪が降るまで耐え抜けば
なんとかなるんだって思ってしまったら

絶対 降伏しないですし
人間 不思議なもので

終わりがないとか…

だからこそ 一番の重臣が
裏切るかもしれない。

もしかしたら
合理的な精神状態であったら

重臣たちが裏切るっていうのは
考えられなかったとしても

どんどん どんどん
うたぐり深くなっていくと

何でもありになっちゃって

手紙… 偽の手紙
見え見えの偽の手紙とかにも

引っかかるようになる。

それこそ 付城群を築いて
大規模な設備を行うことで

もう ここに 半永久的にいますよっていう
雰囲気を出したんだと思うんですよね。

そうですよね。
2年も攻めあぐねたっていうのは

一方で この月山富田城の強さを
表していると思うんですけど。

小谷さんは いかがですか?

どうして この長期の籠城が

可能だったんでしょうか?

私は この月山富田城というのは
もう 最初から

この長期の籠城にですね
備えるようなですね 思想で

建設されたという城だったんじゃないか
というふうに思います。

そこに 平時から山城に住むっていうのは
結構 これ 珍しいことですよね。

ですから もう 平時から
常に戦に備えてですね…

もう一つは やっぱり 私は

一度 大内氏や毛利氏に勝ってると
要は 籠城で。

やっぱり その事実が
大きかったんじゃないかと。

だから 今回も 籠っていれば

なんとかなるんじゃないか
というところでですね

家臣団も結束できたんじゃないかな
というふうに思います。

それと あと ここは やっぱり
何で こんなことができるかっていうと

古代以来 鉄に支えられた出雲文明だと
思うんですよ。

出雲文明?
うん。 この出雲文明の中心地があって…

2つの…

ですから 神話時代以来続いてる
文明の所っていうのは

何か いろんなものがある…。 そもそも

あんな巨大な出雲大社の大構造物を
造る建築文化があるわけですから

それを代々造ってきたわけですから

いい大工もいれば
土木工事の伝統があるので

その文脈で
月山富田城の出現っていうのは

やっぱり考えたほうがいいのかなと。

あ~ 面白い。

山陰の雄 尼子を滅ぼし

ついに中国地方の覇者となった毛利元就。

毛利の城となった 月山富田城。

しかし この城を舞台に
みたび 合戦が幕を開ける。

尼子との死闘から3年後。

隠岐から軍船に乗り込んだ
尼子の旧臣たち200人が

ひそかに
毛利領に上陸を果たしたのである。

尼子家の再興に燃える…

武勇誉れ高い尼子の武将である。

鹿介のもとには
尼子の旧臣たちが続々と集結。

その数6, 000人に及んだという。

このとき 毛利の主力軍は

北九州で
大友氏との戦いに駆り出されていた。

月山富田城に残された毛利兵は

僅か300。

対する鹿介率いる…

攻め手の多くは
月山富田城に精通した

尼子の旧臣たちであった。

毛利軍は 軍勢のはるかに勝る尼子方に
降伏を申し入れた。

それを受け 尼子の旧臣を
城内へ迎え入れた そのときである。

(銃声)

入城した尼子軍に 毛利は一斉射撃を加え
だまし討ちで撃退したのである。

以来 月山富田城は
鹿介たちの攻撃を寄せつけず

戦いは 翌年にまで もつれ込んだ。

やがて
毛利の援軍が到着したことにより

鹿介たちは撤退。

月山富田城の奪還に失敗した鹿介は
その後も 毛利との死闘を繰り広げた。

しかし 尼子家の再興かなわず

戦いから8年後
非業の死を遂げることとなる。

月山富田城の一角には

悲願を果たせなかった山中鹿介の
祈りの像が

ひっそりと たたずんでいる。

名門守護大名 大内義隆。

中国地方の覇者
毛利元就。

そして 忠義の武士
山中鹿介。

名だたる武将の前に
立ちはだかり

彼らの夢を打ち砕いた
月山富田城。

そこは 兵どもの悲劇の舞台ともなった。

はい 結局 尼子の旧臣 山中鹿介も

月山富田城を攻略すること
できませんでした。

かつての自分たちの城でも

この難攻不落の城は落とせないんですね。

そういうものなんですか? 千田さん。

はい。 これはですね

まあ やっぱり
そうだろうと思うんですね。

実は もともとのお城があって
それを攻め落とした場合っていうのは

当然…

…っていうことをするのが
一般的でした。

この月山富田城も 尼子氏のあとですね
ずっと改修が続けられて

最終的には 近世初頭までですね ずっと

石垣を大々的に造るところまで
改修が進んでおりますように

恐らくですね
月山富田城を手に入れた毛利元就は

即座にですね
その弱点を改修したっていう

そういうことをしたんだと思います。

毛利バージョンになっているわけですね。
そうなんですよ!

ですから…

あれ? みたいなですね。
ハハハハ…。

そういうことがあったんじゃないかと
思います。

しかも 「これから 城を開きますから」
みたいなことを言って

だまし討ちにしちゃって
おもだった強そうなやつ

撃ち殺してるはずですから。
うわあ…。

あと やりにくいったら
ありゃしないという。

6, 000の兵もありながら300しかいないのを
攻めきれなかったっていうのは

ちょっと山中鹿介を
みんな 褒める人 多いんですけど

僕 ちょっと 疑問に思うんですよ。
今 磯田さんが ちょっと

6, 000で落とせなかったのは
どうかとおっしゃいましたが

私 必ずしも これ 全軍を
投入できたわけではないと思います。

さすがにね 300の守備兵に対して
6, 000で攻めれば

さすがに落とせるような…
私は 気がします。

だから このとき 恐らく
いろんな方面に兵を割いてたので

一点集中できなかったのかなというふうに
思いまして。

私は 逆に ですから
それを すべきだったと 山中は。

むしろ ある兵力を 全部
月山富田城に集めて

何が何でも
あそこを落としておくべきだと。

なめちゃいけない城なんです! これは。
なめちゃいけない城。

ただ 落としたときの価値っていうのは
絶大ですから。

…というふうに思いますね。

この戦いって 最初の一撃でしか

勝つチャンスがない戦いだと
思うんですよ。

というのもですね 今や…

なぜならば…

必ず来るんですよね。

必ず援軍が来ると分かっていたときの
山城の強さっていったら

もう これは ないわけですから
落とせるとしたら

一番最初に まさに すべての力で
一撃で落としておかないといけない。

講和交渉のときに 三方を包囲してるから
出ていくんなら勝手に出ていけと。

何日を期して総攻撃をすると
言っときゃいいのに

そんな敵が まだいる城内に
入るなんていうのは

絶対に やってはいけないことで。
山中鹿介のこういうところが

何か ドラマ的には面白いね。
ちょっと魅力あります それはね。

純粋なのかもしれないですね まっすぐで。
そうだね。

忠義の人でしょうし。

この6, 000人 集まったっていうところに

山中鹿介 軍略を褒められることが
あると思うんですけれども。

ですから そうなりますと

尼子の与党たちであったり
重臣としては…

当時の人 みんなに共有されていたので

アイコンが1人立てば
そこに ぎゅっと集まるんです。

そうでしょう そうでしょう。
うん うん…。

今回は
「悲劇の山城スペシャル」ということで

第1回
「月山富田城」を お送りしてきましたが

難攻不落の山城 月山富田城。
磯田さん どういうふうに感じましたか?

まずね…

…っていうことを
最後に ちょっと 言いたいですね。

例えば 毛利は
あの月山富田城を落としたんで

もう 絶大な
中国山脈の山々にいる豪族の信頼を得て

10か国以上の王になって
覇者になったわけですよ。

一方 徳川家康も
難攻不落の豊臣大坂城を落としたんで

やっぱり 260年の平和の礎になったと
言っていいと思うんですよね。

あんだけのお城っていうのは
なかなかないので

今度は やっぱり ちょっと怖いけど

上がってみたくなったね 今日は。

でも それだけ その強さが やはり 今

地元の皆さんにも愛されて
誇りになっているお城ですよね。

皆さん 本日はありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。

アメリカのサンフランシスコに
やって来ました。


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