先人たちの底力 知恵泉「組織の命運 その決断の時 武田勝頼(後編)」自らの力を過信し、結果、大局を見失い…



出典:『先人たちの底力 知恵泉「組織の命運 その決断の時 武田勝頼(後編)」』の番組情報(EPGから引用)


先人たちの底力 知恵泉「組織の命運 その決断の時 武田勝頼(後編)」[解][字]


偉大なる父信玄の死後、後継者として名門武田家を率いた武田勝頼。しかし自らの力を過信し、結果、大局を見失い武田家滅亡を招く。後編は勝頼の決断から負の知恵を探る。


詳細情報

番組内容

戦国時代、敗れた者からの教訓を探る2回シリーズ。取り上げる人物は偉大な父の後を継いだ息子・武田勝頼。“甲斐の虎”と称された父・信玄に比して暗愚の将と言われてきた勝頼は、信玄の死後、後継者として名門武田家を率いることになる。しかし、自らの力を過信し、その結果、大局が見られなくなり、判断ミスを犯して名門武田家滅亡を招いた。後編は勝頼が下した折々の決断から負の知恵を探る。

出演者

【出演】名越康文,駿河台大学教授…黒田基樹,遼河はるひ,【司会】新井秀和




『先人たちの底力 知恵泉「組織の命運 その決断の時 武田勝頼(後編)」』のテキストマイニング結果(ワードクラウド&キーワード出現数ベスト20)

先人たちの底力 知恵泉「組織の命運 その決断の時 武田勝頼(後編)
  1. 勝頼
  2. 信長
  3. 自分
  4. 長篠
  5. 武田
  6. 北条
  7. 家康
  8. 景勝
  9. 信玄
  10. 景虎
  11. 織田
  12. 同盟
  13. 徳川
  14. 武田勢
  15. 和睦
  16. 知恵
  17. 長篠城
  18. 家臣
  19. 設楽原
  20. 当主


『先人たちの底力 知恵泉「組織の命運 その決断の時 武田勝頼(後編)」』の解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)


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何をやっても うまくいかない。

人生 そんな時もありますって。

でも やけになっては 駄目 駄目。

「巨星 墜つ」。

元亀4年 東国に広大な領地を有した

名将 武田信玄が

50年余りにわたる波乱万丈の生涯を
閉じました。

その跡を継いだのが
信玄の子 武田勝頼です。

その時 28歳。

若き当主の前には
さまざまな難題が山積していました。

それまで鉄の結束を保ち

武田家を支えてきた
家臣たちは

新たな当主に対し
何かと反発を重ねます。

家の外にも強力な敵が。

信長や家康

上杉謙信 北条氏政など

信玄亡きあと
武田の領国を奪い取ろうと

虎視眈々と狙いを定めています。

勝頼は 持ち前の知恵と勇気を駆使し
こうした困難を次々と打開。

敵である信長さえ

感服させる指導力を発揮したのです。

「勝頼は 油断ならぬ敵である」。

しかし 順風満帆の時代は
長くは続きません。

あの 長篠の戦いでの敗北を皮切りに

勝頼は 負の連鎖に取り込まれていき
ついには自刃。

戦国大名 武田氏は滅亡したのです。

偉大なる父に決して劣らない才覚を
持ちながら

一体なぜ 勝頼は 滅びの道を歩んだのか?

そこには 勝負どころで犯した
数々の失敗があったのです。

どうも~。

そんな勝頼の心の内に迫るのは

バラエティー番組でもおなじみ…

人間の潜在能力を発揮するには
どう 心を整えればいいのか?

心理学や自身の臨床経験などを基に

執筆活動など 多彩な活躍を続けています。

武田家の若きプリンス
勝頼の犯した失敗。

そこに至る苦悩と葛藤を

心のスペシャリスト 名越さんが
読み解きます。

今週もね 心のスペシャリストである
名越さんに

ちょっと こう 勝頼の心の内を
のぞいて頂こうと。

先週 すごかったですね。
いやもう ドキドキして。

僕の中では
ちょっと不安も目覚めたりして

どうなるのかなっていうとこですね。

今日は ちょっと 一転して
滅亡への道を歩んでいく姿を

見ていこうと思うんですが

その反面教師の知恵を学んでいけたらな
というふうに思います。

皆さん 覚えてますか?
先週から引き続いて

メニューは こちらですよ。

まだ2本 残ってますからね
味わっていきたいと思います。

その3つ目の知恵が こちらですね。

最近は 「長篠・設楽原の戦い」なんていう
呼ばれ方もしますけれども。

これはもう 信長が鉄砲で
三段撃ちしたシーンは すごく有名で

ドラマや映画でも
よくあるシーンですよね。

僕ね 最近 ネットで

「三段撃ちは なかったかも」っていうのを
読んじゃったんですよ。

駄目じゃないですか そんなこと言ったら。
いやいやいや でも

黒澤 明の「影武者」であっても

最後 ババババ ウワ~って
このね 影武者が うろたえるシーン。

「あれ うそだったの?」みたいな。

先生 どっちなんですか?
ドラマですから 所詮ね。

えっ…。
真実は ちょっと違いますから。

違うんだ。

まあ でもね そんなふうに
さまざまなフィクションで

題材にされる戦いですけれども

歴史上の位置づけとしては
どうなんですか?

大きなターニングポイントに
なったことは間違いなくて

やっぱり信長が 東国最大の大名である
武田に大勝利を収めたことで

いわゆる天下人っていう
将軍相当の立場に…。

じゃあ 何となく三段撃ちしてほしい
雰囲気になるんですけど。

むしろ 今 本当の事実が分かったことで

それを基に
想像していく方が面白いじゃないですか。

新しい面白みが出てくるじゃないですか。

味わってみますか? 何があったのか。

じゃあ 勝頼が長篠で犯した失敗から

知恵を味わって頂こうと
思うんですけれども。

これはね やっぱり
飛び切り辛口でございます。

辛口ですか~。
ええ。 どうぞ。

でも 味わいがいがあるってことですよね。
ねえ。 ちょっと キリッとしてそうですね。

甲府盆地の東部に位置する山梨市。

山あいにたたずむ
一軒の郷土料理店があります。

店の奥には 武田家ゆかりとされる
秘蔵のお宝が展示されています。

(取材者)はあ~。

(取材者)そうなんですか…。

「長篠の戦い」とは 天正3年5月21日

武田勢 一万数千と

織田・徳川の連合軍 3万余りが
相まみえた戦い。

ここで勝頼は
大量の鉄砲を持って待ち構える敵陣に

武田の誇る騎馬軍団で猪突猛進。

武田二十四将といわれた重臣の大部分を
戦死させてしまいました。

無謀な突撃を決断した勝頼は

「指揮官 失格!」などと
よく言われますが…。

戦国乱世の分水嶺となる長篠の戦いで

なぜ勝頼は 兵力の上回る相手に

無謀にも
勝負を挑んでしまったのでしょうか?

長篠の戦いの直前 勝頼は とにかく
いけいけ ゴーゴー 絶好調。

父 信玄の死後 武田の新たな当主として
真価の問われた東美濃攻めでは

あの織田信長が持つ 18の城を攻略。

続いて 徳川家康が持つ
遠江の要衝 高天神城も占拠。

父 信玄の代から 武田と徳川の間で
攻防が繰り返されてきた

この城を手に入れたことで

勝頼の名声は内外にとどろきます。

果敢に領国の外へ攻め出し
着々と実績を重ねてきた勝頼。

亡き父 信玄の忠告など

すっかり頭から
抜け落ちていたのかもしれません。

ここで 今日 1つ目の知恵。

それは 元亀4年。

病に臥した信玄は 勝頼を呼び寄せます。

よいか 四郎 よく聞け。

これから言うことを
肝に銘じるのじゃ。

はっ。

信玄の遺言。 それは…

天正3年
信長の領地 東美濃を手に入れた勝頼は

次なる戦いに臨みます。

狙いは
家康が持つ三河国 長篠城の攻略でした。

現在の愛知県東部に位置する
長篠城は

家康の拠点 岡崎に近く

徳川と戦う上で
押さえておきたい城でした。

勝頼には勝算がありました。

そのころ 信長は 河内国
現在の大阪で交戦の真っ最中。

信長の援軍がなく 家康だけなら

勝利は たやすいと
確信していたのです。

5月1日 長篠城を包囲した勝頼は
猛攻撃を加え始めます。

ところが 長篠城は

家康の家臣 奥平信昌を中心に
粘り強く戦い

2週間たっても落とすことができません。

更に 意外な知らせが入ります。

お館様! 織田の軍勢が

既に 三河まで来ているということで
ございまする。

何だと!

なんと 家康のSOSを受けた信長は

河内国での戦いを早々と切り上げ

大軍を伴い 長篠に向かっていたのです。

しかし この段階では
勝頼に まだ焦りはありません。

長篠は 渓谷の広がる山間地。

信長が大軍で押し寄せようとも

険しい山あいでは
軍勢を展開することはできません。

一方 山国育ちの武将がそろう
甲斐の武田勢は

急峻な場所での戦いを
大の得意としていました。

この時 信長と家康は

徳川勢の守る長篠城に直行せず

西に3キロメートルほど離れた設楽原で

行軍を止めています。

設楽原は 東西を小高い丘に挟まれた
幅 数百メートルの平地です。

信長は なぜか ここから
ぴくりとも動きません。

武田 一万数千
織田・徳川 3万余り

数日間 にらみ合いを続けました。

武田家の戦略戦術を記した
「甲陽軍鑑」には

合戦を前にした武田の軍議の様子が
記されています。

敵は 我々の2倍の兵があります。
ここは潔く 退くのが得策かと。

お館様 ご決断を。

戦力に歴然と差がある上に

敵が立て籠もる長篠城を
陥落しないまま戦っては

前後から挟み撃ちにあいかねないと
重臣たちは撤退を主張。

しかし 勝頼は…。

いや 敵に背中を見せるは 武田の名折れ。

突撃あるのみじゃ!

一体なぜ 勝頼は
かたくなに決戦を主張したのか?

長篠・設楽原の戦いの前日

勝頼は 家臣に
こんな書状を書き送っていました。

「ぜひとも敵陣に攻めかかり

信長・家康ともども撃破して

本意を遂げたい」。

「本意を遂げる」。

この強い思いが
勝頼の判断ミスにつながったと

研究者の平山 優さんは考えています。

織田と徳川を討ち滅ぼし
あわよくば 自分が天下人に。

圧倒的な兵力の差があるにもかかわらず

そんな見果てぬ夢が 勝頼の背中を押し

決戦に踏み切らせたのでしょうか。

勝頼は 包囲していた長篠城から
設楽原に軍勢を動かし

5月21日早朝

織田・徳川連合軍に突撃をかけました。

実は信長は 武田勢が山あいから
飛び出てくるのを待っていました。

信長が用意した鉄砲は
一説には 3, 000丁ともいわれています。

その目の前に おびき寄せられた武田勢は
1万人以上の戦死者を出し

重臣の多くも失ってしまいました。

当初から開戦に反対していた武将の一人

穴山梅雪は 勝頼に詰め寄ったといいます。

命からがら逃げる勝頼。

彼の脳裏には 父 信玄の遺言が
こだましたに違いありません。

山国育ちの武田勢を率いた勝頼は
自らの軍勢に有利な山あいを離れ

一方 鉄砲で迎え撃つには
見通しのいい平野に敵を引き入れた信長。

戦う前に 勝負は決していました。

長篠・設楽原での武田勝頼の敗北は

その教訓を今に伝えているのです。

あら~。
つらすぎる。

いかがですか?
今まで勝っていたという

成功から来る自信が ふう~って感じ。
まあ 分かりますよね。 分かりますけど…

ここまで成功していると。

確かに成功してるから
「いっちゃえ」って言ってるんですけど

その人の内心は 実は

そんなに 勇気りんりんでもない人の方が
多いんですよ。

どっちかっていうと
これで引いちゃったら

過去の自分の栄光が汚れるというか。

だから すごく焦ってるっていうことが
実情なんですよね。

だって もう上しか行けないですもんね。
上しか行けない。

ちょっとでも下がると 「あの人 ちょっと
落ち目になったね」とか…。

でも 僕 30代の自分を思い返してみたら

やっぱり 調子に乗り過ぎてたとこは
あったような…。

決して勝頼を責めることはできない
感じはします。              確かに…。

先生 でも信長もね この戦いに
心に期するものがあったって…。

いや ちょっと待って下さい。
えっ? そうなんですか?

信長にとっての最大の関心事は
あの時は 大坂本願寺との…。

あっ 本願寺とのね はい。
それを切り上げて 来てるわけですよ。

家康も 多分 暗に言ったと思うんですよ。

危ない局面じゃないですか
意外に。

だから 信長は必死こいて来るんですよ。
行ったんですね。

ただ そこで正面衝突は
したくなかったので…

鉄砲っていうのは
守備用の武器だったので あの時は。

攻めるというよりも守る。
守る。

だから 後ろの方に陣をひいたんだ。

「後退してくれればラッキー」
っていうのが

御の字っていうのが
信長の考え方でしょうね。

ところが そこに
ダ~ッと行ったということですか?

ところが 勝頼は
「もう全然 やる気ないじゃないか」と。

「ちょっと
弱気なんじゃないか」と。

「これは 行ったらイケるんじゃねえか」
っていうふうに

思っちゃったってことですね。

何で あの遺言を思い出せなかったのか
ということだと思うんですけれども…。

それは 先週の高天神の戦いですよ。

あの辺りで
大勝利をしてしまったことが

同時に ある意味 戦国大名としての
自分のデビューになっちゃったので

もう 自分のイメージとして
固まっちゃったような気ぃするんですよ。

だからね…

本当は ほかの大名家なんかだと

お父さんが隠居でいて
いろいろ アドバイスを

本当は もらえるんですよね。
なるほどね。

そこがいないっていうところが
ちょっと かわいそうかなっていう…。

それを 僕らの世界では
メンターとか あるいは師匠ですよね

そういうふうに言うんですけど

「自分のメンターは 平時の時に
持っておきなさい」って 僕 言うんですよ。

いざという時に すごく焦ってる時に
うわ~ 誰か偉い人いないか…。

そこへ行ったって その人の話を
まともに聞けないんですよ。

だから 自分が
まだ余裕を持ってる時期に

自分が動揺してることを見抜いてくれて

「Aじゃないよ Bだよ」って
言ってくれる人は

平時に持っといて下さいと。

「できたら2人 持っておいて下さい」って
僕は助言します。

2人っていうのは いろんな意見を
っていうことですか?     そうです。

一応 まだ あの時は家老たちが
自分より年上で…。

でも 家老も 「ちょっと これは
やめておこう」と言ったにもかかわらず…。

やっぱり最後は 当主の言ったことには
逆らえないですからね。

僕ね 一つね
こうなっていってる時の特徴は

周りの人に どんどん
腹を立てだすんですよね。

自分が スーパーマンに見えてるから
すごく攻撃的になる。

攻撃的になると 周りの家臣
あるいは 古くからの武将も

もう言えなくなっちゃう
っていうようなね。

実際に見ると そういう人は
怒りっぽくなってると思います。

でも… 何か 分かります。
自分も調子に乗ってる時って

すごい… イライラじゃないですけど…。
そうなんですよ。

調子に乗ってる時って
イライラしてる時なんですよ。

そうですよね。 ちょっとでも
自分の気に入らないことがあると

何か ちょっと
人のせいにしてみたりっていう…。

遼河さん どうですか?
宝塚っていう組織の中で

上り調子の時とかって
どんな感じでした?

役を頂けるようになって
やっぱりスターになっていくと

やっぱり
ファンの人も もり立てて下さいますし

調子に乗ってるように
させて頂けるんですよ。

どっちかっていうと ファンの方に。
すばらしい。

それで 何か スターオーラというものを
身につけさせてもらえるようになる。

でも それで 自分が 私生活でも
そういうふうに 鼻も高くなっちゃうと

やっぱり痛い目を見ますよね。

それは ちょっと
ガ~ッと ピノキオみたいに伸びて…

いやいやいや…。
見たことがあるような感じでしたよね。

でも 思えます?
正直 みんなが盛り上げてくれて。

でも そこが うまいところで
宝塚は やっぱり…

ああ そっか。

やっぱり 自分たちが一番下。
そうか。

スタッフさんを大切にっていうところで

やっぱり そこで こうなってたら
バンッてやられますよ やっぱり。

逆に そこも見越したシステムを
作ってるわけですね。

それで 代々 そういう厳しいしつけを
受けてるっていうのは

やっぱり 分かっていくんですよ。
そういう経験をする。

「いつの間にか」みたいな…。
いやいや そんなことはないですよ。

いろんな 皆さんの中で 私たちはね…。

そうか そうか。
その辺は 分かんないんですけれども…。

うまく…。
ええ。

さあ 皆さん 利き酒セットも
早いもので あと一本となりましたよ。

4本目のお酒 いきますか?
はい。

こちらですね。 これはですね
長篠ほど有名ではないんですけれども

この「御館の乱」っていうのも
勝頼の運命を

それ以上に
左右したということなんですよね?

そうです。                    で これが
武田滅亡の直接的な要因となっていくと。

舞台はですね 米どころ 新潟。

そのお米で仕込んだ
純米酒でございますので

味わって頂きましょう。

長篠で大敗し 大きな痛手を受けた武田勢。

しかし勝頼は 立ち止まることなく
次の戦略を打ち出しています。

まず行ったのは 戦死した当主に代わる
跡継ぎが不在の家へのサポート。

そして 長篠の戦いから3か月余り
徳川勢の侵攻を受けた際

1万3, 000の兵で迎え撃ち
家康を撤退させます。

外交面でも 勝頼は抜かりありません。

父のライバル 隣国
越後の上杉謙信と

和睦を結んだかと
思えば…。

かねてから
同盟を結ぶ北条から

妻を迎え入れ
関係を強化。

織田・徳川の脅威に
備えようとしたのです。

手痛い敗北にめげることなく
一つ一つ対処していった勝頼。

しかし 一度狂ってしまった歯車は
そう やすやすと戻りません。

天正6年 上杉謙信 城内の厠で死す。

謙信の死が 勝頼 そして 武田の運命に
大きな波紋を巻き起こしていくのです。

新潟県南西部の上越市。

この地に拠点を置いた上杉謙信は

勝頼の父 信玄と
長年のライバル関係にありました。

信濃の北部を巡り 5回にわたって
繰り広げられた 川中島の戦いは

明確な勝敗がつかないまま。
両者の実力は 常に伯仲していたのです。

そんな謙信が
信玄の死にざまをなぞるように

急死を遂げたあと
家督を継いだのが 景勝でした。

実子のいなかった謙信は
甥の景勝を養子とし

後継者に据えていたのです。

しかし 反対勢力が家中に現れました。

景勝に反目する武士たちが
同じく謙信の養子である景虎を擁立し

武装蜂起を企てたのです。

この景勝派と景虎派の跡目争いは

越後全域を
泥沼の内戦に巻き込んでいきました。

景勝が 上杉家の本拠 春日山城に
拠点を置いたのに対し

景虎は
同じ上越市内の御館と呼ばれる館に

拠点を置いたことから

この上杉家のお家騒動は
御館の乱と呼ばれます。

この時 騒動の成り行きを静観していた
勝頼のもとに

同盟を結んでいた北条氏政から
ある要請が舞い込みます。

その内容は 「上杉景虎に
加勢してほしい」というもの。

実は 景虎 北条氏政の実の弟でした。

かつて 上杉と北条が同盟を結んだ時

養子となっていたのです。

もちろん 氏政としては 弟を助けるため

援軍を派遣したいところでしたが

あいにく
関東で 佐竹などと激しい戦いの最中。

そのため 同盟相手の勝頼に

景虎救援を依頼してきたのです。

盟友 氏政からの たっての願いを受け

勝頼は 越後に向けて
軍勢を出発させました。

ところが 今度は もう一方の当事者
上杉景勝から連絡が入ります。

何だと!

そのころ 御館の乱は

景虎派が形勢を有利に
運んでいました。

焦りを感じた景勝。

一発逆転をもくろみ

景虎についた勝頼に

和睦を
申し入れたのです。

まさかの申し入れに
当初は戸惑いを覚えた勝頼でしたが…。

なんと 交渉を受け入れて

和睦を結んでしまいます。

その上 当初 加勢するはずの景虎に

争いをやめるよう言いだします。

これには
景虎も北条も

話が違うと
びっくり仰天。

一体なぜ 勝頼は
同盟相手の北条や景虎を

ないがしろにする行動をとったのか。

一説には 和睦の際 景勝から贈られた
多額の金品があったとも…。

ところが 2つの理由が
勝頼にはあったようです。

その後 御館の乱は

勝頼の思惑とは異なる経過を
たどりました。

勝頼の仲介により和解した
景勝と景虎でしたが 間もなく決裂。

形勢は逆転し 越後国の内乱は景勝が勝利。

景虎は自害に追い込まれます。

ところで 勝頼といえば…

和睦の見返りに 上杉の領国の一部を獲得。

領土は ついに日本海まで達し

勝頼は 信玄の時代を超える領地を
手に入れたのです。

当初の予定とは違ったけれど
結果オーライ。

そんなことを 勝頼が思ったかどうかは
分かりませんが…。

でも ここからの命運は
転落の一途をたどることになります。

北条氏政は勝頼に対し 怒っていました。

景虎救援の要請を反故にされ

その結果 かわいい実の弟が
自害に追い込まれてしまったからです。

武田と北条の同盟は
当然 破綻。

更に あろうことか 北条は

織田・徳川と
同盟を結んでしまうのです。

じわりじわりと
攻め込まれていきます。

更に 駄目押しとなる出来事が起こります。

天正8年から9年にかけて

遠江 高天神城が
家康によって攻められたのです。

勝頼が家督相続直後に攻め落とし

家臣たちから
厚い信頼を得る契機となった高天神城。

そんな大事な城を
勝頼は救援に向かおうともせず

落城させてしまったのです。

この一件で 勝頼の権威は
著しく失墜しました。

天正10年2月
ついに信長が勝負をかけます。

5万ともいわれる大軍で
武田の領国に攻め込みました。

対する勝頼は 1万5, 000の兵で
これを迎え撃ちます。

決戦が始まろうという まさに その時!

突如 浅間山が噴火します。

「なんと 不吉な!」
「武田が負ける前触れか!」。

既に士気の低下していた武田勢は
更に 動揺。

逃亡や寝返りが相次ぎました。

1万5, 000人いた兵は 次々と
勝頼のもとを去っていったといいます。

そこへ 徳川と北条も加わり
武田勢めがけ 攻め込みます。

勝頼は 城を放棄して逃げ出すほか
ありませんでした。

代々受け継いできた
土地も 家臣も 領民たちも

全てを失った勝頼。

しかし 追っ手は迫っていました。

追い詰められた勝頼は
甲斐東部の山中で 自ら 死を選びます。

享年37。 戦国大名 武田氏は ここに滅亡。

もしも 上杉景勝と和睦をせず

北条との約束を守っていたら…。

人生いろいろ。

決断って 本当に難しいけど
皆さん 勝頼の人生って どう思います?

いかがですか? 遼河さん。

こう 今 近くに同盟を組んでる人を
大切にっていうことですよね。

まあ 最初は 応援する…。
しようと思ってたんですよね。

行ったんですよね。
「何で こんな愚策を」と

つい思ってしまいますけど…。
苦肉の策ですよね。

本来は 北条が援軍のメイン。

で それへの援軍が勝頼だったんですが

北条が なかなか動けなかった。

で まあ 勝頼が行って。 そうすると
景勝と正面衝突になっちゃうわけですよ。

なるほど。 そっか。
それは…

自分がやられちゃうんだっていう…。
メインで戦わなきゃいけないのって…。

あまりにも損害が大きいという予測が…。
なるほど そうか~。

だから 北条が佐竹との対陣を
もうちょっと…。

早く終わらせ…。
でも それが終わらないんですよ。

分かんないですよね。 そうですよね。

勝頼も思ってたと思いますよ。
「もっと早く来てくれよ」みたいなね。

そっか。
ただ景勝と同盟を結んでしまったのは

もう完全に氏政を怒らせたので…。
そっか そっか。

そこですかね。
でもね その後 その北条との敵対で

武田は疲弊していく
っていうことでしたけれども…。

まっ 最後やっぱり
高天神の話に出てきましたように

救援に行かなかった
っていうことなんですね。

頼られなくなったら
見捨てられるんですね。

だから その裏切りをさせない
頼りになるということを

常に示し続けなきゃいけないんですよ。

もう疲れちゃったんですかね。
っていうか 兵力がなくなったって

いうことですか? つまり。

やっぱり長篠が大きくて それに代わる

勝頼に代わって陣頭指揮が執れる人が
ほとんど死んじゃっているので…。

勝頼って こう こういうところが得意で

こういうところが不得意みたいなものって
あったりするんですか?

ねえ 褒められていますもんね。

あれは やっぱり すごいなっていう
手腕なんですけれども

まあ あとは だから…

国王としての教育っていうのが
2年間しか受けられなかったので。

帝王学みたいな?
そうですね。 やっぱり嫡男は

ちっちゃい頃から
当主にふさわしい勉強をして

教養を身につけさせて…。
武術も そうなんですけど

あと 和歌と蹴鞠なんですよ。

これをね やっぱり幼少期から。

社交界みたいなところにも
ちゃんと出れないと駄目なんですよ。

貴族の趣味ですよね?
そうです そうです。

できないと やっぱ ばかにされる。
ちょっと やっぱり 気品というか

そういう身分であるからこそ出る気品が
やっぱり2年間では備わなかった。

だから まさに
ガツガツ勝っていくことでしか

人を ひきつけられなかった。

いっぺん負けると
ザ~ッと離れていくような…。

かわいそうだな 何か。

さて ここのパートの知恵はね

「目先にとらわれて
大きな目標を見誤るな」と

いうことでしたけれども…。
どうですか? 精神科医の立場から

ついつい 目先にとらわれてしまうような
ことって…。

いや~ だから それは
僕は 何となく うっすらと

ずっと 反動形成とか
言ってるじゃないですか。

自分の中にある葛藤がある人にこそ
いい顔したいっていうか。

かえって同盟を結ぶと まずい
景勝とやってしまうっていうのが

実は 過剰に
そういういい顔してしまうっていう…。

ちょっと 事なかれ主義すぎて 過剰に
そこに上塗りをしてしまうっていうかね。

あと もう一つは 北条と戦争始めると
織田に和睦を申し入れるんですね。

あ~ そっか~。
でも相手にされないんですね 信長からは。

もう 要するに
言葉に信頼がないっていうか。

まあ そういうことですよね。 さんざん
戦ってきてるわけじゃないですか

勝頼と信長は。 まあ 信用はしないし
当面の敵ですから。

何で 俺が 武田と和睦しなきゃいけないの
みたいな。

する必要がないですもんね。
そこに まあ 大げさに言うと

やっぱり 精神的な特徴というか

あまり強大な敵だと その敵と戦う
気持ちを どっか切り上げてしまって

その敵と仲よくなれるんじゃないか
みたいに思ってしまうっていうのが

何か そういうことが
ずっと続いてるような。

かつては
それがよかった時もあったけれども

今回は駄目だったっていう この…。
そうなんですね…。

さあ 今日はですね
滅亡に至る勝頼が犯した失敗から

知恵を見いだしてまいりましたけれども
遼河さん いかがでしたか?

ちょっと やっぱ 何か
何で こんなことしちゃうんだって

思ったところもありますけど
お話聞いてたら

あ~ しかたないかっていう…。

もしかしたら 勝頼の一生というのは

自分という…

でも じゃあ
僕たちは そうじゃないかというと

僕たちも きっと そういう面があって…。

だから 僕たちも
案外 自分として生きるっていうことは

実は 勝頼並みに難しいんじゃないかと
そんなことさえ ちょっと思いましたね。

黒田先生 どうですかね?
改めて 勝頼の評価ですよね。

多分 信玄は もう少し教育をして
きちっとした教育をして

家老たちとも仲よくさせて受け継いでいく
っていうことだったんでしょうけれども

あまりにも遅かったですかね。

そこら辺は ちょっとかわいそうかな。
やっぱり かわいそう。

いろんな巡り合わせっていうのも
あるんですかね。     運ですよ 運。

偶然。 やっぱり 歴史は偶然。

あ~。 運って大事なんですね。 運か~。

いや~ 本日も ご来店
ありがとうございました。

(3人)ありがとうございました。

昨日は もりもりとカレー。


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