先人たちの底力 知恵泉「事を成す生き方とは?逃げて勝つ!桂小五郎/木戸孝允」幕末、激動の時代に活躍した人物から…



出典:『先人たちの底力 知恵泉「事を成す生き方とは?逃げて勝つ!桂小五郎/木戸孝允」』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉「事を成す生き方とは?逃げて勝つ!桂小五郎/木戸孝允」[解][字]


幕末、激動の時代に活躍した人物から、事を成すための知恵を2週にわたって探る。今回は、薩長同盟の密約を交わし、維新の立役者の1人となった、桂小五郎の生き方に迫る。


詳細情報

番組内容

幕末の長州藩士、桂小五郎、後の木戸孝允。薩長同盟や廃藩置県などの功績を残した。しかし桂は、「逃げの小五郎」と呼ばれるほど、危険を察知すると、逃げた。幕府に追われ、物乞い、荒物屋、寺男となり各地を転々、潜伏を続けた。それは決して保身だけではなかった。無謀な争いを避け、情報を得、自分を活かす機会を待つ。そんな姿勢が混乱の時代には必要だ。逃げるは恥だが、桂なりの美学と信念があった。その生き方に迫る。

出演者

【出演】甲野善紀,藤本隆宏,萩博物館総括学芸員…道迫真吾,【司会】新井秀和



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先人たちの底力 知恵泉「事を成す生き方とは?逃げて勝つ!桂小五郎/木戸
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  12. 薩摩
  13. 薩摩藩
  14. 志士
  15. 時代
  16. 必要
  17. 尊皇
  18. 達人
  19. 日本
  20. 結構


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誰でも危ない冒険は避けたいもの。

冒険せずにチャンスをつかむ方法って?

自分を生かして 事を成すためのヒントが
先人たちの生き方にはあります。

今回 お送りするのは
幕末の長州藩士 桂 小五郎。

後の木戸孝允です。

桂は 西郷隆盛の薩摩藩と
薩長同盟を締結し

明治の新たな日本へと導いた
長州藩のリーダー。

桂は 「幕末の三大剣術」といわれる

「神道無念流」の免許皆伝を持つ
剣の達人でもありました。

ところが 桂は 政変の度に
危険を避け 逃げ続けました。

付いたあだ名は…

そのあだ名が示すように
長州藩のリーダーでありながら

ドラマでは あまり主人公にはならない
いわば名脇役なのです。

逃げてばかりの桂が
日本を動かすほどの

大きな功績を残せたのは
なぜなのでしょう。

その謎に迫り 桂 小五郎の知恵を読み解く
今回の仕事人は…。

えい!

武術の研究と指導を通して

効率的な体の使い方を提唱しています。

スポーツや楽器演奏 介護の分野にも応用。

無駄な力や動きを省き
疲れにくい方法など

独自の理論が関心を集めています。

甲野さんは 自然と共に生きたいと
大学で畜産を学びますが

効率を最優先する
現代的な畜産業に失望し 断念。

そして 人間と自然を探求するため

武術の道を究めようとしました。

それ以来 徹底的に武術の鍛錬を重ね
技と心を磨いています。

そんな甲野さんは
剣の達人でありながら剣を抜かず

維新の立て役者となった
桂 小五郎の知恵を

どう読み解くのでしょうか。

今回は 桂 小五郎ですけれども

甲野さん 桂 小五郎はね
剣の達人でもあったようですけれども。

そうですね 練兵館の塾頭を
やってたみたいですからね。

どんな印象ですか?
何か スマートな感じっていうの

ありますよね。 写真も残ってるし
見た目もそうですし。

結構 女性に騒がれるような
人だったんじゃないですかね。

なるほど。 藤本さんは ドラマではね
前回の山岡鉄舟ですとか

あと西郷隆盛を
演じられてますけれども

どうですか その 同じ時代を生きた
桂の印象というのは。

何か こう 色が白くてかっこよくて

でも 剣術の達人ではあるけれども

少し ひょうひょうとしてるような
そんなイメージで

山岡鉄舟とは 全く違うイメージで。

私は この役をやることないなと思ってる。
そんな感じですけれども。

そんな かっこよさを持ってる方ですね。

今日はですね
このお店 初来店なんですけれども

萩博物館学芸員の
道迫真吾さんでいらっしゃいます。

はい よろしくお願いいたします。
地元でね

桂 小五郎の研究をされてる
というわけなんですが

桂は 脇役の印象ですけれども
そんな立場も必要とされたから

事を成せたっていうことなんでしょうか。

はい そうですね。 桂 小五郎も
その時代の推移とともに

だんだん この時代に必要とされる

まあ ある意味
だんだん主役になっていったような

そういう人物だったんじゃないかな。

非常に こう…

そういう人物だったんじゃないかなと
思っています。

少~しずつ
力を発揮していくわけなんですね。

今日は どんなふうにね
その力を発揮していくのか

見ていこうと思うんですけれども
今夜のメニュー こちらでございます。

名脇役ですね。
ええ 「名脇役」っていうとことね

桂 小五郎ですので
「桂むき」ということで。

では 最初の知恵でございます。

幕末 政局の中心が
京都にあった頃

桂 小五郎ら 尊皇攘夷派の長州藩と

幕府側との対立は激化していました。

長州藩のリーダー格で
外交担当だった桂は

京都で情報を収集し
公家や他藩と密会を重ねました。

すると 幕府側の新選組に追われ
命を狙われますが

桂は 決して斬り合いません。

剣の達人でありながら
刀を抜かずに逃げるのです。

1864年 京都の治安を守る新選組が

土佐 長州 尊皇攘夷派の
秘密会合を奇襲した池田屋事件。

突如4人の新選組が突入

十数人が死傷 二十数人が
捕らえられたといわれています。

長州藩士 乃美織江の手記によると

この時に桂が取った行動は
こう記されています。

戦いに巻き込まれずに 巧みにかわして

窓から逃げたというのです。

池田屋事件をきっかけに
長州藩の急進派が

京都での政治復帰のため進撃。

会津 薩摩藩などの軍と衝突した…

この時 急進派に対し 桂や高杉晋作は

武力による強攻策は
朝廷に にらまれるだけだと

挙兵に反対します。

そして 桂は 京都にいながらも
戦いには加わらず

長州軍は敗れてしまいます。

過激派の志士には 桂を
「臆病」だの「卑怯」だのと

罵る声もありました。

結局 あの…

彼らは やっぱり…

桂は こうした観念論的な志士とは違う
現実主義者でした。

しかし 一方で 桂は
こんな言葉を残しています。

その言葉が意味する
桂の信念。

それは「尊皇」です。

しかし 禁門の変によって 長州藩は

朝廷に背く敵 「朝敵」とされ

幕府や薩摩藩などによる

第一次長州征討が始まります。

すると 長州藩のリーダー格である
桂への捜査は 一層 厳しくなり

桂は 生き延びるため
潜伏生活を始めます。

その姿勢には
かつての苦い経験が影響していました。

17歳の時 同郷の吉田松陰の講義を聞き

尊皇の大義のために生きることを
胸に刻みました。

しかし 過激な攘夷を訴えた吉田は
あっけなく処刑されてしまいます。

ある時は物乞いに
また ある時は女装するなどして

京都で身を隠します。

この時 ひそかに桂を助けたのが
芸者の幾松でした。

幾松が 桂に握り飯を差し入れ

また 宴席で交わされる
各藩や幕府方の情報を巧みに入手し

桂に伝え ようやく 逃げ延びることが
できたといわれています。

幾松は 身を挺して桂を助け

桂も後に 身分の壁を越えて
幾松を正妻として迎えています。

その後 桂は 京都を脱出して
兵庫の出石へと移り

ひっそりと
雑貨屋を開いて暮らします。

長州藩にも戻らず 一向に動かないのです。

なぜなのでしょうか?

桂が潜伏していた この時
長州藩の政情が変化します。

攘夷派に代わって
改革の行き過ぎを是正する派閥が

政権を握ったのです。

そして 禁門の変を理由に

幕府が 第一次長州征討の軍を起こすと

長州藩は 幕府に恭順 謝罪しました。

その反省の意を示すため
3人の家老に切腹させ

4人の参謀を処刑。

藩主も謹慎し 戦いを免れました。

更に 過激派や改革派と目される藩士も
粛清されていました。

桂も 長州にいたら
命がなかったかもしれません。

逃亡暮らしが幸いしたのです。

半年もの逃亡生活の末
桂に転機が訪れます。

第一次長州征討で 幕府に恭順した
藩に不満だった高杉晋作は

兵を率いて決起し 勝利。

攘夷 改革派が政権を奪取します。

これを見た幕府は 今度こそ
長州藩を討ち滅ぼそうと

第二次長州征討の軍を起こします。

対して長州藩は 既に 外国の
四国連合艦隊に大敗を喫するなど

軍事力に乏しく
圧倒的に不利な状況でした。

幕府に対抗するには 軍事力強化のため

他藩の協力が不可欠だったのです。

四面楚歌の長州藩には
藩内外のまとめ役として

人脈 情報 経験が豊富な
桂の力が必要になります。

そして桂は 藩に戻るよう求められます。

信念のもと
逃げることもいとわなかった桂。

それでも賛同して頼ってくる仲間には
優しく尽くし

信頼を得ていたのです。

そのことが うかがえる資料が
残っています。

20歳の頃から桂が通っていた
剣術道場のあるじ

斎藤弥九郎から送られた書簡です。

「素行の悪い塾生たちが

根本という若者を軽率に扱うので

指導してほしい」と桂に依頼しています。

当時 道場の塾頭となり
3, 000人もの門下生を まとめ上げた桂。

荒くれ者も しつけられるだけの
人望があったことを物語っています。

藩内では 桂を呼び戻す
説得役の人選を始めます。

長州藩士が行けば 目立ってしまい
危険が伴います。

かといって 生半可な人物では

慎重な桂が信用しないことも
考えられました。

その役を託されたのは
なんと桂の逃亡を助けていた

あの幾松でした。

幾松は 藩内事情を記した手紙を持ち
出石で桂と再会。

手紙を見て 藩内の情勢を知ってもなお
慎重に思案する桂。

その背中を幾松に押され

自分が必要なタイミングだと理解し
ついに戻ることを決意。

この時に桂は…

こうして1865年4月
長州藩に戻った桂は

今で言う 官房長官や
副首相といったポストに任命され

迎え入れられます。

まず 彼が…

そういうものを とにかく…

…ということに
まず 一生懸命になりますね。

そういう点では…

オーガナイザーとして その調整力を
発揮できるまで待つことに徹した桂。

その知恵が 功を奏し

長州藩のリーダーとして
信頼を得て 役目を果たしたのです。

自分が必要とされる時まで
動くなということでしたけれども

甲野さん いかがでした?

その自分の… だから…

何か そんな感じがしますよね。 この人は。

まあ もちろん そら
逃亡生活で絶望して

このまま もう ずっと
こういう隠れた形で

生きていかなきゃいけないと思ったことも
あったかもしれないですけど

それでも どっか
いつか自分はという思いは

あったんじゃないかな
という気はしますけどね。

逃げるというと どっちかというと
否定的なね イメージがありますけど

どちらかというと まだ早いと。

まだ早いと。
動くのは早いというようなことも

彼の計算にはあったんだろうと。

ひょっとしたら…

…ということも ひょっとしたら
脳裏にあったんではないかなと。

そのぐらい危険な領域に
踏み込んでますので 長州藩自体が。

で 桂 小五郎という状況自体も もう
幕府から相当にらまれてますので

そういう意味では
もう どこでっていうのを

ずっと絶えず探ってたんじゃないかなって
思いますけどね。

まあ 「逃げの小五郎」なんていうふうに
いわれることもありますけれども

甲野さん どうですか?
剣の達人でもありながら

何か 逃げるっていうのは。

もともと 神道無念流っていうのは

戦わないっていうのを
ある面 美徳にしてて…。

要するに 老子の言葉にある
「武は不祥の器」っていうのがあって

だから 剣は 不祥の器であり…。

不祥というのは不吉なことだ
という意味で。

ですから…

なるほど。
甲野さんご自身は 今の生活の中で

時期を見計るって…
待った経験とかってあるんですか?

いや まあ 結果として 待ったというか…。

私の20代は 本当に灰色で

自分は 将来
どうしようかなっていうのがあって…。

まあ そういう中で…

それにも これはどうだかなあと思ったり
いろいろ迷いも多くて

まあ 私 このごろ よく言うんですけど…

気付いてしまったんですよ。

それを 実際の上でやるには
武術の世界が一番いいだろうと思って。

それで もう
無謀にも 29で独立するんですけど…。

金はない コネはない
あるのは 時間と情熱だけっていう。

へえ~。
要するに 自分が武術研究会というのを

立ち上げて それからは
本当に どうしてっていうくらい

本当に 自分が
何をやったという感じじゃなくて

ただ 運がよかったってだけのような
気がしますけどね。

だから やっぱ 桂 小五郎を見てて
そういう面での共感はありますよね。

藤本さんは いかがですかね?

状況を正しく分析して
自分が行動するっていうのは…。

本当に 待つ 逆に力があるというか…

先生の言葉にあったように

無駄だったことが 実は すごく
プラスになってたこともあるだろうし

自分自身も 実は すごく 俳優になって…

ほとんどなくて で 待って 待っていたら
ある方から声かけ頂いて

テレビでデビューさせて頂いてですね。
そういうこともあるから…。

でも セリフもない時代っていうのは
やっぱり 「ああ いいな。

セリフがある人 羨ましいな」
と思っていながら

やっぱり 見ながら いろんなことが
学ぶことができたので

逆に それが
すごくプラスになってるというか

今 セリフ一つ頂いたら
それを大事にしようっていう心が

逆に芽生えたりするっていうことは

すごくいいことなのかな
と思ったりもしてますね。

何かね 今って
すごく忙しい世の中っていう感じがして

早く答えを欲しいっていうふうに
思ってしまいがちですけれども…。

でも 私 オリンピックに
2回行かせて頂いて

オリンピックは
4年に1回しかないんですよね。

その4年間の間って
いろんなことがあって

よかったり悪かったりして
でも 4年スパンとか 8年スパンで

物事を考えていく時に
セリフがない時代も…

水泳というか
スポーツが教えてくれたんで

それを信じてやってて
今の自分があるというか

4年間は我慢しようというようなことを
思ったりしてます。

へえ~。
何か 桂さんと近いじゃないですけども…

道迫さん どうなんですかね
桂が目指したビジョンというのは

具体的に どういうものだったんですか?
そうですね。 やっぱり

当時 幕末の日本で 結構
流行語と言ったら 言い方変ですけども

尊皇という言葉が
しょっちゅう目につくと思います。

そういうところが 桂 小五郎の
哲学的なところになりますけどね。

強い精神力というか
…があったんじゃないかなと。

それは あれですか?
桂は 尊皇ってビジョンのもとに

古い体制を変える役割を長州が担える
というふうに

思ってたということなんですか?
そうですね。

当時 やっぱり 背景には 実は…

どういうふうに
幕末の日本を救うかっていうところに

侃々諤々 志士と呼ばれるような人たちが
議論をしながら向かっていくんですけど

その時に 一つのキーワード
やっぱり 尊皇っていうのがあって

当時で言うところの幕府ですね。

これは もう…

その時に ピタッとくるのが長州 そして
なかんずく その桂 小五郎とかですね

そういった人々が けん引していって

時代の先駆けになっていった
というところは

一つ言えるんじゃないかなと
思いますけどね。

そして あの~
桂の信頼されてた面について

ちょっと伺っていきたいんですけれども
藤本さん 幾松にも信頼されてたように

まあ 言ってみれば
逃げていたにもかかわらず

やっぱり 桂だっていうふうに思わせる

何か 信頼させる何かっていうのは
何だったんですかね。

でも すごく女性から見ても
何か かわいい存在というか

ピュアな心を持ってる方だったのかも
しれないですよね。

あと やっぱり 桂 小五郎が若かりし頃
江戸に 当然 修業に出るという時に

あとから 長州の若い者が来るわけですよ。
若い志士たちがですね。

そうすると
結構 貧乏な子たちが来るんですね。

かなり 飯を食わせてもらったり
酒を飲ませてもらったり

いろいろ 遊び事させてもらったと。

こういう懐の広さというかですね
気風のいい大将みたいな…。

面倒見てあげて…。
面倒見がいい。

そういうとこが 非常に好かれたんじゃ
ないかなと思いますけどね。

長州藩の体質というか…。

長州藩って あまり
殿様が出てこないじゃないですか。

あまり 毛利敬親という殿様が出てこない。
これは つまるところ

家臣の 割と こう 自由性 自主性

これを結構 重んじる気風が
あったんじゃないかなと

私は思ってるんですが その辺の…
桂 小五郎さんに引き戻すと…

いい話ですね 何かね。 すごくね。

だから まあ 組織っていうものって
ある意味で すごく… 便利は便利だけど

縛ってるとか いろいろあるんで…。
私も 前は 小さな会やってたんですよ。

それを ちょうど
2003年で会を解散したんですよね。

で もう ソロっていうか 1人になって…。
そうなってからですよね

私のところに稽古に来て すごく上達して
ほかの人にも教えられるっていうか

ほかの武道関係者と手を合わせても
驚かれるぐらいの人ができたのは。

だから やっぱり 組織っていうのは…。

もちろん どうしても会社とか いろんな…
必要ですけど

できるかぎり 組織の中で…

だって 親しい友達同士って
別に 会じゃないじゃないですか。

そういうことじゃなくて親しい
っていう感じが…。

だから そういうものが一切ないと
本当に 交流が逆に密になるんですよね。

だから本当に稽古をしたいっていうような
人だけが集まってきますよね。

それぞれの個性が伸びるようにした方が
いいと思いますけどね。

さあ 長州藩に返り咲いた
桂なんですけれども

その後 更に 大きな仕事に取り組んで
いくことになるということで

その知恵を見ていきましょうか。

第二次長州征討を目前に
桂は この危機を打開するため

改革に乗り出します。

まず 着手しなければならない
長州藩の最大の弱点は

武器が圧倒的に足りないことでした。

フランスをはじめとする列強諸国が
幕府に敵対することを恐れていたため

長州は 外国製の武器を
輸入することができませんでした。

桂は この長州藩存亡の危機に

リーダーとして
どう向き合ったのでしょうか。

桂は この危機的状況を
長州藩の要職に就く者に

客観的に認識させ
一丸となることを目指します。

そして これまで争いを繰り返してきた

宿敵 薩摩藩と手を組むという策に出ます。

薩摩と組めば
武器と幕府に対抗できる仲間が

一度に得られる。

強い者には発想できない
弱さを認識しているがゆえの

画期的な方針転換です。

そして ついに 薩摩藩の協力を取り付け

薩摩藩名義で 外国製の小銃7, 300丁と
木造蒸気船を購入することに成功。

武器の購入を通して

薩長間の感情的な対立は
緩和されていったのです。

更に 桂は
薩摩藩と同盟の密約を結ぶため

京都で西郷隆盛と会談をもちます。

薩摩藩が目指すのは

いずれは 幕府に代わり
政権を担うことなのではないか…。

それならば
長州藩と組むのも いとわないはず。

ところが 会談はスムーズには運びません。

第一次長州征討の最終処分として

幕府は 長州藩に対し
10万石の領地の削減を求めていました。

西郷は その処分を まずは
受け入れたらどうかと提案したのです。

桂は この提案を拒否します。

これだけやったら許してやるよという。

どんなことを言われたって 長州は…

…いうことで 随分もめたみたいです
これは。

会談は平行線をたどり
10日ばかりが過ぎた時でした。

桂は ある提案をします。

それは まだ この段階では

薩摩が 直接 幕府との武力衝突を避けたい
という意をくんだ上で

長州の覚悟を示すものでした。

そのことをうかがわせる資料です。

会談の後日 桂が
仲介者の坂本龍馬に送った書状。

同盟における薩摩と長州
それぞれの役割が記されていました。

つまりは 「幕府との戦いは
血を流すのは長州で

薩摩は 周辺の支援や朝廷への政治工作を
してくれればいい。

長州の弱い立場をさらし
決死の覚悟であること。

だから どうか 力を貸してほしい」と
頼んだのです。

桂の思いは 西郷に伝わりました。

1866年1月21日。

念願の薩長同盟の密約が結ばれました。

桂は 書状に その思いを示しています。

この薩長同盟が 日本の道筋を決める

大転換点になると確信したのです。

尊皇の大義のために

妥協も屈辱もいとわず
事を成し遂げた桂の

喜びと誇りが伝わります。

同盟締結から5か月後
第二次長州征討が勃発。

薩摩は 盟約どおり兵を率いて

幕府軍を後方から脅かしました。

長州軍は 薩摩を介して得た外国の兵器で
幕府軍に勝利。

これまで朝敵とされ
四面楚歌だった長州が

一気に立場を逆転することに
成功したのです。

桂は こんな言葉を残しています。

自らの弱さを認め
仲間を得たことによって

日本を明治の新国家樹立へと
導いていくのです。

「弱さこそ 力を合わせる最高のきっかけ」
ということでしたけれどもね。

自分の弱点を やっぱり
ちゃんと認めていくと

何か あの~ 気付かないことが
気付いたりとか…。

で 人って 何だろう…

母性本能じゃないですけれども
そんなこともあるから

自分が こう…
弱い人ですって言うことって

すごく怖いことだと思うんですけど
でも そうやって正直に言うと

助けてくれる人も たくさんいるから

その力を使って
何か物事を成し遂げるっていうか…

VTR見ながら思いました。

藤本さんは
水泳選手だった頃もそうですし

今の役者としてもそうですけど
弱点ってあるんですか?

たくさんありますよ。
そうなんですか?   たくさんありますよ。

気が弱かったり 本番に弱かったり
今でも こうやって緊張してますけども。

ええ… ありますね。

でも 緊張しない役者は育たないとも
言われたりするので

その緊張感を うまく自分の演技に
変えていくじゃないですけれども。

そこも何か いいのかなと最近思って
演じているんですけど

なかなか でも難しいですよね。

甲野さん どうですか?
弱さを知るっていうのは どう思います?

私の場合 自分が もう相手にして
すごく苦労した相手とか

そういうのは 一切
適当にごまかしたり あれをせずに…

自分の技が
効かなかったことっていうのは

そういうのは もう忘れて
なかったことにしたがる人が

結構いるんですけど やっぱり…

自分にとって…

自分の未熟さとか より いろんな対応を
教えてくれてるわけだから。

やっぱり そういう人は
すごく大事にするというか。

自分が…

弱さに向き合うっていうことなんですか。
そうですね。

その分 弱さっていうのは
まだ未熟と考えれば

伸びしろが
うんとあるわけじゃないですか。

そうですよね。 自分の限界を
決めてしまわないということでも

あるかもしれないですよね。
自分が強いと思ったら

それ以上いかないけど 弱いと思うと
本当に伸び率が高くなるので

成長できうるというのが…。
こんなもんじゃないと思い続けてたら

違う道が開けたけど…

あの時 なんとか
あの状態を維持しようって

守りに入るじゃないですか。

私の場合は これが正しいとか
いいとかっていうのを 常に疑問符で

本当に
これがいいんだろうかっていうか

自分が「まだだ まだだ」と
思い続けてるから いつも。

例えば 刀は こういうふうに
剣道でも何でも

離して持ちますけど

昔の絵を見ると みんな
つけて持つんですよ。

ある時に それが
つけるんだってなったら

もう その日のうちに
何十年も今までやってきたのに

背中が こう 山脈が ゴ~ッて
大陸が移動するみたいになって 一晩で。

へえ~ あっ そうなんですか。
うん。 刀 こう 離して持ってたのを

つけて持つようになった。
へえ~。

じゃあ 自分の目的が はっきりしてたら
もう そのためだったら

もう 余分なこと考えずに
パッと変える必要性…。     そうですね。

そして 桂は 長州は こうするから
薩摩は こうしてほしいみたいなことを

うまくプレゼンできたっていう。

人を納得させるプレゼン法みたいな話を
していこうと思うんですけれども。

甲野さんは 武術って 何て言うか

感覚みたいなところも
あると思うんですけれども

そういうのを教える時に
言葉にするのって難しくないですか?

それは難しいですよね。
分かりやすい場合もあるけど。

でも その時 私…
一番伝わったなと思ったことがあって

それは もう その人に教えてあげるとか
っていう感じじゃなくて

「あっ これって こうなってるんだ」って…

よく こういうのって以心伝心というか

ある状況… 相手も ある程度のレベルで
ずっと来てる時には

こっから こう教えるんだって
それこそ… 言うと

向こうは 「はい 教わります」っていうか
頭が働いちゃうけど

人って 何か言ってる時に
思わず誰かの話って

聞き耳立てるようなとこあるから…

昔 職人なんかでも
仕事を盗めっていうのは

ある種 その…
薫陶っていう言葉がありますけど。

香りが うつるっていうか。

その場に 同じ空間を所持して
何か言ってる時に

ふっとした感覚が ぱっと うつるような
磁力が うつるような。

それが自分の感覚から
本当に自然に出たような言葉になると

それって うつるんだなと思って。

やっぱり 芝居なんかでも
「この芝居は こうこう こうで

こうした方がいいよ」って言われるよりも
やっぱり さっきみたいに

「この芝居は こうこう こうだった方が
よかったかもしれないね」とか

言われた方が やっぱり そっちの方に…。
思わず 人って こう いきますよね。

なるほど。 さあ 2週にわたって

「事を成す生き方」というのを
お伝えしてきましたけれども

甲野さん 改めて 事を成すには
どうしたらいいと思いますか?

極意はありますか?
本当に ずぬけた人たちのような

生き方っていうか
我が身に起こることは全て

それは 意味のあることだと思って

どんな意地悪されても 全然それに
気に留めないような人なんかを見ると

本当に すごいなと思いますよね。

本当に 逃げたり待ったりするのは
絶対 無駄じゃないし…。

その人に合った
絶対 その… 生き方というか

世の中に必要とされてることが
見つかっていくと思うので

絶対 慌ててはいけないし
で 何歳になっても

夢を見続けることじゃないですけども
何かこう 学んでいくことの必要性

何か ゴールを… どうしても 今
40とか50とか考えてしまうと

その先が
なくなっていきがちなんですけど

でも そうじゃなくて 何歳になっても
輝ける生き方っていうのが

していくといいのかななんて思いました。

どうですか? 桂 小五郎の人生って
どんな人生だったって…。

そうですね 本当に しかるべきところで
能力を最大限に…

時代に要請されてるというか
自分が そこを欲してたのかもしれない。

これはもう 両方が
需要と供給じゃないですけど

マッチしてないと 歴史に名を残すことは
できなかったでしょうし。

だから そういう意味で…

すごく かっこいい方じゃないですか。

主人公にはなりにくいっていうのは
また どうしてなんですか?

いや でも 維新三傑で
西郷 大久保 木戸となってるから

まあ 主人公といえば
すごい主人公だけど

やっぱり 長州の風土が
西郷のような大西郷というのに

みんな ひれ伏すよりも 何か その
いわゆる兄貴分的なっていう

そういう雰囲気が…。

要するに 長州の中に
あったからなんでしょうけどね。

桂 小五郎も 志士といえば志士という
分野に入る人物だとは思うんですが

徹底的な志士かというと

ちょっと やや引いたようなところ
感じてしまいますけどね 私はですね。

でも 面白い人生だから いつか
「大河ドラマ」の主役になってもいい…。

そういう運動はないんですか? 萩では。
誘致したいですけどね。

本当に こう 全てを見渡して
うまいこと指示を出して…。

司令塔みたい。
ええ。 司令塔ですよ まさに。

いや~ 今日は ご来店
ありがとうございました。

(一同)ありがとうございました。
また お待ちしております。

今回は 枝豆が
だいぶ進みましたね。

昨日は 秋の味覚たっぷり
たきこみごはん。


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