偉人たちの健康診断「天皇の料理番 即位の晩さん会“味覚”の秘密」昭和天皇の料理番を務めた秋山徳蔵の料理を健康診断…



出典:『偉人たちの健康診断「天皇の料理番 即位の晩さん会“味覚”の秘密」』の番組情報(EPGから引用)


偉人たちの健康診断「天皇の料理番 即位の晩さん会“味覚”の秘密」[字]


昭和天皇の料理番を務めた秋山徳蔵の料理を健康診断!天皇即位の晩さん会で世界中の賓客から絶賛された秘密とは?天皇家の食卓を再現!浮かび上がった健康の知恵とは?


詳細情報

番組内容

天皇即位にあわせて世界中から賓客を招いて催される晩さん会。今から約100年前、世界中のVIPを集めて大正天皇即位の晩さん会が行われた。この時、総料理長を任されたのが後に「昭和天皇の料理番」として知られる秋山徳蔵だ。今回、徳蔵の「料理の世界」を健康診断!世界から絶賛された「おいしさの秘密」に科学で迫る。明治・大正・昭和の激動の時代、天皇を料理で支え続けた秋山の思いとその生涯を健康面から読み解く。

出演者

【出演】関根勤,カンニング竹山,押切もえ,服部幸應,【司会】渡邊あゆみ



『偉人たちの健康診断「天皇の料理番 即位の晩さん会“味覚”の秘密」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

偉人たちの健康診断「天皇の料理番 即位の晩さん会“味覚”の秘密」
  1. 徳蔵
  2. 料理
  3. 昭和天皇
  4. 食事
  5. 天皇
  6. ザリガニ
  7. フランス料理
  8. 骨髄
  9. 食材
  10. スープ
  11. 料理番
  12. フランス
  13. 健康
  14. 秋山徳蔵
  15. 賓客
  16. 欧米
  17. 関根
  18. 大事
  19. 栄養
  20. 宮中


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今から
およそ

100年前に
行われた…

この時 欧米から招いた賓客たちを
もてなす 宮中晩さん会が開かれました。

「極東の島国で まともなフランス料理など
出るはずはない」。

賓客たちは そう思っていたはず。
ところが…。

おいしい!

すばらしいね。

皆一同に 次々と出てきた料理を大絶賛。

この晩さん会を
取りしきったのは

後に 天皇の料理番
として知られる…

徳蔵の料理が 舌の肥えた…

残された晩さん会の資料から
浮かび上がったのは…

料理に秘められた 徳蔵のこだわりを
科学的に徹底分析!

更に 徳蔵の残した文献から
昭和天皇の1日の食事を再現。

食材は どこでも手に入る
身近なものばかり。

…に
迫ります。

…ってのは 何回か
言われたことありますよね やっぱり。

秋山さんの考えだったんじゃないかなと
思うんですよね。

♬~

健康のヒントは 歴史にあり!

♬~

皆様 こんばんは。
「偉人たちの健康診断」です。

今日 ご一緒して頂くのは
こちらの方々です。

どうぞ よろしく お願いいたします。
よろしく お願いいたします。

押切もえさん。
はい。

お連れ合いが
プロ野球の涌井秀章投手ということで

おうちの中では もう お食事のこと
健康管理 大変でしょ?

そうですね。 常に もうメニューのことを
考えていますね。

ご主人の その体質っていうのは…。
はい。

主人は すごく体重が落ちやすいので
痩せすぎないように気を遣っています。

で 偏食も もともとあって 食べたくない
っていう気持ちが 結構 強いので

だから いかに
どう食べてもらうかっていう…。

いい奥さんですね。
え~ ありがとうございます。

今ね そんなね 奥様 おられないよ。
(押切)え 本当ですか?

みんな 調理済み加工食品 買ってきて
チンするだけだと思います。 残念ですよ。

…と おっしゃっているのは
フランス料理 そして栄養が ご専門の…

あの~ 服部さん。
今日の秋山徳蔵さんという方は

この方は 料理界では
どのように伝わってますか?
う~ん。

うちの母が お会いしてるんですけどね
その話だけは聞かされてんですけどね。

それでね いわゆるフランスに行って
そこで いわゆる得た 技術 知識。

それをですね 一番最初に
持ち込んだ人なんですよ 日本に。

だからね それまでないんですよ。

それこそ フランス料理 出したいけど
西洋料理も なかなか出せない時代が

結構あったわけですね。
ええ そうですよね。

本場に行ってね やっぱり
やったって人はね

この 徳蔵さん
なんですよ。

はぁ~!

しかも 天皇陛下の料理番
ということですからね。

当時はまだね
神ですからね。

天皇陛下。                  そうですね。
大変なことですね。

はい。 では 早速ですね そんな天皇の
料理番の健康診断をしてまいりましょう。

(汽笛)

日本人が 西洋料理と出会う きっかけと
なったのは 幕末のペリー来航でした。

肉食の習慣が
ほとんどなかった日本人は

西洋人をまねて
恐る恐る 肉を食べ始めます。

欧米列強から 後進国と見なされていた
状況を打破するため

明治政府は 政財界の支援を仰ぎ

明治6年に
食堂と宴会場を備える…

ここで 来日する欧米人たちに おいしい
フランス料理を提供する… はずでした。

しかし 料理に対する
利用客の手厳しい声が残っています。

本物のフランス料理とは
似て非なる料理を出していたようです。

明治の日本では
宮中晩さん会に出されるフランス料理も

本場の味ではなかったといいます。

…と思われます。

それが 日本の
フランス料理が
変わる

大きな転機と
なります。

新しい天皇が 皇位を継承したことを
国内外に示すために…

…が 計画
されました。

イギリス
フランス

アメリカ
ロシアなど

欧米諸国の
貴族

王族を中心とする賓客を招きます。

この歴史的な晩さん会で
最上級のフランス料理を提供できれば

日本のフランス料理は
おいしくないという…

そのためには 腕のいい料理長が必要です。

しかし 国内には
該当する人物が見当たりません。

そこで 白羽の矢が
立てられたのが

25歳の青年…

海外で料理修業するものなど
ほとんどいなかった時代。

徳蔵は…

人並み外れた才能と根性によって

フランス料理界の最高峰 リッツ・ホテルで
働くまでに 腕を上げます。

リッツ・ホテルの料理長は

フランス料理の王と
あがめられていた…

フランス各地に伝わる料理を体系化し
フランス料理を近代化した巨匠です。

彼の料理を 間近で見る機会が
相当あったと思うんですよ。

人々の生活が
非常に現代っぽく都会化されるにつれて…

で 秋山徳蔵は
そのちょうど転換点にいて…

徳蔵は フランス料理の神髄に触れた
ただ一人の日本人だったのです。

料理長に抜てきされた徳蔵は
晩さん会へ向けて 闘志を燃やします。

舌の肥えた欧米の賓客たちは
「母国を離れた極東の島国で

20代半ばの料理長が作る料理など
どうせ期待できるはずがない」

そう たかをくくっていたことでしょう。
ところが…。

おいしい!

すばらしいね。

こんな味と
極東の島国で出会えるなんて!

徳蔵の料理は 欧米の賓客たちから
大絶賛を受けたのです。

そこには 「味覚」を知り尽くした
徳蔵の秘策がありました。

徳蔵は どんな料理を出したのか?
国立公文書館に 謎を解く鍵があります。

大正天皇の即位にまつわる儀式の
詳細な記録です。

徳蔵が考えたメニューも 色鮮やかな
イラストとともに見ることができます。

徳蔵が 巨匠 エスコフィエから学んだ
手の込んだ料理の数々。

スープからデザートまで
10品のフルコースです。

非常に あの~… 欧米人の
好みのつぼを押さえたというか…。

どんな料理を出せば
欧米の賓客は 喜ぶだろうか?

徳蔵は 連日徹夜で考え続けました。

中でも 徳蔵が
こだわったのは…

スープです。

晩さん会を成功に導くためには

料理の一番最初に出すスープで
まず賓客の心をつかむことが肝心だと

徳蔵は考えました。

勝負をかけて選んだのは こちら…。

何やら スープの中に 赤いものが
見えますが…。 何だと思いますか?

フランス語で 「エクルビス」。

なんと 「ザリガニ」です!

一体どんな料理なんでしょうか?

徳蔵の師匠 エスコフィエの
レシピをもとに 再現してみました。

ザリガニは 鮮度が命。

生きたまま鍋に入れ
たまねぎや にんじんと一緒に炒めます。

香りづけに…

事前に作っておいた牛のコンソメスープを
入れて じっくり煮込みます。

麺棒を使って 殻のエキスやミソが
十分に出るように 押しつぶします。

殻や みじん切りの野菜を
こし器でこして

生クリームとバターで 味を整えたら
出来上がり。

濃厚なミソ 身の甘み…。

ザリガニの全てを味わい尽くす
クリーミーなスープです。

徳蔵が苦労したのは ザリガニの入手。

身近な田んぼや沼にいるものでは
泥臭くて とても食用にはなりません。

徳蔵は 北海道の支笏湖に

泥臭さのないザリガニが生息している
という情報を入手。

晩さん会は 国を挙げてのプロジェクト。

捕獲には 陸軍の兵士が動員され

木の根っこや 石の下に隠れるザリガニを
捕まえました。

その数 なんと 3, 000匹。

ザリガニは
生きたまま

津軽海峡を越えて
船で本州へ。

汽車に
積み替え

途中 きれいな川で
休ませながら

2か月がかりで
晩さん会の行われる

京都へ送られました。

でも このエピソード

ちょっと不思議に
思いませんか?

日本では ズワイガニや伊勢エビなど

おいしい甲殻類が
もっと簡単に手に入ります。

徳蔵が ザリガニにこだわる意味は
あったのでしょうか?

味覚生理学のエキスパート…

徳蔵のザリガニへのこだわりは
科学的にも根拠のあるものだといいます。

食べ慣れたものは おいしい。

…ような おいしさになります。

何を おいしいと感じるかは

子どもの頃からの食体験が
大きく影響します。

京都大学で行われた こんな実験が
あります。

離乳期のマウスを
2つのグループに分けて

片方に かつおだしの入った餌を与え

もう片方には
かつおだしの入っていない餌を与えます。

マウスが成長して 大人になった時に

パネルをタッチすると

かつおだしが出る装置を作り

マウスが どれだけ

かつおだしに
執着心を見せるかを調べたところ…。

離乳期に
かつおだし入りの餌を与えたグループは

繰り返しパネルをタッチして
かつおだしを飲み続け…。

かつおだし入りの餌を
与えていないグループは

すぐに かつおだしに
飽きてしまいました。

離乳期に
かつおだしの味を知ったマウスは

成長後も
かつおだしに強い執着心を見せ

いわゆる
やみつきの状態になったのです。

マウスの離乳期は
親から離れて活動を始める時期。

人間でいえば
小学校の低学年に相当します。

子どもの頃に おいしく食べた味は
大人になっても 強い執着心を持ち

やみつきの味になるのです。

ザリガニは 日本では
ほとんど食べられていませんが

欧米では 鮮魚店で 生きたまま
売られている ポピュラーな食材です。

家族や 気の置けない仲間と
ザリガニパーティーを開くことも多く

欧米の人にとっては 子どもの頃から
楽しい思い出とともに記憶された

手放せない やみつきの味なのです。

だから そこにですね…

ザリガニという食べ慣れたものを
出すというところが

非常に よかったんじゃないかと
思っております。

徳蔵は フランスでの料理修業中に
欧米人のザリガニへの特別な愛着を知り

晩さん会のメニューに
加えたのです。

欧米の賓客たちは
母国を遠く離れた極東の島国で

やみつきのザリガニと出会い
さぞかし驚き 満足したことでしょう。

極上のスープで 一気に高まった期待感。
そこへ次々と料理が運ばれます。

千鳥の仲間のシギを使った冷たい料理。

魚と肉料理が たっぷり4品も続き
満足感に満たされます。

でも ここからが いよいよ本番!

なんと…

…と思った その時

絶妙のタイミングで
徳蔵の秘策が繰り出されます!

…の登場です!

イラストをよく見ると
シャーベットの器には

こまやかに カットが施された
オレンジの皮が使われています。

このカットは 人一倍 手先が器用だった
徳蔵の得意技でした。

会場は カットされた オレンジの皮が発する
かんきつ類の香りで

満たされたことでしょう。

肉料理が続いて 食欲が
ちょっと落ちかけかなという時に

この料理が出てくるとですね…

一種の別腹のような効果を

引き起こしたんじゃないかな
というふうに思います。

オレンジシャーベットの華やかな
見た目と香りで

別腹効果を生み出す。

これが
徳蔵の秘策だったのです。

実験の様子を見てみましょう。

女性に フランス料理を
おなかいっぱい食べてもらい

MRIで胃を撮影すると

胃は 食べ物で満たされ
大きく膨らんでいます。

そこで デザートを見せると

香りと見た目の刺激を受けて
女性は ニッコリ。

その時の胃の様子を見ると

胃の出口の近くが動いています。

胃が食べ物を腸に送り出しているのです。

ケーキを見る前と 見た後を比べると

一気に消化が進んだ様子がうかがえます。

これが よくいう別腹の正体。

満腹だったはずなのに
デザートを見て 香りを嗅いだだけで

胃に食べるためのスペースが生み出されて
食欲がよみがえるのです。

別腹は なぜ起きるのでしょうか?

食べ物をたくさん食べると
血糖値が上がり

脳内の満腹中枢が刺激され

「食べるな!」という命令が出ます。

その時
見た目や香りのいいデザートを見ると

脳内でドーパミンが分泌され
摂食中枢が刺激を受けて

「食べろ!」という命令が出ます。

摂食中枢が刺激を受けると

胃の動きが活発になり
消化が促進します。

すると 胃に食べるためのスペースが
生み出されるのです。

特に…

徳蔵の用意したオレンジシャーベットは

見た目の美しさと香りたつ匂いで
別腹の効果を大いに高め

メインディッシュを おいしく
味わうための体の準備を促したのです。

さあ 徳蔵一世一代の大勝負も
ファイナルステージ。

全てを決する…

メインディッシュは
七面鳥と うずらのロースト。

フランスの宮廷料理では 鳥は空を舞う
天近き存在と考えられていました。

徳蔵は この料理のおいしさを 一気に
ぐっと高めるフランス料理の極意を

マスターしていました。

その技は
メインディッシュと共に出される

付け合わせのセロリの煮込みに
秘められていました。

…というふうに
いわれるんですけども

最後の最後に こう 大花火が
ちょっと上がったような

私としては イメージがあります。

メインディッシュのおいしさを高めるのが
こちらのソース。

注目すべきは 白く描かれた食材です。

何だと思いますか?

作り方を のぞいてみましょう。

バターで炒めたエシャロットに
赤ワインとハーブを加え

煮詰めていきます。

そこに 事前に作っておいた
牛と野菜を凝縮したソースを加え

再び煮詰めます。

別の鍋に…
あっ なんか白いものを入れました。

これですね これ。

先ほどのイラストにあった
謎の食材です。

これを 赤ワインソースに加え
弱火で温めます。

塩ゆでにしたセロリの上に
ソースをかけて

更にスライスした謎の食材をのせたら

付け合わせの出来上がり。

こちらが 謎の食材の正体
牛の骨髄です。

骨の真ん中にある
脂肪と たんぱく質の塊。

なぜ これに注目したかというと

骨髄には 料理に加えるだけで

うまみを増強するパワーが
秘められているのです。

骨髄の うまみ増強パワーとは
一体どのようなものなのでしょうか?

これは 人間が感じる味覚を数値化する
味覚センサーです。

牛の骨髄と鳥のローストを
それぞれ フードプロセッサーで粉砕し

ペースト状にして
うまみの強さを計測します。

まずは 鳥のローストだけの場合。

この時 得られた
うまみの値を100とします。

次に 鳥のローストと 牛の骨髄の
ペーストを 9対1の割合で混ぜ合わせ

うまみを計測。

すると うまみの値は 119。

牛の骨髄を ほんの少し加えただけで

うまみがなんと 19%もアップしたのです。

ほんとに普通の人でも

あっ 味が変わったな
というようなぐらいの変化ですので。

なぜ骨髄を加えると
うまみがアップするのか?

詳しいメカニズムは
まだ解明されていません。

骨髄を加熱すると
たんぱく質や脂肪が分解されて

さまざまな物質が生まれます。

その中に含まれる未知の成分が

舌の表面にある味細胞に
複合的に作用して

鳥のうまみを強く感じるようになると
考えられています。

フランス料理では
この うまみ増強効果をねらって

経験的に スープやソースの材料として
牛の骨髄が よく用いられます。

徳蔵は その極意をフランスでマスター。

骨髄が生み出す未知の成分で
一世一代の大勝負に挑んだのです。

骨髄が ふんだんに入った
付け合わせのソースは

煮詰めたワインの酸味と一体となり

一緒に食べる七面鳥と
うずらのローストのうまみを

格段に押し上げたことでしょう。

大正天皇即位の晩さん会。

大成功の裏には 20代半ばにして

人が何をおいしいと感じるかを
知り尽くしていた

徳蔵の きらめく理論とテクニックが
あったのです。

(関根)いや~。
綿密に考えられてて

でも 感覚も大事にされているっていう
すごい仕事ですね。

うまさってね… あの~
白い部分ね 骨髄ですよね。

だけど それ 分析 今やってんだけどね
まだ出てないですね。

やっぱりね 相乗効果なんですよ。
あっ… あ~ なるほど。

格段に そんなに変わるものなんですか?

あの「トロ」がないとね
それが いかないんですよ。      骨髄。

牛はすごいですね。 だって 皮は

ジャンパーになったり
バッグになったり 靴になったり。

無駄なく。
で 舌もおいしいし

内臓から肉もおいしいのに 骨髄まで!

骨の髄までっていうとこですよ。
ほんとに そうですよねえ。

もう感謝ですね。

だけど 二十歳の時にフランスに渡って。
で しかも100年以上前ですよ。

そうです。 だから 事前に
フランス語を学ぶようなところ

100年前はないですよね。
あ~ ないですねえ。

学んでないんじゃないですか?
ねぇ。 だから行き当たりばったりで。

それで向こうに行った時に
まあ いじめられるんですよね。

(関根)そりゃそうでしょう。
もうね 非常に いじめられた。

今の日本人だって フランス行ってね
修業してる人っていうのはね

「何だ お前 ジャポネ ジャポネ」って
言われるんですよ。

ジャポネっていうのはね ちょっと…
ちょっとこう悪い意味で言うんですよ。

それを乗り越えて… ねえ。

すごいホテルまで いったんですよね?
そう。

でも その二十歳で行って

宮中晩さん会の料理長として呼ばれるのが
25ですから。

先生 5年! 5年ですよ 5年!
(竹山)早い。

普通できません。
いや 僕も そう思いますよ。

やっぱりね それはね
彼は もともとベースがね

非常に感性があったんでしょうね。

それと おふくろの味とか
そういうものも やっぱり ず~っと

ああ 懐かしいなとかね そういうことを
いつも思う人だったと思うんですよ。

大事なことなんですよね。
後から 絶対ね プラスになりますから。

さあ その宮中晩さん会を
成功に導いた秋山徳蔵のですね 秘策

ポイントとして まとめてみますと
このようになります。 はい。

まずですね 最初に
スープが決め手だということでした。

それで 大事なことは
おいしさというのは思い出なのであると。

つまり 幼少期に食べて
おいしいと思ったことは

生涯にわたって やみつきになる。

それはもう おいしいものだと
自分にとって。

フランスにいたから
これが分かったんですよね。

日本人の人だと
伊勢エビで作っちゃいますよね。

(服部)作っちゃいますね 絶対ね。

竹山さんは 思い出の味って どういう?

僕 福岡出身なんで
どうしても周期によって

とんこつラーメンしか食べたくない日が
あるんですよね。

で やっぱ それ食べると
何となく落ち着きますよね。

心身ともに満足できるというか
安定するというか。   (竹山)そうですね。

僕ね 楽しい思い出というかね
ドキドキした思い出がね

蜂の巣があったんですよ。
で うちの兄貴と… 7つ上なんですけど

その兄貴の友達2~3人で 蜂の子を
出すんですね 巣から こうやって。

あの白い芋虫みたいなやつ?
そうです そうです。

それをね フライパンでね 煎ってね
しょうゆ かけるんですよ。

僕も食べたいと思って食べたら
ほんと おいしかったんですよ。

だから気持ち悪いとか そういう以前に

その冒険心と みんなの
おいしそうな顔でね 僕も…。

だから 今でも蜂の子 大好き。

だから あの~
結構 虫 食べられるんですよ。

だから番組で重宝されるんです。
(笑い)

げて物 扱いの時ね。
げて物 食えるんですよ 意外と。

だからね 幼少期って
すごい大事なんです。

是非ね 皆さんもね 小さい頃から
どんどん与えた方がいいですよ。

いろんなもの
食べさせた方がいいんですね?

そうですね。 覚えてますから。

ねっ! ということで
大成功だった晩さん会。

皆様 ザリガニ 気になりません?

ああ なりますね。
気になりますよね。

というわけで 欧米人やみつきの味
ザリガニを味わって頂きます。

北海道の阿寒湖から取り寄せました。

塩ゆでになっております。
(関根)そうですか。 はあ~!

はい。 パカッと上を 殻を外して頂くと…。

(押切)身は結構 小さくなるんですね。

(関根)ああ ほんとだ。
このくらいのものなんだ。

頂きやすいんじゃないでしょうか。
(関根)ああ ほんとだ。

こういう感じですね。
はいはいはい。

(関根)カニのような
エビのような。

カニみそみたいな。
ああ おいしい。

みそ ほんとにおいしいです。
(関根)いや おいしいなあ!

(押切)臭みとかもないし。

え~!
身も柔らかくて すごい なんか

オマールエビの大味感が
ギュッと濃縮されたような感じです。

秋山徳蔵は これを 3, 000匹も
それこそ スープにして。

すごいですね~!
あのスープ

相当おいしいのが分かりました。

この殻と身の間を潰すとね
すごくいいエキスが出てくるんですよ。

おいしいなあ。

続いての診断は

毎日の食卓を取りしきる

天皇の料理番としての こだわりです。

徳蔵は フランスでの料理修業中
すっかりフランスが気に入り

料理人として フランスで生きていく
決意を固めていました。

大正天皇即位の晩さん会のために
帰国が決まっても

その気持ちは揺らぎませんでした。

しかし 晩さん会を
大成功に導いた徳蔵には

特別なポストが用意されます。

徳蔵は 天皇家の食事の一切を
切り盛りする

宮内省大膳寮の初代総料理長に

29歳の若さで就任。

その4年後 大正天皇が病弱だったため

皇太子の裕仁親王が摂政になります。

後の昭和天皇です。

徳蔵は以後 50年の長きにわたって
昭和天皇の健康を気遣いながら

料理を出し続けることになります。

天皇の料理番になって
悩ましかったのは

昭和天皇が食べたいものや 食べ物の
好き嫌いを一切おっしゃらないこと。

徳蔵の方から 話しかけたり
食べたいものを伺ったりすることは

決して許されません。

下がってきた お膳の残りを調べて
好みや体調を推し量り

献立に生かします。

徳蔵は 食材にも
とことん こだわりました。

こちらは 天皇家の食卓を支える御料牧場。

羊や豚 季節の野菜などが
生産されています。

徳蔵は この地を度々訪れ
食材の生産状況に目を光らせていました。

良い食材を仕入れるために 時には
自ら築地の魚河岸へ足を運びました。

仕入れた食材は
飽きることのないように

味付けや調理法を
少しずつ変えて

食卓に出しました。

徳蔵のもとで働き
昭和天皇の日々の
料理を作っていた

谷部金次郎さんです。

日常の3食を作る場合 まあ これ
家庭の主婦も共通なんですけれども

食べる方が
いつも一緒ってことになると

じゃあ どうしたらいいかっていったら…

揚げたり 煮たり 焼いたりとか…

…だったんじゃないかな
と思うんですよね。

だから決して 奇抜なことは
やらなくていいんだよってのは

何回か言われたことありますよね
やっぱり。

徳蔵が 昭和天皇の健康を
守るために出していた 毎日の食事。

一体どのようなものだったのでしょうか?

昭和天皇の日々の食事は
戦後 人間宣言をしたあとも

長らく秘密とされてきました。

昭和32年。 徳蔵が
出版した本によって

初めて その内容が
明らかになります。

当時 50代半ばの昭和天皇が食べた
ある一日の献立です。

これをもとに 食事を再現。

洋食です。

トーストには ジャムやバターをつけます。

牛乳と砂糖を加えた…

昭和天皇の好物だった牛乳と果物は
昼食と夕食にも出されました。

朝からボリュームのある食事です。

和食です。

再び 洋食です。

スープ。

意外にも家庭的な料理が多かったという
昭和天皇の食卓。

実は 健康長寿の秘けつが隠されています。

その一つが 食事の時間。

昭和天皇は 健康のために
規則正しい生活を心掛け

毎日 決まった時間に
食事をとっていました。

このライフスタイルこそが
健康長寿の秘けつだと

食事時間と
健康の関係に詳しい

時間栄養学の専門家は
指摘します。

私たちの体の
体温・血圧・ホルモンの分泌などは

体内時計によって
コントロールされています。

アメリカの研究によると

時差の影響で体内時計が乱れやすい
国際線のパイロットや客室乗務員は

一般の人に比べて がんの発症率が
高いことが明らかになっています。

体内時計は これまでも

朝 日光を浴びることによって
整うことが知られていました。

しかし 近年の研究で

食事も重要な鍵を握っていることが
分かってきました。

アメリカ ソーク生物学研究所の
実験によると…

健康が増進するといいます。

実験では 1日14時間以上にわたり
食事をとっている人を集め

その人たちの食事時間を縮めて
12時間以下にさせたところ

3週間後には 体重が減り

睡眠の満足度も
朝の活力もアップしました。

体内時計が整ったためだと考えられます。

改めて 昭和天皇の食事を見てみましょう。

朝食は8時30分。

夕食は18時で
食事が終わるのが19時ごろ。

朝食をとって 夜 食事を
終えるまでの時間は 10時間30分。

12時間以内という基準を
十分に満たしています。

体内時計は 食事時間によって
整っていたと考えられます。

ちなみに昭和天皇は 夕食後に夜食など

食べ物を口にすることは
一切なかったといいます。

栄養学的な面からいっても 夜寝る前に
食べるのは あまりよくないとか。

そういう医学的なものも含めて

多分 ご自身が感じられてるんじゃ
ないかなと思いますけどもね。

少なくとも…

…が 昭和天皇の
健康長寿を支えていたのです。

昭和天皇のために 日々 細心の注意を
払って料理を出し続けた徳蔵ですが

ひとつ 残念で
たまらないことがありました。

それは 料理の温度です。

戦前から戦中にかけて
昭和天皇が生活していた明治宮殿は

厨房から 天皇が
食事をする部屋まで

およそ 250mも
運ばなければ

食事を出すことが
できませんでした。

精魂込めて作った料理も
箸をつける頃には

かなり冷めてしまいました。

盛りつける時間もあるし
運んで即ってことじゃなく

セッティングして 女官さんにお渡しして
それからっていう形になるでしょうから

一般の方が
ぬるいって感じるかもしれない。

せっかくの温かくて おいしい料理も
冷めてしまえば 台なし。

おいしく食べてこそ
栄養が身につく。

徳蔵の この言葉は

実は科学的にも
理にかなっています。

おいしく食べるのと
おいしくないと感じて食べるのでは

健康効果が異なります。

料理を食べて おいしいと感じると
副交感神経の活動が高まります。

すると 胃腸の動きが
活発になり

消化吸収が促され

食べ物に含まれる
栄養を 効率よく

体内に とり込むことが
できます。

しかし 料理を食べて
おいしくないと感じると

反対に 交感神経の活動が高まり

胃腸の動きが
抑制され

栄養を吸収する力が
低下します。

おいしく食べることと 健康維持には
深い関わりがあるのです。

「宮中の慣習で 冷め加減の料理の味しか
ご存じない陛下に

是非 一度…」。

それが 徳蔵の願いでした。

ここに
天皇に熱々の料理を食べてもらうため

徳蔵が 宮中の仕事を終えてから
通った店があります。

天ぷらの専門店です。

天ぷらは徳蔵の好物。

揚げたての おいしさを
知って頂きたかったのです。

フランス料理一筋で生きてきた徳蔵が
還暦を過ぎてから始めた 天ぷら修業。

そして 宮中の慣例を破り
昭和天皇の目の前で

自ら 天ぷらを揚げました。

店の主人は その時の様子を
伝え聞いています。

今までは そういう熱い料理を あんまり
召し上がったことがないんだと思います。

揚げたてを おいしく召し上がれば
栄養も身につく。

天ぷらに込めた 熱き思いでした。

天皇の料理番として
おいしさと栄養を追い求め続けた徳蔵。

そのかいあって 昭和天皇は
80を過ぎても

元気に公務を行うことができました。

昭和47年。 84歳になり
足腰の衰えを感じた徳蔵は

「天皇の料理番」を
引退することを決意します。

徳蔵は 別れの挨拶のために拝謁しました。

宮中に勤めて 58年。

昭和天皇から
ねぎらいの言葉をかけられました。

天皇の退席後 感極まった徳蔵は
人目もはばからず

大声で泣き続けたといいます。

料理を通して 皇室と昭和天皇を
支え続けた 秋山徳蔵。

天皇の料理番を引退した1年半後。

帰らぬ人となりました。
料理一筋の人生でした。

いやぁ 立派な人生ですねぇ。 58年。
はい。

はぁ~。 で 温かいものを天皇陛下に
もう食べさしてあげたいっていうんで

60から習ったわけですよね。
はい。 天ぷら習いに行くんですもんね。

いやぁ すごい。 プロ意識が高いですよね。
(服部)それ ありますよね。

ほんとに…

幸せ。
幸せ… バッと出るんですね。

でね…

(服部)だから おいしいもん やっぱり
食べましょう。       (押切)そうですね。

どうです? ご主人様は おいしい
おいしいって言って下さいます?

結構おいしいよとか言ってくれるのを
大事にしてますね。

それも励みになりますよね
作る方としては。     すごくなりますね。

あと やっぱ反応で さっきの
残ったおかずのお話じゃないですけど

何が ほんとに好きなのかとか
無理して食べてないかとかが分かるので

やっぱ声は大事ですね。

でも 昭和天皇って 好きな食べ物も
おっしゃって下さらない。

やり取りができないのは
作る側は大変ですよね。

でも 昭和天皇は
だから 料理番の方が

あらゆるものを うまく出してたから
別に…。

ご不満もなかったのかもしれないけれど。

おいしかったから。
(服部)そうですね。

でも 聞けないのは大変ですね。
そうですね。

僕なんて もう絶対に好きなものしか
食べたくないですよ。

ええ。 ということで 本日は天皇の料理番
秋山徳蔵の人生 見てまいりました。

健康診断してまいりました。
いかがでしたでしょう。

ほんとに若い時から勉強熱心で
皆さんに楽しんでもらうという

その心の目を大事にされてたのが
印象的で。

で 徳蔵さん自身も 84歳まで すごく長く
健康で仕えていたということなので

すばらしいなぁと思いました。

食べ物を食べるということを

もうちょっと真剣に考えた方が
いいなと思いましたよね。

一個一個ちゃんと意味があって。

自分の体にも意味あるし 作ってくれた
人の意味もあるしっていうのを

改めて感じた方がいいなというのは
すごく勉強になりました。

で やっぱり おいしいものを作んなきゃ
いけないっていうのも思いました 私。

秋山徳蔵は まあ現代に どういうものを
残してくれたんでしょうね?

そうですね。 結局ね 我々 業界

業界というのは 料理関係者の人たちから
見るとね 一つの憧れなんですよね。

ああいうふうに 将来 何らかの形で

トップの人に作ってあげられるような料理を
自分たちは作りたいと思っている人

たくさんいるんですよね。

そういうね 一つの夢をね
与えてくれた人ですよね。

ほんと すばらしいと思う。

そして それを一心にね
生涯そのために

手を抜かなかったということですもんね。
(服部)そうですね。

はい。 今日は ありがとうございました。

ありがとうございました。

天皇と皇室のために
58年の長きにわたって

料理の腕を振るい続けた 秋山徳蔵。

天皇の料理番として最も苦労したのは
太平洋戦争の末期だったといいます。

戦況の悪化は
昭和天皇の健康にも影響を及ぼしました。

宮中は
深刻な食糧難に見舞われていました。

昭和天皇から
「闇のものに手を出してはいけない。

国民と同じものを食べさせよ」との
お達しがあったためです。

宮中に蓄えてあった食材は
底をつきました。

徳蔵は 天皇に 乾燥野菜や乾パンなどを
出さなければいけない状況に追い込まれ

心を痛めます。

いろいろと 苦労をなさって

それでも 両陛下の健康を
支え続けられたっていうのが やっぱり

多分 一番の喜びだったんじゃないかなと
思うんですよね。

戦時中なんかも もう
ろくなものが手に入らなかった。

でも 両陛下のためにってことで

その限られた材料で
お食事をお作りしてて

お喜び頂いてたっていうのは やっぱり
料理人冥利に尽きたんじゃないですかね。

徳蔵は 天皇と皇室のために

戦争の時も 平和の時も
常に全力で食材と向き合い

おいしい料理を追い求め続けました。


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