英雄たちの選択「“天下取り”への城~最後の巨大山城 小谷城~」城主・浅井長政は織田信長の猛攻を3年以上もしのぎ…



出典:『英雄たちの選択「“天下取り”への城~最後の巨大山城 小谷城~」』の番組情報(EPGから引用)


英雄たちの選択「“天下取り”への城~最後の巨大山城 小谷城~」[字]


滋賀県北部、小谷城は戦国最後の巨大山城。山全体が堅固な要塞になっていて、城主・浅井長政は織田信長の猛攻を3年以上もしのぎ続けた。その強さの秘密を徹底分析する。


詳細情報

番組内容

織田信長の妹・お市を妻に迎えながら、信長を裏切った北近江の戦国大名・浅井長政。信長の猛攻を3年以上もしのぐことができたのは、戦国最強とも言われる巨大山城・小谷城のおかげだった。小谷城の強さの秘密は何だったのか?城郭考古学者・千田嘉博氏が攻め手の目線で城跡を踏破して解明。さらに物流を押さえる支城ネットワークから、小谷城を支えた強みが見えてくる。それでも落城したのはなぜか?山城の時代の終えんに迫る。

出演者

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】千田嘉博,真山仁,中野信子,【語り】松重豊



『英雄たちの選択「“天下取り”への城~最後の巨大山城 小谷城~」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

英雄たちの選択「“天下取り”への城~最後の巨大山城 小谷城~」城主
  1. 小谷城
  2. 信長
  3. 長政
  4. 千田
  5. お城
  6. 曲輪
  7. 浅井氏
  8. 本当
  9. 和睦
  10. 街道
  11. 琵琶湖
  12. 本丸
  13. 攻撃
  14. 支城
  15. 選択
  16. 横山城
  17. 場所
  18. 当時
  19. 非常
  20. メートル


『英雄たちの選択「“天下取り”への城~最後の巨大山城 小谷城~」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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戦国最強とうたわれた
巨大山城が落城した。

城の名は…

城主 浅井長政は

織田信長の妹
お市を妻にして

信長と
同盟関係を結んでいた。

だが 小谷城を落としたのは
身内のはずの信長だった。

長政の裏切りをきっかけに
血で血を洗う戦いが始まったのだ。

しかし 城の守りは堅く

落城まで3年の月日が必要だった。

小谷城を 信長は こう評している。

「高く険しい要害の地。

攻め上がること 困難なり」。

一体 小谷城とは どんな山城だったのか。

今回 木々に隠された
かつての小谷城を 最新技術で解析。

現れたのは 山全体が要塞化された
驚くべき姿だった。

さらに 長政は 領内各地に城を配置し

小谷城を頂点とした
強固な防衛ネットワークを構築していた。

その小谷城が なぜ 落城したのか。

スタジオには
さまざまな分野の専門家が集結。

小谷城の攻防戦を読み解く。

この城ね…

…っていう発想を
完全に これは作ったと思うんですよね。

…っていうふうにできるかどうか
っていう選択肢を

とれるかっていう 結構…

織田信長 天下統一への
大きな一歩となった 小谷城落城。

その攻防が現代に残す教訓とは?

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今回は 「悲劇の山城スペシャル」の
第2回として

近江国 現在の滋賀県にあった
小谷城を取り上げます。

このお城 落城時の浅井長政
そして 妻のお市の方の

悲劇のね 舞台として
知られていますけれど

今日は その2人が
主人公というわけではなくて

お城が主人公なんですよね? 磯田さん。
はい。

これもね とにかく 強い城ですね。

これね…

まあ 場所といい
この巨大な難攻不落度といい。

何千という人数で
立て籠もられてしまうと

これは もう 落とすのが
非常に難しい城ですね。

今回もお城といえば…。
そうだ そうだ そうだ。

城郭考古学者の千田嘉博さんに
お越しいただいています。

よろしくお願いします。
援軍 来た~! ありがとうございます。

千田さん あのね 小谷城

もちろん 今回も行っていただいています。
行かせていただきました。

すごい所なんですよね?
いや すごいですよ。

小谷城っていえばですね よく名前は
知られているお城なんですけれども

実はですね 戦国の後期

鉄砲が主力の兵器になったのに
対応したですね すごい…

戦国大名の本拠のお城が
これほどの籠城戦の舞台になって

最後 本当に激戦の中で落城する
っていうとこまで戦ったっていうのは

全国的に見ても 本当 まれだと思います。

では まずは 最強の山城
小谷城のすごさを ご覧いただきましょう。

滋賀県北東部の長浜市。

琵琶湖を見下ろす山に

巨大山城 小谷城はあった。

今日はですね

戦国大名 浅井氏の本拠として
非常に もう有名なですね

小谷城に やってまいりました。

今 この正面に
大きな山が見えているんですけれども

実は この 見えてる山全体が
小谷城だったわけであります。

これ 山に見えると思いますけども
この山全体が お城ですからね。

標高495メートル。

今は木々に覆われた この山は

かつて 巨大な山城として
近江国に そびえ立っていた。

小谷城の全貌を示すのが このCGだ。

上空からのレーザー照射によって

地表の細かな凹凸を
すべてデータ化して表現。

すると 自然の地形を生かしながら

巨大要塞として構築された
小谷城の姿が浮かび上がってきた。

これを手がかりに
小谷城の守りを探っていくことにしよう。

山の中腹辺り 尾根筋の半ばに
斜面を削ったらしい平地がある。

ははあ…。

実際に現場に向かうと…。

(千田)こんなふうにですね…

(千田)そんな様子が見えてきます。

曲輪には 兵が配置され

尾根筋を進んでくる敵を
鉄砲や弓矢で攻撃する拠点となっていた。

曲輪の外側には
敵の攻撃を防ぐ工夫も見て取れる。

これですね。

(千田)ここの斜面が急になってますよね。

山の斜面を削った切岸によって
下からの敵の侵入を防いでいるのだ。

切岸の上に 塀ですとか柵があって

城兵は それで安全を確保しながら

鉄砲を撃ったり
弓矢を射たりということで

守りを固めていた
っていうことになります。

尾根沿いの道は
曲輪の横を過ぎると曲がっていく。

これも敵を倒す工夫だ。

ここですね 道が こう 進んできて
ぐる~っと こう 左に曲がって

進んでいくっていう形に
なってますよね。

そうすると… ほら ここの所にも

こういうふうに 少し切岸が見えていて

上の所が曲輪になっていますが

この場所に立っていると
正面は こっちなんですけども

側面の所から
弓矢や鉄砲で反撃できるわけですよね。

尾根筋を攻め上がってきた敵の側面を
道沿いの曲輪から攻撃。

さらに 道がカーブしているため

上の曲輪からも
狙い撃ちできる構造である。

何の変哲もない山道も

綿密に設計された防御施設だったのだ。

まだ たどりついて 3分ぐらいですけど

大体 もう 10回ぐらいは
討ち死にしてるかなっていう…

はい そんな感じですね。

尾根沿いの道を避け

斜面から攻め込もうとしたら
どうだろう?

(千田)これは すごい すごい。

いや~ すごい すごい。

しかも 長いですね。

こういった竪堀を掘っておくことで

敵がですね 山の斜面を横移動して

城内の中心部に
接近してくるというのを

防ぐための防御施設でした。

竪堀の先には
数多くの曲輪が造られている。

これこそ 敵を皆殺しにする罠だった。

これなんか 自然の…

ちょっと 段があるように
見えるかもしれないんですけども

こういうのを…

一般的には…

ここで… 守ってもいる。

竪堀を効果的に使うためには…

竪堀に足止めされたところを

曲輪に陣を構えた足軽に攻撃されるのだ。

斜面からは とても攻め込めない。

尾根沿いの道に戻り

城主 長政のいる本丸を目指す。

しかし その先には

これまで以上に強力な曲輪が
待ち構えていた。

まあ これ すごいでしょう。

もう 感動的でしょ?

あれ? ハハハハ…。
(取材者)どの辺が あれですか?

これ 見てください。
真ん中の所が少し低くなっていて

周りが高くなってるではないですか。

敵が攻めてくるだろうですね
南の方向に向けて…

…っていうのが分かります。

ここでは 曲輪の周囲に
巡らせた土塁で

敵の攻撃を防ぎながら

鉄砲を撃ちかけることが
できたのだ。

土塁に沿って 扇形に並んだ鉄砲隊が

足元に丸見えになっている敵を射撃する。

仮に 銃撃をかいくぐることができても

その先への侵入は さらに難しい。

この曲輪に入ろうとすると

その先に この馬洗い池ですよね。

これは 水をためる 用水を確保する
という意味もありましたが

実は 中心部を守る堀の役割も
果たしていまして。

つまり ここの入り口から入ってきて

この中心部を攻めようとすると

まさに この馬洗い池が
堀の役割をしていて

攻め入ることができない。

しかも 距離を取ったうえで…。

また今 これ 木があって
はっきり見えませんけども

この上に また すごい城壁があって
切岸がそびえていますから。

正面は堀
そして その向こう側には圧倒的な城壁。

そこから撃ってくるっていうことで

まあ 見事な守りですよね これは。

もう感激ですよね。
ああ 今日 来てよかった!

尾根筋の さらに奥へ進むと

ようやく本丸への入り口である。

いや~ これが本丸へですね
入っていくとこの

出入り口の跡なんですけれども。

まあ 見事ですね これも。

やっぱり 城主の権威を示す
非常に大きな巨石を使っていますね。

かつて この石垣の上には

黒金門という鉄張りの城門が
あったという。

門の中には 小谷城最大の曲輪があった。

「大広間」と呼ばれ
幅35メートル 奥行き85メートルある。

この部分は 恐らく 長政の御殿で

ここに家臣たちが集まって

みんなが… 謁見するですね
大広間であった。

政治の中心の場所だったと思います。

城主 長政が暮らした この空間からは

つぼや皿など

日常生活や宴会に使用されたと思われる
遺物が

3万点以上 発掘されている。

大広間と本丸の背後には
尾根を断ち切った

深さ9メートルもある
大堀切が造られている。

いや~ これ 大きいですよね。

これが大堀切ですよね。

これだけのですね 尾根続きの所を

人工的に
カットをしているっていうですね

もう圧倒的な 堀の姿ですね。

大変な工事だったと思います。

それぐらいの
でも 大変なことをしてでも

こちら側ですね
右手側の本丸を守るというですね

そういう意識っていうのが
はっきり分かります。

大堀切の奥には

城主 浅井長政が大切にする人々が暮らす
曲輪が連なっている。

地元 北近江の守護であった
京極氏を住まわせる京極丸

長政の父 久政が入る小丸など

本丸より高い所に置かれているのだ。

しかし 小谷城は これで終わりではない。

大広間 本丸から
急な山道を登ること 50分。

標高495メートルの山頂に
巨大な防衛陣地が造られていた。

いや~ 見事ですねえ。

ほら ここで見ると分かりますけども
堀が延々と こう 続いていくわけですね。

左側が城内側ですね。

人工の切岸 そして これは
土塁に 上はなっています。

いや 見事な土塁ですね。

たどりつくことさえ困難な山頂に

巨大な土塁が
3重に巡らされている。

小谷城を
背後から攻撃しようとする敵に

備えたものだと考えられる。

さらに
大嶽城から南に延びる尾根筋にも

砦が いくつも配置され
西側からの攻撃に備えていた。

U字型に山の尾根をつないで
防御を固めることで

谷に侵入した敵も
挟み撃ちすることができる。

小谷城は
あらゆる方向からの攻撃に備えた

難攻不落の要塞だったのだ。

戦国屈指の巨大山城 小谷城。

木々の下に隠れていたのは

戦国乱世が行き着いた
究極の城の姿だった。

いや~ 千田さん。
はい。

真夏に登っていただいて
ありがとうございます 本当に。

最後 無言になるところで もう
いかに すごい城かって分かりましたね。

汗びっしょりでしたもんね。

手ぶらで行って あれですからね
もう本当にすごいとこですよね。

だけど 要所要所に…

土塁の線をきれいにつくっていて。

いや やっぱりですね
行くの大変なんですけども

行く価値のある すごいお城ですよね。
ああ~。

真山さん いかがでしたか?
小谷城をご覧になって。

最近 ちょっと
城マニアの若者と一緒に山…

山城を中心に行くようになって。
そうですか。

もう 何か 明日にでも
行きたい感じですね。

ただ もう ずいぶん
何ていうんですか?

自然の状態に
かえっているにもかかわらず

あれだけ痕跡がある
ということはですね

恐らく… まさに お城としてあったとき

どれだけ エッジの立った
要塞だったのかっていうのは

それでも想像できるのは すごいですよね
やっぱりね。   そうですよね。

中野さんは いかがでしたか?
ご覧になって。

そうですね… あの山城の設計って

3DのCGで 今 私たちは

こういう地形で
こういうふうに竪堀があって

守ってますっていうことを

すごく精巧に
見ることができるんですけど。

当時の人は
3DCGはおろか ドローンも使えないし

どうやって
あれを設計してですね

こう攻められたら
こう返そうっていうのを

グランドデザインをしたのか
っていうのが すごく気になって。

誰が どう そういうことをしたのか

あるいは どういう教育をすれば
そういう人材が育つのか

ということを 千田先生に
お聞きしたいなと思ってました。

戦国時代になりますと
記録の中に「城ツクリ」っていわれる

お城のスペシャリストが
現れてくるようでして。

さらに各地のお城で 具体的に

どこの山を どう選ぶか
っていうようなときには

数々の合戦を経験している…。

城攻めや 城の防衛戦を経験した

老練な武士が 当時の記録だと

「武辺場数之士」なんていうふうに
記録に出てくるんですけど

そういう人たちが 山を見立てて

この山はいい こっちは駄目だ
っていうので

お殿様にプランをまとめて
提案したりっていうですね

そういうことをしていたっていうのが
分かります。

ですから お城の どこを選ぶか
どういうお城を

地形を利用して造るかというのは
やっぱり…

だから どんなお城が出来たか
っていうのは やっぱり…

面白いですね。
(千田)そういうことだと思います。

いい山があってもね 大きすぎてね
工事費がかかるよって諦めたりね。

サイズが良くても ちょっと
防御の位置からしたらとか

結構悩んでますよね。

しかしですね まあ 敵はもちろん

味方にとっても ちょっと
登りづらい お城だと思うんですけれど。

(真山)統治するのは
結構難しくないですか?

やっぱり 距離が近いほうが
何となく こう… ねえ?

いわゆる そこの殿様と領民の距離感
っていうのって

結構大事だと思うんですけど。
それより やっぱり

守ることのほうが大事なんですか?
当時は。

はい。 実は 山の上だけで
完結していたのではなくって

麓のですね 「清水谷」って呼んでいる

谷筋にも館があったようでして。
恐らくですね

公式の いろんな謁見なんかを
行うっていうときには 麓の館も使い

山の上っていうのは
プライベートなですね

奥御殿的な機能を
果たしていたっていうのが

もともとの使い方だと思います。

今回 千田さんは
現地で新発見をされたんですよね。

まずは こちらをご覧ください。

はい 出てきました。

レーザー測量画像ですね。

(千田)はい。
これをですね 見ていただきますと

本丸から大堀切を越えた
さらに1段高い所に

京極丸というですね
京極氏を ここに… 守護ですね

お迎えしたっていう曲輪があります。
見ていただきますと

入り口が2つあるんですね。
純軍事的には ありえない。

(千田)小谷城の本丸は
石垣で固めていまして

1か所だけですね 入り口は。

ところがですね 京極丸は
これ ご覧いただきますと

2つ 入り口があります。
実は これはですね

室町時代の
一番格式の高い武家屋敷というのは

礼門というふうに呼んでいる正門と

これは偉い方しか
通っちゃいけないっていう特別な門で

もう一つは 通用門。
下々が通る所っていうですね…

(千田)
ですから もう驚いたことにですね

こんな高い山の上に 室町時代の
最高の格式を備えた館を造って

そこに 京極氏をお迎えする。

例えば 織田信長も
清洲城で桶狭間の戦いを迎えるときには

守護の斯波氏を
本丸に入れて… 入っていただいて

信長は別のお城にいたっていうふうに

「信長公記」… 信長のことを記した

記録に出てくるんですが

桶狭間の戦いに勝つと 信長は

守護の斯波氏を
追い出してしまうんですよね。

浅井氏は こういうふうに
ちゃんと守護を

ちゃんとお守りしてますっていうのを…
まあ 何というのか

ずっと こう
意識していたっていう点で

信長と ずいぶん
そこは違うなっていうふうに思います。

めちゃくちゃ面白いですね。 これは…

人を使役するやり方って
2種類あるんですけれども

一つは 織田信長のように

非常に…

…というやり方ですが

たぶん 浅井氏は
そういうタイプじゃないんでしょうね。

きっと いい人。
あるいは いい人になりたい人。

その人は 自分の権威権力を

強化するってことは
なかなかしづらいので

ほかの人の権威を
使う必要があるわけですね。

自分は彼らの代理として
権威を使うわけだから

あなたたちは 俺たちの言うことを
聞いてくださいというやり方を

したんじゃないでしょうか。
そうですよね。

だから 戦略的というよりは
恐らく性格的なものですよね きっとね。

で やっぱり 当時の大名って

伝統を大事にして
生きていくっていう方法と

下克上と言うと… まあ 革新的な。

最近で言うと…

(真山)本当は やっぱり 自分も下克上に
いかなきゃいけないって考えると

昔かたぎというか。

当時… 戦争やってるときに人格者って

答えはどうなるか
何となく分かるっていう…

非常に 何か 宿命を背負って

一歩一歩 こう
何か 歩いている感じしますよね。

さあ 小谷城の強さの理由は
お城以外にも 実はありました。

浅井長政の居城。 北近江の巨大山城…

長政は 小谷城のほかにも

領内各地に
多くの小さな城を配置していた。

こうした城は
どのような役割を持っていたのだろうか。

浅井領の城の一つ 横山城。

近江の戦国史を研究する
太田浩司さんは

横山城には
重要な意味があったと考えている。

…だったというふうに思いますね。

こちらが伊吹山ですね。

標高は1, 300メートルほどありますけど。

これが美濃と近江の国境の山になります。

ちょうど この方向ですね
伊吹山の稜線が ずっと下りてきて

一番下りきった所が
ちょうど 関ヶ原になりますんで

この伊吹山の麓を 東海地方からですね

北国街道が この横山城の下を
ず~っと 小谷の麓まで。

こっちは北国街道 あるいは
小谷道は京都に行く道ですし。

ここに お城を構えてると…

横山城は
領内を通る主要な街道を監視し

異変があれば
即座に対応できる位置に置かれていた。

このように浅井氏の
領国統治を支える城 支城は

それぞれが
重要な役割を担っていた。

小谷城のすぐ西 琵琶湖湖畔にある…

琵琶湖の脇を日本海側へ抜ける街道は

この山本山城と小谷城の間を通っていた。

千田さんは
2つの城で街道を挟んでいることに

大きな意味があると言う。

(千田)実際にですね この場所に立つと
この間を抜けていった街道を

見事に両方のお城から見ることができた
っていうのが はっきり分かりますので

この街道を
把握するっていう機能をですね

この2つのお城が連携することで
完璧なものにしていた。

山本山城のような
こういった支城を築くことで

ある地域を
守るっていうだけではなくて

街道をですね 流通そのものを

しっかり守って把握していくという
そういうことを

しっかり… していたんだっていう
そういうことだと思います。

小谷城の麓を通る街道。

浅井氏は この街道を
小谷城の城下町にまで引き込んでいた。

この城下町を研究している
北村圭弘さんは

小谷城自体が流通を支配する役割を
持っていたとみている。

あまり これ
注目されていなかったんですけども…

…というふうに
考えられるということです。

併せて…

…と推測できるわけです。
地名と絵図からですね。

彦根藩に伝わった
江戸時代の絵図には

ここに
街道を遮る堤があったと記されている。

浅井氏が…

…というふうにも受け取れる。

小谷城の城下町は
川を通じて琵琶湖ともつながっていた。

船着き場があった所には

今も船場辻の地名が残されている。

浅井氏は城下に川湊を造り

琵琶湖の物流と直接つなげていたのだ。

北陸の米などを京都に運ぶ

琵琶湖の大規模な水運は

物流の幹線ルートとして
重要な意味を持っていた。

このルートを掌握する役割を
持たせていたと考えられるのが

浅井領南部の…

これは 明治時代の地図なんですけども

今は…

佐和山城は
明治時代に干拓が行われるまで

湖の入り江に接していた。

浅井氏は
湖につながる城を使って

琵琶湖の水運にも
にらみを利かせていたのだ。

北陸から浅井領を通る
琵琶湖の物流ルートには

隣国の大名たちも
注目していた。

越前の朝倉氏は
早くから

浅井氏と
同盟関係を結んでいる。

天下統一に向かう
信長も

妹 お市を
長政に嫁がせ

緊密な関係を
築いていた。

しかし…

信長は 浅井氏と
同盟関係にあった

朝倉氏を攻撃。

これを機に 長政は信長から離反した。

長政の裏切りを知った信長は

朝倉攻めを諦め
命からがら京に逃げ帰った。

小谷城の強さというのは
流通の拠点として

支城をうまく配置していた
というところにもあったんですよね。

浅井氏の領地と支城や その街道の関係

ちょっと もう一度
整理して見ておきましょう。

こちらです。

確かにですね 浅井氏の領地は
日本海と京都の中間点なんですね。

赤い所が浅井氏の領地です。

そして 小谷城周辺の街道筋に

支城が
どう配置されていたかといいますと…。

出てきました。
黄色が小谷城 赤い点が支城です。

本当に 要所要所に置かれていますよね。

そうなんです。 本当に 物流の要で

戦略的要素と言っていいんですよね。

当時の京都って
人口が約20万いるんですけど

お米 どこから運んでくるかっていうと

やっぱり 北陸のお米を
運んでこなきゃいけない。

そうすると…

…でないといけないっていう
面があるんですよ。  はい。

それで その経路は

琵琶湖の上の交通を押さえられる
北近江が大事で。

あそこ 北にも東へも西へも行けるという。

だから 世界史上に言うと

例えば ホルムズ海峡とか
シンガポール海峡とか

まあ イスタンブールみたいな場所で

ここが もう
絶対の戦略的要所になるわけです。

実際に こう見てみますと 本当に実は

小谷城の位置っていうのは
もう日本海にも近いんですよね。

(千田)山ですから
琵琶湖から離れているじゃないか

っていうふうに思えるんですけども
実はですね その弱点を

この周辺に配置した
支城で補っていまして。

そういったところが
すごく大きな特徴だと思います。

それによって もう
日本のですね 大動脈であった

日本海の海運。 そして

ちょっと山を越えて 琵琶湖の水運。

そして それが京都へっていうですね…

浅井はね。 ただ その ほかの地球規模で
いろんな場所の例が挙がりましたけど

スエズにしてもホルムズ海峡にしても
パナマにしても

そういう所って 必ず不幸な目に遭う。
つまり 列強が出てきて

そこを握ってしまうことにより
世界が押さえられる。

浅井自身が 逆に…

長政 やっぱり もう少し 自分たちを…。

狙われることが必定だから
どう生きるか。

そういうときに 伝統的な…
その何ていうんですか。

統治者として生きるのではなく
この劇的な中で

自分たちが生き残るための方法
っていうところに

多分 思いを至らせなかったこと
っていうのか

もう ここは みんな欲しいですよね。

しかも この時代ですからね。
(中野)この時代ですからね。

確かに 本当に
おいしい土地なんだと思います。

この街道の作りとかそのものも
すごくきれいにデザインされていて

とても数学的ですよね。

何か ロジスティックスとかも
この土地に生まれたら

すごく上手になりそうな それだけで。
もう そんな人たちばっかりです。

石田三成もここですし

日本で ほぼ最高水準の識字率の
住民たちがいる地域でした この当時でも。

なぜかっていうと 当時
単位面積当たりの米収量が

最も高い地域の一つで。 なので…

よそから野蛮な人が入ってこなければ
ここほど幸せな場所もない。

(千田)それで まあ…

一族の関係を結んで…

これ 勝手な想像なんですけど
中野先生にもお伺いしたいんですけど

こういう 割と伝統的で品が良くて
我慢強くて 努力家で

過去のことに 結構こだわる人と

信長みたいな革新…
天才児が現れた場合

いらいらするんですが
なかなか思ったことを言えなくて

どんどん どんどん 浅井側が
我慢することを想定しちゃうんですよ。

いきなり裏切るとか
いきなりキレるとかいうことに

なりがちなんだよ。
本当に そうだと思うんですけど。

ちょっと
独特の遺伝的な性質があってですね。

すごく最後まで我慢するんですけれども
不誠実なことをされると…

…っていう特徴があるんですね。

お前の頼みは
俺は ここまで聞いたじゃないか。

お前も正義にのっとって行動しろよと
最後の最後でキレるんですね。

たぶん…

神に成り代わって あなたは駄目だって
言おうとしたんだと思いますけど

いや コミュニケーション
ちゃんと取ろうよっていうところが

すごい重要だった気がしますよね。
(中野)本当 そうですよね。

確かに。 さあ 信長と敵対してしまった
小谷城城主 浅井長政は

このあと 厳しい選択を迫られます。

長政の裏切りから2か月後
信長は浅井領に侵攻した。

兵を向けたのは
小谷城ではなく

その南に位置する支城
横山城だった。

横山城を包囲した信長に
長政も出陣。

戦は
信長の勝利に終わり

長政は横山城を失う。

だが 反攻を狙う長政は
反信長勢力と手を結ぶ。

当時 近江国では

比叡山延暦寺や
一向一揆などの勢力が

次々と
反信長の のろしを上げていた。

さらに 全国に目を向けると
武田信玄など

有力大名らの信長包囲網が
築かれつつあった。

実は信長は
大ピンチにあったのだ。

それでも信長は 浅井への攻撃を続ける。

狙ったのは
浅井領の南の端で

琵琶湖の物流を押さえる
佐和山城だった。

小谷城を攻める
っていうことになりますと

佐和山城を越えて
北へ北へとですね

進軍していくっていうことに
なりますから

まさに背後に敵がいる状況で

敵の主力のお城を攻める
っていうことになりますから

これもですね
非常に軍事的には

リスクが高い
っていうことになって

この佐和山城を どちらが
握っているかっていうのは

全体の戦局を左右する
非常に要の場所だったと

言っていいと思います。

佐和山城は 8か月にわたる籠城戦の末
信長の手に落ちた。

要となる城を奪われた長政。

厳しい選択に迫られることになる。

わが領地の南の拠点 佐和山城が

信長に奪われたのは
いかにも痛い。

すでに
横山城も落とされた。

信長が小谷城まで攻め上がってくるのは
時間の問題。

このまま信長と戦えば 勝ち目は薄い。

信長と和睦して 再び同盟を結ぶことは
できないだろうか。

わが妻 お市は 信長自慢の妹。

お市を通じて申し出れば
信長も和睦に応じるのではないか。

しかし 信長が裏切ったわれわれを
許すはずがない。

そうだ。 われわれには
鉄壁の守りの小谷城がある。

やすやすと落とせるはずがない。

信長の勢力拡大を
よしとしない大名たちもいる。

例えば 甲斐の武田信玄。

信玄なら 信長を打ち破ることが
できるやもしれぬ。

ここは戦いに打って出るのが得策か。

長政に選択の時が迫っていた。

では改めて
浅井長政の選択肢を見ておきましょう。

選択1は
「戦いは避け 信長に和睦を持ちかける」。

そして 選択2は

「小谷城や
反信長勢力に期待して抗戦する」

という2つです。

ゲストの皆さんが長政だったら

和睦を持ちかけるのか 戦うのか

どちらを選ばれるでしょうか。

まず 中野さん どちらを選びますか?

はい。 もう 「抗戦」一択だと思います。
一択ですか はい。

もし 「和睦」という選択肢を
考えるのであれば

何か そもそも もう
戦争になってないと思うんですね。

性格も合わないし 戦略も違う。

お市は もらったけれども

どうも この人とは やっぱり
うまくやっていけないんじゃないか。

真山さんは
どちらを選ばれるでしょうか?

私も「抗戦」ですね。 もう遅い! 和睦は。
「遅い」… 一刀両断ですね。

やっぱり
お市カードを持ってるんだから

もっと早いタイミングなら… そもそも
ここで選択でアウトですね もう。

「いや 信長さん
これ 交渉の道具にしたいんで

それで 少し和睦 考えてくれませんか」
っていうものを持っていないと

この段階だと もう勢い…

これ 別に戦国時代じゃなくても 今でも。

そのカードのタイミングを
逸してしまった以上は

新しいカードを
取りにいかなきゃいけないために

もう これ 抗戦しかないですね。
「抗戦しかない」。 う~ん…。

2人とも では 「抗戦」と出ましたけれど
千田さんは いかがでしょうか?

はい。 私はですね
選択1の「和睦」を選びたいと思います。

実は その… 例えば 元亀元年ですね
姉川の戦いってありますが

これもですね
今までいわれていたほど

浅井軍が大敗したわけではない
っていうのが

近年の研究で明らかになっていて。

この段階であれば 確かに…

(千田)これは…

ここで やっぱり
多方面に敵を抱えている信長としては

やっぱり 和睦するっていう その選択肢も
当然 持ってたと思うんですね。

さっき あのVTRの中で

「信長は 一度裏切ったやつは
許さない」って言って…。

松永久秀とか 裏切ったけど
やっぱり 信長は好きなので

「じゃあ 許す」って言って
許したりしてるわけですよ。

何回かありますね。
ねえ? ありますよね?

許す余地もあるんですね。
2回目は なかなか厳しいんですけど…。

1回目は…。
1回目はね 許してる場合が結構ある。

大体 大丈夫なんですよ。 なので

今回も たぶん 大丈夫だったんじゃ
ないかと思うんですよね。

お二方は「抗戦」。
そして 千田さんは「和睦」。  (千田)はい。

磯田さん 皆さんの意見を踏まえて
いかがでしょう?

僕 「和睦」です。
おっ!

あのね…
僕が もし 浅井長政の横にいたらね

今 確かに…

それで 袋だたきに遭って このまま
池に溺れて死ぬかもしれませんと。

でも…

…っていうとこですね。

池に落ちたのが犬であれば

まかり間違って
生き残って はい上がってきても

かまれて けがするぐらいで済みますと。

だけど 「あれ 虎だと思います」って
言うと思いますね。

恐らく食われると。
で それが起きたときは もう

はっきり言って 対処の手段がないので…
あのぐらい強いので

「ちょっと和睦にしといたほうが

いいんじゃないんでしょうか」って
言いますね。

さあ いよいよ
長政に選択の時が訪れます。

佐和山城が落ちて3か月後。

長政は 奪われた支城の奪還に打って出た。

あくまで 信長と戦う道を選んだのだ。

しかし 強力な信長軍の前に敗戦が続く。

勢いづく信長は
ついに小谷城へと迫った。

小谷城から 僅か500メートルの
虎御前山に城を築いたのだ。

目の前に大規模な陣を構え

長政を 物理的にも精神的にも
追い詰めてゆく。

虎御前山城に登った千田さん。

信長は
守りの堅い小谷城を落とすため

新たな戦術を取ったという。

(千田)向こう側に見えているのが
横山城っていうお城でありまして

この虎御前山城が造られる前はですね

あの山城が 織田方の最前線のお城でした。

実は この横山方面に軍事道路ですね
それを造って

もし 虎御前山城が
ピンチであるっていうときには

すぐ援軍に駆けつけられる。

あるいは 円滑に軍事物資などを
搬入をするということで

実は 砦だけを造ったのではなくって

下に見えている ああいったですね
特別な道路も造ったわけです。

信長は 幅6メートルの軍用道を
5キロにわたって造ったとされている。

高い築地塀で目隠しをし

兵や物資の動きが
浅井方に見えないようにする

徹底ぶりだった。

その地域を押さえていくっていう中で
お城を造るだけではなくって

こういう具体的な連絡路ですね。

いろんな人員や物資が
迅速に運べるっていう

こういうものとセットにしなければ

浅井軍を破ることができない
っていうですね

いわば 一歩進めた戦略を
取っていったんだっていうふうにも

見て取れるんではないかと思います。

じわじわと小谷城を締め上げる信長軍。

一方の長政は 味方を次々と失っていた。

比叡山延暦寺は焼き打ちされ

頼みの綱の武田信玄は
病気で亡くなった。

信長軍が虎御前山に城を築いた
翌年の8月。

小谷城のすぐそばの支城 山本山城が

織田方に降伏した。

羽柴秀吉の
巧みな調略によるものだった。

山本山と小谷城の
このライン

浅井側が守っていて

基本的に そこから
北に上がれない…

織田軍はね。 だけど 山本山城が
陥落することによって

織田軍が 小谷城の後ろに

回れるような状態に
なってしまって…。

山本山城降伏から僅か4日後

信長は勝負に出た。

降りしきる雨をものともせず
みずから手勢を率いて

小谷城背後の要
大嶽城に攻め上がったのだ。

今 歴史的な
その場所に立っているんですけども。

今 見ましても
ここを登ってくるっていうのが

一体 どういうことだったのか
っていうのが

ちょっと想像もつかない急斜面ですよね。

この大嶽ですね

ここさえ落としてしまえば
小谷城の背後を取る

あるいは 小谷城の西側の尾根筋を
制圧できるっていうことになりますので

今まで 2つの尾根に守られた…

U字型の尾根に囲まれていた
清水谷の所もですね

織田軍が そこまで侵入できる
っていうことになります。

8月27日 信長は総攻撃を命じた。

羽柴秀吉率いる軍勢が 城下町を突破。

谷から急斜面を
駆け上がる。

京極丸の辺りに乱入。

長政の父 久政の籠もる 小丸を攻めたて

自刃に追い込む。

滅亡を悟った長政は

妻 お市と3人の娘たちを
信長の元に送り出す。

そして みずからは

最後まで残った家臣と共に
本丸から打って出た。

総攻撃開始から3日後の
天正元年9月1日

小谷城城主 浅井長政は自決。

28年の生涯を閉じた。

落城した小谷城は 秀吉に預けられたが

琵琶湖湖畔の長浜に
新たな城が築かれると 廃城となる。

この後 再び
巨大山城が築かれることはなかった。

長政は徹底抗戦を選んだ結果
信長に敗れ その生涯を閉じました。

あの お城ね…

裏技っていうのは
さっき出てきたような

外交的に地元の…

秀吉の部下が行って 説くわけです。

そのうえ 物的には最新テクノロジー。

まず このころの秀吉の手紙見ると…

結局のところ…

この 小谷城攻撃で大土木戦が始まると。

土木工兵みたいなものを率いて

あっという間に 攻城用のお城を築いて
そこに銃器を入れて

近づく者は撃ち殺すという戦いの始まり。

その戦い方のモデルケースを
秀吉が やっぱり思いついて

信長に提案して 実行して

さしもの あの小谷城が
締め上げられていったと。

それと どんな豪族でも…

…っていうのを開発した。

これが やっぱり 彼にとっての

その後の天下取りのきっかけだと
思うんですけど。

どちらかといえば 人への情とか

土地への愛着とか そういうものに

浅井氏というのは
かなりのリソースを割いてたと思います。

やっぱり いい人戦略というか。

そういう戦略で 領地経営を
しようとしたと思うんですね。

残念ながら これは あの…

秀吉の調略に
多くの武将が寝返ったということからも

明らかなように 現世利益というか…

…だったと思うんですね。

さあ 今日は 小谷城を見てきましたが

このあと 巨大な山城が

造られることはなくなった
ということなんですけれど

千田さん これは どうしてなんですか?
はい。

やっぱり あれほどのですね

防備を固めた小谷城でさえですね
落ちてしまうと。

これはですね やっぱり今まで…

…瞬間だと思うんですね。

そうすると やはり お城そのものが

直接 その経済や流通の拠点である
海のそばだったり 湖のそばだったり

あるいは 川を押さえるっていうですね
そこをしないと

もう これは勝てないっていうですね

劇的な やっぱり発想の転換
っていうことになったんだと思います。

新たな…

…が この小谷城の戦いではなかったか
というふうに思います。

これね 本当そう思う。
楠木正成神話の終えんなんですよ。

南北朝時代を 槍が登場して

ものすごい人たちが
刀を持つようになるから

弓矢と槍 刀で戦う時代は

楠木正成型の山城が強くて

立て籠もってりゃ
大軍を退けられるんですよ。

それが 神話が信じられてきた。
ところが…

秀吉のようなやつが現れたとき もう…

それを自覚できなかった人は滅ぶ。

標高の高い所にいるのが
格の高い人みたいな

そういう お行儀のいいことは
分かるんですけど

ちょっとね 時代は変わってるんですよね。
そうか。

時代が変わっていることに…。
それが悲劇を生んでしまったんですね。

品のいい日本人たちに
僕は これが言いたくて。

滅んでほしくない人たちなんですよ。

真山さんの本も そうだと思うんですよ。

ありがとうございます。

やっぱり 何ていうのか…
発想の転換で

砦に籠もったら
もう終わってるんだっていう発想を

完全に これは作ったと思うんですよね。

つまり ここに至るまでに
どうやって統治できるか。

もっと インフラや町全体の
経営をしていくっていうことでないと

やっぱり これからは立ち行かない。

もっと言うと 攻めてくる前に交渉する。

もう 山に籠もるのは
駄目なんだっていう…。

だから これができると
今度は いい人が非常に役に立つ。

いい人は戦っちゃ駄目なんだっていう
例でもありますよね これはね。

いい人っていう類型を

私たち
すごく自然に受け入れるんですよね。

確かに 伝統を重んじて
人の絆を大事にして

ヒエラルキーとか関係なく
分け隔てなく接するとか

そういうことを すごく 私たち

無根拠に近いぐらい
いいというふうに受け取るんですけども。

それって
でも 戦略上は間違いだっていうことは

今回の例では 非常に顕著ですよね。

自分は悪者になっても仲間を守るんだ
っていうふうに

できるかどうかっていう選択肢を
取れるかっていう

結構 究極の選択に 今日は
近いものをやったのかなと思います。

磯田さん 最後に
改めて どんなことを感じましたか?

やっぱり 城ってことを考えましたよね。

長政は やっぱり
なまじ小谷城が巨大 最強な城だから…。

だけど 結局 見たら

信長に代表されるような…

…っていうことも事実で。

土地や城の良さっていうのは…

…のかもしれない。

そうすると 現代に翻って
城って何だろうと思うと

やっぱり過去に持ってるイメージだとか
資産ですよね。 城資産。

資産に頼ってばかりではいけない。
いけませんね。

過去と資産に頼り過ぎると
いけないとも思いました。

今日は 皆さん ありがとうございました。

ありがとうございました。

「怪魚ハンターが行く!」。


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